2014年01月21日

おふでさき第五号

おふでさき第五号は、明治7年5月にお記し下さいました。
88首あり、教祖(おやさま)77歳の御時です。

おふでさき第五号では、人間の心遣いのあざなさと共に、世界たすけを急き込まれる親神様の親心が記されています。
また史実に関連した、「高山布教」へ取り掛かられる旨が記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第五号>
001 いまゝでハぎうばとゆうハまゝあれど あとさきしれた事ハあるまい
002 このたびハさきなる事を此よから しらしてをくでみにさハりみよ
003 このよふハいかほどハがみをもふても 神のりいふくこれハかなハん
004 めへ/\にハがみしやんハいらんもの 神がそれ/\みわけするぞや
005 一やしきをなじくらしているうちに 神もほとけもあるとをもへよ
006 これをみていかなものでもとくしんせ 善とあくとをわけてみせるで
007 このはなしみな一れつハしやんせよ をなじ心わさらにあるまい
008 をやこでもふう/\のなかもきよたいも みなめへ/\に心ちがうで
009 せかいぢうどこのものとハゆハんでな 心のほこりみにさハりつく
010 みのうちのなやむ事をばしやんして 神にもたれる心しやんせ
011 どのよふなむつかし事とゆうたとて 神のぢうよふはやくみせたい
012 いまゝでハ神のぢうよふしんぢつを しりたるものさらにないので
013 これからハいかなむつかしやまいでも 心したいになをらんでなし
014 しんぢつの心を神がうけとれば いかなぢうよふしてみせるてな
015 こらほどの神のしんぢつこのはなし そばなるものハはやくさとれよ
016 これさいかはやくさとりがついたなら なにゝついてもみなこのどふり

〜内容の区切りと思われる〜

017 けふまでハなによの事もせかねとも もふせきこむでをふくハんのみち
018 このみちハせかいなみとハをもうなよ これまつだいのこふきはぢまり
019 このにんぢうとこにあるとハゆハんでな みのうちさハりみなくるであろ
020 このさハりてびきいけんもりいふくも みなめへ/\にしやんしてみよ
021 このはなしなんとをもふてきいている かハいあまりてくどく事なり
022 どのよふにいけんりいふくゆうたとて これたすけんとさらにゆハんで
023 にんけんのハがこのいけんをもてみよ はらのたつのもかハいゆへから
024 しやんして心さためてついてこい すゑハたのもしみちがあるぞや
025 いまゝでハ心ちがいわありたとて ひがきたらんてみゆるしていた
026 このたびハなんでもかでもむねのうち そふちをするでみなしよちせよ
027 むねのうちそふぢをするとゆうのもな 神のをもハくふかくあるから
028 このそふぢすきやかしたてせん事に むねのしんぢつわかりないから
029 この心しんからわかりついたなら このよはぢまりてをつけるなり

〜内容の区切りと思われる〜

030 ちかみちもよくもこふまんないよふに たゞ一すぢのほんみちにでよ
031 このみちについたるならばいつまでも これにいほんのこふきなるのや
032 にほんにもこふきがでけた事ならば なんでもからをまゝにするなり
033 このよふをはぢめてからのしんぢつを またいまゝでハゆうた事なし
034 このはなしむつかし事であるけれど ゆハずにいればたれもしらんで
035 たん/\とどのよな事もゆてきかす 心しづめてしかときくなり
036 いまゝでハいかなるほふとゆうたとて もふこれからハほふハきかんで
037 これまてハゑださきにてわほふなぞと をしへてあれどさきをみていよ
038 にほんにハいまゝでなにもしらいでも これからさきのみちをたのしゆめ
039 ほふやとてたれがするとハをもうなよ このよ初た神のなす事
040 どのよふなむつかし事とゆうたとて 神がしんちつうけとりたなら
041 いまゝでハからやにほんとゆうたれど これからさきハにほんばかりや
042 ゑださきハをふきにみへてあかんもの かまへばをれるさきをみていよ
043 もとなるハちいさいよふでねがえらい とのよな事も元をしるなり
044 ぢつやとてほふがへらいとをもうなよ こゝろのまことこれがしんぢつ
045 にんけんハあざないものであるからに めづらし事をほふなぞとゆう
046 いまゝでハ神があらハれでたるとて まだしんぢつをしりたものなし
047 このさきハどのよな事もしんじつを をしへてをいた事であるなら
048 それからハ神のはらきなにもかも ぢうよじざいをしてみせるでな
049 しんぢつの神のはたらきしかけたら せかい一れつ心すみきる
050 はたらきもいかなる事とをもうかな 心うけとりしだいかやしを
051 このかやしなにの事やとをもうかな みちのりせんりへだてありても
052 この事ハなにをゆうてもをもふても うけとりしだいすぐにかやしを
053 このかやしなんの事やとをもうなよ せんあくともにみなかやすてな
054 よき事をゆうてもあしきをもふても そのまゝすくにかやす事なり
055 この事をみへきたならば一れつわ どんなものでもみなすみわたる

〜内容の区切りと思われる〜

056 けふの日ハなにがみへるやないけれど 八月をみよみなみへるでな
057 みへるのもなにの事やらしれまいな 高い山からをふくハんのみち
058 このみちをつけよふとてにしこしらへ そばなるものハなにもしらすに
059 このとこへよびにくるのもでゝくるも 神のをもハくあるからの事
060 この事をなにもしらすにそばなるハ せかいなみなる事をふもをて
061 なにゝてもせかいなみとハをもうなよ なにかめつらしみちがあるぞや
062 だん/\とこのよはぢめてひハたてど たれかしんぢつしりたものなし
063 いかほどに神の心わせゑたとて みなの心ハまたうゝかりと
064 はや/\としやんしてみてせきこめよ ねへほるもよふなんでしてでん
065 このよふのしんぢつねへのほりかたを しりたるものハさらにないので
066 このねへをしんぢつほりた事ならば ま事たのもしみちになるのに
067 このみちをほりきりとふりぬけたなら 上下ともに心いさむに
068 これからハなんでもせかい一れつを いさめるもよふばかりするそや

〜内容の区切りと思われる〜

069 だん/\となに事にてもにほんにハ しらん事をわないとゆうよに
070 なにもかもせかいぢうゝへをしへたい 神のをもわくふかくあるのに
071 それしらすせかいぢうゝハ一れつに なんどあぶなきよふにをもふて
072 とのよふな事でも神のゆう事や なんのあぶなき事があるそや
073 なにもかもよろづの事をだん/\と ゆうていながらわかりたるなし
074 これからハどふぞしんぢつむねのうち はやくすまするもよふしてくれ
075 せかいぢうをふくの人てあるからに これすまするがむつかしい事
076 いかほどにむつかし事とゆうたとて わが心よりしんちつをみよ
077 この心すむしわかりた事ならば そのまゝみゑる事であるなり
078 にち/\に神のしんぢつはたらきを しりたるものハさらにあるまい
079 なにゝても神のぢうよとゆうものハ めづらし事をしてみせるでな
080 とのよふなめつらし事とゆうたとて 神のする事なす事はかり
081 いまゝでハなによの事もしれなんだ 一寸みへかけたほそいみちすじ
082 このみちをだん/\しといいくならば なんてもむこにみへるほんみち
083 これまでにとふりてきたるみちすぢハ からもにほんもわかりないので
084 このさきハなんぼからやとゆうたとて にほんがまけるためしないそや
085 このよふのもとはじまりのねをほらそ ちからあるならほりきりてみよ
086 このねへをほりきりさいかしたるなら どのよなものもかなうものなし
087 しかときけくちでゆうてもをもふても どこでゆうてもをもふたるとて
088 そのまゝにかやしとゆうハこの事や 神がしりぞくみなしよちせよ

<おふでさき註釈>
一、これまでから牛馬に堕ちる、牛馬に堕ちると説く者もあるが、如何な者が牛馬に堕ちるか、又如何にして牛馬の道から救われるか、今日までに明らかに説き諭した事はないから、だれも知らないであろう。
註 ぎうばは、牛馬の生活、即ち畜生道の意。
二、この度は身に障りをつけて、来世の事をこの世から知らして置くから、現れている我が姿を見てよく反省せよ。
三、この世は親神の司る処であるから、どれ程我身思案で自己の利益ばかりを計っても、一旦親神の積るもどかしさが現れたならば如何とも致し方がない。
一〜四、総註以上四首の御歌は、おぢばの近村に住んでいた某女を実例としてお説き下さったものといい伝えられている。某女は邪けんな性質で、教祖様に数々の御恩を受けながら、お屋敷の前を通っても立寄る事さえしなかった。それ程であるから、人々に対してもむごい心遣いが多かった。教祖様は常にそばの人々に『報恩の道を知らぬ者は、牛馬に堕ちる。』とも『牛見たようなものになる。』とも仰せられた。果して、某女は明治七年から歩行かなわぬ病体となり、二十余年間いざりのような姿で家人の厄介になってこの世を終った。
五、一つの屋敷に同じく暮している者でも、その心は銘々に違っていて一様ではない。
六、各人々々の心遣いによって善と悪とを分けて見せるから、身の障りを  見てどんな者でも皆得心をせよ。
九、世の中の者はだれでも彼でも、銘々に心に積み重ねたほこりから、自然親神の手入となって身に障りがついて来るのである。
一〇、身の内の悩みは手引き道おせなのであるから、親神にもたれてその心に添うようよく思案するがよい。
一一、どんな重い身上事情の悩みでも心次第で救けるのであるから、この親神の自由自在の働きを早く見せたい。
一四、人間が真の心から親神にもたれ理にすがって救いを求めるならば、その心を見定めて如何な自由自在の守護もして見せようほどに。
一七、今日までは何よの事もそう急き立てはしなかったが、この度は時機が到来したから、いよいよ往還の道に出る事を急き立てる。
一八、この道はこれまでに有りふれた教えと同じように思うな。いついつまでも後の世に伝え行くたすけ一条の道の初まりである。
一九、この人衆は、何処そこのだれそれとはいわぬが、皆それぞれ身の障りによってぢばに引き寄せられて来るであろう。
二〇、身の内の障りというても、親神が道につけんが為めの手引きもあれば、又心得違いに対する訓戒もあり、立腹もあるから、皆銘々に早く思案するがよい。
二二、どのように意見をされ立腹を受けても、決して心を倒してはならぬ。親神は如何な難渋難病も救けぬとはいわぬ。皆救けてやり度いからのせき込みである。
二三、人間が我が子に対して意見をするのも同じ事である。腹を立てるのもその子の身を思い将来を思う我が子可愛い上からするので、決して憎む余りにするのではない。
二五、今までも人間に心得違いがなかったという訳ではないが、まだこの教を説き諭しても聴き分けるだけの成人が出来ておらず、説き聴かすべき時機が来ていなかった為に、今日まではそのままに見ゆるしていた。
二六、もうこの度は、どうでもこうでも人間の胸の中を隅から隅まで掃除するから、皆はこの事をよく承知しているがよい。
二七、人間の胸の中を掃除するというのも、親神の深い意図があるからの事である。
二八、この胸の中の掃除をして、心のほこりを取り除かぬ以上は、心の曇りの為に真実な親神の心が分らぬ。
二九、親神の心を真実に悟る事が出来るようになれば、この世初りの理を現したかんろだいづとめの手をつけよう。
三〇、功を急ぎ心を焦らして徒らに近道を求めたり、利に目がくらみ欲心を起したり、又高慢の心があっては、決して本当の往還道に出る事は出来ぬから、そのような心得違いにおちる事なく、唯一筋に真実の教に精進するがよい。
三一、こうしてたすけ一条の往還道に出たならば、これこそにほんに現れた親神の真実の教として、末代までも語り伝えられ、多くの人々を救ける手本ひながたの道となるのである。
註 こふきとは、後の世までも語り伝えられて、多くの人々を救ける元となる真実の教という意。
三二、人間創め出しのぢばのある所に一列たすけのこふきが出来たならば、それから先は次に親神の教の行わたるべき所へも、自由自在に親神の真意を説き及ぼして、思うがままに豊かな神恩に浴せしめるであろう。
三三、この世を創めてからこのかたいろ/\と心を尽した親神の真実を、今まではだれにも説き示した事はなかった。
三五、人間の成人につれて如何な事もいい聴かせるから、心鎮めてしっかりと聴くがよい。
三六、今までは、世の中にいろいろの法や術などが行われていたが、もうこれからはそのようなものはなくなってしまう。
三七、これまで枝先では法や術などというものを教えて置いたが、今後それ等のものがどれだけ力を示し得るか、将来を見ているがよい。
註 ゑださきは、今後親神の真実の教の行きわたる所をいう。
三八、法や術などは何も知らなくても、ぢばのある所には親神の真実の教があるから、それによって栄えて行く将来の道を楽しむがよい。
四一、今までは親神の教の先ず行きわたる所、次に行きわたる所と説き分けて来たが、今後は普く親神の教が行きわたって、世界一列は皆親神の真意を悟り、豊かな神恩に浴して陽気に勇んで暮すようになる。
四二、註 第三号八八〜九〇参照。次歌註参照。
四三、木の根元は枝先に比べてかさびくいが、木にとっては最も大切な所であるから、枝葉の事を明らかにするには、何でも先ずその根本を究めなければならぬ。
註 人間のちえや力のみに頼らず、親神の真意を悟るように、との御教示である。
四四、術や法というても、それに力があるのではなく、それを用いる者の心の誠真実、これが真の力となるのである。
四五、人間は浅はかな者であるから、少し変った事でもすると、直ぐ法や術やなどというてまどうてしまう。
四六、これまでも親神が自ら表へ現れて珍らしいたすけをしていたが、世間の人々は未だに法か術かのように思うて、真実の心の理によって救かるという事を知らない。
四七、四八、今後はどのような事でも真実を教えて置いた上で、何も彼も自由自在に親神の働きを現して見せよう。
五〇、親神の自由自在の働きといえば、どんな不思議な事をするのかと思うであろうが、親神は人間の真実の心を見定め、直ぐそれに応じてかやしをするのである。
五一、このかやしというても、どうしてかやすのであろうと、思うかも知れないが、たとい道のり千里、二千里隔ってあっても、親神が人間の心を見定め次第それにむくいるのである。
五二、この親神のかやしという事は、たとい口でいい心に思うた些細なものであっても、その言葉、その心を親神が受取り次、第直ぐにかやしをするのである。
五五、親神の自由自在のかやしが実現し、その道理が人々にわかって来たならば、何人も皆一様に天理を悟り自然に心澄みわたるようになる。
五六、五七、註明治七年陰暦十月、松尾市兵衛、中田儀右衛門の両名は、教祖様の命を受けて、大和神社の神職につき、天神地祇の御姿並に御守護を聞きに行った。時あたかも県下官幣大社の神職多数集合中であったが、大和神社の原某なる者、「神の姿などはかつて聞いた事はない。そんな愚説は庄屋敷の婆さんがいうのだろう。怪しからん話だ。何か証拠になるべきものがあるか。」と威丈高に詰問したので、松尾は『庄屋敷では親神の守護はかくの如く説くのである。』と教義書を出して弁ばくした。某は返えす言葉もなく遂には、ばり雑言するのみであった。居合せた神職の人々は、『記録に見えざる神名を称えるのは不都合であるから、これを弁難すべき要がある。石上神宮はその氏子の中にかかる異説を唱えさせるは取締不十分のそしりを免れない。よろしく石上神宮より取り調べすべきである。何れ取り調べに行くであろうからこの旨承知していよ。』との事であった。
果して石上神宮の神職五名弁難に来たが、教祖様のよどみない御教示にへき易し、その足で丹波市警察署に訴えた。この訴えにより警官がお屋敷に来て、無法にもつとめ場所のみす、幣、鏡、等を没収して村総代に預けて行った。
かくて同年陰暦十一月十五日には教祖様は中田、辻、白石畑の重兵衛等を従えて、山村御殿へ御出向き下された。
『高い山からをふくハんのみち』とは此の事実を仰せられたもので官憲即ちいわゆる高山へにをいがけせられる事を意味するのである。
五八、この往還の道をつけようとして、今日までにいろいろの準備を整えて来たのであるが、そばの者はそれが親神の深い意図からであるという事を知らずにいる。
五九、このぢばへ呼び出しに来るのも、取り調べに来るのも、皆親神の深い意図があって引寄せているのである。
六〇、この呼出しや取調べは、親神の深い意図から出ているという事を知らずに、そばの者は世間普通の出来事と同じように、拘留や取調べを心配したり不面目に思うたりしている。
六一、どんな事が起ろうとも、決して世間普通の出来事と同じように思うて心配も何もする事はいらぬ。それが一つの旬となって何か珍らしい道がついて来るのである。
六二、この世を創めて以来、永の年限経ってはいるが、だれ一人として親神の真実を知った者はない。
六三、如何程に親神が急いでも、皆の心がまだうっかりとして目覚めて来ない。
六四、速やかに親神の意のある処を思案して、その根本を悟る段取を何故して来ないか。さあ直ぐにもその段取に取掛かれ。
六五、この世の根本の真実即ち親神が此の世人間を創めた真実の程をどうしたならば悟れるか、その方法を知った者はなかった。
六六、もしこの根本の真実を真に悟った事ならば、まことに頼もしい道になるものを。
六七、この親神の教示する道をどこまでも親神の心に添うて通り切り勤め切ったならば、そこには上下ともどもに心の勇む陽気づくめの世界が現れて来る。
六八、これから先は何でも彼でも世界一列の人間の心を、勇める段取ばかりに取掛かる。
六九、だんだんと此の世の根本の真実を皆説き聞かせて親神の教の行きわたるところには何事でも知らぬというような事の無いように守護したいと思っている。
七〇、七一、どんな事でも世界中の人々に、教えて置きたいという親神の深い意図であるのに、それを知らないで、世界の人々は皆一様に、この親神の教をうそ偽りか何ぞのように思い疑い、何か危かしいもののように思うている。
七二、どのような事でも親神のいう事に、何一つうそ偽りや危っかしいものがあろうか。
七三、世間では何も彼も知り尽しているかのように、口先ではまことしやかにいうてはいるものの、その根本の真実を真に悟った者はない。
七四、この先はどうか速かに心のほこりを打ち払い、真実に胸の中を清く澄み切らせるように段取りして貰いたい。
七五、七六、世界中の人間は数多く、又いろいろの人があるから、これを全部澄ます事は容易な事ではないが、人々が各自に自分自身の心を澄まして親神の真実の心を悟り、これに添うようにつとめれば出来ない事はない。
七七、人間の心が澄み、悟りが開けて来たならば、自ら親神の真意も了解出来るようになってくる。
八一、今までは何事も分らなかったが、この度は教のしよ光があらわれ、だんだん親神の真実が分りかけてきた。
八二、心を澄ましてこの細道をだんだん慕うて行くならば、おのずから道が展けて往還に達することが出来る。
八三、これまでは親神がまだ真実の道を教えておかなかったから、人々の通って来た道筋を見ると、親神の教を知るも知らぬも区別のない、さっぱり順序も何も分らぬ暮しをしていたのである。
八四、今までは人間のちえや力のはびこっていた事もあったが、今後親神の教が行きわたってさえ来たならば、悲しみや苦しみは影をひそめてしまって、皆親神の意図通りの陽気ぐらしをするようになる。
註 第二号四七註、第三号八六註参照。
八五、この世の元初りの根本を了解させよう。力の限りやってみるがよい。
八六、この根本の理を悟りさえしたならば、どんな者でもこれにかなう者はない。
八七、しかと聴いて置け。口で言うても又心で思うただけでも、又どのような遠方で言おうが、見えない所で思おうが、親神は見抜き見通しであって、皆夫々に見分している。
八八、親神はその見分け通り、それに応じて如何なかやしもするが、若し人間が親神のいう事為す事に対して、とやこう疑うてみたり危んだりののしったりするようでは、親神もやはりその言葉通り思い通りに、そのかやしとして身の中の守護を止めてしまうが承知か。よくここを思案せねばならぬ。

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posted by 朱夏 at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月19日

おふでさき第四号。

おふでさき第四号は、明治7年4月にお記し下さいました。
134首あり、教祖(おやさま)77歳の御時です。

おふでさき第四号では、証拠守りを下附される旨が記されています。
また「元はじまり」について、おふでさきでは最初のお話が記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。




<おふでさき第四号>
001 いまのみちなんのみちやとをもている なにかわからんみちであれども
002 このさきハをふくハんみちがみへてある もふあこにあるこゝいきたなり
003 このひがらいつの事やとをもている 五月五日にたしかでゝくる
004 それよりもをかけはぢまるこれをみよ よるひるしれんよふになるぞや
005 たん/\と六月になる事ならば しよこまむりをするとをもへよ
006 それからハたん/\ふしんせきこんで なにかいそがし事になるなり
007 これからハ神の心ハにち/\に せきこみあるとをもいこそしれ
008 いかほどのをふくせきこみあるとても くちではなにもゆうでないぞや
009 このさきハをふくみへくる人ゞを はやくしらしてをことをもゑど
010 だん/\とめつらし人がみへてある たれがめへにもこれがみゑんか
011 これからのあとなるはなし山/\の みちをみていよめづらしきみち
012 をもしろやをふくの人があつまりて 天のあたゑとゆうてくるぞや
013 にち/\にみにさハりつくまたきたか 神のまちかねこれをしらすに
014 だん/\とつとめのにんぢうてがそろい これをあいつになにもでかける
015 にち/\の神の心わだん/\と 上の心にはやくみせたら
016 上たるわなにもしらずにとふぢんを したがう心これがをかしい
017 にち/\に神の心のせきこみハ とふぢんころりこれをまつなり
018 いまゝでのうしのさきみちをもてみよ 上たるところみなきをつけよ
019 これさいかみなみへきたる事ならば せかいの心みないさみくる
020 なにゝてもせかいの心いさむなら 神の心もみないさむなり

〜内容の区切りと思われる〜

021 けふの日ハいかなるみちとをもうかな めづらし事がみゑてくるぞや
022 だん/\になにかの事もみへてくる いかなるみちもみなたのしめよ
023 にち/\によふきづとめのてがつけば 神のたのしゆみいかほとの事
024 はや/\とつとめのにんぢうまちかねる そばな心わなにをふもうや
025 いかなるのやまいとゆうてないけれど みにさわりつく神のよふむき
026 よふむきもなにの事やら一寸しれん 神のをもわくやま/\の事
027 なにもかも神のをもハくなにゝても みなといたなら心いさむで
028 だん/\になにもをもハくときゝれば みのうちよりもすゝやかになる
029 またさきのよふきづとめをまちかねる なんの事ならかぐらつとめや
030 せかいぢうをふくの人であるけれど 神の心をしりたものなし
031 このたびハ神の心のしんぢつを なにかいさいをみなをしゑるで
032 なにゝても神一ちよをしりたなら からにまけそな事ハないぞや
033 このさきハからとにほんをすみやかに だん/\ハけるもよふばかりを
034 これさいかはやくわかりた事ならば 神のざんねんはれる事なり
035 しんぢつの神のざんねんはれたなら せかいの心みないさみでる
036 だん/\とせかいぢううをしんぢつに たすけるもよふはかりするぞや

〜内容の区切りと思われる〜

037 そのゝちハやまずしなすによハらすに 心したいにいつまでもいよ
038 またさきハねんけんたちた事ならば としをよるめハさらにないぞや
039 いまゝでハなにの事でもしれなんだ これからさきハみなをしゑるで
040 いまてハなみなの心とうちなるの 心かをふいちがいなれども
041 あすにちハなんでもたのみかけるでな 神のいぢよにつかねばならん
042 にち/\にみにさハりつくとくしんせ 心ちがいを神がしらする
043 めへ/\のみのうちよりもしやんして 心さだめて神にもたれよ
044 なにゝても神のをもわくふかくある そばなるものハそれをしらすに
045 けふまでハなによのみちもみへねども はやくみゑるでしやんさだめよ
046 このみちをはやくしらそとをもへども さとりがのふてこれがむつかし
047 たん/\とふでにしらしてあるけれど さとりないのが神のざんねん
048 なにゝても神のゆう事しかときけ みなめゑめの心しだいや
049 しんぢつに心いさんでしやんして 神にもたれてよふきづとめを
050 このはなしなにの事やとをもうなよ こゑ一ぢよのはなしなるぞや
051 こへやとてなにがきくとハをもうなよ 心のまことしんぢつがきく
052 しんぢつの心みさだめついたなら いかなしゆこふもするとをもゑよ
053 しかときけよろつの事をみなをしへ どこにへだてわさらにないぞや

〜内容の区切りと思われる〜

054 どのよふなところの人がでゝきても みないんねんのものであるから
055 にんけんをはじめだしたるやしきなり そのいんねんであまくたりたで
056 このさきハせかいぢううを一れつに たすけしゆごふをみなをしゑるで
057 だん/\とよろづたすけをみなをしへ からとにほんをわけるばかりや
058 にち/\にからとにほんをわけるみち 神のせきこみこれが一ぢよ
059 このみちをはやくわけたる事ならば あとのよろづハ神のまゝなり
060 けふの日ハなにかめづらしはじめだし よろづいんねんみなついてくる
061 いんねんもをふくの人であるからに とこにへだてハあるとをもうな
062 このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり
063 いちれつのこともがかハいそれゆへに いろ/\心つくしきるなり
064 このこともなにもをしへてはや/\と 神の心のせきこみをみよ
065 だん/\とこどものしゆせまちかねる 神のをもわくこればかりなり
066 こどもさいはやくをもていだしたなら からをにほんのぢいにするなり
067 しんぢつにこどもの心しかとせよ 神の心ハせくばかりやで
068 にち/\に神のせきこみこのなやみ はやくたすけるもよふしてくれ
069 うちなるハ上をふもふていづみいる こわみないぞや神のうけやい
070 いまゝでとみちがかわりてあるほどに はやくせきこみをふくハんのみち

〜内容の区切りと思われる〜

071 このみちハいつの事やとをもている はやくてゝみよもふいまの事
072 だん/\とふてにしらしてあるほどに はやく心にさとりとるよふ
073 これさいかはやくさとりがついたなら みのうちなやみすゞやかになる
074 つとめても初てをどりまたかぐら 一寸のほそみちつけてあれども
075 だん/\とくさがしこりてみちしれす はやくほんみちつけるもよふを
076 にち/\に心いさんでせきこめよ はやくほんみちつけた事なら
077 しんぢつにこのほんみちがついたなら すへハたのもしよふきづくめや
078 村かたハなをもたすけをせへている はやくしやんをしてくれるよふ
079 せかいぢう神のたあにハみなわがこ 一れつハみなをやとをもゑよ
080 せかいぢうせきゝよとしてはちめかけ といてきかするきゝにいくなり
081 いかほどにみゑたる事をゆうたとて もとをしらねばハかるめハなし
082 だん/\とない事ばかりゆてをいて それでたならばこれがまことや
083 一れつに神にもたれるこのこども はやくをもていでるもよふせよ
084 しんぢつにをもてゞよふとをもうなら 心しづめてしんをたづねよ
085 このこどもしんぢつよりもむねのうち みさだめつけばいかなもよふも
086 にち/\に神の心わせきこめど こともの心わかりないので
087 こともでも一寸の人でハないからに をふくのむねがさらにハからん

〜内容の区切りと思われる〜

088 いまゝでハがくもんなぞとゆうたとて みゑてない事さらにしろまい
089 このさきハみへてない事だん/\と よろづの事をみなといてをく
090 これからハこのよはじめてないつとめ だん/\をしへてをつけるなり
091 このつとめせかいぢううのたすけみち をしでもものをゆハす事なり
092 にち/\につとめのにんぢうしかとせよ 心しづめてはやくてをつけ
093 このつとめなにの事やとをもている せかいをさめてたすけばかりを
094 このみちがたしかみゑたる事ならば やまいのねゑわきれてしまうで
095 しんぢつの心しだいにいづかたも いかなしゆごふもせんとゆハんで
096 いまのみち神のせきこみうちなるハ あんぢないぞやしかとみていよ
097 これまでとみちがかわるとゆうてある 神ハちごふた事ハゆハんで
098 このさきハ神の心のせきこみを くちでハどふむゆうにゆハれん
099 いかほどにむつかし事とゆふたとて とかすにいてハわかるめハなし
100 にち/\に神のをもわくだん/\と といてをくぞやこれきいてくれ
101 このみちハなにかむつかしめつらしい みちであるぞやたしかみていよ
102 このみちをとふりぬけたらそのさきハ からハにほんのぢいにしてある
103 からのぢをにほんぢいにしたならば これまつだいのいきどふりなり
104 このよふを納も上天もかみ 上と神との心わけるで
105 だん/\とみゑん事をばゆてをいて さきでみゑたらこれが神やで
106 いかほどにみゑたる事をゆうたとて さきでみゑねはわかりあるまい

〜内容の区切りと思われる〜

107 これからハせかいぢううのむねのうち 上下ともにわけてみせるで
108 これをみよせかいもうちもへたてない むねのうちよりそふぢするぞや
109 このそふぢむつかし事であるけれど やまいとゆうわないとゆてをく
110 どのよふないたみなやみもでけものや ねつもくだりもみなほこりやで
111 このよふを初てからになにもかも 上ゑをしへた事ハあるまい
112 このたびハなにかよろづを上たるゑ しらしてをいた事であるなら
113 それからハなかにハしやんするもあろ みなよりよふてはなししたなら
114 そのなかにしんぢつ心たのもしい をもてしやんをするものもある
115 このみちを上ゑとふりた事ならば 神のぢうよふすぐにあらわす
116 このよふを初た神のぢうよふを みせたる事ハさらにないので
117 なにゝてもしらんあいだハそのまゝや 神のぢうよふしらしたるなら
118 これきいてみな一れつわしやんせよ なにかよろつハ心しだいや
119 けふの日ハなにがみへるやないけれど 六月をみよみなでかけるで
120 いまゝでハ高い山やとゆうている たにそこにてハしけんばかりを
121 これからわ高山にてもたにそこも もとはじまりをゆうてきかする
122 このよふのはぢまりだしハとろのうみ そのなかよりもどちよばかりや
123 このどぢよなにの事やとをもている これにんけんのたねであるそや
124 このものを神がひきあけくてしもて だん/\しゆごふにんけんとなし
125 それよりも神のしゆことゆうものわ なみたいていな事でないぞや
126 このはなし一寸の事やとをもうなよ せかい一れつたすけたいから
127 にち/\に神の心のしんぢつわ ふかいをもわくあるとをもへよ
128 いまゝでハにほんかからにしたごふて まゝにしられた神のざんねん
129 このかやし神のはたらきこれをみよ いかなものでもまねわでけまい
130 いかほどのごふてきたるとゆうたとて 神がしりぞくこれかないまい
131 なにゝてもみな一れつハこのどふり 神がぢうよふするとをもゑよ
132 しやんせよハかいとしよりよハきでも 心しだいにいかなぢうよふ
133 いまゝでもをなぢくらしていたるとも 神のぢうよふしりたものなし
134 これからハよろづの事をみなとくで 心ちがいのないよふにせよ



<おふでさき註釈>
一、二、この道は、今の処細い道で人目にはたよりないように思うであろうが、行く先には確かな大道が見えてある。しかも、それそこにあるというている中に、もう目の前へ現れて来た。
三、註 三昧田でお作らせになっていたかぐら面が出来上がって迎えにお出でになったのが、明治七年六月十八日で、陰暦の五月五日にあたる。又、明治七年陰暦四月の頃、山沢良助、山中忠七の両名病を得て病臥中であった。又三昧田村の前川半三郎の妻たきが、当時手足の不自由を覚えて、ほとんどいざりのような状態であったが、五月五日にはこれ等の人々が教祖様に教を乞い、おたすけを願いに出るぞと予め仰せられたのである。果してその日に到って、前記の三名がおぢばへ参って来た。
四、今後は親神の珍しいたすけを頂いて、ぢばにお礼参りするものが夜昼なしに出て来るようになる。
五、註 しよこまもりとは、証拠守りであって、親里であるぢばへ帰って来て願い出る者に、帰って来た証拠として与える神符で、これは明治七年六月から始められたものである。
六、註 ここに普請とは中山家の表門とそれにつづく教祖様のお住居と倉の建築である。この建築をなおも急き込まれたので、普請が始まると人々が集まって来て忙がしくなると仰せられたのである。
七、八、親神が如何に一列救済のために急き込むとはいえ、決して口に出してどうせいこうせいと指図はしない。
九、この道が、次第に世の中にひろまって往還の道となり、沢山の人々がぢばをさして慕い来る中に、よふぼくたるべき人々をそばな者に知らして置こうと思うが、恐らくは信じないであろう。
一一、これからも説いて聞かせるが、親神の話には決して偽りはない、次々に現れて来る珍しい道を楽しみにして待っているがよい。
一二、ぢばの理があらわれ親神の意図が了解されると、多くの人々が集まって天の与えを頂きたいと、口々にその徳をたたえてぢばに詣って来るようになる。
一三、身に障りを受ける度毎にぢばに帰って来るが、時が過ぎると忘れて了う。親神がかくも再々身に知らせるのは神のよふぼくに使わうと思うて待ちかねているからであるのに、その心も知らずにうかうかとしている。
一四 つとめ人衆がだんだんそろうたならば、これを合図によろづたすけの道に出かける。
註 つとめのにんぢうは、第六号三〇註参照。
一五、日々にたすけ急き込む親神の心を、早く上に立つ人々に知らせたら、この道は世の中に広く行われるようになる。
一六、上層に在って指導の任に当っている人々は、何も知らずに未だ親神の教を知らない者をまねて、そのいうままに従っているが、その心根は真に不びんである。
註 とふぢんは、次に御教を聞く者。従って未だ神意を解しない者の意。第二号四七註、第三号八六註参照。
一七、日々親神の急き込んでいる事は、未だ親神の教を知らない者達も、すっきりと心を入れ替えて、神意を悟るようになる事であって、その日の早く来るのを待っている。
註 ころりは、速にすっきり心を入替える意。
一八、従前に流行した牛疫のあさましい状態をよく考えて見よ。上に立つ人々が、親神の心を悟らずただ人間思案にのみ流れていたので、悪疫が流行したのであるから、皆よく気をつけるようにせよ。
註 うしのさきみち 古老の言によれば、大和地方に嘗て急性の牛疫流行してまたたく間に多くの牛がたおれ、その翌年になって疫病しょうけつを極めたという事である。
うしとは、その牛疫の意であって、さきみちは、先触れの意。
一九、この道が人々によく解るようになれば、世の中の人々の心は皆勇んで来る。
二一、今日の日をどういう道と思うているか、うかうかとする時ではない。珍らしい事が眼の前に見えて来る。
二二、日を追うて親神の意図通りの道があらわれて来るから、現在はどのように苦しい道であっても心をいずまさずに、皆将来を楽しみにして通るがよい。
二三、二四、親神の望んでいるよふきづとめの手を、皆の者が日々に覚えてくれたら、親神はどれ程うれしい事であろう。こうしてつとめ人衆の集って来るのを、一日も早くと待っている親神のこの心を知らずにそばな者は一体何を考えているのか。
二五、病気というものはこの世に無いはずであるが、身上に悩みを覚えるのは、親神の用向きに使いたい為の手引であるから、これを深く悟らねばならぬ。
二八、次々に親神の意中を説き切って知らせるが、これが人々に会得出来たら、自然に心も勇み身上も健やかになる。
二九、またそれから先は、よふきづとめを一日も早く手をそろえて勤めるようにと待ち設けているが、それはどのようなつとめかというと、かぐらづとめである。
三二、何事についても、人々が神一条の真実の話を本当に悟り得たならば、親神の教を未だ知らない人間思案なぞにままにされそうな筈はない
三三、今後は親神の教を知ると知らぬの順序を分けて、次第に一列の人心を澄ます段取をする。
三四、三五、この順序さえ人々によく悟りがついたならば、親神の遺憾としていた処も除かれ、心もはればれするから、世界の人々の心も自然と勇み出て来るようになる。
三六、親神は一列人間を救けたいとの一心であるから、これからは世界中を真実にに救ける段取ばかりに取掛かる。
註 たすけるもよふとは、かんろだいを建て、たすけづとめであるかんろだいづとめを勤める準備を仰せになっている。次歌参照。
三七、その後は病気もせず、死にもせず、老衰もせずに、いつまでも思うがままに楽しい生活をするがよい。
註 いつまでもは、第三号一〇〇註参照。
三八、そればかりでなく、だんだん年限が経って人々の心が澄切ったならば、何時々々までも若々しい元気で働けるように守護する。
四〇、四一、今までは内の者の心と皆の者の心とが違うたが、今後は皆そろうて親神のいう通りに専念せねばならぬ。
註 当時は未だ本教草創の時であって、内の者も皆の者も、親神様のたすけ一条、つとめ一条をお急き込みになる真意を十分了解する事が出来ず、従って、それぞれに意見が相違していたが、今後はそうした人間心を去って、皆そろうて親神様の仰せ通りにたすけ一条にまい進せねばならぬ。
神のいぢよは、神の言い条、言い分の意。
四四、そばな者に身上に知らしてあるのは、親神の深い考があっての事である。それを単に病気とばかり考えているが、それよりも根本に立かえって悟るがよい。
四五、今日までは、どういう道もまだ見えて来ていないので、本真実の教を深く信じる者も無かったが、これからは直ぐに心次第の理が現れて来るから、よく思案して心定めをするがよい。
四六、このたすけ一条の道を早く世の中へ知らせて、陽気ぐらしをさせてやりたいけれども、人間心が邪魔をして親神の意中を悟れないから、その実現は中々むつかしい。
四七、だんだんと将来の事をこの筆先に知らせてあるけれども、そばな者が一向その真意を悟ってくれないというのは、はなはだ親神のもどかしく思う所である。
註 ふでにしらしては、筆先に知らせる意。
四九、しんから心勇んで神一条の理を悟り一切万事人間心を捨て、親神にもたれてよふきづとめをするがよい。
五〇、今話しようとするのは外の事ではない。肥一条の話である。
註 おぢばで行われるよろずたすけのおつとめの一つに、肥のつとめがある。肥のつとめとは、一座分、ぬか三斗、灰三斗、土三斗を合せてこれを百だの肥とし、甘露台に供えて祈願をする。これを頂いた人は、一だ分二だ分とその必要に応じ下附を受けて所有の耕地に施すのである。又肥のさづけ、というのはぬか三合、灰三合、土三合を神前に供え、肥のさづけを頂いた人がこのさづけを取次いで、田畑に置くと肥一だに相当する効験があるとお教え下された。
五一、肥というても、ぬかや土や灰が利くのではなくて、真心から親神にもたれるその誠が親神に通じてりやくとして現れるのである。
五四、何処の国からも多くの人がぢばを慕うて帰って来る事になるが、しかしそれ等は何れも親神の子供で、真実親子のいんねんから帰参するものであるから、決して偶然と思うてはならぬ。
五五、ぢばは人間宿し込みの親里である。その生れ故郷のいんねんを以て、親神が天降ったのである。
註 これ即ち、本教にいうぢばのいんねんである。本教の発祥は、この、ぢばの因縁と旬刻限の理及び、教祖魂の因縁の三つが一致した所にある。
五七、五八、次々によろずたすけのつとめを教え、理を説き聞かせて、親神の教を知ると知らぬの順序を明らかにする。日々親神の急込んでいる事はこの事ばかりである。
五九、この順序の道さえ早く明らかにする事が出来たならば、その後は万事親神が自由自在に守護する。
六〇、この度は何も彼も珍しいたすけ一条の道を始めかけて、この世の元初りの真実を説いて聞かせる。そうしたならば人間は皆親神の子供であるという事が分ってこの道について来る。
六一、多種多様のいんねんにより、人種を異にし境遇を異にしいるのではあるが、そのいんねんに応じて親神が守護を差別するものではない。又人々国々によって分け隔てをするものでもない。公平無私は親神の心である。
六二、六三、六四、一列は等しく親神の子供である、これ等一列の子供に何も彼も教え仕込んで、陽気な楽しい生活を送らせようとする、親神の心の急込みを悟るがよい。
六五 註 こどものしゆせとは、親神様の子供である人間が、だんだん親神様からお仕込を受け現世の欲を忘れて、どの様な理も悟れるようになる事をいう。
六六、人々の信仰が向上して、広くたすけ一条の活動をする事が出来るようになりさえすれば、今まで親神の真意の知られていなかった所へまでも、親神のたすけ一条の真実を普く行きわたらせて、一列挙って平和な陽気ぐらしの出来るように守護するであろう。これぞ親神の理想である。
註 第二号四七註、第三号八六註参照。
六七、子供達よ、本当にしっかりと心を定めて親神について来い。親神の心はただひたすらにたすけ一条を急き込んでいるものを。
六八、日々に親神が世界万人たすけの為に急き込んでいるこの心の中をば汲みとってよろずたすけの準備を急いで貰いたい。
六九、註 当時内部の人々は、官憲の干渉を恐れて信仰をはばかっていたが、決して心配する事はない、親神が確かに請け合うから安心してまい進せよ、と仰せられたのである。
七一、この往還道に出るのはいつの事かと思うているであろうが、遠い事ではない。もう今にも眼の前にあらわれて来る。
七二、七三、色々と筆先に知らせてあるから、早く心にこれを悟るようにせよ、親神の胸の中さえそれと汲み取ることが出来たら、身上の障りも治り心も晴れ晴れとする。
七四、七五、註 親神様は初はてをどり又かぐらづとめ、と段々に手をつけて、よふきづとめに掛る事を望んでおられたが、当時官憲の圧迫干渉により、又怠り勝な人間心から、信仰する人々の中には不安の念を起して引込み思案をし、又はけ怠して、あたかも細道の中に雑草がむらがって通路をふさぐような有様となっていた。これでは道遅れるばかりであるから、早く本当の道に出る用意をせよ。と仰せられたである。
七八、中でも村方は一日も早く救けたいと親神は急き込んでいるから、この親神の心を早く悟って貰いたい。
註 村かたは、旧庄屋敷村(現在教会本部所在地)の人々をいう。
七九、註 神のたあにハは、神にとってはの意。
八〇、八一、世界一般では説教として人の履み行うべき道を説いている。又聞きに行く者も沢山あるが、眼に見えた分りきった事を説教していても、元初りのいんねんを説かないから、心の底から了解できるはずはない。
八二、親神の話は、眼に見えぬ事や将来の事をいうのであるから、聞く人々の間には疑を持つ者もあろうが、それが事実となって現れたならば、これが何より真実の証拠である。
八三、肉親の親を慕うように、親神にもたれてついて来る一列の子供よ、早く明るい道に出るよう段取りをせよ。
八四、真実に明るい道に出ようと思うならば、心を静めてしんを尋ねよ。
註 しんとは、お道の真髄であって、教祖様はしんであり、又お屋敷のしんを定められたのは明治八年のぢば定めによってである。
八五、親神を慕うて救かりたいと望む子供の真実胸の中が、明らかに親神の見定める所となれば、どんなたすけの段取りもしてやろう。
八六、八七、親神の心は日々たすけ一条を急いでいるが、子供の心にはそれが分らないので困る。子供といっても少しの人数ではなく、多勢の事であるから、なおさら訳が分からず混とんとしている。
九〇、これからは、未だかつて見た事も無いこの世初って以来初めてのよふきづとめを、段々教え手を附けてこれを弘めるであろう。
九一、よふきづとめこそは、世界中の人々を真に救ける道であって、たとい、おしでも、つとめによって物を言わすように不思議なたすけをする。
九二、日々につとめ人衆の者はしっかりせよ、心を静めてよふきづとめの手を早く付けるようにせよ。
九三、このよふきづとめは何の為に始めるつとめと思うているか。世界の人々の心の中をすっきり洗い清めて救けてやろうとの一心から、親神が始めるつとめである。
九四、このたすけ一条の道が早く世にあらわれて、人々が信じるようになれば、病の元となるほこりの心が清められて、陽気ぐらしの世の中となる。
九五、真実の心次第でたれ彼の差別なく、どんな守護もして見せる。
九六、早く世の中にひろめようとして急き込んでいる今の道すがらを、内々の者はとやかくと心配するけれども、案じる事は要らん、確かと将来の様子を見ているがよい。
九八、九九、世界一列を救済しようとする親神の急き込みを、言葉で説明しよう としてもいうにいわれぬものがある。とはいえ、如何に難かしい事でもこれを説かなければだれも知る者はあるまい。
一〇〇、そこでなかなか口ではいい尽せない事ではあるが、段々と親神の意中を説いて置くから、皆これを聞いてよく思案せよ。
一〇一、この道は一寸には分りにくい難しい道ではあるが、真実に世に類いまれな結構な教であって、親神の説く所は必ず事実となって現れる末頼もしい道であるから、将来をしっかりと見ていよ。
一〇二、この道を通り抜けて、一列の人々の心を澄ましたならば、次に親神の真意を知るべき所へまでも普くたすけ一条の親心を行きわたらせ、豊かな神恩に浴させるようにしてある。
一〇三、次に親神の教の行きわたるべき所へまでもこの教がひろまって、一列人間が親神のたすけ一条の真実に目醒めるようになったならば、その喜びは生き生きと地上に満ちあふれて末代までもかわる事がない。
註 第二号四七註、第三号八六註、本号六六註参照。
一〇四、この世の現実を司るものもかみといい、天の親神もかみといい、その言葉は一つではあるが、その心は必ずしも常に同じではなく、現実を司るものの心と親神の心とは、人々の幸福を念じる点に於ては一つであっても、将来への見透しのあるなしについては同じではない、この区別を明らかにしよう。
一〇五、だんだんと人間の眼に見えぬような事まで話するが、それが将来に於て実現されて来るというのは、親神の話である証拠である。
一〇六、どれ程現在の事を偉そうにいうてみても、いうた事が先で現れて来ないようでは本当に物事が分っているとはいえまい。
一〇七、今後は上の者も下の者も差別なく是非善悪を明かにして、親神の真意を了解させるようにする。
一〇八、そのために、世間の人々も又内々の者も隔てなく、皆の胸の中をすっきり掃除するからよく見ているがよい。
一〇九、このように世界一列の胸の中を掃除するのは困難なようではあるが、これを身上に現してして見せる。であるから、身上を患うても、親神の手引であり意見であるから病気でないという事だけは前以ていうておく。
一一〇、どのような痛みも、苦悩も、でき物も発熱も、下痢も皆病気ではない、ほこりである。
一一一、この世人間を創造以来、無い人間無い世界を創めた親神の真実をまだ今日までは上に立つ人々に説いて聴かせた事はない。
一一二〜一一四、この度はもう時機が到来したから、親神の人間創造以来の真実を皆、上に立つ人々に教えて置こうと思う。そうしたならば、中にはこれについて深く考えをめぐらす者もあろうし、又皆寄り合うて話が出たならば、その中にはなる程これは真実頼もしい教であると悟る者もあるであろう。
一一五、この道が上に立つ人々に了解されさえしたならば、親神の自由自在の働きを直ぐにも現してみせる。
一一六〜一一八、この世界を創造した親神の自由自在の働きを、今までには知らした事も見せた事もないから、人々が何も知らぬのも無理はない。知らぬ間はそれでもよいが、一度親神が表へ現れて自由自在の働きをして見せたならば、これを聞いて一列の人間はよく思案するがよい。身上も、事情も一切万事は皆銘々の心次第の守護である。
一一九、今の処、何が見えて来るというのではないが、六月を見よ、珍らしい道が見えて来る。
註 明治七年六月から証拠守りをお出しになった。本号五参照。
一二〇、今日までは上流の人々は威張り次第であって、下流の人々は下積みになってほとんどい縮せんばかりになっている。
註 しけんばかりは、しけて終わんばかりの意であって、しけるとはい縮、いじける意。
一二一、さあこれから高山の者にも又谷底の者にも皆一様に、元初りをしっかり説いて聴かそう。
註 人間は皆、元初りは同一であって何の差別もないのであるが、上流に生れ下流に生れるというのは皆各々前生の実績の然らしめる処である。
一二二〜一二五、この世の初りは泥の海にもたとうべき混とんたる状態であって、その中にどじょうのようなものばかりが沢山いた。このどじょうのようなものを親神が泥海の中から引上げて、食べてしもうてこれを人間の子種として、段々守護して人間を創めたのであるが、こうして今日の人間と育て上げるまでの親神の苦心というものはなかなか容易なものではなかった。
註 この一れんの御歌の主旨は、神恩の偉大さと、一列兄弟の真実をお教え下されている。第六号二九〜五一参照。
一二六、人間を創め出したこの話は、かりそめの事と思うてはならぬ。世界一列の子供を救けたい為に、親神の意中を語るのであるから、よく心に聴いておかねばならぬ。
一二八、今までは親神の教が、却つてまだ親神の真意を知らない人間思案にままにされて来たが、これは親神の誠にもどかしく思うて来た処である。
註 第三号八六註参照。
一二九、このかやしは親神の働きでしてみせる。人間の力ではこのまねは出来まい。
一三〇、如何程の剛の者でも、もしも身の中から親神の守護が失せてしもうたら、力を出す事はもちろん、動く事さえもかなわぬようになるであろう。
一三一、何事につけても世界一列は皆この道理で、親神が自由自在に守護しているのである。この事をよく納得するがよい。
一三二、親神の自由自在の働きを深く思案せよ。若い者も、年寄りも、又どのような弱い者でも、各々の心次第でどんな守護もしてやろう。
一三三、この教を説き始めるまでも、同じく親神の守護によって暮していたのであるが、説いて聴かさなかったからして、だれ一人として親神の自由自在の働きを知った者はいなかった。
一三四、親神が表に現れた以上は、万事万端の理を説くから、皆々心得違いの無いようにせよ。

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posted by 朱夏 at 15:11| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月07日

おふでさき第三号。

おふでさき第三号は、明治7年1月にお記し下さいました。
149首あり、教祖(おやさま)77歳の御時です。

おふでさき第三号では、天理教教理の中心思想とも言うべき内容が記されています。
「たすけ一条」の道を進めていく上で、屋敷、ぢば、人の心を人間思案や人間のしがらみが無いように掃除しなければならない旨が記されています。
また、真柱を定めることが記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第三号>
1 このたびハもんのうちよりたちものを はやくいそいでとりはらいせよ
2 すきやかにそふぢしたてた事ならば なハむねいそぎたのみいるそや
3 しんぢつにそふぢをしたるそのゝちハ 神一ぢよで心いさむる
4 だん/\とせかいの心いさむなら これがにほんのをさまりとなる
5 いまゝでハなによの事もハかりない これからみゑるふしぎあいづが
6 こんものにむりにこいとハゆうでなし つきくるならばいつまでもよし
7 これからハ水にたとゑてはなしする すむとにごりでさとりとるなり
8 しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい
9 このはしらはやくいれよとをもへども にごりの水でところわからん
10 この水をはやくすまするもよふだて すいのとすなにかけてすませよ
11 このすいのどこにあるやとをもうなよ むねとくちとがすなとすいのや
12 このはなしすみやかさとりついたなら そのまゝいれるしんのはしらを
13 はしらさいしいかりいれた事ならば このよたしかにをさまりがつく
14 このはなしさとりばかりであるほどに これさとりたらしよこだめしや
15 このよふのにんけんはじめもとの神 たれもしりたるものハあるまい
16 どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ それがたん/\さかんなるぞや
17 このたびハたすけ一ぢよをしゑるも これもない事はしめかけるで
18 いまゝでにない事はじめかけるのわ もとこしらゑた神であるから

〜内容の区切りと思われる〜

19 にち/\に神のはなしがやま/\と つかゑてあれどとくにとかれん
20 なにゝてもとかれん事ハないけれど 心すましてきくものハない
21 すみやかに心すましてきくならば よろづのはなしみなときゝかす
22 このよふのたしかためしかかけてある これにまちがいないとをもゑよ
23 このためしすみやかみゑた事ならば いかなはなしもみなまことやで
24 なにもかもいかなはなしもとくほどに なにをゆうてもうそとをもうな
25 めへにめん神のゆう事なす事わ なにをするとも一寸にしれまい
26 はや/\とみへるはなしであるほどに これがたしかなしよこなるぞや
27 これをみてなにをきいてもたのしめよ いかなはなしもみなこのどふり
28 人のものかりたるならばりかいるで はやくへんさいれゑをゆうなり
29 子のよなきをもふ心ハちがうでな こがなくでな神のくときや
30 はや/\と神がしらしてやるほどに いかな事でもしかときゝわけ
31 をや/\の心ちがいのないよふに はやくしやんをするがよいぞや
32 しんぢつに人をたすける心なら 神のくときハなにもないぞや
33 めへ/\にいまさいよくばよき事と をもふ心ハみなちがうでな
34 てがけからいかなをふみちとふりても すゑのほそみちみゑてないから
35 にんけんハあざないものであるからに すゑのみちすじさらにわからん
36 いまの事なにもゆうでハないほどに さきのをふくハんみちがみへるで
37 いまのみちいかなみちでもなけくなよ さきのほんみちたのしゆでいよ
38 しんぢつにたすけ一ぢよの心なら なにゆハいでもしかとうけとる
39 口さきのついしよはかりハいらんもの しんの心にまことあるなら
40 たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ
41 にんけんハみな/\神のかしものや なんとをもふてつこているやら
42 ことしにハめつらし事をはじめかけ いまゝでしらぬ事をするぞや
43 いまゝでハなによの事もせかいなみ これからわかるむねのうちより
44 このたびハたすけ一ちよにかゝるのも わがみのためしかゝりたるうゑ
45 たすけでもをかみきとふでいくてなし うかがいたてゝいくでなけれど
46 このところよろつの事をときゝかす 神いちじよでむねのうちより
47 わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる

〜内容の区切りと思われる〜

48 高山ハせかい一れつをもうよふ まゝにすれともさきハみゑんで
49 だん/\とをふくよせたるこのたちき よふほくになるものハないぞや
50 いかなきもをふくよせてハあるけれど いがみかゞみハこれわかなハん
51 せかいぢうむねのうちよりしんばしら 神のせきこみはやくみせたい
52 せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ 神がほふけやしかとみでいよ
53 これからハ神がをもていあらわれて 山いかゝりてそふちするぞや
54 いちれつに神がそふちをするならば 心いさんてよふきつくめや
55 なにもかも神がひきうけするからハ どんな事でもぢうよぢさを
56 このたびハうちをふさめるしんばしら はやくいれたい水をすまして
57 高山のしんのはしらハとふじんや これが大一神のりいふく
58 上たるハだん/\せかいまゝにする 神のざんねんなんとをもうぞ
59 いまゝでハなにをゆうてもみへてない もふこのたびハせへつうがきた
60 これからハよふきづとめにまたかゝる なんの事やら一寸にしれまい
61 今までもしりてはなしてはなしとも といてあれどもなんの事やら
62 これまでハいかなはなしをといたとて ひがきたらんでみへてないぞや
63 これからわもふせへつうがきたるから ゆへばそのまゝみへてくるぞや
64 しかときけ三六二五のくれやいに むねのそふぢを神がするぞや
65 しやんせよなんぼすんだる水やとて とろをいれたらにごる事なり
66 にごり水はやくすまさん事にてわ しんのはしらのいれよふがない
67 はしらさいはやくいれたる事ならば まつたいしかとをさまりがつく
68 このよふをはじめた神のしんぢつを といてきかするうそとをもうな
69 いまゝでもしんがくこふきあるけれど もとをしりたるものハないぞや
70 そのはづやどろうみなかのみちすがら しりたるものハないはづの事
71 これまでハこのよはじめてない事を たん/\といてきかす事なり
72 なにもかもない事はかりとくけれど これにまちごた事ハないぞや

〜内容の区切りと思われる〜

73 十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ
74 このあいだしんもつきくるよくハすれ にんぢうそろふてつとめこしらゑ
75 にち/\に神の心のせきこみハ ぢうよじざいをはやくみせたい
76 これからハにんぢうそろをてつとめする これでたしかににほんをさまる
77 しんぢつにたすけ一ぢよてあるからに なにもこわみハさらにないぞや
78 なにもかもたすけ一ぢよとめるなら 神のさんねんみにさハりつく
79 しやんせよ万たすけのこのもよふ にんけんハざとさらにをもうな
80 いまゝでハなにかよろづがハからいで みなにんけんの心ばかりで
81 これからハ神の心と上たるの 心と心のひきやハせする
82 このはなし一寸の事やとをもうなよ 神がしんぢつみかねたるゆへ
83 これからハ神のちからと上たるの ちからくらべをするとをもへよ
84 いかほどのごふてきあらばだしてみよ 神のほふにもばいのちからを
85 しんぢつの神がをもていでるからハ いかなもよふもするとをもゑよ
86 いまゝでハからがにほんをまゝにした 神のざんねんなんとしよやら
87 このさきハにほんがからをまゝにする みな一れつハしよちしていよ
88 をなじきのねへとゑだとの事ならバ ゑだハをれくるねハさかいでる
89 いまゝでわからハゑらいとゆうたれど これからさきハをれるはかりや
90 にほんみよちいさいよふにをもたれど ねがあらハればをそれいるぞや
91 このちからにんけんハさとをもハれん 神のちからやこれハかなわん

〜内容の区切りと思われる〜

92 このよふハにぎハしくらしいるけれど もとをしりたるものハないので
93 このもとをくハしくしりた事ならバ やまいのをこる事わないのに
94 なにもかもしらずにくらすこの子共 神のめへにハいぢらき事
95 なにゝてもやまいとゆうてさらになし 心ちがいのみちがあるから
96 このみちハをしいほしいとかハいと よくとこふまんこれがほこりや
97 このよふのにんけんハみな神のこや 神のゆう事しかときゝわけ
98 ほこりさいすきやかはろた事ならば あとハめづらしたすけするぞや
99 しんぢつの心しだいのこのたすけ やますしなずによハりなきよふ
100 このたすけ百十五才ぢよみよと さだめつけたい神の一ぢよ
101 にち/\に神の心のせきこみを そばなるものハなんとをもてる
102 上たるをこわいとをもていすみいる 神のせきこみこわみないぞや
103 むねあしくこれをやまいとをもうなよ 神のせきこみつかゑたるゆへ
104 たん/\と神の心とゆうものわ ふしぎあらハしたすけせきこむ
105 このふしきなんの事やとをもている ほこりはろふてそふぢしたてる
106 あとなるにはやくはしらをいれたなら これでこのよのさだめつくなり

〜内容の区切りと思われる〜

107 このはなしはやくみへたる事ならば いかなものでもみなとくしんせ
108 いまゝでハしよこためしとゆへあれど かんろふだいもなんの事やら
109 このものを四ねんいせんにむかいとり 神がだきしめこれがしよこや
110 しんぢつにはやくかやするもよふたて 神のせきこみこれがたい一
111 これまでハぢうよじざいとまゝとけど なにもみへたる事わなけれど
112 これからハいかなはなしもときをいて それみゑたならじうよぢざいや
113 いまゝでの事ハなんにもゆてくれな 廿六日にはじめかけるで
114 これからハせかいの心いさめかけ にほんをさめるもよふするぞや
115 にんけんの心とゆうハあざのふて みへたる事をばかりゆうなり
116 これからハない事ばかりといてをく これからさきをたしかみていよ
117 どのよふな事もたん/\ゆいかける みへたる事ハさらにゆハんで
118 このよふをはじめた神のしんばしら はやくつけたい神の一ぢよ
119 めへにめん神のゆう事なす事を たん/\きいてしやんしてみよ
120 いまのみち上のまゝやとをもている 心ちがうで神のまゝなり
121 上たるハせかいぢううをまゝにする 神のざんねんこれをしらんか
122 これまでハよろづせかいハ上のまゝ もふこれからハもんくかハるぞ
123 このよふをはじめてからハなにもかも といてきかした事ハないので
124 上たるハせかいぢううをハがまゝに をもているのハ心ちかうで
125 高山にそだつる木もたにそこに そたつる木もみなをなじ事
126 にんけんハみな/\神のかしものや 神のぢうよふこれをしらんか
127 いちれつハみな/\わがみきをつけよ 神がなんどきとこへいくやら

〜内容の区切りと思われる〜

128 一寸はなし神の心のせきこみハ よふぼくよせるもよふばかりを
129 たん/\とをふくたちきもあるけれど どれがよふほくなるしれまい
130 よふぼくも一寸の事でハないほどに をふくよふきがほしい事から
131 にち/\によふほくにてわていりする どこがあしきとさらにをもうな
132 をなじきもたん/\ていりするもあり そのまゝこかすきいもあるなり
133 いかなるのぢうよじざいのこのためし ほかなるとこでさらにせんぞや
134 いまゝでもためしとゆうてといたれど もふこのたびハためしをさめや
135 たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ
136 このたびハ神がをもていでゝるから よろづの事をみなをしへるで
137 めへ/\のみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん
138 しやんせよやまいとゆうてさらになし 神のみちをせいけんなるぞや
139 一寸したるめへのあしくもできものや のぼせいたみハ神のてびきや
140 いまゝでハ高い山やとゆうたとて よふほくみへた事ハなけれど
141 このさきハ高山にてもたん/\と よふぼくみだすもよふするぞや
142 いちれつにはやくたすけるこのもよふ 上下ともに心いさめで
143 にち/\にせかいの心いさむなら ものゝりうけハみないさみでる
144 なにゝてもたすけ一ちよであるからに むほんねへをはやくきりたい
145 いまのみちほこりだらけであるからに ほふけをもちてそふぢふしたて
146 あとなるハみちハひろくでごもくなし いくたりなりとつれてとふれよ
147 二二の二の五つにはなしかけ よろついんねんみなときゝかす
148 高山のせきゝよきいてしんしつの 神のはなしをきいてしやんせ
149 にち/\に神のはなしをたん/\と きいてたのしめこふきなるぞや



<おふでさき註釈>
第三号
一、この度は屋敷の内から、道の発展上邪魔になる建物を急いで取り払うて了え。
註 親神様は、教祖様のお住いになる建物の建築を急き込まれた。そこでこの年には先ず門とそれに続いた住居と倉の建築を始められた。それには屋敷内の地取りをせねばならぬが、その当時屋敷内には邪魔になる建物があったので、それを取り払うて早く屋敷の掃除をするようにと急がれたのである。
二、速やかに残る隈なく屋敷の掃除が出来たならば、なわむねを急いで張るように。
註 なハむねは、建築をする場合になわを張って其の位置を示すもの。こうして新しく建築せられた建物は、明治八年しゅん工し、教祖様は同年から十六年まで、そこで教を説かれ、その後久しい間運び場所となっていた。中南の門屋と呼ばれていた建物が即ちこれである。
三、真実に掃除が奇麗に出来たならば、そのあとは道一筋になって心が自然と勇んで来る。
四、次第にこの道がひろまり世間一般の人々の心が勇んで来ると、親神の真意が人々の心に行きわたって、これでにほんは円く治まるようになる。
五、これまでは何彼につけて、親の心を悟る事が出来なかったであろうが、今後は不思議な合図が現れて来るから、それによってよく親神の意のある所を了解するがよい。
六、註 信教は人々の自由であるから、この教に帰依する事を好まぬ者に強いて信仰せよとは決していわぬ。慕うて来る者は末代までも安心の道が得られる、と仰せられたのである。
七、これからは水を例にとって教を説き諭しするが、水が澄んであるとは、人々の心にほこりが無くて奇麗な事であり、濁ってあるとは人々の心にほこりが積っている事であるから、それによって各々に悟るがよい。
八、親神が心から急き込んでいるのは、一日も早く中心を定めたいという事である。
註 しんのはしらとは、中心柱の意であって、元来は建築上の用語である。故にすべて、しんとなるものをいうておられる。本教では、おつとめの時はかんろだいをさし、人の時にはこの道の中心になられる方をさし、心の時には中心思想をいう。即ち人類創造の理を現し、たすけ一条の信仰の中心地点を示すかんろだいを、「にほんのしんのはしら」と仰せになり(第八号八五参照)
本教の中心たるお方を「うちをふさめるしんばしら」と仰せになっている。(本号五六参照)
本歌はかんろだいづとめの完成を目指して、この双方にわたり建築確立をお急き込み下さっている。
九、この柱を早く入れたいと急いでいるが、皆の心が澄んでないので入れる事が出来ぬ。
註 当時、かんろだいの模型は出来て居たが、その立てられるべきぢばは未だ定まっていなかった。又親神様は中山家の後継者にしてお道のしんばしらたる可き人を、檪本の梶本家の三男真之亮様に決定しておられて、早くおぢばに定住させたいと思うておられたが、そばな者はこの親神様の胸の中を悟らず、各々勝手な考えを抱き、皆の者が一致していなかった事を仰せられたのであるという。
一〇、註 もよふだては、催合う立てで、皆の力を合わせて準備計画を急ぐ事。
すいのは、ろ水のうで水こしの事である。
一一、この水こしは何所にあるのでもない。各々の胸と口とが水こしである。即ち、悟り諭しによってよく心を治め思案して親神の意に順うがよい。
註 むねとくちとは、悟り諭しの意。
一二、この親神の話を早く人々が悟る事を得て、親神の意図に心を寄せるならば、すぐにも中心の柱を入れるであろう。
註 本号、八註参照。
一三、この柱さえぢばにしっかりとすえた事ならば、それでこの道の基礎が確立し次第に教化が世界に及んで世の中の治まりとなる。
一四、この道は諭し悟りの道であるから、このたとえ話をよく悟ることが出来てしんばしらが定り、かんろだいが建設され、人衆そろうてかんろだいづとめをする様になったならば、それで世の中が円満に治る様になる、という親神の意図が実證されるであろう。
一六、人間創造の当初、泥海中に於て月日二柱の親神様が、道具衆を引寄せて人間創造並びに生成の守護をお始めになってから、その霊妙なお働きによって遂に現在のような人間にまで発達したのである。(第六号二九〜五一参照)
二三、この試しが早く実際に現れて来たならば、親神の話はどんな事でも間違いの無い事が分る。
二四、今まで人の知らぬ、人間力では考えも及ばないような諭しもするがどんな事でも、親神のいう事を間違いと思うてはならぬ。
二五、人の眼に見えない親神のいう事する事であるから、なかなか容易すく悟る事も出来まいし、又今後どの様な事をするか一寸には分るまい。
註 めへにめんは、目に見えぬの意。
二六、親神の教えた事は速やかに現れて来るから、これが親神のいう事に間違いのない証拠である。
二七、この現れて来る証拠を見て将来を楽しめ、親神の諭しは万事この道理である。
三四、だれでも初めから楽な道を通りたがるのは、先に苦労の道があるのを知らないからである。
三五、人間というものは、心の浅はかなものであるから、将来どんな道筋を通らねばならんか、少しも知らない。
三六、三七、親神は現在の事のみを指していうのではないから、現在通っている道すがらがどんなに苦しくても、決して不足をしたりくどいたりしてはならない。将来は必ず大道が現れて来るから、それを楽しみに喜んで通るがよい。
三八、どうでも救けたいという心があるなら口に出していわなくとも、親神の方では必ずその心を受け取って、理に添うた守護をする。
四〇、四一、註 世の中のものは総て親神様のおつくり下されたもので、全宇宙は親神様のお身体である。従って人間も自分の力で出来たものではない。親神様のおつくり下されたものを親神様から貸して頂いて、この天地抱合せの親神様の懐である世界に、親神様の御守護によって生きているのである。
四二、註 明治七年陰暦五月には、三昧田へかぐら面を迎えにお出でになり、又一般の人々ばかりでなく高山の人々にもこの教を知らしたい、と十月にはにおいがけの為めに、仲田、松尾両名を大和神社に遣わされたその結果、神職とか官憲の注意をひく事になり、陰暦十一月十五日に山村御殿へお出掛け下されたのを初めとして、その後しばしば圧迫をこうむったが、親神様はこれをお道のひろまる一つの道筋として寧ろお望みになったのである。又、赤衣をお召し下されたのも、この年からである。(第五号五六、五七註参照)
四三、今までは何かにつけこの精神が分らなかったが、これから十分説き諭しをするから、はっきり分るようになる。
註 せかいなみは、親神様のお話を未だ聞いた事も無い世間一般の人々と同様に、の意。
四四、この度、たすけ一条の道に精進するのも、自分自身が試練に会うて、親神の霊験を体得したからである。
註 これは教祖様がたすけ一条の道を説かれるに当り、御自分の体験を基礎として人々をお救けになった事をおっしゃったもので、をびや許しも自らをびやためしを御体験の上、お出しになったのであり、又若井村の松尾市兵衞の病気をお救けに行かれた時は、三十八日間の絶食をして、食べたくとも食べられんような病気の苦しみをためしてからお出掛け下されたのである。
四五、人を救けるというても、今までのように単に拝んだり祈祷をしたり乃至は伺いをたてて救けるという訳ではないが。
四六、四七、このぢばは、神一条の理によって人間元初りからの親神の守護を委細説き聞かし、心の底から澄切らして救けるのであるから、親神の胸の中を自分の心に悟るようよく思案するがよい。人を救けたらその理によって我が身が救かるのである。
四八、何れの社会に於ても、上流の者は自分の都合のよいように我ままな振舞いをしているが、将来の事は分らないのである。
四九、註 よふぼくは、用木で親神様の御用に立つ者。
五〇、どのような種類の木も沢山に集めてあるが、ゆがんだり曲がったりしているのはとても間に合わない。
註 いがみかがみは、木にたとえて心のねじけて素直でない者をいわれたのである。
五一、世界中の人が心を入れ替えて、皆清々しいきれいな心になったならば、親神の望む陽気の世界になり、ぢばにかんろだいを建てるのである。親神は一刻も早くこれを人々に見せたいと急き込んでいる。
五二、そのためには、世界中の人々の胸を掃除せねばならぬ。それには親神が自らほうきとなって掃除するから、現れて来る理をしっかり注意して視ている様にせよ。
五三、今後は親神が表へあらわれて、上流の方面も心の掃除をする。
五四、世界一列を親神が掃除をして、人の心の入れ替えが出来たならば、平和な楽しい世の中となり、皆の心も勇んで陽気に暮せるようになる。
五六、この度は人々の心を澄まして中山家の後継者として、又道の中心たるべきしんばしらを早く入れたい。
註 うちをふさめるしんばしら 本歌御執筆の明治七年には、真之亮様は九歳になられ、御出生前からしんばしらの真之亮と呼ばれて将来中山家の後継者となり、又道の中心となられる事に定めておられた。そして真之亮様は早くからおぢばへ来ておられたが、一日も早くおぢばに定住させたい、とお急き込みになったのである。本教ではお道の中心と仰ぐ方を真柱様と申し上げる。(本号八註参照)
五七、上層にあって民衆指導の任に当っている人々の中心思想は、未だ親神の真意を悟らず人間思案に流れているが、これが何より親神のもどかしく思う所である。
註 これは当時の官憲の宗教信仰を理解しようともせぬ無理解な態度に対して、仰せられたものである。
高山とは、上流の人々、指導の責に任ずべき人々の意。
とふじんは、未だ親神の意中を知らぬ人々。(第二号四七註参照)
五八、上に立つ者の中には、世の中の総ての事柄が人間の力で左右出来るように思うて自ままな振舞いをする者もあるが、これはこの世を創造した親神の深い心を知らないからで、甚だ遺憾に思う所である。
五九、今までいろいろ説き聞かしても、未だ実際に見えて来なかったが、然し、もうこの度はだれにもよく分る時機が迫って来た。
註 せへつうは、時節の意。
六〇、これからはよふきづとめを又急き込むが、それはどういう訳であるか、一寸には分るまい。
六四、註 これは立教後三十六年某月二十五日の暮合に、お屋敷の掃除をしに来る者のある事を仰せられたのである。その頃は外からお屋敷の掃除をしに来る者などは余り無かったが、この日の暮れ方、龍田の与助という人の妻とよと、勘兵衞という人の母親フサとがお参りをして、お屋敷内にごみなどが散らかってあるのを見て、明けくれば二十六日でお祭日であるのにこんなにきたなくてはもっ体ないと、十分掃除をして帰った。これはその前の晩に前記与助の女房が非常に胸苦しくて困る所から、以前にもお参りした事のあるおぢばの神様へお参りして救けて頂こうと決心すると、胸の痛いのが忘れたようになおった。それでお礼参りをしたのである。これは一例を示されただけで今後は人々が胸の掃除をするよう、親神様がお手入れをして下さると教えられたのである。
六六、六七、皆の者の心を早く澄さなければ、信仰の中心であるかんろだいを建設し、又、道の中心になる者をぢばに定住させることが出来ない。これさえ早く出来たらこの道の基礎が確立するのである。
註 これはかんろだいのぢば定めと、お道の中心となられる初代真柱様をぢばに定住させたいという事を、お急き込みになったのである。(本号八、九、註参照)
六九、従来とても心学とか、古記とか人々はいうているけれども、この世の成立ちを本当に了解しているものはあるまい。
註 しんがくは、心学で、当時人々に喧伝せられた心学道話を指す。こふきは、ここでは古くからいい伝え或は書き記されている事の意。
七〇、人間創造の当初の事を人々が知らないのも道理、最初は泥海中の生活から、始まっているのであるから、その時分の事を知っている者は無いはずである。
七三、七四、註 このお歌は教祖様が現身をおかくしになることを示されたもので、教祖様御在世中は教祖様を目標として社会の迫害がだんだんと激しくなるので、かくては道が遅れるから、教祖様は二十五年の御寿命をお縮めになり姿をおかくし下され、世間の圧迫を少くして道をひろめるもよう立てをする。それまでに真柱も定まり、かんろだいも建設されるから、皆々の心を澄まして、早く人衆そろえてつとめごしらえに取掛かるようにせよ、とお諭しになったのである。しかし、当時の人々にはこれが分らず、後日のおさしづによって初めて深い親神様の思召しを悟り得たのであった。(天理教教義及び史料集成部編纂『おさしづ』第三百七十八頁参照)
さあ/\正月二十六日と筆につけておいて、始めかけた理を見よ。さあ/\又正月二十六日より、やしろの扉を開き、世界ろくぢに踏み均しに出て始めかけた理と、さあ/\取り払うと言われてした理と、二つ合わして理を聞き分けば、さあ/\理は鮮やかと分かるやろ、(明治二二、三、一〇)
七六、これからは人衆をそろえてかぐらづとめをすると、人々の心も澄切り親神の心も勇んで来るから、これで確に、にほん中の人心も円く治って来る。
七七、七八、註 この道は真実のたすけ一条の教であるから、早くこれをひろめる為に精進せよ、と親神様は急き込まれているのであるが、そばの人々は世間を憚り官憲を恐れてとかく引き込み勝ちであった。かくては道がおくれる一方であるから、このたすけ一条の働きを止めるならば、親神様の急き込みが、必ず身上の障りとなって現れるから、よく思案せよ、とそばの人々に諭されたのである。
七九、よく考えて見よ。よろづたすけのために親神が専ら心を尽しているこの段取りは、人間業では出来るものではない。それを今まで親神のする事が何も彼も分らないものであるから、人間心でこれを疑うていたのである。
八一、〜八五、註 このたすけ一条の道を早く弘めようと、親神様は急き込んでおられるけれども、当時の地方官憲がこの道に対する無理解から種々圧迫を加え、又それをそばの人々は気にして、とかく進取の気象に乏しかったのを、親神は見兼ねて、上の人々の無理解は真実にこの道の真髄を知らないがためであるから、今後上の方にも親神の真意を悟らせる様に段取りする。又、人間のちえや力でどんなに強く弁難し反対する神職や僧侶などがあっても、親神の方にはその反対を氷解せしめて余りある温い親心があるのであるから、この真実の親神が表へ現れている以上、どの様な守護もするにより、安心してたすけ一条の道に進め、と励まされたのである。
八六、今までは人間思案がはびこって、親神の教のぐ通をほしいままに妨げて来たが、これは親神の実にもどかしく思うて来たところである。
註 にほんは、親神様の教の先ず説かれる所、従って、親神様の真意の明かにされたる意。
からは、次に親神様の教の行渡る所、従って未だ親神様の教を知らない意。(第二号四七註参照)
八七、今後は親神の真意を説き聞かせて、今まで親神の教を知らなかった所へも、自由自在にたすけ一条の親心を行わたらせるようにするから、皆の者はこれを豫め心得ている様にせよ。
八八、同じ木の根と枝とであってみれば、枝は折れてくるばかり、根は栄え出る一方である。
註 教祖様が断食をなさった時に、そんなに断食なされても大丈夫でしょうか、と御心配申し上げた人に、
『根は心や、心さえ神様に通じていたら決して枯れないのや』という意味の事をお諭し下された事がある。
八九、今までは親神の教を聞いていなくても、ただ人間思案でちえや技術だけの優れた者を偉いというていたが、今後はそのような者も人間思案を捨て、親神の真意を悟ってつき順うて来る。
註 をれるとは、人間思案の我を祈って、親神様の真意に懐いて来るの意。
九〇、今までは、親神の教の説き初められる所を軽く思い悔っていたであろうが、親神の真意が表へ現れて、人々の心が救け一条に澄切って来たならば、何人も皆懐しく思い慕わずにはおれぬ様になる。
九一、この絶大な働きは人間の力でする事とは思えない、皆親神の力の現れであるから、何人も皆心から感心せずにはおれなくなる。
八六、〜九一、総註 以上いずれも、本歌御執筆当時即ち明治七年頃の世情を憂え、親神様のこの世人間創造の真実である一列兄弟、互い立て合い扶け合いを忘れて、利己主義にはしり互いに相争い、相傷つけんとしていた人々に、激しく反省を促し、たすけ一条の道に進み、一列かい和の陽気ぐらしに向うよう、人々の信仰を鼓舞せられたものである。(第二号四〇註参照)
九二、世の中の人は、うかうかと賑やかに暮しているけれども、この世初まり親神の守護を知っている者はない。
九三、九四、親神が人間をつくった元の理をよく知ったならば、悪い心も起らず病気になる者もないのに、人々は何も知らないで勝手な心遣いをしている。親神の目から見るとこれが不びんでならない。
九六、人間の心遣いの中で、をしい、ほしい、かはい、よく、こふまん、これがほこりになるのである。
註 本教では、人間の苦しみは心がほこりにまみれているからであるとし、そのほこりを右のお歌に示された外に、にくい、うらみ、はらだち、を加えた八つに大別されている、これが即ち八埃である。盡しこれは人間の悪心を誘導する根本である。
九九、親神が救けるというても願う本人の心次第で、真実の心から親神の意に添うならば、定命まで病気もせず、死にもせず、弱ることもなしに暮す事が出来る。
一〇〇、親神の心としては人間の定命を百十五歳と定めたいのである。
註 かんろだいが出来、天から降らして下さるかんろを頂いたならば、定命まで置いて下され、更にそれ以上心次第でいつまでもこの世に置いてもらえるのである。
一〇二、註 当時の地方官憲や世間の誤解をはばかっているそばの人々に対して、信仰を鼓舞せられたお歌である。
一〇三、胸がつかえて気分が悪いような事があっても、それは病気だと思うてはならぬ。親神の急き込みがつかえているしるしである。
一〇六、人々の胸の掃除が出来たその後は信仰の中心を定めたい。これさえ出来たらこの世の中は治りがつくのである。
一〇八、今までは証拠試しという事をいうてあるが、未だ何も見えて来ないので、かんろだいに就ての親神の真意も、皆の者にはよく了解出来ないであろう。
註 しよこためしとは、この世人間を創めた証拠にぢばにかんろだいを建設したならば、世界に真の平和な陽気ぐらしが来る、という神言の実証される事。(本号一四、第十七号九参照)かんろふだいに就ては、第八号七八〜八六、第九号一八〜二〇、同四四〜六四、第十号二一、二二、七九、第十七号二〜一〇参照。
一〇九、この者を四年以前に迎いとり、その魂を再び元の因縁あるぢばへかえそうと親神が抱きかかえているが、これが即ち親神の自由自在の働きのある証拠である。
一一〇、この魂を早く元のぢばへ生まれかえらそうと準備しているが、これが親神の第一の急き込みである。
註 これは四年以前即ち、明治三年陰暦三月十五日に迎い取られた秀司先生の庶子お秀様の事をいわれたもので、この方はお道の上に枢要な魂を持っておられるのであるから、その魂を親神様がしっかり抱きしめておられて、早くいんねんある元のぢばに生れかえらそうとお急き込みになっていたのである。因みに、明治七年陽暦一月一日は、明治六年陰暦十一月十三日にあたる。(第一号六〇、六一註参照。)
一一一、一一二、 これまでとても親神の働きは自由自在としばしば諭しているけれども、その自由自在の働きが人の眼に見えた事はない。今後は如何な話も説くが、その話通りに証拠が見えて来たならば、これで親神の働きは自由自在であるという事を、はっきり悟るがよい。
一一三、註 翌明治八年には陰暦五月二十六日にかんろだいのぢば定めが行われた。
一一四、今後は世の中の人々の心を勇ませて、この教の先ず行亙るべき所の円満に治る様に段取りする。
一一五、註 あざのふては、浅はかであるからの意。
一一八、親神のこの世人間創造の理を現したかんろだいを一刻も早く建設したいというのが、親神の唯一筋に急いでいる事である。
一二〇、この道を、上に立つ者が自由に出来るように思うて圧えようと思うが、これはたすけ一条の道であるから、人間のままにはならぬ。親神の意図通りになるのである。
一二一、一二二、あらゆる世の中の事は、皆人間の力で出来るように思うて、上にある者の中には自ままに振舞う者もあるが、これはこの世を創造した親神の真意を知らないからで、元無い人間無い世界をこしらえた親神の目から見ると非常に遺憾な事である。元の親神が現れた以上は、今後は親神の真意を悟らせ人間心から勝手な振舞いをさせぬ様にする。
一二四、上に立つ人々の中には、世の中の事総て自分の思うままに出来ると思うている者もあるが、それは間違いである。
一二五、上流社会の人々も、下流社会の人々も、生活程度こそ異なっているが、皆親神の子である点に於ては、何等の差別がない。
一二六、人間の身体は人間が自分でこしらえたものではなく、この世創めた親神がこしらえて人間に貸しているのである。人間が生きて行 けるのも皆親神の自由自在の守護によるのである。これが分らなのであるか。
一二七、人間はだれでも自分の身を振りかえって、親神からの借物である事を悟ってよく注意せよ。心得違いがあれば、親神の守護は何時止まるかも分らない。
一二九、立木にも色々沢山あるが、その中どれが用木になるかは分かるまい。
一三〇、用木も僅かな数では足りない、沢山ほしいのである。
一三一、親神が用木にしようと思う者には始終手入れするから、身体に何処か悪い所があっても病気などと思わず思案するがよい。
一三二、同じ人間でもだんだん手入れをして役立つようにするのもあればそのまま役に使われないものもある。それは各々の心柄である。
一三三、どんな自由自在の守護でもするというこの試しは、元創めたぢばであるからこそするのであって、決して外ではしない。
一三五、註 本号四〇、四一参照。
一三七、人々が身体は親神から借りているという事を知らずにいるようでは、それ以外の事は何も分るはずがない。
一三八、註 第二号二二、二三参照。
一四〇、一四一、今までは上流というても余り道に用を勤める者は無かったが、今後はその方面でもよふぼくとなるものをさがす支度をする。
一四二、世界中を一列に早くたすけようと思う親神の段取として、上に立つ者も下にいる者も心を勇ませる。
一四三、世界の人々が陽気に勇むならば、親神の心が勇み、自然農作物も豊じょうになる。
註 第一号一二、一三、一四参照。
一四四、総てこの道は救け一条の教えであるから、理にさかろう人々の悪心の根を早く切ってやりたい。
一四五、今の道は親神の目から見るとほこりだらけであるから、ほうきを持って掃除をせよ。
一四六、掃除をした後の道は、広々としてきれいで楽に歩けるから幾人でも連れて通れ。
一四七、これは明治七年二月二十二日の夜の五つ刻(今の午後八時)のおふでさきで、当時辻忠作は昼間は家業に従事し、夜分教祖様の許に参って御用を勤めていたが当日は歯が痛んで困るから、早くお参りをして救けてもらおうと内を出かけると、忘れたように歯痛が治った。それで彼は有難く思い早速お参りして教祖様にその由を申し上げると、教祖様は辻忠作に『今これを書きました、よく見なされ』と、このお歌を示して神様の話をじゅんじゅんと御説き下されたのである。
一四八、神職僧侶等の説教を聞き、又この道の話も聞いてよく比較して、何れが真実の親神の胸の中を伝えているかよく思案するがよい。
一四九、日々にこの真実な親神の話を聞いて喜べ、この話こそいついつまでもかわる事なく、永久に世界救けの教えとして伝わるべきものである。

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posted by 朱夏 at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月05日

おふでさき第二号。

おふでさき第二号は、明治2年3月にお記し下さいました。
47首あり、教祖(おやさま)72歳の御時です。

おふでさき第二号では、「やしきのそうじ」「人の心のそうじ」が記され、「よろづたすけのつとめ」ができるよう準備することを記されています。
また、「高山」「上」「水をすます」などの喩えを史実とからめて記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第二号>
1 これからハをくハんみちをつけかける せかいの心みないさめるで
2 上たるハ心いさんでくるほとに なんどきにくるこくけんがきた
3 ちやつんであとかりとりてしもたなら あといでるのハよふきづとめや
4 このつとめとこからくるとをもうかな 上たるところいさみくるぞや
5 たん/\と神のしゆごふとゆうものハ めつらし事をみなしかけるで
6 にち/\に神の心のせきこみを みないちれつハなんとをもてる
7 なにゝてもやまいいたみハさらになし 神のせきこみてびきなるそや
8 せきこみもなにゆへなるとゆうならば つとめのにんぢうほしい事から
9 このつとめなんの事やとをもている よろづたすけのもよふばかりを
10 このたすけいまばかりとハをもうなよ これまつたいのこふきなるぞや
11 一寸はなしのぼせかんてきゆうている やまいでハない神のせきこみ
12 たん/\としんぢつ神の一ちよふ といてきかせどまだハかりない
13 はや/\とをもてでよふとをもへとも みちがのふてハでるにでられん
14 このみちをはやくつけよとをもへとも ほかなるとこでつけることなし
15 このみちをしんぢつをもう事ならば むねのうちよりよろづしやんせ
16 このはなしなんの事やとをもている 神のうちわけばしよせきこむ
17 このみちが一寸みゑかけた事ならば せかいの心みないさみてる
18 なにゝても神のゆう事しかときけ やしきのそふぢでけた事なら
19 もふみへるよこめふるまないほどに ゆめみたよふにほこりちるぞや
20 このほこりすきやかはろた事ならば あとハよろづのたすけ一ちよ
21 このさきハたん/\つとめせきこんで よろづたすけのもよふばかりを
22 せかいぢうとこがあしきやいたみしよ 神のみちをせてびきしらすに
23 このよふにやまいとゆうてないほどに みのうちさハりみなしやんせよ
24 にち/\に神のせきこみこのたすけ みな一れつハなんとをもてる

〜内容の区切りと思われる〜

25 高山のをけにハいた水なれど てバなハにこりごもくまぢりで
26 だん/\と心しづめてしやんする すんだる水とかハりくるぞや
27 山なかのみづのなかいと入こんで いかなる水もすます事なり
28 にち/\に心つくするそのかたわ むねをふさめよすゑハたのもし
29 これからハ高山いけいとびはいり いかなごもくもそふぢするなり
30 こもくさいすきやかだしてしもたなら あとなる水ハすんであるなり
31 これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい
32 とふぢんがにほんのぢいゝ入こんで まゝにするのが神のりいふく
33 たん/\とにほんたすけるもよふだて とふじん神のまゝにするなり
34 このさきハからとにほんをハけるてな これハかりたらせかいをさまる
35 いまゝでハ上たる心ハからいで せかいなみやとをもていたなり
36 これからハ神がたいない入こんで 心すみやかわけてみせるで
37 にち/\によりくる人にことハりを ゆへばだん/\なをもまあすで
38 いかほどのをふくの人がきたるとも なにもあんぢな神のひきうけ
39 めつらしいこのよはじめのかんろたい これがにほんのをさまりとなる
40 高山に火と水とがみへてある たれがめへにもこれがみへんか
41 たん/\といかなはなしもといてある たしかな事がみゑてあるから
42 しやハせをよきよふにとてじうぶんに みについてくるこれをたのしめ
43 なにもかもごふよくつくしそのゆへハ 神のりいふくみへてくるぞや
44 だん/\と十五日よりみゑかける 善とあくとハみなあらハれる
45 このはなしとこの事ともゆハんてな みへてきたればみなとくしんせ
46 高山のにほんのものととふぢんと わけるもよふもこれもはしらや
47 とふじんとにほんのものとハけるのハ 火と水とをいれてハけるで


<おふでさき註釈>
第二号
一、今までは主にこの道を慕うて来る者に説き諭しをして来たが、これからは世界に広く教を説いて、世の中の人の心を勇ますようにする。
註 をくハんみちとは、往還道で大勢往来して、然も何等の危なげのない大道の意であって、その真意は貧富貴賎或は民族の如何を問わず普く広く世界一列を救ける道の謂である。
二、往還道をつけかけると、上に立つ人々もこの教を聞いて心が勇んで出かけて来るようになる。然もそれは遠い事ではない。もう直ぐにもそれが実現する機運に向っている。
三、茶の葉を摘みあと刈りそろえて了ったならば、それから先はいよいよよふきつとめに取りかかるのである。
註 この附近で、茶摘みというのは、大体陰暦五月九十八夜頃である。
四、このよふきづとめは、どうして出来るかというと、心の入れ替えが出来た者から行われるのである。そうなると上に立つ人々も自然と心が勇んで来る。
五、親神の守護は霊妙なものであるから段々と人の思いもかけぬ不思議な力を現して今までに知らぬ珍しい事をし始める。
七、世間の人々はやれ病気だ、それ痛みだ、というであろうが決してそうではない。それは皆、親神の深い考えからのせきこみであり、てびきなのである。
八、何故に親神が急き込んでいるかというと、それは早くつとめの人衆を引き寄せたいからである。
註 つとめのにんぢうは、つとめの人衆。第十号二五〜二七註参照
九、親神の望んでいるよふきづとめは何の為だと思うているか。これによって世の中の有りと凡ゆる救けを行いたいと思うからである。
一〇、このたすけは現在ばかりだと思うてはならない。これは末代までの雛形手本となって永遠に救済の実をあげるのである。
註 まつたいのこふきとは、千萬年の後までも語り伝え言い伝えられてたすけ一条の話の台となる事である。             
十一、世間の人達が寄ると触ると、あの人は逆上しているのだとか、狂気しているのだとかうわさをしているが、決して気違いでも無ければ病気でもない。早くこの道に引寄せたいと思う親神の急き込みである。
註 次歌註参照。
十二、種々と眞實の神一条の道を説いて諭すけれども、未だ悟りがつかないようである。
註 辻忠作の入信は文久三年であるが、その動機は妹くらの発狂からである。彼は一日縁家である檪本の梶本家で、庄屋敷の神様はよろづ救けの神様であると聞き、初めて信仰する気になり、すぐに教祖様のおひざ元に参って種々とお諭しを受け信仰すると、くらの発狂はすっかり良くなった。そこで彼はお道に熱心になり、くらはその後縁あって千束という所へ嫁入りした。所がその後、彼は種々と家内に反対があった為、つい信仰が鈍り、当時は教祖様の方へ少しも運ばんようになっていたら、不思議にも又くらが発狂して縁家からもどされて来た。そこで世間の人は気違いになったから不縁になったのだとか、いや離縁されたから逆上したのだとか種々取沙汰をしていたが、それは人間が普通に考えるように病気でもなければ狂気でもなく、教祖様から遠ざかっている彼を、再びこの道に引き寄せようとせられた親神様の深い思召しから手引きせられたのであった。この諭しを受けた彼は、成程自分は心得違いをしていたとざんげして、再び熱心に親神様の御用をつとめるようになった。すると、くらの発狂も忘れたように治って、復縁出来るようになった。
十三、今まではこちらへたずねて来る人に教を垂れていたが、一刻も早くこちらから進んで一般の人々に広く教を説きたい。しかし、その途がなくては進まれない。
十四、世間へ広くこの教を伝えようと思うが、それはどこででもつけられるかというと、そういう訳のものではなく、ほかの所でつける事は出来ない。
十五、この神一条の道を真実に心から思うならば、胸をしずめて万事思案せよ。
十六、今諭した話の眞意はどこにあると思う、それは国々所々に打分け場所の出来るのを急ぐのである。
註 うちわけばしよとは、打分け場所で、将来は内、中、外に各々三十一ケ所宛、都合九十三ケ所出来ると仰せられた。如何に業病の者でも、その打ち分け場所を回っているうちに、病気を救けて頂くのであるが、そのうち一ケ所は非常に辺ぴな所にある。然し、之を略するようでは救からない。又たとい途中で救かっても車つえを捨てないで、結構に救けて頂いた事を人々に知らせて、最後にそれをおぢばに納めるので、若し途中でそれを捨てたならば、一旦救けて頂いても、又元通りになると仰せられた。
十七、この教がつきかけた事ならば、世の中の人の心は皆勇んで来る。
十八、十九、何事も親神の諭しは心してきけ、屋敷内の心の掃除が出来て親神にそれが通じたならば、何をいう間もなく束の間にほこりが取れて終う。
二二、世間では、どこが悪いここが痛いといっているが、この世には一切病気というものは無いのである。若し悪い所か痛む所があれば、それは親神の諭しであり手引きであるのを、世間では一向それに気が付かず病気だとばかり思うている。
註 みちをせは、道教えである。道しるべの意。
二三、この世の中には病気というものは決してない。身体に故障が出来たならば、よく思案してどういう為の親神の道おせであるか手引きであるかを反省せよ。
二四、日々に親神が人々の身の内に障をつけ手引きをして救けを急いでいるのを、一列の者は何と思うているか、早く親神の心尽しを悟ってくれるよう。
二五、山奥の池に湧く水は、清らかで濁って無いはずであるのに、出端は濁って塵が混じっている。
註 高山のお池にわいた水とは、人間をたとえて諭されたもので、人間は最初に生み下ろされた時は、だれもみな清浄な心の持主であるのに、今では自分の欲のためにほこりを積み心が濁って来ている。
てバなは出端で、先ず湧き出る塵あい混りの水の事で、入信当初の事を仰せられたものと解する。
二六、初めは濁ってごもくまじりの心であるが、よく親神の教を聞き深く反省して、心のほこりを取り除くように努力すると、だんだん水が澄むように心が清浄にかわって来る。
二七、山の中の水の中へ入り込んで、どんな濁った水でも奇麗に澄みかえらせて見せる。
註 混濁の世を浄化するのが、本教の使命である事を仰せられたのである。
二八、日々に道のため心を尽して運んで来た上からは、もう一寸の辛抱であるから、どの様な中も精神を倒さぬ様にしてついて来い。末は必ず頼もしい道が見えるであろう。
二九、これからは容易に道のつけ難い所へも入りこんで、如何に心の汚れた者でもほこりを洗い去って清浄ならしめる。
三〇、どんなにほこりを積んでいる者でも、その心の汚れをすっかり洗い落として終うたならば、あとは澄んだ水のように清らかになる。
三一、これからはからとにほんの話をするが、親神がどの様な事をいうか一寸には分からないであろう。
註 本歌以下第三四の御歌まで、本号、四七註参照。
三二、親神の教を未だ知らない者が、にほんにはびこる様になって、思いのままに振舞っているのは、親神のまことにもどかしく思う所である。
註 本号四七註参照。
三三、親神は段々とにほんに親神の眞意を行きわたらせ一列を救ける段取をしているから、未だ親神の教を知らない者にも、やがて神意を了解させて、心置きなく勇んで神恩に浴し得る様にする。
三四、今後はからとにほんの理を分ける様にするが、これさえ分かって来たら人々の心は澄み切って世界は円満に治る様になる。
三五、今までは上に立つ人々は親神の心が分からないものであるから、この道の真意を解しないで世間ありふれたものの様に思っていた。
三六、これからは親神がそれ等の人々の体内に入込んで、本教の真価を悟らせる様にする
三七、毎日教祖を慕うて集い来る人に断わりをいえば、却って慕い寄る人々がだんだんと増すばかりである。
註 教祖様は慕うて来る人々に教を垂れておられたのであるが、世間にはこの教を真に理解していない人が多かったから、種々の誤解をお受けになり、従って種々な方面からしばしば妨害をこうむられたので、教祖様お側の方達は、かくては教祖様に御苦労をおかけするのみであると、参詣して来る人々に断わりをいうていたのであるが、親神様としてはこの教を広める事がその思召しであるから、如何に断りをいうても教祖様を慕うて帰り来る人々は制しきれない、却ってなおなお増すばかりであるぞと諭されたのである。
三九、この世人間創造の理を現した珍らしい甘露台が建てられて、かんろだいづとめが行われる様になったならば、その霊徳により親神の眞意がにほんにひろまり、つづいて世界に行きわたって、一列人間は勇んで陽気ぐらしをする様になる。
四〇、上に立つ人々にも親神の守護が分かりかけているのに、人々にはこれが分からんのであるか。
註 火と水は、「火と水とは一の神」と教えられている様に、親神様の御守護を意味し、又特に親神様の絶大なお力を現実にお現し下さるをいう。
火とは燈火も火、体温も火、火炎も火である。
水とは飲用水も水、雨も水、身体の水気も水、つなみも水である。
四一、今までにも種々と将来の事を説き諭してあるが、それは親神の方には何もかも将来の事がよく分っているからである。
四二、人々が皆幸せよいようにと親神の方では十分心を配っているのであるから、心を正しく親神の意に従う者は幸せを我身につける事が出来る。それを楽しみに暮すよう。
四三、何かにつけて親神の教を守らず、私利私欲を逞ましゅうした者には必ず親神の立腹が現れて苦しまねばならぬ。
四四、だんだんと十五日から、如何な事も現れて来るであろう。善は善、悪は悪、と親神の鮮やかな仕分けが目に見えて来る程に。
四五、今まで述べたこの諭しは、別にだれの事とも明示はせんが、何れ早   晩現れるであろうから、その時になれば合点出来る。
註 以上三首に関連する史料としては、明治五年大和國若井村の松尾市兵衞の話が伝えられている。市兵衞はお道に非常に熱心で、立教当初は高弟の一人として教の取次に尽すいしていたが理くつっぽくて気の強い人であったから、肝心自分の事になると親神様のお諭しを素直にそのまま受け容れることが出来なかったので、親神様からお手入れを頂いていたその長男は盆の十五日に迎え取りになった。
四六、上層におって指導している人々の中で、親神の真意を悟り心の澄切った者と、人間のちえや力に迷って、未だ親神の教を知らない者とを分けるのもこのかんろだいの霊徳によってする事である。
四七、未だ親神の教を知らない者と、親神の眞意を悟った者とを分けるのは、親神の絶大な力を現してする事である。
註 にほんとは、創造期に親神様がこの世人間をお創めになったぢばのあるところ、従ってこの度先ずこの教をお説き下さるところ、世界救けの親里のあるところをいう。
からとは、創造期に人間が渡って行ったところ、従ってこの度この教の次に普及さるべきところをいう。従ってにほんのものとは、最初に親神様に生み下ろされたる者、従ってこの度この教を先ず聞かして頂く者、親神様の眞意を悟った者を言い、
とふじんとは、つづいて生み下ろされた者、従ってこの度次にこの教を説き聞かして頂く者、未だ親神様の教を知らぬ者をいう。
にほんとからに関する一れんのお歌は「おふでさき」御執筆当時、科学技術を輸入するに急なあまり、文明の物質面にのみげん惑されて文明本来の生命である人類愛共存共栄の精神を理解しようともせず、ひたすら物質主義、利己主義の人間思案に流れていた当時の人々に厳しく御警告になって早く親神様の真意を悟りたすけ一条の精神に目ざめよと御激励になったお歌である。即ち親神様のお目からごらんになると世界一列の人間は皆可愛いい子供であって、親神様の真意を知るも知らぬも、先に教を受ける者も次に教を受ける者もその間に何の分け隔てもなく、究極に於て一列人間を皆同様に救けたいというのが親心であるから、親神様は一列の心が澄切って一列兄弟の真実にめざめ、互い立て合い扶け合いの心を定めて朗らかに和やかに陽気ぐらしをする日を、一日も早くとお急き込み下されている。(第十号五五、五六註、第十二号、七註参照。火と水については本号四〇註参照)


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posted by 朱夏 at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月01日

おふでさき第一号。

おふでさき第一号は、明治2年正月よりお記し下さいました。
74首あり、教祖(おやさま)72歳の御時です。

おふでさき第一号では、「一れつ人間をたすけ、陽気ぐらしをさせたい」という立教の由縁が記されています。
人間側へ、「勇む」こと、「つとめ」をすること、「やしきの掃除」を求められる旨が記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。




<おふでさき第一号>
1 よろつよのせかい一れつみはらせど むねのハかりたものハないから
2 そのはづやといてきかした事ハない なにもしらんがむりでないそや
3 このたびハ神がをもていあらハれて なにかいさいをといてきかする
4 このところやまとのしバのかみがたと ゆうていれども元ハしろまい
5 このもとをくハしくきいた事ならバ いかなものでもみなこいしなる
6 きゝたくバたつねくるならゆてきかそ よろづいさいのもとのいんねん
7 かみがでてなにかいさいをとくならバ せかい一れつ心いさむる
8 いちれつにはやくたすけをいそぐから せかいの心いさめかゝりて
9 だん/\と心いさんてくるならバ せかいよのなかところはんじよ
10 このさきハかくらづとめのてをつけて みんなそろふてつとめまつなり
11 みなそろてはやくつとめをするならバ そばがいさめバ神もいさむる
12 いちれつに神の心がいづむなら ものゝりうけかみないつむなり
13 りうけいのいつむ心ハきのとくや いづまんよふとはやくいさめよ
14 りうけいがいさみでるよとをもうなら かぐらつとめやてをとりをせよ
15 このたびハはやくてをどりはじめかけ これがあいずのふしきなるそや
16 このあいずふしぎとゆうてみへてない そのひきたれバたしかハかるぞ
17 そのひきてなにかハかりがついたなら いかなものてもみながかんしん
18 みへてからといてかゝるハせかいなみ みへんさきからといてをくそや
19 このさきハ上たる心たん/\と 心しづめてハぶくなるよふ
20 このハほくむつかしよふにあるけれと だん/\神がしゆこするなり

〜内容の区切りと思われる〜

21 このよふハりいでせめたるせかいなり なにかよろづを歌のりでせめ
22 せめるとててざしするでハないほどに くちでもゆハんふでさきのせめ
23 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする
24 しらしたらあらハれでるハきのどくや いかなやまいも心からとて
25 やまいとてせかいなみでハないほどに 神のりいふくいまぞあらハす
26 いまゝでも神のゆう事きかんから ぜひなくをもてあらハしたなり
27 こらほどの神のざんねんでてるから いしやもくすりもこれハかなハん
28 これハかりひとなみやとハをもうなよ なんてもこれハ歌でせめきる
29 このたびハやしきのそふじすきやかに したゝてみせるこれをみてくれ
30 そふじさいすきやかしたる事ならハ しりてはなしてはなしするなり
31 これまでのざんねんなるハなにの事 あしのちんばが一のさんねん
32 このあしハやまいとゆうているけれど やまいでハない神のりいふく
33 りいふくも一寸の事でハないほどに つもりかさなりゆへの事なり
34 りいふくもなにゆへなるどゆうならハ あくじがのかんゆへの事なり
35 このあくじすきやかのけん事にてハ ふしんのしやまになるとこそしれ
36 このあくじなんぼしぶといものやどて 神がせめきりのけてみせるで
37 このあくじすきやかのけた事ならバ あしのちんばもすきやかとなる
38 あしさいかすきやかなをりしたならバ あとハふしんのもよふハかりを
39 一寸はなし正月三十日とひをきりて をくるも神の心からとて
40 そバなものなに事するとをもへども さきなる事をしらんゆへなり
41 そのひきてみへたるならバそばなもの 神のゆう事なにもちがハん
42 いまゝでハ神のゆう事うたこふて なにもうそやとゆうていたなり
43 このよふをはじめた神のゆう事に せんに一つもちがう事なし

〜内容の区切りと思われる〜

44 だん/\とみへてきたならとくしんせ いかな心もみなあらハれる
45 よろづよのせかいぢふうをみハたせバ みちのしだいもいろ/\にある
46 このさきハみちにたとへてはなしする どこの事ともさらにゆハんで
47 やまさかやいばらぐろふもがけみちも つるぎのなかもとふりぬけたら
48 まだみへるひのなかもありふちなかも それをこしたらほそいみちあり
49 ほそみちをだん/\こせばをふみちや これがたしかなほんみちである
50 このはなしほかの事でわないほとに 神一ぢよでこれわが事
51 いまゝでハうちなる事をばかりなり もふこれからハもんくかハるぞ
52 よろづよにせかいのところみハたせど あしきのものハさらにないぞや
53 一れつにあしきとゆうてないけれど 一寸のほこりがついたゆへなり
54 このさきハ心しづめてしやんせよ あとでこふくハいなきよふにせよ
55 いまゝてハながいどふちふみちすがら よほどたいくつしたであろをな
56 このたびハもふたしかなるまいりしよ みへてきたぞへとくしんをせよ
57 これからハながいどふちふみちすがら といてきかするとくとしやんを

〜内容の区切りと思われる〜

58 このさきハうちをおさめるもよふだて 神のほふにハ心せきこむ
59 だん/\と神のゆふ事きいてくれ あしきのことハさらにゆハんで
60 このこ共二ねん三ねんしこもふと ゆうていれども神のてはなれ
61 しやんせよをやがいかほどをもふても 神のてばなれこれハかなハん
62 このよふハあくしまじりであるからに いんねんつける事ハいかんで
63 わがみにハもふ五十うやとをもへとも 神のめへにハまださきがある
64 ことしより六十ねんハしいかりと 神のほふにハしかとうけやう
65 これからハ心しいかりいれかへよ あくじはろふてハかきによほふ
66 これとてもむつかしよふにあるけれど 神がでたならもろてくるそや
67 にち/\に心つくしたそのゑハ あとのしはいをよろづまかせる
68 五人あるなかのにゝんハうちにをけ あと三人ハ神のひきうけ
69 よろづよのせかいの事をみはらして 心しづめてしやんしてみよ
70 いまゝても神のせかいであるけれど なかだちするハ今がはじめや
71 これからハせかいの人ハをかしがる なんぼハろてもこれが大一
72 せかいにハなに事するとゆうであろ 人のハらいを神がたのしむ
73 めへ々のをもふ心ハいかんでな 神の心ハみなちがうでな
74 せんしよのいんねんよせてしうごふする これハまつだいしかとをさまる


<おふでさき註釈>
一、親神がこの世を創てから永い歳月の間には、幾億という数知れない人々が生を享け来ているが、何時の時代を眺めても廣い世界の中に、たれ一人としてむねの分かった者がない。 
二、それも無理のない事で、今までこの眞實の教えを説き聞かした事がなかったから止むを得ない事である。時々その時代の聖堅を通じて説き聞かした事はあるが、是等は総て時宜に応じた神意の現れであって、最後のものではない。これは未だ旬刻限が到来しなかったからで止むを得なかったのである。
三、然しこの度こそはいよいよ旬刻限が来たので、親神である天理王命が、この世に現れて親神の意中を万事詳細に説き聞かそう。
註 このたびとは、天保九年十月二十六日、旬刻限が到来してこの教をお初め下さった時をいう。神がをもていあらハれてとは、教祖様を親神様のやしろとして、即ち教祖様の御口を通じて親神様の御心を、世の人々へお話下さることをいう。
四、こゝは大和のぢばのかみがたであるというているが、何故ぢばがかみがたであるかという元は知るまい。
註 しバは、ぢばで、親神様が人間を最初に宿し込まれた所、即ち吾々人間の元の親里を指す。かみがたは、神館の詰つたものと解す。
五、大和のぢばがかみがたであるその元来の訳を詳しく聞いたならば、どんな人でも自分達の元の故郷であるぢばが慕わしくなるであろう。
六、この根本のいわれを聞きたいと思うならば尋ねて来るがよい。この世の成り立ちを初め総ての理を詳しく教えよう。
七、真実元の親神がこの世に現れて、無い人間無い世界を創造した親神の恩ちよう、たすけ一条の道を詳しく解き聞かしたら、世界の人々の心は真実の教によつて皆いそいそと晴れやかになる。
八、たれ彼の差別なく総ての人々を、一日も早く救けたいから、親神の胸の中を悟れるように世界の人々の心を勇ませる。
註 以上八首は「みかぐらうた」の「よろづよ八首」にあるものと殆ど同じである。たゞ「おふでさき」に於ては五七五七七となっている和歌調が、「みかぐらうた」に於ては五七五七五となっている。九、世界の人々の心がだんだんと勇んで来るならば、煩もんしたり焦ったりするような心持は無くなり、皆が互救け合いの精神で各々自分の仕事に励むようになって来る。従つて親神もその心に添うて守護するから、世の中の生産は豊かになり家業は繁じようして、何処へ行っても争いなどは無くなり、人々は平和に幸福に暮らせるようになる。
註 よのなかは、よんなかともいわれ、豊じよう満作の意。
一〇、これから親神は人々にかぐらつとめの手振を教えて、人衆そろうてつとめをする様になるのを待ち望むのである。
註 かくらづとめとは、かぐらづとめでかんろだいを中心にして、元初りの十柱の神様の理をたゝえて、十人の人々によつて奉仕するおつとめであって、このおつとめによって親神様をお勇み頂き、済世救人のお働きをお願い申すのである。このおつとめは又、場所の上からかんろうだいのつとめとも、又、神人共に勇むという理の上からようきづとめとも、又たすけ一条のつとめである上からたすけづとめとも仰せられている。(第六号三0註、第十号二五から二七註及、第十五号五二註参照)このお勤めは、ぢば以外に於ては許されない。(おさしづ第三百 九十一、三百九十二頁、第四百五頁参照。)
十一、人衆そろうて一日も早くかぐらづとめをするならば、親神は人間の実の親であるから、子供が喜び勇む有様を見ると親心として親神の心も勇んでくる。
十二、おしなべて親神の心が引き立たない時には、自ずと作物が生気を失うようになり十分な収穫は得られなくなる。
十三、農作物が十分稔らなくなるような人々のいずんだ心は、親神の目から見ると不びんでならないから、五殻が豊じようになるよう親神の心を陽気に勇めねばならぬ。
十四、註 かぐらつとめは、本号十註参照。てをとりは、十二下りのおつとめの事。
十五、かぐらづとめやてをどりをすると、人々の心が陽気になりほこりの心も綺麗に洗い清められるから、親神の方でもその心の理に乗って働くのである。だから一刻も早くかぐらづとめやてをとりの実行にかゝれ。そうすればこのつとめを合図に不思議な親神の働きが必ず現れてくる。
十六、このようにして現れる親神の働きは霊妙なものであるが、それでは如何なる不思議が現れるかという事は今すぐには人間に分らない。親神がいよいよ不思議な働きを見せる日が来るならば、成程親神の働きは霊妙なものであるとう事が誰にも確かに分る。
十八、何事でも、自分の眼の前に現れてから説き出すのが世間普通であるが、親神は眼の前の事だけではなく、将来の事まで教えて置くのであるから、親神の言葉の中に人間心では分らない事があっても、疑うたり否定したりするような早計な事をしてはならない。どこまでも親神の言葉を信じて、その実現の日を待つがよい。
十九、これからは上に立つ人々は、心を平静にして互に融和しなければならない。
二〇、この融和は難かしいようであるが、次第に親神が守護するから、やがて実現するに違いない。
註 当時即ち明治二年の頃は維新創業の際で、人心不安で疑惑深く、表面新政府に帰順しながら、内心歴代君侯の恩を思うてひそかに事を謀る者があり、果して平穏に藩籍奉還が実行出来るかと憂えられた位であった。右二首のお歌はこの國情に対して、親神様は、将来人心必ず一に帰して安定す可きを念い、月日親神様の守護もまたそれにある事を述べられたものである。
二一、この世は一切親神の心を基礎として、天理によつて成立している世界であるから、人の行為はもとよりその他総ての理は、歌によって説き諭して戒めることにする。
二二、戒めるというても、人間のように腕力でするのではない。口でしっ責するのでもない。唯筆によつて教戒するのである。
二三、総ての事が親神の心に違わぬならばそれでよいが、若し親神の心に添わぬような事があれば、歌によつて知らすから、よく悟って心得違いの無いようにするがよい。
二四、心得違いを歌でしらせたら、現れるから気の毒であるが、如何な病も各人の心からであれば止むを得ない。
二五、病というても、世間普通にいう様な単なる病気と思うてはならない親神の心に添わぬから親神が立腹して手入れのために今ここに示すのである。(次歌註参照)
二六、これまでも度々戒めてあるのに少しも用いないから、止むなく表面人の目につくように現したのである。
註 教祖様の長男秀司先生は、長年患うておられる足部の疾患が容易にいえないで、時々痛みがはげしくなる。教祖様はこれに対して、病気ではない親神様の御意見だから、十分ざんげして心を改めるよう教戒せられ、屋敷の掃除をお急込みなられたのである。以下秀司先生に対する親神様の厳しい御諭しは、秀司先生個人に対する御意見と考えず、それを雛形にして、総ての人々に教戒せられたものと解しなければならない。
二七、軽い病気の場合には容易く治療も出来ようが、厳しい親神のしかりを受けるようになっては、如何な名医妙薬の力でも根本的治療は出来ないのである。
二八、この足の患いばかりは、世間にあり勝ちの病気と軽視してはならない。そのもとをどこまでも、歌によつて理を説き諭して戒めきって行く。
二九、この度はぢばの理を明らかにする為に、屋敷からほこりをさっぱり拂い除けてしまうから、みなよく承知しておいてくれ。
註 やしきは、教祖様の居住せられる屋敷であって、人間の親里なるぢばの所在地である。
三〇、この屋敷のそうじが奇麗に出来上がつたならば、ぢばの理が現れて自然にこの道が廣く傳わって行く。
註 しりてはなしてはなしするは、その理に信順してそれからそれへ話し傳える意。
三一、これまでに親神が、残念至極に思っておった事は何であるかといえば、それは足の障りに就てゞある。
三四、註 本号三九註参照
三五、この悪事をさっぱり屋敷から除いてしまわない限り、親神が世界救けの心のふしんを遂行する邪魔になると心得よ。
註 ふしんは、秀司先生が親神様のお心に従うて教祖様と心を一にし、よろづ救けの教をぐ通する神意の達成に努力せられる事を意味し、又一つには神の館の建築の意もぐうせられているものと解す。
三六、註 しぶといは、執着が深いとの意。
三八、悪事が取れて足の患いがすっきりと治まったならば、その後は普請の段取りばかりにとりかかる。
註 ふしんとは、心のふしん、即ち世界人心のかく清を意味されたものと解す。
三九、註 秀司先生は長年独身で正妻無く、おちゑという内縁の妻があって、音次郎という子まであった。そして御屋敷に同居せしめておられたが、これは元々親神様の御思召しに添わぬ悪事から始まったものであつたからして、このおちゑを実家へ送り帰すようにと仰せられたのである。
四〇、正月三十日と日をきつて送る事を、人々は何故かと不思議に思うであろうけれども、後になつて現れる事実を知らないからである。
註 そバなものとは、教祖様のお側にいる人々、狭くは中山家の方々であり、広くは道をたずねて集り参じた人々。
四一〜四四、註 おちゑは実家に帰つて後、数日を出でずして病にふし、遂に再起する事を得なかった。若し人情にほだされて期日を遅らしていたら、屋敷の掃除は遂に行われる事を得なかったであろう。
四五、昔も今も世の中の有様をながめて見ると、人生の行路は実に千種万様である。
四六、人々の通る道は種々様々であるが、今後道にたとえて説き諭しするから、一々何処そこの誰の事と指名はしないが、皆しっかり聞いてよく思案せよ。他人事のように思うて聞流してはならぬ。
四七、山坂を越え、いばらの生え繁つている所も、がけ路も、剣の中も越えて行くと。
註 ぐろふは、むらがり(叢)の意味。
四八、その先には、まだまだ火の中もあり淵の中もあるが、それを段々と越して行くと初めて細い路に出る。
註 ふちとは、青々と水をたゝえた深えんをいう。
四九、この細路を段々と進んで行くと、やっと大道に出る。この様に何も彼もの難しい中を通り抜けて出た大道こそ、確かに間違いのない往還道である。
四七〜四九、総註 以上三首は道路にたとえて人々の通る可べき道の次第を示されたもので、これだけの試練に堪えて、最後まで困苦と戦うて行くならば、必ず立派な道に出られるものである事をよく悟らして頂かねばならない。
五〇、この話は決して他所事ではない。人々を救済する眞實の親神の教えであつて、これは自分自身の道すがらである。
註 此道すがらを教祖様みずから御通り下されて、吾々にひながたの道をお示し下されたのである。そしてこのひながたを慕う我々道の子の、銘々自分の事として思案さして頂かねばならぬ御諭である。
五一、今までは主として屋敷内の事に就いて種々説き諭してきたが、今後は広く一般にわたって説き諭すのである。
五五、親神が元々無い人間無い世界をつくって以来、随分長い年限を経て来たのであるが、その間人々は眞實の教えを聞く事が出来なかった為に、頼る親も分らずさぞ待ち遠い事であつたろう。
註 本歌は今まで永年人間が眞の天啓の教えを聞く事の出来なかったのを、道中にたとえて御教え下されたのである。
五六、旬刻限が来て眞實の親神がこの世に現れ、人類創始の親里に詣り所たるつとめ場所も出来たのであるから、人々は迷う事なく安心して信仰するがよい。
五七、人間を初めてこの世に生み下ろしてからこのかた、久しい年月の間には種々の経路をたどつて来た事であるが、これからはそのながい道中道すがらを説いて聞かすからよく思案せよ。さすれば親神の心尽しも分るであろう。
五八、これから屋敷内のきまりをつける準備にかゝるのであるが、それを一日も早く出来るよう急き込むのである。
六〇、この子供を二、三年教育しようと、その親の方では思うているけれども親神には寿命のない事がよく分っているのである。
註 この子供とは秀司先生の庶子お秀様のことであつて、その出直しを予言せられたものである。
六一、よく思案して見よ。親がどれほど子供可愛くて生き永らえさしたいと思うても、親神が守護をしなければどうすることも出来ないのであるから、この道理をよく悟らねばならぬ。
六二、この世の中はややともすると悪い事に染り易いから、注意していんねんを積まぬ様にしなければならぬ。
六三、もう直ぐ年が五十だから自分では相当年寄だと思うているであろうが、親神から見ればまだまだ将来がある。
六四、今年からもう六十年は、親神の方で確かに引き受ける。
註 右は秀司先生に仰せられた事で、先生は当時四十九歳であつた。
六五、註 ハかきによほふ(若き女房)とは、因縁あって秀司先生の奥様となられた大和國平群郡平等寺村の小東政吉二女松惠様の事で当時十九歳であつた。
六六、これは年齢の相違で難かしい相談のように思うだろうが、親神が出たなら必ず話をまとめてくる。
註 この縁談は最初仲人として龍田の勘兵衛という人が、小東家に話をしたのであるが、都合よくまとまらなかつた。そこで教祖様自ら御越しになり色々お説きになったので、小東家に於ても初めて承服しここに縁談は成立したのである。
六七、心を盡して毎日親神への奉仕に専念したならば、屋敷の支配を万事任せる。
註 これは秀司先生に仰せられたお言葉である。
六八、註 これは秀司先生奥様松惠様の実家小東家に仰有った事で、小東政吉には、おさく、松惠、政太郎、亀吉(後定次郎と改名)音吉(後仙次郎と改名)、という五人の子があつた。親神様はその中の二人は内の用事をさせ、後の三人を親神様のためにささげよ。そうすればその行末は引き受けると仰せられたのである。
六九、世の中の種々の有様をながめて、心静かにこれから諭す事をよく思案してみよ。
七〇、今までとてもこの世の中は総て親神様の支配による事であるけれども、親神が表に現れて夫婦の縁を結ばすのはこれが初めてである。
七一、世間の人々はこの結婚を年齢の点から、不自然に思うて可笑しく思うであろうが、いくら笑うても、その人達は親神の真意を知らないからで、この結婚は相互のいんねんを寄せるのであつて、夫婦の縁を結ぶという事は人生の根本であるから、何よりもこれが一番肝心である。
七二、世間では何故あんな事をするのであろう、と不思議に思うであろうが、それはいんねんという理を少しも知らないからで、やがてそれを悟る日が来るから、一時の笑いは寧ろ親神の楽しみとする所である。
七三、この結婚に就ては人々は人間心で種々に解釈するであろうが、親神はそれとは全く異なって深い考えから結んだものである。
註 この御結婚には、つとめを急込み給う上からつとめごしらえとして、人衆そろえを急がれた深い神意がこもっている。
七四、前生からの深いいんねんある者を、この屋敷に引き寄せて夫婦として守護する。この前生いんねんの魂は永久にぢばに治まるのである。
註 前生のいんねんとは、秀司先生と松惠様の事を仰せられている。このお二人は前生のいんねんによって今生夫婦となられるべき方であり、又お二人ともぢばに深いいんねんのある方々である。
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posted by 朱夏 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月28日

おふでさきを身近に。

次回からは、「おふでさき」をアップしていきたいと思います。

おふでさき」は、教祖(おやさま)直筆の原本が残っており、教祖(おやさま)のお教えに一字も違うことなく触れられるため、天理教の原典(「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」)の中でも、最重要のものと言えます。

おふでさき」は和歌体で記され、第一号から十七号の1711首と、号外として確認されている3首あります。 各号の表題(「第◯号 明治◯年◯月」というように書かれたもの)は、第一号から第十三号までは教祖(おやさま)のご長男・中山秀司先生が記され、第十四号以降第十七号まで山沢良治郎先生が記されています。尚、表題に書かれている年、月日は基本的にすべて陽暦です。
お記し下された年代、歌の数、教祖(おやさま)のご年齢はそれぞれ、
執筆年 歌の数 教祖の御年齢
第一号 明治2年正月より 74首 72歳
第二号 明治2年3月 47首 72歳
第三号 明治7年1月 149首 77歳
第四号 明治7年4月 134首 77歳
第五号 明治7年5月 88首 77歳
第六号 明治7年12月より 134首 77歳
第七号 明治8年2月 111首 78歳
第八号 明治8年5月 88首 78歳
第九号 明治8年6月 64首 78歳
第十号 明治8年6月 104首 78歳
第十一号 明治8年6月 80首 78歳
第十二号 明治9年頃 182首 79歳頃
第十三号 明治10年頃 120首 80歳頃
第十四号 明治12年6月より 92首 82歳
第十五号 明治13年1月より 90首 83歳
第十六号 明治14年4月より 79首 84歳
第十七号 明治15年頃 75首 85歳頃

です。

おふでさき」に触れる上での注意点を、ここで自分なりにまとめておきたいと思います。



おふでさき」は明治初期に書かれたものですので、その言葉遣いは、現在の私達には、とっつきにくい印象があります。
特に「関西弁」に馴染みのない生活をされている方にとっては、外国語や暗号のようにすら感じてしまうかもしれません。事実、外国人の方の方が、すんなりと原典の世界に親しめる場合も、往々にしてあります。

可能であれば、古語辞典や関西方言の辞書を活用してみる機会もオススメします。
また、現在は「差別用語」に指定されているような表現も出てきますが、そこに悪意は微塵もなく、当時の表現という点は理解しておかねばなりません。

そんな言葉の壁を超えてもなお、「解釈」という意味では、多種多様の「解釈」ができてしまうのが、「おふでさき」の奥深さです。
どんな解釈も、誰にも間違いだとは言えません。すべてが正解だとも言えるでしょう。
しかし、「曲解」だけはしてはいけません。
自分なりに解釈してみることは大切ですが、あくまでも「素直に」解釈することです。
素直な解釈は文字通りの解釈ですから、一首一首の解釈は、掛詞を含めてせいぜい数通りしかありません。
言葉の定義を厳密にするならば、解釈は文字通りでも、味わい方は無数にあると言うべきかもしれません。
自分なりに解釈したり味わったりするだけでなく、本や講話などにもできるだけ多く触れて、たくさんの解釈や味わい方を知ることも、「おふでさき」をより身近にしてくれるでしょう。

ただし、これからこのblogでアップしていく際には、私の解釈は載せません。
できるだけフラットに触れて頂きたいと思いますし、私自身も、これから何度も拝読する上で、過去の自分の考えに流されないようにしたいと思うからです。
とはいえ、ただ「おふでさき」を載せていくだけというのも、このblogとしての意義がないように思われます。
そこで、歌の番号としては続いていても、意味の切れ目と考えられるところはそれを示し、さらに「おふでさき註釈」を引用していきます。
これらは、時代背景などを考慮する上で、非常に参考になりますし、信頼性もかなり高いものです。
しかしどんなに信頼性が高いと言っても、それがまるごと正解かどうかは断言できません。
あくまで参考資料として読む必要があると思います。


おふでさき」は、黙読も、音読も、書き写しも、また一人でも多人数でも、どんな触れ方もできます。
暗記すれば、心の中で味わうこともできます。
教会の朝夕のおつとめ後に声を合わせて音読したり、机上で集中して勉強したり、ポケット版を携帯したり、このblogでアップしたものを端末で読んだり、「おふでさき」に触れる機会を増やしていって下さい。

教祖(おやさま)のお教えを身近に感じるために、「おふでさき」を身近にしていくことが必要ですが、「おふでさき」を身近にするには、やはり物理的な身近さが必要です。
おふでさき」に触れる度に、心に残る一首が増えていきます。
それらがあなたの歩みを支え、さらに「おふでさき」を身近にしてくれます。
このblogがその一助になれば、幸甚です。 検索機能もご活用下さいませ。
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2013年11月11日

稿本天理教教祖伝逸話篇二〇〇 大切にするのやで

稿本天理教教祖伝逸話篇二〇〇 大切にするのやで

明治二十年一月十一日、紺谷久平は、信者一同が真心をこめて調製した、赤い衣服一枚と、赤の大きな座布団二枚を、同行の者と共に背負うて、家を出発し、おぢばに帰らせて頂き村田幸右衞門宅で宿泊の上、山本利三郎の付添いで、同一月十三日、教祖(おやさま)にお目通りした。教祖(おやさま)は、御休息所の上段の間で寝んで居られ、長女おまさが、お側に居た。
山本利三郎が、衣服を出して、「これは、播州飾磨の紺谷久平という講元が、教祖(おやさま)にお召し頂きたいと申して、持って帰りました。」と申し上げると、教祖(おやさま)は御承知下され、そこで、その赤い衣服を上段の間にお納め下された。つづいて、座布団二枚を出して、山本が、「これも日々敷いて頂きたい、と申して、持って参りました。」と申し上げる と、教祖(おやさま)は、それも、お喜び下されて、双方とも御機嫌宜ろしくお納め頂いた。
それから仕切りの襖を閉めて、一寸の間、そちらへ寄っておれ、とのことで、山本は下の八畳の間に下りる。紺谷も、共に畏まっていると、おまさが襖を開けて山本を呼んだので、山本が教祖(おやさま)のお側へ寄らせて頂くと、赤衣を一着お出しになって、
「これをやっておくれ。」
と、仰せられ、つづいて、
「これは、粗末にするのやないで。大切にするのやで。大事にするのやで。」
と、仰せになった。山本は、「きっと、その事を申し聞かします。」とお答えして、八畳の間に下り、紺谷に、教祖(おやさま)から、そう申された、と詳しく話して聞かせた。こうして、紺谷久平は、赤衣を頂戴したのである。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
いよいよ逸話編最後の御逸話です。
飾東大教会の初代会長紺谷久平先生が赤衣を拝戴された際の御逸話です。

これまでに拝読してきた御逸話を振り返って考えてみると、「稿本天理教教祖伝逸話篇七 真心の御供」というかなり初めの方の御逸話から、教祖(おやさま)の御態度が全く変わっていらっしゃらないことがよく分かります。
あえて違う点を探してみると、「真心の御供」では、餡餅を御供えされた信者さんへの教祖(おやさま)からのお返しが記録されていないのに対して、この御逸話では、赤衣を下げられていることが挙げられます。
これは「真心の御供」の当時、教祖(おやさま)はまだ赤衣をお召しになっていなかったことに加え、中山家の経済状況が貧の底であった為、返せる物品が無かったからではないでしょうか。
一方、御供えされる信者さんの気持ちは、御供えされた人物も物も違いますが、「真心」という点では同じです。
しかし「真心の御供」の当時は、まだ真実を尽くす喜びを見出せている方は少なかったと思われますが、この紺谷久平先生の御逸話の頃になると、相当数の先生方が真実を尽くされていたと思われます。

この二つの御逸話には、文久二年頃(西暦・1862年頃)から明治二十年(西暦・1887年)と、およそ二十五年もの開きがあります。
生まれたばかりの子どもが、大人になり、当時であれば親として子育ても少し落ち着く程の年齢になるような年月が、これらの御逸話の間にあるのです。
いかに月日が流れようとも、取り巻く状況がどれほど変わろうとも、その御態度に何らの変化も見られない教祖(おやさま)のひながたの強さが見出せるように思います。
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2013年10月18日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九九 一つやで

稿本天理教教祖伝逸話篇一九九 一つやで

兵神真明講周旋方の本田せいは、明治十五年、二度目のおぢば帰りをした。その時、持病の脹満で、又、お腹が大きくなりかけていた。それをごらんになった教祖(おやさま)は、
おせいさん、おせいさん、あんた、そのお腹かかえているのは、辛かろうな。けど、この世のほこりやないで。前々生から負うてるで。神様が、きっと救けて下さるで。心変えなさんなや。なんでもと思うて、この紐放しなさんなや。あんた、前々生のことは、何んにも知らんのやから、ゆるして下さいとお願いして、神様にお礼申していたらよいのやで。」
と、お言葉を下された。それから、せいは、三代積み重ねたほこりを思うと、一日としてジッとしていられなかった。そのお腹をかかえて、毎日おたすけに廻わった。
せいは、どんな寒中でも、水行をしてからおたすけにやらせて頂いた。だんだん人が集まるようになると、神酒徳利に水を入れて、神前に供え、これによって又、ふしぎなたすけを続々とお見せ頂いた。こうして、数年間、熱心におたすけに東奔西走していたが、明治十九年秋、四十九才の時、又々脹満が悪化して、一命も危ないという容態になって来た。そして、苦しいので、「起こせ」とか、「寝させ」とか言いつづけた。それで、その頃の講元端田久吉が、おぢばへ帰り、仲田儀三郎取次ぎで、教祖(おやさま)に、お目にかかり、事の由を申し上げると、 教祖(おやさま)は、
「寝させ起こせは、聞き違いやで。講社から起こせ、ということやで。死ぬのやない。早よう去んで、しっかりとおつとめしなされ。」
と、仰せ下された。そこで、端田等は急いで神戸へもどり、夜昼六座、三日三夜のお願い勤めをした。が、三日目が来ても、効しは見えない。そこで、更に、三日三夜のお願い勤めをしたが、ますます悪くなり、六日目からは、歯を食いしばってしまって、二十八日間死人同様寝通してしまった。その間毎日、お神水を頂かせ、金米糖の御供三粒を、行平で炊いて、竹の管で日に三度ずつ頂かせていた。
医者に頼んでも、「今度は死ぬ。」と言って、診に来てもくれない。然るに、その二十八日間、毎日々々、小便が出て出て仕方がない。日に二十数度も出た。こうして、二十八日目の朝、妹の灘谷すゑが、着物を着替えさせようとすると、あの大きかった太鼓腹が、すっかり引っ込んでいた。余りの事に、すゑは、「エッ」と、驚きの声をあげた。その声で、せいは初めて目を開いて、あたりを見廻わした。そこで、すゑが、「おばん聞こえるか。」と言うと、せいは、「勿体ない、勿体ない。」と、初めてものを言った。
その日、お粥の薄いのを炊いて食べさせると、二口食べて、「ああ、おいしいよ。勿体ないよ。」と言い、次で、梅干で二杯食べ、次にはトロロも食べて、日一日と力づいて来た。が、赤ん坊と同じで、すっかり出流れで、物忘れして仕方がない。
そこで、約一ヵ月後、周旋方の片岡吉五郎が、代参でおぢばへ帰って、教祖(おやさま)に、このことを申し上げると、教祖(おやさま)は、
「無理ない、無理ない。一つやで。これが、生きて出直しやで。未だ年は若い。一つやで。何も分からん。二つ三つにならな、ほんまの事分からんで。」
と、仰せ下された。
せいは、すっかり何も彼も忘れて、着物を縫うたら寸法が違う、三味線も弾けん、という程であったが、二年、三年と経つうちに、だんだんものが分かり出し、四年目ぐらいから、元通りにして頂いた。
こうして、四十九才から七十九才まで三十年間、第二の人生をお与え頂き、なお一段と、たすけ一条に丹精させて頂いたのである。

註 夜昼六座とは、坐り勤めとてをどり前半・後半の一座を、夜三度 昼三度繰り返して勤めるのである。これを三日三夜というと、このお 願い勤めに出させて頂く者は、三昼夜ほとんど不眠不休であった。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
この御逸話のタイトル「一つやで」とは、年齢が一歳であるのと同様の状態だとおさとし下されたお言葉です。

信仰やおたすけの中で、様々な時がありますが、一見たすかっていないように見えても、親神様の視点からすれば、たすかっていく真っ最中とも言える時があります。
また、真剣にお道を通る心が定められる人の多くが、大なり小なり、「生きながらにして生まれ変わる」という体験を持っているものです。
この御逸話の本田せい先生のように何年もかかっての人もいれば、たった一晩でという人もいます。

私の体験を少し紹介したいと思います。
これまでも何度か書いてきましたが、私は身上の手引きを頂き、信仰の道を歩み始めました。
しかしその当初は、身上もすっきりとはしませんでしたし、天理教に対する批判的な考えも浮かびやすく、人におさづけ取り次いでも、「効いた」と言われることはほとんどなく、中には「お前のおさづけは効かない」と怒り出す人もいらっしゃいました。
身体の調子が悪い時は布団から出られず、トイレに行くのさえままならない状態でした。
勉強だけはしてみようと、枕の上で天理教関係の本を読んでみても、感動的なお話は頭に入ってこず、異端信仰者による批判的内容が心を支配することの方が多く、苦痛を感じるばかりでした。
そんな中での、憩いの家への入院。
入院中に読んだ逸話編のおやさまのお言葉にたすけられ、憩いの家からおぢばへの日参を始めたところから、身上の回復がようやく見えてきました。
しかし退院後も、右肩上がりに回復した訳ではなく、不安定とも思える中を、徐々に徐々に御守護頂いたのでした。
何年もかかりましたが、今ではすっきりおたすけ頂き、少々ハードな御用も、しっかりとつとめさせて頂けています。
自分の身体が元気に動かせるのは、当たり前のことではないと、日々喜んで通らせて頂いております。

振り返って考えてみれば、こうして長い期間をかけておたすけ頂いたからこそ、生きながらに生まれ変わらせて頂くことができたのだと思います。
動けない日々、辛く不安な日々、色んな事に一喜一憂し、イライラして腹立たしく思う日々は、成長途中の子どもの心そのものだったと思います。
色んな事が解り、おつとめに喜びを見出し、身体を動かしてのひのきしんができるようになってくると、親の想いも理解でき、ようやくもう一度、大人に近づいてきたと思えました。

本田せい先生ほどの経験ではありませんが、私自身も、家族も、こうした長い期間のおたすけを頂いたからこそ、今の日々を喜んで通らせて頂けているのだと思います。
この御逸話のような不思議なたすかり、長い年数をかけての生きながらの生まれ変わりは、間違いなく今も同様にあるのだと、私自身の経験を通して、さとらせて頂きます。
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2013年10月10日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九八 どんな花でもな

稿本天理教教祖伝逸話篇一九八 どんな花でもな

ある時、清水与之助、梅谷四郎兵衞平野トラの三名が、教祖(おやさま)の御前に集まって、各自の講社が思うようにいかぬことを語り合うていると、教祖(おやさま)は、
「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで。」
と、お聞かせ下されて、お慰め下された、という。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
にをいがけに励んでいても、なかなか道は広がるものではないことを、懸命な布教師であればあるほど、痛感するものだと思います。

そんな嘆きをお慰め下されたお言葉ですが、現在の私達が注目すべきは、ここで語り合っている三名の先生方が、郡山、兵神、船場という、天理教内でも最も早く分教会となった教会の初代の先生方だということではないでしょうか。

数年前、詰所で教友と、「お互い、末端教会で苦労しますねぇ」というような話をしていました。
それを聞いていた大教会の役員先生に、こんなおさとしを頂きました。
「どんなに大きい教会、偉い先生も最初はみんな、末端や。末端教会の所属を嘆くのではなく、おたすけの最前線にいると思いなさい」と。
このおさとしは、今も私の励みとなっています。

現在の姿を見れば盛大な教会も、それぞれに信仰の元一日があり、にをいがけ・おたすけの苦労があるのです。

今現在の私達は、先人のきらびやかな歩みだけでなく、その失敗をも学んで歩める、格段に恵まれた状況にあります。
当時最も勢いがあったとさえ言えるこの三名の先生方にも、にをいがかからない、の運営がうまく行かないと、嘆く日々があったのです。

成果を求めるのではなく、歩み続けられることを喜びましょう。


清水與之助【しみず よのすけ】
天保13年(1842)生まれ(近江国高島郡中野村‐現・滋賀県高島郡安曇川町中野)
明治34年(1901)5月13日出直し:60才
明治16年(1883)兄・伊三郎の病に際し端田久吉(真明講社兵庫一号講元)ににをいをかけられ、初参拝
明治20年のおつとめでてをどりをつとめる
兵神分教会(現大教会)初代会長


梅谷四郎兵衛【うめたに しろべえ】
弘化4年(1847)7月7日生まれ(河内国古市郡東坂田村‐現・大阪府羽曳野市東阪田)
大正8年(1919)5月29日出直し:73才
浦田家の養子 勝蔵から四郎兵衛に改名 浦田家から離籍、梅谷に戻る
明治14年(1881)佐官業の弟子の父親から話を聞き初参拝
教祖より赤衣(明治16年)・本席より息のさづけ(明治20年)
船場分教会(現大教会)初代会長
妻たね 三男・梅次郎(2代会長)


平野楢蔵【ひらの ならぞう】
弘化3年(1846)9月3日生まれ(河内国高安郡恩智村‐現・大阪府八尾市恩智)
明治40年(1907)6月17日出直し:63才
生家・森家より平野家(郡山洞泉寺町‐現・大和郡山市洞泉寺)の娘とらの婿養子となる。
明治17年(1884)幻覚(精神障害)に悩まされ、翌年姉婿・森清治郎よりにをいをかけられる。
明治19年(1886)発作を起こし人事不省となるがお願いづとめでよみがえり、初参拝。
明治20年のおつとめで地方をつとめる
郡山分教会(現大教会)初代会長

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2013年10月05日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九七 働く手は

稿本天理教教祖伝逸話篇一九七 働く手は

教祖(おやさま)が、いつもお聞かせ下されたお話に、
「世界中、互いに扶け合いするなら、末の案じも危なきもない。仕事は何んぼでもあるけれども、その仕事をする手がない家もあれば、仕事をする手は何んぼでもあるが、する仕事がない家もある。
奉公すれば、これは親方のものと思わず、蔭日向なく自分の事と思うてするのやで。秋にでも、今日はうっとしいと思うたら、自分のものやと思うて、莚でも何んでも始末せにゃならん。
蔭日向なく働き、人を助けて置くから、秋が来たら襦袢を拵えてやろう、何々してやろう、というようになってくる。こうなってくると、双方たすかる。同じ働きをしても、蔭日向なく自分の事と思うて働くから、あの人は如才ない人であるから、あの人を傭うというようになってくる。こうなってくると、何んぼでも仕事がある。
この屋敷に居る者も、自分の仕事であると思うから、夜昼、こうしよう、ああしようと心にかけてする。我が事と思うてするから、我が事になる。ここは自分の家や、我が事と思うてすると、自分の家になる。蔭日向をして、なまくらすると、自分の家として居られぬようになる。
この屋敷には、働く手は、いくらでもほしい。働かん手は、一人も要らん。」
と。又、ある時のお話に、
働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(註、 側楽・ハタラク)と言うのや。」
と、お聞かせ下された。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
リクルートという大手企業の新入社員研修で、「働くというのは、はたを楽にするから」と教えられるそうです。
リクルート社を退職して、起業された方から伺いました。
リクルート社の研修担当や創業関係者に天理教の方がいらっしゃるのかどうかは解りませんが、この言葉が、多くの人に働く意義を明確に与えてくれるというのは、事実のようです。

この御逸話では当時の時代背景から、奉公やお屋敷への住み込みを実例に挙げられていますが、現代の会社勤めや家庭生活でも、全く同じことが言えると思います。

分業や分担が分かれていたり、自分自身の得手不得手があっても、互いに補い合い、助け合うからこそ、チームとして成功でき、陽気な家族として仲良く暮らしていけるのです。

そんな理想的な対人関係を築くには、まず自分自身が見返りを求めず、「はたはたを楽にしよう」と働くことです。
不得意なことを無理にやる必要はありません。
少々面倒だけれども、自分ならできるということを、喜んですることが、「側楽」ということなのだと思います。
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2013年09月20日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九六 子供の成人

稿本天理教教祖伝逸話篇一九六 子供成人

教祖(おやさま)の仰せに、
「分からん子供が分からんのやない。親の教が届かんのや。親の教が、隅々まで届いたなら、子供成人が分かるであろ。」
と、繰り返し繰り返し、聞かして下された。お蔭によって、分からん人も分かり、救からん人も救かり、難儀する人も難儀せぬようの道を、おつけ下されたのである。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
親から子へ、子から孫へと代々教えを伝えて行くことを「縦の伝道」と言います。
「縦の伝道」を考える上で、大切な御逸話だと思います。

代々信仰を伝えることは、簡単なようでいて、非常に難しい面もあります。
子どもは成長の過程で親に反発心を持つものですし、その反発心が信仰心の否定に向かうこともあります。

「親の教が、隅々まで届いたなら、子供成人が分かる」というお言葉は、この御逸話の核となる部分ですが、どういう風に受け取れるでしょうか?
人によって解釈は違うと思いますが、私のさとりはこうです。

まず親自身が信仰心をしっかりと持ち、日々成人の道を歩むことです。
子どもに言葉で教えを伝えることも大切なことですが、時に行動で、時に無言の背中でと、全方向から教えを伝えていけば、自ずと伝わるべき事は伝わります。
そんな中で、子どもが成長の過程で親に反発心を持ち、お道の信仰を否定したとしても、それを成長の上で大切な経験なのだと、子どもが確実に成長していることを見出し、喜べれば、親の教えが隅々まで伝わりつつあると、さらに喜べるのではないでしょうか。
親自身がそこまで成人できれば、子どもが一時期は反発したとしても、またしっかりと道を歩んでくれるでしょう。

教えが伝わらないことを嘆くのではなく、自分自身がまずより一層の成人をしていくこと、子どもの日々の成人をしっかり見出すことが大切なのだと思います。
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2013年09月14日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九五 御苦労さま

稿本天理教教祖伝逸話篇一九五 御苦労さま

「教祖(おやさま)程、へだてのない、お慈悲の深い方はなかった。どんな人にお会いなされても、少しもへだて心がない。どんな人がお屋敷へ来ても、可愛い我が子供と思うておいでになる。どんな偉い人が来ても、
『御苦労さま。』
物もらいが来ても、
『御苦労さま。』
その御態度なり言葉使いが、少しも変わらない。皆、可愛い我が子と思うておいでになる。それで、どんな人でも皆、一度、教祖(おやさま)にお会いさせてもらうと、教祖(おやさま)の親心に打たれて、一遍に心を入れ替えた。 教祖(おやさま)のお慈悲の心に打たれたのであろう。
例えば、取調べに来た警官でも、あるいは又、地方のゴロツキまでも、皆、信仰に入っている。それも、一度で入信し、又は改心している。」と。これは、高井直吉の懐旧談である。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
この御逸話を拝読すると、所属教会の初代会長が思い起こされます。
私自身は、直接初代会長様にお会いしたことはありません。
ですが信者さんの多くが直接初代会長様と接してこられたので、思い出話をよく伺います。
思い出話といっても、どういうお仕込みを頂いたとか、どういうにをいがけおたすけをされたという話は少なく、常日頃のそのお姿を語られる場合がほとんどです。
中でも、教会に参拝すると、玄関で静かに座り、「ご苦労さんです。ママ(食事・御飯)頂いて下さいや」と、何とも言えない優しい様子で、誰にでも分け隔てなく挨拶されたという思い出をよく伺います。
私の所属教会の初代会長様は女性ですので、ご本人が教祖(おやさま)のひながたを目指す気持ちが、周囲の人にはそのまま、教祖(おやさま)のお姿を写し取っているように見えたのかも知れません。

教祖(おやさま)のひながたとは、このように、分かるようで分からない、説明できそうでできない、「何とも言えない優しい様子」のことなのではないでしょうか。
ひながたを頼りに生きている人も、自覚のないままに、そんな雰囲気を発していくものなのかも知れません。
それこそが真のにをいがけへと繋がるのですが、そのためにはやはり、努力の日々を重ねる他はありません。
そう考えると、努力の日々も、老いへと歳を重ねることも、楽しみに思えてきますね。


高井直吉(猶吉とも書く)
文久元年(1861)1月19日大阪府八尾市老原の生まれ。
3歳のころ父と死別し、姉夫婦に育てられる。
明治7年(1874)桶屋に奉公に出たころ、姉の産後の患いから、その夫と共に初めておぢばがえりする。
同12年(1879)悪性の風邪「ぜいき」をたすけられて信仰に入る。
同13年(1880)19歳でおやしきに住み込む。
同16年(1883)岡田与之助(宮森与三郎)らと遠州布教。
同17年(1884)4月、息のさづけを頂く。
同31年(1898)泉支教会三代会長。昭和16年(1941)11月21日出直し。80才。
岡田与之助とともに、お屋敷住込み青年第1号にあげられる。
「レンコン堀り」とあだ名されたぐらい事細かに教祖に教えを問うた。

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2013年09月02日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九四 お召し上がり物

稿本天理教教祖伝逸話篇一九四 お召し上がり物

教祖(おやさま)は、高齢になられてから、時々、生の薩摩藷を、ワサビ下ろしですったものを召し上がった。
又、味醂も、小さい盃で、時々召し上がった。殊に、前栽の松本のものがお気に入りで、瓢箪を持って買いに行っては、差し上げた、という。
又、芋御飯、豆御飯、乾瓢御飯、松茸御飯、南瓜御飯というような、色御飯がお好きであった。そういう御飯を召し上がっておられるところへ、人々が来合わすと、よく、それでお握りようのものを拵えて、下された。
又、柿の葉ずしがお好きであった。これは、柿の新芽が伸びて香りの高くなった頃、その葉で包んで作ったすしである。
柿の葉ずし - Google 検索.png
柿の葉ずし - Google 検索


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
教祖(おやさま)の「面影」についての御逸話が続いています。

柿の葉寿司は衛生的な問題からか手間のためか、提供されることはありませんが、毎月の御本部月次祭での炊事本部提供の昼食には必ず、色御飯(炊き込み御飯)が出されます。
これは、この御逸話から、教祖(おやさま)をお慕いしてのものだと言われています。

「そういう御飯を召し上がっておられるところへ、人々が来合わすと、よく、それでお握りようのものを拵えて、下された。」
という点について、教祖(おやさま)のお側に最も永くつとめられた増井りん先生の思い出話によると、教祖(おやさま)のお茶碗は通常よりも大きい物をお使いになっていましたが、「おてぶくぼ」と言って大半は人に与えられたということです。
「おてぶくぼ」とは、教祖(おやさま)ご自身が周囲の方々の手のひらに食べ物をお移しになって、共に喜びを分かち合われることだそうです。


「おてぶくぼ」
私はよく、珍しいものをいただいた時や、御馳走をいただきまする時は、必ずこれを側の人々にも分け合うていただいてもらいます。それで家の者や孫などは、自分の好きなもの当たった時は黙っていまするが、そうでもない時は面倒がって、なぜおばちゃんはそんなことをするのかと尋ねます。すると私はいつも、教祖のお食事を遊ばした時の物語りをいたして言うて聞かしますると、みんな得心してくれます。
私は神様のお言葉、秀司先生のご下命によりまして、永らくの間、教祖のお守り役を仰せつかりましたが、その間、特に深く感じさしていただいたのに、この「おてぶくぼ」と言うのがあります。
それは、神様の御食膳に何か珍しいものを差し上げますると、神様は、必ずご満足の後、お箸をお取り上げになってから『てぶくぼ』と仰せられて、御自身で相手の手のひらにそれをお移しになって、ともに喜びをお分かちになるのであります。二人おれば二人、三人おれば三人に、それぞれたくさんお移しになって、ともにお喜びになるのであります。神様はいかなる時も決して御自身だけでご満足なさることなく、皆とともにお喜びをお分かちになりました。恐れ多いことであります。

教祖の御好物
教祖は何がお好き、何がお嫌いというようなことは、かつて仰せられたことがござりませんでした。どんなお粗末なものを差し上げました時でも、必ず御黙祷の上『おいしいな』と仰せられましたが、少々御好物のごとく拝されたものに飴と少量の味醂とがありまする。味醂の方はごく小さいお盃に二、三杯お召しになったように記憶いたします。それで私は河内に帰った時は、途中で飴と味醂とを買ってきて差し上げるのが楽しみでした。
なお、お召し上がりにならなかったものに牛肉と鳥肉等がありまする。ある日も信徒の方で大きな山鳥を教祖に差し上げたことがありますが、その時教祖は山鳥の背(せな)をさもあわれげにお撫でになってから
『こんな目に逢うたのやなあ、可愛そうに、今度は鳥に生まれずに他のものに生まれておいで。』
と仰せられてから、下におさげになりました。御慈悲禽獣に及んでいたのであります。ただお召し上がりの時のお茶碗はかなり大きい「どうくろ」のお茶碗を御使用でございました。これは「おてぶくぼ」の時、小さいのではみんなに行き渡りませんので、大きいのをお用い遊ばしたのであろうと拝察いたしています。

道友社新書26「先人の遺した教話(五) 誠真実の道・増井りん」120〜122ページより


このような親心溢れるお心配りを知った上で教祖(おやさま)の食のお好みを知ると、日常、ここで挙げられているような食事に出会った時、教祖(おやさま)のお姿をより身近に感じることができるように思います。
御本部月次祭当日に、炊事本部の昼食を頂きながら、道の仲間と教祖(おやさま)について和やかに話していれば、教祖(おやさま)へ馳せる想いも、より身近に、より深く感じられるはずです。


先人の遺した教話 (5) (道友社新書 (26))
<参考リンク>
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2013年08月22日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九三 早よう一人で

稿本天理教教祖伝逸話篇一九三 早よう一人で

これは、梶本宗太郎の思い出話である。
教祖(おやさま)にお菓子を頂いて、神殿の方へでも行って、子供同志遊びながら食べて、なくなったら、又、教祖(おやさま)の所へ走って行って、手を出すと、下さる。食べてしもうて、なくなると、又、走って行く。どうで、「お祖母ちゃん、又おくれ。」とでも言うたのであろう。三遍も四遍も行ったように思う。
それでも、「今やったやないか。」というようなことは、一度も仰せにならぬ。又、うるさいから一度にやろう、というのでもない。食べるだけ、食べるだけずつ下さった。ハクセンコウか、ボーロか、飴のようなものであった、と思う。大体、教祖(おやさま)は、子供が非常にお好きやったらしい。これは、家内の母、山沢ひさに聞くと、そうである。
櫟本の梶本の家へは、チョイチョイお越しになった。その度に、うちの子にも、近所の子にもやろうと思って、お菓子を巾着に入れて、持って来て下さった。
私は、曽孫の中では、男での初めや。女では、オモトさんが居る。それで、
「早よう、一人で来るようになったらなあ。」
と、仰せ下された、という。
私の弟の島村国治郎が生まれた時には、
「色の白い、綺麗な子やなあ。」
と、言うて、抱いて下された、という。この話は、家の母のウノにも、山沢の母にも、よく聞いた。
吉川(註、吉川万次郎)と私と二人、同時に教祖(おやさま)の背中に負うてもろうた事がある。そして、東の門長屋の所まで、藤倉草履(註、表を藺で編んだ草履)みたいなものをはいて、おいで下された事がある。
教祖(おやさま)お声は、やさしい声やった。お姿は、スラリとしたお姿やった。お顔は面長で、おまささんは一寸円顔やが、口もとや顎は、そのままや。お身体付きは、おまささんは、頑丈な方やったが、教祖(おやさま)は、 やさしい方やった。御腰は、曲っていなかった。
藤倉草履 - Google 検索.png
藤倉草履 - Google 検索


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
梶本宗太郎先生の御逸話が続いています。
当時、梶本宗太郎先生はまだ幼い子どもでしたが、教典や教祖伝、そして逸話篇が編纂される頃には、宗太郎先生の思い出話が貴重な資料となりました。
この御逸話で語られている教祖(おやさま)のお顔立ちや体格は、そのまま教祖伝・第八章親心の「面影」として書かれています。

面影:
高齢の教祖(おやさま)にお目に掛った人々は皆、譬えようもない神々しさと、言葉に尽せぬ優しさとが、不思議にも一つとなって、何となく胸打たれ、しかも心の温まる親しさを覚えた。
教祖(おやさま)は、中肉中背で、やゝ上背がお有りになり、いつも端正な姿勢で、すらりとしたお姿に拝せられた。お顔は幾分面長で、色は白く血色もよく、鼻筋は通ってお口は小さく、誠に気高く優しく、常ににこやかな中にも、神々しく気品のある面差であられた。
お髪は、年を召されると共に次第に白髪を混え、後には全く雪のように真白であられたが、いつもきちんと梳って茶筅に結うて居られ、乱れ毛や後れ毛など少しも見受けられず、常に、赤衣に赤い帯、赤い足袋を召され、赤いものずくめの服装であられた。
眼差は、清々しく爽やかに冴えて、お目に掛った人々は、何人の心の底をも見抜いて居られるというのはこのような眼か、と思った。
足腰は、大そう丈夫で、年を召されても、腰は曲らず、歩かれる様子は、いかにも軽ろやかで速かった。
教祖(おやさま)にお目に掛る迄は、あれも尋ね、これも伺おうと思うて心積りして居た人々も、さてお目に掛ってみると、一言も承わらないうちに、一切の疑問も不平も皆跡方もなく解け去り、たゞ限りない喜びと明るい感激が胸に溢れ、言い尽せぬ安らかさに浸った。
お声は、平生は優しかったが、刻限々々に親心を伝えられる時には、響き渡るような凛とした威厳のある声で、あれが年寄った方の声か、と思う程であった。
教祖(おやさま)は、子供に対しても、頗る丁寧に、柔らか優しく仰せられたというが、その優しいお言葉に、ひながたの親としての面影を偲び、刻限刻限に親神の思召を伝えられた、神々しくも厳かなお声に、月日のやしろとしての理を拝する。厳しく理を諭し、優しく情に育くんで、人々を導かれた足跡に、教祖(おやさま)の親心を仰ぐ。


さて、この御逸話の中で注目したいのは、何度もお菓子を下されたという点です。
一度にたくさん与える訳でもなく、また一度与えたから終わりという訳でもなく、必要なだけ、必要なだけ、何度でも与えられたというところです。

この御逸話を読むと、「満足を与える」ということについて、考えさせられます。
大人でも子どもでも、一度にたくさん与えられれば、その時は喜びますし、気分的には満足できるでしょう。
しかし、貰いに行けば必ず必要なだけ与えられることほど、「安心感」を得られるものはありません。
本当の満足とは、この「安心感」なのではないでしょうか。
また、一度与えられたらもうそれでお終いということであっては、何度も通う気持ちは生まれません。
必要な分だけ、その都度その都度与えられるというのが、本当の満足であり、親を慕う心へと繋がるのだと思います。

血縁的な意味でも理の上でも、子どもが居るなら、こういった満足感を与えたいものです。
また当然ながら、神様の御守護はこのように過不足無く、その都度その都度、絶え間なくお与え下されています。それにしっかりと気付くことができれば、おのずと満足感、安心感で満たされることでしょう。

子に満足を与える親心と、親のお与え、神様の御守護に気付き、もたれ切れる心を育んでいきたいものです。
その為には何よりもまず、親自身が、子どもを満足させる心遣いで通ることが大切ですね。
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2013年08月17日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九二 トンビトート

稿本天理教教祖伝逸話篇一九二 トンビトート

明治十九年頃、梶本宗太郎が、七つ頃の話。教祖(おやさま)が、蜜柑を下さった。蜜柑の一袋の筋を取って、背中の方から指を入れて、
「トンビトート、カラスカーカー。」
と、仰っしゃって、
「指を出しや。」
と、仰せられ、指を出すと、その上へ載せて下さる。それを、喜んで頂いた。
又、蜜柑の袋をもろうて、こっちも真似して、指にさして、教祖(おやさま)のところへヒヨーッと持って行くと、教祖(おやさま)は、それを召し上がって下さった。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
この御逸話では、何かおさとしがあったということはなく、ただ、曾祖母と曾孫との微笑ましいやりとりが書かれています。

道を懸命に通る中で、疲れた気持ちになってしまうこともあるでしょう。
しかしそんな中でおぢばに帰られた先生方には、このような光景に心癒された方も多かったことと思います。

勇んで、懸命に通ってはいるのだけれど、何だか疲れてしまった時、この御逸話の情景を思い浮かべてみましょう。
癒された心が、またぼちぼちと歩み始める力を与えてくれるはずです。

また、こどもおぢばがえりを始め、その期間以外でも、おぢばには大人の笑顔も子どもの笑顔も溢れています。
おぢばに帰れば、必ず癒される。
私の経験の限りですが、それは間違いの無いことだと思います。
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2013年08月04日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九一 よう、はるばる

稿本天理教教祖伝逸話篇一九一 よう、はるばる

但馬国田ノ口村の田川寅吉は、明治十九年五月五日、村内二十六戸の人々と共にを結び、推されてその講元となった。時に十七才であった。これが、天地組七番(註、後に九番と改む)の初まりである。
明治十九年八月二十九日、田川講元外八名は、おぢば帰りのため村を出発、九月一日大阪に着いた。が、その夜、田川は宿舎で、激しい腹痛におそわれ、上げ下だし甚だしく、夜通し苦しんだ。時あたかも、大阪ではコレラ流行の最中である。一同の驚きと心配は一通りではなく、お願い勤めをし、夜を徹して全快を祈った。かくて、夜明け近くなって、ようやく回復に向かった。そこで、二日未明出発。病躯を押して一行と共に、十三峠を越え竜田へ出て、庄屋敷村に到着。中山重吉宅に宿泊した。その夜、お屋敷から来た辻忠作山本利三郎の両名からお話を聞かせてもらい、田川は、辻忠作からおさづけを取次いで もらうと、その夜から、身上の悩みはすっきり御守護頂いた。
翌三日、一行は、元なるぢばに詣り、次いで、つとめ場所に上がって礼拝し、案内されるままに、御休息所に到り、教祖(おやさま)にお目通りさせて頂いた。教祖(おやさま)は、赤衣を召して端座して居られた。一同に対し、
「よう、はるばる帰って下された。」
と、勿体ないお言葉を下された。感涙にむせんだ田川は、その感激を生涯忘れず、一生懸命たすけ一条の道に努め励んだのである。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
生野大教会初代会長・田川寅吉先生の御逸話です。
明治19年衣川弥兵衞という先生の伝える教理に感銘して、入信されたので、この御逸話までは、ご自身が大きな身上をたすけられたという経験は、無かったようです。


おふでさき

せかいにハこれらとゆうているけれど 月日さんねんしらす事なり (一四-22)

と仰せ下さいます。
コレラなど、流行の病をたすけられて入信された例は数多くあります。
コレラに限らず、あらゆる流行の病は、同じ思し召しがあると言えるのではないでしょうか。
月日ざんねん」というお言葉は、厳しい内容に受け取ることもできますが、親神様の思し召しをお知らせ下さる、貴重かつ重要な機会とも言えます。

この御逸話の中で田川寅吉先生は、すでに入信され、講元として活動されていますし、おぢばがえりも喜んで出立されたようですから、特に心得違いも見当たりません。
ではなぜ、コレラを疑わせるような、激しい身上を見せられたのでしょうか?

私は、あらゆる身上・事情の悩みは、親神様からの親心溢れるお手入れであり、ご褒美だと思っています。
もし仮に、田川寅吉先生に何の悩みもなく、何の苦労もなく、おぢばがえりをされたとしたら、後に大教会となるほど懸命に道を通ることはできなかったのではないでしょうか。
強烈とも言える苦しさと、それが不思議にたすかる喜びを味わえたからこそ、信仰の真剣さが生まれたのではないかと思うのです。
こうした視点から考えれば、このような苦しみを与えられたからこその生野大教会であり、そこに繋がる数え切れない人々のたすかりがあると言えるのです。

私の身の回りでも、修養科や各種講習会の受講中など、おぢばで見せられる身上・事情を通して、より信仰を深められる方を数多く見せられました。私自身も、修養科中、教養掛の御用中などに見せられた身上・事情によって、大きくお育て頂いたと思っています。
「こんなに頑張っているのに、こんなに喜んでいるのに、なぜこんなことが起こるのだろう?」と考えてしまうような、勇んでいる時に見せられる身上・事情にこそ、成人のきっかけがあります。これこそが、「運命が切り替わる時」なのです。

田川寅吉
生野大教会初代会長。
明治3年(1870)10月9日、現兵庫県朝来郡に生まれる。
明治19年衣川弥兵衞の伝える教理に感銘し入信、同年天地組七番講を結成した。
明治27年生野支教会長に就任。
昭和19年7月31日73才で出直した。

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2013年07月26日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九〇 この道は

稿本天理教教祖伝逸話篇一九〇 この道は

明治十九年夏、松村吉太郎が、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。多少学問の素養などもあった松村の目には、当時、お屋敷へ寄り集う人々の中に見受けられる無学さや、余りにも粗野な振舞などが、異様に思われ、軽侮の念すら感じていた。ある時、教祖(おやさま)にお目通りすると、教祖(おやさま)は、
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」
と、仰せになった。
このお言葉を承って、松村は、心の底から高慢さんげをし、ぢばの理の尊さを、心に深く感銘したのであった。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
以前、「稿本天理教教祖伝逸話篇一七六 心の澄んだ人」の中で、松村吉太郎先生について書かせて頂きましたが、丁度、この御逸話の頃のことです。

この御逸話では、教祖(おやさま)の一言のおさとしと、そこから素直に高慢心さんげされた松村先生の姿だけが描かれていますが、教祖(おやさま)が現身を隠されて後、本席飯降伊蔵先生の口を通して、このお言葉の続きとも言えるおさしづ松村先生に対して語られています。
少し長めですが引用すると、

明治二十一年一月八日(陰暦十一月二十五日)
 松村吉太郎おぢばへ参詣おさしづ
さあ/\尋ねる一条々々、十分一つ聞き分けば十分よし。神一条の道一寸難しいようなものや。一寸も難しい事はないで。神一条の道こういう処、一寸も聞かしてない。天理王命というは、五十年前より誠の理である。こゝに一つの処、天理王命という原因は、元無い人間を拵えた神一条である。元五十年前より始まった。元聞き分けて貰いたい。何処其処で誰それという者でない。ほん何でもない百姓家の者、何にも知らん女一人。何でもない者や。それだめの教を説くという処の理を聞き分け。何処へ見に行ったでなし、何習うたやなし、女の処入り込んで理を弘める処、よう聞き分けてくれ。内々へも伝え、身の内かしものや、かりものや、心通り皆世界に映してある。世の処何遍も生れ更わり出更わり、心通り皆映してある。銘々あんな身ならと思うて、銘々たんのうの心を定め。どんな事も皆世上に映してある。何程宝ありても、身の内より病めばこれ程不自由はあろうまい。自由自在心にある。この理をわきまえ。又々内々の処、銘々の処にも速やかの日がある。銘々ほんと思うた事あれば尋ねに出よ。

このおさしづはこの道の根本を語られた明快な内容で、非常に重要なものです。
教会長資格検定講習会では、必ず解説される、この道を深く通ろうとする者なら、確実に理解しておかなければならないおさしづの一つと言えます。

このおさしづでは、「知恵学問ではない」ということを、教祖(おやさま)の農家の主婦としてのお立場を示してお教え下さっていますが、さらにもう一つ、「来ん者に来いとは言わん」という部分について語られたおさしづを引用します。

明治二十年四月二十三日 午後四時頃
 神様よりしっかり治まりたと承り
このやしき、四方正面、鏡やしきである。来たいと思ても、来られんやしき。来た者に往ねとは言わん、来ん者に来いとは言わん。この度は、洗い仕立てた上やで。ようこゝ聞かねばならん。さあ一寸言うて置くで。年を切るような事を、決めるやないで。一月に三日又戻り、三日又戻り、又九日。これ聞いて、真と思て居れば、真と成るで。
(このおさしづはナライト二十五才の年の事と、上田嘉治郎記し置きたり。)

この御逸話もよく引用されるものですので、ご存知の方も多いかもしれません。

おさしづは神様からの話し言葉ですから、音読することで自分自身に語られていると認識でき、また素直に理解するために大切なことだと思います。
もう一度、この二つのおさしづを音読した後、さとりの続きを読み進めて下さい。

おさしづは、本席飯降伊蔵先生の口を通されたものですから、表面上を見れば、教祖(おやさま)とは性別も年齢も全く違う人の言葉です。
しかしその内容は、極めて一貫しています。
今回引用した二つのおさしづは、「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」という教祖(おやさま)のお言葉をさらに細かくご解説下さったものと拝読することができます。
教祖(おやさま)が現身を隠されて後の先生方が、おさしづを拠り所とされるには、やはりそれだけの裏打ちと、説得力があったからに間違いありません。

この御逸話における教祖(おやさま)のお言葉と、それからわずか一年以内のこれらのおさしづを合わせて拝読する時、教祖(おやさま)が現身を隠されるという悲しい節から、おさしづという変わらない親心を賜って前進できる喜びという不思議な繋がりが見えてくるように思います。


おふでさき

なんどきにかいりてきてもめへ/\の 心あるとハさらにをもうな (十一−78)

と仰せ下さいます。
自分自身の心の内がいかなものであれ、おぢばに帰ることができたとすれば、親神様からの深い思惑があるものと思われます。
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」というお言葉にある奥深さは、おぢばがえりを繰り返す度、また、人をおぢばにお連れ帰りする度に、どんどんと強く感じられていくように思います。
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2013年07月21日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八九 夫婦の心

稿本天理教教祖伝逸話篇一八九 夫婦の心

平野楢蔵が、明治十九年夏、布教のため、家業を廃して谷底を通っている時に、夫婦とも心を定め、「教祖(おやさま)のことを思えば、我々、三日や五日食べずにいるとも、いとわぬ。」と決心して、夏のことであったので、平野は、単衣一枚に浴衣一枚、妻のトラは、浴衣一枚ぎりになって、おたすけに廻わっていた。
その頃、お屋敷へ帰らせて頂くと、教祖(おやさま)が、
「この道は、夫婦の心が台や。夫婦の心の真実見定めた。いかな大木も、どんな大石も、突き通すという真実、見定めた、さあ、一年経てば、打ち分け場所を許す程に。」
と、お言葉を下された、という。



<今現在できる、自分なりの「さとり」>
天理教内で最初の分教会設立となった郡山大教会の初代会長・平野楢蔵先生の御逸話です。

逸話篇の中に何度か、「打ち分け場所」というお言葉が出てきました。
現・高安大教会の松村家(稿本天理教教祖伝逸話篇一〇二 私が見舞いに)や現・大縣大教会の増井りん先生宅(稿本天理教教祖伝逸話篇四七 先を楽しめ)がその代表格ですが、平野楢蔵先生の真実込めた信仰も、「打ち分け場所」の理に繋がり、最初の分教会として実現されたと考えて差し支えないと思います。

現在、約一万七千カ所の教会がありますが、そのすべてが、初代の真実の通り方によって設立に繋がっていることは、間違いありません。
今現在表向きに見える各教会の姿は様々ですが、何の苦労も、何の不思議なたすかりも、そして何の喜びも無しに設立された教会は一つとしてありません。

おふでさき

このはなしなんの事やとをもている 神のうちわけばしよせきこむ (二-16)

と仰せられます。
おふでさき註釈によると、

うちわけばしよとは、打分け場所で、将来は内、中、外に各々三十一ケ所宛、都合九十三ケ所出来ると仰せられた。如何に業病の者でも、その打ち分け場所を回っているうちに、病気を救けて頂くのであるが、そのうち一ケ所は非常に辺ぴな所にある。然し、之を略するようでは救からない。又たとい途中で救かっても車つえを捨てないで、結構に救けて頂いた事を人々に知らせて、最後にそれをおぢばに納めるので、若し途中でそれを捨てたならば、一旦救けて頂いても、又元通りになると仰せられた。

結局この「打ち分け場所」について、記録されている数カ所以外には明確に明らかにされることはありませんでした。
打ち分け場所」を回っておぢばに帰るということですが、現在の状況を勘案すれば、いわゆる親教会を巡々に参拝することだとも言えます。
いわゆる末端教会の所属であることや親教会への順序運びに不足心を持つ方もいらっしゃいますが、こうした観点から考えれば、末端教会に所属している方が、おふでさきの「うちわけばしよ」に符合した通り方ができる有り難さがあると言えるのではないでしょうか?

与えられた順序を喜び、夫婦や家族、仲間が共に心を合わせ、一手一つに通れるよう、まずは自分自身から教祖(おやさま)のひながたを目標に歩み始めることが大切なのだと思います。
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2013年07月18日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八八 屋敷の常詰

稿本天理教教祖伝逸話篇一八八 屋敷の常詰

明治十九年八月二十五日(陰暦七月二十六日)の昼のこと、奈良警察署の署長と名乗る、背の低いズングリ太った男が、お屋敷へ訪ねて来た。そして、教祖(おやさま)にお目にかかって、かえって行った。
その夜、お屋敷の門を、破れんばかりにたたく者があるので、飯降よしゑが、「どなたか。」と、尋ねると、「昼来た奈良署長やが、一寸門を開けてくれ。」と言うので、不審に思いながらも、戸を開けると、 五、六人の壮漢が、なだれ込んで来て、「今夜は、この屋敷を黒焦げにしてやる。」と、口々に叫びながら、台所の方へ乱入した。
よしゑは驚いて、直ぐ開き戸の中へ逃げ込んで、中から栓をさした。この開き戸からは、直ぐ教祖(おやさま)のお居間へ通じるようになっていたのである。
彼等は、台所の火鉢を投げ付け、灰が座敷中に立ちこめた。茶碗や皿も、木葉微塵に打ち砕かれた。二階で会議をしていた取次の人々は、階下でのあわただしい足音、喚き叫ぶ声、器具の壊れる音を聞いて、梯子段を走って下りた。そして、暴徒を相手に、命がけで防ぎたたかった。
折しも、ちょうどお日待ちで、村人達が、近所の家に集会していたので、この騒ぎを聞き付け、大勢駆け付けて来た。そして、皆んな寄って暴徒を組み伏せ、警察へ通知した。
平野楢蔵は、六人の暴徒を、旅宿「豆腐屋」へ連れて行き、懇々と説諭の上、かえしてやった。
この日、教祖(おやさま)は、平野に、
「この者の度胸を見せたのやで。明日から、屋敷の常詰にする。」
との有難いお言葉を下された。

註 お日待ち 前夜から集まって、潔斉して翌朝の日の出を拝むこと。それから転じて、農村などで、田植や収穫の後などに、村の者が集まって会食し娯楽すること。

お日待ち - Google 検索.png
お日待ち - Google 検索


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
郡山大教会初代会長・平野楢蔵先生がいよいよおぢば伏せ込まれるきっかけとなった御逸話です。

平野楢蔵先生は、元やくざの大親分。
度胸も腕っ節も強かったでしょうから、このように暴徒とたたかうのは、慣れたものだったことでしょう。
一方で、当時の先生方の中には、そのような素性に、内心不安を覚える方もいらっしゃったことは、人間として致し方のない、自然な感情だと思います。
それでも教祖(おやさま)は、平野楢蔵先生を可愛がっておられたのでしょう、「この者の度胸を見せたのやで。」と、温かいお言葉で、誰もが平野先生に敬服の念を素直に抱けるよう、お導き下されています。

ところで、この御逸話で「面白いなぁ」と感じるのは、平野先生が、暴徒に説諭をされていることです。
以前「稿本天理教教祖伝逸話篇一四〇 おおきに」のさとりに書かせて頂きましたが、入信以前の平野先生は、人を人とも思わないところのある方でした。
そんな人が、暴徒に説諭をされているのです。
説諭の内容はきっと、教理に基づいた、人間の正しい生き方や心遣いについてなどであったことでしょう。
入信以前とは、まさに別人となった姿が、この御逸話の中に現れているのだと思わせられます。

心を入れ替えることができれば、人間は生きながらにして、生まれ変わることができる。
平野先生のお姿に、この道の有り難さが、ありありと見いだせます。

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2013年07月10日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八七 ぢば一つに

稿本天理教教祖伝逸話篇一八七 ぢば一つに

明治十九年六月、諸井国三郎は、四女秀が三才で出直した時、余り悲しかったので、おぢばへ帰って、「何か違いの点があるかも知れませんから、知らして頂きたい。」とお願いしたところ、教祖(おやさま)は、
「さあ/\小児のところ、三才も一生、一生三才の心ぢば一つに心を寄せよ。ぢば一つに心を寄せれば、四方へ根が張る。四方へ根が張れば、一方流れても三方残る。二方流れても二方残る。太い芽が出るで。」
と、お言葉を下された。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
お道では、「三才心(さんさいごころ)」とよく言いますが、これには二通りの意味があります。
まずひとつには、親を無条件に慕い求める、三才児のような、真っ直ぐな心。
もうひとつは、物事が思い通りにならないと言っては親を困らせる、三才児のように成長のない、わがままな心。

通常は、前者の意味でよく使われますが、おさしづには、後者の方が多く見られます。

この御逸話の、「一生三才の心」というお言葉は、この後の通り方によって、どちらにでも変わる、ターニングポイントであるように、私には思えます。
教祖(おやさま)もズバリ、「ぢば一つに心を寄せよ。」と仰っています。
元のぢばは、元の親である親神様のお鎮まり下さるところ。
諸井国三郎先生にとって、四女秀が三才で出直したという節は、諸井国三郎先生ご自身が「一生三才の心」でおぢば伏せ込むためのお手引きであったというおさとしだと受け取れます。
そう受け取れば、この節も、梅谷四郎兵衞先生の「稿本天理教教祖伝逸話篇一八四 悟り方」同様、悲しい中にも、四女秀さんを生涯忘れず、むしろその心を目標として、親子が生死の狭間を超えて共に歩める喜びに繋がっていったものと思われます。

諸井国三郎【もろい くにさぶろう】
天保11年(1840)7月20日生まれ(遠江国山名郡広岡村下貫名‐現・静岡県袋井市広岡)
大正7年(1918)6月22日出直し:79才
明治15年(1882)諸井家に寄留していた吉本八十次(きちもとやそじ)という青年が、織物教師・井上マンの歯痛をおたすけしたのがきっかけでにをいがかかる。翌明治15年(1883)子供の病から夫婦で信心の心を定め、この年初参拝。
本席よりおさづけ(明治20年7月14日)
山名分教会(現大教会)初代会長

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2013年07月09日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八六 結構なものを

稿本天理教教祖伝逸話篇一八六 結構なものを

明治十九年三月中頃、入信後間もない中西金次郎は、泉田藤吉に伴われて、初めておぢばへ帰り、教祖(おやさま)にお目通りさせて頂いた。
教祖(おやさま)は、お寝みになっていたが、「天恵四番、泉田藤吉の信徒、中西金次郎が帰って参りました。」と取次いで頂くと、直ぐ、
「はい、はい。」
と、お声がして、お出まし下された。
同年八月十七日に帰った時、お目通りさせて頂くと、月日の模様入りのお盃で、味醂酒を三分方ばかりお召し上がりになって、その残りをお盃諸共、お下げ下された。
同年九月二十日には、教祖(おやさま)にお使い頂きたいと、座布団を作り、夫婦揃うて持参し、お供えした。この時は、お目にはかかれなかったが、後刻、教祖(おやさま)から、
「結構なものを。誰が下さったのや。」
と、お言葉があったので、側の者が、「中西金次郎でございます。」 と申し上げると、お喜び下され、翌二十一日宿に居ると、お呼び出しがあって、赤衣を賜わった。それはお襦袢であった。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
中西金次郎先生がおぢばがえりされる度に、教祖(おやさま)から何かしらのお下がりを頂かれたという御逸話です。
中西金次郎先生にとっては、その日その日の精一杯の気持ちを届けられたのでしょう。教祖(おやさま)もそのお気持ちに味醂の盃や赤衣で応えられています。
神の方には倍の力」ともお教え下さいますが、精一杯の気持ちを表現すれば、親神様・教祖(おやさま)もその分しっかりとお応え下さるということに繋がる御逸話だと思います。

ところで、逸話篇の中には、赤衣を頂かれた先生方の御逸話がたくさんあります。
しかし実は、これらがすべてではありません。
世の中には、逸話篇に収録されていない赤衣の拝戴者が数多くいらっしゃいます。
逸話篇に収録されているような場合には、ほぼ間違いなく、その教会などで大切に扱われているはずですが、歴史に埋もれ、取扱いとしても埋もれてしまっている赤衣が、実はたくさんあるようです。
つい最近、知人がにをいがけ先で、そんな赤衣に出会ったそうです。
その方は「ご存命の教祖(おやさま)を実感した」とおっしゃっていましたが、このようにして、埋もれてしまっている赤衣が掘り起こされるのも、おさづけで不思議なたすかりが現れるのと同様に、よふぼく御存命の教祖(おやさま)が出会う瞬間なのかも知れません。


中西金次郎
嘉永3年(1850)現大阪市東区平野町に連(むらじ)家に出生。
母方の絶家となった中西姓を継ぐ。
明治19年、泉田藤吉に持病の疝痛をたすけられ入信。
明治25年大江支教会を設置。
大正9年9月1日出直し。71才。

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2013年07月05日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八五 どこい働きに

稿本天理教教祖伝逸話篇一八五 どこい働きに

明治十九年三月十二日(陰暦二月七日)、山中忠七山田伊八郎が、同道でお屋敷へ帰らせて頂いた。
教祖(おやさま)は、櫟本の警察分署からお帰りなされて以来、連日お寝みになっている事が多かったが、この時、二人が帰らせて頂いた旨申し上げると、お言葉を下された。
「どこい働きに行くやら知れん。それに、起きてるというと、その働きの邪魔になる。ひとり目開くまで寝ていよう。何も、弱りたかとも、力落ちたかとも、必ず思うな。
そこで、指先にて一寸知らせてある。その指先にても、突くは誰でも。摘もみ上げる力見て、思やんせよ。」
と、仰せになって、両人の手の皮をお摘まみ下されると、まことに大きな力で、手の皮が痛い程であった。両名が、そのお力に感銘していると、更にお言葉があった。
「他の者では、寝返いるのも出けかねるようになりて、これだけの力あるか。
人間も二百、三百才まで、病まず弱らず居れば、大分に楽しみもあろうな。そして、子供は、ほふそはしかのせんよう。頭い何一つも出けんよう。百姓は、一反に付、米四石、五石までも作り取らせたいとの神の急き込み。
この何度も上から止められるは、残念でならん。この残念は、晴らさずには置かん。
この世界中に、何にても、神のせん事、構わん事は、更になし。何時、どこから、どんな事を聞くや知れんで。そこで、何を聞いても、さあ、月日の御働きや、と思うよう。これを、真実の者に聞かすよう。
今は、百姓の苗代しめと同じ事。籾を蒔いたら、その籾は皆生えるやろうがな。ちょうど、それも同じ事。」
と、お聞かせ下された。
苗代しめ - Google 検索.png
苗代しめ


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
教祖(おやさま)が檪本分署での12日間の拘留を解かれてお帰りになったのは、明治19年3月1日(陰暦1月26日)のことですから、まさにその直後の御逸話ということになります。

このいわゆる「最後の御苦労」について、教祖伝にはあまり細かく書かれていませんが、親神様の神言が下がった際、井戸に連れて行って水を浴びせたという話や、ご高齢の教祖(おやさま)に対して殴りかかるなど、いわゆる「拷問」があったとさえ伝えられる、厳しいものでした。
一緒に拘留されていた仲田儀三郎先生は、この年に出直されていますが、この御苦労が原因だったとも言われます。

そんな中での、御逸話です。
このような背景を踏まえて改めて拝読すると、親心に溢れたお言葉の連続に、恐れ入るばかりです。
またこの後、教祖(おやさま)が現身を隠される、明治二十年のおつとめに向かう、周囲の方々の戸惑い、不安、そして決心の心定めが、いかに壮絶なものであったかということも、分かってくるように思います。

現在の私たちは、教祖(おやさま)の親心を受け取ると同時に、この時代背景から先人の先生方の覚悟を推し量り、日々心を成人させていくことが大切なのだと思います。
さらに、このこと以上に大切なのが、教祖(おやさま)の親心は、今もこの御逸話のお言葉と変わらず、存命でお働き下されているということです。
日々、人にたすかって貰いたいという心を定めて通る中に、御存命の教祖(おやさま)を必ず見出すことができます。
自由自在に、「どこい働きに行くやら知れん」のが、教祖(おやさま)のお働きなのですから。

<参考リンク>
天然痘 - Wikipedia
麻疹 - Wikipedia
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2013年06月26日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八四 悟り方

稿本天理教教祖伝逸話篇一八四 悟り

明治十九年二月六日(陰暦正月三日)、お屋敷へ帰らせて頂いていた梅谷四郎兵衞のもとへ、家から、かねて身上中の二女みちゑがなくなったという報せが届いた。教祖(おやさま)にお目通りした時、話のついでに、その事を申し上げると、教祖(おやさま)は、
「それは結構やなあ。」 と、仰せられた。
梅谷は、教祖(おやさま)が、何かお聞き違いなされたのだろうと思ったので、更に、もう一度、「子供をなくしましたので。」と、申し上げると、教祖(おやさま)は、ただ一言、
「大きい方でのうて、よかったなあ。」
と、仰せられた。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
教理的に解説すれば、「失った物事を嘆くより、与えられている物事を喜ぶ」などということになり、それが「悟り方」というタイトルになっているのだと思いますが、ここではあえて、梅谷四郎兵衞先生の立場になって考えてみようと思います。

あくまで推測ですが、梅谷四郎兵衞先生は、教祖(おやさま)の「大きい方でのうて、よかったなあ。」というお言葉を聞いて初めて、泣けたのではないでしょうか。
泣けたことによって、救われたのではないでしょうか。

二女みちゑ身上を見せられる中にも、お道の御用の上に尽力されていたであろう梅谷四郎兵衞先生の心は、常に張り詰め、子どもの出直しを報告して同情されても、何ら救われなかったでしょうし、むしろ何も感じられない、呆然とした気持ちだったでしょう。

そんな中で、教祖(おやさま)の「大きい方でのうて、よかったなあ。」というお言葉を賜った瞬間の梅谷先生の気持ちを想像してみて下さい。
色んな感情が溢れ出て、涙に溺れたのではないかと、私には感じられます。
その感情の中には、教理的理解ももちろんあったでしょうし、悲しみも、あるいは怒りも、言葉で表現できない感情が溢れ出たのではないでしょうか。
人間は、色んな感情、特に言葉に表現できない感情がたくさん表出されるとき、涙に溺れます。
そして、涙に溺れて初めて、抑えていた感情が整理され、前に進めるのだと思います。

どんなに優しく同情されても、梅谷先生はきっと救われなかったでしょうし、当時の「男としての強い自分」を演じ続けなければならなかったかもしれません。

こう考えたとき、教祖(おやさま)の「大きい方でのうて、よかったなあ。」というお言葉ほど、教理的に正しく、且つ、梅谷先生の感情表出にふさわしい言葉は、見つけられません。

ただ優しいだけではなく、本当の救いになるお言葉が、教祖(おやさま)のお言葉にたくさん見つけられます。
容易に真似はできませんし、下手に真似をすると、聞く人を傷つけるだけになってしまうかも知れません。
それでも、私たちよふぼくが目指すひながたは、ここにこそあるのだと思います。

良く似た御話をご紹介します。
増井りん先生のおたすけ話に、寝たきりのご婦人のおたすけに毎日通われ、おさづけの他、おさとしは「結構でんな」の一言だけで、他には何も仰らなかったというお話があります。
当時その女性は、まだ三十三歳。
六人の子どもを残し、急性の心臓病で医者が臨終を告げた約10分後、増井りん先生のおさづけで再び心臓が動き始めました。
その後意識も戻りますが、しばらく寝たきりの日々が続きます。
増井りん先生は、毎日おたすけに通い、「結構でんな」と仰っておさづけ取次、そそくさと帰るという日々を通られます。
そんな中で、寝たきりのご婦人は、子どもの世話も見てやれず、多忙な夫を見てやるせない思いにかられ、「こんなことないっそ死んでしまった方が……」と考えてしまいます。
心臓の発作も続き、しかもそれは心臓を金属製の爪で掻きむしられるような、壮絶な苦しみだったそうです。
この中でも増井りん先生は、変わらず「結構でんな」と仰っておさづけを取り次がれました。
ご婦人は苦しさにたまりかねて、「何が結構でんね、こんなに苦しいのに」と不足心をぶつけられました。
そんなご婦人に対し、増井りん先生は顔色も変えず、「苦しいので結構でんねで」とさとされ、またそそくさと帰られます。
そこでご婦人は、「苦しいので結構とはどういうことか」と懸命に考えたそうです。
そして、自分は夫や子どものことを心にかけていたつもりでも、実は自分のことばかり考えていたことに気づき、「神様はこうしてでもおいて下さる。この苦しい中を喜んで通らねば」と、はじめてさとったそうです。
それからこのご婦人はトントン拍子でご守護頂き、九十一歳まで長命されたということです。

このように文章にするとサラッと読めてしまいますが、この時のご婦人のさとりもまた、激しい感情の揺さぶりの後に、言葉に表現できない反省と感謝の心が現れたものだと思わせられます。
世間一般でも、感謝が大切だ言われますし、どんな中でも御守護をさとり取ることが大切なのは間違いないのですが、その時の心は、激情とも言える激しいものです。
私自身も、初めて神様の御守護をさとり取れた時の心は、言葉では言い表せない激情でした。
しかしその信仰の元一日を思うと、すべてが感謝できます。

今の私には、自分自身が神様の御守護をさとり取るということはともかく、人に対して、一歩間違えれば相手を傷つけかねない言葉を、このような強い信念をもって伝えるには、まだまだあまりにも遠い道中だとしか思えませんが、一歩でも近付ける日々を過ごさせて頂きたいと思います。
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2013年06月23日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八三 悪風というものは

稿本天理教教祖伝逸話篇一八三 悪風というものは

明治十八、九年頃のこと。お道がドンドン弘まり始めると共に、僧侶、神職その他、世間の反対攻撃もまた次第に猛烈になって来た。信心している人々の中にも、それ等の反対に辛抱し切れなくなって、こちらからも積極的に抗争しては、と言う者も出て来た。その時、摂津国喜連村の林九右衞門という講元が、おぢばへ帰って、このことを相談した。そこで、取次から、教祖(おやさま)に、この点をお伺いすると、お言葉があった。
「さあ/\悪風に譬えて話しよう。悪風というものは、いつまでもいつまでも吹きやせんで。吹き荒れている時は、ジッとすくんでいて、止んでから行くがよい。
悪風に向こうたら、つまづくやらこけるやら知れんから、ジッとしていよ。又、止んでからボチボチ行けば、行けん事はないで。」
と、お諭し下された。
又、その少し後で、若狭国から、同じようなことで応援を求めて来た時に、お伺いすると、教祖(おやさま)は、
「さあ、一時に出たる泥水、ごもく水やで。その中へ、茶碗に一杯の清水を流してみよ。それで澄まそうと思うても、澄みやすまい。」
と、お聞かせ下された。一同は、このお言葉に、逸やる胸を抑えた、という。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
今もお道を通る中で色んな日があります。
しかし、当時の先生方のご苦労を思えば、微々たる苦労です。

文字通りの道を歩む際にも、焦らず、一歩一歩進むことが大切であることは、お道を歩む上でも同様に大切なことです。
おさしづにも、

一里の道も急いて行ってはしんどいと言わにゃならん。十里の道でもぼち/\行けばその日に行ける。(明治三十四年四月十六日)

と仰せ下さいます。

さて、この御逸話での教祖(おやさま)のお言葉についてですが、当時のお道への反対・攻撃を「悪風」に譬えておさとし下されていますが、今現在の一般的な用法ではなく、嵐のようなもののことを仰っているように思います。
ここでは、嵐と考えてみましょう。

嵐の中を抗して歩むことは、無謀な歩みです。
嵐に抗しなくとも、じっと待っていれば嵐はいつしか過ぎ去ります。
単純な譬えに思えてしまうかもしれませんが、非常に親心あふれる温かいお言葉だと思います。
嵐が過ぎるのを待つのは辛いですし、嵐が過ぎた後の片付け、復興も大変なのは確かです。しかし、嵐に立ち向かったところで嵐は治まりませんし、そこで怪我をしてしまっては、後々の復興に差し支えます。
すべて分かった上でのこのお言葉。有り難い限りです。

またさらに、「さあ、一時に出たる泥水、ごもく水やで。その中へ、茶碗に一杯の清水を流してみよ。それで澄まそうと思うても、澄みやすまい。」というお言葉も下されています。
この譬えはより視覚的にイメージできますね。
泥水を澄ます一番の方法は、じっとさせておくことです。ごもく水(ゴミがたくさん混じった水)なら、流し切ってしまうのが一番です。
泥水の中に茶碗一杯の清水を入れても、その清水が泥水に変わってしまうだけだとも言えてしまいます。
清水から泥水に変わってしまうのを見るのは、辛いことです。

最初にも書きましたが、お道を歩む中には、色んな日があります。
この御逸話おさとし下されているように、じっと待つしかない日もあります。
そんな時は、じっとする中でしかできないことをやってみましょう。
文字通り嵐の日にすることは、家が嵐に負けないよう窓を閉め切り、弱い部分の補強をし、何かあればすぐに対処ができるように準備をした後は、のんびり本でも読んだり、家族と語り合ったりして過ごすはずです。
お道を通る中での悪風も、同じようにやり過ごせば良いのではないでしょうか?
不安をゼロにはできないかも知れませんが、こういう風に考えれば、少し気が楽になりますし、難しいこともありません。

大変な弾圧の中でのおさとしが、心温まる親心であることにも、注目したいものです。


林九右衞門
現大阪市平野区喜連の人。
明治16年、松村栄治郎にをいがけで入信した。
平神講第二番という講に所属する。(平神講は現・中河大教会部内)

<参考リンク>
悪風 - ウィクショナリー日本語版
悪風の同義語 - 類語辞典(シソーラス)
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2013年06月19日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八二 元の屋敷

稿本天理教教祖伝逸話篇一八二 元の屋敷

大和国笠間村の大浦伝七妻なかは、急に人差指に激しい痛みを感じ、その痛みがなかなか治まらないので、近所の加見兵四郎に願うてもろうたところ、痛みは止まった。が、しばらくすると、又痛み出し、お願いしてもらうと、止まった。こういう事を、三、四度も繰り返した後、加見が、「おぢばへ帰って、教祖(おやさま)にお願い致しましょう。」と言うたので、同道して、お屋敷へ帰り、教祖(おやさま)にお目通りして、お願いしたところ、教祖(おやさま)は、その指に三度息をおかけ下された。すると、激しい痛みは、即座に止まった。この鮮やかな御守護に、なかは、「不思議な神様やなあ。」と心から感激した。その時、教祖(おやさま)は、
「ここは、人間はじめ出したる元の屋敷である。先になったら、世界中の人が、故郷、親里やと言うて集まって来て、うちの門口出たら、何ないという事のない繁華な町になるのや。」
と、お聞かせ下された。

註 これは、明治十八、九年頃のことと言い伝えられている。

大きな地図で見る


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
身上の悩みお手引きとなった御逸話です。
大浦伝七先生はこの後、敷島大教会部内東和分教会の初代会長となられています。

さて、おぢばがえりをされたことはありますか?
駅から天理教教会本部へ向かって「天理本通り商店街」のアーケードがあります。
東京や大阪ほどの大都会ではありませんが、駅前だけでも地方都市として、非常に繁華な雰囲気があります。
現代に生きる私たちは、ついついこの雰囲気が当たり前になってしまい、シャッターの下りた店舗を見ると「やっぱり地方の商店街は経営が難しいのかな」などと考えてしまったりします。実際は、いわゆるシャッターストリートにならずに生き残っている、今や珍しい地方都市の商店街なのですが。

そんな賑やかな街が、この御逸話の当時は、畑や田圃とわずかな家が建つだけの、田舎の小さな村だったことと言われても、容易には想像できません。
正直なところ、私は昔の写真を見せられても、「これが今のこのあたりだ」と地図まで合わせて見せられても、まったく想像できません。
駅からご本部までを歩いていても、距離はあるもののそれは一つの街であり、いくつもの村を通り過ぎたという事すら考えられません。

当時信仰されていた先生方は、ちょうどこの真逆の感覚を抱かれたと考えてみると良いかもしれません。
実際には写真も何も無いのですから、私たちの感覚とは比べ物にならないくらい、想像が付かなかったはずですが、私たち自身の想像力から、当時の先生方が感じられたであろう気持ちを考えてみて下さい。

教祖(おやさま)の「先になったら、世界中の人が、故郷、親里やと言うて集まって来て、うちの門口出たら、何ないという事のない繁華な町になるのや。」というお言葉は一言一句間違いなく、その通りになっています。

当時の先生方に現在の姿が想像できなかったように、現代の私たちには当時のことが想像できません。
それ程の変化を教祖(おやさま)が御予言されていたことは、本当に神業だと思わされます。

次におぢばがえりされる際には、是非、そんな当時のことに思いを馳せて見て下さい。
きっと、想像を絶する変化に圧倒されることでしょう。
さらに自分自身も、「世界中の人が、故郷、親里やと言うて集まって来て」いる一人なのだと考えてみて下さい。

時代の大きな変化の中でも、変わらぬ存命の教祖(おやさま)親心を感じ取るおぢばがえりを繰り返したいものです。
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2013年06月18日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八一 教祖の茶碗

稿本天理教教祖伝逸話篇一八一 教祖の茶碗

「教祖(おやさま)のお使いになった茶碗の中には、欠けたのを接いだのがあった。私は、茶碗を見た。模様ものの普通の茶碗に、錦手の瀬戸物で接いであった。これは、本部の宝や。これを見たら、後の者は贅沢出来ん。
お皿でも、教祖(おやさま)のお使いになったものの中には、接いだものがあった。」
と。これは、梶本楢治郎の懐旧談である。
茶碗 継ぎ - Google 検索.png
茶碗 継ぎ - Google 検索


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逸話編の中には、「稿本天理教教祖伝逸話篇二六 麻と絹と木綿の話」の「形がのうなるところまで使えるのが、木綿や。木綿のような心の人を、神様は、お望みになっているのやで。」というお言葉や「稿本天理教教祖伝逸話篇四五 心の皺を」、「稿本天理教教祖伝逸話篇六四 やんわり伸ばしたら」などでの「皺紙」のたとえ、「稿本天理教教祖伝逸話篇一一二 一に愛想」の「菜の葉一枚でも、粗末にせぬように。」また更に、「稿本天理教教祖伝逸話篇一二四 鉋屑の紐」など、物を大切にすることを強調された御逸話、お言葉が数多くあります。

現代社会では、景気の流れや生産性の向上などに流されて、物の価値を見失ってしまいそうなほど翻弄されることが多々あります。

私自身、教会生活の中でお金を大切に考える気持ちが先行し、不器用な自分が修理できる程度までは物を使っても、それ以上に壊れてしまってからは、心を込めて作られたもの、生産者を大切にした物ではなく、単に安くて丈夫そうな物に買い替えてしまいます。

本来は、「木綿の心」のように、物は形が無くなるまで使うべきでしょうし、新たに購入する場合には、心を込めて作られた物にその対価としてある程度のお金をかけて支払うべきなのだと思います。
それが、「稿本天理教教祖伝逸話篇一三八 物は大切に」の「物は大切にしなされや。生かして使いなされや。すべてが、神様からのお与えものやで。」というお言葉を実践する、根本的な意識なのだと思います。

金銭的余裕の少ない教会生活は、冷静な目で見れば、低賃金で働く人、原材料の大量購入、大量生産によって安く作られた物で支えられていると見て、残念ながら間違いは無いと思います。
それならばせめて、物は形が無くなるまで使いたいものです。

稿本天理教教祖伝逸話篇一一二 一に愛想」に、「すたりもの身につくで。いやしいのと違う。」と仰せられています。
まずは、勿体ないと思いつつも仕方なしに捨てていたものから、その再利用方法を見出す努力から始めていきたいと思います。
ただし、「稿本天理教教祖伝逸話篇三九 もっと結構」の「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構」というお言葉も胸に納め、物に執着する気持ちは持たないように。


梶本楢治郎
明治5年(1872)6月17日、梶本惣治郎はるの5男として出生。
初代真柱の弟。
本部員として多くの要職につく。
昭和23年12月11日、77歳で出直し

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2013年06月17日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八〇 惜しみの餅

稿本天理教教祖伝逸話篇一八〇 惜しみの餅

ある人が、お餅を供える時、「二升にして置け。」「いや三升にしよう。」と、家の中で言い争いをしてから、「惜しいけど、上げよう。」と、言って、餅を供えたところ、教祖(おやさま)が、箸を持って、召し上がろうとなさると、箸は、激しく跳び上がって、どうしても、召し上がる事が出来なかった、という。
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稿本天理教教祖伝逸話篇八九 食べ残しの甘酒」や「稿本天理教教祖伝逸話篇二五 七十五日の断食」の際の御逸話と通じる内容ですね。
稿本天理教教祖伝逸話篇七 真心の御供」でも同様のことが書かれていました。
またこの御逸話では、「惜しい」という心だけでなく、「言い争い」という家庭内の不和も教祖(おやさま)がお受け取りになれない行動があったのだとも考えさせられます。

逸話編は基本的に年代順に並んでいますので、これらとの御逸話の年代は相当開いていることが、御逸話の番号を見るだけで分かりますが、教祖(おやさま)の御言動が何一つ変わられていないこともよく解ります。

私は教会生活をさせて頂いていますが、正直なところ、惜しみの気持ちが感じられる御供えや高慢心を感じる御供えにも、家族で揉めた末に決められたお供えにも出会ったことはありません。
ただ私が鈍感なだけだという可能性は否定できませんが、信者様方の御供えされるお金や物、一つ一つに真心を感じさせて頂いています。
もちろん、現金のお供え金額や物品のお供えの価格などは、一切関係ありません。
信者様方が、それぞれ教会のために、ご自身の日々の喜びの表現のためにと、精一杯に御供えされていることが、不思議と伝わってくるのです。

そんな信者様方の真実の心を見習い、私も所属教会や上級教会つくし、はこぶお金の一円一円、お米の一粒一粒、ひのきしんの一秒一秒に真実を尽くさせて頂きたいと思います。

ただ御供えするのではなく、精一杯尽くして初めて、親神様、教祖(おやさま)はお喜び下さるのだと思います。
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2013年06月01日

稿本天理教教祖伝逸話篇一七九 神様、笑うてござる

稿本天理教教祖伝逸話篇一七九 神様、笑うてござる

ある時、村田イヱが、動悸が出て、次第に募って来て困ったので、教祖(おやさま)にお伺いしたところ、
「動悸は、神様、胸が分からん。と言うて、笑うてござるのやで。」
と、お聞かせ下された。
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逸話編の中には数少ない、身上諭しのお言葉です。

動悸は、大なり小なり多くの方がご経験のあることだと思います。
心臓が通常より激しく打つように感じられることです。
これが頻繁に起こると、非常に辛いので、身上へのお知らせをさとろうとする際、深刻に考えすぎてしまうかもしれません。
ところが教祖(おやさま)は、「動悸は、神様、胸が分からん。と言うて、笑うてござるのやで。」と仰せられています。
さとりとるべきところは、「胸が分からん」という点ですが、「神様、笑うてござる」と、かなり気楽な印象を受けます。

身上へのお知らせをさとりさんげする際、大切なのは「たんのう」です。
たんのうはまた、安心とも言い換えられると思います。
この御逸話でのお諭しで言えば、「胸が分からん」という点は確かにさんげし、改められる点は改めて通ることを心定めすべきでしょう。
しかし同時に、「神様、笑うてござる」というお言葉で、スッと心が軽くなる安心感も、素直に受け取って良いのです。
むしろ、この点の方がより重要と言えるかも知れません。

このさとりを書いている私も、思いがけない身上お手入れを頂き、そのお知らせをさとり取ろうと、自身を振り返り、思い当たるところが見つからないという思いと、思い当たるところだらけだという思いとの狭間で、不安一杯に揺れ動いていました。
しかしこの御逸話を拝読し、成程、まずは安心の心だと、心におさめることができたように思います。
不安から安心に心が変われば、身上お手入れも、勇んで受け取ることができますね。
そうすると、不思議にも数日で回復のご守護を頂きました。

教祖(おやさま)のお言葉は、遠く時代を超えても、私たちをおたすけ下さいます。

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2013年05月29日

稿本天理教教祖伝逸話篇一七八 身上がもとや

稿本天理教教祖伝逸話篇一七八 身上がもとや

教祖(おやさま)の仰せに、
「命あっての物種と言うてある。身上がもとや。金銭は二の切りや。今、火事やと言うたら、出せるだけは出しもしようが、身上の焼けるのも構わず出す人は、ありゃせん。大水やと言うても、その通り。盗人が入っても、命が大事やから、惜しいと思う金でも、皆出してやりますやろ。
悩むところも、同じ事や。早く、二の切りを惜しまずに施しして、身上を救からにゃならん。それに、惜しい心が強いというは、ちょうど、焼け死ぬのもいとわず、金を出しているようなものや。惜しいと思う金銭・宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。そこで、二の切りを以て身の難救かったら、これが、大難小難という理やで。よう聞き分けよ。」
と。これは、喜多治郎吉によって語り伝えられた、お諭しである。

註 二の切り 切りとは、義太夫などに於て、真打が勤める最も格式の高い部分を言う。したがって、二の切りとは、一番にではなくて、二番目に大切なもの、という意。(新村出「広辞苑」平凡社「世界大百科辞典」)


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
私たちは、なぜ御供えをしなければならないのか、なぜ身銭を切って人だすけに使わなければならないのか、ということの解りやすい答えです。

八つのほこり」の説き分けの一番最初に、「おしい」とあります。
「おしいとは 心の働き、身の働きを惜しみ、税金など納めるべきものを出し惜しみ、世のため、道のため、人のためにすべき相応の務めを欠き、借りたる物を返すのを惜しみ、嫌なことは人にさせて、自分は楽をしたいという心。すべて天理に適わぬ出し惜しみ、骨惜しみの心遣いはほこりであります」
と説かれます。

確かに、人は誰でも楽をしたいし、貯金は貯めたいし、骨折り損はしたくありません。
しかし、「ここぞ!」という時にまで、出し惜しみをしていては、この御逸話のお言葉の通り、「惜しいと思う金銭・宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。」ということになってしまいます。
実はこれは、日々のことでも同じなのではないでしょうか。
日々の働きですべき事、出すべきもの、人々への心遣いを出し惜しんでいては、自分が困った時にたすけてくれる人を無くしてしまいかねませんよね。

惜しいと思う心が、いかに身を削ってしまっているのか、むしろ身銭を切った方が、身を立てると言えるのかもしれません。
もちろん、身を立てたい、人に好かれたい、あれが欲しいこれが欲しいと金銭を使うのは、「おしい」の反対ではなく、ただの欲望で、間違った心遣いです。

身上が健やかであることを、いかに喜び、いかに表現するかが、心のほこりを払う術であり、それが自然と御供えに繋がるのが、真実の御供えなのだと思います。
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2013年05月26日

稿本天理教教祖伝逸話篇一七七 人一人なりと

稿本天理教教祖伝逸話篇一七七 人一人なりと

教祖(おやさま)は、いつも、
「一日でも、人一人なりと救けねば、その日は越せぬ。」
と、仰せになっていた。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
たった一言ですが、心に迫る一言ですね。

教祖(おやさま)の親心を強く感じますし、教祖(おやさま)の道具衆として働くよふぼく一人一人が、このお言葉を胸に歩ませていただきたいものです。

とはいえ、なかなか難しいのが現実。
毎日最低一回のおさづけ心定めし、実行できている人は多いですが、それが家族や固定のおたすけ先にほぼ限られてしまっていて、実質的に「人一人なりと救けねば」という精神とは少しズレてしまっている人も少なくありません。
しかし私自身は、それはそれで構わないのではないかとも思います。
決して開き直っているのではありません。
そもそも、私たちよふぼくは教祖(おやさま)の道具おさづけや教理の取次人であって、たすけ主でも、教え主でもありません。
真実込めておさづけ取り次いで出直される方もいれば、軽い気持ちで取り次いおさづけを喜び、不思議なたすかりの御守護を頂かれる方もいらっしゃいます。
にをいがけでも、一生懸命声がけをしても誰も振り向いて下さらない日もあれば、向こうから尋ねて来て下さる日もあります。
どんなに頑張っても、一人の人にもたすかってもらえない、にをいが全くかからない日は、いくらでもあります。

たすかる人も、にをいがかかる人も、それは自分に何か特別な能力があるわけではなく、親神様の思惑、自分とのいんねん、そしてそれぞれの成人時旬が立て合っての結果なのです。

人間にできるのは、教祖(おやさま)の「一日でも、人一人なりと救けねば、その日は越せぬ。」というお言葉を胸に、できる限りの実働をすることだけです。
その上で、にをいがかかる日もかからない日も、おたすけが上がる日も上がらない日も、すべて親神様の思召しの下にあるのだと、心を倒さず歩み続けることこそが大切なのだと思います。

教祖(おやさま)ひながたの前半も、誰にも親神様の教えが伝わらない日々です。
にをいがかからない、おたすけが上がらない日々は、教祖(おやさま)のひながたを辿らせて頂いているのだと考え、教祖(おやさま)がそのような日々の中で残された施しのひながたやお言葉を頼りに、自分にできることは何かを考え直してみましょう。

またもう一つの側面から見れば、ご存命の教祖(おやさま)は、そのお働きで、毎日、世界中のどこかで誰かをたすけられているとも言えます。
自分自身や周囲の人が日々大難を小難にお連れ通り下さっていることを感謝すると共に、毎日誰かがたすかっていることに思いを馳せ、それを喜び、さらに教祖(おやさま)のお働きに感謝とお労いを祈ることもまた大切なのではないかと思います。
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posted by 朱夏 at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 稿本天理教教祖伝逸話篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする