2026年02月01日

立教189年・二月月次祭神殿講話

立教189年・二月月次祭神殿講話





ただいまは当教会の二月の月次祭を賑やかにつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

ひとことお伝えさせて頂きます。
しばらくお付き合いください。

柏手

先月26日、恙なく、教祖140年祭を参拝させて頂くことができました。
また昨日は、教会長御招宴を賜り、教会を代表して出席させて頂きました。
誠にありがたいことでした。ありがとうございました。

さて、祭文で奏上いたしました通り、年祭が終わったから活動も終わりという訳ではなく、この日を新たな門出として、心を引き締めて、たすけ一条の更なる前進をお誓いさせて頂きました。

実際に振り返ってみますと、この三年間、たくさんの不思議な御縁と、不思議なたすかりの姿をお見せいただくことができたと思います。
しかしながら、人間というのはあざないもので、その道中にはどうしても、なかなか上手く行かないというようなことばかりに眼を奪われがちです。
頑張ってるのに成果が出ない、頑張ってるのに何でこんなことになるんやろう?そんなことばかりが心に浮かんでしまいがちです。

にをいがけ・おたすけ、成人の歩みというのは、得てしてそういうもので、ある先生は、螺旋階段に例えて、「着実に昇れているハズなのに、同じような景色ばかり続く」と仰っていました。
ですからどうしても、今やっていることに意味があるのか?意味のないことばかり繰り返しているだけではないか?そんな考えが頭をよぎる瞬間が、毎日のようにあります。

でもなに一つ無駄では無いんです。

そんな思いを新たにした出来事が、つい先日ありました。

この方との出会いは、もう7〜8年前になります。
今もほぼ毎日続けている路傍講演で出会いました。

教会にしょっちゅう参拝して下さる時期もあれば、遠のいてしまわれる時期もありました。
そんな中で先月、連絡をくださいました。
入院したと。

早速おたすけに伺い、色んな話をする中に、

会長さんに初めて会った時、私、死のうと思ってたんです。
それが、会長さんの姿を見た瞬間、そんな気持ちが、スーッと無くなったんです。

と仰いました。

出会って7〜8年。
そんなことは、一度も聞いたことがありませんでした。
色んな悩み事は抱えておられるものの、そこまで深刻に悩んでおられるようには見えていませんでした。
今回の入院も、整形外科の入院です。

そしてこのお話を聴いて、思ったんです。
路傍講演で、誰も話を聴いてくれないと思っていても、聞いて下さっている人が居るばかりでなく、ただ街角に立つそれだけで、人が救われることがある。しかも、この方のように、繋がってくださってさえ、そんな心のたすかりを何年も黙っておられたのだから、救われる想いを持ってくださった後、ただ通り過ぎて行かれた方も、きっと少なからず居て下さるのだろうと。

そう考えれば、私のやっていることは、無駄なように思えても、その実、おたすけになっていたのだと信じることができました。

有難い限りです。

140年祭の御挨拶で真柱様は、
「年祭に向かってのいわば非常時の歩みは終わりました。これからは普段の歩みになっていくわけですが、普段と言っても、三年前に戻ってしまったのでは何にもなりません。三年間の努力の上に立った歩みを続けていかなければならないと思います。今日は、新たな歩みだしの日でもあります。どうか皆さん方には、これからも勇んで歩み続けて下さることをお願い致しまして、今日の挨拶とさせて頂きます。」
と仰せられました。

おさしづに、
道という一つの理というは、何にも無駄の理にはなりゃせん。心という理末代の理に受け取りてある。
(明治三十三年四月十日
 田代兵蔵五十九才身上願(河原町部内水口支教会理事))
とお教えくださいます。

人間の目には無駄なように見えて、その実、何一つ無駄では無い。
しかも、自分一代の理ではなく、子々孫々、末代の理に受け取ってくださっています。
眼には見えなくても、人のたすかりがある。そんな歩みを、心新たに進めさせて頂きたいと存じます。

昨日、出席させて頂きました御招宴で真柱様は、
教会が親神様の思召しに適うような姿、それは建物が、その規模が大きいとか小さいとか、そうした問題ではなくて、中にある雰囲気が思召しに相応しく陽気であるということだと私は思っておりますが、その姿に御守護頂けるように

とお示しくださり、記念品として、
「たすけ一条、つとめ一条」との御揮毫色紙を下さり、これをおろそかにしてはならないと、重ねて、ご強調くださいました。

当教会も、「たすけ一条、つとめ一条」を目標に、より陽気で、より、たすけ心溢れる教会に一歩でも近づかせて頂けるよう、新たな歩み出しを、共々に、どうぞよろしくお願いいたします。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: おさしづ補遺(明治三十三年)(公刊おさしづ第七巻より) https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/431950718.html
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2026年01月04日

立教189年・春季大祭神殿講話

立教189年・春季大祭神殿講話





ただいまは当教会の春の大祭を賑やかにつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

まずはじめに、諭達第四号を拝読させて頂きます。

柏手

改めまして、ひと言お伝えさせて頂きます。
今、拝読させて頂い御諭達の最後に「教祖の年祭を成人の節目として」とありました。
この「成人」ということについてお話させて頂きたいと存じます。
しばらくお付き合いください。

柏手

先月、おさづけ拝戴のお世話取りをさせて頂きました。
おさづけ拝戴のお世話取り、付き添いは、有難いことに何度もさせて頂いていますので、流れとしては、随分慣れてきました。

ただ毎回、教祖殿御用場にて、お運びを待っている時、思い出すことがあります。

今から26年前の1月22日のことです。
この日は、私の、おさづけ拝戴の日でした。
そして私が、天理教の信仰をしたくないと思った日でした。

おさづけ拝戴のお運びが、とても形式的で、流れ作業のように思ってしまったからです。

この、26年前の1月22日を境に、私は天理教も、神様も、信じられなくなってしまいました。
しかし、神様の思召しは深いもので、その後十年足らずで身上御手引きを頂き、神様の存在を実感し、気づけば教会長として、数え切れない回数、おさづけを取り次ぎ、その不思議な御守護を何度も目の当たりにさせて頂いています。

そんな両極端な道を歩んできた私は、おさづけ拝戴のお世話取りをさせて頂く度に、教祖殿御用場で、お世話取りさせて頂く方の背中に、17歳の頃の自分を重ねて見つめ、毎度毎度、反省と後悔を重ねて来ました。
あんなに幼く、尖っていた私が、おさづけ拝戴のお世話取りをさせて頂けている。まさに、奇跡のような変化を実感し、有難くて涙が溢れそうになります。

先月のお世話取りでは、もう一段階、私の心の変化を感じました。

いつものように26年前の私を思い出すところまでは同じですが、先月は、当時の私のことを、可愛いなと思ったんです。
あまりにも純粋で、あまりにも真っ直ぐで、ほんの些細なことに、激しい憤りと残念さに傷つくことしかできなかったんだなと、そんな自分を思い出し、愛おしく感じたんです。

今の私からすれば、17歳の子とは、親子のような歳の差です。
だから、可愛いと思うのは、当たり前のことと思われるかも知れません。
しかし、その時間だけでは、こうした心の変化に繋がらなかっただろうと思います。

届かぬながらも、にをいがけ・おたすけに励み、おぢばがえり、別席やおさづけ拝戴のお運びに付き添う中で、過去の自分の通り方を、心が引き千切れそうになるくらいに後悔や反省を繰り返し、ようやく、当時の自分を丸ごと認め、抱き締めてあげたくなれたんだと思います。

にをいがけ・おたすけを通して、人のたすかり、人の成人、人の変化を傍で喜ぶ日々を積み重ねてはじめて、私は、大嫌いで仕方なかった過去の自分を愛してあげられるようになったのだと思います。
自分で自分を愛せるようになれば、世界や人がもっともっと魅力的に見えるし、自分の生き方も、もっと丁寧で前向きなものになると実感しています。

自分自身の体験だけですが、これが、成人の歩みというものなのだろうと思いました。

今年の書初めは「子供可愛い故」とさせて頂きました。
明治二十年陰暦正月二十六日、教祖が現身を隠された直後のおさしづ、
さあ/\ろっくの地にする。皆々揃うたか/\。よう聞き分け。これまでに言うた事、実の箱へ入れて置いたが、神が扉聞いて出たから、子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までと、これから先としっかり見て居よ。扉開いてろっくの地にしようか、扉閉めてろつくの地に。扉聞いて、ろっくの地にしてくれ、と、言うたやないか。思うようにしてやった。さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。よう聞いて置け。(明治20・2・18)
天理教勉強blog: 明治二十年のおさしづ。(公刊おさしづ第一巻より) https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/415506876.html
の一節を引用させて頂きました。

教祖から見れば、どんな人も、可愛い子供なのだと思います。
そしてその成人した姿を、きっと、すでにわかっていらっしゃるのだと思います。
私たちは、その、教祖が既にわかってくださっている姿を目指して歩めば良いだけです。
御存命の教祖は、いつも優しく見守ってくださっています。

またこのおさしづの中にある「子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。」とは、おさづけの理のことだと、お教え頂きます。

今月26日は、いよいよ、教祖140年祭です。
ここにいらっしゃる方のほとんどが、おさづけを拝戴された方ばかりです。
御年祭のその日まで、一回でも多く、おさづけを取り次ぎ、一歩でも多く成人の道を進めさせて頂いた姿を以って、御存命の教祖にお喜び頂きましょう。

にんけんをはじめたしたるこのをやハ そんめゑでいるこれがまことや(8-37)
天理教勉強blog: おふでさき第八号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/391317710.html

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 明治二十年のおさしづ。(公刊おさしづ第一巻より) https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/415506876.html
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2025年12月01日

立教188年・十二月月次祭神殿講話

立教188年・十二月月次祭神殿講話


https://youtu.be/7BIy_ZsY5g8





ただいまは、当教会の本年納めの月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

ひと言お伝えさせていただきます。しばらくお付き合いください。

柏手

一年間を振り返りますと、皆様それぞれ、色んな思い出があると思います。
私が今年一年間で、特に頑張ったなぁと思うのは、おつとめです。
今更かと思われるかも知れませんが、やはりおつとめこそが大切ですし、簡単なようでいて、とてもとても難しい、奥深い。それがおつとめです。

私個人としては、おつとめのメロディーを深く研究したんですが、その話は今回は差し控えさせていただき、そもそも、おつとめは何故、神様に向かって歌って踊るのかなぁというところを、考えたいと思います。

日本に限らず、人間というのは有史以前、原始的な人間の営みを始めた頃から、歌ったり踊ったりして、神に祈りを捧げていました。
現代人はむしろ、それになんのメリットがあるのかと、人間の本能的なレベルの行動に疑問を挟みつつあるかも知れません。
文化の歴史的な観点から言えば、作物の豊作を願い、収穫を感謝するというのが基本的なところかと思います。また、社会が発展するにつれ、病気や困りごとの平癒を願い、その実現に感謝するようになってきたと言えると思います。しかし多分、人間が何万年も神に歌って踊ることを祈りとして表現していたのは、もっともっと根源的な意味があると思うんです。

私の認識ではそれは、神への感謝なんですが、豊作や収穫へのものとは少し意味が違います。

根源的には、歌って踊ることによっての、清めと感謝の表現。
普段から私たちは、「有難う」という言葉をよく使いますが、
有難うとは、有ることが難しいと書きます。存在し難いということですね。
この存在し難いというのは、自分の認知力の外側のことだと思うんです。
つまり自分ではコントロールできないことや、自分が想像できないこと、そこからやってきた贈り物のようなものに気づいた時に発する言葉なんじゃないかと思うんです。

豊作や収穫、病気や困りごとの平癒というのは、そんな中の、ごくごく一部であって、そもそも、私たちが今こうして存在できていることであったり、この世界の存在や成り行きに対してという、どうやったって理解も表現もできないものを、歌って踊るという行為で表しているんじゃないかと、そう思うんです。
逆説的な結論になりますが、歌って踊るおつとめというものを、あんまり考えすぎても良くないなぁと思います。
自分ができることなんて、ごくごく限られているし、自分の認識の外にある営みによって、この世界も、私も生かされている。その認知の外側にある、究極的な言葉として、神、という概念に対して、溢れ出す感謝と喜びの表現が、おつとめであろうと思います。

もちろん、おつとめには地歌があり、その言葉には意味があります。
九つの鳴り物、それぞれの役割と意味もあると思います。
おてふりの動作ひとつひとつにも、意味があります。
メロディーも、時に不協和音になったり一つに重なったりと、何かしら意味があると感じています。
これらを深掘りしようと思えば永遠にできますが、私たちの時間は有限です。
優先すべきは、おつとめをつとめることそのものです。
神様に対して、今この瞬間を、何かとてつもなく大きな力で生かされている、その溢れ出す感謝と喜びの表現としてのおつとめをつとめることが最優先の行いだと思います。

おつとめには練習も必要ではありますが、取り掛かりは、さほど難しくはありません。
打ち物は叩けば鳴りますし、三曲も特別なテクニックは全くありません。おてふりも、バク転や宙返りをする必要はありません。
もっと言えば、身体が動かなくても歌えますし、目も見えず耳も聞こえなくても、太鼓などの空気の振動でリズムを感じ取ることができます。
私の友人で、脊椎性筋萎縮症で首から下が全く動かない子も、おつとめが大好きで、所属の教会のおつとめでは、いつも地方をつとめています。
もちろん、やっているうちに、もっと上手に、丁寧に、正確に、という欲求は出てくると思いますが、誰もが、今すぐに始められるものです。不器用でも、障害があっても、寝たきりでも、誰もがつとめられます。

「稿本天理教教祖伝逸話篇五四 心で弾け」の中で教祖は、
「稽古出来てなければ、道具の前に坐って、心で弾け。その心を受け取る。」
天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝逸話篇五四 心で弾け https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/209986646.html
とお教えくださっています。
やはり最優先は、上手にとか正確にとかよりも、神様への溢れ出す感謝と喜びの表現のおつとめをつとめることだとお示し下さっているのだと思います。

年が明ければ、教祖140年祭がつとめられます。
教祖が、定命を25年も縮めて、命がけで急き込まれたのが、おつとめをつとめることです。
不器用でも、自信がなくても構いません、教祖140年祭のその日までに、一回でも多くおつとめをつとめ、一拍でも多く鳴り物を鳴らし、一振りでも多く手を振り、一音でも多く地歌を歌わせえて頂きましょう。

みなそろてはやくつとめをするならバ そばがいさめバ神もいさむる 一 11
天理教勉強blog: おふでさき第一号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/381659048.html

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<参考リンク>
671年創建の笠間稲荷神社で─雅楽と奉納、認知外の世界 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=FixxfhS7wgk

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: おふでさき第一号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/381659048.html
天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝逸話篇五四 心で弾け https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/209986646.html
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2025年11月03日

立教188年・秋季大祭神殿講話

立教188年・秋季大祭神殿講話


https://youtu.be/zQF872nfcbI





ただいまは、当教会の秋の大祭を賑やかにつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。
まず、諭達第四号を共に拝読させて頂きます。

柏手

改めまして、神殿講話をつとめさせて頂きます。
祭文でも奏上いたしました通り、本日は、当教会の創立96年ですので、それにちなんだお話をお伝えできればと存じます。しばらくお付き合いください。

柏手

先日、子ども達の運動会がありました。
私は運動会に限らず、学校行事が苦手なんです。
うまく言えませんが、甚だ、居心地が悪い。
子どもの頃からです。

運動会の際、先生方の、子ども達以上に楽しそうな様子を見ていて、ふと思いました。

学校の先生になりたいと思う人の多くが、学校が好きだった人だろう。
学校が好きだった人には、学校が苦手と感じてしまう子の気持ちは、根本的なところでズレてしまうのではないだろうか?

と。

同じようなことを、テーマパークや、今の季節、夏や秋のお祭りでも感じます。
私は、学校も、テーマパークも、お祭りも苦手です。
でも、知らないことを学ぶこと、映画や音楽、絵画、漫画などの芸術、サブカルチャーは大好きです。寺社仏閣も見つければふらりと入ってしまいますし、そこにある文化、雅楽や読経などの独特の空気感も、とても心地よく感じます。浸っていたいと思います。何より、今、共におつとめをつとめたように、神様に凭れること、感謝する気持ちは、人一倍持っているつもりです。

学校が好きな人、テーマパークが好きな人、お祭りが好きな人は、おそらく人口の大半を占めていて、そういう方々は、どこに行ってもうまく生きていけると思います。

しかし私のように、学校やテーマパーク、お祭りで提供される根本的な価値観には強い必要性を感じているのに、その場に居ることがどうしようもなくツラい人こそが、学校やテーマパークやお祭りの根本理念に救いを求めているのではないでしょうか。

この道の教えの究極の目的は、陽気ぐらしです。
学校やテーマパーク、お祭りは、明るく陽気で楽しいものです。
しかし、そこで明るく陽気に楽しめない人こそが救われなければ、本当の陽気ぐらしとは言えないのではないでしょうか?
私を筆頭に、今までおたすけで関わらせて頂いた方々のほとんどが、私のような感覚の方々です。

先日、10月26日の御本部秋季大祭に、ある布教師が人を連れておぢばに帰りました。
彼は、とても引っ込み思案で、口下手で、たいてい無表情です。でもなぜか私にはよく懐いてくれていて、私を見つけると、傍に来てくれます。何を話すということもなく、私が被っていた帽子を彼の頭に被せるといった、私のちょっとしたいたずらに笑ってくれます。
引っ込み思案で口下手なのに、とてもとても布教熱心で、まだ二十代の青年ですが、すでに数千回のおさづけを取り次いでいるという、私も見習わなければならないなぁとつくづく感じる子です。

そんな彼がおぢばへお連れ帰りしたのは、やはり、引っ込み思案で口下手な方でした。
賑やかなことが苦手な人ですが、秋季大祭の喧騒も、彼の付き添いがあったから、心地よく過ごせたとのことでした。
彼にしかできないおたすけの結果の、本当の陽気ぐらしの姿の一つが、そこにあったと思います。
誰が見ても明るく陽気、ではなく、本当の意味での陽気ぐらしの空気を、少しずつ少しずつ増やしていくのが、この道の歩みだと思います。

私の子ども達は、時々はゴチャゴチャと言いながらも、基本的には学校が好きで、よほどの体調不良でない限り、毎日欠かさず登校し、充実した表情で帰って来ます。
テーマパークもお祭りも大好きです。「生まれて良かったと思ってる」と言います。
私からすれば、奇跡のような子ども達です。
でも、それが奇跡と気付かず、当たり前だと思っては、あまりにも勿体ない。
ひょっとしたら、私のような居心地の悪さを感じたことが無い人にとっては、このような子ども達の姿が当たり前に感じてしまうかも知れません。
そういう意味で、私は、この私が感じて来た居心地の悪さというものも、決して悪いものではなく、神様からのプレゼントなのだろうと思います。
こうしたプレゼントがあるからこそ、私にしかできないおたすけもあるのだろうと思っています。

当教会の初代会長様は、教会の将来の姿について、たくさんの人が集まることや大きな神殿が建つことではなく、ここに寄り集う人の心に、「おたすけの心が溢れていること」を望まれていたと御聞かせ頂きます。
おたすけの心が活きるのはきっと、お一人お一人が抱えるコンプレックスのようなものの中にこそあると、私は私の姿から感じます。
陽気ぐらしへの歩みは、自分自身のコンプレックスが、神様からのプレゼントだと気づくことから始まり、自分にしかできないおたすけとして続いていくのではないでしょうか。

おさしづに

年限々々どれだけ年限という。年限の経ったものでなけりゃよふぼくには使われようまい。年限の経たぬものはよふぼくにはならん。年限の経ったもの程強いものは無い。よふぼくと言えば普請何ぼどれだけ綺麗なと言うても、若いもの細いものでは持たぬ。年限経ったものなら何ぼう節が有っても歪んだものでもこたえる。重りがこたえやで、重りがこたえやで。そんなら細いものは間に合わぬという。年限経てば年限相応だけ間に立つ。年限の古いよふぼくでは揃わん。後々足らぬ処は年限待つより外はない。年限経ったならこそよふぼくという。よふぼくは何程焦らってもいかん。そこで、これどうしようとこうしようと、めん/\のまゝというようでは世界のまゝにいかん。どうしたとて出来んものは出来やせん。じっとして居ても出来るものなら出来る、どうしてくれともこうしてくれとも言わん。言葉一つがよふぼくの力なら、どうする事も、戻す事も出来ん。皆んなそれに凭れ/\て若木が育つ。世界に何ぼ育つとも分からん。そうしたら世界どんな事出来ても怖わい道は無い。これから急いて/\何処まで急くやら分からん。世界には新しい道が千筋も出来て来た。どんなよふぼく出来るやら分からん。あちらの国からよふぼく、こちらの国からもよふぼく、高い山にも山の背腹にも谷底にもある、低い所から引き出すには引き出し難くい。高い所から引き出せば早い/\。高い所のよふぼくはする/\と下りて来る。どんなよふぼく寄せてどんな仕事するやら分からん。小さい心はやめてくれ。疑ぐり/\の心はやめてくれ。ほしい、をしい、うらみ、そねみの心はやめてくれ。
(明治二十八年十月七日 夜十時 刻限御話)
https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/425265994.html

とお教えくださいます。
焦ることも、諦めることもなく、日々、自分に与えられた年限を積み重ねさせて頂きましょう。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 明治二十八年のおさしづ(公刊おさしづ第三巻より)その3 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/425265994.html
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2025年10月01日

立教188年・十月月次祭神殿講話

立教188年・十月月次祭神殿講話







ただいまは、当教会の十月の月次祭、並びに、秋の霊祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。
霊祭をつとめさせて頂きましたので、それにまつわるお話をさせて頂きたいと存じます。
しばらくお付き合いください。

柏手

ある歌の歌詞を引用いたします。

君が知ってる僕らの出会いの瞬間を僕は知らずに
古いアルバム初めて歩いた日の事 話した言葉
(cutt 声)

また、同じ方の別の歌の歌詞には、

例えようのない悲しみさえ
流れる砂が癒していくけど
あの頃の僕はいつまでだって
逆らっていたかった
(cutt 星に願いを)

親に対して、しかももう今は亡くなった親に対して、色んな想いを抱えているんだろうなと感じます。

私もそうですが、皆様も多かれ少なかれ、親に対して、感謝も反発も、色んな想いを抱えておられると思います。

これらの曲を書かれた方は、全然、いわゆる、売れていない方ですので、あえて名前は申し上げません。
気になる方は、後で聞きに来てください。

実は、私が高校生の頃に、ものすごくドハマりしたバンドのボーカルの方で、先ほど引用した詩は、その後ソロ活動として発表された曲の歌詞です。

このバンドは大阪出身の方々ですが、1998年にXのhideさんに見出されて上京し、1999年10月にメジャーデビューしました。
御承知のようにXのhideさんは、1998年の5月に亡くなられましたので、本来、プロデューサーや広告塔として一番頼りになるハズの存在を、デビュー作業のさ中に失ってしまったことになります。
ただ、彼らのデビュー直前に、hideさんのトリビュートアルバムが発売されたんですが、布袋寅泰さんやLUNA SEA、GLAY、YOSHIKIさんなど錚々たるアーティストが参加される中で、唯一のインディーズバンドとして参加されていました。
私が彼らの演奏を初めて聴いたのは、このhideさんのトリビュートアルバムが最初です。とてもとても、とてもとても、素晴らしい演奏でした。

そこからドハマりしまして、メジャーデビューシングルや1stアルバムなどのCD購入はもちろん、ライブにも行きました。
友達にも勧めました。
しかしやはり、先ほど申しました通り、Xのhideさん、本来、プロデューサーや広告塔として一番頼りになるハズの存在を失ったせいでしょうか、なかなか大きく売れるということはなく、2001年に一度解散、メンバーそれぞれの活動を経て、再結成してインディーズ活動、メジャー復帰など、一般人からすれば、細々と言って差支えないでしょう、そういう活動を続けておられます。
つい先月、9月28日に久方ぶりのワンマンライブを開催されましたが、私も、時々思い出して調べる程度で、いわゆる推し活のような、強い応援はできていません。

さて、彼らがメジャーデビューして、もう26年にもなりますが、なぜわざわざこのタイミングで、皆様が知るはずもない彼らの話をお伝えしているかと申しますと、この夏に、初めて知った事実があるからです。

いつものように、どうされてるかなぁ?とたまたま何となく気になって、数年ぶりにバンド名やボーカルの方の名前をGoogle検索しました。

ボーカルの方と、ドラムの方はご兄弟なんですが、そのお父さんが桂枝雀さんだと、この夏に初めて知りました。
改めて顔写真を、何度も穴が開くほど見た顔写真を見ると、確かにソックリでした。

桂枝雀さんは、60代以上の方なら、よくよくご存じだと思います。
今は亡き、伝説的な落語家です。
私の父は、桂枝雀さんが大好きでした。
ひのきしん中には、神殿のスピーカーで枝雀さんの落語を流しながら神殿掃除をしたりしていました。
私は枝雀さんの産湯に浸かって育ったようなものです。
父を看取って頂いた特養にも、枝雀さんの落語のCDを持って行き、父に聞かせて貰っていました。

余談になりますが、桂枝雀さんは1999年4月に亡くなっています。hideさんのちょうど1年後、彼らがデビューする半年前です。
恩師と実の親を立て続けに、しかも同じような形で、自分の一番の晴れ舞台の直前に亡くされているんですから、彼らが売れずとも、存在して活動してくれているだけで、とてつもなく貴重な、有難すぎる存在だと感じざるを得ません。

話を戻します。
私は、なぜ、彼の歌に惹かれたのでしょうか?
メロディーや演奏、歌詞の世界観はもちろんですが、知らず知らず、その声質に惹かれていたのかも知れません。

最近私は、自分の声が、父親の声に似て来たなぁと思います。
最初は怒鳴り声が似てきたと思いましたが、ふとした言葉も、なんか似てるんです。
声に香りはありませんが、雰囲気というか、いわゆる匂いが似てるんだと思います。

匂いは違うから匂う。
いつも嗅いでいる匂いには気付かないけれど、外国に行った時や、どこか人のお宅にお邪魔した時に、いつもと違う匂いを感じる。
だから自分が発している匂い、慣れ親しんだ匂いには気付きにくい、けれど、その気付きにくい匂いに癒される。
私が彼の歌声に癒されていたのは、その気付きにくい匂い、父親から慣れした親しんだその声質に惹かれていたからだと、26年経って気付かされました。

最初に引用した歌のタイトルは、「声」と言います。
歌詞は、次のように続きます。

正解のないジクソーパズルの
今の形に自信が持てずに
闇雲にピースをひっかえて
違う僕らになろうとしてた
(中略)
聞きたいよ君の声をもう一度
近過ぎて耳を塞いでいたけれど
今ならば言えなかった思いも
何も捻じ曲げずに伝えられるから
(cutt 声)

皆様も、親に対して、感謝や反発など、様々な想いを抱えていらっしゃると思います。
けれどもこうして、教会に繋がって下さっているのは、親から伝えられた、産湯のような匂いを感じ取られているからではないでしょうか?
実際、実の親と直接声を交わすことはできません。

けれども、父が生前、私に教えてくれた数少ない言葉の中に、
声というのは、心の枝。心根から、心の枝を通って言の葉になる
と教えてくれていました。

心の根は、親神様・教祖、ここに繋いでくれた親、そこから出てくる声を通して、私たちはいつでも、その根と繋がれ、更に、人にその根の存在に気付かせられると思います。
言葉は交わせなくとも、心根に繋がる声、心の枝を交わしていきたいものです。

おさしづに
何でも/\踏ん張る処が根である。根から枝も栄える。それから自由自在の道も見えるのやで。
(明治二十一年 永尾徳松、宇野善助、中村松之助以上三名御伺)
天理教勉強blog: おさしづ補遺(明治二十一年)(公刊おさしづ第七巻より)その3 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/431652658.html

とお教え下さいます。
親から頂いた声を頼りに、根を深め、そして声を掛け、自由自在の実りを楽しみに通らせて頂きましょう。

ご清聴ありがとうございました。
柏手

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2025年09月01日

立教188年・九月月次祭神殿講話

立教188年・九月月次祭神殿講話








ただいまは、当教会の九月の月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。
祭文でも奏上いたしましたが、今月は布教推進月間ですので、それにちなんだお話をさせて頂きたいと存じます。
しばらくお付き合いください。

柏手

先日の夏のこどもおぢばがえりの会場にて、数年ぶりにAくんという、ある教会の長男である青年と再会しました。
私は長年、大教会の学生担当委員という御用をつとめさせて頂いておりまして、彼は、学生会の行事によく参加してくれていました。
ただ、そもそも天理教があまり好きでない子でもありましたので、行事にはよく参加してくれるものの、スタッフとして人を楽しませる側に回ることはほとんどなく、どちらかと言えば、自分が楽しみたいと思っているタイプの子でした。
もちろん、学生という立場では、行事に参加して教会やおぢばに身を繋ぐ、それで十二分にありがたい存在でした。

こどもおぢばがえりで会った時、あれ、この子、ちょっと変わったなと思いました。
引率で連れて来ていた子ども達の面倒をよく見ているし、学生時代は誰に対してもタメ口だったのに、私との挨拶も、少し砕けた感じの敬語でしてくれました。
学生を卒業して働くようになり、成長したんだろうな、大人になったんだなと思いました。

つい先日、彼の叔父さんに当たる方とお話しする機会がありました。
実はAくん、この叔父さんの勧めで、去年一年間、ちょっと頑張っていたそうなんです。
教祖140年祭活動に当り、せっかくやから、なんかした方が良い。おっちゃんも一緒にやるから、二人で考えようと言って、毎日三枚リーフレット配りをすると決めました。
報告は、互いにlineで、できた日は〇、できなかった日は×、男同士のやり取りですから、他の文章も絵文字もなく、ただただ〇と×のやり取りだったそうですが、一年間、ほとんど×は付かず、〇ばかりが送られて来たとのことでした。叔父さんとして負けるわけにはいかないから、こっちが大変なくらいやったと笑っておられました。
仕事で出張がある時は、リーフレットを持って行き、仕事終わりに配っていたそうです。
仕事仲間から、「お前、なにしてるんや?」と訊かれて、「俺、天理教やから、これ配らなあかんねん」と返したところ、その後には、仕事仲間の方から、「お前、今日は配りに行かんで良いんか?」と言われるようになったとのことでした。
仕事で遅くなった日も、夜中の1時2時に配りに行くこともあったそうです。

一年やり遂げて、「めちゃくちゃしんどかったから、もう二度とやりたくない」と言っているそうですが、私が何となく感じた変化は、ただ単純に年齢や立場が変わったからではなく、この一年があったから、彼の心に自信が芽生え、人へ向ける心の変化が起きた結果なのだろうなと思いました。

さて、天理教では布教のことを「にをいがけ」と言いますが、その最初は、立教から十五年も経った嘉永六年(西暦1853年)、教祖の末娘・こかん様の浪速の街、現在の大阪への神名流しでした。
この着物が、その時にお召しになっていたものです。
かなり鮮やかな水色の、立派な振袖です。

ところが、教祖伝には、その後に矛盾とも思える記述があります。
「秋祭の日に、村の娘達が着飾って楽しげに歩いて居るのに、わたしは、一人淋しく道行く渡御を眺めて居ました。と、こかんが、後日になって述懐したのもこの頃の事である。」

庄屋敷村から浪速は当時、別の国です。
隣国へ旅行に行くのに、振袖を着て行く人は、普通ありません。
こかん様が、行きたくても行けなかった秋祭りは、おそらく、当時、中山家の御屋敷のすぐ近くにあった、三島神社であろうと思うのですが、ご年配の方なら御記憶があるかも知れません。
今の東礼拝場のすぐ東側に、鏡池という池があり、そこに三島神社があったそうです。私の記憶には、池の記憶しかありません。今はその池もありませんが、御屋敷から距離にして数百メートルあるかないか。数軒隣の神社へ、こんなに素晴らしい振袖という晴れ着をお持ちなのに、ただ眺めているだけだった。

この少し前に、似た記述があります。
「家族の者は、親神の思召のまに/\、田畑に出る時にも常に木綿の紋付を着て居たので、近村の人々は、庄屋敷村の紋付さんと呼んで居たが、中でも青物や柴を商うて近村を歩く秀司の姿は、特に人目に付いたので、村人達は、紋付さん/\。と親しんだ。」と。
畑仕事をしたり野菜を売って歩くのに、紋付を着て行く人は、普通ありません。

教祖の長男・秀司と末娘・こかん様の御二人が、一番長く、教祖と過ごされた方々です。
教祖にとって、にをいがけがいかに大切だったのかが、この二つのエピソードから見て取れるように思います。

こかん様がされたことは、旅行ではなく、にをいがけです。
秀司様がされたことは、商売ではなく、にをいがけです。

だから、晴れ着や格式のある服装をされている訳です。
晴れやかな心、自信と信念のある姿を、見る目にもわかるようにして残して下さっているのだと思います。

ところで、お二人のにをいがけで、信仰する方ができたとは、どこにも記録されていません。
最初に紹介したAくんのリーフレット配りでもそうです。
私の毎日の路傍講演もそうです。
こうした活動を通して、別席を運んでくださる方はおろか、教会に来て下さる方ができることはほとんどありません。ここに居て下さるような、ほんの数人です。

私たちは、布教というと、ついつい、会社の営業活動のように、成果を求めがちです。
しかし、成果は何の関係もありませんと言ったら言い過ぎかも知れませんが、さほど考えなくて良いことなのだと思います。
それよりも、晴れやかな心で、自信と信念を以って歩かせてもらうことの方が、遙かに重要なんです。
そしてそうして通る中に、Aくんのように、知らず知らず、内面の成長へと繋がり、それが一番のお与えなんだと思います。

親神様の理想とされる「陽気ぐらしの世界」実現を、「陽気普請」など、建築にたとえて表現されます。
しかもそれは、「きりなしふしん」であると。
その「きりなしふしん」とは、目に見える建物や世界の在り様だけでなく、自分自身の「心の普請」こそが大切です。
心のきりなし普請をする、その大切な第一歩が、外に向けて、にをいがけをすることで、それこそが、教祖は、我が子に振袖や紋付の晴れ着を着せてお喜び下さるような行動なんです。
目に見える成果は、関係ありません。その行動をこそ、教祖はお喜び下さいます。

成果も求めず、ただ歩く。
そんなことで、陽気ぐらし世界の普請は進んで行くのかと、思われるかも知れませんが、大丈夫です。絶対に。
この絵本は、秀司様とこかん様を描いたものですが、最後にこんな絵があります。
お二人は、今ある、親里、神殿の姿を、その肉眼では御覧になっていません。
しかし、お二人の教祖の御教えを素直に通られた御姿があったからこそ、私たちは当たり前のように、おぢばの神殿で参拝できるんです。
おぢば周辺は昔、建物はほとんどない田園地帯だったと聞いて、想像できる人は多くありませんが、逆に、その田園地帯に巨大な神殿が建ち、「何ないという事のない繁華な町になる」と聴いて想像できる人は、遙かに遥かに少ない。
それが実現しているのですから、成果も求めず、晴れやかな心で、自信と信念を以ってただ歩くことにこそ、「きりなしふしん」の真髄があり、それこそが、教祖は、我が子に振袖や紋付という晴れ着を着せたくなるほどお喜び下さる行動なのだと、私は信じています。

諭達 第四号に
御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。

と御聞かせ頂きます。

リーフレットを準備しておりますので、共々にお配りくださいますよう、お願い致します。
ただ、歩くだけで良いです。それだけで、教祖はご安心下さり、お喜び下さいます。よろしくお願いいたします。

最後に、おさしづを引用させて頂きます。
これからどんな普請せんならんかも知れん。本普請はいつの事やと思う。不思議の中で小言はこれ嫌い、陽気遊びのようなが神が勇む。
(明治二十三年六月十七日 午前三時半)

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<引用文献>
みちのだい第33号(昭和41年1月26日、天理教婦人会)
絵本・おやさまを慕う人びと「なかよし兄妹、秀司・こかん」(昭和54年3月26日、天理教少年会)

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2025年08月01日

立教188年・八月月次祭神殿講話

立教188年・八月月次祭神殿講話







ただいまは、当教会の8月の月次祭を賑やかにつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

ひと言お伝えさせて頂きます。しばらくお付き合いください。

柏手

暑い日が続きます。
テレビやラジオ、新聞、SNSなどのメディアはもちろん、日常会話でも、熱中症に注意という言葉を見聞きしない日はありません。

1か月ほど前になりますが、6月末に、娘が熱中症になりました。

高い体温が続く中、冷房の効いた部屋で、冷たいスポーツドリンクを飲ませ、保冷剤を体に当てても、なかなか体温は下がりません。
不思議なことに、汗をまったくかきません。
手足も額も、体中、サラサラしています。
この症状は、体温が下がった後も、数日続きました。
汗をかけるようになるまで、極力、涼しい部屋で過ごさせました。
毎日毎日、汗が出ますようにとおさづけを取り次ぎました。

3日目に、額にジンワリと汗をかいているのに気付いた時、有難くて涙が出そうになりました。

普段は、べた付く汗にウンザリしてしまうものですが、汗をかけるというのは、とてもとてもありがたいことなのだなと思い知りました。

今では後遺症もなく、元気に遊び回り、先日参加させて頂いた「こどもおぢばがえり」でも、汗だくになりながら楽しんでいる様子は、その笑顔からも、その健康からも、何重もの喜びを感じさせてくれました。

また私としても、娘の熱中症の経験があったからこそ、こどもおぢばがえりの引率で、今まで以上に、熱中症対策をして臨むことができ、結果、無事になんの事故もケガもなく、参加して下さった子ども達、保護者の方々に喜んで帰って頂けたのだと思います。
子ども達が無事であれば、7リットルの水分と保冷バックに入れた大量の保冷剤を背中に負いながら走り回るのも、何の苦でもありません。
遊び終えて集合場所に戻って来た子ども達に、保冷剤を当ててあげた時の、ビックリするほど気持ちいいという、ここでしか見れない表情を見れたのは、この上ない喜びでした。

今年の「こどもおぢばがえり」は、大人7名、子ども9名の、計16名で参加させて頂きましたが、そのうち、大人2名、子ども6名は初参加でした。
大人も子どもも初参加の方が多い中で、引率には今まで以上に気を遣いましたが、やはり、こどもおぢばがえりは、本当に凄いです。
会場の設営環境も、世話取りして下さるスタッフの方々の思いやりも、スムーズに運ぶよう熟考されたオペレーションの流れも、また、遠方の地域、海外からもたくさんの方々が笑顔いっぱいに参加されている、何もかもが最上の環境で、その雰囲気からでしょうか、互いに初対面の子ばかりの状況でありながら、子ども達は、とてもとても仲が良く、最後まで笑い声が絶えずに過ごしてくれました。

奇跡のような出来事もありました。

最後のアトラクションは、屋外の行事を予定していました。
その一つ前の屋内行事を終えて外に出た時、雲行きの怪しさを感じたので、スマホの雨雲レーダーをチェックしました。
10分ほどで豪雨が降る予報でした。
大人同士で相談し、最後のアトラクションは諦めて、神殿前に戻って解散しようということになりました。
残念そうな子ども達を促しながら、10分ほど歩いても、一滴の雨も降ってきません。
再度、雨雲レーダーをチェックしてみると、雨雲は、おぢば周辺を避けるように、違う方向へ移動していっていました。
改めて相談し、無事に、予定通り、最後のアトラクションを終了の16時まで楽しみ切り、ピッキー、リボンの大きなパネルの前で集合写真を撮ることまでできました。

初めから終わりまで、有難いな勿体ないなぁ、嬉しいなあの1日でした。

人からも神様からも、私たち参加者を喜ばせたいという想いで溢れていました。

教祖伝に、
「この家へやって来る者に、喜ばさずには一人もかえされん。親のたあには、世界中の人間は皆子供である。」
(天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝「第三章 道すがら」 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/401306380.html
という、教祖のお言葉があります。

おぢばは、それを体現されておられるなぁと実感しました。
私はと言えば、自分なりには精一杯つとめさせて頂きましたが、まだまだ改善点もありますし、妻をはじめ一緒に引率して下さった保護者の方々、おぢばのスタッフの皆様や友人知人、そしてなにより、子ども達みんなに支えられたから、無事無難、喜びいっぱいに過ごせたのだと思います。

陽気ぐらしは、一人ではできません。
一人一人の、真実の思い遣りが混ざり合って見えてくる世界です。
陽気ぐらし世界を目指して、神様の御守護、一人一人の人間の思い遣りの心に敏感でありたいと思います。

月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから(14-25)
(天理教勉強blog: おふでさき第十四号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/395907927.html

ご清聴ありがとうございました。
暑い日々は、まだまだ続きます。熱中症に、くれぐれもお気を付けください。
ありがとうございました。

柏手

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天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝「第三章 道すがら」 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/401306380.html
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2025年07月01日

立教188年・七月月次祭神殿講話

立教188年・七月月次祭神殿講話







ただいまは、当教会の七月の月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

本日は七月一日。
一年の折り返しの日に当たりますので、この半年の振り返りを台にお話しさせて頂きたいと存じます。
しばらくお付き合いください。

柏手

振り返りと言いつつ、大変恐縮ですが、私の個人的なお話になります。

この半年で、私にとって大きな出来事は、私が、重度のカフェイン依存症だと自覚したことです。

以前まで私は、薄い薄いコーヒーを、毎日ガブガブと十数杯飲んでいました。
ある時、たまたま、インスタントコーヒーの粉が無くなりましたので、飲まずにいたら、朝食後から、激しい頭痛と、嘔吐に見舞われました。
前日まで、特に体調も悪くなく、コーヒー以外の原因が思い当たりませんでしたので、あぁ、そうだったのかと気づきました。

数年前から、年に一度くらい、嘔吐を伴う酷い風邪をひくことが続いていましたが、思い返せば、なんとなく体調が悪いから、コーヒーを飲むのを辞めておこうと思った時ばかりでした。
家族中に蔓延する風邪であっても、嘔吐をするのは私だけということもよくありました。

自覚するまで、私はカフェインに強い体質なんだと思っていました。
寝る直前に飲むことも多く、飲んでもよく眠れるし、むしろ飲んだ方が目覚めが良いとすら思っていました。

依存症は否認の病と言いますが、まさにその通り。
本当の私はむしろ、カフェインには人一倍敏感で、カフェインで感覚を麻痺させていただけなんだと思い知りました。

早速、カフェイン断ちをしました。
しかし、訪問先などでコーヒーを出して下さることも多く、カフェインを完全に断ち切ることはとても難しいものでした。
カフェインを含むものは、一日一杯まで。それも自分から進んでは飲まないと決めて過ごしました。
十日間ほどは、頭痛が続いていましたが、だんだんと治まり、普通の日常生活を、カフェインなしで過ごせるようになりました。

私はカフェインに限らず、あらゆることに依存的な考え方をしてしまう癖があります。

結婚当初、妻からアルコール依存症を心配され、その時に断酒していなければ、間違いなくアルコール依存症になっていたと思います。

アルコール依存症をはじめ、様々な依存症の方と接する機会があり、それを通して私の考え方の癖も自覚できるようになってきていましたが、やはり当事者として、自分を考え直さないといけない機会を与えて貰ったなぁと思います。

依存症の人の特徴として、嗜癖の対象は何であれ、対象となっているモノを前にすると、自分が自分でなくなったような感覚がすると口を揃えて仰います。

私も、例えば、清涼系タブレット、「フリスク」や「ミンティア」という名称で販売されていますが、この中に、甘い味の付いたものがあります。
人工甘味料で付けられた甘さですので、脳は、甘いのに糖分が得られないという、不完全燃焼の状態になり、ドーパミンを分泌させて、もっともっと、と暴走してしまいます。
結果、あっという間にひと箱を食べきってしまい、後から、口の中がミントでヒリヒリしていまうような事態になります。
これも何度も繰り返しています。

もう一つ例を挙げますと、今年、カフェイン断ちをし始めて以降のことです。
御用でよく通る高速道路、特にその帰り道で、疲れのせいか、酷い眠気を感じてしまう日々が続いていました。
危険なことですので、何とか対策を考えないといけないと思い、この時だけはカフェインに頼ろうと考えました。
普通にコーヒーや濃い目のお茶を水筒に入れて持って行けば良いのですが、たまたま、近所の自販機でエナジードリンクが安く売られているのを見つけてしまいました。
エナジードリンクというのは、定価がとても高い。以前よく飲んでいたものは、230円します。
実は御本部の自販機だと210円で買えます。
ところが、この近所の自販機では、同じものが200円で販売されていました。
これを見つけた瞬間、自分が自分でなくなったようなスイッチが入り、気づけば一気に三本買っていました。
正直言って、これでも我慢できた方です。

依存症者の思考というのは、このようなものです。

そもそも、人は、なぜ病的な依存をしてしまうのか。
基本的には、自己否定です。
自分はこのままじゃダメだという思い。
例えば、引っ込み思案をコンプレックスに思っている方が、ある時、お酒の力を借りて、気が大きくなった状態で、何か物事がうまく行ってしまった。
そんな間違った成功体験が脳にインプットされ、アルコール依存症になっていく。
同じアルコールでも、また逆に、考えたくないことを忘れるために、お酒が手放せなくなってしまう方もいらっしゃいます。
どんな依存症でも、大きく分ければ、この二つのどちらかです。

うまくできない自分を変えるため、考えたくないトラウマを忘れるため、人間は様々な物質や行動に依存していきます。

私も同じです。
ぼんやりと過ごしてしまう自分を無くすためにカフェインに依存し、考えたくないこと、専門用語で自動思考や侵入思考と呼ばれるものから逃れるために、読書や必要以上の御用に励み過ぎてしまう。

ここまでお話して、お分かり頂けたと思います。
依存症からの回復とは、依存している物質や行動を断つことは、あくまでも始まりであって、回復の本質は、生き方、考え方を変えていくことです。

ありのままで良いと。
ダメな自分、たくさんの傷を抱えた自分のまま、そのままで、自己嫌悪自己憐憫に陥ることなく、ダメな自分も堂々と生きて良いんだと、過去の失敗の埋め合わせをしながら、泥臭く生きる決意をすることです。

稿本天理教教祖伝逸話篇一四七 本当のたすかりの中で教祖は、
「すっきり救けてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。人、皆、すっきり救かる事ばかり願うが、真実救かる理が大事やで。」
天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝逸話篇一四七 本当のたすかり https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/319521405.html
とお教え下さっています。

私は、にをいがけ・おたすけを通して、自分の前生は、曾祖父、当教会の初代会長の旦那さんにあたりますが、この曾祖父だったんだろうなと考えています。
曾祖父は、重度のアルコール依存症でした。
そう考えれば、ずいぶんと大人しい依存対象になったものです。
たすけて頂いているなぁと思います。
そして何より、神様から見れば、曾祖父も私も、にをいがけ・おたすけに使う「ようぼく」としての「いんねん」を第一義に自覚させて貰わないとなと思います。

おさしづに、
年限の経ったものでなけりゃよふぼくには使われようまい。年限の経たぬものはよふぼくにはならん。年限の経ったもの程強いものは無い。よふぼくと言えば普請何ぼどれだけ綺麗なと言うても、若いもの細いものでは持たぬ。年限経ったものなら何ぼう節が有っても歪んだものでもこたえる。重りがこたえやで、重りがこたえやで。そんなら細いものは間に合わぬという。年限経てば年限相応だけ間に立つ。年限の古いよふぼくでは揃わん。後々足らぬ処は年限待つより外はない。年限経ったならこそよふぼくという。よふぼくは何程焦らってもいかん。(おさしづ・明治二十八年十月七日)
天理教勉強blog: 明治二十八年のおさしづ(公刊おさしづ第三巻より)その3 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/425265994.html
とお教えくださいます。

私の紆余曲折は、神様から、より良いようぼくに育てるための節だと思います。
皆様も、つらい時こそ、より良いようぼくとして神様からお手入れ頂いているものと悟り、共々に、陽気ぐらし世界の用材として、自分らしくつとめさせて頂きましょう。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

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天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝逸話篇一四七 本当のたすかり https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/319521405.html
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2025年06月01日

立教188年・六月月次祭神殿講話

立教188年・六月月次祭神殿講話







ただいまは、当教会の六月の月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

ひとことお伝えさせて頂きます。
しばらくお付き合いください。

柏手

皆様は、日常生活の中で、「最悪や!」と思ってしまう場面はありますでしょうか?

私は、しょっちゅうあります。
何事も喜んで受け取ることが大事と教えて頂いていますが、なかなか難しいものです。

私はドジなので、頭をぶつけたり、足にモノを落としたりということが、まぁ、ほぼ毎日あります。
その度に、「けっこう源さん」と呼ばれた河原町大教会初代会長・深谷源次郎先生を思い出し、「痛いと感じられるのが結構でんねで」と口に出して言うようにしていますが、まぁ、口先だけですね。心はなかなか着いて来ません。

ちょうど一年前、修養科の教養掛をつとめさせて頂き、その最終に、河原町大教会にて大教会実修というものがありました。
その中に役員講話がありました。
御話を聞かせて下さった役員先生は、「何でも結構というのは難しい。だから私は『最悪じゃない、最悪じゃない』と自分に言い聞かせて、少しでも前向きに捉えられるように心掛けている」と教えて下さいました。

「最悪じゃない、最悪じゃない」

つい先日、このお言葉を思い出すことで、「最悪」どころか、これこそが御守護だったんだと思える、失敗がありました。

先月18日、上々級・能勢分教会の月次祭に向かう途中で、不注意から、車をパンクさせてしまいました。

「最悪」

という言葉が真っ先に思い浮かぶ出来事です。

と同時に、先ほど申し上げた、大教会役員先生の御話を思い出しました。
この先生も、山道でガソリンが無くなってしまった時、「最悪じゃない、最悪じゃない」と御自身に言い聞かせることで、喜べることがたくさん見付けられたと仰っていました。

私も早速、「最悪じゃない、最悪じゃない」と自分に言い聞かせました。

そうするとやはり不思議なことに、喜べるところが見つかります。

まず、完全にパンクした訳ではなく、「ピンチカット」と言って、タイヤ内のコードが切れてコブ状に膨らんだ状態でした。
もちろん、いつバーストしてもおかしく無い状態なので、危険であることに違いは無いのですが、まずそれに気付けたことに喜べました。
同じ状態になったら、決して真似しないで頂きたいのですが、少しは走れると判断し、近くのガソリンスタンドに行ってみました。
一か所目では対応して貰えず、二か所目を教えて頂きました。二か所目でも対応して貰えず、結局レッカー車を呼ぶことになったのですが、二か所とも優しく親切に接して下さり、特に二か所目のガソリンスタンドはは、レッカー車が到着するまで、快く駐車させて下さいました。
この間、バーストも事故もなく過ごせたことも、とてもとても有難いことでした。

レッカー車で整備工場まで運んで貰うのですが、実は前日の17日に、六月に車検を申し込んでいたところでした。しかも、タイヤ交換も車検時にお願いすることにしていました。
5月18日は日曜日。しかも午前八時半過ぎということもあり、近隣の自動車工場には全く連絡が付かなかったので、距離は遠くなりますが、車検を申し込んだ整備工場へ運んで貰いました。
道中で電話連絡が付き、営業開始直後に工場に到着して、すぐにタイヤ交換をして貰うことができました。
六月に車検をお願いしてるので、残りの三本は、その時に交換して貰いたいから、キープして置いてくださいと伝えると、「じゃあ、四本とも換えます。工賃も車検時の扱いにしておきます」と言って下さいました。
車のタイヤというのは、車検の時には必ず外して点検するので、車検時に交換すると、少し工賃が安くなるんです。
つまり、想定外の出来事でありながら、発生する料金などは、まったく、想定の範囲内で納まりました。

そんな訳で、午前中には全て完了しましたので、せっかくだから、子ども達も連れて、一家総出で能勢に参拝させて頂くことにしました。
日曜日とは言え、朝7時半に子どもを乗せて出発するのは、とてもとても難しいですが、こうした一連の出来事のお陰で、久方ぶりに子ども達を能勢に連れて行くことができました。
もちろん、月次祭のおつとめは終わってしまっていましたが、私たち家族にとっては、有難い時間でした。

またタイヤ交換の際、約100km走ったら、ビスの増し締めに来るようにと案内されていました。
能勢への往復が、ちょうど100km。帰りに整備工場に寄り、これも済ますことができました。

「最悪」と思ってしまう出来事の中に、数え切れない御守護を感じた一日でした。

そして御守護は翌日以降も続きます。
翌19日、いつも給油しているガソリンスタンドからLINE通知が来ました。
いつもの割引クーポンだろうと思って見てみると、

「緊急告知 各タイヤメーカーが6/1から値上げとなります。お早めのご購入をお勧め致します!!」

と書かれていました。

今回パンクせず、予定通り六月に車検を受け、車検時にタイヤ交換していたら、今回の「最悪」と思える出来事よりも、出費が1割ほど多かった計算になります。

御守護が凄過ぎて、ゾッとしました。

また、レッカー車の料金も保険適用され、保険会社からの通知書には、

「次年度の保険料に影響することはありませんので、ご安心ください。」

と記載されていました。

「大難を小難に、小難を無難に」

という言葉がありますが、大難がとてつもない御守護だったと痛感しました。

また何より、こうしたトラブルは初めてのことでしたので、こういう経験をできたことそのものが有難かったと思います。

おさしづに
日々の処、三十日と言えば、五十日向うの守護をして居る事を知らん。これ分からんような事ではどうもならん。(中略)ひながたの道より道が無いで。
(明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話)
とお教え下さいます。

つくづく、神様の御守護に、鈍感な日々を過ごしています。
「最悪」と思える出来事の中にこそ、御守護が溢れています。
それに気付く為には、「最悪じゃない、最悪じゃない」と、自分に言い聞かせることが第一歩かも知れません。
そんな日々を過ごせれば、遠からず、何事も喜んで受け取れる日が来ると、私は私に期待したいと思います。

「最悪じゃない、最悪じゃない」と自分に言い聞かせる日々の向こうに、何事も結構や有難いと思える日々があり、そしてその向こうに、諭達第四号に教祖は、

どのような困難な道中も、親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。
あるときは、「水を飲めば水の味がする」と、どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ、また、あるときは、「ふしから芽が出る」と成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると諭され、周囲の人々を励まされた。

とお示し下さるような、教祖のひながたがあります。

一直線に繋がる道を、まずは、「最悪じゃない、最悪じゃない」と自分に言い聞かせることを第一歩に、見付けられた喜びを、胸いっぱいに味わう日々を、共々に通らせて頂きましょう。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
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2025年05月01日

立教188年・五月月次祭神殿講話

立教188年・五月月次祭神殿講話







ただいまは、当教会の五月の月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

ひとことお伝えさせて頂きます。しばらくお付き合いください。

柏手

今日のこの講話は、ぜんぜん話が思いつきませんでした。
悶々としていても仕方が無いので、にをいがけに出掛けました。
我ながら、ちょっと頭がオカシイかも知れません。

毎日毎日、駅前で路傍講演をしておりますと、色んなことが起こります。
昨日も、布教の家の卒寮生が通っていた方が、「○○くんは元気ですか?」と話し掛けて下さいました。
割とよくあるシーンですが、振り返ってみると、他にも、本当に色んなことがありました。
転んだおばあさんにその場でおさづけを取り次ぎ、その後、お宅へ通わせて頂くようになったり、逆走している車を正規の方向に誘導したり、交通事故で首を痛めて車から降りて来られた方におさづけを取り次いだり、認知症で徘徊しているおばあさんと出会い、警察に連絡したり、また深い会話はしなくとも、駐輪場の係員さん達や、近くの障碍者就業作業所に通う方々は顔を覚えて下さり、路傍講演の時だけでなく、道ですれ違っても挨拶してくださいます。最近は、中学生くらいの男の子達と顔なじみになり、「頑張って下さい」と言って貰えたりもします。
あそこは日本でも有数のややこしい交差点ですから、三日に一回くらいは道を尋ねて下さったりもします。
もちろん教会に参拝して下さる方にもたくさん出会いました。今日ご参拝の中にも、そうして出会った方が居て下さいます。

にをいがけなんて、なんの意味があるのかと言われることもありますが、起きてきた出来事を振り返ってみると、ほんのちょっとだけでも街の役に立てているし、なにより、面白いなぁと感じます。

にをいがけは、布教、人と出会うことを目的とするだけでなく、人のたすかりを願って、理づくりとしてつとめることもあります。
十三年前、出会った当初から前立腺がんを患っておられたTさんは、毎月のように月次祭に参拝して下さっていましたが、転移はどんどん進み、脳腫瘍にまで進行していきました。
この方のたすかりを願って、何度もにをいがけをしました。
不思議なことに、脳腫瘍が消えるという御守護を頂かれました。
ですがやはり、ゆっくりゆっくりとガンは全身に転移をし続けていました。また経済的な事情も重なり、「もう御供えできないから」と教会から足が遠のかれてしまった時期もありました。
それでも、定期的に連絡を取る中で、また心を開いて下さるようになり、教会には来てもらえませんでしたが、ご自宅に通わせて頂き、「お金で御供えはできないけど、これなら」と言って、野菜やお米を託してくださいました。

そして、何度も同じことを仰いました。

元気になったら、止まっていた別席を運んで、おさづけを拝戴したら、会長と一緒に、半纏を着て、駅前で一緒にやりますから。

半纏というのは、法被のことです。
毎回、こう仰って下さっていました。

三年前の四月、ある信者さんの納骨で、娘さんを車にお乗せし、おぢばへ向かう道中で、Tさんからの電話を受けました。
ガンが肺に転移し、入院されていました。
息も絶え絶えに、「しんどい」と仰いました。
「今、ちょうどおぢばに向かっている所です。着いたら神様にお願いさせて頂きますから、大丈夫ですからね!」
と声を掛けました。
Tさんは「うん、うん」と返して下さいました。

これが、Tさんと交わした最後の会話になりました。

路傍講演をすると、よくTさんの言葉を思い出します。

元気になったら、止まっていた別席を運んで、おさづけを拝戴したら、会長と一緒に、半纏を着て、駅前で一緒にやりますから。

不思議な出会いと、不思議なたすかりと、人と人としての絆と、そして叶わなかった希望。
Tさんの言葉を思い出す度に、毎回、切ない気持ちになっていました。

しかし昨日は不思議と、いや、きっと一緒に居て下さると思えました。
そしてTさんが生まれ変わって来られる時には、もっと早く、この道に繋がって頂けるような環境に、少しでも近づいているように、にをいがけ・おたすけに励ませて貰いたいと思えました。

私は、中島みゆきさんの「誕生」という歌が大好きです。
この歌を知ったのは、ちょうど十年前の、立教178年1月26日。教祖130年祭のピッタリ一年前。おさづけを拝戴して下さった方がその帰り道で、別席のお話を聴くたびに、この歌を思い出したと教えて下さったのがきっかけです。

中島みゆきさんの「誕生」という歌。その歌詞の中に、

すがりたいだれかを失うたびに
だれかを守りたい私になるの

という一節があります。
十年前は、この一節だけがピンと来ませんでした。
しかし、たくさんの方々を見送る中で、あぁ、そういうことかと、心に納まってきました。

私たち人間は、身体は神様から貸し与えて頂き、陽気ぐらしをするために生かされています。
魂は生き通しで、今現在の私たち一人一人に辿り着くまで、繰り返し繰り返し生まれ変わりを重ねて来ました。
お世話になっているあの人は、前生でお世話した方。
お世話している人あの人は、前生でお世話になった方。
そんな繰り返しを、続けています。

とは言え、人間の寿命が延びる中で、例えば親子関係だった者同士が、親が子となり子が親となりといったように、前生も今生も来生もと、直接関わり合うことは、少なくなっているかも知れません。
だからこそ、お世話になった方への恩返しは、その方が生まれ変わって来た時に取っておくのではなく、生まれ変わって来られるまでに、少しでも陽気ぐらしの世界に、この世界を近づかせておくことです。
お世話になった方を思い浮かべながら、自分が肉眼では見ることが無いであろう、遠い未来の人たちが生きる世界が、陽気な世界になっているように、与えられてた日々を、毎日毎日、楽しんで生きることです。

おさしづに
陽気というは、皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。(明治三十年十二月十一日)
https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/427936900.html
とお教え下さいます。

自分に繋がって来た命、そして、誰かから繋いで貰ったこの教え。
その感謝と、繋いでいく決意。そしてその間を生きる私たちは、その両方を意識しつつ、与えられた毎日を喜び楽しむ。

そんな日々を、共々に通らせて頂きましょう。

今月25日は、斯道会別席団参が開催されます。
血縁に関わらず、受け取ったタスキを、次へ次へと繋がせて頂きたいと存じます。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 明治三十年のおさしづ(公刊おさしづ第四巻より)その3 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/427936900.html
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2025年04月01日

立教188年・四月月次祭神殿講話

立教188年・四月月次祭神殿講話






ただいまは、当教会の四月の月次祭、並びに春の霊祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

つい先日、父の命日がありましたし、今日は霊祭をつとめさせて頂きましたので、父の思い出でもお話しようかなと思います。

しばらくお付き合いください。

柏手

先月、春の学生おぢばがえりのひのきしんをつとめさせて頂きました。
ひのきしんをつとめると、やはり嬉しいことが起こります。とてもとても、嬉しいことがありました。

今回初めてお会いした、ある教会の奥様が、私の法被を見て、
「お父さんに、お世話になりました」と話しかけられました。
続いて、
「大きい方でしたが・・・」
と仰りながら私の身体を上から下まで眺めて、
「似ておられませんね」
と仰いました。

とてもとても、とてもとても、嬉しかったです。

私は子どもの頃から、
「お父さんにソックリやね。かわいそうに」
と言われてきました。
父をよくご存じの方から似ていないと言われたことが初めてで、めっちゃくちゃ嬉しかったんです。

一方で、父に似ていると言われることの、そもそも何がそんなに嫌だったのか?というのも、この出来事の直前に腑に落ちていました。

前日に、布教の家の卒寮の集いという行事がありました。
その席で、ある卒寮生の悩みが、私の無自覚の心の縺れをほどいてくれたんです。

彼いわく。
「僕、見た目が賢そうやから、賢い子って扱われがちなんですけど、ホンマはアホなんです」
と。

一見笑い話のような一言ですが、私は、自分も全く同じだと思いました。
そして何より、そのむき出しの正直さが、めちゃくちゃ羨ましく思いました。
自分もこうありたいと思いました。

私も同じく、賢そうに見られます。
父が賢かったから、余計にそう見られます。
私も彼のように、真っ正直に、見た目は賢そうに見えても、ホンマはアホなんですと言えば良いのですが、そう言えず、本当のアホな自分を隠さなければならないと、必死な想いを、知らず知らず抱えていました。
アホさに加えて、くだらないプライドが、私の心の邪魔をしていたのだ。だから、父に似ていると言われることが、嫌で嫌でしょうがなかったのだと、彼のたった一言で気づかされました。

顔は似ていても、私と父は、それぞれ違う人間です。
皆様の親子や兄弟姉妹も、みんな一人一人、似ていても違います。
違っていて良いし、似ていて良いんです。

違っているから、自分ができることを、自分らしくやれば良いんです。
個性にフタをする必要も、我慢する必要もありません。誰かの個性を否定する必要もありません。
それぞれの自分らしさを活かして生きれば、それで良いんです。

また、似ているからこそ、得することもたくさんあります。
私は、父と似ているから、色んな方から声をかけて貰えます。御用も与えて貰えます。そうして今回のように、自分の無自覚の心の縺れをほどいて貰える。救われるんです。
有難すぎることだなぁと思います。

教祖は、
『親にいんねんつけて、子の出て来るのを、神が待ち受けている。』
稿本天理教教祖伝逸話篇九〇 一代より二代
https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/247004998.html
とお教え下さいます。

私は、親と比べられるのが苦痛で、似ていると思いたくなかった。
けれども、神様の目から見れば、父の歩んだ道の後に、私が歩むことこそを、楽しみにして下さっている。
更に言えば、私の歩んだ後を、我が子達が歩む姿を、神様はより楽しみにして下さっている。
これは、血縁だけに限りません。
自分から後に繋がる人の歩みをこそ、神様は楽しみにされています。
だからこそ、親に、この教えを自分に伝えてくれた人に感謝し、自分の後に歩む人へバトンを渡すことを楽しみにし、今を楽しく、懸命に歩むことができるのだと思います。

最後に、私が私の誕生日の度に、晩年の父、また母へ伝えていたことをお話しいたします。

この素晴らしい世界に、私を生んで下さり、ありがとうございます。
そしてこの間違いのない教えを伝えて下さり、ありがとうございます。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝逸話篇九〇 一代より二代 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/247004998.html
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2025年03月01日

立教188年・三月月次祭神殿講話

立教188年・三月月次祭神殿講話


https://youtu.be/gPCyMNNFRa0




ただいまは、当教会の3月の月次祭を賑やかにつとめさせて頂き、誠にありがとうございます。

先月は、私の信仰の元一日を考える場面が多く有りましたので、それを台に、ひと言お伝えさせて頂きたいと存じます。
しばらくお付き合いください。

柏手

ギターを買いました。
娘からねだられてのことですが、自分の為だと頑張れないことも、子どもの為なら頑張れるものです。

高いモノは買えませんが、楽器はある程度、良いものを使った方が将来の耳や手の為にも良いと思っています。

早速、友人知人に使わなくなったギターが無いか声を掛けて回りましたが、見つかりません。

中古屋さんを回ってみても、やはりなかなか見つかりません。

大教会の当番からの帰り道、1号線沿いにあった、BOOK・OFFバザーに寄ってみました。

処分品のコーナーに、通電しない、つまり、音の鳴らないエレキギターと並んで、ピアノで有名なカワイ楽器のアコースティックギターがありました。
値段は五千円。普通なら10万円近くするハズです。
店員さんに、どこが悪いのか聞いたところ、ブリッジが剥がれていて、修理が必要だと仰いました。
迷いましたが、メーカーから考えて、破格の値段です。
貯まっていたポイントで、実質無料で購入し、修理しました。

素人が修理したので、不安もありましたが、チューニングして鳴らしたところ、とてもとても、とてもとても良い音で鳴ってくれました。

その瞬間、情景がフラッシュバックしました。

ご承知のように、私の信仰の元一日は、精神科の閉鎖病棟です。

閉鎖病棟は、強制的に退屈な時間を過ごさせる場所です。

楽しみと言えば、三度の食事と、テレビでの相撲観戦くらいのものでした。

そんな中に、誰も弾くことの無い、アコースティックギターがありました。

私も、全く弾けません。
当然、チューニングもできません。
チューナーも音叉もありません。
ギターの教本や譜面もありません。

ある時、何となく弾いてみたら、弦が切れました。

ギターを弾ける看護師さんが交換してくれて、チューニングも合わせてくれました。

と言って、弾いてくれる訳でも、教えてくれる訳でもありません。
ただ、元通りに置かれ、誰にも触れられずに佇んでいます。

もう一度、弾いてみました。
とてもとても、美しい音が鳴りました。
その音に、人が集まって来ました。
コードもリズムもメロディも何一つ合って居ないのに、楽しそうに歌い始める人もありました。

あまりの情報量の多さに、私は頭痛がし始め、しばらく寝込みました。

ギターは、それ以来、弾いていませんでした。
17年近く経って、その当時の情景も、感情も、全てが丸ごと、フラッシュバックして来ました。

集まって来たのは、患者仲間ではなく、妻と子ども達でしたが。

少し話は変わりますが、時を同じくして、ある、道の学生と語り合う機会がありました。
布教を志す子で、生まれ育った教会も、非常に布教熱心で有名な教会です。

ただ、彼の話を聞いていると、自分を上手く褒められない。人には尽くさなければならない。人の為に何かやっていないと、自分には価値が無いような気持ちになっている。そんな思考の癖が見えて来ました。

まさに、信仰の元一日の頃、私が無自覚に陥っていた思考の癖そのものでした。今もその癖が無くなった訳ではありませんが、だいぶと、自覚はできるようになって来たかと思います。

また、自殺未遂され倒れている方の救急搬送のおたすけも、仲間と共に、関わらせて頂きました。

信仰の元一日が大切だと、良く聞かされますが、私ももちろん、忘れている訳ではありません。

しかし、何故こんなにも立て続けに、信仰の元一日をアリアリと思い返さざるを得ないような場面が起きるのか、少し思案してみました。

私の信仰の元一日は、17年前の5月の末のことです。
年数も中途半端だし、日程もまだ少し先のことです。

ですが、17年。
別席は、満17歳の月から、運べます。
既に教会長として、十年つとめて居るけれども、信仰の元一日から数えれば、ようやく、別席を運び始められる年限しか経っていません。

それを、悟りの鈍い私の為に、3ヶ月早く教えて下さった。いや、むしろ、願書の準備や巡序運びを考えれば、丁度良いタイミングでお知らせ下されたのだと思います。

5月から運び始めれば、ちょうど、教祖140年祭のおつとめがつとめられる来年1月に、満席、ようぼくと成れる計算です。

私のおたすけ人としての歩みは、まだまだこれからです。

逸話編に、たすけて頂いたご恩返しについて、
「このような嬉しいことはございません。この御恩は、どうして返させて頂けましょうか。」
と、伺うと、教祖(おやさま)は、
「人を救けるのやで。」
と、仰せられた。それで、「どうしたら、人さんが救かりますか。」と、お尋ねすると、教祖は、
「あんたの救かったことを、人さんに真剣に話さして頂くのやで。」
と、仰せられ
(稿本天理教教祖伝逸話篇一〇〇 人を救けるのやで)
https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/252839007.html

たとお教え下さいます。
御参拝の皆様には、それぞれ、信仰の元一日、たすかりの元一日があります。
それをひと言で良いので、人に伝えて行って下さい。

ちなみに私は、布教を志す道の学生さん、自己肯定感が低く、自己犠牲の感情が強すぎる彼に、こう伝えました。

私は、あなたの、仲間です。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝逸話篇一〇〇 人を救けるのやで https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/252839007.html

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2025年01月04日

立教188年・春季大祭神殿講話。

春季大祭神殿講話。






ただいまは、当教会の春の大祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠に有難うございます。

まず、諭達第四号を拝読させて頂きます。

柏手
(諭達第四号拝読)
有難うございました。
柏手

引き続きまして、神殿講話をつとめさせて頂きます。
しばらくお付き合い下さい。

柏手

昨年末、ある信者さんが参拝に来られました。
全身が浮腫み、特に足は、破裂寸前の風船のようにパンパンに膨らんでいました。
しばらく前から体調が悪く、休んでいたけれども、全然よくならないので、参拝に来たとのことでした。
早速おさづけを取り次ぎ、車で病院まで送りました。

そのクリニックから、救急病院に搬送され、診断は、心不全。
冠動脈の一つが壊死していたとのことでした。

よく無事に教会まで来てくださったなぁと思いました。

この一件で、頭の中に浮かんでいた言葉があります。

十二月の布教の家大阪寮の寮祭で、副寮長先生がお話しくださっていたことです。
ある、レジェンド布教師の方で、その布教所にたすけを求めて来た方は、必ずたすかると信じ切って居られる。
なぜなら、そこに導かれて、来れたのだから、たすからないハズが無い。そしてそれが客観的にたすかっていない様に見えても、それが一番の御守護なのだと、信じ切って居られるというお話でした。

パンパンに浮腫んだ姿、椅子に座るのも、立つのも、一人ではできない程の状態で、バスに乗って教会まで来られた。その姿を見て、このお話を思い出し、あぁ、絶対間違いないなと思いました。

今もご入院中ですが、病状は回復して居られ、週明けにカテーテルの手術を済ませればスグに退院できるとのことで、

なかなか、信じ切るというのは難しいものですが、お話を伺ってから一ヶ月も経たずに、その証明を見せて頂けた。
疑う心の取り切れない私には、有難すぎるおたすけに携わらせて頂けています。

さて、あちらの壁に、今年の書初めを掲示しております。

「凭れる」

と書きました。
人間は、普段、それぞれの身体を、自分のモノと思って、それこそ、信じて疑わない日々を過ごしています。
しかし、ひとたび風邪を引けば、自分のモノであったハズの身体を思うようにできない。
また心ですらも、ほんの少しツラいことが起これば、ふさぎ込んだ気持ちになってしまう。
色んな体調、出来事によって、私たちは、翻弄されていると言えるかも知れません。

人間にできるのは、車のハンドルを切るように、自分の心の核の部分の方向を、ほんの少し変えることだけです。
出来事のすべてを、神様にお任せするように。神様の方へ、喜びの方向へ、心の向きを変えることだけです。

今年は、ハガキの値段が上がった為か、年賀ハガキではなく、LINEやメールで年賀メッセージを下さる方が増えました。
その中に、とても素敵な動画を下さった方がありました。

年の移り変わりを、列車に例えた動画でした。

まもなく、次の駅、2025年駅に到着いたします。
2024年号に御乗車の皆様、長らくのご利用、誠にありがとうございました。
なお、次の駅「2025年」行きの列車には、
悲しい思い出や嫌なことは、
お持ち込み禁止となっております。
どうぞそのまま、御忘れ物として、この駅に置いて行ってください。
次の駅に持って行く荷物は、
楽しかった思い出や、心温まる出来事だけで大丈夫です。
新しい年には、また新しい出会いや幸せが待っています。
2025年への準備は整いましたか?
この後、まもなく発車いたします。
それでは、素敵な新年への旅をお楽しみください。

という内容でした。

今年一年、自分が身体を動かしているのではない、神様が動かして下さっているのだと信じ、すべてお任せする心、陽気づくめの心向きで、通らせて頂きましょう。

ふじゆなきよにしてやらう かみのこゝろにもたれつけ(九下り目)
天理教勉強blog: みかぐらうた解釈13 九下り目。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/126589440.html

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: みかぐらうた解釈13 九下り目。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/126589440.html
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posted by 朱夏 at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとことのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月01日

立教187年・十二月月次祭神殿講話

立教187年・十二月月次祭神殿講話







ただいまは、当教会の本年納めの月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

年末です。
年末といえば、大掃除。
というわけで、心の掃除についてお話させて頂きたいと存じます。しばらくお付き合い下さい。

柏手

皆様は毎日、特に寝る前に、歯磨きをされていると思います。
歯磨きを忘れて寝るのが気持ち悪く思う人も多いのではないでしょうか。

私は、信仰の元一日の身上を頂いた後、歯の食いしばりがひどく、当時、大変歯を悪くしましたので、歯磨きにはかなり気を使っています。

歯ブラシで十分くらい磨いた後、奥歯の隙間をフロスで掃除し、手前の歯の隙間は、歯間ブラシで掃除します。

毎日です。
しかし、それだけ磨いていても、歯科検診に行けば、磨き残しを指摘されます。
同じような経験をされたことのある方は、多いのではないでしょうか。

また、歯磨きの仕方と言えば、歯ブラシはできるだけ弱い力で磨く方が良いと、歯科医院で教えられたという方も多いと思います。

私もできるだけ力を入れないように気を付けていますが、力を抜けば抜いたで、ブラシの焦点が定まりにくくもなります。
歯磨きひとつ取っても、汚れを掃除するというのは、なかなか奥が深いものです。

歯磨きから悟り取れることは、実は、掃除ばかりでなく、音楽でも、スポーツでも、書道でも、大工仕事でも、料理でも、人生のあらゆることに共通します。

歯ブラシにはできるだけ力を入れず、ブラシのコシを活かして、かつ焦点を定めて磨く方が、力を込めて磨くよりも、遥かにキレイになります。
掃除で使う、束子でも箒でも同じです。

大工仕事でも、熟練の大工さんは、金槌で釘を打つ際、そんなに強い力は込めません。金槌そのものの重さと、釘への焦点をしっかり定めていれば、あっという間に打ち込まれて行きます。鉋掛けや鋸も、手作業ばかりでなく、電動のものを使う場合でも、同じことが言えます。

道具を使う作業では、その道具がしっかり手入れされているものであれば、力を入れ過ぎず、その道具が持つ作用を邪魔せず、しっかり焦点を定めることが何より大切です。

しっかり研がれた包丁を、鯛の前歯の真ん中に押し当てれば、それほど力を込めずとも、鯛の頭を二つに割ることができます。

今年のNHKの大河ドラマでは、役者さん自身がその筆を実際に書いておられました。
主人公・紫式部を演じる吉高由里子(よしたか ゆりこ)さんは、実際は左利きだそうですが、演技の為に、右で書かなければならなかったそうです。
相当、役者泣かせの演出ですが、字は体を表すという言葉通り、文字と、それぞれのキャラクターの人間性がリンクする配慮とも言えるでしょう。

その中で、藤原道長は、史実としても、筆があまり上手ではなかったと言われています。
実際ドラマの中でも、若い頃はお世辞にも上手いと言えない筆遣いの文字が映され、歳を重ね、出世するごとに書かなければならない頻度も増えて、筆遣いも上達していく様が映し出されていました。

ここでもやはり、上手くない筆遣いは、筆のコシを潰すようにベットリとした運びで、上達すると、筆のコシを活かした運びになっていました。

道具を使う動作ばかりではありません。
大谷翔平さんの動きを見れば、力任せではなく、そのしなやかさを活かした動きで、ホームランも盗塁も量産されていました。
もちろん、基礎練習が不要な訳ではありません。しかしその基礎練習も、しなやかな動きを邪魔するような大きな筋肉を付けるのではなく、身体の動きを支え、インパクトを込める焦点を外さない為のトレーニングをされています。

今年、修養科教養掛をつとめさせて頂いた際、毎日毎日、修練でみかぐらうたを歌いながら、もっともっと、理想的な歌い方をしたいと思うようになりました。
教養掛を終えて、Youtubeでボイストレーニングの動画を見漁りました。
その中で、Mrs. GREEN APPLEのボーカル・大森元貴さんの言葉が印象に残りました。
強い裏声が印象的なシンガーですが、その感覚は、針に糸を通すようなイメージと仰っていました。

ある程度のトレーニングをすれば、身体が鳴ってくれるようになる。しかし、その焦点を定めて表現することは、力強さよりも、かなり繊細なものなのだと伝えたかったのかと思います。

掃除の話題から、歯磨き、そしてそこで意識すべきことは、どんな作業、動作にでも、すべて共通することなのだと見てきました。

私たち一人一人に貸し与えられている、生身の体も含め、すべての道具を丁寧に手入れし、その道具の性質を存分に活かして、かつ、しっかりと焦点を定める。
私たち一人一人は、おたすけ人として、それができているでしょうか?

私は正直言って、できていません。

今年は、私なりに精一杯、心を掛けて接した方々が、数多く出直されました。

寂しい想いで、心に穴が開きまくりです。

ですが、それだけ寂しく思えるというのも、あまりにも贅沢で、有難すぎることなのだと思います。
にをいがけ・おたすけで接する人の大多数が、そこまで心を通い合わせて過ごせない方ばかりですから。

だから。
まだまだこれからです。

おさしづに
今年で行かんというは、来年という。三年経てば、又分かる。どうなろうか知らん、こうなろうか知らん、思い掛けたら、闇の晩に歩くも同じ理。うっとしいてならん。成るも理、成らんも理、天然の理から心悠うくり持って
(明治三十四年二月二十八日 土佐卯之助四十七才身上願)
https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/431082636.html

とお教え下さいます。

来年は教祖140年祭活動の三年目です。
教祖140年祭のその日まで、残すところ一年と一か月。
お借りしている身体を、ただただ活かし、その焦点を外さぬよう、繊細さも併せ持って、つとめ切らせて頂きましょう。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 明治三十四年のおさしづ(公刊おさしづ第五巻より)その1 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/431082636.html
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2024年11月03日

立教187年・秋季大祭神殿講話

立教187年・秋季大祭神殿講話






ただいまは、当教会の秋の大祭を賑やかにつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

まずはじめに、諭達第四号を拝読させて頂きます。

柏手

諭達第四号拝読

柏手

引き続きまして、ひと言お伝えさせて頂きます。
しばらくお付き合い下さい。

柏手

先日、災害救援ひのきしん隊の一員として、能登の被災地へ行かせて頂きました。

ご承知の通り、元日の地震と九月の水害で、大変な被害を被っておられます。
実際、現地に行ってみると、想像を超えていました。
地震の爪痕もまだまだ残る中、お宅によっては、180センチの床上浸水。すぐ横の空き地には、流されて内部がすべて泥だらけになった車が、ほぼそのまま放置されていました。

最後に作業に入らせて頂いたお宅で、作業を終えた時のことです。

「これでまた、頑張れる」

と、涙を浮かべながら仰られました。

今まで、熊本や北摂、福知山など、地震や水害の被災地でも活動させて頂きましたが、こんなにも重さを感じた言葉を頂いた現場は初めてでした。

「ありがとう」
「たすかった」

という言葉よりも、「また頑張れる」という言葉は、とてもとても重く感じました。

結隊式の際に、石川教区隊の隊長さんが、「能登の皆さんは、心が折れてしまっています」と仰っていた意味を、「また頑張れる」という一言で痛感しました。

ちょうど、私たちが、天理教災害救援ひのきしん隊として能登半島豪雨災害支援に入らせて貰う最後の隊でしたので、解隊式の際には、現地の社会福祉協議会の次長さんも来てくださっていました。
「ひのきしん」という言葉に馴染みのない口調で、目を潤ませながら御礼を言って下さる姿を見て、初対面ながら、私も胸がいっぱいになりました。

先ほど拝読した諭達第四号の中で、

「頻繁する自然災害や疫病の世界的流行も、すべては私たちに心の入れ替えを促される子供可愛い親心の現れであり、てびきである。
一れつ兄弟姉妹の自覚に基づき、人々が互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしの生き方が今こそ求められている。」

と示して下さっています。

自然災害に限らず、私たちに起こる、すべての「困った」「苦しい」と感じてしまう出来事はすべて、罰ではなく、互いにたすけ合うチャンスをお与え頂いているのだと思います。

私自身、何ができるという訳ではありません。
同世代の人と比べて、ほんの少し健康で元気だというだけです。
元気ですが、水害の現場では、水を吸った畳一枚、一人で運こぶことはできません。他の仲間と一緒になってようやく、被災現場が片付いていきます。
しかも、その一つ一つ、瓦礫と呼ばれてしまうその一つ一つは、災害が起こる前日まで、そこで住まう方の生活を支える家財道具であった物です。
それがどれほどツラく悲しいことなのか、想像もできませんが、それでも、それらが片付き、お孫さん達の写真が出てくることによって、折れていた心が、「また頑張れる」という心に切り替わっていきます。
これは、災害に限らず、すべてのおたすけが、同じだと思います。

ツラく苦しい中を、ほんの少しでも、その心が軽くなるように接する。
それによって、自分自身が何も知らなかったんだということを、教えて頂き、また新たな一歩を踏み出す力になっていきます。

どこまでも、子供可愛い親心の中で、育まれているのが、私達人間です。
だからこそ、その心を一つに結んで、互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしの生き方を一歩一歩積み重ねて行くことが、人間の生きる道だと思います。

最後に、災害に関するおさしづを引用して終わらせて頂きます。

同じ一腹一種、我が身になるあたゑ、兄弟という親族という、皆結んでくれ/\。雨風や/\。あちらこちら津波や、地震やと言うても、遠い所は怖わいようで、聞いて真の心に無くばつい/\忘れて了う。よう聞き分ける者だけ聞き分けてくれ。聞き分け出けん者はどうもならん。(明治二十九年十月十日 夜十二時三十分)

これからも、おたすけの輪を拡げて行きましょう。

ご清聴ありがとうございました。
柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 明治二十九年のおさしづ(公刊おさしづ第四巻より)その3 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/425711333.html

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2024年10月01日

立教187年10月月次祭、並びに秋季霊祭神殿講話

立教187年10月月次祭、並びに秋季霊祭神殿講話





ただいまは、当教会の十月の月次祭、並びに、秋の霊祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

ひと言お伝えさせていただきます。
しばらくお付き合い下さい。

柏手

霊祭の祭文で奏上致しました通り、今回は、たくさんの方々を合祀させていただきました。
つまり、出直された方が、とても多い半年でございました。

特に、四月九日、十日には、二日連続でのお出直しがあり、私自身、教養掛としておぢばでつとめておりましたので、なかなか大変な日々でした。
御葬儀の形も、大学病院への検体を希望されての病院霊安室でのお見送り、直葬前のわずかな時間での一日葬というよりは一時間葬、また、昔ながらの二日間に亘る御葬儀をさせて頂いた方もありました。

それぞれに、御出直しされるまでの関わりでは、病院にオムツを届けたり、入院転院の手続きをお手伝いしたり、手術に付き添ったり、車いすでおぢばがえりして頂いたりと、私なりに深くおたすけさせて頂いた方ばかりですので、私の心は、寂しい気持ちでいっぱいになっています。

そんな中、実は、今回あえて合祀させて頂かなかった方のお出直しもあります。
私はこれまで、おたすけで少しでも関わらせて頂いた方には、御葬儀はできなくても、可能な限り合祀し、朝に夕に御挨拶させて頂きたいと思っているのですが、ある一定の基準を考えています。
まず、ようぼくになって下さっているか、別席運び中であること。ご家族御親族の了解を得られるか、あるいは実質的に天涯孤独であること。です。
今回あえて合祀させて頂かなかった方は、教会の朝夕のおつとめに何度も参拝してくださっていましたし、月次祭にも何度かご参拝くださいましたが、別席は運ばずじまいでした。また、直接お会いしたことのないお兄様がおられ、了解を取ることができませんでしたので、合祀を見送らせて頂きました。

この方は、元統一教会の信者さんで、統合失調症を患っておられ、この教会から徒歩十分ほどのところで一人暮らしをされていました。
ここ数年、しんどくなったら朝夕のおつとめに参拝に来られ、おさづけを取り次ぐ。また時々、天理教の教えと統一教会の神様の解釈の違いを電話で質問してこられる、しばらく連絡が途切れた時には、お宅におさづけに伺うという関係でした。
昨年末に末期癌が発覚し、入退院を繰り返しておられました。

修養科の教養掛をつとめさせて頂く上から、お宅にもお邪魔できなくなるので、3月後半、他の通い先も含めて、挨拶周りをし、この方のお宅にもお邪魔しました。

痛い痛いと悶えておられ、痛み止めの座薬を入れさせて頂き、おさづけを取り次ぎました。
痛みが治まらないので、ご本人が掛かりつけの病院にお電話され、その日の午後から入院されることになりました。
その後も、何度か電話での連絡は取っていたのですが、四月の後半からは連絡が取れなくなりました。
五月一日の月次祭で大阪に戻らせて頂いたのを機会に、五月二日、入院されていた病院に直接行ってみました。
御出直しされたことは教えて貰えましたが、親族関係ではないことから、いつどの様にして出直されて行ったのか、それ以上のことは教えて頂けませんでした。

余談になりますが、この方から言われた最後の言葉は、私のことを「先生」と呼んで下さっていたんですが、「先生恨んで死んでやる」という言葉でした。
自分のツラさをなかなか人に言えない人が、それだけ、私に心を開いてくださっている。強い表現の言葉ではありますが、その内にある、私を思いきり頼って下さる心を受け取らせて頂いた日々でした。

私はこれまでにも、おたすけで関わらせて頂いた方のほとんどが、出直されて行っています。
その御一人お一人に、今度生まれ変わって来られるまでに、少しでもこの世界を陽気ぐらしの世界に変えておいて、喜んで生まれ、生きて行って貰いたいと願っています。
御出直しが増える度に、その想いは強くなっています。
御一人お一人の来世までの時間を、この背中に背負っているような気持ちです。

ですが一方で、これは自分一人でできることではないなぁと、最近つくづく感じます。
私に残された時間と、私の体力や能力と、私の陽気ぐらしを希求する気持ちと、その道のりとが、あまりにも遠い。
けれども同時に、一人では無理でも、同じ気持ち、同じ願いで通って下さる方が増えれば、たとえ一秒でも、その時間は短くなるかもしれない、いや、間違いなく短くなると思います。

私の私利私欲の願いです。
御出直しされて行った方々が、今度生まれ変わって来られるまでに、少しでもこの世界を陽気ぐらしの世界に変えておいて、喜んで生まれ、生きて行って貰いたい。
気持ちだけで結構ですので、同じ気持ちで通って下さる方に増えて行って貰えたらと願っています。

具体的には、おさづけを拝戴されて居ない方は、まず別席を運び、おさづけを拝戴する。おさづけを拝戴されている方は、御家族など身近な人からで構いませんから、おさづけを取り次ぐ。それができているという方は、勇気を以てその輪を拡げていく。その勇気を養う為に、修養科や講習を受講する。そして何より、そのおたすけが少しでもうまく運ぶよう、また直接のおたすけ相手が居なくても、世界のたすかりを願っておつとめをつとめる。その為にも、別席を運び、修養科や講習を受講する。そんな積み重ね、繰り返しが必要かと思います。

おさしづに
難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。皆一つ/\のひながたの道がある。ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。あちらへ廻り、日々の処、三十日と言えば、五十日向うの守護をして居る事を知らん。これ分からんような事ではどうもならん。(中略)ひながたの道より道が無いで。
とお教え下さいます。
(明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話)
https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/417874635.html

ちょうど、教祖140年祭活動の真ん中です。
改めて、教祖ひながたの道を学び直し、軌道修正しながら、引き続き歩ませて頂きましょう。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 明治二十二年のおさしづ。(公刊おさしづ第一巻より)その2 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/417874635.html

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posted by 朱夏 at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとことのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月01日

立教187年・九月月次祭神殿講話

立教187年・九月月次祭神殿講話








ただいまは、当教会の九月の月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

夏休み明けの日曜日でございますので、お子様のお好きな、アニメを台に御話させて頂きます。
しばらくお付き合い下さい。

柏手

この夏休み中に、次女が、「ノラガミ」というアニメに夢中になっていました。

天理教の神様とは違いますが、日本文化の、八百万の神様をモチーフに、社のない、つまり、神様にとっての家の無い、野良の神様、夜トという、おそらく荒神、祟り神である、「やとのかみ」をモチーフに作られた神様が、妖退治をすることで、社を建てられるように妖退治、人だすけをしていく、というバトル漫画です。
菅原道真や毘沙門天などの名前のキャラクターも登場しますが、あくまでモチーフで、これを見たからと言って、さして日本文化のお勉強にはなりません。
むしろ、主人公の夜トも、黒いジャージを着た、今もその辺を歩いていそうな若者の姿をして、過去の過ちを嘆いたり、人から忘れられてしまうと神としての存在が消えてしまうという設定に悩んだり、さらには、美味しいものに目がないという、非常に人間臭い、神様というよりは、現代っ子を表現したキャラクターです。

さて、そんなアニメなんですが、夜トは、人だすけにお金を取ります。
金額は、5円。お賽銭といえば、5円という発想からです。

アニメの設定としては、面白いですよね。

娘も面白がって、5円が欲しい5円ちょうだいと言ってきます。

アニメの設定としては面白いのですが、私は子ども達に、伝えておきたいことがあります。

御供え、お賽銭というのは、ご利益や願いを叶えてもらうためにするものではなく、「次の人」の為にするものなんだと。

願って、ご利益が頂ける、たすけて貰える、あるいはどうなろうとも、祈れる場所がある、癒される場所がある。その感謝・喜びがあるならば、次に参拝する人、次に願い出てくる人、次に手を合わせに来る人の為に、その神様の存在、神様が奉られている社の維持・発展の為に、お金を納めることが、御供え、お賽銭の意味なのだと。

もちろん、人それぞれに、経済状況は違います。
しかし金額の問題では無いんです。
次の人の為にと思って御供えしているのか、それとも我が願いのためだけなのか。さらに、金銭的に難しいなら、その社周辺を掃除したり、またその利益を人に伝えて、その神様の存在が忘れられ、消えてしまうことが無いようにするのも、お賽銭と同様に意義があります。さらに言えば、人に伝えることを主としてつとめる人の支えになろうとすることも、同様の意義があります。

次の人。

自分より後に、参拝する人。

こう言うと、自分の子孫をイメージされる方もあるかも知れません。

最近知った、日本語の誤用、間違った言葉づかいで、ちょっとショックを受けた表現があります。

「末代男子」「末代女子」という表現です。
私の世代は、異性からモテない人のことを「非モテ」と言いました。
「末代男子・女子」も発想はモテないというところにあるんですが、遺伝子的な意味で、子孫を残せない、自分が最後の代だ。という発想でこの言葉が使われています。
ここ1年ほどで、急速に広まっています。

元来の「末代」という言葉は、辞書的には、「死んでから後の世。後世」という意味ですから、遺伝子や「家」としての繋がりは関係ありません。
ですが私は、それが日本語として間違った表現だと単純に切り捨てる気にはなれません。「末代男子・女子」という表現には、単純にモテるモテないという次元とは比較にならないほどの切実さを感じてしまいます。
それこそ、ノラガミの中で夜トが人間に忘れられたら、その存在が消えてしまう、その苦しみとリンクするような切実さを思ってしまいます。

天理教のこの道は、「末代の道」「末代の理」とお教え下さいますが、その中にあってさえ、自分には子が無いから、子孫がいないから、などという人もあります。もっと言えば、自分を末代にすれば、因縁は無くなると、非常に間違ったお考えの方すらあります。
遺伝子的、「家」という意味での子孫ではなくとも、後に繋がる人をつくり、後に繋がる人の為に尽くすことが大切です。

世間ではよく、人が死んでも教えは残ると言いますが、それは間違いです。
花の種を胸に秘めていては、花が咲かないように、教えの理も、種を蒔き、水や肥料を与えて初めて、後々に残って行くんです。

それは単純に、会ったことのない、この目で見ることのない、自分とは何の関係もない後々の世の人の為になるばかりはでありません。
自分がお世話になった方が生まれ変わって来たとき、迷うことなく、この道に繋がり、前生から更なる成人の歩みを進めて貰うことにもなります。さらには、自分自身がこの世に帰って来た時も、同様です。
人のためであり、先に出直していった方々への孝行であり、そして、自分自身のためになるんです。

祭文でも奏上しましたが、今月は全教会布教推進月間です。
布教実働の中に、次の人の為、という意識を以て、共々につとめさせて頂きたいと存じます。

最後に、おさしづを引用させて頂きます。
心を尽した理は末代とも言う。この一つの理急ぐで。早く楽しましてくれ。この道、この道あればこそ/\。尽した運んだ理は、皆受け取ってあるという事楽しましてくれ。早く急いでくれ/\。(明治三十四年四月二十八日)
(おさしづ補遺(明治三十四年)(公刊おさしづ第七巻より) https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/432182359.html


ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: おさしづ補遺(明治三十四年)(公刊おさしづ第七巻より) https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/432182359.html

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2024年08月02日

立教187年・八月月次祭神殿講話

立教187年・八月月次祭神殿講話







ただいまは、当教会の八月の月次祭を、酷暑の中、勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

本日は、「八つのほこり」について、お伝えさせて頂きます。
しばらくお付き合い下さい。よろしくお願い致します

柏手

まず、お配りしておりますリーフレット、すでにお持ちの方もいらっしゃると思いますが、本日は、このままお持ち帰り頂いて構いません。
ただ、お配りしたものは簡易版でして、もう少しサイズの大きい、B4サイズのリーフレットには、八つのほこりの説き分けの前に、解説文が入っています。まず、その解説文をご紹介します。

人間の身体は、親神様からのかりもので、心だけが自分のものであります。身体をはじめ、身の周りの一切は銘々の心通りに御守護下さいます。 親神様の思召に沿わない、自分中心の心遣いを「ほこり」と仰せられます。ささいな「ほこり」の心遣いも積もり重なると、ついには十分な御守護を頂けなくなります。そこで親神様の教えをほうきとして、たえず胸の掃除に努めるとともに、人には「ほこり」を積まさぬよう心を配らねばなりません。 ほこりの心遣いを掃除する手掛かりとして、「おしい・ほしい・にくい・かわい・うらみ・はらだち・よく・こうまん」という「八つのほこり」をお教え頂いています。

身の回り一切は、心通りの世界という訳です。
なかなか厳しいお言葉ですが、何より大切なのは、この矢印を人には向けないということです。
どこまでも、自分自身にだけ向ける。
人を責め立てる道具には、決してしないようにご注意下さい。

みかぐらうたに
なんぎするのもこゝろから わがみうらみであるほどに(十下り目-7)
とありますように、自分の心を省みることが、すべての立脚点です。

先日、布教の家の寮生さん達と、八つのほこりについて練り合いをしました。
その中で、「うらみ」という埃は、二通りあると教えてくれた方がありました。
一つは、人を恨む文字通りの埃、もう一つは、自分自身を必要以上に責める、行き過ぎた我が身恨みの埃だと仰っていました。

そこで私は彼に、もう一段踏み込んで、
「なんぎするのもこゝろから わがみうらみであるほどに」という「みかぐらうた」の言葉は、同じ恨みという言葉でも、「反省」の意味だと思う。では、その「反省」と、行き過ぎた我が身恨みとの境目は、どこだろうか?
と訊ねてみました。
すると彼は、
反省は、本来、前向きになれるハズだ。
でも、行き過ぎた我が身恨みは、自分を責めることが目的のようになってしまっている。
と答えてくれました。

私の中で、かなり衝撃的なやり取りでした。
というのも、私自身、自分を責めるのが、まぁ言ってしまえば、大好きな人間なんです。
常に自分を責めてしまう。
しかも、そこには何の生産性もなく、ただただ落ち込んでいくばかりの心遣い。

なるほど、「わがみうらみであるほどに」という表面的な教えは理解していても、それが故に、陽気ぐらしの心遣いとは真逆に、自分を責めることに溺れている自分に、気づいてはいましたが、それが埃の心遣いで、しかも、正しい反省は、前向きになれるものだと教えて貰い、ものすごく腑に落ちました。

私よりも15歳も年下の方ですが、共に育つ想いで接していると、本当に、こちらが育てて頂いているんだなぁと思います。

またもう一つ、教養掛中に教えて頂いたことです。
一期下の教養掛のM先生は、天理教校第二専修科という学校のご出身でした。第二専修科の布教合宿の際に、三代真柱様がお話をしに来てくださったそうです。その中で、
若いうちは特に、欲がある。色んな欲がある。それはなかなか無くせない。
けれども、その欲というものを、今はとりあえず、横に置いておけ。
と御仕込み下さったとのことでした。
M先生はその時、2つの意味で、楽になったそうです。
欲の心は、三代真柱様ですら、なかなか無くせるものではないということ、そして、それを無くそうと苦しむのではなく、とりあえず、横に置いておけば良いんだということ、とても安心したとのことでした。

本日は、八つのほこりの一つ一つを事細かに解説することはしませんでしたが、何より大切なのは、最初に申しましたように、どこまでも、自分自身にだけ向ける。人を責め立てる道具には、決してしないということです。
そして、説き分けそのものは、大変厳しく、自分を振り返れば、反省するところしか無いような内容になっていますが、それでも、やはり前向きに明るい気持ちになるためのよすがであるということです。

教典に、
人の幸福は、その境遇に在るのではなく、人生の苦楽は、外見によつて定るのではない。すべては、銘々の心の持ち方によつて決まる。心の持ち方を正して、日々喜び勇んで生活すのが、信心の道である。
とお教え下さいます。

人も自分も責めず、ただただ毎日毎日、身体が勝手に、新陳代謝、飲み食い出入りで不必要なものを排泄して、体内をキレイに守ろうとしてくれているように、自分の心も、反省することで前向きに過ごせることが、この道を歩む者の歩み方なのだと、悟らせて頂きます。

親神様はどこまでも、私達に、陽気ぐらしをさせてやりたいと思召されていて、決して苦しめようとはされていませんからね。

月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから(おふでさき第十四号-25)

ご清聴ありがとうございました。

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 天理教教典・第七章 かしもの・かりもの https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/450836691.html
天理教勉強blog: 天理教教典・第八章 道すがら https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/450856894.html
天理教勉強blog: みかぐらうた解釈14 十下り目。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/127581585.html
天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝「第五章 たすけづとめ」 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/401835339.html
天理教勉強blog: おふでさき第十四号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/395907927.html

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2024年07月01日

立教187年・七月月次祭神殿講話

立教187年・七月月次祭神殿講話






ただいまは、当教会の七月の月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。
三か月間の修養科教養掛をつとめ終えさせて頂きました。
これを台に、ひと言お伝えさせて頂きます。
しばらくお付き合い下さい。

柏手

三月二十六日に、初めて担当の修養科生さんと出会った時、これからの生活が不安でポロポロ泣く姿に思わず、「私は、あなたの親代わりです」と伝えました。思わず口から出たその考え方が正しかったのかどうか、自分自身、自信がありませんでしたが、後日、詰所の主任先生から「教養掛は、三ヵ月限定の理の親や」という御言葉を聴き、自分の考え方は間違っていなかったと思えました。
しかし、三ヵ月を振り返ると、私が親代わりとしてできたことはほとんどなく、できたことというのは、たった二つしか思い当たりません。

送迎で毎日、苦手な運転をしたこと。もう一つは、毎朝、修養科生さんを起したこと。
この二つだけです。

それ以外は、どうして良いか解らずにオロオロしていたり、また、教会の信者さんが相次いで出直され、気持ちの整理がつかないまま教養掛の生活を過ごして、ツラい気持ちになってしまったり、という日々でした。
他の教養掛の先生方、詰所の先生方、また、修養科生さんのたすけを借りて、ようやく通れた三ヵ月でした。

そうした中で、私の心を救ってくれたのは、二つのことです。

一つは、私自身が修養科生さんに掛け続けた、「居るだけで良いよ。修養科に行って、授業の内容が何にも解らなくても良い。ただ教室に座ってる。それだけで良いよ」という言葉です。ツラい時、自分のこの言葉が、自分に返って来ました。何もできなくても、ただ、この場に居続けよう、そう思えました。

もう一つは、河原町大教会初代会長・深谷源次郎先生の教えです。
人を育てるのは、親が子どもの草履をそろえてやるようなものや、という趣旨の御話です。
現代風に置き換えれば、草履を揃えるというのは、送迎の運転をしたり、朝、起したりするようなことなのかなと思えました。

そういう意味では、形としては一応、親代わりをつとめさせて頂けているのかなと思えました。
しかしその心の中は、親の立場として、時に優しく、時に厳しく、けれども、その大半は、どうして良いか解らずに、オロオロオロオロしながら接している。
そんな毎日しか通れないし、そんな毎日の中で、いつの間にか、接する修養科生の心は成人している。だから、そんな毎日、そんな親で良いんだと思えました。

自分自身の子育てを考えてみても、まったく同じです。

草履を揃えてあげるような、小さなことを繰り返しながら、時に優しく、時に厳しく、そしてその心の大半は、どうして良いか解らずに、オロオロしている。
そういう中で、私がいつの間にか成長し、その分以上に、子ども達が成長している。

子育てをはじめ、教えを伝えるというのは、そういうものなんだと学ばせて頂きました。

貴重な貴重な三ヵ月を過ごさせて頂くことができました。

おさしづに
育て合い/\、一つの理育てば皆育つ。(中略)こちら遅れば手伝う、あちら遅れば手伝う、これ誠の理なら受け取る。(中略)順を定め。あちら遅れたら手伝う、こちら遅れたら手伝う。これ先々諭してくれにゃならんで。互い/\という理こゝにあるのやで。
(明治二十四年九月十六日 高知分教会設置の願)
天理教勉強blog: 明治二十四年のおさしづ。(公刊おさしづ第二巻より)その3 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/420303133.html

とお教え下さいます。
教祖140年祭活動も後半となった折、自分自身を育て、人を育てる毎日を、小さなことから、コツコツコツコツを積み重ねさせて頂きましょう。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 明治二十四年のおさしづ。(公刊おさしづ第二巻より)その3 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/420303133.html
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2024年02月01日

立教187年・二月月次祭神殿講話

立教187年・二月月次祭神殿講話








ただいまは、当教会の二月の月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

私事ですが、先月、一月十九日に、伯母が出直しました。
これを台に、ひと言お伝えさせて頂きたいと思います。
しばらくお付き合い下さい。

柏手

伯母は、私の父のお姉さんに当たりますが、長らく認知症を患っておられまして、また、ここからは遠方にお住まいでしたので、最晩年は、ほとんどお会いできていません。
そうは言っても、やはりお世話にもなりましたので、このお出直しから、色々と取り留めも無く、思案して居りました。

で、ふと思い出したのが、「魂は生き通り」ということについて、教祖伝にも逸話篇にも載っていない、教祖のお言葉です。
少し余談になりますが、教祖伝や逸話篇というのは、かなり厳しくその出典の根拠を精査されています。
100%間違いなく、教祖が仰ったこと、史実だけが収録されています。
99%の信憑性のものは載っていません。
これからご紹介するお話は、99%の信頼性のものです。
桝井孝四郎という、おさしづの編纂に携われた先生が、自分のお兄さん、村田慶蔵先生の出生について語られたものです。
このエピソードを根拠に、慶蔵先生は桝井家から村田家に移って居られますし、桝井家も村田家も、立教後、かなり初期から信仰されていたご家庭で、その御子孫は今も御本部でつとめられています。ですので、どう読み解いても、教祖のお言葉として信憑性はかなり高いのですが、恐らく、一言一句を文字化して書き残されていなかったからでしょう、教祖伝にも逸話篇にも収録されなかったお話です。
この点を先にお伝えしておいて、具体的な内容をご紹介したいと思います。

「おさしづ語り草」(桝井 孝四郎 (著))
https://amzn.to/3u9AOz9

村田幸右衛門という、文久、元治のころから信仰されている先生があった。
自ら掃き掃除をしたり、風呂の焚き番をしたり、下々の事ばかりなさっている。また、大変声のいい方で、皆から「理のある先生」だと、尊敬されている方が居ました。
ところが幸右衛門先生が晩年になって、三才の子どもでもしないというような仕草をされる。まるで魂の抜けたようなことをなさる。
具体的には、「自分のひったもの」つまり、自分の便、排泄物ですね、これを掴むというようなことをされる。
そこで、教祖にお伺いされました。
ちょうどその時、桝井孝四郎先生のお母様、桝井おさめ先生が、妊娠中でお腹が痛くなったので、おやしきに居られた。
教祖は、
「魂は先方へ宿っておるがな」
と仰せになり、おさめ先生のお腹を撫でて
「魂は生き通りやで、これ生き通りのひながたや。ひながたには二つはないのやで」と仰った。
先方に宿っている魂とは、どこに宿っているかというと、桝井おさめ先生のお腹の中に宿っている。ここに村田幸右衛門先生の形は残っているが、魂はこちらに宿っていると。
で、お生まれになった慶蔵先生は、村田幸右衛門先生の生まれ変わりであるからということで、三才の時から、桝井家から移って村田家の子になった。
こういう御話です。

村田幸右衛門先生は、明治19年(1886)10月21日、66才で出直されています。明治19年10月ですから、教祖が現身をお隠しになる、明治二十年陰暦正月二十六日の、ほんの数か月前のお出直しですね。

66歳というと、今の感覚では、かなりお若いと感じます。
その魂の抜けたようなご様子というのが、今で言う認知症の症状、しかもそのかなり重症な様子に当てはまるなぁと感じます。
現在は、認知症はかなり身近な病気ですし、今ではほとんどの方が、多かれ少なかれ、最晩年にはその症状を見せて出直して行かれます。
少しずつ少しずつ、魂が移ろって行っているのかも知れません。

認知症を患っていた伯母の魂は、もう既に誰かのお腹の中にあるのか、それとも神様の懐にあるのかは解りませんが、きっと身近などこかに、生まれ変わって来られるのだと信じます。

さて、生きながらにしての出直しとか、魂の移ろいというのは、出直しの前向きな意味とも捉えられる一方で、認知症などの、加齢による病気に対して、極度に不安を覚える方もあるかと思います。

ですが私は、人の衰えには、二つの大きな意味があると思っています。

一つは、人はいつか必ず衰え、誰かの世話になる必要があると、子や孫に、その姿で伝える事。
もう一つは、そうして子や孫と接する時に、こういう年の取り方なら、悪く無いな、この人なら、積極的にお世話したいなと、そうしたモデルケース、お手本を示せることです。

私の父も、最晩年は脳内出血で、自分の名前を言う事もできず、身体も動かせない状態でしたが、子や孫の顔は憶えていました。
その姿を、子ども達が見ていた、それだけで、大きな意義があると思いますし、子ども達の心の成長に繋がったこと、父に、とても感謝しています。

またもう一人、今も御存命の大教会の役員婦人の先生ですが、105歳になられたかと思います。
この先生が、100歳になられた時、大教会の祭典後に挨拶をされました。
私は、その時の言葉が忘れられないんです。

「100年という時間の中には、雨の日も風の日も、それこそ嵐のような日もありましたが、一度も『イヤだ』と思ったことはありません」
と。
このお言葉を聴いた日、私は朝起きてから、大教会のおつとめを参拝するという僅か5〜6時間の間に、何度「イヤだ!」と思ったことか。

後から知ったことですが、この先生は、結婚当初に満州へ行き、現地で布教に励みながらも、終戦後は幼子を連れて命からがら日本に引き揚げて来たような方です。
私は、恵まれた環境の中で不平不満に溺れている自分が、恥ずかしくてたまりませんでした。
そして、車椅子生活で、人のお世話になる必要があっても、こういう年の取り方をしたいなぁと、お手本をお見せ頂けたように思います。

取り留めも無い話を続けてしまいました。

最後に、伯母と私の最後の会話らしい会話の記憶をご紹介したいと思います。
もう、十年以上前になります。
私の従妹の結婚披露宴でのことです。

伯母と、私の父や母、私達夫婦は一緒のテーブルでした。
父が、入れ歯を外そうとしてうまくいかず、私が外すのを手伝いました。
その姿を見ながら伯母は、私の妻に、
「有難うねぇ。こんな弟でごめんねぇ。お世話になるねぇ。よろしくねぇ。」
と言いました。

いくつになっても弟を思いやる、姉の姿がありました。

出直すことも、老い衰えることも、その姿を以って、後世に生きる喜び、陽気ぐらしの輪を伝えられるなら、何も怖い事はありません。

明治三十四年九月二十三日
 政田甚五郎五十二才身上願
人間という、たゞ一代切りと思たら、頼り無い。人間一代切りとは必ず思うな。そこで一つ理がある。皆生まれ更わり、出更わりという理聞き分け。親が子となり子が親となり、どんな事もほんになあ、よく似いたるか/\。この一つ性(しょう)ありて現わしたる。この理聞き分けて楽しめ。こんな事ぐらいとしいかり定め。とても/\及んでからはどうもならん。日々不自由と思わず、心改め、しいかり踏ん張れ。しいかり踏ん張れば、未だ/\長いで、未だ/\長いで。
https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/432182359.html

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: おさしづ補遺(明治三十四年)(公刊おさしづ第七巻より) https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/432182359.html

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2024年01月04日

立教187年・春季大祭神殿講話

立教187年・春季大祭神殿講話








ただいまは、当教会の春の大祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

教祖140年祭活動の二年目に入りました。
年祭活動について、改めて御話させて頂きたいと存じます。しばらくお付き合い下さい。

柏手

まず、本年の私の書初めです。
「拇」
ねえ。
なんのこっちゃ解らんでしょう。
書初めで、親指ってなんやねんと。
天理教の言葉でも無ければ、世間一般の名言とかでもなく、身体の極一部位。
訳わかんないですよね。

これから説明させて頂きたいと思います。

もう五年以上前になります。
「ユマニチュード入門」という本を読みました。
介護の現場での「人間らしいケア」についての本です。介護される人と介護する人、両者がお互いに気持ちよく、人間らしく存在するためには、「愛情」という心だけでなく、相手に伝えるための「技術」が鍵になるのだと言う本です。介護現場の中でも特に、認知症の方の介護での、技術的な心得について書かれていました。
ちなみに、ユマニチュード(Humanitude)とは、フランス語で「人間らしさを取り戻す」という意味だそうです。

この本の中に、
「親指を手のひらにつけて、絶対に使わない」と強く意識することが必要になる
という一節がありまして、私はこの一文に釘付けになりました。
その理由は後で言います。
先ずは、なぜ親指を使わないように気を付けなればならないと書かれていたのかを説明しておきます。

「見る」「話す」と同様に、「触れる」ことにもポジティブな触れ方とネガティブな触れ方があります。
ポジティブな触れ方には、「優しさ」「喜び」「慈愛」、そして「信頼」が込められています。動作としては「広く」「柔らかく」「ゆっくり」「なでるように」「包み込むように」という触れ方です。これらはみな、ケアを受ける人に優しさを伝える技術です。
「触れる」という行為はすべて意味をともないます。認知機能が低下して状況を理解できない人にとって、「つかまれる」ことがどういう意味をもつかを考えてみましょう。
わたしたちは日常生活において、相手の手首や足をいきなりつかんだりしません。日常生活で誰かに手首をつかまれるとすれば、それは「どこかに連行される」というような非常にネガティブな状況でしょう。しかしケアを行う際には、何の違和感もなく、相手の手首や足をつかんでいることがあります。
ケアを行うにあたって、このようなネガティブなメッセージを送らないためには相手をつかまないことが大切です。そうはいっても、ついつかんでしまいがちなので、日ごろのケアにおいては「親指を手のひらにつけて、絶対に使わない」と強く意識することが必要になってきます。

広い面積で、ゆっくりと、優しく触れる。これこそがユマニチュードで用いる触れ方
その為に、「親指を手のひらにつけて、絶対に使わない」ということでした。

なるほどぉ!と思いますよね。

さて、ではナゼ私は、「親指を手のひらにつけて、絶対に使わない」という一説に釘付けになったのか。
単に、この技法に感動したからではありません。

おてふりで大切なのも、「親指を手のひらにピッタリ付けること」と教えられているからです。
天理教で最も大切なのは、おつとめです。
教祖は、明治二十年陰暦正月二十六日、子どもの成人を急き込まれて現身を隠されましたが、その最重要な成人とは、おつとめをつとめることです。
そして初代真柱様を中心に、命捨ててもという心でおつとめをつとめられました。
おつとめを急き込まれる教祖も、つとめる方々も、皆、命がけです。
それほど大切なおつとめ。その中でも、最も大切なのは、おてふりです。
そのおてふりの中で最も大切なのが、親指を手のひらにピッタリ付け、五本の指を全て揃えることなんです。

おさづけも同じです。
「あしきはらい」の手振りをして、患部を優しく撫でるんです。
「親指を手のひらにピッタリ付けて」、優しく、教祖の代わり、親の代わりに、我が子を慈しむように、広い面積で、ゆっくりと、優しく触れる。

この五年間、私は、このユマニチュードと、おつとめの手振りの共通点を意識してきました。
そして、ふと思ったんです。

人間の手は、親指と他の指が向かい合うことで物を掴み、加工して生き抜いて来た。
でもその親指を、あえて掌の横にピッタリくっつけることで、優しく撫でられる。
これからの人間の手の変化、心身の進化は、そこから始まるんじゃないかと。

おつとめ、お手ふりとは、その為のものであり、進化と同時に、「人間らしさを取り戻す」行いでもあるのでは無いだろうかと。

繰り返しになりますが、教祖は現身をかけておつとめをお急き込み下さいました。先人は、命捨ててもという想いで、おつとめをつとめられました。
それが、教祖年祭の、元一日なんです。
おつとめも、おさづけも、教祖の代わりにつとめるんです。
これを考えた時、私にとって、先ずしなければならないことは、「親指を手のひらにピッタリ付ける」ことだと思い、この書き初めにした次第です。
何より、拇という字には、「母」つまり教祖の存在が込められている気がしますから。

おつとめでも、おさづけでも、日常、人と接する時でも、「広く」「柔らかく」「ゆっくり」「なでるように」「包み込むように」、手を使っていきたいと思います。

月日にハせかいぢううハみなわが子
かハいいゝばいこれが一ちよ(17-16)
(天理教勉強blog: おふでさき第十七号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/396565856.html

ご清聴ありがとうございました。

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝「第十章 扉ひらいて」 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/411484279.html
天理教勉強blog: おふでさき第十七号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/396565856.html

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2023年12月01日

立教186年・十二月月次祭神殿講話

立教186年・十二月月次祭神殿講話






ただいまは、当教会の本年納めの月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。
本年も、残すところ一か月となりました。
一年を振り返りますと、世界では、ウクライナでの戦争が長引き、更にパレスチナ問題を巡り、イスラエル・ハマス戦争が始まりました。第三次世界大戦に繋がりかねない緊張状態が続いています。一方国内に目を向けますと、空前の円安が起こり、生活を圧迫しています。そんな中で、当教会では、青年会の委員長を交代させて頂き、先月、青年会総会に新旧の委員長で参加致しました。世界の状況に比べて、申し訳ないほどに、非常に穏やかに有難い姿をお見せ頂いております。

戦争、円安、青年会総会、これらを台に、陽気ぐらし世界について御話させて頂きます。しばらくお付き合い下さい。

柏手

円安円安と言われて居ります。まず、円の話からしたいと思います。
円と言っても、お金の話ではなく、丸のことです。
先日の青年会総会の際、新しい委員長さんも、私とよく似て、非常にシャイです。初対面に等しい青年会員の輪の中に入れない。
そこで彼に、円の不思議な性質について話しました。

円の円周を半分に切って、二つの円を作ると、その面積は、それぞれ、元の円の四分の一になる。つまり、円周の長さの合計は変わらないのに、面積の合計は半分になってしまう。
これを繰り返して行くと、円周の長さは一定なのに、面積の合計は、限りなくゼロに近づいて行く。

これね、逆も言えるんです。

解りやすく、私が腕で円を作ってみます。
この円の面積、誰かもう一人の人と手を繋いで二人で輪を作ると、面積は、私が一人で作った時の、二倍ではなく、四倍になるんです。
三人で作れば、9倍、四人で作れば16倍、十人で作れば100倍になります。
難しい言葉で言うと、指数関数。物凄い勢いで、面積は広がっていきます。

これは、土地や物だって同じハズなんです。
お道の言葉ではありませんが、昔からよく言いますよね。

「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」

先日、子どもが唐突に
「パパは、ハマスとイスラエル、どっちが悪いと思う?」
と尋ねて来ました。
私の答えは、
どっちも悪い。パパも悪い。お前も悪い。

子どもは、
何で私が悪いの!?
と言ってきましたが、

だって、いつも御菓子取り合って、泣いてるやないか。
御菓子取り合って怒るのと、土地を取り合って戦争するのは、地続き。
自分が物を独り占めしたいと思う心があるなら、戦争の原因は自分にもある。だから、パパはめっちゃ悪い。

と答えました。

天理時報特別号で、イラストと詩を掲載されていた「にしむらえいじ」さんの詩に、

「二人で分けると、大きさは半分になるけど、
美味しさは、二倍になるんだよ」

とあります。
食べ物は、半分に分けると、美味しさが二倍になる。
土地は、二人でシェアすると四倍になり、人数が増えれば、指数関数で増えていきます。

今日ご参拝の皆様は、皆、大人ですから、食べ物を取り合って泣くようなことは無いと思います。
でも、子どもの頃は、少なからず、取り合ってきょうだいげんかをしたと思います。
それは、心が成人した証拠です。
しかしながら、何かを独り占めしようとする気持ちや、「守る」という名目で、排他的に考える気持ちは、やはりあると思います。
私はあります。無くそう無くそうと思っても、そう易々と無くなるものではありません。

まずは、そんな自分のズルさを、自覚したいと思います。
そして少なくとも知識で、分ければ美味しさは二倍、シェアすれば面積は四倍と知ってはいるのですから、その輪を広げて行くような言動を心がけていきたいなと思います。

教えの深みというのも、同じだと思うんです。
一人で考えること、学ぶことも大変すばらしいことです。
しかし、人と分かち合い、学び合えば、その味わいは、二倍にも四倍にも百倍にもなっていく。
にをいがけ、布教というと、人に教えを伝えなければならないとか、天理教に改宗して貰わなければならないとか、そんな風に感じてしまうかも知れません。
しかし、シェアすることによって、自分一人で味わっていた教えを、別の角度から深めて貰うものだと考えれば、肩肘張る必要は何もありません。
私も、大変人見知りの激しい、シャイな性格ですから、人の輪に入る、自分の輪を広げるというのは、とても勇気が要ります。
ですが、それがほんの僅かでも拡がった時の喜びというのは、その勇気を差し引いて余りある収穫があります。

そうして人は、成人を積み重ねることができるのだと実感しています。

教祖年祭、年祭活動の旬は、教祖の道具衆として、にをいがけ・おたすけを通して成人する旬です。
肩肘張らず、この教えをシェアしていく。それだけで、私たちは、成人できます。
その積み重ねの先に、今現在、どんなに苦難溢れる世界の情勢であっても、いつか必ず、世界中の人間が仲良く陽気にたすけ合って暮らす、陽気ぐらしの世界が実現します。
その種を、自分一人で独り占めしていることが、この世界が陽気ぐらしの世界でない、最たる原因です。

肩肘張らずに、日々、教えをシェアしていきましょう。

おさしづに
この道は心次第の道。一条の道を万筋に通るは皆心という一つの理から出る。互い/\話し合うた、結び合うた事もある。それはよう/\の日、よう/\の心、日を取り違えしたようなもの。日と心とこの理を聞き分け。成ってから言うた処が取り返やしはならん。よう/\にをいある間に結んでくれ。にをい褪めてからはどうもならん。皆千切れ千切れである。千切れ/\になりてからは、容易な事では繋がれん。(明治三十年二月一日
 松村吉太郎風邪引き咳出て困り居る後へ、小人義孝口中舌たゞれ、口中悪しくに付願)
天理教勉強blog: 明治三十年のおさしづ(公刊おさしづ第四巻より)その1 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/427936705.html

とお教え下さいます。
この旬に、自分の手を、他の人と繋いで、陽気ぐらしの輪を、四倍にも、百倍にも、拡げて行きましょう。
ご清聴ありがとうございました。
柏手

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2023年11月03日

立教186年・秋季大祭神殿講話

立教186年・秋季大祭神殿講話








ただいまは、当教会の秋の大祭を賑やかにつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

祭文でも奏上致しました通り、本日は、当教会の94回目の誕生日に当ります。また、教祖140年祭へ向かう三年千日の成人の旬、真っ只中でもあります。

神殿講話に先立ちまして、先ず初めに、改めて、諭達第四号を拝読させて頂きます。

柏手
諭達第四号拝読
柏手

ただいま拝読させて頂きました諭達第四号を踏まえまして、心の成人について、ひと言お伝えしたいと存じます。しばらくお付き合い下さい。

柏手

教会では、毎朝、朝づとめ後に諭達を拝読させて頂いております。
読むたびに、印象に残る箇所が、少しずつ変化して行くんですが、最近は、

「今日、世の中には、他者への思いやりを欠いた自己主張や刹那的行動があふれ、人々は己が力を過信し、我が身思案に流れ、心の闇路をさまよっている。」

という箇所に、特によく、目が留まります。

文章としては、世の中のこと、世間の状態を指している表現なんですが、私は、私自身のことを言われているなぁと思います。

他者への思いやりを欠いた自己主張、刹那的行動、己が力を過信していること、我が身思案、この全てが、私の心に鋭く刺さって来ます。

陽気ぐらし世界が実現する為には、他の誰でもなく、まず自分自身が、こうした心遣いを無くして行くことが必要不可欠な訳です。
その為の行動について諭達には、

「人救けたら我が身救かる」と、ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていくとお教え下された。

とお示し下さいます。
おたすけを通して感じることは、おたすけは、自分の力でできるものではなく、どこまでも、神様の御守護によって人はたすかって行くということです。
しかし、おたすけを重ねる中に、経験や知識が増え、自分の力で、たすけようとしてしまいがちになります。そしてたすかって貰えない現実を繰り返し、なんでやなんでや、こんなに頑張ってるのに、と自分自身の心が苦しくなっていきます。
まさに、己が力を過信し、我が身思案に流れ、心の闇路をさまよっている。そんな自分自身の心を反省する今日この頃です。

大切なのは、おたすけとは、自分が人をたすけるということではなく、悩んでいる人と、神様を「繋ぐ」ことだと思います。

簡単で、当たり前なようでいて、それが一番難しかったりします。
年祭活動は、おたすけの旬、種蒔きの旬と言われますが、それを通して、自分自身が成人させて頂く、自分自身を丹誠していくことで、おたすけの芽が吹き、世の中全体が陽気ぐらし世界に近づいて行く、そして後世にも教えが伝わっていくのだと思います。

繰り返しになりますが、簡単で、当たり前なようでいて、自分自身の丹誠が一番難しい。
先月、十月二十六日の御本部秋季大祭後の真柱様の御言葉に、「教祖は五十年もの間、どんなことが起こっても諦めること無く丹精し続けられたということを、これもひながたとして、忘れてはならないことなのではないかと思う」と御話下さいました。
人にたすかって貰いたい、人と神様を繋がして貰いたい、そういう心を諦めずに働かせていく中に、自分自身の心が、いつしか澄み、明るく陽気に救われていくのだと、思います。

年祭活動は、種蒔きの旬です。
私自身も、ささやかながら、毎日の路傍講演とゴミ拾いを心定めとして続けさせて頂いております。
まずは、おたすけ、教えを知らない方に、一言でも伝えさせて頂く。
どんな種を蒔くかを悩むより、まず、どんな簡単な事でも良いから、一粒でも多く種を蒔く。
それこそが、今は何より大切なのでは無いでしょうか。

おさしづに
旬々という、旬に治まれば末代、と諭し置こう。神一条に濁り曇り更に無い/\。なれど、取りよう伝えようによりて曇りが始まる。曇りては神の道とは言わん。よう聞き分けてくれ。道というは、どれから教えに来たのやあろまいし、元々始め掛け事情より聞き分けてくれ。神一条の理は真っ直ぐなもの。真っ直ぐなればこそ今日の道と言う。一つ治まれば末代の事情、これ聞き分け。
(明治二十八年五月十九日 午後七時半 政甚東の方本席御宅にて住居の事情願)
天理教勉強blog: 明治二十八年のおさしづ(公刊おさしづ第三巻より)その2 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/425265947.html

とお教え下さいます。
年祭活動の旬、当教会の創立百周年に向かう道。
次の代、次の代にたすきを繋いで行く為にも、今、自分にできる種蒔きを通して、自分自身の心の丹誠を、共々に進めさせて頂きたいと存じます。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 明治二十八年のおさしづ(公刊おさしづ第三巻より)その2 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/425265947.html
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2023年10月01日

立教186年・十月月次祭神殿講話

立教186年・十月月次祭神殿講話






ただいまは、当教会の十月の月次祭、並びに、秋の霊祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

まず、ご報告です。
来年の4月から6月の三か月間、修養科の教養掛をつとめることになりました。
この機会に、修養科を志願して頂けたらと思いますので、それにちなんだ御話をさせて頂きたいと思います。
しばらくお付き合い下さい。

柏手

修養科というのは、おぢばにて、三か月間の心の修養を行うところです。
やることは、教室で授業を受けたり、おつとめ練習をしたり、また、神殿掃除をはじめ、おぢば周辺や詰所でのひのきしんです。
イメージとしては、学校のようなものです。

私は、誰もが、人生で一度は行くべき、人生の学校だと思っています。

年齢は立場は、本当に様々です。
一番若い方は、17歳、上は車いすの高齢の方まで。
事情があって高校を中退した子、病気で余命宣告を受けた方、元やくざやホームレスの方もいらっしゃいます。
信仰も、教会で生まれ育った人も居れば、昨日、天理教と出会ったばかりという方もいらっしゃいます。

もう十三年ほど前になりますが、私が修養科中に出会った方を一人紹介させて下さい。
当時、五十代のおじさんでしたが、自己紹介でこんなことを仰いました。

私は、自分がなぜ、ここに居るのか解らない。
私は天理教が大嫌いなんです。

と。

この方は、元々、天理教の信仰家庭に生まれ育たれましたが、お姉さんが修養科を志願して、行くときは元気だったのに、帰ってくるときには、統合失調症を患っていた。ご本人の言葉を借りれば、頭がおかしくなって帰って来た。それ以来、天理教は大嫌いになった。
その後、ご自身も、仕事に失敗したりして全国をさまよい、もうどうなっても良いやという投げやりな気持ちで、東京の代々木公園でホームレス生活を始めようとしたその日、においが掛かって、教会に泊り、翌日、おぢばに連れられて来たとのことでした。

解らないながらも、時に、若い子とぶつかったりもしながら、三ヵ月を過ごされました。
三ヵ月目には、無事、おさづけを拝戴されました。

修養科生全員がおさづけを拝戴した数日後、おさづけの取り次ぎ方の練習も兼ねて、クラスの者同士でおさづけの取り次ぎ合いをする授業がありました。
しかし、彼は、おさづけを誰にも取次ませんでした。
天理教をキライになったきっかけの、お姉さんに、自分の初めてのおさづけを取り次ぎたいと心に決めて居られたからです。
私は、三か月間、彼の笑顔も、怒っている顔も、眠そうな顔も、たくさんの表情を見させて貰い、共に過ごしましたが、この、おさづけの取り次ぎ合いの授業での、どうやって取り次ぐのか、先生はじめ、一人ひとりのクラスの仲間が取り次ぐ姿を真剣に見て居られる、その表情が、十数年経った今も、忘れることができません。

修養科は、心の修養をする場所です。
自分がたすかりたい心から、人にたすかって貰いたい心に、変わる場所です。

私自身も、信仰の元一日から、無い命をたすけて頂き、元気になったつもりで修養科を志願しましたが、二か月目の時に、再発のお手入れを頂きました。
その時、妻から、
「あなたは、病気をたすけられてこの道に入ったのだから、同じような病気で悩む人をたすけなければならない。そのためには、この病気の辛さを忘れてはいけない。忘れないように、神様が思い出させてくれたんじゃないかな?」
という言葉を貰ったことで、私の心は、人をたすけさせて貰いたいという心に大きく切り替わりました。
妻のおさとしも、きっと、おぢばだったからこそ、浮かんだのではないかと思います。

また、その翌年、今から十二年前に教養掛をつとめさせて頂いた時には、修養科生の中に、会社を定年退職したばかりの、壮年期のご婦人がいらっしゃいました。
この方は、元々は天理教の信仰の無い方でしたが、結婚相手の方が布教所をされていたことから天理教と出会われたそうです。
そして姑さんがとても善い人で、天理教のことも大好きになり、姑さんとの約束通り、会社を定年退職した直後に、修養科を志願されたとのことでした。

この方は、とても明るい方で、福井出身なのに、そのチャキチャキな言動から「大阪のおばちゃん」と呼ばれていました。
そんな方でしたが、、、なんて言う話をしていると、あまりにも話が長くなってしまいますので、割愛させて頂きます。

こんな風に、私のわずかな経験だけでも、修養科で過ごす三ヵ月は、人生を、心の向きを大きく変えて下さるという実例の枚挙にいとまがありません。

修養科は、人生を、心を大きく変えて下さる、人生の学校です。
三ヵ月と言えば、仕事や学校を休むわけにもいかず、難しい方も多いかと思います。
しかし、人生で一度は、全ての方に行って頂きたいと思います。
私が教養掛としてつとめる、来年4月〜6月に合わせて頂いても、もちろん結構ですし、受付は毎月ありますから、早速、来月からでも、もちろん構いません。

是非、ご検討ください。

一人のために運び掛けた道やない。世界救けたい、心通り救けたいという道。よう聞き分け。道を始め、こうして多く皆連れ帰る道、水晶の玉の如くに映さにゃならん。濁りありては、玉とは言い難くい。皆心同様にあったら、心に目に見えん。真実水晶の如く成あったら、天よりの働き知らんか。あの人何とも言わんなあ、この人何とも言わんなあ。道は心尽しての道。人間の道やない、神の道。神の道ならおめ恐れ無い程に。この理、よう胸に持ってくれにゃならん。(明治三十三年五月十七日)
(天理教勉強blog: 明治三十三年のおさしづ(公刊おさしづ第五巻より)その2 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/431027008.html)

ご清聴ありがとうございました。

<天理教勉強blog内関連記事>
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2023年09月01日

立教186年・九月月次祭神殿講話

立教186年・九月月次祭神殿講話






ただいまは、当教会の九月の月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

九月四日の唐橋分教会創立130周年記念祭が、いよいよ目前に迫ってまいりましたので、そこに向けての動きを台にお話させて頂きたいと存じます。

しばらくお付き合い下さい。

柏手

週明け、九月四日月曜日に、当教会の上々々級であります、唐橋分教会の創立130周年記念祭がつとめられます。

このおつとめには、若い方々を中心につとめて貰いたいとの想いから、前半下りは部内教会の後継者夫妻、後半下りは、直轄信者さんの若い方々でつとめられることになりました。
が、それでは手が足りないということで、私の妻が、後継者婦人という立場ではありませんが、前半下りのおてふりをつとめることになりました。

で、今年の年明けから、毎晩毎晩、おてふり練習を、夫婦でつとめてきました。
一人でおてふりをした経験の無いところから、よく覚えたなぁと、我が妻ながら、尊敬いたします。

ある時、練習中に、妻が言いました。
「おてふり考えた人って、凄いな」と。
おてふりを考えたのも教えて下さったのも、当然、おやさまなんですが、妻は何が凄いと思ったかと言うと、
「間違えずに踊るのも至難の業なのに、それを間違えずに伝えれたって、信じられないくらい凄い」「ホントだとしたら、それだけで神様として信じられる」と。

なるほど、確かにそうです。

おてふりは、動きそのものは、世間のダンスや伝統舞踊のように、複雑な動きがある訳でも身体能力が高く無ければできない訳でも無く、健康ではない人でもできる動きばかりです。
それでいて、一つ一つの手振りに意味があり、みかぐらうたの地歌と間違いなく一致しています。
そんな、一見、簡単で、意味通りで解りやすいけれども、覚えることはもちろん、それ以上に、間違えずに通して踊ることが、非常に難しい。
それを、この教えの中で、最も大切なものとして、一振りの間違いも無く、お伝え下されたのは、本当に神業だなぁと、妻の言葉を通して実感しました。

逸話篇によりますと、

稿本天理教教祖伝逸話篇一八 理の歌
https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/166618287.html
十二下りのお歌が出来た時に、教祖(おやさま)は、
「これが、つとめの歌や。どんな節を付けたらよいか、皆めいめいに、思うように歌うてみよ。」
と、仰せられた。そこで、皆の者が、めいめいに歌うたところ、それを聞いておられた教祖(おやさま)は、
「皆、歌うてくれたが、そういうふうに歌うのではない。こういうふうに歌うのや。」
と、みずから声を張り上げて、お歌い下された。次に、
「この歌は、理の歌やから、理に合わして踊るのや。どういうふうに踊ったらよいか、皆めいめいに、よいと思うように踊ってみよ。」
と、仰せられた。そこで、皆の者が、それぞれに工夫して踊ったところ、教祖(おやさま)は、それをごらんになっていたが、
「皆、踊ってくれたが、誰も理に合うように踊った者はない。こういうふうに踊るのや。ただ踊るのではない。理を振るのや。」
と、仰せられ、みずから立って手振りをして、皆の者に見せてお教え下された。
こうして、節も手振りも、一応皆の者にやらせてみた上、御みずから手本を示して、お教え下されたのである。

稿本天理教教祖伝逸話篇一九 子供が羽根を
https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/168585645.html
「みかぐらうたのうち、てをどりの歌は、慶応三年正月にはじまり、同八月に至る八ヵ月の間に、神様が刻限々々に、お教え下されたものです。これが、世界へ一番最初はじめ出したのであります。お手振りは、満三年かかりました。教祖(おやさま)は、三度まで教えて下さるので、六人のうち三人立つ、三人は見てる。教祖(おやさま)は、お手振りして教えて下されました。そうして、こちらが違うても、言うて下さりません。
『恥かかすようなものや。』
と、仰っしゃったそうです。そうして、三度ずつお教え下されまして、三年かかりました。教祖(おやさま)は、
『正月、一つや、二つやと、子供が羽根をつくようなものや。』
と、言うて、お教え下されました。」
これは、梅谷四郎兵衛が、先輩者に聞かせてもらった話である。

とありますので、間違いなく教祖が、丁寧に丁寧に、親心いっぱいにお教え下さったのが、このおてふりなんです。

おやさまの御言葉に、
「つとめに、手がぐにや/\するのは、心がぐにや/\して居るからや。一つ手の振り方間違ても、宜敷ない。このつとめで命の切換するのや。大切なつとめやで。」
https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/401835339.html
とお教え下さいます。
間違えないように真剣につとめ、なおかつ、明るく陽気につとめる。
それが、天理教のおつとめです。

