2016年12月01日

立教179年・秋季大祭神殿講話

先日、11月3日は教会の秋季大祭でした。
神殿講話の原稿をアップしてみます。






<秋季大祭神殿講話>
只今は、当教会の秋の大祭を賑やかにつとめさせて頂き、誠にありがとうございます。
世間の神社などでは、秋の大祭と言えば、五穀豊穣、収穫のお祝いという意味が強いのですし、それ以外の理由付けでありましても、「お祝い」という意義がほとんどであろうと思います。
しかしながら、天理教の秋の大祭は、単純に「お祝い」の意味ではありません。
本日は、秋の大祭に込められた神様の想い、人間のつとめるべきことを少しお話させて頂きたいと思います。
しばらくお付き合い下さい。

柏手

以前この場で、十一月三日の、当教会の秋の大祭は、創立記念日の意味があるとお伝えしました。
十月二十六日のご本部の秋の大祭も、立教の元一日に由来する訳ですから、天理教の創立記念日と言えます。
そういった意味では、収穫、豊作を祝うのとは違っても、やはり、お祝いの意味もあります。
しかし、もう一段突き詰めて、ではなぜ、この立教が必要だったのかと考えれば、単純なお祝いでは済まなくなっていきます。
まず、立教の元一日を見てみましょう。
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり、このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい」
ご承知の通り、これが中山みき様という、一農家の主婦のお口を通しての、親神・天理王命の一番最初のお言葉です。
このご発言から、人間と親神様の間で三日間押し問答をし、当時の家長であった夫・中山善兵衛様から「みきを差し上げます」とご返答され、奈良の片田舎の農家の主婦、何も知らないごく普通の一人の女性であった中山みき様はこの日、今現在、私たちが「おやさま」と親しんでいる「月日のやしろ」と定まられました。これが、今から179年前の十月二十六日のことです。

さて、親神様とは、この世人間を作り、今も変わらず火水風、あまねく十全の御守護を下さる実の神様です。
知っている、知っていない、信じている、信じていないに関わらず、この世界、人間はすべて、親神様に作られ、御守護のもとで生かされています。
この神様が、なぜ、179年前に表に現れる必要があったのか。
もっと前でもなく、もっと後でもなく、179年前、天保九年(西暦1838年)である必要があった訳です。

天理教には、「元の理」というお話があります。その概略を申し上げますと。
親神様は、この世の元はじまりに、泥海という混沌とした世界を味気無く思し召し、つまり、何にもなくてつまらないなと思われました。
そこで、人間をつくって、その陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しもうと思いつかれました。
そして泥海の中から道具を集め、この世、人間をつくっていきます。
その際も、立教の際の人間との押し問答と同じく、道具と、親神様との間で押し問答があります。
親神様はそこで、「最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿仕込みのいんねんある元の屋敷に連れ帰り、神として拝をさせよう」と約束されました。
そして最初に産みおろされた子数、それが九億九万九千九百九十九人。
その後、人間は、三度も皆出直し、さらに虫、鳥、畜類などと、八千八度の生まれ更りを経て、またもや皆出直し、最後に残っためざる一匹から現在の陸上で生活する人間へと繋がっていきます。
この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられます。
つまり、天保九年(西暦1838年)というのが、この人間、世界が作られて九億九万九千九百九十九年経った日ということです。

うん。
分かったような、解らんような、荒唐無稽なような、でも何となく、人間の直接の祖先がサルだとか進化論とか、文明の発達とか、そういう現在ようやく見えてきた生命や人類の歴史を言い表されているような、そんな気もしてくるかと思います。

