ただいまは、当教会の九月の月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。
夏休み明けの日曜日でございますので、お子様のお好きな、アニメを台に御話させて頂きます。
しばらくお付き合い下さい。
柏手
この夏休み中に、次女が、「ノラガミ」というアニメに夢中になっていました。
天理教の神様とは違いますが、日本文化の、八百万の神様をモチーフに、社のない、つまり、神様にとっての家の無い、野良の神様、夜トという、おそらく荒神、祟り神である、「やとのかみ」をモチーフに作られた神様が、妖退治をすることで、社を建てられるように妖退治、人だすけをしていく、というバトル漫画です。
菅原道真や毘沙門天などの名前のキャラクターも登場しますが、あくまでモチーフで、これを見たからと言って、さして日本文化のお勉強にはなりません。
むしろ、主人公の夜トも、黒いジャージを着た、今もその辺を歩いていそうな若者の姿をして、過去の過ちを嘆いたり、人から忘れられてしまうと神としての存在が消えてしまうという設定に悩んだり、さらには、美味しいものに目がないという、非常に人間臭い、神様というよりは、現代っ子を表現したキャラクターです。
さて、そんなアニメなんですが、夜トは、人だすけにお金を取ります。
金額は、5円。お賽銭といえば、5円という発想からです。
アニメの設定としては、面白いですよね。
娘も面白がって、5円が欲しい5円ちょうだいと言ってきます。
アニメの設定としては面白いのですが、私は子ども達に、伝えておきたいことがあります。
御供え、お賽銭というのは、ご利益や願いを叶えてもらうためにするものではなく、「次の人」の為にするものなんだと。
願って、ご利益が頂ける、たすけて貰える、あるいはどうなろうとも、祈れる場所がある、癒される場所がある。その感謝・喜びがあるならば、次に参拝する人、次に願い出てくる人、次に手を合わせに来る人の為に、その神様の存在、神様が奉られている社の維持・発展の為に、お金を納めることが、御供え、お賽銭の意味なのだと。
もちろん、人それぞれに、経済状況は違います。
しかし金額の問題では無いんです。
次の人の為にと思って御供えしているのか、それとも我が願いのためだけなのか。さらに、金銭的に難しいなら、その社周辺を掃除したり、またその利益を人に伝えて、その神様の存在が忘れられ、消えてしまうことが無いようにするのも、お賽銭と同様に意義があります。さらに言えば、人に伝えることを主としてつとめる人の支えになろうとすることも、同様の意義があります。
次の人。
自分より後に、参拝する人。
こう言うと、自分の子孫をイメージされる方もあるかも知れません。
最近知った、日本語の誤用、間違った言葉づかいで、ちょっとショックを受けた表現があります。
「末代男子」「末代女子」という表現です。
私の世代は、異性からモテない人のことを「非モテ」と言いました。
「末代男子・女子」も発想はモテないというところにあるんですが、遺伝子的な意味で、子孫を残せない、自分が最後の代だ。という発想でこの言葉が使われています。
ここ1年ほどで、急速に広まっています。
元来の「末代」という言葉は、辞書的には、「死んでから後の世。後世」という意味ですから、遺伝子や「家」としての繋がりは関係ありません。
ですが私は、それが日本語として間違った表現だと単純に切り捨てる気にはなれません。「末代男子・女子」という表現には、単純にモテるモテないという次元とは比較にならないほどの切実さを感じてしまいます。
それこそ、ノラガミの中で夜トが人間に忘れられたら、その存在が消えてしまう、その苦しみとリンクするような切実さを思ってしまいます。
天理教のこの道は、「末代の道」「末代の理」とお教え下さいますが、その中にあってさえ、自分には子が無いから、子孫がいないから、などという人もあります。もっと言えば、自分を末代にすれば、因縁は無くなると、非常に間違ったお考えの方すらあります。
遺伝子的、「家」という意味での子孫ではなくとも、後に繋がる人をつくり、後に繋がる人の為に尽くすことが大切です。
世間ではよく、人が死んでも教えは残ると言いますが、それは間違いです。
花の種を胸に秘めていては、花が咲かないように、教えの理も、種を蒔き、水や肥料を与えて初めて、後々に残って行くんです。
それは単純に、会ったことのない、この目で見ることのない、自分とは何の関係もない後々の世の人の為になるばかりはでありません。
自分がお世話になった方が生まれ変わって来たとき、迷うことなく、この道に繋がり、前生から更なる成人の歩みを進めて貰うことにもなります。さらには、自分自身がこの世に帰って来た時も、同様です。
人のためであり、先に出直していった方々への孝行であり、そして、自分自身のためになるんです。
祭文でも奏上しましたが、今月は全教会布教推進月間です。
布教実働の中に、次の人の為、という意識を以て、共々につとめさせて頂きたいと存じます。
最後に、おさしづを引用させて頂きます。
心を尽した理は末代とも言う。この一つの理急ぐで。早く楽しましてくれ。この道、この道あればこそ/\。尽した運んだ理は、皆受け取ってあるという事楽しましてくれ。早く急いでくれ/\。(明治三十四年四月二十八日)
(おさしづ補遺(明治三十四年)(公刊おさしづ第七巻より) https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/432182359.html)
ご清聴ありがとうございました。
柏手
<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: おさしづ補遺(明治三十四年)(公刊おさしづ第七巻より) https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/432182359.html

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