おてふりは、とてつもなく、奥深いものだなぁと思います。
みかぐらうたの意味を理解できる。
おやさまの親心に想いを馳せることができる。
願いを込めてつとめることで、どうしようもない状況、願いであっても、心を落ち着けることができる。
間違えないように真剣につとめることで、今ある記憶力精神力を鍛えて頂ける。
それでいて、手足が動きさえすれば、誰もが踊ることができる。
そして、このつとめで、世界がたすかる、よろづたすけのおつとめなんです。

そんな明るく陽気に、勇んだおつとめを、おやさまは、何歳の時にお教え下されたのか。
「わしは、子供の時から、陰気な者やったで、人寄りの中へは一寸も出る気にならなんだが、七十過ぎてから立って踊るように成りました。」
https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/401835339.html
と教祖ご自身が述懐されている通り、月日のやしろと成られて三十年目の慶応三年のことです。
今の七十歳はお元気ですが、江戸末期の七十歳です。
しかも、地道に地道に、満三年かけて、お教え下された訳です。
妻の言う通り、間違いなく、神業だなと、つくづく思います。

唐橋分教会創立130周年記念祭を目指してつとめる中に、また改めて、教祖の偉大さ、おつとめの素晴らしさを実感させて頂くことができました。

つとめでも月日だん/\てをふしゑ にんけんなるの心でわない(八-7)
https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/391317710.html

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
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天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝「第五章 たすけづとめ」 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/401835339.html
天理教勉強blog: おふでさき第八号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/391317710.html
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2023年08月01日

立教186年・八月月次祭神殿講話

立教186年・八月月次祭神殿講話







ただいまは、当教会の八月の月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

まず、ご報告です。
先月を持ちまして、当教会の青年会の委員長を交代させて頂きました。
できれば、私が青年会員を卒業する41歳になるまでに交代させて頂きたかったのですが、結果的に、非常にありがたい形で、交代させて頂くことができましたので、ご報告を兼ねまして、ひと言お話させて頂きます。
しばらくお付き合い下さい。

柏手

先月無事に、当教会の青年会の分会委員長を交代させて頂きました。
実は、なかなか思う通りに行かない交代劇でした。
交代して下さった現在の委員長さんには、去年の時点で別席も運び中でしたし、新委員長をお願いしていてご本人からの了承も得られていたのですが、河原町分会の方から、おさづけを拝戴した「ようぼく」であることが望ましいと言われまして、おさづけ拝戴まで、願書提出を保留しておりました。
天理教青年会の会員は、年齢制限がございまして、中学卒業から41歳の誕生日までです。私は、今年の五月で41歳を迎えました。私の個人的な想いとして、何とか、OB委員長としてつとめることなく、委員長の職を後進に譲りたいと考えていました。
別席も順調に運んで下さり、四月に八席目を運び修えて下さいました。
早速おさづけ拝戴願いの巡序を運び、九席目を運んで貰った日に、おさづけを拝戴して貰い、分会委員長変更願いも提出しようという心づもりで、おさづけ拝戴の振り分け日程の連絡を待っていました。
この時点で私は、きっと、願い通り、ギリギリ五月中に交代願いを提出させて頂けるだろうと、希望的観測を抱いていました。
しかし現実は当然、そう甘くはなく、五月のおさづけ拝戴振り分けは平日のみ。六月は、後半になっても連絡が来ないという状況でした。

私の41歳の誕生日は過ぎてしまったし、おさづけの拝戴日程は、物凄く限られている。分会委員長の交代はもちろん、そもそも、おさづけを拝戴して貰う事の難しさを、いつものことながら、改めて痛感しました。
そんな中、7月9日におさづけのお運びの振り分け日程連絡が来ました。
日曜日。
この日を逃してはならないと、ご本人はまだ学校だろうなと解りつつも、次の瞬間に連絡したところ、二つ返事でスケジュールを空けてくれました。
実はその時は曜日のことに夢中で完全に忘れていたのですが、7月9日というのは、前会長の誕生日です。
おさづけの拝戴日を、もう一つの誕生日と呼ばれる先生が多くいらっしゃいます。
これは、別席を運び、たすかりたい心から、たすけたい心へ生きながらにして生まれ変わる、その記念すべき日だから、もう一つの誕生日と呼ばれるようです。
なんて不思議な日程に、当教会の青年会分会新委員長のもう一つの誕生日を迎えさせて頂けたのだろうと感激するような、むしろ怖いくらいに思います。

更にもう一点、彼は特に悩みがある訳でも、たすかって欲しい相手がある訳でもない中で別席を運び始めて下さったので、最初のおさづけを誰に取り次いで貰おうかという思案もしていました。
結論から申しますと、彼の最初のおさづけは、私に取り次いで貰うことになりました。
実は当時、あまりにも酷い肩こりに悩まされていました。
起きている間だけでなく、いや、むしろ寝ている時に酷い肩こりで毎晩毎晩毎晩目が覚めてしまうという状況でした。
夜中の2時3時に目が覚め、そこから背中が気持ち悪くて気持ち悪くて仕方ない。あまりにも我慢できず、起きてストレッチしたり腕立て伏せをしたり、色々やるんですが、全く治まらず、ほとんど寝れない日が続いていました。
昼間の生活でも、姿勢に気を付けたり、枕を替えてみたり、更には、ノートPCだと姿勢が悪くなりがちなので、中古のキーボードを買って来てわざわざノートPCに繋いで、画面が遠く高い位置になるように台の上の乗せて使ってみたりと言った、肩こり予防の為に、傍目から奇異に見える程の工夫をしてみたりもしました。しかしそれでも少しも楽にならない。そんな状況でしたので、少し気持ちは躊躇しましたが、彼の最初のおさづけを、私の背中に取り次いでもらうことにしました。
せっかくなので、おさとしもお願いしました。
ご本人は、おさづけ拝戴直後で疲れてもいたでしょうし、何より訳もわからないまま、大変言葉に困ったと思うのですが、こんなおさとしをして下さいました。

独りで抱え込まず、もっと周りを頼って良いと思います。

と。
涙が溢れました。
彼のおじい様からお借りしたおつとめ着もピッタリサイズで、本当に、本当に、何もかもが有難かった。
前会長の誕生日という日程のこと、最初のおさづけを取り次いで貰い、分会委員長という担う御用をお渡しするべくのおさとしをして下さったこと、おつとめ着のことも含めて、世代交代を一切の躊躇なくお願いしたいと思いました。

OB委員長を避けたいと願いながら、当初は難しいかなと諦めかけていたところが、二か月足らずの期間だけ延長して、交代できました。
41歳を超えたOB委員長の方がつとめる教会ももちろん多いですし、委員長という立場の方の存在すら難しいという教会も少なくない中、こうして交代できるのは、まったくもって当たり前のことではなく、有難すぎることです。
おさづけが拝戴できることも、今までに何度も何度も申しておりますが、決して当たり前ではありません。
そもそも、おぢばに帰ることができるというのも、当たり前ではありません。

おふでさきに、
なんどきにかいりてきてもめへ/\の 心あるとハさらにをもうな(11-78)
(天理教勉強blog: おふでさき第十一号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/394790357.html
とお教え下さる。
まさにその通りであります。

また諭達第四号で真柱様は、
信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。
とお示し下さいました。
教祖140年祭に向かう旬は、自分の次の世代へ引き継いでいく歩みでもあると思います。

人間は誰しも、毎年毎年、年齢を積み重ね、その役割を次に繋げていくのが最大のつとめです。
自分が持つタスキを、次の世代に。
自分の受け持つ道が上り坂か下り坂か平坦か、追い風の中か向かい風の中か、雨の中か晴れの中か、どんなコンディションの道中かは、通ってみなければ解りません。前の世代、後の世代の道を見て、羨ましがったところで、自分が通ることはできません。
自分に与えられた区間を、焦る必要はありません、着実に着実に次の代へ繋いでいく。それがひとりひとりのようぼくに与えられた、最も大きな使命です。

まずは自分自身が、教えを実践する。
その姿、心を、次の世代へ引き継いでいく。
その中に、人間業ではあり得ない、有難い限りの姿をお見せ頂けるものと、私は、今回の分会委員長交代の顛末を経て、信じることができました。

このにんもいつ/\までもへらんよふ まつだいつゝききれめなきよふ(7-24)
(天理教勉強blog: おふでさき第七号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/388474788.html
おやさまも、それを待ち望んで下さっています。
共々に、一歩一歩を積み重ねさせて頂きましょう。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: おふでさき第十一号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/394790357.html
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2023年07月01日

立教186年・七月月次祭神殿講話

立教186年・七月月次祭神殿講話







ただいまは、当教会の七月の月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

去年の五月に新型コロナウイルスに感染、発症しまして、幸い家族全員軽症で済んだんですが、私はいまだに、左耳が耳管狭窄で詰まったような、籠ったようなそんな感じで過ごしています。
2類から5類に法律上は変わりましたし、大半の方は軽症で大丈夫だといわれていますが、ウイルスの性質が変わったわけではなく重症化する方もいらっしゃいますし、またたとえ軽症であったも、できることなら、私は他の方には、同じような想いをして貰いたくないなぁと思っております。
くれぐれも、感染対策等、お気を付けてお過ごし下さい。

さて本日は、お若い方も御参拝下さっていますので、できるだけ身近なお話をさせて頂きたいと存じます。
しばらくお付き合い下さい。よろしくお願いいたします。

柏手

私の最近の趣味なんですが、カラオケです。
カラオケと言っても、お店に行く時間やお金がありませんので、スマホの「ポケカラ」というアプリを使って歌っています。
有難いことに無料で使えますし、10分15分の隙間時間にサラッと歌えますので、重宝しています。
先ほど言いましたように、耳管狭窄で左耳と右耳の聴こえ方が違っていますので、イヤホンは両方の耳には付けずに、片方ずつで使っています。
で、歌った曲は、同じアプリを使っている人に公開して聴いて貰うこともできます。
私は別にうまい訳でもなんでも無いので、人に聴いてもらうほどのことも無いんですが、せっかくなので公開していますと、少しずつ、聞いて下さる人も出て来ます。
中には、「この曲歌ってください」とリクエスト下さる方もあります。
最初は、私が一度歌った歌をもう一度歌って欲しいといった事から始まり、共通の好きなアーティストの曲、次いで、私に伝えたい言葉が歌詞に含まれた歌などと積み重なり、先月は、私から聞きたい言葉が歌詞に含まれた曲をリクエストされるようになりました。

年齢は十代から五十代と幅広く、正直言って、聴いたことも無い、知らない曲ばかりでした。
まぁでも、これも広い意味でのおたすけかと思い、デスクワークや片付けをしながらYoutubeで繰り返し流して聴き覚え、リクエストにお応えしてみました。

ただ、とても興味深いのが、これだけ幅広い年齢層でありながら、曲のテーマがすべて同じだったことです。

実際にリクエストされた曲のタイトルを並べてみます。

Mrs. GREEN APPLEというバンドの「ダンスホール」
Little Glee Monsterというユニットの「きっと大丈夫」
wacciというバンドの「大丈夫」
Hilcrhymeというラップユニットの「大丈夫」

もう、しつこいくらいに、「大丈夫」というタイトルが並んでいます。
Mrs. GREEN APPLEの「ダンスホール」という曲も、「ダンスホール」と「大丈夫」を掛けた歌詞で何度も「大丈夫」という言葉がくり返される曲です。

みんな、「大丈夫」って言われたいんだなと痛感します。
私の下手な歌で無く、実際にプロアーティストとしてリリースされている曲ですから、本人達の曲を好きなだけ聴けば良いはずなんですが、要するに、ちょっと頼りになりそうな人から、「大丈夫」と言って貰いたい。そんな小さな願いが、私へのリクエストだったんだと思います。

身近な方に、困っている方、ツラい想いを抱えながら頑張っている方がいらっしゃったら、是非、「大丈夫!」と言い切ってあげて下さい。
たすけを求めていそうな方には、「大丈夫?」と疑問形で聴いては、オウム返しに「大丈夫」としか返って来ませんので、そんな時は、「だいじょばなさそうだけど、何か手伝えることはあるかな?」と言った声掛けをしてあげて下さい。
そして、少しひと段落したら、必ず「大丈夫」と言い切ってあげて欲しいです。
互いに「大丈夫」と言い合うのも良いと思います。

またそういった言葉だけでなく、私のカラオケのように、自分がただ純粋に趣味特技として楽しんでいるようなことからも、ちょっとしたおたすけに繋がることも、数多くあります。
自分自身の趣味特技を、大いに楽しんで良いと思うんです。
それは、神様から与えて頂いた、自分の徳分ですから。

Mrs. GREEN APPLEの「ダンスホール」という曲には、こんな歌詞があります。

いつだって大丈夫
この世界はダンスホール
楽しんだもん勝ちだダンスホール

天理教のおつとめは、明るく陽気に、歌って踊ります。
おやさまのお言葉に、
わしは、子供の時から、陰気な者やったで、人寄りの中へは一寸も出る気にならなんだが、七十過ぎてから立って踊るように成りました。
とあります。
おやさまが、おてふりを教えて下さったのは、70歳を越えられてからのことです。
今の70歳はまだまだお若いですが、別席のお話にも「当時は六十才にもなれば、老人として手篤く扱うたもの」とあるように、当時の70歳は、今の感覚で言えば、80歳90歳というようなかなりの高齢者として見られていたと思います。
そして、この老いも若きも、明るく陽気に歌って踊るおつとめによって、よろづたすけをお見せ頂けるんです。

おつとめは、人の、世界のたすかりを願い、老いも若きも、明るく陽気に歌って踊る。
そして日常生活では、自分に与えられた徳分を、趣味特技として大いに楽しみ、その楽しんでいる姿を以って人に喜んで貰う。
そんな楽しみ尽くめの毎日が、陽気ぐらし世界へと近づく、一歩一歩の積み重ねだと思います。

天理教の信仰、おやさまがお示し下されたひながたは、楽しむものです。
そんな喜び楽しみ尽くめの毎日を、共々に、「大丈夫!」と励まし、勇ませ合いながら、通らせて頂きましょう。

せかいにハこれらとゆうているけれど 月日さんねんしらす事なり(14-22)
せかいぢうどこの人でもをなぢ事 いつむばかりの心なれとも(14-23)
これからハ心しいかりいれかへて よふきづくめの心なるよふ(14-24)
月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから(14-25)
天理教勉強blog: おふでさき第十四号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/395907927.html

ご清聴ありがとうございました。

さて、今の話で、「大丈夫」って何回言ったでしょうね?

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: おふでさき第十四号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/395907927.html
天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝「第五章 たすけづとめ」 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/401835339.html
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2023年06月04日

立教186年・6月4日 講話

立教186年・6月4日 講話







ただいまは、6月の寮祭を、勇み心一入につとめ終えさせて頂きまして、誠に有り難うございます。


順番が回って来ましたので、一言お取り次ぎさせて頂きます。しばらくお付き合い下さい。よろしくお願いいたします。

柏手

2ヶ月、大阪の街をお歩きになって、いかがでしょうか?
大阪の街の特徴みたいなものは感じておられますでしょうか?

テレビなど、世間一般には、大阪の街の特徴、例えば、おばちゃんはみんなヒョウ柄を着ているとか、お好み焼きと白ご飯が一緒に出てくる「お好み定食」が定食屋さんの定番メニューだとか、一通りしゃべった後に、「知らんけど」を付けるとか、色々言われておりますが、まぁ、ハッキリ言って、そんな特徴はほとんど見付けられないと思います。
これらの特徴は、大阪でも一部の地域、ごく少数の方に見られる特徴であって、大阪のスタンダードではありません。でもそれを、テレビなんかで、それがスタンダードかのように、誇張して伝えられているのが現実です。言わば、作られた特徴ですね。本当のところは、知らんけど。

ただ、それでも強いて特徴を挙げるとすれば、狭い面積の中に、多様なルーツを持った方が住んでいるということだと思います。
例えば東京だって、大阪より多様な特徴、ルーツを持った人が住んで居ますが、それぞれの居住地域が離れがちなので、その多様性に気付きにくいと言えます。
大阪の場合は、居住地域そのものがかなり近距離なので、少し歩けば、多様性を目の当たりにすることになるわけです。
この教務支庁があるのは、大阪の中でも有数の高級住宅街。しかし西にも東にも、この上町台地を下れば、低所得の方が多く住まう地域があります。在日コリアンの方が多い地域、被差別部落だった地域、沖縄ルーツの方が多い住まう地域などありますが、全て、ここから歩いて行って、戸別訪問百軒以上回っても、帰寮時間までに十二分の余裕を持って帰って来れる距離にあります。
実は地域的特徴は別れているのに、距離が近い為に、多様性が高いように見えてくる訳です。

ですから、大阪以外の地域と同様に、マイノリティに対する差別もありますし、同時にその分、本当に多様な方が全国から集まる素地もあると言えます。

私のおたすけ相手の方で、レックリングハウゼン病だった方がいらっしゃいました。
大阪の街では時々見掛ける、非常に特徴的な見た目の病気です。その見た目から、差別の対象になってきた歴史がありますし、親族家族も、隠そうとされることが多いせいか、大阪以外でお見かけすることは、ほとんどありません。
その点、大阪は、先ほど申しましたように、多様性を受け入れているように見える地域ですから、この病気の方々も、他の地域に比べて、かなり多くお住まいなんだと思います。

これが、レックリングハウゼン病の方の写真です。
おたすけ相手の方、Mさん御本人の御言葉を借りると、「イボガエル」のような見た目が特徴の病気です。
見た目を除けば、他人に感染する訳でもなく、特に支障はありません。
稀に知的障害を伴ったり、さらに稀に、癌化することがある程度です。

Mさんも、出会った頃は、ちょっと知的に障害があるかなぁと見受けられましたが、療育手帳も受けず、普通に働いておられました。
お出会いしたのは、20年以上前になります。
当時、私どもの教会の普請がありまして、その普請の間、近くのお宅をお借りしていたのですが、そこにはお風呂が無かったので、銭湯に通っていました。その銭湯で、私の母と、Mさんの奥さんとが出会い、仲良くなって、教会にお越し下さるようになったのが、きっかけです。
奥さんには明らかな知的障害があって、療育手帳も受けておられました。
こうしたハンデのあるご夫妻でしたが、旦那さんは普通に働き、小さいながら、マイホームを建てて暮らし、教会のひのきしんに通って下さり、穏やかな生活をされていました。
私の会長就任奉告祭にも参拝して下さいましたし、教祖130年祭の年祭活動中に、初席だけですが、別席も運んで下さいました。この、別席を運ぶ際に、奥さんは、誓いの言葉の文字も読めないということが解りました。それでも、旦那さんの隣で、真似をして、お誓いをして下さいました。
本当に、穏やかなご夫婦でした。

そんなご夫妻に異変が現れたのは、今から7年前の秋のことです。
まず、私達教会の者にはナイショで、猫をツガイで飼いはじめられました。私達に言うと、怒られると思ったからだそうです。
別に猫を飼うくらい反対しませんし、一言言って下さっていたら、避妊手術などアドバイスできたのですが、たった2匹から始まった猫は、あっと言う間に増え、近所から苦情が来る程の猫屋敷になり、猫は猫で自分の子を育てられず、生まれたばかりの子をオモチャのように放り投げて遊ぶような、見るに堪えない状況になりました。
さらに時を同じくして、旦那さんのレックリングハウゼン病でできていた胸の腫瘤がどんどん大きくなりはじめました。めったに起きない、癌化が始まっていたんです。

私達教会の者としては、まず病院に行って貰いたいのですが、頑なに行って下さいません。
手をこまねいている内に、旦那さんの胸の腫瘤は頭と同じくらいの大きさになり、体液も流れるようになり、それに古いシャツを巻き付けて抑え、肉の腐ったような、強い臭いを放つ状態になってしまいました。

なぜ、この状況で、病院に行って下さらないのか?
元々病院嫌いということもありますが、猫のこと、そして何より、奥さんは、銀行でお金を引き出すこともできず、放っておいたら、生活できない。今病院に行ったら、確実に入院することになるだろう。そんな状況を置いて、病院には行けないとのことでした。

そんな切羽詰まった状況の中、ようやく、Mさんの御実家である和歌山県にお住まいの、Mさんの姪ごさんと連絡がつき、ご親族として、猫の処分、奥さんにケアマネージャーを手配して下さいました。

6年前の7月のことです。

そして、8月7日、ケアマネさんとの初面談を見計らって、事前に近所の皮膚科を受診し、大きな病院を紹介して貰おうと、本格的なおたすけに動き出すことにしました。
ケアマネさんとの面談に同席させて頂き、早速、下調べしていたクリニックに電話してみたところ、午後の診療は予約のみ、12時半までに行けば午前の診療で受け付けると言われました。時計を見ると、11時45分。大急ぎで診療所へ向かいました。

この後から、途方もない苦労が始まるのですが、このクリニックにかかれたことが、大いなる奇跡の始まりでもありました。

まず、今まで古いシャツで体液を抑えていたものを、紙オムツで対処しようとご提案下さり、また、往診もして下さることになりました。
ご出身の大阪市立大学附属病院に紹介状を書いて下さり、早速、受診することになりました。

日を置かずしてすぐに、天王寺にある大阪市立大学附属病院の皮膚科を受診したんですが、開口一番、「うちでは診れません」と。
で、また後日、同じく大阪市立大学附属病院の整形外科を受診することになりました。
整形外科でも患部の写真を撮ったり、触診されたりしていましたが、やはり同じく、「うちでは診れません」と。
で、皮膚科でも、整形外科でも、はじめに言われることは、「お前は誰やねん」です。名刺を出して立場を説明して、半信半疑な様子で、接しられる訳です。
整形外科では、「天理教の信仰をされているのであれば、天理よろづで診てもらってはどうですか?」と言われ、また後日、憩いの家を受診することになりました。
それまでの間、最初に受診したクリニックから、「レックリングハウゼン病は難病だから、申請すれば医療費の補助が受けれる」と言われ、区役所に通ったりもしました。この時点では、細胞の生検が後回しでしたので、後日、申請しますということで、見込みの受付を済ませました。

憩いの家には、8月23日に受診しました。
ここでなら、きっと何とかして貰える。という期待と、もし無理だったら、もうどうにも出来ないという不安の入り交じった気持ちで、Mさんをお連れしました。

診察室に入り、担当医の先生は、ベッドの上でMさん服、体液を抑えていた紙オムツを外し、ザッと眺めて、「うちでは診れません」と仰り、再び服を着せはじめられました。
すがるように、「治療はできませんか?」と尋ねると、「これも治療です」と返されました。
私の心に浮かんだのは、絶望、その一言でした。

しかしせっかくですので、受診後、おぢばを参拝し、待合室に続いて、ご本部参拝場でもおさづけを取り次がせて頂き、大阪へ帰って来ました。
その帰りの車の中で、Mさんが仰いました。
「元気になったら、また、お話、聴きに行きます。途中で止まってて、申し訳なかった」と、別席を運びたいと。
嬉しかったです。嬉しかったと同時に、いや、今、それどころやないやろう、と。顔は笑顔を取り繕っていましたが、心の中は、ぐちゃぐちゃにかき乱されていました。

最初に受診したクリニックに報告し、何度かやり取りをしましたが、私の心の中は、諦めの気持ちが、どんどん大きくなってきてしまっていました。
やり取りの中で、クリニックの方は、とにかく受け入れていくれる病院を手当たり次第に探したいから、東京とか、遠方になっても良いかと聴かれました。
私自身はやぶさかではありませんが、Mさんは和歌山で生まれ育ち、中学卒業後、ずっと大阪で働いて来られた方です。万が一、途中で何かあった時、できるだけ、故郷や慣れ親しんだ地域の近く、関西で探して貰った方が良いと思う、と、口をついて出ていました。
こんなやり取りをしながら、クリニックの方が諦めずに頑張り続けて下さっていることを思い知り、諦めかけている自分が、おたすけ人として、本当に申し訳無かったと思いました。
そして心の中に、逸話編の「子供が親のために」のお話を思い出しました。

「ならん中でございましょうが、何んとか、お救け頂きとうございます」

その足でMさんのお宅に伺い、「諦めたくないですよね」と声を掛け、もう、蛆がわき始めているMさんの胸におさづけを取り次ぎました。

翌日、大阪国際がんセンターが受け入れてくれそうだから、受診して欲しいと、クリニックから連絡がありました。

また、「お前は誰やねん」から始まりましたが、ここで初めて、精密検査をして下さいました。
検査の結果を伝えられる際、「今から、大変、重いことをお伝えしなければなりません。本当なら、ご家族、ご親族にしか伝えられません。この人に、聞いて貰っても大丈夫ですか?」と何度も念を押され、Mさんからハッキリと、「聴いておいて貰いたい」と言って頂けたので、私も伺うことになりました。

曰く、

表面の腫瘤は、ガンです。それが、肺にも拡がっています。
表面に大きくなってきているのと同じスピードで肺のガンも大きくなり、3ヶ月程度で呼吸が止まります。
表面に見えている腫瘍を取らなければ、どこも受け入れてはくれないと思います。
この病院は、ガンの急性期の方ばかりの病院ですので、今のように、体液が流れ、蛆がわいているような雑菌だらけの状態の方を、免疫力が落ちた方々と一緒に入院させることはできません。
そして、この表面の腫瘍も、取れるものなのか、取っても大丈夫なものなのか、さらには、取れたとしても、皮膚を移植するにも、皮膚の難病がある中で、体のどこから移植できるか、それも解りません。
それでも、何とかしないと、どうしようもないので、検討させて下さい。
手術できるかどうかは解りませんが、とりあえず、提携している病院に入院して下さい。

とのことでした。
その日の夜から、大東市にある病院に入院されることになり、奥さんは、私共の教会とご自宅を行き来する、半住み込みのような環境で過ごされました。
夜は、奥さんと妻が一緒に寝るようにしていましたが、夜中に突然泣き出されることもあったようです。

大東市の病院には、最初の手筈を整えて下さった姪ごさんが家族でお見舞いにお越し下さり、今後のことを相談しました。
また、奥さんのごきょうだいも教会にお越し下さいましたが、Mさんご夫妻以外は誰も天理教をご存じない方々でしたから、訝しげなご様子でした。

1週間程して、大東市の病院が来て欲しいと言っていると、ご親族から連絡がありました。
ですが、何時に行けば良いかも解らず、とりあえず、昼前に着くように準備して、奥さんをご自宅へ迎えに行こうとした所に、大東市の病院から電話があり、転院なのに、まだ来ないのかと、言われてしまいました。

そんなことは、一言も聴いてない!

その理不尽な応対にブチギレてしまい、怒鳴ってしまいました。
振り返って考えれば、誰も受け入れたく無いような方を受け入れて、お世話取り下さっていることに対する感謝の心があまりにも薄かったのだと、心から反省しています。
直接お会いしたことも無い方で、謝罪のしようもありませんが、この話を人にする度に、その場を借りて、お詫びしています。
今回も、この場をお借りして、謝罪させて頂きます。
誠に申し訳ありませんでした。

転院後は、スムーズに手術もして頂け、胸の腫瘍は切除され、人工皮膚でカバーして下さいました。毎日、おたすけに通わせて頂きながら、様々な手続きをお手伝いさせて頂きました。難病申請には皮膚から細胞を取って遺伝子検査をする生検が必要でしたが、クリニックの先生から、「明らかにレックリングハウゼン病で間違いないから、時間もないし、私が責任持つから、生検無しで申請しましょう」と言って下さり、難病申請も無事に済みました。また、生命保険の手続き、奥さんの今後の生活を考えて、生活保護の申請相談にも付き添いました。結果的には、生活保護の受給無しで、生活を維持できておられます。

その後Mさんは、9月19日に退院し、姪ごさんご夫妻に連れられて、和歌山の御実家に戻られました。
また、奥さんも、ごきょうだいと私とで、家の片付けをし、こちらも、和歌山の御実家へ戻られました。この頃には、奥さんのごきょうだいも私達教会の者を信用して下さるようになり、教会で参拝もして下さいました。奥さんのお姉さんは、お寺の奥さんなんですけどね。
後日、ご自宅は、ご親族の手続きで、不動産屋さんへ、無事に売りに出すこともできたそうです。

その後、和歌山でのご生活が落ち着かれたら、1度おたすけに伺いたいと思っていましたが、一方で余命僅かとも解っていましたので、早すぎも、遅すぎもしない日程を思案していました。
10月に入り、姪ごさんと相談しはじめておりましたが、10月6日、もう長くないようなので、早めに来て欲しいと告げられました。和歌山の御実家は、かなりの山奥にあり、当時教会にあったワゴン車では通行が難しいと下調べしておりましたので、大教会の当番日でしたが、慌てて10月7日のレンタカー予約を入れました。ネットでの受付は締め切られてしまっていましたが、電話で直接店舗に問い合わせると、何とか、軽自動車を予約することができました。
大教会の役員先生にも報告し、朝の神殿掃除と献饌が終わり次第、朝づとめは勝手させて頂き、大阪へ戻らせて貰えることになりました。

準備万端。
後は、寝るばかりとなった、午後10時、姪ごさんから、今、亡くなったと電話が入りました。

準備はできておりましたので、先ほど申しました予定通り、献饌が終わり次第大阪に戻り、レンタカーを受け取って、母を乗せ、和歌山の御実家へ向かい、お悔やみさせて頂きました。

8月7日から、10月6日までの、僅か2ヶ月間のおたすけが、終わりました。
ほとんど毎日のようにおさづけを取り次ぎ、目に見えるご守護は無かった訳ですが、クリニックの看護師さんからは何度も何度も、いつ敗血症を起こして亡くなってしまうかも解らないと言われていたところを、1度もそんな気配すらなく、また、何度となく病院から受け入れを断られ続けていながら、神様のレールに乗り始めれば、その後は何の心配もなく、御実家の布団の上で、御親族に囲まれて出直されていったことは、間違いなく、奇跡的なご守護だとも思います。

後日、姪ごさんからお手紙を頂きました。

一部読ませて頂きます。

結局、Mさんはようぼくになれずに出直されてしまいましたが、天理教のことなど何も知らない御親族に、精一杯、教えを伝えて下さっていたのだなと思います。

さて、ここに居る私達は全員、おさづけを拝戴したようぼくであり、中でも、教えを伝えて、ようぼくを増やし育てる信念を持った、布教師です。

しかし、Mさんのように、おたすけ人として、私なりにではありますが、命懸けでおたすけさせて頂いた方が、しかも、心からようぼくになりたいと願って下さった方が、ようぼくになれずに出直されて行く現実もあります。
実は去年、Mさんのお出直し後、初めて、夢にMさんが出てきてくださいました。

Mさんと、もう一人、若い、こちらも障害があるのか、歩くのがゆっくりな女性をお連れして、3人で別席場に向かっている夢でした。
もう一人の女性があまりにゆっくりなので、Mさんに先に別席場へ向かって貰いましたが、受付時間に間に合わず、締め切られてしまいました。
別席場一階の隅で、Mさんは座り込んでしまわれました。
私はダメ元で、もう一人の女性を連れて受付を懇願したところ、「ナイショですよ」と受付て下さいました。
女性を初試験場へ送り出し、Mさんに、「ナイショだけど受付て貰えるみたいですよ」と声をかけたところ、「いや、もう良いです」と、うずくまってしまわれました。ふと辺りを見ると、Mさんと同じように、うずくまっている方が、数えきれないほどたくさんいらっしゃる姿を見たところで、目が覚めました。

現実には、別席場受付での、こんな受け答えはあり得ません。
しかし、Mさんと同じように、願い出ていながら、別席を運び、おさづけを拝戴することが出来ない方が、物凄くたくさんいらっしゃるというのは、これは、間違いなく事実だと思うんです。

私達布教師は、おたすけをし、そのたすかって頂いた方に、おさづけを拝戴してもらい、今度は人をたすける行いをして行って貰うのが、使命です。
ようぼくとは、陽気ぐらし世界という建造物の木材になることです。
たくさんのようぼくが寄り集まり、陽気ぐらし世界という建造物が出来上がっていく訳ですが、こんなに遅々とした歩みで、陽気ぐらし世界なんて、できるのかと、考えてしまうかも知れません。

しかし私は、こんな経験をしていながらも、いや、間違いなくできると、信じています。
それは、この絵本にあります。
秀司様、こかん様が見て居られたのは、見渡す限りの田園風景です。
当時、教祖の御言葉に、「屋敷の中は、八町四方と成る」とか、「廊下の下を人が往き来するようになる」とか、「何ないという事のない繁華な町になる」とか、現在の姿を予言されていた御言葉はたくさんありますが、それを、具体的なイメージで想像できていた人は、おそらく一人も居なかったと思うんです。
私達が、現在の神殿、参拝場を見ながら、当時の田園風景が想像できないなんていうのとは、完全に別次元の想像力が必要だからです。
想像もできない予言が、現実になっている。しかも、私達はそこに、当たり前のように立って居るんです。
こうした事実を享受しておきながら、ちょっとくらいうまく行かないおたすけがあっても、陽気ぐらし世界が実現しない、実現するのは至難の技と言える訳がありません。

とは言え、にをいがけ・おたすけには、ツラいこと、苦しいことも、数知れずあります。
しかしまずは、ようぼくという立場を与えられていることは、非常に珍しい、有難いことなんだと知っておいて下さい。
私達は、万人の中から選ばれた存在なんです。

もう出直されてしまいましたが、この、布教の家大阪寮の寮長をかつてつとめられた、竹川俊治という先生がいらっしゃいました。
大阪、日本はもとより、海外へも布教線を伸ばした、伝説の布教師です。
私の両親の仲人でもありますので、竹川俊治先生が居なければ、私は生まれても居なかったかも知れません。

竹川先生が晩年、青年さんの運転する車で、おたすけに回る際、時々、胸ポケットに入れたメモ書きを眺めて居られたそうです。
そこには、
「私は万人の中から選ばれた天理教の誠のおたすけ人ではないか!
俺がやらずして、一体だれがやるのか!」
と書かれていたそうです。

伝説の布教師であっても、おたすけには、きっと、不安がいっぱいあったんだと思います。
だから、こうした言葉で、御自身をふるい立たせて居られたのだと思います。

ようぼくという立場は、当たり前ではありません。
万人の中から選ばれた存在です。
願ってもなれなかった方が、数知れずいらっしゃいます。

今も、これからも、自分自身の身体をお返しするその日まで、イチようぼくとして、その使命を全うさせて頂きたいと存じます。

おふでさき第七号
015 これまでもなんでもよふ木ほしいから たいていたづねいたるなれども
016 このたびハたにそこにてハ一寸したる 木いがたあふりみゑてあるなり
017 このきいもたん/\月日でいりして つくりあけたらくにのはしらや
018 それからハにち/\月日みさだめて あとのよふ木のもよふばかりを
019 それよりもひねた木からたん/\と ていりひきつけあとのもよふを
020 にち/\に月日をもわくふかくある をなじところに二ほん三ぼん
021 この木いもめまつをまつわゆハんでな いかなる木いも月日をもわく
022 このあといなにのはなしをするならば よふ木のもよふばかりゆうなり
023 よふ木でも一寸の事でハないからに 五十六十の人かずがほし
024 このにんもいつ/\までもへらんよふ まつだいつゝききれめなきよふ
天理教勉強blog: おふでさき第七号。 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/388474788.html

ご清聴有り難うございました。
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2023年06月01日

立教186年・六月月次祭神殿講話

立教186年・六月月次祭神殿講話







ただいまは、当教会の六月の月次祭を勇んでつとめて終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

先月は、子どもが、ずーっと足を怪我しっぱなしでしたので、そこから思案致しましたところを、お伝えしたいと思います。
しばらくお付き合い下さい。よろしくお願いいたします。

柏手

先月の中頃だったと思うのですが、夜、子どもの泣き叫ぶ声が聞こえて来ました。
ふざけていたのか、振り回していた右足を壁にぶつけて、大泣きしておりました。
怒って良いのか、笑っていいのか、慰めて良いのか、よく分からない気持ちになりました。

さらにしばらく経って、今度は左足の爪先が痛いと言い始めました。
見ると、巻き爪になっていましたので、消毒したり、膿を出したり、家庭内でできる治療をしました。
実は私も、サイズのキツイ靴を履くと、よく巻き爪を起します。
症状や回復の過程など、自分とそっくりだなあ、遺伝子の成せる業かなあと感じました。

そして、つい先週末のことです。
キックベースを習っているんですが、その練習中に肉離れを起こしたらしく、左足の付け根を傷めて帰って来ました。

さて、ここまで度重なると、
「何か、神様からのお知らせ、警告だろうか?」
と考えてしまうのが、人間の悪い癖です。

自分の通り方を振り返ったら、そりゃあもう、思い当たる節しかありません。
あれだろうか、これだろうか、いやいや、こっちかも知れない、いやあっちかも、、
考えても、自分の不甲斐なさ、心の汚さしか思い付きません。

本当に大切なのは、喜ぶことです。

元気に遊んでいるからこそ、壁に足をぶつける。
成長して足が大きくなってきたからこそ、巻き爪を起す。
仲間と夢中に打ち込んでいるからこそ、肉離れを起こす。
何より、大難を小難にして頂いていること。
病院に連れて行こうかと、三回ともしばらく様子を見ましたが、三回とも受診の必要性を感じないような、物凄い早さの回復でした。

反省をしても尽きませんが、喜びを探すと、もっと尽きません。
どちらも無限にあるようですが、同じ無限でも、喜びの方が、多いように思います。

ただ、一つ感じるのは、おたすけの際には、こうした考え方をスムーズに伝えられるのに、我が事になると、マイナスに考えてしまうということです。

だから、おたすけしないと行けないんだなと思いました。
人に対して励ましの言葉を掛けることは、難しいことではありません。
しかし自分自身に対して励ましの言葉を掛けるのは、難しいものです。
人間だれしも。
だからこそ、常に人を励まし慣れていることで、自分の身に何か起こった時、自分で自分に励ましの言葉を掛けることができるのだと思います。
積み重ねが必要ですが、「人をたすけて我が身たすかる」とは、こんな素朴な意味もあると感じました。

おさしづに、
どんな事情あるとも聞くとも、腹立てゝはならんで。何ぼどんな事情言うとも、めん/\の身を責めに歩いて居よるのや。どんな所へも、皆我が身を責めに出て居るのやで。その中尽す、実々の道を通る者は、案じる事は要らんで。皆善き道へ連れて通る
明治二十四年一月十三日 郡山分教会山城講社取り堅めの願

とお教え下さいます。
教祖140年祭へ向かう三年千日は、おたすけの旬であり、自分自身がたすけて頂く旬ですから、何よりも、おたすけを第一に、共々につとめさせて頂きましょう。
ご清聴ありがとうございました。

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: おさしづ補遺(明治二十四年)(公刊おさしづ第七巻より)その1 https://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/431844268.html
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2023年05月01日

立教186年・五月月次祭神殿講話

立教186年・五月月次祭神殿講話






ただいまは、当教会の五月の月次祭を勇んでつとめ終えさせて頂きまして、誠にありがとうございます。

教祖140年祭執行のその日まで、あと、1001日です。
残すところ、僅か千日という日に当たりまして、改めて、年祭活動、特に、第一年目の、「種まき」についてお話させて頂きます。
しばらくお付き合い下さい。

柏手

先日、料理をしながらラジオを聴いていますと、「幻のタマネギ・泉州黄」の紹介をされていました。
今では大阪府泉南郡田尻町の特産品になっていますが、昭和62年頃に当時主流となっていた玉ねぎに取って代わられ、一度は姿を消した玉葱です。種も栽培されなくなっていましたが、町内の農家が自宅の床下で20年間大切に保存されていたことが平成18年にわかりました。
そこで、当時の大阪府立食とみどりの総合技術センター(現在の地方独立行政法人大阪府立環境農林水産総合研究所)にその種を持ち込み、発芽試験を行ったところ、3割〜6割の種が見事に発芽に成功したので栽培することとなり、現在、特産品として復活したとのことでした。

種、というのは、凄いものだなぁと思いました。
二十年経っても、発芽する力を持っている訳です。
しかし一方で、そんな秘めた力を保存し続けられる種というのも、蒔かなければ芽は出ません。
また当然、その種は、新鮮な方がよく発芽します。
二十年保管していては、発芽率は五割前後になってしまうということです。
また、いくら新鮮で、丁寧に種を蒔いても、百パーセント発芽する、ということもあり得ません。

教えも同じです。
よく「人は死んでも教えは残る」と言いますが、それは誤解だと思います。
人がいつかは亡くなるように、その思想もいつか消えるのが自然の道理です。
残された教えが大地に根を張り、活力を保っていくには、植物のような水やりと伝播が不可欠です。
胸に花の種を秘めているだけでは、花は咲きません。

では実際に、種を蒔くとどんなことが起こるのか?

自分の心が変わるんです。
人に教えを伝えようと動く度に、自分が何も知らない、何も解っていない、ということに気付かされ続けるんです。

ある時、おぢばがえりに人をお連れし、天理の本通り商店街を歩いている際、
「この商店街は神具店がたくさんあるんですよ」と紹介しました。
するとその方は、
「へぇ!天理は布団が名産の街なんですね!」
と仰いました。
神様の道具の神具と、布団などを扱う寝具。
同じ発音ですが、意味は全く違います。
一般的に使う頻度は、布団の意味の方が遥かに多い。
そんな当たり前の常識を、私は全然解っていなかったなぁと思いました。

また先日、ある方の御葬儀に際し、私は「みたまうつし」も「告別式」も、教服で行いました。
重服という、神式の装束を着る場合もありますが、それはあくまでも、神道の名残。天理教式の葬儀で使用しなければならないものではありませんし、教服で行ったからと言って、葬儀の「格」が下がるというようなこともありません。
しかしながら、ご遺族は、重服で執り行って欲しかったと、後からご指摘頂きました。
私は自分の常識に囚われて、ツラい気持ちを抱えながらも葬儀の場に立たれるご遺族のお気持ちに寄り添えて居なかったなと、今更取り返しのつかないことですが、心底、反省致しました。

また、別席に人をお連れすると、帰り道で、別席の御話について、質問される場面が多々ありますが、ほぼ毎回、答えに窮するようなご質問を受けます。
私は、教会長という、いわば天理教のプロフェッショナルという立場でありながら、教理について全然理解できていないといつも頭を抱えます。
これは、何人お連れしても、何度お連れしても、いつもいつも考えさせられます。
そして、お連れした方以上に、自分自身が教えを学ぶことになる訳です。
分かってから伝えるのではなく、伝えようとするから解って来るのだなぁと、いつも痛感します。

またある時、別席にお連れした方に、「おぢばがえり」という言葉を掛けると、不思議と、キラキラした目で反応されました。
この方は、小学生の頃、同級生達が皆、夏休みには「こどもおぢばがえり」に参加していて、夏休み明けは「こどもおぢばがえり」の話で持ち切りだった。けれども、自分は親に反対されて参加できず、いつも寂しい想いをしていたとのことでした。
それこそ、子どもの頃に蒔かれていた種が、二十年経って芽生えた姿だったのだと思います。蒔いたはずの教会の方は、彼の事をまったく知らないだろうにです。

さて、この方がようぼくになられ、おさづけ拝戴のお運びを終えられた帰り道、別席の話を聴く度に、熊木杏里(くまきあんり)さんの「誕生日」という歌を思い出したと教えて下さいました。
「かんさい情報ネットten.『めばえ』のテーマソング」ですので、ご存知の方も多いかと思いますが、私はその時初めて知りました。
歌詞の一部を紹介しますと、



ああ、確かに、この道の教えにリンクするものだなぁと思いました。
この方を別席にお連れしていなければ、私は今も、この曲を知らないかも知れません。

人に教えを伝えるというのは、つくづく、自分が教えて貰う機会を増やすことなんだなぁと思います。
もちろん、教えを伝えるのは簡単なことではなく、なかなか伝わらないもどかしさ、芽生えを目の当たりにできないツラさ、また失敗して後悔する情けなさ。
色んな感情も生みます。

しかし、転ぶのは、歩いたからです。
転んだ分だけ、失敗した分だけ、教えが深く自分の心に根差し、自分自身がたすかって行きます。
間違いなく。

年祭活動の第一年目は、種まきの旬です。
生えるか生えないか、成功するか失敗するか、そんなことは、蒔いた本人にとって、一番良いように、神様が導いて下さいます。
大切なのは、蒔くか、蒔かないか、です。

おさしづに、
一年で蒔いた種が、一年で生える。二年で蒔いた種が、二年で生えるのもある。又蒔いた種が生えんのもある。なれど一旦蒔いたる種は、どうでもこうでも生やさにゃならん。生えんという理は無い。どんな事も談示したとて、聞く者は無い。残念。相談する人も無し、掛かり掛けた道どうなろうと、残念々々の道も越して来た。涙をこぼして越した日もある。種を蒔いたから今日の日や。広い地所があっても種を蒔かねば草山や。草山は草山の値打ち。(明治二十四年一月二十八日 夜八時半 刻限)

とお教え下さいます。
私達は、すでに、誰かに蒔いて貰った種を胸に抱いています。
それを今度は、自分が蒔いていく。それによって、人もたすかるし、自分もたすかり、着実に、陽気ぐらしの世界が実現していきます。

胸に種を秘めているだけでは、花は咲きません。

残り千日の旬に、盛大、蒔かせて頂きましょう。

ご清聴ありがとうございました。
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posted by 朱夏 at 15:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ひとことのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする