天理教校論叢 第十二号
昭和四十八年九月
おさしづに見る教会像
上垣敬一(天理教大今里分教会・三代会長)
目次
序論第一章 教会以前第二章 存命の教祖と教会設置第三章 地方教会の設置第四章 教会の主要素と意義結論第四章 教会の主要素と意義
教会の意義を「おさしづ」を通して見る時、膨大な「おさしづ」を解明してゆく一つの方法がある。それは「おさしづ」に表記された「教会」と言う語句を手がかりとして、取り扱っていく仕方である(1)。
「おさしづ」に「教会」という語句が用いられていること、およそ五十二件、九十一回に及んでいる。その内訳けは、天理教会6回・教会42回・教会の理3回・教会事情3回・教会普請1回・教会規約1回・教会本部1回・分教会19回・支教会15回である。
これらの語句の出て来るおさしづを、表記すると付表Iのようになる(2)。
これらの「おさしづ」を検討すると、次のように分類できる
A 全体的包括的な意味での教会。
B 教会本部。
C 地方教会。
D その他(建物や一般的意味での教会)。
この内Dについては、本論の必要とする所でないので割愛する(3)。
A・B・C各々の用語例について見るならば、教会の主要素は明瞭となるであろう。
それらの主要素を鍵として、教会の意義を考えていきたいと思うのである。
(付表1)

A
先ず、全体的包括的な意味での教会であるが、それらの記載されているおさしづを列挙すると、(おさしづの頭の数字は付表I参照)
〔1〕明治二十二年一月十五日 本席御障りに付再度伺(4)
〔2〕明治二十二年四月十八日 刻限御話
〔4〕明治二十三年四月十八日 本席御障りにつき御願
〔7〕明治二十三年七月七日 前おさしづに基き願(5)
〔11〕明治二十四年七月二十三日 本席身上御障りにつき御願
〔12〕明治二十五年一月十三日 前夜おさしづに基き本席一条の件願
〔39〕明治三十一年十月一日 前日刻のおさしづに付、本部員々々々事情押して願
〔44〕明治三十二年五月三十日 五月二十日本局大祭に付教長御上京に相成り大祭仕舞いし後、管長稲葉正善及び野田幹事より教長に向い天理教会の従来本局のため尽力の廉により、目下の時機として一派独立の恩命ありしに付、帰部の上教長心得として事情詳しく申し上げ御願(上京随行員清水与之助、永尾楢次郎)
である。
これらのおさしづを検討してゆくと、全体的包括的な意味での教会が、一つのおさしづの中に、同時に全く相反する二つの要素を持っている事がうかがえる。
それは、まず第一に
〔2〕さあ/\天理教会やと言うてこちらにも始め出した。応法世界の道、これは一寸の始め出し。
〔4〕教会事情。又一つの万事取り扱い事情は、世上一つの事情を以て一つ通る。
〔7〕第一道理上運んで置かねばならん。この理取り損いするからどんならん。この道から教会はあろうまい。
〔11〕人気々々、世界々々、誰々天理教会には押し手は無い。事情は皆世界で集まりたる処。
〔12〕教会々々と言うて居るのは、世上一寸始め掛けた道。
〔39〕教会の理、神一条の理とは言えん。世界の理。
〔44〕まあ一つ教会と言うて、順序世上世界の理に許し置いたる処……始め掛けという、越すに越せんから世上の理として許したる処。
と言う部分であり、天理教と言うのは「応法世界の道」であり、「世上世界の理」に許されたものであると述べられている。この事は「神一条とは言えん。世界の理」であって「応法」のものなのである。では、「応法の理」とは如何なるものであるのか。
応法というは、どういう事と思うやろ。この道という元々願うてどうするのやない、頼んでするのやない、と、古い諭にもしてある。成らん処、余儀無くほんの腰掛けという理に許したる。これから思やんすれば、応法という理は分かるやろう。(明治32・7・7)
と言われる事からも、これは願い出てどうこうしてくれと言うものでなく、世上世界から自然と出来てくるもので、対社会的な意から、余儀なく、一時的過渡的なものとして許されるものであると考えられる。故にこれを外的要素(6)と考えるのである。
次に、
〔2〕神一条の道は、これから始め掛け。元一つの理というは、今の一時と思うなよ。今までに伝えた話、かんろだいと言うて口説き口説き詰めたる。
〔4〕内々事情は、人間心の道とは更に何かの事情を持たずして、心胆真実の理を教会事情。
〔11〕これで盛大や/\と思う心が間違う。……だん/\道のためたすけ一条のため通りたら分かるやろう。後々の道を思うてみよ。…神一条より外の道は通れようまい。
〔44〕どうでもこうでも世上の理に結んであるからと言うて、世上の理ばかり用いてはならんで。……尚々元々紋型無き処より始め掛けた一つの理を以て、万事括り方治め方結び方という。……ぢば始めた理というは容易やないで。世上世界の理と一つに成ってはならん。
と言われている部分で、それは「神一条」「たすけ一条」「心胆真実」「ぢば始めた理」と言う言葉で示されている如く、それは世上世界から付けられた「応法の理」とは全く相反するものである。これを内的要素(7)と考えるのである。
では、何故同一のおさしづの中に、全く相反する意味の事が述べられているのであろうか。その点を前述のおさしづの代表的なものを掲げて考察してみよう。
〔2〕一つのこうのう始め掛けたら、よう聞いて置け。何処にどういう道が始まるとも分からん。さあ/\天理教会やと言うてこちらにも始めだした。応法世界の道、これは一寸の始め出し。神一条の道は、これから始め掛け。元一つの理というは、今の一時と思うなよ。今までに伝えた話、かんろだいと言うて口説き口説き詰めたる。さあ/\これよりは速やか道から、今んまにかんろだいを建てにゃならん、建てんならんという道が今にあるという。
これを検討する時、思い起こされるのが、教会本部設置当時の状況である。それを踏まえてこれを解釈すると、このおさしづは、効能の理を受けたらなよく聞いておけ、どこからどういう道が始まってくるとも分からんで。さあさあ天理教会と言うて応法世界の道として教会を設置したが、これによって一寸始め出したまでで、この事から神一条の道を世界に広めて行くのである。この元一つ、教祖の御苦労からついたこの道は、今一時のものであるとは決して思ってはならない。今までかんろだいが取り払われて残念々々と口説きつめて来たけれども。さあこれから往還道に出て、公然と布教が許されるようになったのであるから、今にぢばの理が世界に伝わり、かんろだいを建てねばならん日が来るで。という親神の意図がうかがえる。
又、本教の一派独立の出願の時にしても、
〔44〕まあ一つ教会と言うて、順序世上世界の理に許し置いたる処、どうでもこうでも世上の理に結んであるからと言うて、世上の理ばかり用いてはならんで。尋ねる事情は、遅い早いは言わん。世上という、世界の理から順序運んで事情独立という。事情は世界の理に結んでも、尚々元々紋型無き処より始め掛けた一つの理を以て、万事括り方治め方結び方という。この理一つが道の理である程に。始め掛けという、越すに越せんから世上の理として許したる処、……ぢば始めた理というは容易やないで。世上世界の理と一つに成ってはならん。治め方は日々諭する理にある程に。
と仰せられ、独立運動開始の当初に、神一条の道の理と、世上世界の理との相入れない相違を述べ、その軽重を「事情は世界の理に結んでも、尚々元々紋型無き処より始め掛けた一つの理を以て、万事括り方治め方結び方という。この理一つが道の理である程に」と、本末の順序を戒められている。
この事から、全体的包括的な意味での天理教会は、世界人類の救済を急ぐ親神の意図的配慮から「世界の処こうして居られん。同じ理や、連れて通ろう」(明治21・3・9)とて、対社会的な面で応法という世上世界の道をとって設置されたと思われる要素と(これを外的要素と考えるのであるが)、その内面に込められた、世界人類の救済の為のたすけ一条の道と、神一条の理の伝達と、人類の究極の目的たる陽気ぐらしの世界建設への親神の真意とを、より早く、より広く知らしめようとて設置されたと思われる要素(内的要素)の両面の要素を備えていると考えられるのである。
しかしながら、外的要素を全く排除されようとするのではなく、あくまでも応法の理としての外的要素の中で、本来的な救済活動を進めようと言う親神の意図が存していると推測されるのである(8)。
そして、この社会での立場、教会組織を通して積極的に親神の救済活動の発展拡張を図られつつ、教会の建物や、教会の維持運営とかいろいろの社会的評価に重きをおこうとする傾向に流れやすい教会組織上の誤謬を戒められ、世俗的な制約や誤謬に動かされず、その中で「たすけ一条」に徹し、元々紋型ない処より始められた「神一条」の理をもって治めていくよう、又「ぢば」の理を立て、陽気ぐらし世界建設に邁進せよと教示されていると思われる。
B
次に、教会本部としての教会であるが、それらの記載されているおさしづを列挙すると、
〔23〕明治二十八年五月十九日陸軍仰兵部より、軍資献納に付明細書差し出す儀通知有之に付、如何致して宜しきや願
前以て献金。誰名前にして、名前無くしては出せず、教会は一つの元として、理を出した中には、蔭でなあ蔭でなあ。 疑い心というは、世界でいろ/\細こうして、一つの理を運ぶがよかろう。
〔28〕明治二十九年三月二十四日刻限(教祖十年祭の後にて別席四五千人程もあり本席五六百人もある時、七日間本席休みになりし時の事情)
ロというは二つも三つも無い。早うにも言うたる。一寸掛かりに教会という。あちらにも本部や、こちらにも本部や本部や。偽や/\、本部や/\と言うたる。なれど、これも今ではよう/\一つの理に集まりたるやろ。
〔29〕明治二十九年四月九日増野いと,身上居所の願
同じ何人中、この教会やしき中、十人居れば十人、二十人居れば二十人、三十人居れば三十人、どんな者も区域隔て無い隔て無い/\。こうもして貰わにゃならん/\。一名放って置く事出けん。七十五人の中の一人よう聞き分け。
〔33〕明治三十一年三月二十八日前日おさしづにより教長へ御伺い申し上げ、その趣きは婦人会の処何か区域を立てゝ何とか名前付けますものやという願
女であれど、公然思うての気休みの理と言えん。教会本部役員という理は、これは一寸なろうまい/\。なれど、同様の心は内々の心にある。めんめんの胸にあろう(9)。
である。
これら教会本部を表わしているおさしづにも、前述のAと同じように、外的要素と、内的要素とを指していると思われる要素がある。
先ず、外的要素を指す部分は、
〔28〕一寸掛かりに教会という。あちらにも本部や、こちらにも本部や/\。偽や/\。
と言う如く、教会本部が設置された当初、あちらが本部なのか、やれ仮の本部や、真の本部などと言っていた事を述べ、「ぢば一つの理は、独り立ち出来てあるのやで。今一時の所を変えて」(明治21・3・9)応法の道を歩まれた事を示している部分である。
次に、内的要素を指す部分は、
〔23〕教会は一つの元として、理を出した中には
〔29〕この教会やしき中
〔33〕教会本部役員
と言われている部分で、教会本部は、後述する地方教会の元と言われていると共に、「教会やしき中」「教会本部」と表記されている如く、おさしづに於て教会本部の理を述べられている場合、「教会」と言う言葉を単独で使うよりも、「やしき」「本部」の言葉で関連づけられている事がうかがえる(10)。
そこで、教会本部の内的要素を、この「やしき」「本部」の語を手掛りとして、考察すると、次のおさしづが伺える。
明治二十四年一月八日 井筒梅治郎息女二人同じ障りに付願
古い者は親ともいう。親の理が治まらん。どういうものである。古い程難しい。本部々々、本部々々の理を聞き分けたら、長らく年限の間、この年限から一つ所/\始め掛け。一っち古い所、をやの理失うにも失わん。このぢばは本部や。古きをやなれば十分の理が無ければならん。
このおさしづから「ぢば本部」やと言われている如く、又明治二十一年の教会設置運動の際にも、ぢばを離れてはならないとて、早急にぢばに移転するように指図された神の意図が明瞭となると共に、「教会本部の理」は、そのまま「ぢばの理」に移行させても何らさしつかえないと思われる。
「ぢばの理」は、
かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを 九-19
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや 十七-9
このたいがみなそろいさいしたならば どんな事をがかなハんでなし 十七-10
それゆへにかんろふたいをはじめたわ ほんもとなるのところなるのや 十七-36
こんな事はじめかけるとゆうのもな せかいぢううをたすけたいから 十七-37
と、「おふでさき」に示されている如く、この処に於て天理王命が世界人類を創造された源始地であり、又この因縁により旬刻限の到来をまちて、親神が教祖中山みきの口を通してこの世に具現された地である。従って「ぢば」は、世界人類を宿し込まれた証拠に、かんろだいがすえられるべき所であって、世界一列救済の根源であると教えられている。言いかえるならば、ぢばは世界人類創造の源始地であって、同時に、世界人類救済の源拠点である事を顕示されているのである。
かように、ぢばは本教信仰の中心であり、ぢばをはなれては道の信仰は成立せず「ぢばに天理王命の神名を授ける」と仰せられ、親神の久遠にとどまり給う所でもある。
それに、このぢばは、
ひのもとしよやしきのつとめの ばしよハよのもとや 三下り目-一
と「みかぐらうた」に教えられているように、「かぐらづとめ」を勤修する「つとめ場所」でもあり、この世界人類救済のかぐらづとめは、又、ぢば以外の所では許されていないのである(11)
次に「やしきの理」であるが、これも当然ぢばの理を包括するものである事はまぬがれないが、それらのおさしづを挙げると、
鏡やしきから打ち出す言葉は、天の言葉である程に。理を恐れず、あんな事言う、あんな事と思えば、あんな事になる。めん/\身上もあんな事になる程に/\。この一つの理を諭し置こう/\。(明治32・2・2)
と仰せられるように、教会本部は教義の発現の地であると考えられる。又、
鏡やしき濁ってあってどうもならん。鏡やしきは四方正面ともいう。少しぐらいこんな事ぐらいという理はむさくろしい。妬み合いという理が見て居られん。これで掃除は仕舞。(明治24・1・29)
やしきの中というは、澄んで/\澄み切らねばならん。このやしきは、一人力で出けた道やない、道やあろまい。艱難から組み上げたる道。よう聞き分け。(明治33・10・16)
と示されている事からも、教会本部は、澄みきったきれいなやしきとして、人々の心は常に浄化されていなければならないのである。
そして、又、この鏡やしきの理に、存命の教祖が、日々見ぬき見通しの理をもって、御守護下され、たすけ一条のさづけの理を授けて下さるのである。
さあ/\これまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで。日々の道を見て思やんしてくれねばならん。(明治23・3・17)
以上の事から、
ぢば証拠人間始めた一つの事情、かんろうだい一つの証拠雛形を拵え。今一時影だけのものと言うて居るだけでならんから、万分の一を以って、世界ほんの一寸細道を付け掛けた。(明治30・7・14)
と、おさしづに示されているように、教会本部と言うものは、外的要素としては応法世界の理に許されたものでありながら、内的要素としては、人間の誕生と救済の根源としての「ぢば」を離れては存続しないものであると教えられている。そして、それはぢば一つに限られ、存命の教祖のおしずまり給う鋭やしきとしての澄みきった理の中に、教義の発現の地として、又、かんろだいの建設せられる所であり、人類救済の根源としてのつとめ場所でもあると考える。
C
最後に、地方教会であるが、これらを指すおさしづは極めて多く、ここに列挙するのはひかえ、日付だけを記すと、左記の如くである。
〔3〕明治二十二年八月五日
〔6〕明治二十三年六月二十一日
〔8〕明治二十四年二月十七日
〔9〕明治二十四年四月十八日
〔10〕明治二十四年五月九日
〔13〕明治二十五年七月二十五日
〔14〕明治二十五年七月二十七日
〔15〕明治二十五年八月三十一日
〔18〕明治二十六年八月四日
〔19〕明治二十七年九月二十六日
〔20〕明治二十七年十二月十四日
〔21〕明治二十八年一月十四日
〔22〕明治二十八年三月四日
〔26〕明治二十八年十月十九日
〔27〕明治二十九年二月十八日
〔30〕明治三十年七月十四日
〔31〕明治三十年八月二日
〔32〕明治三十年十二月三十日
〔33〕明治三十一年三月二十八日
〔35〕明治三十一年四月十三日
〔36〕明治三十一年六月十三日
〔37〕明治三十一年六月二十日
〔38〕明治三十一年七月二十五日
〔40〕明治三十一年十一月四日
〔41〕明治三十一年十一月十三日
〔42〕明治三十二年二月二十四日
〔43〕明治三十二年五月一日
〔46〕明治三十二年十一月十五日
〔47〕明治三十三年五月十九日
〔48〕明治三十三年十月四日
〔49〕明治三十三年十月十六日
〔50〕明治三十三年十月三十一日
〔51〕明治三十九年十二月十三日
これらのおさしづからもやはり、以前と同じく、外的要素と、内的要素に分けられる。(12)
外的要素を示すのは、
〔8〕今仮の所、仮の場所教会や/\世上の理を治め難くい。通れんから治めてある。銘々どうがよかろう、心祀り、心祀りの事情に治めにゃならん。
〔14〕一時十分と思うであろ。世上とも言うであろ。なれど、教会という分かれというは……。
〔18〕さあ/\所には皆これ一寸々々の仮印を置いてある。それより始め掛けて皆心だけ尽くさにゃならん。一寸仮印置いてある。
〔30〕天理教会と言うて、国々所々印を下ろしたる。年限経つばかりでは楽しみ無いから、一時道を始め付けたる。神一条の道からは、万分の一の道を付けたのやで。
と言われている部分であり、ここに於ても、教会というものは、世上の理からやむなく設置された応法のものであると言われている。
しかしながら、応法の理ばかりではなく、そこには必然的に内的要素としての、神一条の理という要素は決して失われてはいないと述べられているのである。
その内的要素とは、地方教会に於ける場合如何なるものなのであろうか、それは次の三つの点をあげる事が出来る。
先ず第一に、
〔3〕実を聞き分け尋ねるから聞かそ。今一時どちら分教会支教会、前々の理には、元をや一つの改心出来れば、をやの理さえ守るなら一つの理でする。
〔9〕元一つの理運ぶ処は十分の理受け取り、今一時どういう事情と思う処、元々成らん処を治めた処、又一つは分教会支教会という二つの理と思えども、元は一つ、初めは一つの理である。……支教会と言えば一時の道の治め方によって支教会とも言う。なれど一つの理は分教会と言う。一つの理深きの理と言う。どちらも若い、こちらも若い。どちらもをやという理。をやの理を以て忘れてはならん。何よの理も治まる。
〔13〕支教会や支教会、分教会を題として、支教会出張所と言う。つゝまる処、一人とも言うであろ。
〔15〕一人二人の理で建て、田の中へしょんぼりと建て、席の十分見る処一つの理である。国々それ/\事情、教会や支教会や、派出所や/\日々尋ね掛けて、その中に一つのしんどと言うてあろ。一事万事、一つよう聞き分けくれ。世上国々一つ治まり、一つの理であろ。ぢばへ立ち帰り、一つの事情。
〔22〕さあ/\それはどうも別段という理下ろし難くい。めん/\こうしてやれば先々深くいつ/\まで、一寸一寸長く引い張る者もある。そこで分けてやる者に、心に委せにゃなろまい。
分教会々々々幾つ理ある。直轄という理ある。分けてやれば同じ理。皆心という理ある。そこで談じやいの上定めてくれ。こちらからどうしてやると言うた処が、心という理あるによって。
〔38〕さあ/\まあ分教会と言えば、幾分教会も同じ一つの順序。ぢばという。多分の分教会や。信徒一つ元から信徒の理を筆取りて寄せ/\、一つ内も外も隔て無い理。修理肥はどういうもの。世界から修理肥を出すか。修理肥を出すは元にある。
〔42〕あちらにも分教会、こちらにも支教会、出張所、布教所、順序理という。一つ元ありて先々というは、皆集いて/\今の日。
〔49〕人間勝手々々こらならん。もう行く所あろか。思案してみよ。親分教会何ぼあるぞ/\。支教会出張所、一つ派出所という。親という。親兄という、何時でも仕掛けたる。
〔51〕本部という理あって他に教会の理同じ息一つのもの。この一つの心治めにや天が働き出来ん。
と言われる如く、地方教会というものは、ぢばの理・をやの理を基礎として、許されるものであり、ぢばの理を戴いてこそ、そこに教会の生命があり、ぢばからはなれては教会の理は存在しないのである。言いかえれば、教会本部は木の元であり根であって、地方教会は、その幹であり、校なのである。故に本教に於て、ぢばの理を戴かない、独立した単独の地方教会と一言うものは存しないのである。そして、その心というものは常に、世界人類放済の根源としてのぢば一つの理に、又紋型ない処から世界人類救済の為に御苦労せられ、今なお存命のまま、元のやしきに居ます教祖御一人に心を結び、ぢばから距離的には雌れていても、その心に隔りがあってはならないと教えられている。
第二に、
〔10〕心一つ運ぶ。心一つ教会重々運ぶ。一度に分かろまい。どんなもの、こんなもの、たすけ一条旬々の理と理がある。
〔33〕たすけ/\という、皆たすけ一つの理から出たものであるあちらでもこちらでも、所々名称という、教会という/\一時に出けたものやない。元暗がり/\から通りて居れば、苦労したのも同じ事。
〔36〕今の教会は小さいものや。細こい小石は教会の役員一同、さづけ人衆一同、潔う降るというは、一同に日々の働き潔う潔う/\。楽しみやで/\/\。
とて、教会というものは、たすけ一条の理から設置されたものであり、その構成員もおのずと、おたすけ人による事を仰せられている。
それは、前述の教会本部を人類放済の根源とするならば、地方教会というものは、その理を岐けられた、すなわち、救済の地方的な親神の働き場所であり、只形さえ出来ればよいとか、金や人によってつくるのでもなく、元くらがりの道中から、苦労艱難の年限をつんでこそ、そこに教会の理があるのである。
〔41〕どれだけ頼り、一人ぐらい一人の道理で出来るものやない。中年限相応の理から教会と一言うであろう。
即ち、教会は神一条の理をはこび、たすけ一条の仕事場として、たすけ一条につとめきらして頂かねばならぬのであって教会の経営とか、いろい方法手段をもって、人間一条の道を通るような事があってはならないのであると教示されていると思われる。
第三に、地方教会と言うものは、次のおさしづが示すように、「名称の理」と言うものが下ろされているのである。
〔31〕あちらにも信徒こちらにも信徒と言う。教会や出張所と言う。名称下りたる理、何処から出たるか。これ、聞き分けたら分かる。
〔33〕所々名称という、教会という/\。
〔43〕あちらでもこちらでも治め方や。教会名称印、これも一時に出けたものやない。
〔50〕国々名称の理を下ろしてある。教会々々、一名称々々々、芯という者あろう。
では、この「名称の理」とは如何なる事を表すのであろうか。「名称」という言葉は、おさしづの中で、三十三件、四十三会用いられている。(13)そして、それは、(おさしづの頭のイロハは、註13、参照)
〔ニ〕国々所々道治め掛けたる。早く一つの理を治めてくれ……名称一つの理を許してある。
〔ト〕道に使う理を聞き分け。所には名称下ろしたる。
〔ク〕皆所々に名称下ろすまでは、容易でなかったなかった/\。
〔フ〕所々名称名を下ろし、だんだんの道も伝えたる。
と示されている如く、「名称」という言葉は、単なる「呼び名」と言う意味を指すにとどまらず、いわんや「名所(14))」との意でもなく、親神の意図によって設置された教会、特に「国々所々」「土地所」に於ける地方教会を指す言葉であると思われる。
そこで重複するかも知れないが、教会の内的要素というものを、この名称の理から分析してみると、先ず名祢とは、
〔ト〕所には名称下ろしたる。……元という、ぢばというは、世界もう一つと無いもの、思えば思う程深き理。古いもの埋れてあるというは、よう聞き分け。人間の心では分からん。
〔ネ〕この道は外に無いで。さああちらもこちらも名称という。元一人から始め掛けたる道である。
〔ノ〕国々所々名称々々、取締あろ。何よこうと思えばこう、こうと思えばその一つの元から、よく改めにゃならん。
という言葉でもって、名称というものは、国々所々に名を下ろされたものであって、その元というのは、ぢばから許されるものであり、「一人歩き出けると思うてはならん」(明治33・9・14)とて、ぢばを離れて単独のものとして存するものではないと言うことを教示されている。そして、
〔リ〕国々それ/\名称々々の理を下ろし、言えば道の辻々ともいう。十分の理ともいう。
〔ル〕先々名称あちらこちら、旅をした時に休みするようなもの。
と、「道の辻々」「旅の休所」と言うような言葉で、ぢばを離れた各地方に於ける、その土地所の道標であり、そしてそれは、
〔ツ〕一つ所に何も紋型無き所あるというは、心の理集まる印、たゝ゛これから教祖存命という一つ始めた言葉の理、一条の道より無い。
と仰せられ、全く紋型もない所から難儀苦労してやっと人々の心が寄り集まって出来てきたものであり、救済のをや、ひながたのをやとしての教祖存命の理を心に治め、土地所における「たすけ一条」の拠点となるべき所に於て、許されるものなのである。
〔ヲ〕この元ぢばという、世界々々所々始め、何も一度で始めたんでない。一人から一つ/\始め。先は言わいでも理が分かりある。所々と言うてこの道掛かり、よう思うてみよ。……元という、前一つ、あちらから一人事情、こちらから一人事情、たすけ/\という、皆たすけ一つの理から出たものである。あちらでもこちらでも、所々名称という、教会という/\。一時に出けたものやない。元暗がり/\から通りて居れば、苦労したのも同じ事。
そして、ここに許された名称の理というものは、
〔タ〕さあ所という、前々所に一つ名称始め掛けた事情、年限経てど、これは末代の理。
と言われる如く、末代の理であって、世界応法の道から「余儀無くほんの腰掛けという理に」(明治32・7・7)許されたものではない。その事は次のおさしづが良く表わしている。
明治三十一年四月二十六日 中河部内摂陽支教会却下に付移転事情願(本部の御許し相成り、三四度地方庁不認可に付、この度若江支教会を摂陽支教会の御許し有之、林九右衛門の宅へ移転の相談成りしに付、右摂陽支教会は如何様に致しますか、取り消し下さるか又は後々の心得御座ります故御願)
……そこで二つ一つとは成らん。二つ一つとは成らん。どうでもこうでも下ろした理は立てにゃならん。これよう聞き分け。日が足らん。日が足らんからそういう道理になる。二つ一つ取り消す事出けん。……
押して、摂陽支教会取り消す事出けんという処は分かりまして御座りますが、中河部内にこれまで名称御許し之無き新しき所へいかゝ゛で御座りますか。実は若江支教会は只今の処立つ事出けん故、外方へ移転さして御座りますがと願
さあ/\、所という、変わるという理はどういう理であろう。尋ねる処それは何処へなりとも。無き所なら同じ理。事情は、あちら事情こちら事情話し合いして、こうと言えば許し置いたる処、すっきり取り消して了う事出けん。なれど、所変わる。どうしたらよかろう、そら相談の上運ばにゃならん。
と仰せられ、一度お許し下された名称の理というものは、合併して一つを取消すような事も出来ない。たとえ今は有名無実のものであっても、その名称の理を立てるなら、必ず道は立ってくると仰せられているのである。
そして、又、
〔イ〕名称あれば主がある。名称あれば主がある。
とて、名称には、その中心になる者、即ち教会長と言うべき芯があり、その者の心から治めてくれねばならんとて、
〔へ〕義理という顔という理を以て掛かればどうもならん。……神一条の理と人間と/\の理をよう聞き分け。人間の理を病んで神の理を欠いてはならんという。
〔ト〕そも/\から治まらん。一つの芯が元である。芯が狂うから、間違う。間違うから治まらん。
〔リ〕竜頭が濁れば、辻々は一時にどないになるやら知れんで。……人間心の理から世界の曇りとなる。
と仰せられ、名称の芯となる者の精神の有り方を、そして、その心は神一条の理に徹し、人間の理を使つてはならんと教えられる。又、会長の理だけでなく、その構成員たる者についても、
〔イ〕心に安心成って、所にたんのうの事情、たった一つの所から、始まった理が治まる。皆んな一つの心が治まる、……談示一つの処に委す。なれどもたんのうの道、治まるの理はたんのうより無いで。
〔チ〕心に曇り跨がりの理ありてはならん。日々互い/\の心を集めてくれるよう。
〔タ〕所を所、それ/\の心というものは寄って成り立った道中に、どうよこうよの理もある。なれど誠より残る理は無い。残る理は将来末代の種という。
〔ソ〕教会名称印、これも一時に出けたものやない。……あちらこちら、一手一つの理にならんにゃ心が幾筋出て、芽又芽この芽を欠かんよう、一芽数々、道の元随分芽を欠かんよう。芽から実がのる。種という根にある。
とて、皆々の心を一手一つに治め、
〔ナ〕運び合うて繋ぎ合うて、陽気の心治めるなら。
〔フ〕勇む心というは道である。そこで早く皆々心に合わせて満足を与えにゃならん。
とて、単に、一手一つに心を繋ぎ合うにとどまらず、その中には、おのずと陽気に勇みあった心遣いにならなければならないと教えられている。
以上の事から地方教会と言うものは、外的要素としては、応法の理として許されたものであり、内的要素としては、ぢばの理の岐かれた所であり、親神の救済活動の場として、神一条、たすけ一条の活動の拠点である。即ち、人々を親神に導き、その救済にあずからせる「つとめ」と「布教伝道」の場であると思われる。そこに於ては、教会長を芯として、寄り集まる多くの人々が、神一条の理に徹し、たすけ一条にはげみ、一手一つに心を繋ぎ合う中に、陽気に勇みあい地方に於ける「陽気ぐらし」の道場としてのひながたの場に許される末代の理としての名称の理(15)があるのである。
以上の事から、教会の要素というものを整理すると、
(附表U)

全体的包括的な意味での教会というものは、外的要素としての応法の理と、内的要素としてのたすけ一条・神一条とを通しての陽気ぐらし世界建設を目的とする二面を備えている。そして教会本部にあっても、地方教会にあってもその概要は同様であることは言うまでもないが、付表Uの示す如く、教会本部は根源的・一箇的なものであるのに対し、地方教会は遍在的・具体的な親神の救済活動の場であると思われる。
注(1) この方法は決して万全とは言えないかも知れない。しかし、全く白紙の状態で教会を見る事にもなるし、前述のことから、教会が親神の意志により具体的に設置されている以上、その要素を取り出すには便利であり、単に個々のおさしづを引き出すより包括的に捕えられるのではないか。
本論中でも、おさしづの性絡を曲げないように、出来るだけその割書を手がかりとして、全文を検討し、又随時明確なる教会事情のおさしづも挿入し万全を期したい。
(2) 以後、引用の際には、おさしづの日付を記さずに、この表の頭の数字を用いる。
(3) これらの、おさしづをあげると、
〔5〕明治二十三年四月二十日 刻限御話
三年四年後なる道は通り難くい道であったであろう。通りたる道は道理上、道は一つに寄せてある。教会は多分にある。遠くから始まりた道である。
〔7〕明治二十三年七月七日 前おさしづに基き願
規約々々という、教会規約一時速び切って出したる限りは治めにゃ。その道変えて皆めん/\で、めん/\に抜けられぬように道を拵える。
〔16〕明治二十六年四月二十七日 昨日本附身上御障りは如何なる事にや願
さあ/\分かろまい/\。一席三点と諭したる。これが皆同し一つ理、一点二点三点五点一つ理。一点と言う、数々三点五点と言う。教会は教会、これ一点。
〔17〕明治二十六年五月十六日 日々本席に教会の願段々つかえます故、御許し相成りた上は地方庁へ出願なり御勤の鳴物なり御紋の処は添物のように心得ますから、これを神様へ願わずして運ばして下されますや、是非御願い申さずば成りませんや願
一戸普請と、教会普請、末代治まる理と、大変低き理と、高き理とある。よう聞き分け。何かならんと言わん。運んでこうと言うや治めてやる。
〔24〕明治二十八年八月十日 東分教会の治め方の願
治め居る間は道のため世界のため、ほんに成程現われる。教会の事情判然せん。いかなるも論し、その事情から治まるであろ。
〔25〕明治二十八年九月二十七日 本席御身上腹痛み治まり、又本日右の足痛みに付願
願いしょ、所々治まる。所地所という、これならという、教会地所なら許す。地所買い入れという。よう聞き分け。今の処済んだ。
〔45〕明治三十二年七月二十三日天理教独立願書に添付する教会起源及び沿革、教祖履歴、教義の大要に付願
世上には何教会何派という。それも同じようなもの。それと同じむを持って居てはならん。よう聞き分け。真の道の理というは、めん/\心に治めてくれにゃならん。自然々々薄くなるようでは世界並同様の理になって了う。
〔52〕明治四十年五月三十日午後十時 本席身上又々激しく相成り、刻限の御諭
先の年限今という心になれば、どんな事も出来る。さあ/\教会と言うて建家始め掛けたる。今の在り形のようなもの。ほんの美しい成って、ほんまと言うたらかんろだいはすっきり雨打たしのものや。
以上であり、これらは、一般的名詞としての教会〔5〕〔45〕、教会の建物を示す〔17〕〔25〕〔52〕、その他〔7〕〔16〕〔24〕で、本論の教会の意義との関連がうすいと考えられる。
(4) これは、包括的な天理教会を指してはいるが、天理教会と出てくるのみで、具体的な要素を述べてはいないと思われるので以後論述しない。
(5) これは、おさづけの尊い理についておさとし下されたおさしづであり、医者や薬が要らんと言った事はない。医者の手余りを救けるのは誰も何とも言うまい。神の不思議な守護を知らず、世上ではいろいろに言うから医者にかけ、世上の理も運ぶようにと諭されたものである。
(6) 何故この「応法の理」を外的要素と言うかというと、それは世上世界から自然と出来て来るもので、我々の力でもってどうこうしうるものではなく、親神の意図のもとに、対社会的な要件から成就されるものであると考えるからである。
(7) 「内的要素」と言うのは、親神の積極的意図によって
設置された教会の内面に込められた要素で、前述の「外的要素」とは全く相入れないものであり、対社会と言うよりはむしろ、教会それ自体の有り方にかかわる内的な要素と考えられるからである。
(8) 神一条より外の道は通れようまい。(明治24年・7・23)
どうでもこうでも世上の理に結んであるからと言うて、世上の理ばかり用いてはならんで。(明治32・5・30」
と言われていることからも、もちろん外的要素より内的要素が教会の有り方として、より重要な意義をもつと思われる。
(9) これは、教会本部役員と表記されているが、内容は婦人会の事を述べられているのである。
(10) 実際、教会と言う言葉で表記されている中で、教会本部の要素を述べているのは、ごく少ない。それに代わる言葉は「ぢば」「やしき」「本部」であろう事は、第二章に述べた、教会本部が「ぢば」を離れてはならないと教示された事からも、十分推測しうる事である。
(11) 明治24・2・20のおさしづ参照。
(12) これらのおさしづを全部挙げて論述するのが当然であるが、あまりに数が多く、論が繁雑となるので代表的なものを載せるにとどめざるを得ない事を了解していただきたい。
(13) 「名称」という言葉の出て来るおさしづをあげると。
〔イ〕明治21・10・12 東京講社事件に付伺。
〔ロ〕明治22・5・12 分教会所開筵式に付、これまで本部へ尽力の方は黒衣下附して宜しきや伺。
〔ハ〕明治22・6・30 山名分教会先々説教所設置の願。
〔ニ〕明治27・1・11 刻限御話。
〔ホ〕明治27・6・13 高知部内石浜支教会へ他より邪魔人あるに付願。
〔へ〕明治28・9・15 中河分教会事情願。
〔ト〕明治28・10・11 本席身上願。
〔チ〕明治29・12-18 平野トラにおさしづ。
〔リ〕明治30・2・1 松村吉太郎風邪引き、義孝口中悪しくに付願。
〔ヌ〕明治30・7・14 飯田岩治郎事情に付心得まで願。
〔ル〕明治30・8・2 飯田岩治郎事情に付願。
〔ヲ〕明治31・3・28 前日おさしづにより婦人会の名前付けますものやと願。
〔ワ〕明治31・11・4 増野正兵衛前おさしづより押して、尚身上願。
〔カ〕明治31・11・13 東分教会事情に付願。
〔ヨ〕明治32・2・4 金米糖の御供に付心得まで願。
〔タ〕明治32・2・18 土佐卯之助身上より前のおさしづを申し上げ願。
〔レ〕明治32・4・7 山田作治郎身上願。
〔ソ〕明治32・5・1 梅谷四郎兵衛顔に物出来身上願。
〔ツ〕明治32・10・5 刻限話。
〔ネ〕明治33・2・8 撫養分教会長譲る事情に付願。
〔ナ〕明治33・9・14 本席身上願。
〔ラ〕明治33・10・3 山田太良平身上願。
〔ム〕明治33・10・16 刻限のお話。
〔ウ〕明治33・10・20 高井つねおさしづより、本部員一同打ち揃うて願。
〔ヰ〕明治33・10・31 刻限御話。
〔ノ〕明治34・5・25 昼のおさしづを申し上げし時御話。
〔オ〕明治34・7・15 諸井国三郎腕障りに付願。
〔ク〕明治34・7・28 植田平一郎身上願。
〔ヤ〕明治34・9・16 周東支教会火難後心得の願。
〔マ〕明治34・9・28 永尾よしゑ過日より身上に付願。
〔ケ〕明治35・8・10 十教区取締員先々へ出張許し願。
〔フ〕明治36・5・23 事情願結了後御論。
〔コ〕明治37・12・17 寺田半兵術身上則。
以上である。
以後、引用の際には、おさしづの日付を記さずに、頭のイロハを用いる。
〔14〕 増野鼓雪著「教義研究 教会」『増野鼓雪全集』巻21、162頁によると、「神は教会に対して『めいしょ』と云ふ言葉を使用された。教会とは殆んど云って居られないのである。そこで此の『めいしょ』とは、名前である『名称』のことであるか、或は名高い場所としての『名所』であるか、何れの意味に用いられたものであるかは不明であるが、神本来の思想より云えば、『名所』の『めいしょ』でなくてはならないのである」。と述べているが、おさしづに表現されている「名称」は、「名所」と置き換えるのは好ましくないと考える。
(15) 「名称の理」は従来、「教会名称の理」(『天理教教典』90頁)と言われ、「教会」と並列的に用いられていたが、「名称の理」を検討してゆくと、より限定された意味、即ち、
地方教会の内的要素を指す場合に限られていると思われる。

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