そこで、ちょっと道を神様の話から逸れまして、今現在の科学で、生命、人類の歴史はどんなものであったのかを調べてみました。
ご存知の方が多いかと思いますが、地球ができたのは、今から46億年前、そこから6億年経った海の中で、最初の生命が誕生したと言われています。
この頃の地球の海というのは、有機分子、つまり生命の元になる材料が豊富にあるものの、地球の温度は非常に熱く、海底火山や太陽からの紫外線、降り続く雨と雷にさらされ、まさに混沌とした泥海でした。
そこから色々な生命、光合成をするもの、酸素を利用するもの、色々と個性的な、単細胞の生物が生まれていきます。
多細胞の生物が生まれたのが、約14億年前のこと。
そして、生命の歴史にとって極めて画期的な、有性生殖、つまり、オスとメスが生まれたのが、9億年から十億年前と言われています。
その後は、ご存知の通り、進化論に従って進化していくわけですが、生物種の70%以上が絶滅する大絶滅に、五回見舞われていると言われています。
現在の人間に限りなく近い姿になったのが、五万年前。そこから、狩猟、採集の生活を経て、一万三千年ほど前に農耕、牧畜がはじまり、一万年前に、都市文明、つまり、それまで数人から数百人程度の部族生活をしていた生活から、お互いに顔も名前も一致しないくらいの大人数での、社会生活をはじめたのが、一万年ほど前のことだと言われます。
象形文字という、絵を文字代わりに使用し始めたのが、五千三百年前のエジプトでのことと言われ、四千年前の中国・黄河文明のあたりから、それがだんだんと、現在の文字へと変化し始めたと言われています。不思議と、世界各地で同時期に文字への変化が現れてきます。
さらに、世界の人口の推移なんですが、今現在地球上には70億人以上の人間がいますが、先ほど言いました都市文明が始まったという一万年前は100万人程度だったと言われています。西暦1800年代、つまり立教の頃ですね、この頃に、世界の人口は約10億人に達したと言われています。

生物学のお話はこのくらいにしておきます。
今お話しした、天理教の元の理と、現在の科学的な生命の歴史には、二点だけ違っているところがあります。
絶滅の回数が、元の理では四回、現在の科学では五回。
また、元の理では九億九万年が水中の住まいと教えられますが、五万年前には現在の人間の姿になっていて、狩猟採集をしている訳ですから、水中で暮らしていたとは考えにくいものがあります。
しかし、それ以外のことに関しては、何とも、元の理のお話とそっくりな歴史を経て、今の私たちがあることを思い知らされます。もちろん、あくまでも現在の研究によればという話であって、これらがまったく正しいとも言い切れはしません。それでも、179年前に、何も知らないごく普通の一人の女性の口からこのような話をはじめられたと考えると、鳥肌が立つような思いがします。

さて、このような歴史がわかってきたのは、わずか数十年のことです。今現在は当然と捉えられている考え方も、わずか百年前には、拷問にかけられるほどの否定をされていました。一番有名なのは、「進化論」ですね。ちなみに、ダーウィンが『種の起源』という論文を出版したのは、1859年11月24日。天理教の立教よりも、二十年も後のことです。この考え方が日本に入ってきたのは、当然、さらにずっと後のことです。

ここまで話しておいて、こんなことを言うのもおかしいのですが、私は、科学的な裏付けがあろうと無かろうと、この元の理こそが、神様が伝えたかったことだと思うんです。
神様が私達人間に伝えたいのは、人間は誰によって、どのようにして生まれてきたのかを知ってほしいということだと思うんです。
私達人間は、人種、肌の色、言葉、文化、年齢、性別が違っても、すべて等しく、親神様が一人一人に役割を与えて、産み、育んでくださっています。
その産み、育ての苦労話が、元の理だと思うんです。
私にもきょうだいがおりますが、きょうだいというのは、一番身近な肉親でもあり、他人のはじまりでもあります。
そのきょうだいが争い、憎しみ合っていれば、家庭は治まらず、誰も幸せにはなれません。
そのきょうだいがお互いを思い合う要が、同じ親から生まれ、同じ親から育ててもらったという事実です。
ある程度の年齢になり、親のことが分かり、きょうだいのことが分かり始めた頃、大抵の家庭で、お前は小さい時はこんな子だった、あんな子だった。また、お父さんとお母さんはこうやって出会い、こういう思いでお前たちを育てて来た。といった話をすると思います。
この家庭での何気ない子育ての振り返り話が、きょうだいが互いに思い合う始まりになるはずです。
元の理のお話は、家庭での子育ての振り返り話を、無限大に大きくしただけのことだと考えれば、おのずと、親神様が本当に言いたいことも分かってきます。

人間は、一人一人違っているけれども、みんな残らず、等しくきょうだいであり、思い合い、助け合って生きて欲しい。それが子どもたちを見る、親の唯一の願いだから。

天理教の秋の大祭は、単純に「お祝い」の意味ではありません。
私達人間の、産みの親、育ての親を知り、同じきょうだいとして、たすけあう使命を自覚する日です。
おふでさきに、
このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり 四-62
せかいぢう神のたあにハみなわがこ 一れつハみなをやとをもゑよ 四-79
せかいぢういちれつわみなきよたいや たにんとゆうわさらにないぞや 一三-43
月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから 一四-25
と仰せ下さいます。

人間の、産みの親、育ての親をお教え下さった、立教の元一日。
その意義を胸に、陽気ぐらし世界実現への努力を、共々につとめさせて頂きましょう。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

参考資料
元の理 | 天理教・信仰している方へ http://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/motonori/
【地球ヤバイ】5回繰り返された大量絶滅と、人類が招く6度目の悲劇 - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2144022583678982601
進化論 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AB%96
世界の人口 http://arkot.com/jinkou/index.htm#suii
人類歴史年表|人類|歴史|地球|生命|進化|誕生|人類史|地球史|ヒト http://www.eonet.ne.jp/~libell/main.html
世界史年表 http://www.eva.hi-ho.ne.jp/suruga/kokogaku.htm
生命の誕生と40億年の進化 http://www.geocities.jp/msakurakoji/900Note/15.htm
地球カレンダー 46億年の歴史を1年で見る・21世紀の歩き方大研究 http://www.ne.jp/asahi/21st/web/earthcalender.htm
地球史年表 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8


<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 天理教用語解説「元の神・実の神」 http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/157921210.html
天理教勉強blog: 立教。 http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/132525942.html
天理教勉強blog: 天理教用語「いんねん」 http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/139029098.html
天理教勉強blog: 天理教用語解説「三いんねん」 http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/144970858.html
天理教勉強blog内検索・おふでさき https://cse.google.co.jp/cse?cx=partner-pub-9981519112701381%3Az6flak-91g5&ie=Shift_JIS&q=%8C%B3%82%CC%97%9D&sa=%8C%9F%8D%F5&siteurl=tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net%2F&ref=blog.seesaa.jp%2Fcms%2Farticle%2Fregist%2Finput&ss=1672j533760j9#gsc.tab=0&gsc.q=%E3%81%8A%E3%81%B5%E3%81%A7%E3%81%95%E3%81%8D
天理教勉強blog: 天理教用語解説「この世元はじまりのお話」 http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/144603145.html

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posted by 朱夏 at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | さとりの徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月13日

今、ひながたを心に治める旬。

教祖130年祭の年も、後半に入りました。

実は今年は、非常に重要な年であることを、最近知りました。




まずは、少し枕を。

六十年の歳月を「還暦」と言います。
それを二回過ごした百二十年の歳月を「大還暦」と言うそうです。

人類の歴史上、おそらく、大還暦を迎えた人は、いないと思います。

さて、今から六十年前、天理教の歴史上、非常に重大なことがありました。
立教119年、教祖70年祭の年の事です。

この年、私たちがたどる「ひながた」の一番の拠り所である、「稿本天理教教祖伝」が公刊されました。
それからちょうど六十年。
確かにキリの良い年限で、なるほどとは思いますが、これだけなら、わざわざここに書くほどのことではありません。

さらに六十年遡ると、教祖10年祭(立教59年)の年になります。
この頃、初代真柱様を中心として、教祖伝編纂の機運が高まり、立教61(明治31)年7月3日という日付で、「教祖様御伝」が清書されています。また同時期に別席台本も作成されました。

そして、さらに六十年遡ると、立教当時の年代になります。

あくまでもおおよそではありますが、教祖のひながたという軸で、60年周期の歳月が、120年、180年と巡ってきているように思います。

では、それぞれの60年をひと単位として考えてみた時、どんな想いがするでしょうか?

立教からの60年間。
それまでにまったく無い教えをはじめられた教祖のひながたそのものと、現身を隠されて後の10年。
この60年間こそが、天理教の歴史において、もっとも重要であり、かつ、もっとも困難な時代であっただろうと思います。

教祖十年祭から七十年祭の60年間。
教祖十年祭の年、「内務省秘密訓令」が発布されています。
伸び広がる教勢に、政府からの公然とした迫害干渉が始まった訳です。
その中をも教えを守り通して下さった先人方の道中は、並大抵ではなかったはずです。
まさに、日本が戦争へと突入し、教祖の教えを正確に発することができず、また日本人のすべてが、その命すらも権利として持てなかった時代です。

そして、教祖七十年祭から百三十年祭の60年間。
世界では、まだまだ戦争が絶えず、テロも数多く起こってはいますが、日本では、歴史上最も平和な時代になっています。
教えの上でも、それまで隠し通されて来た教祖の教えをそのままに、誰にはばかることなく、学び伝えることができる時代。さらにまつぶさに調査・編集された教祖伝を頼りに、ひながたを学び、通ることができます。
六十年をひと単位として振り返ってみれば、180年の歴史の中で、直近の六十年は、その前の120年間と比較にならないほど、恵まれた六十年です。
この時代を生きることができる私たちは、先人に申し訳ない限りの、恵まれすぎた環境にあると言えます。

最近、色んな方が、色んな場面で、「教勢が落ちている」と嘆くように仰います。
しかし、こうして歴史を振り返ってみれば、そう嘆く暇があるなら、たとえ最後の一人になっても、教祖の教えをもとに生きるのだという気概を持って、ひながたを心に治める努力をすれば良いのではないでしょうか?
また、世界に目を向ければ、まだまだ教えは広がっていませんし、日本国内にも、この教えを必要としていながら、まだ出会えず、人生に迷っている方も大勢いらっしゃいます。

私たちには、できること、しなければならないことが、たくさんあります。
しかし、その活動において頼りとするところは、すべて教祖、歴代真柱様をはじめ、数えきれない先人たちが、すでに通られています。
私たちは、そのマネをすれば良いだけなのです。

何も嘆くことはありません。
悩むことすらもありません。
この旬に、改めて教祖のひながたを心に治め、それぞれの持ち場立場で、たすけ一条の御用に励むことが、今後の六十年の礎になり、私たちには、その責務があると思います。

参考資料
第16回教義講習会第1次講習録抜粋 | 中山 正善 | 本 | Amazon.co.jp

第16回教義講習会第1次講習録抜粋
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posted by 朱夏 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | さとりの徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月11日

「あしきをはらうて たすけたまえ〜」21回の数え方。

「あしきをはらうて たすけたまえ てんりわうのみこと」
この道の信仰者にとって、もっとも馴染みの深いおつとめの地歌ですが、これを「21回つとめる」時、その数え方は、人それぞれです。

色々な方に、「どうやって数えれば良いか?」とお尋ね頂くのですが、少し私なりの考えを書いてみます。




天理教勉強blog: みかぐらうた解釈1 座りづとめ第一節。
http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/121076097.html

みかぐらうた解釈の記事には、十全の守護を二回数えるのが良いと書いていました。
しかし、信仰の浅い方、特にお年を召した方には、それ自体が難しいという面があります。

そこでオススメしたいのが、「家族や身近な人を思い浮かべる」という方法です。
どんなに孤独に生きている人にも、必ず繋がりのある人がいるはずです。その数の多少はあると思いますが、最も身近な方を思い浮かべて、五人以上思い浮かべられれば、21回を数えるのは簡単なことです。
5人なら4回プラス1、7人なら3回、十人なら二回プラス1です。

身近な繋がりのある人を思い浮かべておつとめをつとめれば、それはその人の健康や幸福を願う、素朴な祈りにもなります。

それで必要十分では無いでしょうか。
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posted by 朱夏 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | さとりの徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする