2014年05月15日

おふでさき号外。

おふでさき号外は、「山村御殿のふし」(明治七年十二月二十三日(陰暦十一月十五日))の翌日、すなわち明治七年十二月二十四日(陰暦十一月十六日)朝にお記し下さいました。
3首あり、教祖(おやさま)77歳の御時です。

「おふでさき号外」は、教祖(おやさま)がお記しの上、周囲の方々にお下げになったもので、おふでさき全十七号(1711首)に収録されていないものは全て「おふでさき号外」と呼ぶことができますが、どのような時期、どのような場面で書かれたかなどが正確に判明しており、教祖(おやさま)ご直筆のものと確認されているものは、この「山村御殿のふし」の翌日にお記し下された三首のみです。

また、この「おふでさき号外」三首に関して、註釈は存在しません。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき号外>
にち/\に心つくしたものだねを 神がたしかにうけとりている

しんぢつに神のうけとるものだねわ いつになりてもくさるめわなし

たん/\とこのものだねがはへたなら これまつだいのこふきなるそや

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posted by 朱夏 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

おふでさき第十七号。

おふでさき第十七号は、明治15年頃お記し下さいました。
75首あり、教祖(おやさま)85歳頃の御時です。

明治十五年五月(陰暦三月二十五日)、二段までできていた「かんろだい」が警官によって没収されました。
おふでさき第十七号では、「かんろだい」と「つとめ」の完成を急き込まれる、「かんろだい一条」について記され、陽気づくめの「ほんみち」が近いことをお示し下されています。
また一方で、「かんろだい」が取り払われた「ざんねん」が記されています。
この第十七号の特徴として、「つとめ」を急き込まれる内容でありながら、「つとめ」という言葉が表記されていないことが挙げられます。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第十七号>
001 いまゝでハなんのみちやらしれなんだ けふからさきハみちがわかるで
002 このみちハどふゆう事にをもうかな かんろふたいのいちじよの事
003 このだいをどふゆう事にをもている これハにほんの一のたからや
004 これをばななんとをもふてみなのもの このもとなるをたれしろまい
005 このたびハこのもとなるをしんぢつに とふぞせかいゑみなをしへたい
006 このもとハいさなきいゝといざなみの みのうちよりのほんまんなかや
007 そのとこでせかいぢううのにんけんわ みなそのぢばではじめかけたで
008 そのぢばハせかい一れつとこまても これハにほんのこきよなるぞや
009 にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや
010 このたいがみなそろいさいしたならば どんな事をがかなハんでなし
011 それまでにせかいぢううをとこまでも むねのそふぢをせねばならんで
012 このそふぢとこにへだてハないほとに 月日みハけているとをもゑよ
013 月日にハどんなところにいるものも 心しだいにみなうけとるで
014 いまゝでハとんな心でいたるとも いちやのまにも心いれかゑ
015 しんぢつに心すきやかいれかゑば それも月日がすぐにうけとる
016 月日にハせかいぢううハみなわが子 かハいいゝばいこれが一ちよ

〜内容の区切りと思われる〜

017 いまゝでハどんなものでもむねのうち しりたるものわさらにあるまい
018 このたびハとんなところにいるものも むねのうちをばみなゆてきかす
019 これまでハかへひとよにてへたてたら なにをゆうても一寸もしろまい
020 けふからハよこめふるまもないほどに ゆめみたよふになにをするやら
021 いまゝでの月日ざねんとゆうものわ なか/\一寸の事でないぞや
022 けふまでハなにもしらすにいたけれど さあみへてきたゑらいほんみち
023 このみちをはやくみとふてせきこんだ さあこれからハよふきつくめや
024 このはなしどふゆう事にをもうかな ふでのさきがなみへてきたなら
025 いまゝでハとのよな事もきいていた このたびこそわざねんはらすで
026 このはらしとふゆう事にをもうかな なんどきどこでしりぞくやらな
027 これまでのながいどふちうこのざねん 一寸の事でハないとをもゑよ
028 これからハこのかやしをばするほとに みな一れつハしよちしていよ
029 せかいぢうどこのものとハゆハんてな 月日しいかりみな見ているで
030 どのよふな事をゆうてもをもふても 月日しらんとゆう事ハない
031 このさきわどよな事をするにもな 月日さきゑとことわりてをく
032 これからハ月日ざんねんでたならば とのよな事があるやしれんで
033 けふの日ハどのよな事もつんできた 神のさんねんはらすみていよ

〜内容の区切りと思われる〜

034 いまゝでハこのよはしめたにんけんの もとなるぢばわたれもしらんで
035 このたびハこのしんちつをせかへちうゑ どふぞしいかりをしゑたいから
036 それゆへにかんろふたいをはじめたわ ほんもとなるのところなるのや
037 こんな事はじめかけるとゆうのもな せかいぢううをたすけたいから
038 それをばななにもしらさるこ共にな とりはらハれたこのさねんわな
039 しかときけこのさきなるハとのよふな かやしあるやらこれしれんでな
040 月日よりこのざんねんとゆうのわな なか/\一寸の事でないぞや
041 かやしても一寸の事とハをもうなよ どんな事をば月日するやら
042 このはなしなんとをもうぞみなのもの 神のざんねんゑらい事やで
043 いまゝでハどのよなみちもたん/\と とふりぬけてわきたるなれども
044 もちいとのこくけんきたらんそれゆへに ちいとしていた事てあれとも
045 けふの日ハもふぢうふんにつんてきた こくけんきたらすぐにかやすで
046 この日ハないつの事やとをもている 廿六日がきたる事なら
047 それからハなんてもかてもしんちつの 心それ/\みなあらわすで
048 こんな事なんでゆうやとをもうなよ かハいあまりてゆう事やでな
049 月日にハせかいちううのこどもわな かハいばかりをふもているから
050 それゆへにせかいちううをどこまても むねのそふぢをしたいゆへから
051 このそふぢどふゆう事にをもている たすけばかりをふもているから
052 たすけでもあしきなをするまてやない めづらしたすけをもているから
053 このたすけどふゆう事にをもうかな やますしなすによハりなきよに
054 こんな事いまゝでどこにない事や このしよこふをしらしたさやで
055 これまてハどこたつねてもない事や このたび神がはじめたさやで

〜内容の区切りと思われる〜

056 けふまでハとんなみちやらしれなんだ これからさきハみちをしらする
057 このみちハどふゆう事にをもうかな 月日ざんねんいちじよの事
058 このざねんなにの事やとをもうかな かんろふ大が一のざんねん
059 このざねん一寸の事でハないほどに どんなかやしを月日するやら
060 どのよふな事がありてもうらみなよ みなめゑ/\にしてをいたのや
061 このさきハせかへぢううハとこまでも 高山にてもたにそこまでも
062 これからハせかい一れつたん/\と むねのそふちをするとをもへよ
063 このそふぢなんとをもうぞみなのもの 神の心をたれもしろまい
064 月日にハどんなざねんがあるとても いまゝでぢいとみゆるしていた
065 さあけふハ日もぢうふんにつんできた なんてもかやしせずにいられん
066 このかやしなにの事やとをもている 神のさんねんばかりなるぞや
067 このざねん一寸の事とハをもうなよ つもりかさなりゆへの事やで
068 月日にハせかいぢううハみなハが子 かハいゝばいをもていれども
069 それしらすみな一れつハめへ/\に ほこりばかりをしやんしている
070 この心神のざんねんをもてくれ どふむなんともゆうにゆハれん
071 いまゝでのよふなる事ハゆハんでな これからさきハさとりばかりや
072 このさきハなにをゆうやらしれんでな どふぞしかりしやんしてくれ
073 さと/\たをと/\びよさま/\ 
074 このはなしあいづたてやいてたならば なにゝついてもみなこのとふり
075 これをはな一れつ心しやんたのむで


<おふでさき註釈>
二、この道の真意はどういう事であるかというと、かんろだい一条によって人々の心を澄ます事である。
註 かんろだいについては、先ず明治二年のおふでさき第二号に現れ(第二号三九参照)、次いで明治六年飯降伊蔵に命じてその模型をお作らせになり、更に明治八年陰暦五月廿六日かんろだいのぢば定めを行われ、おふでさき第九号に於て詳細に寸法をお示し下され、(第九号四七〜六四註参照)、降って明治十四年から石造りでその建設に着手せられ二段まで出来たが、翌明治十五年陽暦五月十二日警官が来て、これを没収して行った。その後は明治二十一年に至る間、ぢばの場所に小石が積まれてあった。明治二十一年に至って、板張りの二段によってぢばを示して、昭和九年十月、現在の木造雛形かんろだい建設に到っている。やがて、世界一列の人の心を澄ました上で、石造りで神意通りのかんろだいが建設される。
三、このかんろだいをどういう事に思うているか、これは実ににほん一の宝である。
註 にほんは、第二号四七註参照。
四、このかんろだいを皆一列は何と思うているか、この根本の由来をだれも知るまい。
五、この度は、かんろだいを建てる元々の由来を、どうでも世界一列の者に教えたい。
六、かんろだいを建てるぢばは、元々人間創造の時に、いざなぎのみことと、いざなみのみことが、種苗代となって人間を創め出した真中心にあたる所である。
註 第六号二九〜五一、註参照。
七、八、その所で、世界中の人間を皆創造したのである。そしてその理によって、この度ぢばで一列たすけの教を創始するのであるから、ぢばは一列人間にとって、親神の理の現れている所、懷しいにほんの故郷である。
九、人間を創造した証拠に、この元のぢばにかんろだいをすえておく。
一〇、一一、このかんろだいが親神の教通り建て上ったならば、親神の理想通り自由自在の陽気ずくめの世界が来るのであるから、それまでに、どこどこまでも世界中の人の心を掃除せねばならぬ。
一二、この掃除は、世界一列どこに別け隔てなく公平に、親神が見分けをしているのであるから、よく承知しておくように。
一三、親神は、見抜き見透しであるから、世界中どのような所にいる者でも、皆それぞれと各人の心通りに受け取って、別け隔てはしない。
一四、一五、今までは、どのように親神の心に添わぬ心づかいをしていても、一たんその非を悟ったならば、一夜の間にも、真実の心とすっきり入れ替えるようにせよ。そうしたならば、親神はこの事をも真に受け取って自由自在の守護をしよう。
一六、親神にとっては、世界中の人間は皆我が子であるから、親神はただ子供可愛いい一心である。
一九、二〇、人間の心は浅はかであるから、壁一重隔てたら何をいっても一寸も分かるまいが、今日から以後は、見抜き見透しの親神が夢かと思う程不思議な働きをするから、少しの間も油断せぬようにせよ。
註 かへひとよは、壁一重の意。
二三、この立派な大道を早く見たいばかりに急き込んだ。さあこれから先は何を見ても聞いても、皆陽気ずくめである程に。
二四、これから先、陽気ずくめになるという話を、どういう事と思うか。ふでさきに書き記した事が実現して来たならば、世界が一列に勇んで来て陽気ずくめの世の中となる。
二五、今までは、どのような言い分も聞いて見逃がして来たが、今度こそは、親神の自由自在の働きを現して、積もるもどかしさを晴らそう。
二六、親神は何時何処で身の内から退いて、晴らしをするか分からぬから、皆充分に気を付けよ。
二八、これからは、今までに積もり重なったもどかしさのかやしをするから、皆一列の者はこの事を、よく承知していよ。
二九、世界中、どこのだれそれと指し定めていうのでは無い。親神は一列人間の心づかいを、皆それぞれとしつかり見抜き見透している。
三一、これから先は、どのような事をするにしても、親神は何事も前以て予め断っておく。
三二、今後、親神の積もり重なったもどかしさが、一度に現れたならば、どのような変わった事が起こるかも知れぬ。
三三、今日となっては、どのような事も現さねばならぬ時が迫まって来たので、これからは親神の遺憾とする所を次々に晴らして行くから、皆しっかりと見ているがよい。
三四、三五、今までは、この世人間創造の元のぢばは、だれも知っている者は無かった。この度はこの人間創造の真実を、どうでも世界中の人々にしっかり知らせたいから、いろいろ心を尽し切っている。
三六、それ故に、かんろだいを建て始めたという訳は、実は、ぢばがこの世人間創造の場所だからである。
三七、このようにかんろだいを建てかけるというのも、親神のこの世創めた真実を明かに現して、世界一列の子供を救けたいたすけ一条の親心からである。
三八、そのたすけ一条の深い意図から建て始めたかんろだいを、何も理の分からぬ子供の為に取り払われた親神のもどかしさは、並一通りのものではない。
註 教祖様の思召で、明治十四年五月に石屋の七次郎に命じて、定まった型通りのかんろだいを造り始められた。そして同年九月には二段まで出来てあったが、十五年陽暦五月十二日警察から来て、これを没収して行った。本歌はその時の事を仰せられたものである。
三九、しっかり聴け、たすけ一条の親心を無視した振舞いをするからには、今後どのようなかやしがあるか知れないぞ。
四二、この話を何と思うて皆の者は聴いているか、親神のもどかしさ、はがゆさは頗る激甚なものがある。
ー四五、四六、今日の日は、もう十分に刻限が迫まって来た。この親神の働きを現すべき刻限が到来したならば、直ちに応報のかやしを現すであろう。その刻限到来の日は、いつの事と思うているか。親神の深い意図をかけた二十六日が来た事ならば、直ぐに現す。
註 こくけんは、刻限で、定められた時の意。親神様のお働きをお現し下さる時を仰せられている。五一、五二、人々の胸の掃除をするというのは何のためかというと、一列子供を救けたいからである。そしてこのたすけ一条というのは、ただ身上の悩みを救けるだけではなく、珍らしいたすけをしたいと思うているのである。
五三、この珍らしいたすけとはどういう事と思うか、それは病気にならず死なず又年寄っても弱らぬという、不思議なたすけを実現したいと思っているのである。
註 第三号九九、一〇〇、第四号三七、第八号七八、七九註参照。
五四、五五、このような不思議なたすけは、今までどこにも無かった事であるが、この珍らしいたすけが実現するという証拠を見せたいから、親神は段々心を尽しているのである。まことにこのたすけは今までには何処を探しても無かった事であるが、子供可愛いい親心から、この度これを始めようと思って、だんだんと苦心しているのである。
五八、五九、親神は、たすけ一条のために建て始めたかんろだいを取り払われたのが、何よりも第一遺憾千万であって、このもどかしさは並大抵な事ではないから、このかやしとしてはどのような事をするか分からぬ。
六〇、たとい、どのような事が現れて来ても、決してうらみに思わぬよう。皆銘々に自分のまいた種子が生えて来たのである。
六一、六二、これからは、世界中すみからすみまで、上下の差別なく一列に、次から次へと人の胸の掃除をするから、しっかりと承知していよ。
六三、何故このように、親神が世界一列の胸の掃除をするか、この親神の心の中はだれも知るまい。
六九、七〇、この親心の真実も知らないで、人間が浅はかな自分勝手のほこり思案ばかりしているのが、親神としては実に不びんで、何ともいいようが無い程である。
七一、七二、これからは悟りばかりの道で、今までのように一々説き諭すような事はいわないから、今後いう事は何をいうか知れないが、何を聞いてもしっかり心に思案してもらいたい。
七三〜七五、註 さとさととは、教祖様の生家前川家を指し、たをとたをとは、秀司先生の庶子で田村の田甚の分家へ養子に行かれた音次郎氏のこと、びよさまびよさまとは秀司先生の奥様まつゑ様の生家平等寺村の小東家を指されたものである。
右に挙げた三家は当時いずれもお道に対しては熱心という訳には行かなかった。この御歌は神一条の道に遅れるならば、たとい親戚の者でも十分守護する訳には行かぬ、とお戒しめになったもので、合図立て合いとなって、悪い理が回って来たならば、何についても皆この通りになるから、皆の者はよく思案せよと仰せになっている。こゝの所をよく思案して、我々は神意に背かぬよう、神意の急き込みに遅れぬよう、しっかりと神一条の御教を心に体して、たすけ一条の道に、勇んで進まして頂かねばならぬ。

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posted by 朱夏 at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月06日

おふでさき第十六号。

おふでさき第十六号は、明治14年4月よりお記し下さいました。
79首あり、教祖(おやさま)84歳の御時です。

おふでさき第十六号では「元」について記されています。

おふでさき第十六号が記された明治14年は、四月八日(陰暦三月十日)に秀司先生が六十一才でお出直し、五月五日(陰暦四月八日)より、「かんろだい」の石普請が始められましたが、九月下旬(陰暦八月上旬)に頓挫してしまうなど、多難な一年となっています。
一方で、九月(陰暦八月)には、初代真柱様が中山家へご入籍されるという喜び、また当時五歳のたまへ様を通じて「つとめ人衆」の選定、さらにはお側の方々に「こふきを作れ」とお急き込みになるなど、道の上での後継者、取次人の丹精、お仕込みを進められています。


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<おふでさき第十六号>
001 いまゝてハこのよはじめたにんけんの もとなる事をたれもしろまい
002 このたびわこのもとなるをしいかりと とふぞせかいゑみなをしゑたい
003 このもとハかぐらりよにんつとめハな これがしんぢつこのよはしまり
004 このたひのかぐらとゆうハにんけんを はじめかけたるをやであるぞや
005 このもとをしりたるものハないのてな このしんぢつをみなをしゑるで
006 いまゝてもにち/\くときたん/\と ゆうてきかした事ハあれとも
007 もふけふハいかほど月日ゆうたとて 一れつ心わかりないので
008 それゆへにもふせへつうがきたるから せひなくいまわかやしするぞや
009 このかやし一寸の事とハをもうなよ あゝちこゝちにをふくみゑるで
010 このよふのにんけんはじめ元なるを どこの人でもまだしろまいな
011 このたびハこのしんちつをせかへぢうへ どふぞしいかりみなをしゑたい
012 しかときけこのもとなるとゆうのハな くにとこたちにをもたりさまや
013 このをかたどろみづなかをみすまして うをとみいとをそばいひきよせ
014 このたびのざねんとゆうわしんからや これをはらするもよふないかよ
015 このことを神がしいかりひきうける どんなかやしもするとをもゑよ
016 このかやしみへたるならばどこまでも むねのそふぢがひとりでけるで

〜内容の区切りと思われる〜

017 いまゝでハとのよな事もみゆるして ちいとしていた事であれとも
018 けふの日わもふひがつんであるからな とんな事でもすぐにかやすで
019 このところとめる心でくるならば そのまゝとこい月日でるやら
020 てるのもなどんな事やらしろまいな 月日むかいにでるでしよちせ
021 けふの日ハもふぢうふんにつんてある とのよなみちがあるやしれんで
022 せかいぢうみな一れつハしかとせよ なんとき月日つれにてるやら
023 けふの日ハめづらし事をゆいかける なにをゆうともたれもしろまい
024 せかいにハみなとこまてもをなし事 子共かたずけこしらゑをする
025 いかほどにこしらゑしたとゆうたとて そのさきなるわたれもしろまい
026 月日にわどんなをもハくあるやらな このみちすじハしりたものなし
027 このさきハとのよなゆめをみるやらな もんくかハりて心いさむで
028 とのよふなめづらしゆめをみるやらな これをあいつにつとめにかゝれ
029 けふの日ハとのよな事もきいている なんどきもんくかわる事やら
030 とのよふな事がありてもうらみなよ みなめゑ/\にする事やでな
031 月日にわみな一れつハわが子なり かハいいゝはいをもていれども
032 めへ/\にする事ばかりせひハない そこでちいくりみているのやで
033 けふの日ハなにもしらすにいるけれど あすにちをみよゑらいをふくハん
034 このみちがみへたるならばとのよふな ものでもかなうものわあるまい
035 月日にハどんなをもハくあるやらな この心をばたれもしろまい
036 これをばなみへかけたならとこまても むねのうちをばひとりすみきる

〜内容の区切りと思われる〜

037 これからハこのよはじめてなにもかも ない事ばかりゆいかけるなり
038 いまゝでハ人の心のしんちつを たれかしりたるものハなけれど
039 このたびハ神がをもていでゝるから どんな事でもみなをしゑるで
040 このはなしとこの事ともゆハんてな みのうちさハりこれでしらする
041 こんな事なんでゆうやとをもうなよ かわいあまりてゆう事やでな
042 どのよふな事でもわがみする事に 神のしらんとゆう事わない
043 それゆへになにもよろづをことハりて そのゆゑかゝるしことなるぞや
044 いまゝでハなによの事もぢいくりと しかゑていたる事であれども
045 しかときけいまゝでなるのはなしハな なにをゆうてもきいたばかりや
046 けふの日ハみちがいそいでいるからな どんな事てもはやくみへるで
047 それゆへにでかけてからハとむならん そこで一れつしやんするよふ
048 いまゝでも神のくときわたん/\と いろ/\といてきたるなれとも
049 いかほとにくどいたとてもたれにても きゝわけがないをやのさんねん
050 こゝまてもよいなくときやないほとに このたびこそハしやんするよふ
051 このはなしなんとをもふてきいている つもりかさなりゆへの事やで
052 けふの日の神のさんねんりいふくわ よいなる事でないとをもゑよ
053 月日よりないにんけんやないせかい はじめかけたるをやであるぞや
054 そのところなにもしらざる子共にな たいことめられこのさねんみよ
055 このたびハこのかやしをばするほとに みなとこまでもしよちしていよ

〜内容の区切りと思われる〜

056 けふまてわなにもしらすにいたけれと さあみへかけたゑらいたのしみ
057 このみちハどんな事やとをもうかな せかい一れつむねのそふぢや
058 この事ハなんの事やとをもている 神のざんねんはらす事やで
059 このさきハとこの人ともゆハんてな むねのうちをばみなみているで
060 けふからわ月日でかけるはたらきに どんな事をはするやしれんで
061 いまからの月日はたらきするのハな どこでするともたれもしろまい
062 高山もたにそこまてもせかいぢう 一れつをみなあゝちこゝちと
063 月日よりせかいぢうをばはたらけば このをさめかたたれもしろまい
064 それゆへにこのしづめかた一寸しらす 一れつはやくしやんするよふ
065 つとめてもほかの事とわをもうなよ たすけたいのが一ちよばかりで
066 それしらすみなたれにてもたん/\と なんどあしきのよふにをもふて
067 にんけんハあざないものてあるからな なにをゆうともしんをしらすに
068 けふまてわとんな事てもゆハなんだ ぢいとしていたこのさねんみよ
069 これからハ神のをもハくするからハ とんな事をばするやしれんで
070 いまゝてハなにもゆうたりをもふたり まゝにしていた事てあれとも
071 このさきわ神がしはいをするからハ とんな事てもまゝにてけんで
072 にんけんのめゑにハなにもみへねども 神のめゑにハみなみへてある
073 こしらゑをやるのハしばしまちてくれ とろみづなかいはめるごとくや
074 いまゝでハとんな事でもゆハなんだ けふハなんてもゆハねはならん
075 もふけふハなんてもかてもみへるてな こくけんきたら月日つれいく
076 けふの日ハもふぢうふんにつんてきた なんときつれにでるやしれんで
077 つれいくも一寸の事てハないほとに をふくみへるがたれもしろまい
078 いかほとのたかいところとゆうたとて もふけふからわもんくかハるで
079 さあしやんこれから心いれかへて しやんさだめん事にいかんで

<おふでさき註釈>
一、今まではどのようにしてこの世を創造し、人間を生んだかという本元の事をだれも知らないであろう。
二、この度はこの本元を、どうかしてしっかりと世界一列に皆教えたい。
三、四、かぐら両人であらわされている月日両神こそは、人間創造の元の親神である。
註 かぐらづとめに於て、かぐら面を冠ぶった両名によって、その理をおあらわししている月日両神こそ元の神、天理王命様である事を仰せられている。
五、この根本を知っている者はだれもないから、親神のこの世人間創造の真実を、事詳らかに皆教える。
六〜八、今までからも、この世の本元は月日両神である、と、だんだん詳しく説き聞かして来たが、いまだに皆の者は親神のいう事を了解しないので、もう今日となっては時機が切迫して来たから、やむなく人々の間違うた行いに対してかやしをするのである。
一〇、一一、この世の人間を創造した根本を、だれもまだ知らないであろう。この度はこの根本の真実を、どうかして、確かに皆の者に教えたい。
一二、一三、しっか確り聞けこの世人間を創造した元の親神は、くにとこたちのみこと、と、をもたりのみことである。この親神が、泥海の中を見澄して、先ずうおと、みとをそばへ引寄せ、だんだんと心を尽して人間を創造したのである。
註 第六号二九〜五一註参照。
一四〜一六、註 お道がひろまるにつれて、おぢばを慕うて集まって来る者はだんだん多くなるが、一方、当局の取締まりは益々激しくなるので、やむなく申し開きのため、蒸風呂兼宿屋業を営まれて、信者の参詣に便利なようにせられた。しかし、公然神様をおまつりし又参拝する事を許されたのではないから、おつとめをすると直ぐ差し止められ、信者が参拝すると追い払われたりして、ひいてはそれが教祖様の身の上に累を及ぼすので、何とかして、自由に参拝者を寄せる方法は無いものかと、考えられた結果、明治十三年九月金剛山地福地の配下に属して、転輪王講社と称する教会を設け、上段の間には転輪王如来の軸をかけ、その前に御簾をたれ、神鏡を安置して、これを天理王命のめどとして礼拝するようにせられた。この状態は、明治十五年陰暦九月十六日(陽暦十月二十七日)取り払いになるまで続いたのであるが、これを見ても当時の取締まりが如何に激しかったかが分かる。そしてこの取締まりは主として、よふきづとめを差し止めて来たのである。このように親神様の天地人間創造の真実を現した、たすけづとめを差し止められる事を、親神様は非常に遺憾千万に思召していた。そしてこの激しいもどかしさを晴らす為には、かやしをするが、このかやしが見えて来たならば、人々はおのずから胸の掃除をせねばならぬようになると仰せられているのである。
一九、このつとめを差し止めるような心で来るならば、親神は直ちに何処へ出て了うかも知れぬ。
二〇、親神が出るというても、どのような事か知るまいが、それは親神が迎えに出るという事であるから、よくこの事を承知して置くようにせよ。
二一、今日の日は、もう十分に時旬が切迫し切っているから、いつ何時どのような道が見えて来るか分からぬ。
二二、世界一列の人間は皆しっかりと真実の心を定めよ、何時親神が連れに出るか分からぬから。
二四、二五、世間では親が子に対する情として、子供が成人すれば、必ずこれを縁付ける用意をするが、しかし如何に用意したとて、子供の将来の事まで分かる者はなかろう。
註 これは秀司先生の庶子音次郎氏(第一号二六註参照)を田村の質屋村田某の分家の養子にやられる時のお言葉で、教祖様には本人のいんねんなり、将来の身持ちが分かっているから、こしらえをしても、泥水中へすてるのも同然であると、とめられたが、秀司先生の奥様、まつゑ様にしてみると義理の中であるから、相当にこしらえをしてやらねばならぬと、そう豊かでない中から算段をして、たんす、長持、帳だんすの三荷と金百円に三段余の田地をつけて婿養子にやられた。その後、音次郎氏は勾田村に居を構え、醤油屋など慣れぬ商売をして損をした上、素行が治まらなかったから、分けてもらった田地は中山家に買いもどしてもらって金にしたり、その他の家財も売り払うて一両年中にすっきり財産を失くしてしまって、ついに明治十六年には離縁になった。
二七、将来はどのような夢のように不思議な事が見えて来るかも知れないそれから道の様子が一変して、皆の心が勇み立つようになる。
二八、どのような珍らしい夢を見るかも知れないが、それを合図として、よふきづとめに取り掛かれ。
二九、今日となっては、如何な事も皆説き聞かせてあるから、よく分かっているはずであるが、もう何時道の様子が変わって来るかも知れない。
三〇、我が身にかかって来るどのような事があっても、他人を恨んではならない。それは皆、各自の心から招いた理である。
三一、三二、親神としては、一列の子供可愛いい上から、いろいろ心を尽しているけれども、銘々勝手にする事ばかりは、どうも仕様がない。そこでじいっと様子を見ているのである。
三三、今日の処では皆何も知らずにいるが、もう今に立派な大道が見えて来る。
三四、今でこそ細道であるが、やがてこの大道が見えて来たならば、どのような者でも反対は出来まい。
三六、親神の意図が、逐一実現して来たならば、世界中の人々の心が自然に澄み切るようになる。
三八、三九、今までは、人間の心の真実をだれも知った者はなかったが、この度は親神が表へ現れ出ているから、何事も皆教える。
四〇、この話はどこの事ともいわぬ。皆一列に心の真実を身上事情に現して教えるのであって、もし心にほこりがあったならば、身上に障りをつけて知らせる。
四二、どのような事でも、人間のする事で親神の知らんという事は一つもない。
四三、それであるから、何事も皆前々から心得違いのないように注意を与えておいて、それでも注意をきかない時に、初めて身上事情の手入れを現す。
四五、しっかりと聞け、今までの話は皆、何をいうても皆の者はただ話として聞き流すばかりであったけれども。
四六、今日の日は親神が一列たすけを急き込んでいるから、何事でも親神の説き聴かす事は速やかに実現して来る。
四七、そこで、身上事情に現れてから騒いでも仕方がないから、早く皆々親神の心を悟って思案するがよい。
五〇、これ程までにいう親神の急き込みは、並大抵の事ではないのであるから、今度こそはよくよく聞き分けて思案するようにせよ。
五三、月日両神が、無い人間無い世界を創造した。この元の親神が今ここに現れているのであるぞ。
五四、然るに、何も訳の分からない子供に、太鼓をとめられたのは実に遺憾千万である。
註 当時おつとめめの太鼓を差し止められた事に対して、仰せられたのである。
五六、この道がどういう事になるのか、今日まではだれも知らずにいたであろうが、さあまことに楽しい道が見えかけて来た。
五七、この道は、どういう道と思うているか、世界一列の人間の胸の掃除をする道である。
五八、人々の胸の掃除をするというのはどういう事であると思っているかこの掃除というのは、親神の積もる思いを晴らす事である。
五九、今後は、何処のだれそれと名指しはせぬが、親神は一列の心の中を皆見抜き見透している。
六〇、今日からは、親神が自ら進み出て自由自在の働きを現すから、どのような事をするか分からない。
六二、親神は、高山も谷底も一列に世界中をあっちこっちと自由自在の働きを現してまわる。
六三、親神が胸の掃除をするために、世界中を働いて回れば、いろいろ様々の事が起こって来るが、これをどうして治めたらよいか、だれも知っている者はあるまい。
六五、よふきづとめをするのは、いささかも他に目的があってするのではない。ただ世界一列を救けたいばかりにするのである。
六六、それを知らずに、だれも彼も、何か邪まな事ででもあるかの如く誤解している。
六七、人間は実に浅はかな者であるから、親神の真意を知らずに、ただ彼これといっている。
七〇、今日までは、人間の勝手な考から、何事でも思案をしたり又はいうたりして来た。
七一、将来は、親神が一切万事を支配するから、何事も人間心で左右する事は出来ない。
七二、七三、註 本号二四、二五註参照。
七五〜七七、もう今日は、どうでもこうでも見えて来るのであって、刻限が来たら、親神が連れて行く。もう今日は、その刻限も充分に迫まって来たから、何時連れに出るか分からない。連れに出るというても一寸の事と思ってはならぬ、多くの人々が集って来るのであるが、このような事はだれも知らないであろう。
註 教祖様に対する官憲の呼び出しなどを仰せになっていると拝する。
七八、どれ程地位身分の高い者でも、もうこれからはだんだん様子が変って勝手な振舞いは出来ぬようになる。
七九、さあ、よく考えて、今後は心を入れ替えて誠真実の心をしっかりと定めねばならぬで。

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2014年05月03日

おふでさき第十五号。

おふでさき第十五号は、明治13年1月よりお記し下さいました。
90首あり、教祖(おやさま)83歳の御時です。

おふでさき第十五号では、主として秀司先生を台に、「ためし」を主題として記されています。
史実として大きな出来事は、この年(明治十三年)の九月二十二日(陰暦八月十八日)に転輪王講社の開筵式行われ、陰暦八月二十六日に初めて三曲を含む鳴り物を揃えての「つとめ」が行われたことが挙げられます。(天理教勉強blog: 稿本天理教教祖伝逸話篇七三 大護摩参照)
おふでさき第十五号は、この出来事よりも先に御執筆されていますので、警告とも予言とも解釈できる内容が記されています。
いずれにせよ、この号ではこれまで以上により一層激しく、「つとめ」をお急き込みになっています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第十五号>
001 けふまでわなにの事でもちいくりと ゆハすにいたる事であれども
002 もふけふわなんでもかてもゆうほどに をやのざんねんこれをもてくれ
003 けふまてハなにをゆうてもにんけんの 心のよふにをもていたれど
004 さあいまわなにをゆうてもにんけんの 心あるとハさらにをもうな
005 とのよふな事をゆうやらしれんでな なにをゆうてもしよちしてくれ
006 このたびハどんなためしをするやらな これでしいかり心さだめよ
007 このはなしたれが事ともゆハんてな みなめゑ/\の心さだめや
008 いかほどにせつない事がありてもな をやがふんばるしよちしていよ
009 これからハをやのゆう事しいかりと しよちしてくれあんぢないぞや
010 あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい
011 いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで
012 けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも
013 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも
014 いまゝでわ村やとをもてちいくりと まだをさまりていたるなれとも
015 このたびハとのよな心いるものも みさだめつけてすぐにはたらく
016 こらほどにさねんつもりてあるけれど 心しだいにみなたすけるで
017 いかほどにさねんつもりてあるとても ふんばりきりてはたらきをする
018 けふの日ハなにをゆうやらしれんでな をやのざんねんみなあらわすで
019 いまゝでわ人の心のしんちつを しりたるものハさらになけれど
020 さあけふハどんなものてもしんちつの むねのうちをばたしかあらハす
021 これさいかみなあらハした事ならば むねのそふぢがひとりでけるで

〜内容の区切りと思われる〜

022 けふからハどんなはなしをしかけても なにをゆうてもしよちしてくれ
023 たん/\となにをゆうやらこれしれん とんな事てもをもわくをする
024 いまゝてハ四十三ねんいせんから あしをなやめたこれがしんはい
025 このたびハなんでもかでもこれをはな もとのとふりにしてかやすでな
026 このはなしなにを月日がゆうたとて どんな事てもそむきなきよふ
027 これからのをやのたのみハこればかり ほかなる事わなにもゆハんで
028 この事をなにをたのむとをもうかな つとめ一ぢよの事ばかりやで
029 このつとめこれがこのよのはぢまりや これさいかのた事であるなら
030 さあけふハをやのゆう事なに事も そはの心にそむきなきよふ
031 そはなるの心ちがゑばぜひがない そこでくど/\ゆうてをくぞや
032 けふの日ハなによの事もせかいにハ しりたる人ハさらになけれど
033 をやのめにしいかりみへてあるほどに とんな事やらたれもしろまい
034 このよふをはじめてからにいまゝてハ たれてもしらぬ事ばかりやで
035 その事をふしゑたいからたん/\と そこでとのよな事もするのや
036 なにもかもとのよな事もゆてをいて それからをやがはたらきをする
037 はたらきもとんな事やらしろまいな せかいちうハをやのからだや
038 いまゝてのをやのざんねんしらしたさ そこでこのたびみなしてみせる
039 とのよふな事をするやらしれんてな みな一れつハしよちしていよ
040 このたびのさねんくときのこのはなし みな一れつわなんとをもてる
041 このもとわ四十三ねんいせんから ゑらいためしがかけてあるぞや
042 これさいかしいかりしよちしたならば とんな事をがかなわんでなし
043 せかいちうをみな一れつをたすけたさ そこでためしがゑらい事やで
044 けふまでわとのよなみちもとふりぬけ ぢいとしていた事であれども
045 もふけふハなんでもかでもしんぢつを してかゝるでなしよちしていよ

〜内容の区切りと思われる〜

046 いまゝでとみちがころりとかハるでな みな一れつわ心さためよ
047 このみちハうちもせかいもへたてない せかいちううのむねのそふぢや
048 このよふをはじめてからにけふまでわ ほんしんぢつをゆうた事なし
049 けふの日ハほんしんちつをゆいかける とふぞしいかりしよちしてくれ
050 このはなし四十三ねんいせんから ゑらいためしがこれが一ちよ
051 このためしなにの事やとをもうかな つとめ一ぢよせくもよふやで
052 このつとめどふゆう事にをもうかな なりもの入て人ちうのもよふ
053 このつとめどんなものでもしやんせよ これとめたならわがみとまるで
054 このよふをはじめかけたもをなぢ事 ないにんけんをはちめかけたで
055 これさいかはじめかけたる事ならば とんなたすけもみなうけやうで
056 この事ハしいかりしよちせんならん これとめたならすくにしりぞく
057 いまゝてハ高山やとてけん/\と まゝにしていた事てあれども
058 これからハいかほどたかい山でもな たにそこまゝにさらにてけまい
059 このさきわたにそこにてハだん/\と をふくよふきがみゑてあるぞや
060 たん/\とよふぼくにてハこのよふを はしめたをやがみな入こむで
061 このよふをはじめたをやか入こめば どんな事をばするやしれんで
062 とのよふな事をしたとてあんぢなよ なにかよろつわをやのうけやい
063 この事をはやく心をしいかりと さためをつけてはやくかゝれよ
064 けふまてハどんなみちやらたれにても しりたるものハさらになけれど
065 もふけふハしんの心をたん/\と みなあらわすでしよちしていよ
066 をやのめにかのふたものハにち/\に だん/\心いさむばかりや
067 をやのめにさねんのものハなんときに ゆめみたよふにちるやしれんで
068 このはなしとこの事ともゆハんでな せかいちううハみなわがこやで
069 一れつのこどもハかわいばかりなり とこにへたてわさらになけれど
070 しかときけ心ちがゑばせひがない そこでだん/\ていりするのや
071 この事ハ高山にてもたにそこも ゆだんなきよに心さだめよ

〜内容の区切りと思われる〜

072 さあたのむなにをたのむとをもうかな はやくなりものよせてけいこふ
073 これまてハとんな事てもちいくりと またをさまりていたるなれども
074 もふけふわなんてもかでもはや/\と つとめせゑねばならん事やで
075 いまゝてハどんな事てもたん/\と いろ/\たのみかけてあれとも
076 なに事をたのんだとてもたれにても きゝわけがないをやのさんねん
077 このたびのざねんくときのこのはなし とふぞしいかりきゝわけてくれ
078 けふの日ハをやがなに事ゆうたとて どんな事でもそむきなきよふ
079 いまゝでハどんなはなしをしたとても なにをゆうてもにをいはかりや
080 けふの日のはなしとゆうハせへつうや もふそのまゝにすぐにみへるで
081 このはなし四十三ねんいせんから むねのざんねんいまはらすてな
082 それしらすうちなるものハなにもかも せかいなみなるよふにをもふて
083 このみちハ四十三ねんいせんから まことなんぢうなみちをとふりた
084 その事をいまゝでたれもしらいでも このたびこれをみなはらすでな
085 このはらしどふしてはらす事ならば つとめ一ぢよてみなあらハすで
086 このつとめをやがなに事ゆうたとて とんな事てもそむきなきよふ
087 こればかりくれ/\たのみをくほとに あとでこふくハいなきよふにやで
088 このたびのつとめ一ちよとめるなら みよだいなりとすぐにしりぞく
089 このはなしなんとをもふてそはなもの もふひといきもまちていられん
090 はや/\となりものなりとたしかけよ つとめはかりをせへているから


<おふでさき註釈>
一、今日迄は何事につけても、差し控えて親神の深い意中をいわないでいたのであるが。
註 ちいくりは、「じっくり」で急がずに控えておくという大和の方言。
二、もう今日は時機が到来したので、何も彼も皆言い聞かせるから、これを聞いて親神の積もるもどかしさがどれ程激しいものであるかを、よく知ってもらいたい。
五、親神はどんな事をいうかも知れないが、何をいうてもよく了解してもらいたい。
六、この度は試しをする。それもどんな試しをするか分からないが、これによってしっかり心定めをせよ。
七、この試しは特にだれにかけるとはいわぬ。各人皆銘々自分の事として心定めをするがよい。
八、親神の試しは身上事情に現れて来るから、どのように苦しい事があるかも知れぬが、たといどのように苦しい事があっても、これは試しであって、真実の親神が力づけ踏ん張っているのであるから、それを承知して身上事情に心を倒さぬようしっかり心定めをするがよい。
一〇、明日からは親神が直き直き働くから、如何な者でもこれに背く事は出来まい。
一一、親神は四十三年以前から表に現れて、教を説き始めたのである。
註 四十三年以前とは、天保九年に相当する。
一二、それから以後今日までは、大抵幾度もの激しいもどかしさを、じっとこらえて控えて来たのであるが。
一三、さあ今日は、いよいよ親神の真意を表へ現す時機が到来した。
一四、今までは村方やと思うて、急がずにじっと見ていたのであるが。
註 村とは当時の三島村で(明治十年五月二十九日、三島、庄屋敷合村なる)、そのころの村方は本教の何ものたるかを知らず、事毎に好意を持たず反対していた。
一五、この度はどのような心でいる者も皆、それぞれとその者の心を親神が見定めて、心通りの守護を直ぐに現す。
一六、これ程に親神のもどかしさが積もり重なってはいるが、人間が心さえ速やかに入れ替えて親神にもたれて来るなら、親の慈悲で皆救ける。
一七、どれ程親神の心に、不本意なもどかしさが積もり重なっていても、人間が心さえ入れ替えて願うて来るならば、踏ん張り切って働きをする。
一八、今日の日は、どのような事をいい出すか分からない。積もり重なった親神のもどかしさを皆現す。
一九、二〇、今までは、人々の心の真底をだれも知った者は無かったが、もう今日は総ての人々の心の真底をば、皆それぞれと現して見せる。
二一、各人の心を、それぞれ身上事情に現したならば、自然と胸の掃除が出来て来る。
二三、だんだんとどのような事をいい出すやら分からぬ。何事も皆、親神のたすけ一条の遠大な意図からしている事である。
二四、註 第一号二六及第十二号一一八〜一二〇註参照。
尚、本号は主として秀司先生を台にしてのお諭しである。
二五、この度は何うしてでも、足の障りをなおして、元の身体にして返す。
二六、この事について親神が何をいうても、どのような事も皆、背かずに必ず実行してもらいたい。
二八、親神の頼みとは何であると思うか。それはつとめ一条の事ばかりである。
註 つとめ一ぢよ ここでお急き込みになっているのはかぐらづとめである。
二九、このかぐらづとめは天地人間創造の理を現すつとめである。これさえ勤める事が出来たならば、自由自在の守護を現す。
三〇、さあ今日は、親神のいう事は何でも皆、側の者は心から受け入れて背かぬようにせよ。
三一、側の者の心が違えば、せっかくの親神の苦心もその甲斐がないのであるから、それで繰り返えし繰り返えし教え諭して置くのである。
三三、親神の目には確かに見えてあるけれども、それがどのような事であるか、だれも知るまい。
三四、親神がこれから教えようと思っている事は、この世を創めてから今までだれも知らぬ事ばかりである。
三五、その今までだれも知らぬ珍らしいよろづたすけの道であるよふきづとめを教えたいからして、どのような事もするのである。
三六、何も彼も総ての事を先に予告して置いて、それから親神の働きを現す。
三七、働きというても、どのような働きをするか知るまいが、世界中は親神の身体であるから、この事からしてしっかり考えて見よ。全宇宙に起こる出来事はこれ皆、親神の働きの現れである。
三九、積もり重なったもどかしさを晴らすためには、どのような事をするか分からないから、皆一列の者はこの事をよく承知していよ。
四一、註 本号二四註参照。
四二、この試しさえ確かに悟る事が出来たならば、どのような事でも自由自在に守護する。
四三、世界中の人間を皆一列に救けたいから、それで試しも並大抵ではないのである。
四四、今日までにはどのような道すがらもあったが、その中を堪え忍んで通りぬけ、控えに控えて来たのであるが。
四五、もう今日は、どうでもこうでも親神の意図通りに何事も、し始めるから皆承知していよ。
四六、これからは、今までとは道の様子がころっと変って来る。皆一列の者はどのような激変があっても、心を狂わさないようにせよ。
四七、この道は内も世界も隔てなく、世界中の人の胸の掃除をする道である。
四八、この世を創めてから今日まで、まだ親神の本真実をいうたことはない。
四九、今日の日は、人の心も成人して、時旬が来たから、親神の真実親心を説いて聞かせる。どうかしっかり聞いて心に治めてもらいたい。
五〇、この話というのは、四十三年以前から、大きな試しがかけてある。この試しについての話である。
五一、この試しは何の為にかけていると思うか。これはつとめ一条を急ぐ段取りとしてかけているのである。
註 ためしとは、秀司先生の御足病のこと、これはおつとめを急がれるための試しであった。
五二、このつとめはどういうふうにして勤めるかというと、鳴物を入れつとめ人衆をそろえて勤めるのであるから、皆の者は力を協せて早くその用意に取り掛かれ。
註 なりもの おつとめの鳴物は本歌御執筆の明治十三年にそろうたのであるが、おつとめの鳴物とは左の九つである。
笛、拍子木、ちゃんぽん(銅拍子)、太鼓、擦鉦、小鼓、琴、三味線、胡弓。
五三、このつとめの理がどれ程重いものであるかという事は、皆よく考えねばならぬ。もしこのつとめをとめるならば、我が身の息の根が止まってしまう程に。
五四、このつとめに現されている如く、十柱そろうて、無い人間無い世界を創造したのであるが、それと同じくこの度は、このつとめによってたすけ一条の道を創めかけるのである。
五五、このよふきづとめさえ始めたならば、どのようなたすけも皆請け合う。
五六、このつとめ一条の話はしっかり聞いて速やかに実行せよ。もしこれをとめるような者があれば、親神は直ぐ退いてしまう。
五七、五八、今までは、上に立つ者達は、やかましく小言をいって、たすけづとめを差し止めたりなど、思いのままに干渉して来たが、もうこれからはどれ程、上に立つ者でも、低い者をままにする事は出来ない。
註 けんけんは、やかましく小言をいう事。
五九、将来は、今低い立場にいる者の中から立派な道のよふぼくが沢山成人して来るのが、親神の目にはよく見えてある。
六〇、道のよふぼくになる者には、この世を創めた元の親神が入り込んでだんだんと仕込みをする。
六一、この世を創めた親神が入り込んだら、どのような事をするか分からない。
六二、どのような事をしても心配するのではない。何も彼も総ては親神が引き受けている程に。
六三、この事を早く悟り、確かに心に定めて、速やかにたすけ一条の道に取り掛れ。
六四、今日まではこの道がどのような道か、だれも知った者は無かったが。
六五、今日からは親神の心の真実を、だんだんと皆現すから承知していよ。
六六、親神の心に適うた心づかいの者は、日々にだんだん心が勇むばかりである。
六九、親神は一列の子供可愛い一条の親心であるから、少しも別け隔てをするような事はない。
七〇、しっかり聞け、親神が如何程思うても、心得違いをする者ばかりは如何とも致し方がないから、そこでだんだんと手入をして心の成人を指導するのである。
七一、親神の手入れは、高山も谷底も同じ事であるから、一列に油断のないように、しっかり心定めをせよ。
七二、さあ頼む。何を頼むかといえば、早く鳴物を集めてけい古を頼む。
七四、もう今日はどうでもこうでも速やかに、つとめをせねばならぬ時機である。
七五、今まではどのような事もだんだんと、このつとめについて頼んで来てはいるが。
七六、親神が何事を頼んでも、だれ一人として聞き分けてくれないのは、実にはがゆくて堪らない。
七九、今まではどのような話をしても、又何をいうても、それはまだにをいがけのようなものであった。
八〇、もう今日の話は、にをいばかりではない。十分に時旬が来ているのであるから、親神の心通り、皆そのままに実現して来る。
八一、この話というのは、四十三年以前から積もり重なる思いを、いよいよ時節到来して今こそ晴らすのである。
八二、それを知らずに内々の者は、何事も皆世界普通のように思うている
八三、この道は、四十三年以前の立教以来今日まで、まことに一方ならぬ困難の中を通り抜けて来た。
八四、この事を今まではだれも知らなかったのであるが、この度この積もる思いを皆晴らすのである。
八五、この晴らしをどうしてするかといえば、つとめ一条で皆現すのである。
八六、このつとめについては親神がどんな事をいうても、万事親神のいう通りにして、何事も親神の言葉に背かぬようにせよ。
八八、今度始めるつとめ一条をとめるならば、名代だけでも直ぐに迎い取る。
註 みよだいは、名代で、秀司先生の名代として音次郎氏を迎い取るという御予言であると思われていた。
八九、この話を側にいる者は何と思うて聞いているか。時旬が迫まって来ているから、親神はもう一息の間も待っておられない。
九〇、速く鳴物だけでも出しかけよ、親神はつとめばかりを急いでいるのであるから。

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2014年04月30日

おふでさき第十四号。

おふでさき第十四号は、明治12年6月よりお記し下さいました。
92首あり、教祖(おやさま)82歳の御時です。

おふでさき第十四号は、第十三号との間に明治十一年の一年間の空白があります。
また、十四号から十六号まで「をや」という言葉が使われるなど、この号より新しい話題が記されていると言えます。迫害にいずまず、「つとめ」をせよという信仰論的なお話が記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第十四号>
001 どのよふなゆめをみるのも月日なり なにをゆうのもみな月日やで
002 月日よりにち/\心せきこめと そばの心わいづむばかりで
003 いつむのもどふしていつむ事ならば 上にハなにもしらんゆへなり
004 せかいにハそれをしらすになに事も みなしたこふていつみいるなり
005 月日にわ大一これがさんねんな そこでどのよな事もするのや
006 月日よりにち/\心せゑたとで くちでわとふむゆうにゆハれん
007 それゆへにゆめでなりともにをいがけ はやくしやんをしてくれるよふ
008 月日にハこのざんねんとゆうものわ くちてゆうよな事でないぞや
009 けふまでわどんなはなしもたん/\と いろ/\といてきたるなれども
010 なにゆうもひがらこくけんきたらんで なにもみゑたる事わないので
011 それゆへになにを月日がゆうたとて みなうたごふてゆいけすばかり
012 月日にハ大一これがさんねんな なんでもこれをしかとあらわす
013 いまゝでハどんな事をばゆうたとて すぐにみゑたる事わなけれど
014 このたびわ三かのうちにたん/\と せかいのはなしなにをきくやら
015 これからハにち/\月日はたらくで とんなしごとをするやしれんで
016 このよふにかまいつきものばけものも かならすあるとさらにをもうな
017 いまゝでに月日ざんねん山/\と つもりてあるをみなはらすでな
018 このはらしどふしてはらす事ならば 月日の心みなしてみせる
019 けふまでハこのよはじめてひわたてど 月日しんちつまだしろまいな
020 とのよふな事でも月日する事や いかな事でもやまいでわない
021 みのうちにとのよな事をしたとても やまいでわない月日ていりや
022 せかいにハこれらとゆうているけれど 月日さんねんしらす事なり
023 せかいぢうどこの人でもをなぢ事 いつむばかりの心なれとも
024 これからハ心しいかりいれかへて よふきづくめの心なるよふ

〜内容の区切りと思われる〜

025 月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから
026 せかいにハこのしんぢつをしらんから みなどこまでもいつむはかりで
027 月日よりよふきづくめとゆうのをな これとめたならさねんゑろなる
028 このはなしどふぞしいかりきゝハけて はやくしやんをしてくれるよふ
029 いまゝでハ月日とゆうてといたれど もふけふからハなまいかゑるで
030 けふまでハたいしや高山はびかりて まゝにしていた事であれとも
031 これからわをやがかハりてまゝにする これそむいたらすぐにかやすで
032 けふまてもをやのさねんとゆうものわ 一寸の事でわないとをもゑよ
033 このたびもまだせかいにハなに事も はびかるばかりなにもしらすに
034 にんけんもこ共かわいであろをがな それをふもをてしやんしてくれ
035 にち/\にをやのしやんとゆうものわ たすけるもよふばかりをもてる
036 それしらすみなせかいぢうハ一れつに なんとあしきのよふにをもふて
037 なにもかもをやのさんねんよくをもへ こ共はかりにいけんしられて
038 これからわどんなところのいけんでも をやがでゝいるうける事なし
039 このいけんとのよなものがはひかりて ゆふとをもゑばすぐにしりぞく
040 とのよふなしごとするにもさきいより せへいゝはいにことわりてをく
041 けふまてハどんな事をもにち/\に しんばいしたる事であれども
042 あすからわどんな事をばみたとても なにをきいてもたのしみばかり
043 これまでハ高山からわなにもかも どんなさしすもうけたなれとも
044 このさきハとのよな事をゆハれても をやのさしすやさらにうけんで
045 いまゝでわひがらもちいときたらんで とんな事てもちいとしていた
046 もふけふハひがぢうふんにつんである とんな事でもそのまゝにする
047 これからハをやのをもふう事はかり 一事ゆゑばこれちがわんで

〜内容の区切りと思われる〜

048 せかいぢう一れつハみなとこまても どんな事をがあるやしれんで
049 どのよふな事がありてもしんちつの 心したいにこわい事なし
050 心さいすきやかすんた事ならば どんな事てもたのしみばかり
051 このはなしうたがう心あるならば しよちしていよとんなみちやら
052 せかいぢうわをやのたあにハみなこ共 かわいあまりてなにをゆうやら
053 このせかい高山にてもたにそこも をやのたにわこ共はかりや
054 このたびわなんてもかてもしんぢつの をやの心をしらしたいから
055 これさいかたしかにしよちしたならば いつまでいてもよふきつくめや
056 このみちハをやがたのみや一れつわ どふそしいかりしよちしてくれ
057 けふまでもどのよなみちもたん/\と とふりぬけてわきたるなれども
058 これからのみちハなんてもめつらしい このみちとふりぬけた事なら
059 それからハをやの心がいさみでゝ とんな事でもはじめかけるで
060 これさいかはぢめかけたる事ならば とんなものてもをやにもたれる
061 このみちをつけよふとてにしこしらゑ とんなものてもまたしろまいな
062 さあかゝれもふこれからのみちすじハ とんなものでもあふなきわない
063 いまゝでわうちのものにもいろ/\に しんばいかけてきたるなれども
064 あすからハをやが一はなでるほとに とんな事てもかやしゝてやる
065 さあけふわなにのはなしもだん/\と こまかしくゆへもふせへつうや
066 なにゝてもゆハすにいてハわからんで なにかいさいをみなゆてきかせ
067 このはなしなにの事やらしろまいな をやのはたらきみなゆうてをけ
068 はたらきもなにの事やらしろまいな せかいの心みなあらわすで
069 これをはなあらハれだすとゆうのもな めゑめゑのくちでみなゆいかける
070 どのよふな事てもわがみくちいより ゆう事ならばぜひハあるまい
071 これからハめゑめになにもゆハいでも をやが入こみゆうてかゝるで

〜内容の区切りと思われる〜

072 このさきハどんなものでもしんちつに むねのそふちをみなしてかゝる
073 このそふぢどふしてするとをもうかな とんないけんをするやしれんで
074 とのよふな事がありてもあんちなよ なにかよろすわをやのいけんや
075 くちさきでなんぼしんぢつゆうたとて きゝわけがないをやのさんねん
076 それゆへにをやがたいない入こんで とんな事をばするやしれんで
077 とのよふなせつない事がありてもな やまいでわないをやのさねんや
078 このはなしどこの事ともゆハんてな をやのたあにわみなわがこやで
079 しんぢつのをやのさんねんでたならば このをさめかたたれもしろまい
080 これをばなまことしんぢつあるならば どんな事でもゆうてきかする
081 どのよふな事をゆうやらしれんでな これそむいたらすぐにしりぞく
082 これまでハなにをしたとてとめられて そむくはかりの事であるから
083 けふの日ハとのよな事をしたとても なにをゆうてもそむきなきよふ
084 このみちハくれ/\たのみをくほとに をやがひきうけあんぢないぞや
085 この事ハなにの事やとをもうなよ つとめなりものはやくほしいで
086 もふけふわどんな事をばしたとても なにもあんぢなをやのうけやい
087 いまゝでハ上にわなにもしらんから さしとめはかりいけんしたれと
088 このたびハどんなものでもかなハんで ゆう心ならをやがしりぞく
089 この事をはやく心しいかりと さだめをつけてはやくかゝれよ
090 なにもかもはやくつとめのしこしらへ をやのうけやいこわみないぞや
091 これをはな心さだめてしやんして はやくにんぢうのもよふいそぐで
092 はや/\と心そろをてしいかりと つとめするならせかいをさまる


<おふでさき註釈>
一、人間がどんな夢を見るのも、又、どのような話を聞くのも、皆親神のする事である。
二、親神は日夜たすけ一条を急いでいるのに、そばの者は、ちゆうちょ逡巡ばかりしている。
四、註 本歌御執筆の当時信仰の浅い人々は、道の真意を知らぬ官憲のいう事に従ってちゅうちょしていた事を仰せになっているのである。
五、親神はこれが何より一番はがゆくてならぬ。そこで種々と手段を尽して真実の道を教えるのである。
六、七、親神が日々どれ程急き込んでも、この急き込みを口でいい尽す事は出来ないので、せめて夢でなりとも知らせて手引きをするから、早く思案をして、救かる心になってもらいたい。
九、今日までは親神が表へ現れて、種々と真実の話を説き聴かせて来たのであるが。
一二、親神には何よりもこの事がもどかしくてならぬから、これからは親神のいうた事は皆実際に現して見せるであろう。
一五、これから先は、日々親神が自由自在の働きをするから、どのような不思議な守護が見えて来るか分からぬ。
一六、世間の人は、病気災難等の不幸を見て、たたりとか、つき物とか、よう怪とかいうが、この世にそんなものは決してない。
註 かまいとは、たたりの意。
一八、親神の積もる思いをどうして晴らすかというと、手出しをする訳ではなく、親神の真意を皆現実に現して、晴らすのである。
一九、この世創めて以来今日まで、永の歳月は経っているが、未だだれも親神の心の真実を知っている者はあるまい。
二〇、二一、何事も皆親神の守護する処であるから、人間の身上の障りというのも、一般に思っているように病気ではなく、たすけ一条の深い意図から、親神が手入れをするのである。
二二、註 コレラの流行は、我国では明治十年以来であるが、当時は程度の差こそあれ毎年のように流行して多くの人をたおした。大和地方も矢張り其頃流行を見たのである。親神様はこれを流行病と考えるに止らず、その奥に含められた人間精神浄化の神意を悟らねばならぬと教え給うているのである。
二三、二四、世界中の人は何処の人でも同じ、親神の真意を知らず、心にほこりを積み重ねてばかりいるから、陰気になるのであるが、今後は親神の教に従い心をしっかり入れ替えて、陽気ずくめの心になって勇んで通るようにせよ。
二五、親神が人間を創めたのは、一列の人間に楽しい真実の暮しをさせ、親神もまたそれを見て喜びとしたいからである。
註 よふきゆさんは陽気遊山で、欲を忘れて健康と繁栄と平和に恵まれた理想の生活。
二六、世界一列の人間は、この親神の真実を知らずに、勝手な道を通り気まゝに過すので、ほこりを積んで、だれも彼も皆一様に陰気な気分ばかりになるのである。
二七、親神が陽気づくめを教えているのに、之を差止めるならば、親神の激しい急込みはどのような大事になって現れて来るかも分からぬ。
二八、この親神の話をどうかしっかりと聴き分けて、早く銘々の心に真実の理を悟ってもらいたい。
二九、註 これまでは親神様の事を『月日』と称えて教を説いて来られたが、今後は主としてをやという言葉でお説き下されている。
三〇、三一、註 今までは、専ら神職僧りょなどの人々が、人間思案で人々の思想信仰を支配して来たが、これからは、親神様が真実の教を説いて聴かせるから、これに背くようなものがあれば、直ぐと身上事情に現してかやしをする程に、と仰せられたのである。
三三、現在でも、世間では親神の真意も守護も知らずに、我が力のみをたのんで気隨気ままに振舞っている者もあるが、まことに本意ない事である。
三四、人間でも我が子は可愛いものであろうが、それから推しても、人間の親である親神が如何に一列の人間を可愛く思い、救けたいかを推し量ってくれ。
三五、明けても暮れても親神は、我が子である人間を救けたい、成人させたいとばかり思いめぐらしている。
三六、この真実の親心を、世間では少しも知らずに、親神の教をば何か悪い邪まな事ででもあるかのように思うている。
三七、子供達に勝手気まゝに妨害干渉される親神様のはがゆさが、どれ程激しいかをよく考えてみるがよい。
三九、如何な者にしろ、親神の真実の教を妨げるような意見や反対をいい張るなら、その者の身の内から親神は退いてしまう。
四〇、親神はどのような事をするにしても、間違いのないように予め精一杯注意をしておく。
四一、四二、これまでは、側の者は毎日心配ばかりして来たが、明日からはどんな事を見ても聞いても、楽しみばかりの道となって来た。
四三、四四、註 今までは、この道を理解しない人々から、種々干渉を受けて来たが、この度は親神様が自ら表へお現れ下さって、種々とお指図下さっているのであるから、今後は、何をいわれても、不当な干渉は一切受けつけないと仰せ下されている。
四六、もう今日では、時機も十分に熟した事であるから、何事も皆親神の心通りに直ちに現す。
四七、今後は何も彼も、親神の心通りであるから、親神が一言いったならばこれに間違なく、必ずその通り見えて来る。
四八、世界中一列の人間は、いつどこで何んな事が起るかしれぬから十分気を付けるようにせよ。
四九、たといどのような事が起こっても、真実の心さえあれば、親神が守護するから決して怖い事はない。
五一、親神の深い慈悲の親心も知らず、浅はかな人間心からこの話を疑うならば、どのような恐ろしい道が見えて来るかも分からぬ。
五二、世界中の人間は、親神にとっては可愛いい子供であるから、慈愛の余りにどんな厳しい意見をするかも知れぬ。
五三、人間社会で豊かに暮らす者も、貧しく暮らす者も、親神にとっては皆一様に可愛いい子供ばかりである。
註 第三号一二五、第十三号四五参照。
五四、この度は、どうあっても、真実の親心を一列の人間に知らせたいと思う。
五五,この真実親心さえ判っきりと悟ることが出来たならば、いついつまでも陽気に勇んで楽しく暮す事が出来る。
五六、一列の者は、このたすけ一条の道を、どうかしっかりと会得してもらいたい。
五七、今日までにも種々様々とどのような道すがらも、連れ通って来たのではあるが。
五八、今後の道筋は又、今までに聞いた事もない新奇な道すがらが見えて来る。この道すがらを完全に通り抜けて、親神の真意を一列に知らせたならば。
五九、それから先は、親神の心も晴々と陽気に勇んで、何も彼も自由自在の守護を現す。
六〇、この自由自在の守護さえ始ったならば、どのような者でも皆、親神にもたれ、この道を慕うて来るようになる。
六一、このよろづたすけの道をつけようと思って、今までに種々と準備を急いで来たが、だれもこの親心の程は知らないであろう。
註 しこしらゑは、仕こしらえで、準備支度の意。
六二、さあこれから先の道筋は、決して怖い危い事はないから、安心して親神の教える通りの道に取り掛かれ。
六四、明日からは、親神が真先に進み出て働きをするから、もしたすけ一条の道を妨げる者があるならば、直ぐにかやしをしてやろう。
註 一はなは、いちはなで、真先に、先頭にの意。
六五、さあ今日は、もうはばかる事なく、何も彼も親神の珍らしい自由自在の働きを、種々と事細かに詳しく説いて聞かせておけ、もうその時機が迫って来た。
註 せへつうは、節で、せへつうがきたは、時節到来の意。第三号五九註参照。
六六、何事でもいわずにいれば、だれも分からぬのが道理であるから、何も彼も親神の自由自在を委細詳しく皆いうて聞かせるようにせよ。
六七、この話は何の事か皆知るまいが、これは親神の自由自在の働きを皆いうておけという事である。
六八、親神の働きというても、何の事か知るまいが、それは世界中の人の心を皆それぞれと表へ現す事である。
六九、各人の心を表へ現すというのも、どうして現すかというと、皆銘々の口で言いかけるようにする。
七〇、どのような事でも、自分の口からいうのであるから、つゝむ事も隠す事も出来ないであろう。
七一、今後は各人が、自分では何もいわぬ積もりでも、親神が入り込んでいわせてかゝるのである。
七三、胸の掃除というのは、何うしてすると思うているか、その為にはどのような激しい身上事情に現して意見するか知れぬ。
七四、どのような激しい身上事情の手入れを受けても、決して心配するのではない。それは皆、子供を思う暖い親心からの意見である。
七五、口先でどれ程真実をいうても、心に親神の教を了解しないのが、親神としては誠にはがゆくて堪らぬ。
七七、どのように激しい身上の手入れでも、これは病ではない、迫り切った親神のもどかしさの現れである。
七八、この話は決してだれ彼とその人だけの事ではなく、親神のためには世界一列は皆可愛いい我が子であるから、これはだれにもあてはまる話である。
七九、親神の積もり重なったもどかしさが、本当に表へ現れて来たならば、どうしてこれを治めてよいか、だれも知っている者はあるまい。
八二、今日まではたすけ一条のためにする事を皆とめられて、親神の心に背くばかりであった。
註 たすけ一条のためによふきづとめを行う事は、親神様の最も急き込み給う処であるが、当時おつとめをすると直ぐとめられたので、側々の人はついいずみ勝になっていたから、そんな事ではならぬ、親神が引き受けるから、心案じなくおつとめをするように、と仰せられたのである。以下九二迄のお歌はそれに関するお諭しである。
八五、親神の頼みというのは何事であろう、と思うであろうが、よふきづとめのために、早く鳴物を入れて掛かってほしいのである。
八六、もう今日は親神のいう通りに、鳴物を入れてよふきづとめをしても少しも案じる事はいらぬ。親神が確かに引き受けて守護して見せる。
八七、今までは上に立つ人々は、親神の真意を知らないから、よふきづとめを差し止めて干渉して来た。
八八、この度はもうどんな者でも、親神の力に適うものはない、もしそれでも尚差し止めに来るなら、身の内の守護を止めてしまう。
八九、今は何も案じる必要は無いから、遠慮なく親神の考を貫く決心で、一事も早くよふきづとめを行えよ。
九〇、親神の急いでいるよふきづとめの準備を、何も彼も早く整えるようにせよ。親神が万事引き受けているから、少しも恐れる事はない。
九一、よふきづとめを急き込む親神の心をくんで、決心して、早くつとめの人衆をそろえる用意に取り掛かってもらいたい。
九二、早く皆の者が、一手一つの心になって、しっかりとよふきづとめをするならば、この世界は真実平和の世界となる。

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posted by 朱夏 at 13:25| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月25日

おふでさき第十三号。

おふでさき第十三号は、明治10年頃お記し下さいました。
120首あり、教祖(おやさま)80歳頃の御時です。

おふでさき第十三号では、第十二号に引き続いて親神様の思召し、よふぼくの仕事・布教伝道について記されています。
また、人間の「胸を澄ます」ことにより、神様が人間と共に働かれることを述べられています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第十三号>
四月廿八日九どきより

001 一けふまでわなにかしんばいしたなれど あすにちからわをふくハんのみち
002 いまゝでハどんななんぢうなみちすちも みへてあるからことわりばかり
003 このさきハたしかうけやう月日にハ どんな事でもあふなきハない
004 たん/\とどんなはなしをきいたとて せかいたのしめ月日はたらき
005 これからわ月日でかけるはたらきに なにをするともたれもしろまい
006 にち/\にせかいのところみすませば 一れつこどもいぢらしい事
007 月日にわたん/\どんな事でもな たすけるもよふせくはかりやで
008 これまでハことわりはかりゆてをいた もふこれからハことハりわない

五月五日

009 けふまでわなにもしらすににんけんの 心ばかりでしんはいをした
010 これからハ心しいかりいれかへて 神にもたれてよふきつとめを
011 したるならそのまゝすくにしいかりと りやくあらわすこれをみてくれ
012 これさいかたしかりやくがみへたなら あとわいつてもみなかんろふだい
013 このさきわ月日一どふゆうた事 どんな事でもそむきでけまい
014 月日よりゆうたる事をけすならば すぐにしりぞくしよちしていよ
015 いまゝでハうちもせかいもしんちつの 心にわかりさらにないので
016 月日にハ大一これがざんねんな なんとこれをばすましたるなら
017 この心どふしたならばわかるやら なんてもいけんせねならんで
018 いけんでも一寸の人でわないからに をふくのむねがこれわむつかし
019 いかほどにむつかし事とゆうたとて めへ/\のこどもいけんするぞや
020 このもよふどふしたならばよかろふぞ なんでも神のさねんあらわす

〜内容の区切りと思われる〜

021 にち/\に神のむねにハたん/\と ほこりいゝばいつもりあれども
022 このほこりそふぢするのハむつかしい つとめなりともかゝりたるなら
023 心さいしんぢつ神がうけとれば どんなほこりもそふぢするなり
024 いちれつのむねのうちさいすきやかに そふちしたてた事であるなら
025 それからわせかいぢううハきがいさむ よふきづくめにひとりなるぞや
026 しかときけ高山にてもたにそこも みれば月日のこどもばかりや
027 にんけんも一れつこともかハいかろ 神のさんねんこれをもてくれ
028 これまてハどのよな事をみたとても 神のほふにハぢいとみていた
029 このたびわもふひがつんであるからな どんな事でもみなゆうほどに
030 月日にわせかいぢううをみハたせど もとはじまりをしりたものなし
031 このもとをどふぞせかいへをしへたさ そこで月日があらわれてゞた
032 このたびの月日ざねんとゆうものわ よいなる事でないとをもゑよ
033 月日にハこのしんぢつをせかへぢうゑ どふしてなりとをしへたいから
034 それしらず月日ゆう事みなけして あとわにんけん心はびかる
035 このさきハ月日のざねんりいふくを みなはらすでなこれがしよちか
036 月日にもざねんりいふくはらしたら あとハめづらしみちをつけるで
037 このみちハどふゆう事にをもうかな よろづたがいにたすけばかりを
038 せかいぢうたがいにたすけするならば 月日も心みなひきうける
039 月日にも心ひきうけするからわ どんな事でもはたらきをする
040 はたらきもどふゆう事にをもうかな 善とあくとをわけるばかりや

〜内容の区切りと思われる〜

十六日より

041 けふまでわどんなあくじとゆうたとて わがみにしりたものハあるまい
042 この心神がしんぢつゆてきかす みないちれつわしやんしてくれ
043 せかいぢういちれつわみなきよたいや たにんとゆうわさらにないぞや
044 このもとをしりたるものハないのでな それが月日のざねんばかりや
045 高山にくらしているもたにそこに くらしているもをなしたまひい
046 それよりもたん/\つかうどふぐわな みな月日よりかしものなるぞ
047 それしらすみなにんけんの心でわ なんどたかびくあるとをもふて
048 月日にハこのしんぢつをせかいぢうへ どふぞしいかりしよちさしたい
049 これさいかたしかにしよちしたならば むほんのねへわきれてしまうに
050 月日よりしんぢつをもう高山の たゝかいさいかをさめたるなら
051 このもよふどふしたならばをさまろふ よふきづとめにでたる事なら
052 この心たれがゆうとハをもうなよ 月日の心ばかりなるぞや
053 このつとめ高山にてハむつかしい 神がしいかりひきうけをする
054 このたびわどんな事でもしんちつに たしかうけやいはたらきをする
055 神がでゝせかいぢううをはたらけば どんなつとめもこハみないぞや
056 しかときけ高山やとてたにそこを まゝにしられた事であれども
057 これからわ月日かハりにでるほどに まゝにしよならすればしてみよ
058 いまゝでとなにかもんくがちがうてな これからさきハ神のまゝやで

〜内容の区切りと思われる〜

059 月日よりあまくだりたる心な なんの事やらたれもしろまい
060 大一わりゆうけつくるをたすけたさ こゑ一ぢよふをしへたいから
061 こゑてもなどふしてきくとをもうなよ こゝろを神がうけとりたなら
062 いまゝてハしんぢつ神がゆてあれど うちからしてもうたがうはかり
063 此たびハなにをゆうてもうたがうな これうたがへば月日しりぞく
064 この事ハあくどいほともゆうてをく これうたがへばまことこふくハい
065 月日より一どふゆうてをいた事 いつになりてもちがう事なし
066 いまゝでわ月日なに事ゆうたとて みなうたごふてゆいけすばかり
067 月日にハ大一これがざんねんな なんでもこれをしかときめるで
068 これからハ月日ゆう事なに事も そむかんよふに神にもたれよ
069 したるなら神のほふにもしんちつに たしかひきうけはたらきをする
070 月日にハこらほどくどきつめるから 心ちがゑばすぐにしりぞく
071 しんちつに心にまことあるならば どんなたすけもちがう事なし
072 このさきハりゆけのこへをちがハんよ どふぞしいかりしよちしてくれ

〜内容の区切りと思われる〜

明治十丑九月吉朔十九日ヨリ

十九日より

073 けふからわ月日のをもう事をばな どのよな事もみなゆいかける
074 いまゝでもたいてはなしもといたれど 月日をもハくまだゆうてない
075 これからハどんなはなしをしたるとも これをかならすうそをもうな
076 どのよふな事をゆうやらしれんてな 月日の心せゑているから
077 この心どふゆう事にをもうかな にほんもからもてんちくまでも
078 このあいだみちのりよほどあるけれど いちやのまにもはたらきをする
079 このはなしにんけんなんとをもている 月日かしものみなわがこども
080 いつまでも月日ぢいくりしていれば いつになりてもをさまるめなし
081 それゆへに月日でかけるはたらきに とこへでるやらしりたものなし
082 せかいぢう心すますとゆうからわ 一寸の事やとさらにをもうな
083 どのよふな事てもめへ/\むねのうち すましたならばあふなきわない
084 だん/\と月日にち/\をもハくわ をふくの人をまつばかりやで
085 この人をどふゆう事でまつならば 一れつわがこたすけたいから
086 ことしにハどんなめづらしみちすじが みゑてくるやらこれしれんてな
087 口さきでなんほしんちつゆうたとて たれかきゝわけするものハない
088 それゆへに月日このたびどのよふな 事もしんちつみなしてみせる
089 どのよふな事をしたるもにんけんの 心まぢるとさらにをもうな
090 月日にハあまりしんぢつみかねるで そこでとのよな事もするのや
091 いかほどのごふてきたるもハかきても これをたよりとさらにをもうな
092 このたびハ神がをもていあらハれて ぢうよぢざいにはなしするから
093 どのよふな事もしんぢつするからハ むねのうちよりひとりすみきる
094 いまゝでわ一れつハみなにんけんの 心ばかりてしやんしたれど
095 このたびわどのよな事もにんけんの 心しやんわさらにいらんで

〜内容の区切りと思われる〜

096 なにもかもとのよな事もゆうてをく なにをゆうてもうそとをもうな
097 高山でとのよなものがはびかるも このしんちつをたれもしろまい
098 月日にわどんなところにいるものも むねのうちをばしかとみている
099 むねのうち月日心にかのふたら いつまでなりとしかとふんばる
100 月日よりにち/\心せきこめど そばの心にわかりないので
101 せきこみもなにの事やとをもうかな りゆけつくれば水がほしかろ
102 このはなしみな一れつの心にわ なんとをもふてしやんしている
103 月日にわ大一これをたすけたさ そこでとのよな事もゆうのや
104 なにもかも月日いかほどくどいても まことにきいてくれるものなし
105 それゆへに月日のざねんりいふくが 山/\つもりかさなりてある
106 いまゝでわ月日きたらんそれゆへに ぢいとしていた事であれとも
107 このたびわもふひがつんであるからな とんなしごともはやくかゝるで
108 このさきわどのよなみちがあるとても 人をうらみなハがみうらみや
109 このはなしとこの事ともゆハんでな 高山にてもたにそこまても
110 どのよふな事をゆうのもたすけたさ そこていろ/\くどきつめたで
111 このさきわなにをゆうてもとのよふな 事でもあしき事わゆハんで
112 しんぢつのたすけばかりをせくからに そこでたん/\いけんしたのや
113 しんぢつに心すましたそのゆへわ たすけるもよふはやくをしへる
114 このたすけどふゆう事であるならば ほふそせんよのまむりつとめを
115 またたすけやますしなずによハらんの しよこまむりをはやくやりたい
116 なにもかもよろづたすけをせくからに 心したいにどんな事ても
117 一れつわみなめへ/\のむねしだい どんな事をがかなハんてなし
118 あまごいもいまゝで神がしんぢつに なにもゆうたる事わなけれど
119 このたびハとのよな事もしんぢつを たづねくるならみなゆてきかす
120 月日にハなにかなハんとゆハんてな みなめへ/\の心したいや


<おふでさき註釈>
一、今日まで、この道は細道であって、種々と苦労したけれども、これからは、いよいよ確かな往還道に出る。
二、今まで、この道には幾重の困難が横たわっているのが見えていたから絶えず注意を与え続けて来た。
三、これからは、親神が確かに引き受けて連れて通るから、どんな難渋と思われる道筋があっても、決して心配する事はいらぬ。
四、次々と、どのように驚くような話を聞いても、皆の者はこれを楽しんで通れ。何も彼も総ては親神の働きである。
五、これからは、親神が進み出て働きかけるから、だれも予期しないような目覚しい働きをする。
六、七、親神の目から世界中の人の心をながめると、何も知らずに通っているのが実に可哀そうでならない。親心としては、たすけ一条の道を一日も早く世界中の子供に知らせて、よろづたすけを実現させたいと、いろいろ心を配って急き込んでいる。
八、今までは、注意ばかり与えて来た、もう今後は、一切警告はしない。
九、今日まで、皆の者は親神の心をよく了解せずに、唯人間心であれこれと心配をして来た。
一〇、一一、今後は、人間心を一切捨てて、神一条に心を入れ替え、神意のまにまに誠真実の心でよふきづとめを行うならば、親神は直ちに、その理を受取って、自由自在の守護を現すから、しっかり見ていてもらいたい。
一二、この自由自在の守護さえ確かに実現して来たならば、それから先は、かんろだい建設の世の中となって、親神の意のままによろづたすけを皆して見せる。
一三、今後は、何事でも親神の一度言うた事は、皆必ず実現して来るから、これを見て、総て神意に背く事は出来ないという事をよく了解せよ。
一四、親神の意図に逆らい、その言葉を聞き捨てにするならば、親神は直ぐにその者の身の内から退き、守護をとめるから、この事をよく承知しているがよい。
一五、今までは、内々の者も世間の者も同様に、心の奥底に真から親神の意図を悟った者がない。
一八、意見といっても、少しの人数でなく、多くの人々に一々意見してその心を澄ます事は、なかなか容易な事ではない。
一九、どんなに難しくとも、一列人間は、親神のためには皆可愛いい子供であるから、人間の親がその子供に意見するように、親神は、どうでもこうでも一列人間を教え諭すのである。
二〇、この方法は、どうしたならばよかろうか、それには、どうでも親神のもどかしさを身上事情に現す。
二一、二二、人間が、日々心にほこりをつけてばかりいるから、それが山積して遂に親神の心まで陰気になっている。この一杯積もったほこりを一掃するのはなかなか並大抵な事では出来ないが、よふきづとめに取り掛かったならば、これを緒口として次第にほこりをはらう事が出来て、自ずと親神の心も晴やかとなる。
二三、人間の誠心さえ親神が受け取ったならば、どのような積もり重なった大ほこりも掃除して、ほこりの現れである身上事情の悩みを救ける。
二四、二五、親神が一列人間の胸さえすっきり掃除したてた事ならば、それから先は、世界一列に気が勇んで来て、自然と陽気ずくめの世界となる。
二六、しっかり聴け、尊貴富裕な者も卑賤貧困な者も皆一ように、親神にとっては可愛いい子供ばかりである。
二七、だれでも、自分の子供の可愛いくない者はない。その可愛い子供が親の心尽しも知らず勝手な事をしていたら、親として残念であるが、親神の心もこれと同じである。
二八、これまでは、人間にどのような事があっても、親神はじっと見ゆるしていた。
三〇、親神が、世界中の人の心を見渡しても、だれ一人としてこの世の元初まりの理を知っている者はない。
三四、この親神の心尽しを知らず、親神のいう事は皆聞き流して、人間思案ばかりで暮している。
三五、これから先は、親神の迫り切ったもどかしさを、皆晴らすから承知しているがよい。
三六、親神も、このもどかしさを晴らしさえしたならば、その後は、今までにない珍らしいたすけ一条の道をつける。
三七、この道は、どういう道であると思うか、それは、何事も互い立て合い扶け合うて行く道である。
三八、三九、世界中の人間が、互い立て合い扶け合いの道を通るならば、親神もその心を引き受けて、どのような自由自在の働もする。
四〇、この働きは、どういう事に思うか。それは、親神の自由自在を現して、善と悪とを仕分けするのである。
四一、四二、今日までは、どのような悪事といっても、心づかいが我が身に現れると知った者はだれも無いであろう、この度は、この事を親神が真実言いきかすから、皆一列の者は、よく思案してもらいたい。
四三、四四、世界一列の人間は皆兄弟で、他人というものは一人も無い。この真実元初まりを知っている者の無いのが、親神としては、大そうはがゆくて堪らない。
四五、上流の生活をしている者も、下流の生活をしている者も、人間として親神から分け与えたのは一列平等の同じ魂である。
註 しかも、身分境遇等にいろいろの差異のあるのは、生々世々生まれ替わり出替わるうちに、各自のなしたいんねんによる。
四六、そして又、眼、耳、口、鼻、両手、両足等、使うている道具即ちこの身体全体は皆、親神から貸し与えているものである。
四七、この真実を知らずに、人間は何か本来貴賤尊卑の別があるように思うているが、それは全く間違いであって、人間は皆、一列平等に親神の子供である。
四九、この真実さえ一列の人の心にしっかり治まったならば、互いにいがみ合うような心持ちはすっきり無くなってしまう。
五〇、親神は、真実心の底から、上流の人々の権勢の争いを治めたいと思っているのであって、これさえ治まったならば、世の中が平和になる。世界に永遠の平和の来る事こそ、親神の心からの念願である。
註 史実としては、当時は西南の役などの事があって、物情騒然たるものがあった。これを一例として、親神様の御理想と御守護は真の平和にある事を、お示しになったものである。
五一、世の中が平和に治まるようにするには、どうすればよいかというと、よふきづとめに取り掛かったならば、その理を受け取って親神が自由自在の守護を現すから、この騒ぎもやがて治まる。
五二、これは、人がいうていると思うてはならぬ。この世を創めた親神が子供可愛いい一条の親心からいうているのである。
五三、五四、このつとめをすると、上に立つ人々からいろいろ難しい事を言うて来るかも知れぬが、この度は、親神が確かに引き受けるから、どんな事情があるにしても、心配せずに勇んでつとめに取り掛かれ。
五五、親神が表へ現れて、世界中に自由自在の働きを現すから、どのような働きをしても決して気づかいはない。
五六、五七、しっかり聞け、今までは地位や財力のある者が、下の者に対して自分勝手に振舞っていたが、これからは、親神が表へ現れて、自由自在の働きを現すから、天理に逆らうて弱い者いじめの振舞をするならして見よ。
五八、今までと全く様子が一変して、今後は親神の心のままになってくる。
六〇、親神は、先ず第一に農作するのを救けるために、肥一条の守護を教えたいからこの教をはじめた。
註 『一に百姓、二に働き人、三に職人、四に商人、これ早く救けたい』と仰せられて、谷底の者から順々に救け上げる思召である。
以下七二までは主として肥一条に就て仰せられている。
六一、肥でも、決して肥そのものが効くのではない。一心に願う人の心の真実を親神が受取った時に、親神の守護が現れて来るのである。
註 第四号五一参照。
六五、親神が一度言うておいた事は、何時になっても違う事はない。
六六、今までは、親神が何をいうても内々の者をはじめ皆疑うて、親神の言葉を言い消してばかりいた。
六九、親神にもたれ親神の言葉を守ったならば、親神も確かに引き受けて心通り自由自在の守護をする。
七〇、親神がこれ程口説きつめているのに、未だ疑うて神意に背くような事があれば、直ちに身の内から退いてしまう。
七二、これから先は、立毛の肥に間違の無いよう、どうか、しっかりこの話を心に治めて貰いたい。
明治十丑九月吉朔十九日ヨリ
七三、これからは、親神の思う事を、何も彼も皆言い始める。
七四、今までにも、大凡は何かの事も話してはあるが、親神の意中は未だ充分にいい尽してない。
七六、親神の心は急いでいるから、どのような事を話しかけるやら分らぬ。
七七、この急き込んでいる親神の心を、皆の者はどう考えているか。世界一列の人間の心を澄まして、早く陽気ぐらしの世界を実現したいというのが親心の真実である。
註 にほん、から、てんちくは、親神の御教の先ずひろまり次にひろり、終わりにひろまる所、従って世界一列の意。第十二号八註参照。
七八、世界中というと随分距離はあるが、さあとなったら、一夜の間にも親神の働きを現す。
七九、この話を、人間は一体何と思って聞いているか。人間の身体は親神のかしものであり、世界中の人間は一列に皆親神の子供であるから、可愛いい一杯、救けたい一条の親心から説き聞かせているのである。
八〇、八一、いつまでも親神がじっとしていては、いつになっても、世の中の汚濁と不安とが一掃されて、安らかに治まる時が来そうにないから、親神が自ら進み出て働くのであるが、どこへ進み出てどういう働きをするかはだれも知った者はない。
八四、段々と世界たすけの旬が迫って来るにつれて、親神の心には、大勢の人を待受けている。
八五、何故大勢の人を待っているかというと、世界一列の我が子を皆救けたいからである。
八六、今年は、どんな珍らしい道筋が現れて来るか知れんから、皆その積もりでいるように。
八七、親神がどのように真実を説いて聞かせても、話をしただけでは、だれも真底から親心の真実を聞き分ける者がない。
八八、それ故に、親神はこの度何事も皆、親神の心通り皆実際に現して見せる。
八九、註 第七号五二〜五六、及び第十二号六七、六八註参照。
九〇、親神は、人間のしている事を人の真実であるとは見受けられんから、それでいろいろと現して意見するのである。
九一、聞えた剛者、又は若くて元気な者でも、これを頼りとしてはならぬ。
九三、この度は、どのような事でも、皆真実にして見せるから、これを見たならば、自然と心が澄み切って来る。
九四、九五、今までは、だれも彼も皆人間心だけで通って来たが、今後は、何事についても人間心は少しも要らぬ。ただ一筋に親神の心にもたれて来さえすればよい。
九七、上流社会でどのような者が勝手気ままに威張っていても、世界万物は親神が支配しているという真実をだれも悟った者はないであろう。
九八、親神は、どのような境遇にいる者でも、皆それぞれと、各人の心を明らかに見抜き見透している。
九九、心づかいが誠真実で親神の心に適うたならば、いつまでもしっかりと守護する。
一〇一、親神が日々何を急き込んでいると思うか。農作物を作ればかんがい水が欲しいであろうが、よろづたすけの第一として、水の守護を十分に与えたいと思って、急き込んでいるのである。
一〇ニ、この話を聴いて、皆一列の者は、何と思うているか。
一〇三、親神は、よろづたすけの第一に先ず水の守護を十分に与えたい。であるから、だんだんと種々の説き諭しをするのである。
註 史実についてこれを見れば、庄屋敷村附近の田は、布留街道以北はよかったが、以南は三島、庄屋敷の焼け田といって、大和でも有数の日焼田で、三年に一度は必ずかん害があったという。
一〇八、今後は、どのような事が現れても、それは皆自分自身の心通りに現れて来るのであるから、人をうらまず己が心を振り返ってよく反省せよ。
一〇九、この話は何処のこととはいわぬ、上下共にしっかり聴いて置かねばならぬ。
一一〇、親神がどのような事をいうのも、世界一列を救けたいから、種々と事細かに説き諭すのである。
一一一、これから先、親神が何をいうにしても、どのような事をするにしても、皆それは、子供可愛いい上からの事であるから、決して悪い事はいわない。
一一二、親神は、真実のたすけを急き込む上から、人々に対して、だんだんと身上に障りをつけて意見したのである。
一一三、本当に人々の心が澄み切ったならば、直ぐによろづたすけの方法を教える。
一一四、一一五、註 ほふそせんよのまむりは、第七号七八、第八号三一参照。
やますしなずによハらんは第三号九九、一〇〇、第四号三七、及第八号七八、七九註参照。
しよこまむりは、第四号五註参照。
一一六、親神は何も彼もよろづたすけを早く実現させたいと急いでいるから人間の真実次第でどのような働きもする。
一一七、世界一列の人間は、皆銘々の心次第で、その心の真実さえ親神が受け取れば、どんな事でも、これかなわんという事はない。
一一八、一一九、雨ごいの根本の理についても、今まで親神がその真実を説き聴かせた事はないが、この度は尋ねて来るなら、何事についても皆その根本の真実を言うて聞かせる。
一二〇、親神は、どのような願も適えてやらんとはいわぬ。皆、願うて来る者の誠真実次第で、どのような自由自在の守護も現す。
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posted by 朱夏 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月20日

おふでさき第十二号。

おふでさき第十二号は、明治9年頃お記し下さいました。
182首あり、教祖(おやさま)79歳頃御時です。

おふでさきは全体を通して、「うち」には「つとめ」を、「せかい」には「布教伝道」を、という2つの方面でお話されていますが、第十二号では、主として「うち」の場面について記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第十二号>

十二月廿七日より

001 けふからハせかいを月日みさだめて むねのそふぢにかゝる事なり
002 このそふぢうちもせかいもへだてない めゑ/\の心みなあらわすで

三月十四日より

003 いまゝでわ神のさんねん山/\と むねにほこりがつもりあれども
004 なさけないひがらもちいときたらんで どのよな事もゆうにゆハれん
005 このたびハ月日しんぢつみかねるで どのよな事もみなあらハすで
006 けふの日ハいかほとわがみはびかりて まゝにしたとて月日しりぞく
007 このはなしなにの事をばゆうならば にほんもからもてんぢくの事

四月四日より

008 これからハせかいぢううを一れつに 月日そふぢをするでしよちせ
009 これまでもせへいゝばいにことハりを 月日だん/\ゆうてあれども
010 くちさきでゆうたるまでハたれにても たしかしよちをするものハない

五日

011 いまゝでも月日の心だん/\と せへいゝばいにつくしいれども
012 せかいにハたれかしりたるものハなし とふむこのたび月日せひない
013 それゆへにせかいぢううをとこまても ことハりてをく月日しりぞく

十二日

014 けふの日ハなにのはなしをするならば よふ木のはぢめ事ばかりゆう
015 よふぎでもにんわたれともゆハねども もとハ壹ほんゑだわ八ほん
016 この木をはやくつぎたいせきこみで 月日のむねがつかゑきるなり
017 このきいも一ゑだしかとついだなら あとなるハみなはやくさだまる
018 なにもかも月日ゆう事しかときけ 心にさだめつけた事なら
019 それよりもみのうちなやみさらになし だん/\心いさむばかりや
020 それしらすみなの心ハたれにても せかいなみなる事ばかりゆう
021 このところせかいなみとハをもうなよ 月日の心ばかりなるぞや

〜内容の区切りと思われる〜

十四日

022 今日の月日の心さんねんわ よいなる事てないとをもゑよ
023 にんけんハあざないものであるからに 月日する事しりたものなし
024 月日にハなにかよろつをだん/\と ことハりてあるこれがしよちか
025 いまゝでもなにか月日のさんねんを たいていくどきつめてあれども
026 せかいにハたれかしりたるものハなし 月日の心ざんねんをみよ
027 このたびハことハりたゆへまだくどき そのゆへなるのことわりである
028 いかほどにくどきことハりゆうたとて たれかきゝわけするものハない
029 それゆへにだん/\ひがらたつけれと いつかこれやとわかるめハなし
030 けふの日ハもふせへつゝがきたるから 月日でかけるみなしよちせよ
031 このさきのみちのすがらをゆてきかす いかな事をばゆうやしろまい
032 にち/\になにをゆうてもそのまゝに みゑてくるのがこれわふしぎや
033 とのよふな事をゆうやらしれんでな そこでなんでもことハりばかり
034 ことハりも一寸の事でハないほどに いかな事をがみゑてくるやら
035 どのよふな事がみゑるやしれんてな まこときのどくをもていれども
036 なんときにみゑる事やらこれしれん 月日の心つみきりてある
037 こらほどに月日の心しんばいを そばなるものハなにもしらずに
038 そばなるハしことばかりをふもている みへたるならばもんくかハるぞ
039 どのよふな事でもさきゑしらしをく あとてこふくハいなきよふにせよ
040 このよふを初た神の事ならば とのよな事もみなみゑてある
041 このたびハとのよな事もつみきりて もふさしぬきハさらにてけんで
042 いまゝでハとんな事をばゆうたとて またちいくりとしたるなれども
043 けふの日ハよこめふるまもゆたんしな なんどきとんな事があるやら

〜内容の区切りと思われる〜

044 いまゝでにふでにつけたることハりが さあみゑてきた心いさむで
045 これさいかみへきたならば一れつわ とんなものでもよふきつくめや
046 この心どふぞはやくに一れつわ しよちしてくれ月日たのみや
047 けふからハめづらし事をゆいかける なにをゆうとも一寸にしれまい
048 このはなしなにをゆうてもそむくなよ 神のをもわくゑらい事やで
049 これからのあとなるはなし山/\の 神のさんねんはらすもよふを
050 このさきハなんほむつかしやまいても いきとてをどりみなたすけるで
051 どのよふなむつかしくなるやまいでも これなをらんとゆうでないぞや
052 けふまでわひがらこくけんきたらんで なにかちがいもありたなれとも
053 だん/\といかな事をもといてをく どんな事てもちがう事なし
054 これまてのみちのすがらとゆうものハ まことなんぢうなみちであれとも
055 このさきのみちハなんてもきがいさむ どんなめつらしみちがあるやら
056 とん/\ととびてる事をみたとても 心あんちハするやないぞや
057 あとなるハよろづ月日がひきうけて いつ/\までもよふきつくめに
058 いまゝてわなによのはなししたるとも いつの事なるよふにをもふて
059 やれこわやきくよりはやくもふみへた どんな事てもゆたんでけんで
060 このさきをにち/\心いさめるで どんな事でもゆへばそのまゝ
061 どのよふにむつかしくよふみへたとて よふきつとめてみなたすけるで

〜内容の区切りと思われる〜

062 これからわどのよなしことするやらな 心したいにとんな事でも
063 月日にわだん/\心ざんねんを どんな事てもみなはらすでな
064 とのよふな事をゆうのもみな月日 いかなしごとをするやしれんで
065 いかなるの事がみゑるもみな月日 にんけん心あるとをもうな
066 けふからハどのよな事もせきこんで どんなはたらきするやしろまい
067 いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や
068 しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている
069 こればかりうらみあるならとのよふな 事も月日かみなかやすてな
070 どのよふな事をゆうのもみな月日 にんけん心さらにまぜんで
071 いかほどにむつかしよふにをもたとて 月日ひきうけあんちないぞや
072 このさきのみちをたのしめ一れつわ 神のさんねんはらしたるなら
073 にち/\にむねのそふぢにかゝりたら どんなものでもかなうものなし
074 このそふぢどふゆう事にをもうかな 月日たいないみな入こむで
075 このはなしとこの事やとをもうかな 高いところでみなあらわすで
076 なにもかも月日ゆう事しやんせよ なにをゆうてもこれちがわんで
077 せかいぢう一れつ心すましたさ どんな事をば月日するやら
078 とのよふな事をするのも月日にわ たすけたいとの一ちよはかりで
079 このさきをたしかみていよ一れつわ むねのそふちがひとりでけるで
080 このそふちすきやかしたる事ならば そのまゝすぐにまむりごしらゑ
081 このみちを月日の心にち/\に せきこんでいるたれもしらずに
082 このみちゑはやくついたる事ならば どんなものでもみないさむてな
083 このはなしたれがするとハをもうなよ 月日の心はかりゆうのや
084 このよふのしんちつなるをせかへちうへ とふしてなりとしらしたいゆへ

〜内容の区切りと思われる〜

085 けふまでわ一日なりとひをのばし とのよな事もしかゑいれども
086 このたびハもふひがつまりきるからハ どふむしかゑる事ハでけんで
087 なんどきにとのよな事をきいたとて これハ月日のざねんりいふく
088 月日にわどのよなものもわが子なり かわいばかりでみてハいれども
089 いまゝでハせかいぢううハ一れつに めゑ/\しやんをしてわいれども
090 なさけないとのよにしやんしたとても 人をたすける心ないので
091 これからハ月日たのみや一れつわ 心しいかりいれかゑてくれ
092 この心どふゆう事であるならば せかいたすける一ちよばかりを
093 このさきハせかいぢううハ一れつに よろづたがいにたすけするなら
094 月日にもその心をばうけとりて どんなたすけもするとをもゑよ
095 このたすけどふゆう事にをもうかな ほふそせんよにたしかうけやう
096 またゝすけりうけ一れつどこまでも いつもほふさくをしゑたいから
097 このみちをはやくしこもとをもゑども 一れつ心わかりないので
098 せかいぢうどこにへだてわないほどに 一れつしやんしてくれるよふ
099 しんぢつに心にさだめみなついて 神のゆう事そむきなければ
100 それよりも月日の心しいかりと うけとりしだいたすけせきこむ
101 このたすけ一寸の事やとをもうなよ これわにほんの一のこふきや
102 これさいかはやくしいかりみせたなら とのよな高いところなるとも
103 こればかりにんけんハさでないからに 月日ぢうよふそむきでけまい
104 したるならいかほと高いところても まねハてけまいしやんしてみよ
105 月日よりやますしなすによわらんの はやくしよこふだそとをもへど
106 一れつハみなうたごふてたれにても せかいなみやとをもているので
107 このところにんけん心さらになし 月日のをもう事ばかりやで
108 その事をたれてもしらぬ事やから わかりないのが神のさんねん
109 この心どふぞしんちつ一れつの 心すまするもよふないかよ
110 心さいはやくハかりた事ならば そのまゝすぐにしよこだすのに

〜内容の区切りと思われる〜

111 いまゝでハとのよなうそもきいていた もふこれからハうそハきかんで
112 これからハうそをゆうたらそのものが うそになるのもこれがしよちか
113 月日にハうそとついしよこれきらい このさきなるわ月日しりぞく
114 それゆへに一日なりとひをのばし たいていなにもみゆるしていた
115 このたびのはやくしよこふだしたいと ゆうているのをなんとをもうぞ
116 しよこふもとふゆう事にをもうかな みのうちよりにたしかためしを
117 このためしまこと月日のさんねんわ よいなる事でないとをもゑよ
118 みのうちにとこにふそくのないものに 月日いがめてくろふかけたで
119 ねんけんハ三十九ねんもいせんにて しんばいくろふなやみかけたで
120 それゆへに月日ゆう事なに事も うたこふているこれむりでない
121 このたびハ此むねのうちすきやかに はらすもよふやこれがだい一
122 この心月日のほふゑしいかりと つけん事にハどんなはなしも
123 いかなるの事をしたるもみな月日 こんな事をばたれもしろまい
124 けふの日ハよこめふるまもないほどに はやくしよこふだしてみせるで
125 これみたらとんなものでもとくしんせ なにのはなしもみなこのどふり
126 いまゝでのこのさんねんとゆうものわ くちでゆうよな事てないぞや

〜内容の区切りと思われる〜

127 いまゝでハ山/\さねんとふりぬけ このたびこれをはらしたるなら
128 あとなるハどんなやまいもいかなるの 事であろふがみなたすけるで
129 このよふのにんけんもとをせかいちう しらしてをいた事であるなら
130 それからハどんなたすけもするほとに 一事までゝみなたすけるで
131 これまでハたん/\くどきことハりを ゆうてあれどもしんかわからん
132 このしんハどふゆう事であろふなら むねのしやんをこれがたいゝち
133 なにゝてもむねとくちとがちこふてハ 神の心にこれハかなわん
134 しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも
135 こればかりいかほどたれがそふたんも とてもかなハん月日しりぞく
136 なにもかも神のゆう事しかときけ なにをゆうてもちがう事なし
137 しんちつにめつらしたすけをしへたさ そこでとのよな事もゆうのや
138 このよふを初てからにない事を どんな事をもをしへたいから
139 このよふのほんもとなるのしんちつを しいかりしよちせねばいかんで
140 このもとをしいかりしりているものハ とこのものでもさらにあるまい
141 このたびハほんしんちつをゆてきかす なにをゆうてもしかとしよちせ
142 このやしきにんけんはじめどふぐハな いざなぎいゝといざなみとなり
143 月よみとくにさづちいとくもよみと かしこねへとが一のとふぐや
144 それよりもをふとのべへとゆうのハな これわりゆけの一のどふくや
145 つきなるハたいしよく天とゆうのハな これわせかいのはさみなるぞや
146 これまでハどふぐいゝさいみなよせて とのよなみちもとふりぬけたで
147 このさきハよせたどふぐをみハけして しこむもよふをいそぐばかりや
148 このものハとこにあるやとをもうなよ としわ十一二人いるぞや
149 この人ハにんけんはじめかけたると りうけいゝさいしゆごふどふぐや

〜内容の区切りと思われる〜

150 けふの日にどのよな事もゆうほどに なにをゆうてもしよちしてくれ
151 いまゝでも神のをもハくまゝあれど ひがきたらんでしかゑいたるで
152 だん/\ともふひがつまりきるからハ どんな事でもゆうてをくぞや
153 これまでハどこの人でもをなじ事 なにをゆうてもみなうたごふて
154 このたびハほんしんぢつであるからに これそむいたらすぐにかやすで
155 せかいにわあめをほしいとをもたとて このもとなるをたれもしろまい
156 このもとをしいかりゆうてかゝるから どんな事でもしよちするなら

六月廿八日五どきよりはなし

157 けふの日ハこのよはじめてないはなし なにをゆうてもこれきいてくれ
158 このよふわ神のせかいとゆいながら どんな事でもしんわしらんで
159 このしんをまことしんぢつしてみせる これみたならばみなとくしんせ
160 どのよふな事をするのもみな月日 なにをゆうのもみな月日やで
161 このたびハこのよはじめてない事を どんな事でもみなあらわすで
162 月日にわたいないよりもこもりいて どんなしごとをするやしれんで
163 どのよふなゆめをみるのもみな月日 まことみるのもみな月日やで
164 このよふの水のもとなる事をばな まだこれまでわゆうた事なし
165 このたびハほんしんぢつの水の事 どんなはなしをするやしれんで
166 この元をたしかにゆうてかゝるから せかいなみなる事でゆハれん

〜内容の区切りと思われる〜

167 けふからわどのよな事もゆいかける なにをゆうてもしかときくなり
168 にち/\に高山にてわだん/\と どんな事をばたのみたつねる
169 これさいかみゑきたならばどのよふな 事もあふなきさらにないぞや
170 けふの日ハなにのはなしをするやらな どんな事でもしよちしてくれ
171 めへ/\の心みのうちどのよふな 事でもしかとみなあらわすで
172 これみたらどんなものでもしんぢつに むねのそふちがひとりてけるで
173 このたびハどんな事でもすきやかに あらわれだしてみなしてみせる
174 たいないになにがあるやらどのよふな ものでもしりたものわあるまい
175 このはなし月日のし事これをみよ 心しだいになにをするやら
176 けふの日ハなにもしらすにたれにても せかいなみなる事であれども
177 あすにちハどふゆうみちをみるやらな しんの心があらわれてくる
178 この心あらわれでたる事ならば たれもそむきわさらにてけまい
179 これみたらどんなものでもしんちつに あたまかたけてみなしやんする
180 さあしやんこの心さいしいかりと さだめついたる事であるなら
181 このはなし月日の心ばかりやで にんけん心あるとをもうな
182 この事をみな一れつハしんちつに をもてたのめばどんな事でも


<おふでさき註釈>
一、今日からは、親神が世界中の人間の心を見定めて、各人の心のほこりの掃除に着手する。
二、この心の掃除は、内々の者も、世間の者も隔てはない、各人の心づかいを皆そのままに表に現す。
三、四、今までから親神が遺憾千万で堪え切れないと思う程に、人間の心にほこりが一杯積もっているのであるが、情けない事には、時旬が未だ到来せず、人々の心も成人していなかったので、何事も親神の真意を説く事は出来なかった。
五、この度は、何としても黙って見ている訳には行かないから、どのような事も皆表へ現す。
六、今日の日はどれ程我がまま勝手に威張っている者も、神意を悟らないならば親神が身の中の守護を止めて了うであろう。
七、今諭すこの話はどういう事かというと、世界中、何如何なる所にいる者も、皆一列に心を澄ますという事である。
註 親神様の為には、世界一列は皆可愛い子供であるから、産みおろしの後先によって親の慈悲に分け隔てはない。又神意を悟る事に先後はあろうとも、その為に愛憎の別はない。親神様の恩ちょうの溢れる所、この地上全体に心を澄して、普くたすけ一条の親心を行きわたらせたいというのが親神様の真である。にほんもからもてんぢくの事は、地上全体に普く世界一列の意。第二号三一註、第六号二九〜五一註、第十号五五〜五六註参照。
八、これから先は世界中の者の心の中を皆一列に親神が掃除をするから確かに承知していよ。
九、一〇、これまでとても親神は十分注意を与えているけれども、言葉で知らしただけでは、だれも神意の真実を確かに了解する者がない。
一一〜一三、これまでとても、親神は人々が余りに気ままな振舞をするから、直させようと、充分心を砕いているけれども、人間は、だれもそれを悟らない。それで、どうも親神としては、そのままに許されないから、今後改める事の出来ない時には、すぐ親神が守護を止めるから、その事を皆の者に余め注意しておく。
一五、註 元になる一人の精神が定まったならば、その人の身内親族又はその人のにおいがけした所から、用木になる者が沢山出来て来るという理を仰せられたものである。
一七、このよふぼくも一枝さえ、しっかりと道について来たならば、後は皆速やかに定って来る。
一九、よふぼくになる者は、心定めが出来たならば、身上の障りは無くなって、次第に心が晴々と勇んで来るばかりである。
二〇、この親神の心を悟らずに、誰も彼も、世間一般の者と同様な事ばかりいうている。
二一、このぢばは世間一般と同様の所と思ってはならぬ。教祖は、ただ一筋に親神の心ばかりを説き聞かせているのである。
二四、親神の意に順うてたすけ一条の道をつけるよう心を向けなければ、親神の急込みが何時現れるか分からんと、前以て度々注意してあるが、その事はよく承知しているか。
二五、二六、これまでも道が遅れてはならないと、親神の急き込みを種々と諭してはあるけれども、世間の者は一向気が付かない。これは、実に親神の遺憾千万とする処である。
二七、親神の意のままにたすけ一条の道に進まなければ、何時如何な親神の急き込みが現れるか分らんと今までから度々注意し、又種々と道理を尽して説き諭して来たが、未だ悟りが無いので、今又重ねて断っているのである。
二八、どれ程に道理を尽して説き諭し、又警告しても、だれも聞き入れる者がない。
二九、それ故に、だんだん日は径つけれども、いつになっても、これが親神の真であると悟る様子もない。
三〇、今日となってはもう時節が到来したから、人の悟るのを待ち切れず、親神自ら表へ現れて働きをするから、皆承知していよ。
三二、日々に親神のいう事は、皆そのままに現れて来るが、これは実に不思議だと皆も思うであろう。
三三、親神は、どのような事をいうか知れない。しかも、一度いうたならば、何でも親神のいう事は皆そのまま現れて来るのであるから、それで、何も彼も予め十分に注意しておくのである。
三四、前以て注意を促しておくというのも、並一通りでは無く、どのような変った事が見えて来るか分からぬからである。
三五、親神としては、まことに不びんに思ってはいるけれども、人間が、親神のいう事を聞き入れないならば、どんな事が現れて来るか分からぬ。
三六、親神の心は迫まり切っているから、今までにいうておいた事は、もういつ何時現れて来るかも分からん。
三七、これ程までに、親神は心を碎いて心配しているのに、そばの者は、少しも親の心配を知らない。
三八、そばの者は、人間心から割り出した仕事ばかりを考えているが、親神の働きが現れて来たならば、ころっと様子が変わるぞ。
四一、今日となっては、何も彼もの事態が皆切迫し切っているから、もう少しの猶予も出来ない。
四二、四三、今までは、どのように厳しく注意してはいても、それを現実に現す事は控えていたが、今日となっては、少しの間も油断してはならぬ。何時どんな事が現れて来るか分からないから。
四四、今までにふでさきにしるしておいた事が、いよいよ実現して来たが、こうして親神の言葉が実現して来たならば、人々の心が勇み立って来る。
四五、この事さえ見えて来たならば、世界一列は皆、だれも彼も陽気ずくめになる。
四六、この親心の程を、どうか世界の者は早く承知してもらい
たい。子供可愛いい上から特に頼むのである。
四八、これから諭す親神の話は、どんな事でも、決して背いてはならない。親神は、極めて遠大な意図を持っているのであるから。
四九、これから後は、山と重なってある親神の積もる思いを晴らす段取りを話する。
五〇、註 いき、てをどりは、第六号一〇五〜一〇八註参照。
五二、五三、今日までは、親神の自由自在の働きを現すべき時節が来なかったので、親神の説く事がその通りに現れない事もあったが、これからは何も彼も総ての事を説き諭しておくが、どんな事でも間違いなく皆実現して来る。
五六、次から次へと、親神が進み出て、神力を現すような事があっても、決して心配するのでは無い。
五七、それから先は、万事親神が引き受けて、いついつまでも陽気ずくめに暮すように守護する。
五八、今までは、親神がどのような話を説き聴かせても、皆の者は、いつ現れて来るか分からん話だというような考えで、うかうかと聞き流していた。
六〇、今後は、日々に心を勇めてかかるから、親神のいう事は何でも皆、直ぐとそのまま現れて来る。
六二、これから先は、親神がどのような珍しい働きをするかしれぬ。人々の心次第でどのような守護もして見せる。
六四、何事をいうているのも皆親神である。親神は、この世界万物を司っている絶大な力を現して、どのような働きをするか知れない程に。
六五、どのような事が見えて来るのも皆、親神のする事であるから、決して、人間思案でする事と思うてはならぬ。
六七、六八、註 教祖様は人間の姿をしておられるから、普通の人間の口から話されるように思うかも知れないが、教祖様は親神様のやしろであって、教祖様の口を通して語られる事は皆、親神様のお話であり、親神様のお心が教祖様のお心としてお現れになっている事を、仰せになっている。第七号五四〜五六註参照。
六九、註 教祖様のお口を通して話しておられるのは、元の親神様であるからして、教祖様の仰せられる事なされる事に対しては、親神が万事引き受けておられるのである。もしこの事を信ぜず、疑惑や不満の心を持つ者があるならば、すべて皆、その心通り親神様が応報をなさるという事を、仰せになっている。
七二、親神の積もる思いさえ晴らしたならば、それから先は、往還の道が見えて来るから、皆々楽しんでいるように。
七三、日々に、親神が人間の心の掃除に着手したならば、どのような者でも、これに逆う事は出来ない。
七四、この掃除とは、どういう事をするのかと思うであろうが、親神が、人々の身の内に入込み、心づかいを身上事情に現して掃除する。
七五、この掃除を何処でするかというと、上下の区別無く一列平等に人間の胸の掃除をするのであるから、身分の高い上流の人々の間に於ても同じく現れて来る処の理を見て、公平無私な親神の働きを納得するがよい。
七六、何事も皆、親神のいう事をよく考えて悟るようにせよ。親神の心通り、何をいうても皆間違いなく現れて来る。
七七、世界中の人々の心を澄ましたさに、どのような事を親神がするか分からんから、皆よく気を付けるようにせよ。
七九、一列の者は、将来をしっかり見ていよ。目の前に現れて来る天理の実現を見る時、人々の胸の掃除は自ずから出来て来る。
八〇、この掃除をすっきり仕立てた事ならば、直にまもりを渡す用意に取り掛かる。
八一、このように胸の掃除をしてまもりを授け、自由自在の守護によって陽気暮しをさせたいと、一列たすけの道を親神は毎日急いでいるのであるが、誰もこの親心を知らない。
八二、このたすけ一条の道が早く実現して来たならば、どんな人でも皆心が勇んで来る。
八三、この話は、人がすると思うてはならん。親神の心のままに言っているのである。
八四、こうして、だんだんと話をするのは、この世の真実を世界中へ何としてでも知らせたいからである。
八五、八六、今日までは、たとえ一日でも日を延ばして、出来るだけ控えて来たが、もうこの度は、日が迫り切って来たから、どうしても控える事は出来ぬ。
八七、いつ何時どのような変った事を聞いても、それは、親神の積もり重った思いが、激しい急込みとして一時に表へ現れて来たのである。
九二、どういう心に入替えるのであるかといえば、世界をたすける一筋の心になってもらいたい。
九三、九四、今後、世界中の人間が一列に互い立て合い救け合いをするならば、親神も、その誠心を受け取って、どのようなたすけも皆引き受けてする程に。
九五、九六、このよろづたすけというのは、どういう事かというと、先ずほふそをせぬように確かに請け合う。更に又、世界中の農作物が何処如何なる所に於ても常に豊作であるように教えたい。
九七、このよろづたすけの道を早く教えようと思っているが、一列の人間の心が澄み切らないから、教える事が出来ぬ。
九八、世界中の人間は皆、親神の可愛いい子供であるから、少しも分け隔てなく皆一様に救けたいのが親心の真実である。一列の人間は、ここをよく思案して、親神の真を悟ってもらいたい。
九九、一〇〇、人々の心が皆、真実の心に定って、親神のいう事に背かないようになったならば、親神の方では、確かに人々の誠真実の心を受取って、受け取り次第早速たすけを急ぐ。
一〇一、このたすけは一寸した理の軽いたすけではない。このたすけは、このたび元のぢばに現わすにほん一のたすけ一条の手本雛形であって、これによって末代までも世界一列の人間が救けられるのである。
註  第五号三一註参照。
一〇ニ、これさえ早く確かに見せたならば、どうのような高い所へも道がついて行く。
一〇三、これこそは、人間業では無く、親神の働きであるから、何人もこれにそむく事は出来まい。
一〇四、従って又、親神の自由用の働きは、どのように高い所の者でも、そのまねは出来まい。よく思案して見よ。
一〇五、一〇六、親神は病まず死なず弱らずに陽気ぐらしの出来るよう、その証拠を早く出したいと思っているが、皆の者は疑うて、世間普通の人の言葉のように思っているから、出す訳に行かない。
一〇七、このぢばで教祖の諭している事は、人間心は少しも混っていない親神の心ばかりを言うているのである。
一〇九、この親神の真を了解させて、何とかして、一列の心を澄ます段取りは出来ないものか。
一一〇、一列の心さえ早く澄み切って来たならば、直ぐにもよろづたすけの証拠を出そうものを。
一一二、これからは、親神に嘘をいうたならば、その者に対する親神の守護も実の無いものになるが、この事をよく承知であろうな。
一一三、親神は、嘘と追従は大嫌いである。これだけいっても、未だ嘘や追従をいう者があれば、親神は身の内の守護を止めて了う。
一一四、天理は、それ程厳然たるものであるから、早速その理を現す事の不憫さに、今までは、一日でも日を延ばし、大抵の事は皆見ゆるしていたのである。
一一六、証拠とはどういう事と思っているか。それは、身上に試しが掛けてある。その身上のたすけづとめを機縁として確かな証拠を出したいと思っている。
一一七、身上に現しているこの試しの精神を、よく汲みとれないのが、親神にとっては遺憾千万である。
一一八〜一二〇、註 秀司先生はもともと身体に何処も故障が無いのに、旬刻限が来て親神様がこの世に天降られる機縁の一つとして、わざわざ秀司先生の足に患いをつけられた。この身上がたすけ一条のための試しであり、親神様の御意図に基くものである事を、秀司先生に悟りがついたならば、直ぐにも自由自在の守護を現して、よろづたすけの証拠としてかんろだいを建設する機運を促そうと、親神様は心算もりしておられたが、本教に対する種々の迫害干渉は直ちに戸主である秀司先生の身の上に及び、教祖様がこの道の精神を説き切られるにつれて、中山家の家計は支うるに難く、当の責任者たる秀司先生は、内外の事情のためどれ程心配苦労せられたか分からなかった。そのために、とかく教祖様のお口を通して語られる親神様の仰せを、素直に信じられる事が出来なかったのであるが、それも無理のない事である、と仰せになっている。
第一号二六参照。
いがめては、秀司先生の足をびっこにせられた事。
一二一、この度は、この長い間、道のために悩んで来た者の、胸の思いをすっきりと晴らす段取りを、何より先に急いでいる。
一二二、この者に親神の暖かい真実親心を了解させて、親神の方へ、しっかりともたれ付かさぬ事には、よろづたすけの話の説きようがない。
一二三、註 身上、事情と、種々の苦労をさせて来たのも、たすけ一条のこふきを作るために、皆親神様のせられた事であるが、こんな事は周囲の人々はもとより当人さえも知るまい、と仰せになっているのである。
一二四、一二五、今日の日は、一寸傍見をする隙もない程、時旬が切迫して来たから、親神の説く事には間違いが無いという証拠を、今にも出して見せる。これを見たならば、皆なる程と得心せよ。親神の説く事は皆この通り間違いないのである。
一二七、一二八、今までは、この事をもどかしく思いながら、それをこらえていろいろの道を通り抜けて来たが、今度これを晴らしたら、その後はどんな病気であろうが事情であろうが皆救ける。
一二九、一三〇、この世の成り立ち、人間創造の元の理を、世界中へ教えてさえ置いたならば、それから後はどのような身上事情も皆一言で救ける
註 一事までゝの一事は、第十四号四七の『一事ゆゑば』の一事と同じく、一言で、一言まででは、一言いうただけでの意。
一三一、これまでは段々と説き諭しもし、ことわりもいうているが、まだ真実の道の精神を悟っていないようである。
一三二、この真実の精神とはどういう事かというと、各人が、先ず自らの心を振りかえってよく反省する事である。
一三三、総て心の底で思うている事と、口先でいっている事とが違うようでは、これは真実とはいわぬのであって、従って、親神の心に受取る事が出来ないのである。
一三四、一三五、人間の心の真実が親神の心に適うので無かったならば、どんなに心を尽して願うても、親神の方では受け取る事が出来ないから、こればかりはだれから何と頼まれても、親神はその人の身の内の守護を止めてしまう。
一三八、一三九、この世の根本に在る親神の天地人間創造以来の暖い真実親心を、しっかり了解せねばならない程に。
一四〇、註 このもととは、人間創造以来の親神様の本真実。
一四一、この度はこの世人間創造以来の親神の本真実をいうて聴かせるから、何をいうても皆しっかりと聴いていて心に悟りとる様にせよ。
一四二〜一四五、註 太初、この屋敷に於て人間を創造なされた時に、夫々の道具をお使いになり、種、苗代、骨突張り及男性、皮つなぎ及女性、飲み食い出入、息吹き分けの守護の理に、それぞれ、いざなぎのみこといざなみのみこと、月よみのみこと、くにさづちのみこと、くもよみのみこと、かしこねのみこと、と、神名をおつけになり、引出しの守護の理に、をふとのべのみこと、切る事一切の守護の理に、たいしよく天のみこと、と、神名をおつけになった事を、仰せになっているのである。
一四六、これまでは、道具一切を皆寄せてどのような道すがらも通り抜けて来たのである。
註 本歌は、太初に道具衆をよせて人間を創めかけられた如く、この度は夫々に理を享けたつとめ人衆を寄せてこの教をお創め下さる事を仰せられているのである。
一四七、今度は、寄せた道具を皆夫々と見分けして、仕込む段取りを急ぐばかりである。
一四八、註 この年(明治九年)真之亮様と前川菊太郎氏は共に十一歳であった。本歌はこのお二人を指されたものと言い伝えられている。
一四九、この者はつとめ人衆として、人間創造の種及び立毛一切守護の理に相当する役割を勤めさせる者である。
一五二、註 ひがつまりきるは、日が詰り切るで、時機の切迫する意。
一五三、これまではだれも彼も皆同じように、親神が何をいうても疑うていた。
一五四、この度は、この世人間を創造した元の親神が、迫り切った時節の到来により、自ら表へ現れて、真実の親心から一列たすけの教を説いているのであるから、もしもこれに背くが者があれば、直ちに心通りのかやしをする。
一五五、世間では、かんばつの時には雨が降ってほしいと思うであろうが、雨というものはどうして降るか、その根元にある親神の守護をだれも知るまい。
註 本歌は明治九年陰暦六月廿八日、川東村小坂の松田利平の願により、辻忠作、仲田儀三郎(儀右衞門の後名)、桝井伊三郎等が雨ごいに行った時諭されたものである。
一五六、雨の降る根元を、しっかり言い聴かせるから、何も彼も親神の話をよく了解せよ。そうしたならば、直ぐにも自由自在の守護を現す。
一五八、この世は神の世界である、というていながら、何事も皆その起る根本の理を知らない。
註 しんは真で根本の理、世の中の万事が皆、親神様の親心によって守護され支配されている、という真理。
一五九、万有の根本にある親心の真実を、目のあたり現して見せるから、これを見たならば、なる程と納得せよ。
一六〇、何事をするのも何事をいうのも、これ皆、親神のする事いう事である。
一六二、元の親神は、人間の体内に入り込んでいるから、どんな珍らしい働きを現すかも知れぬ。
一六三、どのような夢を見るのも、又、どのような出来事を見るのも皆、親神の守護である。
一六五、この度は、水の根本の理について、どのような珍らしい話をするか分らぬ。
一六六、水の根本の理を 、確かに説いて聞かせるが、世間普通の話を聞くような心掛けでは、説く事は出来ぬ。
一六七、今日からは、何事も皆親神の真実を言い初めるが、何をいっても皆この世の本真実の話ばかりであるから、しっかり心を澄して聴くようにせよ。
一六八、今後はだんだんと、上流の者が、どんな事でも頼みに来る。又尋ねに来るようになる。
一六九、そうなってさえ来たならば、何事も皆、少しも危い事はない。
一七一、各人の心づかいは、どのような事でも間違なく身上に確かに現す。
一七二、身上に現れる親神の知らせを見たならば、どんな者でも、真底から胸の掃除をせずにおられぬようになる。
一七三、この度は、何事も皆、ことごとく表へ現して見せる。
一七四、人間の身の内に入り込んでいる親神の守護については、だれも知っている者はあるまい。
一七五、この話をよく聴き分けて、親神のする事をよく見ていよ。親神は各人の心次第でどのような働きを現すかも知れぬ。
一七七、明日になれば、どのような道が見えて来るか分からぬ。銘々の心通り、親神の守護が現れて来る。
一七八、心通りに親神の守護が現れて来たならば、誰もこれに背く事は出来まい。
一七九、これを見たならば、どんな者でも、心の底から不思議に思って、思案せずにはおれない。
一八〇、さあ、しっかりと思案せよ。銘々の心の真実さえ確かに定まったならば、親神はその心定めを受取って自由自在の守護をするのである。
一八二、この理をよく悟り、親神のたすけを心の底から信じて、真実誠の心を以て親神に願うならば、どんな事でも願通り速やかに守護しよう。


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posted by 朱夏 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月16日

おふでさき第十一号。

おふでさき第十一号は、明治8年6月にお記し下さいました。
80首あり、教祖(おやさま)78歳の御時です。

おふでさき第十一号では、全編こかん様のことを話題にされています。
第十号と第十二号との間に挿入されたような特別な号とも考えられます。
「人衆」「よふぼく」の仕込みについて、こかん様を「悟りの台」とされたものとみられます。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第十一号>
001 むなさきへきびしくつかへきたるなら 月日の心せきこみである
002 このさきハ一れつなるにだん/\と みのうちさハりみなつくであろ
003 どのよふなさハりついてもあんぢなよ 月日の心ゑらいをもわく
004 みのうちにさハりついてもめへ/\の 心それ/\みなわけるでな
005 しんぢつにをもう心とめゑ/\の しやんばかりをふもいゝるとを
006 月日にハどのよな心いるものも このたびしかとわけてみせるで
007 どのよふな心もしかとみているで 月日このたびみなわけるでな
008 口さきのついしよばかりハいらんもの 心のまこと月日みている
009 これまでもいろ/\はなしといたれど ほんしんぢつがみゑてないので
010 けふの日ハなにのはなしをしたるとも ちがうよふなる事ハゆハねど
011 月日より一どふゆうてをいたなら いつになりてもちがう事なし
012 それしらすそばの心ハたれにても せかいなみなるよふにをもふて
013 このたびのなやむところでとくしんせ みなの心もめゑ/\心も
014 この事をぢうよぢざいハちがハねど みなの心にしよちなけねば
015 一れつにしよちをしたる事ならば 月日うけよてたしかたすける
016 このたすけどふゆう事にをもうかな 三かめへにハそといでるよふ

〜内容の区切りと思われる〜

017 これまでも月日とゆうてだん/\と はなしもといてきたるなれとも
018 まだしんのところハさらにハかるまい このたびどんな事もあらわす
019 はなしでもをなしところでゆうならば なんどにんけん心なるよふ
020 みなのものをもう心ハきのどくや このたびところかへてはなしを
021 これきいていかなものでもとくしんせ 月日ぢうよふみなこのどふり
022 たいないへ月日入こみぢうよふを ゆうていれどもしよちあるまい
023 このさきハせゑいゝバいにたん/\と ことハりたゆへかゝる事なり
024 月日よりあらハれでるとゆうたとて たん/\なにもことわりたゆへ
025 このたびのなやみているをやまいやと をもているのハこれハちがうで
026 こればかりやまいなぞとハをもうなよ 月日ぢうよふしらしたいゆへ
027 なにもかもとのよな事もしらするハ さきのをもわくあるからの事
028 このはなしどふゆう事てあるならば さきのよろづハ月日ひきうけ
029 月日よりひきうけするとゆうのもな もとのいんねんあるからの事
030 いんねんもどふゆう事であるならば にんけんはぢめもとのどふぐや
031 このものに月日よろづのしこみする それでめづらしたすけるのや
032 この事わ一寸事やとをもうなよ これハにほんのこふきなるのや

〜内容の区切りと思われる〜

033 あれいんでこらほどなにもすきやかに たすかる事をはやくしりたら
034 それしらずどふどいなさすこのとこで よふぢよさしてをことをもたで
035 こんな事はやくしりたる事ならば せつなみもなししんバいもなし
036 にんけんハあざないものであるからに 月日ゆハれる事をそむいた
037 これからハどんな事でも月日にハ もたれつかねばならん事やで
038 どのよふな事をするにも月日にて もたれていればあふなけハない
039 このよふなけへこふなるのみちすしを しらすにいたがあとのこふくハい
040 このさきハどのよな事をゆハれても 月日ゆハれる事ハそむかん
041 月日よりやしろとなるのむなさきの つかゑてあるをなんとをもうぞ
042 このつかへ人なみなるとをもうなよ 月日の心まことしんわい
043 それしらずみな一れつハめへ/\に わがみしやんでしことばかりを
044 月日にハどのよなみちもみへてある せかいぢううハそれをふもハす
045 このみちをこども一れつしやんせよ どのよなみちがあるやしれんで
046 どのよふな事でもさきへしらしをく あとでこふくハいなきよふにせよ
047 こんな事なにをゆうやとみなのもの をもうであろふこどもかハいゝ
048 せかいぢうをふくの子共むねのうち わかるもよふがこれハないかよ
049 このよふな事をくど/\ゆうのもな みちをあんぢているもよふから
050 これからハとのよな事もゆてきかす これをかならすうそとをもうな

〜内容の区切りと思われる〜

051 このたびの月日のしごとしかときけ あしきのよふな事わせんぞや
052 どふどしてめつらしたすけをしへたさ そこでかゝりたしごとなるぞや
053 いまゝでと心しいかりいれかへて よふきつくめの心なるよふ
054 この心どふしてなるとをもうかな 月日たいない入こんだなら
055 にち/\にひとり心がいさむなり よふきづくめの心なるよふ
056 月日よりにち/\心いさめかけ よふきつくめにしてかゝるでな
057 このはなしなんとをもふてきいている たすけ一ぢよのもよふばかりを
058 月日よりどんな事でもみているで なにをゆうてもみなしよちせよ
059 ことしから七十ねんハふう/\とも やまずよハらすくらす事なら
060 それよりのたのしみなるハあるまいな これをまことにたのしゆんでいよ
061 月日にハいまゝでどこにない事を ばかりゆうぞやしよちしてきけ
062 このよふなない事ばかりゆうけれど さきをみていよみなまことやで
063 なにぶんにめづらし事をするからハ いかなはなしもない事ばかり
064 とのよふにない事ばかりゆうたとて さきをみていよみゑるふしぎや

〜内容の区切りと思われる〜

065 いまなるのなやみているわつらけれど これからさきハ心だのしみ
066 このよふなはなしくと/\ゆうのもな これハまつたいこふきなるのや
067 月日よりこのたびこゝであらハれて とんな事をもはなしするのハ
068 とのよふな事もたん/\しらしたさ にほんのこふきみなこしらゑる
069 このよふのはじまりたしハやまとにて やまべこふりのしよやしきなり
070 そのうちになかやまうぢとゆうやしき にんけんはじめどふくみへるで
071 このどふぐいざなぎいゝといざなみと くにさづちいと月よみとなり
072 月日よりそれをみすましあまくたり なにかよろづをしこむもよふを
073 このところなにをするにもとのよふな 事をするのもみな月日なり
074 とのよふな事をゆうにもみな月日 そばなるものハまねをしてみよ
075 このよふをはじめてからにけふまでハ ほんしんぢつをゆうた事なし
076 けふの日ハどのよな事もしんぢつを ゆハねばならんよふになるから
077 めへ/\になにをゆうとハをもうなよ 月日のをもうよふにゆうのや
078 なんどきにかいりてきてもめへ/\の 心あるとハさらにをもうな
079 どのよふなものもしんからとくしんを さしてかいるでこれをみていよ
080 いかほとのこふてきたるもはつめても 月日の心これハかなハん


<おふでさき註釈>
二、三、今後は一列の人々に、次々と身上の障りが現れて来るであろう。どのような障りが現れて来ても、心配するのではない。それは皆親神の心に深い考えがあってしている事である。
四、身上に障りが現れて来るというても、それは皆銘々の心通り現れて来るのであるから、これによって各人々々の心を一々皆分けるのである。
五〜七、真実に道を思い世を思う心と、我身思案している心と、どのような心も親神は常々確かに見届けているから、どのような心でいる者も、この度は各人々々の心づかいを夫々の身上に現して、判然と区分して見せるであろう。
九、これまでとても人々の心を入れ替えさせる為に、種々と話を説いては来たが、その本真実が未だ実現して来なかったからして、皆の者には親神の話がよく了解出来なかったであろう。
一一、一二、親神が一度いうて置いた話は、いつになってもそれに間違いなく必ずその通りに現れて来る。然るに、それを知らずして、側の者達は皆、深い意図を以て説いている親神の話を、世界普通の話のように思ってついうかうかと聞いている。
一三、現在悩んでいる身上についてよく考えてみて、傍々の者も、又悩んでいる本人も、前々から諭してある親神の話に、間違いのない事を得心せよ。
註 本歌は、こかん様の身上について仰せられたものである。 第九号三六〜三九註及び本号二五〜四〇総註参照。
一四〜一六、親神の自由自在の守護に間違いはないのであるが、皆々の心に親神の話が了解出来ないからして、身上の悩みと現れているのであるが、皆々の者が、親神の意中を了解し心の反省をして、親神の意図に添うならば、、身上の悩みは、親神が保証して確かに救けるであろう。その救けというのはどういう救けかというと、親神の自由自在の守護によって、三日目には外へ出られる位、速やかに回復するようにたすけする。
一七、一八、これまでからも、教祖の説く事は親神がいうのであるというて、次々と説き諭しをして来たが、未だ真実の所は分かっていまい。そこで、この度は、どのような自由自在の守護も皆現して、真から了解出来るようにして見せる。
一九〜二一、如何程真実の親神の話であっても、始終同じ所でいうならば、何か人間心から話しているように、皆の者が思って、親神の深い意中を説いている話も、その気になって聞く事が出来ず、従って神意の程を悟り得ないというのは、誠に気の毒であるから、この度場所を変えて話をしてみせるが、如何に場所が変っても、親神の話には寸分の変りがない。この寸分変わりのない話を聴いて、皆の者達は、成程真実の親神の話に違いないという事を知り、その話をしっかり聴いて親神の真意を了解して貰いたい。親神は万事これと同じ道理で、どのような自由自在の守護も皆して見せる。
註 をなしところでゆうとは、親神様が始終教祖様のお口を借りてお話下さっていることで、ところかへてはなしをとは、こかん様に扇を持たせて、親神様の意中を語らしめ給うた事実を仰せられたものである。
然して教祖様の言とこかん様の言と、寸分の相違がなく、これによって、教祖様が始終お話し下さる事は、教祖様のお言葉ではなく神意をお話下さっているものである事を立証して、人々にお示し下さったのである。
二二、体内に親神が入込んで、親神の意中をば、そのまま自由自在に話をしているが、これが親神のしている事だとは理解出来ないであろう。
註 即ち、親神様は教祖様のお口を通じて種々とお話をされているのであるが、それをば親神様のお話とは思わず、世間普通の人間の言葉のように考えていた事を戒められたものである。
二三、二四、予め充分に断って置いたから、今後は、もう遠慮会釈なく何事にも取り掛かるのである。即ち、親神が人々の心得違いを身上事情に現して諭すのも、予め何もかも充分に断ってからの事で、決して突然の事では無いのである。
二五、二六、今回悩んでいるのを、普通有り勝ちの病気だと思うているのは間違である。こればかりは、病気などと決して思うてはならぬ。これは見抜き見透しの親神の自由自在の働きを現したいからである。
二五〜四〇、総註 明治五年陰暦六月十八日、檪本の梶本家に嫁いでおられたおはる様(教祖様の第三女)が出直されたが、当時、梶本家には、十五歳を頭に当年生まれにいたるまで五人の子供があって、手不足勝で家事万端に就て種々の困難を感じていられたので、その後妻としておはる様の妹たるこかん様を懇望された。しかし、教祖様は、神意のまにまにこれを承諾されなかった。というのは、こかん様はぢばにいんねんある方であって、この方をおぢばに留め置いて、いつまでも親神様がたすけ一条の上に御用をおさせになる思召だったからである。 (本号二八〜三二及六九〜七二註参照)
然るに、側々の勧めもあり、且その困っておられる有様も、見ているに忍びなかったので、当時戸主であった秀司先生及び本人のこかん様も遂に人情にほだされて、梶本家へ赴かれた。しかし神意のこう遠は人意を以て計かり難く、その後、明治八年こかん様は身上に重いお手入れを受けられ、益々容態が悪くなったので、こゝに初めて神意の厳として動かすべからざるを悟られ、遂に意を決し病を冐して教祖様の許へ帰宅されたが、時あたかもお屋敷の門屋新築の件に関し、教祖様が奈良監獄へ二十六日から三日間御苦労下されたのを合図立て合いとして、その御留守中の陰暦八月二十八日三十九歳を一期として、遂に出直された。教祖様は、その日監獄からお帰りになってこれを御覧遊ばされ、暫し御愁傷の態であったが「お前は何処へも行くのやない。せみの抜けがらも同じ事、魂はこの屋敷に留っている。またこの屋敷に生まれ帰って来るのやで。」と、さながら生ける人に物言う如く微笑やかに仰せられたという。 (第九号三六〜三九註参照。)
二八、この話は、どういう事であるかというと、将来の事は、一切親神が引受ているのである。
二九、三〇、註 もとのいんねんとは、こかん様のいんねんを指す。 本号六九〜七二註参照。
三一、註 このものとは、こかん様。
三二、この事をば、一寸した軽い事と思ってはならぬ。これは、にほんに出来た世界たすけのこふきである。
註 こふきは、第五号三一註、本号六七、六八参照。
三三〜三六、註 こかん様が檪本へ行っておられる事は、親神様のお考えに背く訳であるから、世間普通の人情などにほだされず、又、梶本家の人々にもその悟りがついたなら、こかん様の身上にも自由自在の守護を頂けたのであるが、人間心から自分の家で養生さそうと一日々々と日を延ばしておられたから、すきやかな御守護を頂く事が出来なかったのである。
四一、四二、親神のやしろとなっている者の胸先が、つかえているのを皆々は何と思っているか、このつかえを尋常普通の事のように思ってはならぬ。これは親神の心が全く心配に堪えないからである。
註 しんわいは、しんぱいと読み、心配の意。
四三、親神の心配の程も知らずに皆々の者は、各自の人間思案で勝手な事ばかりしている。
四四、註 ふもハすは、おもわず、と読み、思わずの意。
四九、このような事を繰り返えし繰り返えしいうのも、子供達の将来の道筋を心配するから、予め用心するように説き諭しているのである。
五一、五二、この度の親神の仕事について、しっかり神意のある処を聴いてもらいたい。決して、皆々にとって悪いような事はしない。親神は、どうかして珍らしいたすけをば人々に体得させたいが為めに、取り掛かった仕事なのである。
五三、今までとは違って、今後は心をしっかりと入れ替えて、陽気ずくめの心になるようにせよ。
五四、五五、この陽気ずくめの心に、どうしてなる事が出来るのかしら、と思うであろうが、親神が体内に入り込んだならば、人々は日に日に自づから心が勇んで来て、陽気ずくめの心になる。
五六、親神の方から、日々心を勇めてかかって、だんだんとこの世を陽気ずくめの世界とする。
五七、この話をお前達は何と思って聞いているか、親神はたすけ一条の段取りばかりを急いでいるのである。
五九、六〇、今年から向う七十年間、夫婦とも病気にもならず老衰もせずして暮す事が出来たならば、それより以上の楽しみは無いであろうがな。これをば、心から楽しんでいるがよい。
註 ふうふうともとは、秀司先生夫妻を仰せられたものである。これを以て観ると、当時、教祖様が如何にお二人に対してその心を励まし、且つその心の目覚を促される事の切なものがあったかを、察知する事が出来る。
六二、このように見えて無い事ばかりいうが今後を見ているがよい。親神のいう事は、将来皆、真実にその通りになって来る。
六三、何といっても、今までに無い珍らしいたすけをするのであるから、どのような話も皆今までに無い事ばかりいう。
六四、如何に無い事ばかりいうたとても、これから先を見ているがよい。親神のいう事は皆その通りに現れて来るから不思議である。
六五、現在悩んでいるのは辛いであろうけれども、この悩みによって心を入替え親神のいう通りにして行けば、これから先は心楽しみである。
註 いまなるのなやみ、秀司先生御夫婦の何れかが当時御身上であったものと拝察される。
六六、このような話を繰り返えし繰り返えし説いて聞かせるというのは、これは未来永ごうに伝えられてたすけ一条の手本となるべきこふきだからである。
六七、六八、親神が、この度元のぢばに現れて、何事も皆話するというのは、一列人間に総ての真実を皆次々と知らせたいからであって、こうして親神のたすけ一条の真実を皆教えてにほんに現れ未来永ごうに伝えられて、一列たすけの手本雛形となるべきこふきを皆こしらえる。 第五号三一註参照。
六九〜七二、この世の初まり出しは大和であって、その中の山辺郡庄屋敷村である。その庄屋敷村の中山氏という屋敷に、人間創造の道具の理を体した者が見える。この道具とは、いざなぎのみこと、いざなみのみこと、くにさづちのみこと、月よみのみことである。親神はこれを見澄まし旬刻限と共に元なるぢばに天降り、教祖を月日のやしろとしてたすけ一条の真実を、何も彼も皆仕込む段取りに取り掛かって来た。
註 教祖様は、このお道をお創め下さるに就て、言うにいえぬ産みの苦しみをおなめ下され、夫善兵衛様また一家を捧げて教祖様のたすけ一条の教の創始に協力するという、並々ならぬ御心労をお通り下された。又秀司先生は、貧困の中に家計を支え、又世間の迫害嘲笑に対しては百方手段を尽して道の立つように努力せられ、こかん様は母を慰め兄を励まし、よく一家の和楽を保って、お道のため一方ならぬ辛酸をなめて下された。これ実に、それぞれ人間創造の御守護の理の一つ一つを身に体しておられたからであって、ここに親神様の深い々々神慮の程を拝察することが出来る。
第六号二九〜五一註参照。
七三、七四、このぢばに於て何事をするのも、それは、人がするのではない。皆親神のする事である。又如何な事をいうのも、それは、人がいうのではない皆親神のいう事である。人が勝手にしたりいったりしていると思うならば、側の者よ、だれでもまねをして見るがよい。決して出来ないであろう。
七五、親神がこの世を創造してから今日まで、未だかつてこのような本真実の話をした事は無い。本号六九〜七二参照。
七七、銘々の人間心からいうていると思ってはならぬ。皆、親神の思い通りに言わせているのである。
七八、何時ぢばへ帰って来ても、銘々の人間心からとは決して思うてはならぬ。
七九、どのような者でも心の底から納得さして帰るであろう。これも皆親神が言わせて説き諭すからである。しっかり見ているように。
八〇、どれ程力の強い者も、さかしい者も親神の心には刃向かうべくも無くただ心から懐き慕うばかりである。
註 こふてきは、剛的で力の強い者の事、はつめは、発明な者で悧功者の事。即ち如何に腕自慢な剛者でも、知恵自慢の知者でも、親神様の自由自在のお働き及び深遠な御意図には、到底及ばないと仰せられているのである。

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posted by 朱夏 at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月10日

おふでさき第十号。

おふでさき第十号は、明治8年6月にお記し下さいました。
104首あり、教祖(おやさま)78歳の御時です。

おふでさき第十号は第九号と同じ明治8年6月に御執筆されたもので、その内容も第九号に引き続き、 神のお働きを中心に、布教伝道について記されています。
また第九号では「とびでる」準備が記されていましたが、第十号では布教の大要が記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第十号>
001 しんぢつの心月日がみさだめて 天よりわたすあたゑなるのわ
002 一寸したる事とハさらにをもうなよ 天よりふかいをもハくがある
003 このはなしどふゆう事であろふなら からてんぢくも心すまして
004 この心どふしてすます事ならば 月日とびでゝあゝちこゝちと
005 だん/\と月日たいない入こんで ぢうよぢざいをしてかゝるでな
006 したるならなんぼからやとゆうたとて にほんのものにこれハかなわん
007 にち/\にみへるところでとくしんせ なんどきどんなはなしきくやら
008 どのよふなはなしきいてもさきいより これわ月日のはなしなるのや
009 これからハにほんのものハたん/\と 月日ひきたてこれをみていよ
010 なにもかもどのよな事もみなをしへ しらん事をハないよふにする
011 にほんにハはしらをたてた事ならば やまずしなすによハりなきよに
012 いまゝでハからやとゆうてはびかりて まゝにしていたこんどかやしを
013 このはなしたれにどふせとゆうでなし 月日とびでゝまゝにするなり
014 これまでも月日をしらんものハない なれとほんもとしりたものなし
015 このたびハどのよな事もしんぢつを ゆうてきかしてたすけいそぐで
016 このひがらいつころなるとゆうならば たあのしゆりをしまいしだいに
017 それからハなにかめづらしみちになる つとめのにんぢうみなよりてくる
018 たん/\とにち/\心いさむでな なんとやまとハゑらいほふねん
019 にち/\にはやくつとめをせきこめよ いかなるなんもみなのがれるで
020 とのよふなむつかしくなるやまいでも つとめ一ぢよてみなたすかるで
021 つとめでもどふゆうつとめするならば かんろふだいのつとめいちゞよ
022 このたいをどふゆう事にをもうかな これにいほんのをやであるぞや
023 これさいかまことしんぢつをもうなら 月日みハけてみなひきうける
024 月日よりひきうけするとゆうからわ せんに一つもちがう事なし

〜内容の区切りと思われる〜

025 このはなしどふゆう事にきいている かんろふだいのつとめなるのわ
026 一寸したるつとめなるとハをもうなよ 三十六人にんがほしいで
027 そのうちになりものいれて十九人 かぐらづとめの人ぢうほしいで
028 しんぢつに心さだめてしやんせよ とりつぎの人しかとたのむで
029 このだいをこしらゑよとてたん/\に 月日人ぢうのもよふするなり
030 人ぢうがしかとよりたる事ならば そのまゝだいもでける事やで
031 このみちハどふゆう事であるならば 月日つとめのてゑをふしへて
032 それよりも月日一れつせかゑぢう つれてゞたならひとりでけるで
033 これさいかたしかにでけた事ならば 月々つとめちがう事なし
034 つとめさいちがハんよふになあたなら 天のあたゑもちがう事なし
035 このみちハまことしんぢつむつかしい みちであるぞやみなしやんせよ
036 この人ぢうどこにあるやらしろまいな 月日みわけてみなひきよせる
037 どのよふなところのものとゆうたとて 月日ぢうよふしてみせるでな
038 だん/\と人ぢうそろふたそのゆへで しんぢつをみてやくわりをする
039 やくハりもどふゆう事であるならば かぐら十人あといなりもの
040 これさいかはやくしいかりそろたなら どんな事でもでけん事なし

〜内容の区切りと思われる〜

041 けふからハだん/\もんくかハるでな いまゝでしらん事ばかりゆう
042 いまゝでもどのよなみちもあるけれど 月日をしへん事わないぞや
043 月日よりたいてへなにもだん/\と をしゑてきたる事であれども
044 このたびハまたそのゆへのしらん事 なにもしんぢつみなゆてきかす
045 これまでハからやとゆうてはびかりた これも月日がをしへきたるで
046 このたびハ月日元ゑとたちかいり 木のねしいかりみなあらハすで
047 このよふの元をしいかりしりたもの どこのものでもさらにあるまい
048 しんぢつにこの元さいかしいかりと しりたるならばどこいいたとて
049 このはなしなんとをもふてきいている これとりつぎにしこみたいのや
050 どのよふな事を月日のをもうにハ にんけんもとをこれせかゑぢうへ
051 はや/\とこのしんちつを一れつに しらしたるならはなしハかるで
052 いかほどにはなしをといてきかしても もとをしらしてをかん事にハ
053 もとさいかしいかりゆうてをいたなら なにをゆうてもみなきゝハける
054 このよふのぢいと天とハぢつのをや それよりでけたにんけんである
055 これからハからもにほんもしらん事 ばかりゆうぞやしかときくなり
056 どのよふな事もしらんとゆハんよふ みな一れつにしこみたいから

〜内容の区切りと思われる〜

057 にち/\に月日の心をもうにわ をゝくの人のむねのうちをば
058 この心どふしたならばわかるやら どふどはやくにこれをわけたい
059 せかいぢうしんぢつよりもむねのうち わかりたならば月日たのしみ
060 それからハ一れつなるのむねのうち わかりたならば月日それより
061 だん/\とにち/\心いさめかけ よふきづくめをみなにをしへて
062 せかいぢうをふくの人のむねのうち みなすましたる事であるなら
063 それよりも月日の心いさみでゝ どんな事でもみなをしゑるで
064 とのよふな事でも月日しんぢつに みな一れつにをしゑたいのや
065 しんぢつの心がほしい月日にわ どんな事でもしこみたいから
066 このはなしなにをしこむとをもうかな これからさきのよろづみちすじ
067 けふまてハなによの事もみへねども ひがちかづけばひとりみへるで
068 とのよふな事もやまいとをもうなよ なにかよろづハ月日ていりや
069 月日よりにち/\心せきこんで どんなもよふをするやしれんで
070 せきこみもなにの事やらしろまいな かんろふだいのもよふばかりを
071 にち/\にみのうちさハりついたなら これハ月日のていりなるかよ
072 だん/\とみすますところせかいぢう きのどくなからもんくかへたい
073 しやんせよくちでなに事ゆうたとて たしかなしよこなくばいかんで
074 月日よりたいないよりも入こんで ぢうよぢざいのさしずしよこや
075 それゆへにいまゝでどこにない事を ばかりゆううてはじめかけるで
076 いまゝでもない事ばかりゆうのもな これも月日のみなをしへやで
077 このたびのかんろふたいとゆうのもな これもいまゝでしらん事やで
078 どのよふな事をゆうのもみな月日 しらん事をばをしゑたいから

〜内容の区切りと思われる〜

079 このやしきかんろふだいをすへるのハ にんけんはじめかけたしよこふ
080 なに事もみなこのとふりはちめかけ せかいぢううの心すまする
081 にち/\になんでもせかい一れつを いさめるもよふばかりするぞや
082 だん/\とせかいの心いさむなら りうけもろともみないさみでる
083 この心どふしていさむ事ならば 月日にんそくつれてゞるぞや
084 それまでにあゝちこふちとどのよふな はなしだん/\みなきくであろ
085 どのよふなはなしきくのもみなさきい ゆうてあるぞやしやんしてみよ
086 月日にハなにをだん/\ゆハれると をもうてあろをさきのたのしみ
087 なに事も月日の心をもうにわ にほんにこふきほしい事から
088 にほんにもこふきをたしかこしらへて それひろめたらからハまゝなり
089 このはなしなんとをもふてみなのもの にほんのものハみなわが事や
090 それしらずなんとをもふて上たるハ むねがわからん月日さんねん
091 このところどのよなこふきしたるとも これハにほんのたからなるぞや
092 一れつの心さだめてしやんせよ はやくこふきをまつよふにせよ
093 しんぢつのこふきがでけた事ならば どんな事でも月日ひろめる
094 月日よりひろめをするとゆうたとて みなの心ハしよちでけまい
095 それゆへにとりつきよりにしいかりと たのみをくからしよちしていよ
096 このひがらこくけんきたる事ならば なんどき月日どこいゝくやら
097 にち/\にとりつぎの人しいかりと 心しづめてはやくかゝれよ
098 このみちハどふゆう事にみなのもの をもているやら一寸にわからん
099 月日にハなんでもかでもしんぢつを 心しいかりとふりぬけるで
100 このみちを上ゑぬけたる事ならば ぢうよぢざいのはたらきをする
101 月日よりこのはたらきをしかけたら いかなこふてきたるとゆうても
102 心よりしんぢつハかりすみきりて とんな事でもをやにもたれる
103 このさきハせかへぢううハどこまでも よふきづくめにみなしてかゝる
104 たん/\とこのみちすじのよふたいハ みなハが事とをもてしやんせ


<おふでさき註釈>
一、真実の心を見定めて親神が天から渡す天の与えとは、如何な意義のあるものかということ。
二、これは、一寸した何でもない事とは決して思うてはならぬ。親神に深い考えがあって渡すものである。
三、親神のこの話は、どういう事であるかといえば、世界中どこどこまでも、未だ親神の教を知らない人々の心を皆一列に澄ましてかかるという話である。
註 から 第二号四七註参照。 てんぢく 最もおくれて神意の行きわたる所の意。
四、五、このように、世界中の人々の心をどうして澄ますかというと、親神が進み出て行って、彼処ここと、次々に人々の身のうちに入り込んで、自由自在の守護をしてかかるのである。
六、そうしたならば、今まで未だ親神の教を知らず、人間心で威張っていた者も、親神の真意を悟った者に、心から懷き慕うて来るようになる。
七、いつどのような話を聴くかもしれないが、日々現れる親神の守護を見て得心せよ。
八、人間では一寸想像もつかぬような話を聞いても、それは皆、親神が前以て話して聞かせて置く事である。
九、一〇、これからは親神の真意を了解してついて来る者には、だんだんと何も彼も教えて、何でも知らぬ事は無いというようにする。
一一、やまとのぢばにかんろだいを建てたならば、病に悩んだり若死にしたり弱ったりするような事は無くなって了う。
註 第三号九九、一〇〇、第四号三七、第八号七九註参照。
一二、一三、今までは、人間心のままに、気隨気ままに振舞うていたのであるが、今度そのかやしをする。それも、人間に命じてどうせこうせというのではなく、親神自ら表へ現れて自由自在の守護をする。
一四、これまでからも、月日を知らぬ者は無いが、これが天に現れた親神の姿であり、この親神が万物を創造し守護しているのだ、という事を知った者は無い。
一六、註 たあのしゆり 庄屋敷附近で稻苗を植え付けて後、田の修理即ち除草、中耕は大体三回位で、第二回は土用の入りころ、第三回の済むのはお天気次第で一定せぬが、順調にゆくと大体土用の終るころ、即ち立秋前後である。立秋は、陰暦で七月の節、陽暦で八月七日にあたる。
一七、親神の守護が現れて来れば、だんだん珍しい道となって、つとめの人衆も皆そろうて来る。
一八、それから先は、次第に日一日と心が勇んで来て、親神の恵が世界に充ちあふれ、大和は、ぢばを慕って帰り来る人々によってにぎわしくなる。
註 ほふねんは、豊年の意。
二二、この台をどう思っているか、この台は、にほんの親である程に。
註 この世の初め、親神様は元なるぢばで人間を宿し込まれた。その証拠にひのもと庄屋敷のぢばにかんろだいを建てられる。従って、この台は、にほんはもとより、世界一列の生命の根元であり、靈救の源泉である。本号七九、及第十七号二〜九参照。
二三、真からこの理を了得し、これを信奉するならば、親神は、その者の心を見定めてどんな守護でも皆引き受ける。
二五〜二七、この話をどういうふうに聞いているか。このかんろだいのつとめというのは、一寸したつとめと思ってはならない。てをどりの人衆が三十六人、更にかぐら十人、鳴物九人、合わせて十九人のかぐらづとめの人衆がほしい。
二六、二七、註 親神様の仰せられたつとめ人衆とは
かぐら  十 人
鳴 物  九 人
手 踊 三十六人(六人一組)
なおこの外に、がくにん二十人
と仰せられ、計七十五人である。
二八、取次の者は、しっかりと心を定めて、この親神の意のある処を悟り、かんろだいのつとめの準備に力を入れてくれ。
二九 かんろだい建設の第一歩として、親神はつとめ人衆をそろえる段取りに取り掛かっている。
三〇、つとめ人衆が確かにそろうたならば、おのずとかんろだいも建てられるようになる。
三一、三二、その手順はどうかというと、先ず、親神がこのつとめの手を教えて、その教えられた者が、親神の指図によって世界中に手をつけて回れば、自然とかんろだいが出来て来る。
三三、かんろだいが建設されつとめの手が確かについて来たならば、月々のつとめも間違なく行う事が出来るようになる。
三四、月々のつとめさえ間違いなく行うようになったならば、天の与えも確かに授ける。
三五、この道は誠真実の道であって、澄み切った誠の心になって親神の真実を悟るのは、なかなか容易ではないが、親心さえ悟れたら、まことに楽しい道である。この事を、皆よく思案するように。
三六、このつとめ人衆に選ばれる者は、何処のだれであるかは人間には分かるまいが、親神が、人間の心を見分けて皆引き寄せる。
三七、親神がつとめ人衆として引き寄せようと思えば、いずこ如何なる所の者でも、親神の自由によって皆引き寄せる。
三八、だんだんとつとめ人衆がそろうて来たならば、その上で人々の真実を見定めて、つとめの役割をする。
三九、註 本号二六、二七註参照。
四二、今までにもいろいろな教はあるが、これ等は皆、親神が人間の成人に応じて教えて来たものばかりである。
四三、四四、親神が、人間の成人に応じて、これまでいろいろと大抵の事は教えて来たのではあるが、この度は、教え残して置いた、最も重要なこの世の真実根本について説き諭しする。
四五、今日までは、親神の心を知らずとも、ただ知恵や技術さえあればよいと思って、知恵や力のすぐれた者が威張って来たが、これも、親神が人間の成人に応じて仕込んで来た道すがらである。
四六、この度は、親神が根元へ立ち還って、たすけ一条の真実を、しっかりと表へ現すであろう。
四七、この世の元初りが月日両神であるという事を、しっかり知っている者は、広い世界にだれもあるまい。
四八、真に親神のこの世人間創造の真実が心に治まりさえしたならば、どこへ行っても、おめ恐れも無く安心なものである。
四九、この話を何と思うて聴いているか、これを取次の者達に、しつかり仕込みたいからである。
五〇、どのような事を親神が思っているかというと、人間創造の根本を世界一列に教えたい、と念じているのである。
五一、人間をつくり始めた真実の話を、世界一列の人間に説いて聴かしたならば、あとはどんな事でも皆分かるようになる。
五二、どんなに話を説いて聞かしても、先ず、元初まりは月日であるという事が分かって来なければ、何事も会得出来るものではない。
五三、元初まりは月日であるという事を、しっかり教えておいたならば、どんな事をいうても皆聴き分けの出来るものである。
五四、天地は、人間の真実の親である、くにとこたちのみこと、おもたりのみことの理の現れであって、一列人間は、親神の守護によってこの天地の間に生まれて来たのであるから、世界中の人間は皆、親神の可愛いい子供、人間同志は皆兄弟姉妹である。
註 天は月様くにとこたちのみこと、地は日様をもたりのみことの御理である。この世の初め月日両神がいざなぎのみこと、いざなみのみことに入り込んで人間世界をお造り下された。この月日両神の御理は、現に天地とお現れ下され、人は天地の間に生をうけて生まれて来る。即ち、天地は人間の真実の親である。人間は天地抱き合せの親神様の懐住居をさせて頂き、日夜親神様の御守護を頂いて暮らしているのである。お勤のお歌に
このよのぢいとてんとをかたどりて、
ふうふをこしらへきたるでな、
これハこのよのはじめだし
と、仰せ下されているのは、この意である。
五五、五六、これからは、世界中に於てだれにも知られていない話ばかりするが、これも、何知らんという事のないように、世界一列の子供によろづ委細を教え度い故であるから、人間は皆、親神の世界一列をひとしく可愛いい子供と視る別け隔てのない親心の程をよく悟って、親神のいう事をしっかり聴いてもらいたい。
註 からもにほんも差別の無いのが親心の真実である。即ち、一列人間の親でいらっしゃる親神様のお目から見れば、にほんもからも広い世界中は皆可愛いい子供の住む所、先に生れた者も後に生れた者も、皆一様に可愛いい子供である。又親神様のお心を悟ってついて来る者も、反対する者も、皆可愛いい子供である。即ち究極に於て世界一列の人間を皆一様に救けたいというのが、親神様のたすけ一条の真意義である。にほんとからに関して第二号以来お説き下さって来た神意の結論はここにある。第二号四七註参照。
五七、五八、親神の日々念願している事は、世界中の多くの人間の心のうちをば、どうしたならば澄ます事が出来ようか。何とかして、一日も早く一列人間の心を澄ましたいという事である。
五九、世界中の人間の心が、本当に奥底から澄み切って来たならば、親神の楽しみはこれに越した事はない。
六〇、六一、一列の人間の胸のうちが澄んで来たなら、それから先は、段々と人間の心を勇めかけて、この世を陽気づくめの世界になるよう教えてゆこう。
六二、六三、世界中の多くの人間の胸のうちが、皆澄み切って来たならば、自然と、親神の心も勇み立って、どんな事でも教える程に。
六四、親神は、どんな事でも皆本真実を、可愛いい子供である世界一列の人間に教えたいのである。
六五、親神は、どんな事でも仕込んで置きたいと思うているから、皆、真実の心になって親神の話を聴いてもらいたい。
六七、今日までは、何事も分からなかったけれども、だんだん時機が迫って来ると、自然に道筋が明らかに悟れるようになって来る。
七〇、急き込みというただけでは何の事かわかるまいが、親神は、かんろだい建設の段取りばかりを急いでいる。
七二、だんだんと世界中を見澄まして行けば、実に不びんなものが多いから、何とかして世の中の有様を変えたい。
七三、考えてもみよ、ただ口先でどんな事をいうていても、確かな証拠がなければ、信じられるものではない。
七四、教祖の身体を親神のやしろとして、自由自在に数々の指図をしている。これが、何よりの証拠である。
七九、この屋敷にかんろだいをすえるのは、元々ぢばで人間を創めかけた証拠としてである。
八〇、何事も皆この通りに、創世の理により確かな証拠を以てこの教を創始して、やがては世界中の人間の心を澄み渡らせる。
八一、親神は、日々に何としてでも世界一列の人間の心を勇めたいと、専らその段取りばかりに意を用いている。
八二、だんだんと世界中の人間の心が勇み立って来たならば、農作物もそれにつれて勇み出て十分みのり豊作となる。
八三、世界中の人間の心が、どうして勇み立って来るかというと、親神が神の用人を連れて世界中到らぬくまなく出掛けて行って、世界中の人間の心を勇めかけるからである。
註 にんそくは、たすけ一条の上に親神様の手足となって、世界一列を救けてまわる者達の意。
八四、八五、あちらからもこちらからも、いろいろな話を聞く事であろうが、どんな話も皆、親神が先に説いて聴かせてある事ばかりである。よく思案してみよ。
八六、親神は何故あんな事をいわれるのか、と思うであろうが、これが先になって楽しみの道となるのである。
八七、八八、親神は、人間を創め出したぢばのある所に、こふきを作って置きたいと思って、いろいろと心を碎いている。にほんにたすけ一条のこふきが出来て、これを世界の人間に知らせさえしたならば、親神の真意の未だ知られていなかった処へも、自由自在に神意を行きわたらせ、世界一列の心を澄ます。
註 第五号三一註、本号五五〜六五参照。
八九、九〇、このこふきを作るという事は、にほんのものにとっては皆これ我が事であるものを、どう思うて聞いているのか。この親神の心を、上に立つ者が分からずにいるのが、如何にももどかしい。
註 第二号四七註、本号五五〜六五参照。
九一、ぢばで出来るこふきはどのようなこふきも皆、親神の心に基いて出来るのであるから、これはにほんの宝である。
九二、人々は心を定め思案して、早くこふきの出来るように待ち望むがよい。
九四、親神が、このこふきを世界に弘めるというても、そういうただけでは、どうして弘めるのか、人間の心には得心が行かぬであろう。
九五、それで、取次の者に、このこふきを世界に伝えるよう、しっかり頼んで置くから、よく承知して置くように。
九六、こふきが出来て、これを弘めるべき時機が来たならば、いつ何時親神が何処へ飛出して行くか分からぬ。
九七、日々に取次の者はしっかり心を鎮めて、一日も早くこのこふきを弘めるよう準備に着手せよ。
九九、親神は、どうでもこうでもたすけ一条の真実を立て切って、凡ゆる難関を切り抜けて、この真実の教を弘める程に。
一〇〇、上に立つ者達に、この教を了解させたならば、それから先は、親神が自由自在の働きをして見せるであろう。
一〇一、一〇ニ、親神のこの自由自在の働きが現れて来たならば、どんな頑強な反対者でも、真底から親神の真実を了解し、心澄み切って何事も皆親にもたれて来る。
一〇三、これから先は、世界中何処々々までも、すべて陽気づくめの楽しい世界として行く。
一〇四、この教を世界に弘めて行く上について、どんな事が起こって来ようが、すべて我が事をなす心になって、よく思案して働くようにせよ

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posted by 朱夏 at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月04日

おふでさき第九号。

おふでさき第九号は、明治8年6月にお記し下さいました。
64首あり、教祖(おやさま)78歳の御時です。

おふでさき第九号では、布教伝道を神様の御立場から述べられた内容が記されています。
特にその準備として、「やしろ」と「かんろだい」について記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第九号>
001 いまゝでハなにをゆうてもにんけんの 心のよふにをもていたれど
002 このたびハなにをゆうてもにんけんの 心あるとハさらにをもうな
003 どのよふな事でもしかときいてくれ にんけん心さらにまぜんで
004 月日よりどのよな事もしいかりと ゆいかけるでなこれきいてくれ
005 月日よりやしろとなるを二人とも べつまへだてゝをいてもろたら
006 なにゆうもそれよりしかとうけよふて たすけするぞやしかとみていよ
007 このさきハどのよなたすけするのもな みなうけやうのもとであるから
008 どのよふな事をゆうてもけさんよふ たしかきゝすみしよちしてくれ
009 このさきハどんなむつかしやまいでも みなうけよふてたすけするぞや
010 にんけんにやまいとゆうてないけれど このよはじまりしりたものなし
011 この事をしらしたいからたん/\と しゆりやこゑにいしやくすりを
012 これからハなにかよろづをみなとくで どんな事でもしかときくなり
013 これまでもたいてはなしもといたれど まだゆうてないしんぢつの事
014 けふからハどのよな事をゆうやらな 月日の心まことせきこみ
015 にち/\になにせきこむとゆうならば 月日とびでるもよふばかりを
016 このはなししいかりきいてしよちせよ どんな事をばするやしれんで
017 このさきのみちのよふだいしいかりと きゝわけてくれ月日たのみや
018 月日よりとびでた事をきいたなら かんろふだいをばやくだすよふ
019 かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを
020 これさいかたしかさだめてをいたなら とんな事でもあふなきハない
021 月日よりとびでるところ一寸はなし 高いところやとふいところい
022 そのはなしきいたるならば一れつわ なんと月日ハゑらいものやと
023 せかいぢうみなたん/\とゆうてあろ その日きたればむねかはれるで
024 いまゝでハ三十八ねんいせんから むねのさんねんまこときのどく

〜内容の区切りと思われる〜

025 このたびハどのよな事もしいかりと みな一れつにしらす事なり
026 しらするもなにしらするとをもうかな もとなるをやをたしかしらする
027 このよふな事をゆいかけしらするも なんの事やらたれもしろまい
028 このよふを一れつなるにしんちつを たすけたいからしらしかけるで
029 いまゝでにないたすけをばするからハ もとをしらさん事にをいてわ
030 いまゝでもしらぬ事をばをしへるハ もとなるをやふたしかしらする
031 元なるのをやふたしかにしりたなら とんな事でもみなひきうける
032 このはなしたれがゆうとハをもうなよ 月日の心ばかりなるぞや
033 よろづよのせかい一れつみハたせよ やまいとゆうもいろ/\にある
034 このたびハどんなむつかしやまいでも うけよてたすけかでんをしゑる
035 これからハたしかにやくみゆてきかす なにをゆうてもしよちしてくれ
036 このたびのなやむところハつらかろふ あとのところのたのしみをみよ
037 さきよりにせへいゝばいにことハりが ゆうてあるぞやしやんしてみよ
038 どのよふな事をするにもさきいより ことわりたゆへかゝるしことや
039 このはなしどふゆう事にをもうかな 月日ぢうよふしらしたいゆゑ
040 しんぢつにこの一ぢよふはや/\と 月日の心せへていれども
041 そばなるにいかほど月日たのんでも きゝわけがないなんとさんねん
042 どのよふな事をゆうてもいまの事 なにをゆうとハさらにをもうな
043 だん/\となにのはなしをするにもな さきなる事をばかりゆてをく

〜内容の区切りと思われる〜

044 これからハなにのはなしをするならば かんろふだいのはなし一ぢよ
045 いまなるのかんろふだいとゆうのハな 一寸のしながたまでの事やで
046 これからハだん/\しかとゆてきかす かんろふだいのもよふばかりを
047 このだいをすこしほりこみさしハたし 三尺にして六かくにせよ
048 いまゝでにいろ/\はなしといたるハ このだいすへるもよふばかりで
049 これさいかしいかりすへてをいたなら なにもこわみもあふなきもない
050 月日よりさしずばかりでした事を これとめたならハがみとまるで
051 これをみてまことしんぢつけへこふと これハ月日のをしゑなるかよ
052 このだいがでけたちしだいつとめする どんな事でもかなハんでなし
053 このだいもいつどふせへとゆハんでな でけたちたならつとめするぞや
054 これさいかつとめにかゝりでたならば なにかなハんとゆうでないぞや
055 これをみよたしかに月日ぢきもつの あたゑしいかりたしかわたする
056 とのよふな事でもたしかしんちつの しよこなけねばあやうきい事
057 これからハとのよな事もだん/\と こまかしくとくこれそむくなよ
058 このはなしなにをゆうやとをもうなよ かんろふだいのもよふ一ぢよ
059 このだいもたん/\/\とつみあけて またそのゆへハ二尺四すんに
060 そのうゑゝひらばちのせてをいたなら それよりたしかぢきもつをやろ
061 ぢきもつをたれにあたへる事ならば このよはじめたをやにわたする
062 天よりにあたへをもらうそのをやの 心をたれかしりたものなし
063 月日よりたしかに心みさだめて それよりハたすぢきもつの事
064 月日にハこれをハたしてをいたなら あとハをやより心したいに



<おふでさき註釈>
一〜四、註 第七号五二〜五六参照。
五、六、親神がやしろとしてもらい受けている者を二人とも、別間に置いてもろうたならば、何を願うて来ても、それから先は必ず請け合うて、たすけするから、これから先をしっかり見ていよ。
註 二人ともは、教祖様とこかん様を指して仰せられている。
七、八、九、この事は、今後どのような珍らしいたすけも皆請け合うてする根本であるから、親神のいう事は、どのような事でも皆、消さぬようにして確かに承知して実行してもらいたい。そうしたならば、これから先は、どのような難病重病でも皆請け合うて必ずたすけする。
一〇、人間には病気というものは無いのであるが、親神の世界人類創造の真実を知らぬから、その無知ゆえに、つい心にほこりをつけて身上障りとなるのである。
一一、陽気遊山を理想として人間を創造した親神の真実を、一列人間に知らせたさに、その緒口として先ずぼつぼつと修理や肥として医薬の道を教えて来たのである。
註 しゆりやこゑは、修理、肥の意、農事に託しての比ゆであって、親神様の慈悲をお知らせ下さる為の心の仕込みの意。
一三、今までに既に親神の意中は大体説いて来たが、未だ説いていない真実の事があるから、これからそれを説いて聴かせる。
一四、今日からどんな話をするか分からぬが、親神の心は大そう急き込んでいるから、その積りで、しっかりと聴くようにせよ。
一五、註 第二号一、に仰せられたように、往還の道に早く出る事を親神様はお急き下されている。故に教祖様がおぢばにじっとしていて教をお説きになっているだけでは、なかなか世界に道をつける事はむつかしい。そこで親神が自ら高い所や遠い所へ進み出て、世界にこの道をひろく伝える、とお急き込み下されたのである。この以前に於て教祖様が圓照寺で(山村御殿)へ召喚を受けられたのも、親神の道を普く世上に知らしめようとする神意に外ならなかった。又、第五号五九のお歌に、
このとこへよびにくるのもでゝくるも 神のをもハくあるからの事
と、仰せられたように、警官の干渉も拘留も皆、親神が進み出てお働き下さる下準備と知るのである。
一七、たすけ一条の道の将来の有様を、しっかりと聴き分けてくれ、これを親神が頼み置くぞ。
一八、成程親神が自ら進み出て働かれたという事を感じたならば、かんろだいを一日も早く建てるようにせよ。
一九、註 かんろだいをすえる位置を定められたのは、明治八年陰暦五月二十六日である。これより先明治六年には飯降翁に命じて模型のかんろだいをお作らせになっている。(本号四五参照。)神意は既にその当時からかんろだいの建設をお急ぎになっているのである。本歌の大意は、かんろだいを建設すべき場所を神意のままに定めてあるから、その基礎工事の心積もりをせよ、とお急き込みになっているのである。
二一、親神が進み出て何処へ行って働きを現すかをいうて置こう。それは上に立つ人々の所や、遠い遠い所へ飛び出て行くのであって、こうして親神は、自由自在の守護を現して、上流社会や遠隔の地に、この道をつける。
二二、親神が自ら進み出ての目覚しい働きを聞いたならば、一列は、何と親神の働きは偉いものであるなあ、と感心するであろう。
二三、こうして、親神の神意は世界中の人間に了得されて、一列は、口々にその徳を称えるようになるであろう。その時になれば、始めてうっ積した思いが晴れ渡るのである。
二四、三十八年以前から今日に至るまで、暗がりの道中を通らせて、苦労難儀の苦しみばかりさせ残念な思いをさせた事を、親神はまことに気の毒に思っている。
註 三十八ねんは、第七号一註参照。
二六、知らせるというのも、何を知らせると思うか、それは元の親を確かに知らせる。
註 もとなるをやとは、教祖様をお指しになっている。教祖様は親神様のやしろとして、親神様の理を受け、人間創造の理によってこの教をお創め下された。
二七、このような事を説いて教えるというのも、何の為にいうているのかだれも親神の意中は分るまい。
二八、この世の一列の子供を救けたい一条で、深い親神の真意の程を知らせかけるのである。
二九、この世始まってからかつてないたすけをするからには、その元の理を明らかにしなければ、末の話をする事は出来ない。
三〇、今日までだれ一人として知らぬ事を教えるからには、先ず元の親を確に知らせる。
註 もとなるをや 元の親、月日両神は、この度教祖様をやしろとしてお現れになっている。親神様の理をお受けになっている教祖様こそ、この世の元の親である。
三一、元の親を確かに知ったならば、どんな願でも皆引き受けて救けよう。
註 本歌は、月日のやしろたる教祖様を真に親と信ずるならば、如何な霊救も心次第である事をお教え下されている。
三二、この話は人間がいうとは思うでない。親神が、子供可愛いい一心から説いて聞かせる事である。
三四、註 かでんは、家伝で、他の教では求める事の出来ない真実のたすけ一条の意。
三五、註 やくみは、薬味で、救ける道を薬にたとえて仰せられたものである。
三六〜三九、註 この四首はこかん様に就いて仰せられたものである。第十一号二五〜四〇総註参照。さきいよりは、前々からの意。
四〇、四一、この親神の真意を一日も早く知らせてやりたい一心から、親神は急き込んで、いろいろといい聴かせているのであるが、どれ程親神が頼むようにして懇々と説き聴かせても、側の者は一向に承知してくれないのが、実にもどかしくて堪らない。
四二、四三、
今だんだんと説いて聞かせている事は、現在目の前の事をいうと思うてはならぬ、これから先の事ばかりをいうて置くのである。
四五、註 いまなるのかんろふだいとは、明治六年飯降翁に命じて造らしめられた木製模型のかんろだいを指されたものである。
四七、註 本歌から六四に到るお歌はかんろだいに就いて述べられたものである。その形は、最下の台は径三尺にして六角、高さ八寸、二段目は径二尺四寸にして同じく六角、高さは八寸、三段目以上は径一尺二寸、六角、高さ六寸の石を十段積み上げる。そして、その上には径二尺四寸、六角、高さ六寸のものを重ねるのであるが、各段の中心には深さ五分の穴を穿ち、径三寸丸、長さ五分の『ほぞ』を上からはめ込むのである。この台の最上に五升入りの平鉢をのせられる。このかんろだいは、人間を最初に宿し込んだ証拠として、元の親里なるぢばに建設せられるのである。
四八、今までに種々様々と説いて来たのは、一日も早くこの台をぢばにすえたい為の段取りからである。
四九、かんろだいさえしっかりと元なるぢばにすえて置いたならば、何の怖い事も危い事もない。
五〇、かんろだい建設の段取りは、専ら親神の指図でしている事であるから、もしこの仕事を妨げる者があるならば、息の根が止って了うであろう。
五一、かんろだいの建てられる有様を見て、これは本当に結構な事である、うれしい事である、成程真実の親神の教であるといって、多くの人々がぢばをしとうて帰って来るようになる。
註 けへこふは、結構即ち忝いの意。
五二、かんろだいが完成したならば、直ぐによふきづとめに取り掛かる。そうなると、どんな願でもかなわぬ事はない。
五三、かんろだいの建設は、いつどうせえと一々工程に日限をつける訳ではないが、竣工次第直ちによふきづとめに取り掛かる。
五四、かんろだいをめぐって親神の定めたよふきづとめを行うようになると、どんな願でもかなわぬという事はない。
五五、しっかりと見ていよ。親神が、じきもつの与えを確かに必ず渡す。
註 かんろだいが完成せられ、よふきづとめを勤めて願うならば、最上段の平鉢に天から必ず甘露を下される。これが即ちぢきもつであり、天の与えである。『ぢきもつ』は第八号七九註参照。
五六、どんな事でも、確かに間違いないという証拠が無ければ危っかしくて頼りない事である。
五七、今後は、万事にわたって、次々と詳しい話を説いて聴かせるから、この親神の教訓に違背するのではないぞ。
五九、六〇、註 本号四七、五五註参照。
六一、このじきもつをだれに与えるのであるかといえば、この世を創めた親に授けるのである。
註 このよはじめたをやとは、この世をお創めになった親神様の理を受けておられる教祖様を指して仰せられたものである。
六二、天から直き直きにぢきもつの与えを授けられるその親の真の心は、親神以外にだれも知った者はない。
註 をやの心は、教祖様のお心で、教祖様のお心は、即ち、月日親神様のお心そのものである事を仰せになっている。第十二号六七、六八参照。
六三 親神は、教祖の心を確かに見定めたその上で、自由自在のりやくのあるぢきもつを渡すのである。
六四 親神からこのぢきもつを教祖に渡してさえ置いたならば、それから先は、教祖から心委せに、渡してやるがよい。


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posted by 朱夏 at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月13日

おふでさき第八号。

おふでさき第八号は、明治8年5月にお記し下さいました。
88首あり、教祖(おやさま)78歳の御時です。

おふでさき第八号では、第七号の終わり(101)に記された「をや」について、また「心のそふじ」について記されています。
また「ぢば」を明かされた史実に繋がり、元の「をや」、「かんろだい」の「つとめ」(「かぐらづとめ」)について記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第八号>
001 にち/\に月日さんねん山/\と つもりてあるをはらしたいから
002 このはなし月日をもわくだん/\と なにかよろづのたすけなるのわ
003 しんちつの心したいにとのよふな つとめするのもみなたすけやで
004 月日にハせかいぢうゝハみなわが子 たすけたいとの心ばかりで
005 そのところさしとめられてさんねんな まだそのゝちハとりはらいまで
006 それゆへにたすけづとめがでけんから 月日の心なんとさんねん
007 つとめでも月日だん/\てをふしゑ にんけんなるの心でわない
008 とのよふな事をするのもにんけんの 心あるとハさらにをもうな
009 このところいかなはなしも月日なり どんなもよふもみな月日やで
010 いかなるのさハりついてもにんけんの 心わさらにあるとをもうな
011 このよふをはじめだしたる月日なら どんな事でもしらぬ事なし
012 せかいぢう一れつなるのむねのうち 月日のほふゑみなうつるなり
013 それしらすみなにんけんの心とて わがみしやんをばかりをもふて
014 このさきハみなだん/\としんぢつの みちをふしゑる事であるから
015 このよふのはじまりだしハ月日なり なにかいさいをみなをしゑかけ
016 それまでハたれかしりたるものハなし なにか月日のしやんばかりで
017 けふまでもなによの事も月日やと ゆうてあれどもまだわからんで

〜内容の区切りと思われる〜

018 しかときけこのよはじめたしんちつと ゆうてはなしハといてあれども
019 せかいにハたれかしりたるものハなし なにをゆうてもハかりがたない
020 そのはづやこのよはじめてない事を たん/\くどきばかりなるから
021 このよふのはじまりだしのしんぢつを しらしてをかん事にをいてわ
022 いまゝてもたすけ一ぢよとまゝとけど ほんしんぢつをしらぬ事から
023 どのよふな事でも月日ゆう事や これしんぢつとをもてきくなら
024 どのよふな事もだん/\ゆてきかす これをまことゝをもてきゝハけ
025 このよふのほん元なるとゆうのハな このところよりほかにあるまい
026 このはなしどふゆう事にをもうかな どふゆはなしもみなしたいから
027 このよふをはじめだしたるしんぢつを みな一れつハしよちせゑねば
028 どのよふなたすけするにも人なみの よふなる事ハゆうでないから
029 いまゝてにみへたる事やある事わ そんな事をハゆうでないそや
030 これまてにない事ばかりゆてきかし しんぢつよりのたすけするそや
031 このたすけどふゆう事にをもうかな ほふそせんよのまむりこしらゑ
032 またたすけをひやぢうよふいつなりと のばしなりともはやめなりとも
033 こらほとのぢうよじさいをゆうのもな よいなる事とさらにをもうな
034 月日にハたいて心ハつくせとも せかいぢううハまだせかいなみ

〜内容の区切りと思われる〜

035 このよふをはじめたしたるほんしんを ゆうてきかさん事にをいてわ
036 このところつとめばしよハにんけんを はじめだしたるところなるそや
037 にんけんをはじめたしたるこのをやハ そんめゑでいるこれがまことや
038 このはなしこれをまことにをもうもの どこのものでもさらにあるまい
039 このよふなない事ばかりゆうのハな これがしんぢつみなまことやで
040 いまゝでもないせかいをばはじめたハ しらぬ事をばをしゑはじめて
041 このたびもまたない事やしらぬ事 ばかりゆううてまたをしへかけ
042 どのよふなものでもしらぬ事ばかり これをふしへる月日をもわく
043 月日にハたん/\しらぬ事ばかり なにもをしへてせかいたすける
044 こらほどにをもう月日のしんばいを せかいのものハなにもしらずに
045 心さい月日しんぢつうけとれば どんなたすけもみなうけやうで
046 とのよふなたすけとゆうもしんちつの をやがいるから月日ゆうのや
047 この月日もとなるぢばや元なるの いんねんあるでちうよぢさいを
048 このはなしなんでこのよにくどいなら たすけ一ぢようけやうのもと
049 このもとハとこをたづねてみたるとも しりたるものハさらにあるまい
050 そのはづや月日たいない入こんで はなしするのハいまはじめやで

〜内容の区切りと思われる〜

051 このせかい一れつみゑる月日なら とこの事でもしらぬ事なし
052 月日よりみなそれ/\とみさだめて 善とあくとをみハけするぞや
053 月日よりなんでこのよにくどいなら あしきみへるがきのどくなから
054 だん/\とをんかかさなりそのゆへハ きゆばとみへるみちがあるから
055 とのよふなものでも月日しんぢつを うけとりたならみなたすけるで
056 いまゝでハどんなはなしをしたるとも なにもみゑたる事ハなけれど
057 これまてもみなみへきたる事なれど ほんもとなるをしらん事から
058 かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく
059 この事をいまゝでたれもしらんから このたび月日さきゑしらする
060 月日にハみな一れつハわが子なり かハいゝばいをもていれとも
061 一れつハみなめへ/\のむねのうち ほこりいゝばいつもりあるから
062 このほこりすきやかそふぢせん事に 月日いかほどをもふたるとて
063 月日よりこわきあふなきみちすじを あんぢていれどめへ/\しらすに
064 とのよふなたかいところとゆうたとて 月日のたあにみなわがこやで
065 それしらずをやのする事さしとめて またとりはろてこれハいかゞぞ
066 月日にハいまゝでどんな事やとて あらわれでたる事わなけれど
067 このたびハむねのうちよりすきやかに はらさん事にあとのもよふを
068 このあとハとのよなものも一れつに たすけたいとのしゆだんはかりを
069 このさきハたすけ一ぢよにかゝりたら どのよなものもいさむばかりや

〜内容の区切りと思われる〜

070 なに事も月日一どふゆうた事 ちがいそふなる事わないぞや
071 いまゝてもあくどいほともといてある なれと心にわかりないから
072 しかときけをなじにんけんなるよふに をもているのハこれハちがうで
073 どのよふな事をふしへてかゝるのも もとなるをやてなくばいかんで
074 いまゝてもなにをふしへてきたるのも みなこのどふりはじめかけたで
075 にんけんをはじめたをやがも一にん どこにあるならたつねいてみよ
076 このよふなしらぬ事をばだん/\と ゆうていれどもこれがまことや
077 にち/\にしらぬ事をやない事を これをしへるが月日たのしみ
078 このよふのにんけんはじめをやなるに 天のあたゑハあるときけども
079 このはなしなにの事やら一寸しれん 月日ぢきもつやろとゆうのや
080 このはなしどふゆう事であろをなら かんろふたいにひらばちをのせ
081 このさきハあゝちこゝちにみにさハり 月日ていりをするとをもゑよ
082 きたるならわがみさハりとひきやハせ をなじ事ならはやくそふぢふ
083 そふぢしたところをあるきたちとまり そのところよりかんろふだいを
084 したるならそれよりつとめてをそろい はやくかゝれよ心いさむで
085 こればかりどこたづねてもないほどに これにいほんのしんのはしらや
086 これさいかたしかみへきた事ならば とんなものでもをそるものなし
087 なにゆうもしんぢつなるのしよこふが みゑん事にわあとのもよふを
088 とのよふな高いところのものやとて ぢうよしだいにはなしするなり


<おふでさき註釈>
一、世の中の者が親神の心を察しないのは、如何にももどかしい事であるが、この山々と積もっているもどかしさを晴らしたいから、いろいろと心を尽している。
二、三、親神の意中をだんだんと説いて聴かして、よろづ一切のたすけをするのである。さてこのようによろづのたすけを皆行うというのは、どうして行うかというと、誠真実の心を捧げてよろづたすけのつとめをする事である。そうすれば、親神は、その真実を受取ってどのようなたすけも皆、よふきづとめの理によって、現すであろう。
四、五、親神からすれば、世界一列は皆我が子である。ただ救けたいと念ずる心の外何ものもない。然るにたすけづとめを差止めるのみか、神名まで取払うとはまことに心外である。
註  第五号五六、五七、及第六号七〇註参照。
七、つとめというても、親神がみずからいろいろと手を教えるのであって、人間思案でするのではない。
八、つとめばかりではない。どのような事をするのも皆、親神がするのであって、人間の思案でするとは、決して思うな。
九、ぢばに於て教祖の口から説く話は、どんな話も皆親神がするのである。又、どんな段取りの現れて来るのも、皆、親神がしているのである。
一〇、それ故に、どんな障りが身についても、それは親神がつけているので、人間の心があるとは決して思うな。
一一、この世人間を創造した親神であるから、どのような事でも知らぬという事はない。
一二、世界一列の心のうちは、どんなさ細な事でも、鏡に映るように親神の心に皆映っている。
一三、それを知らずに、一列は皆人間心の常として、我身可愛いいのほこりにまみれた思案ばかりをしている。
一五、元々この世界を創め出したのは月日であるから、月日親神がよろづ一切の事を皆教えかけるのである。
一六、親神が教えかけるまでは、だれ一人として知った者は無い。それももっともであって、この世は万事親神の心一つから出来て来たのであるから。
一七、今日までにも万物を創造し且つ守護するのは、皆親神である、というてはあるが、一列の人間は、未だこの事を了解していないようである。
一八、一九、しっかり聴け、この世界を創め出した真実の話を説いて聴かせてはいるが、世界中でだれ一人知っている者の無い話であるから、何をいうて聴かせても分かり難いものである。
二〇、それももっともであって、この世界が始まってから未だ教えた事の無い事ばかりを、いろいろ説いて聴かせるのであるから、なかなか分からないのも無理はない。
二一、親神が世界を創め出した本当の事を知らせて置かねば、何事も分からぬから、ぜひいうて聴かそう。
二二、今日までにもたすけ一条という事はしばしば説いて来たが、親神が世界を創め出した元々の真実を人々は知らなかったから、十分その訳が分からなかったのである。
二三、二四、どのような事でも、世界を創め出した親神のいう事であるから、これを真実であると信じて聴くならば、総ての事を次々と説いて聴かせる。そこで、これを本当であると信じてよく了解せよ。
二五、この世界人間を創め出した元の親里というのは、実に、このぢば以外に無かろうがな。
二七、この世界を創め出した親神の本真実を、世界一列が承知しなければ何をいうても分からない。
二八、親神は、どんなたすけをするにも、ありふれたような事はいわぬから、分かり難いであろうが、そこをよく悟らねばならぬ。
二九、三〇、過去に起こったり、又現在既にあるような事について、彼これと話をするのではない。これまでに何人も未だかつて見聞きしなかった耳新しい真理を啓示して、真底から一列をたすけるのである。
三一、三二、この真実からのたすけとはどういうたすけと思うか。それは、ほふそ除けの守りをこしらえて渡し、又をびや許しを出して、産期を延ばしなりとも早めなりとも、自由自在に守護するというたすけをする。
三三、これ程の自由自在のたすけをするというのは、決して軽々しい事と思うでない。親神の方には深い深い考えがあってする事である。
三四、親神は並大抵でない心を尽しているのであるが、世界中の者は未だ少しも親神の意中を悟らず人間心ばかり使っている。
三五、親神がこの世界を創め出した本心をいうて聴かさなければ、何も彼も分からないであろう。
三六、このつとめ場所は、人間を創め出した元のぢばである。
註 つとめ場所とはたすけづとめをする場所の意で、元のぢばに建てられている本部神殿である。
三七、元無い人間無い世界をこしらえた親は、今現に教祖として生きて現れている。これが確かな事実である。
註 本歌は親神様が教祖様をやしろとして直き直きお現れ下さっている事を仰せ下されている。
三八、この話を本当と思って聴く者は、何処を捜してもいないであろう。
四〇、四一、親神は、元々無い世界を創め出す為めには、だれも知らぬ事をば教え始めたのであるが、今度もまた、今までに無い事や人の未だ知らぬ事ばかりを説いて、この教を創めかける。
四二、だれも知らない事ばかり教えかけるのは、親神に深い考えがあるからの事である。
四三、親神は、次々に人間の知らぬ事ばかりを、何も彼も教えて、世界一列を救けるのである。
四四、世界一列を救ける為に、これ程までに心を尽している親神の胸の中を、世界の者は何も知らずに、ただ人間心ばかりで銘々勝手な思案をしている。
四六、どのようなたすけでも皆引き受けると親神がいうのも、真実の親即ち教祖がいるからいうのである。
四七、親神が自由自在の守護をするというのは、元々世界一列を創め出した元のぢばであり、真実の親がいるという深いいんねんがあるからである。
四八、この話を何故このようにくどくどしくするかといえば、これがそもそもたすけ一条を請け合う根本だからである。
四九、五〇、このよろず委細の根本は、どこを尋ねてみても知っている者は一人も無いであろう。それもそのはずである。親神が人間の体内に入込んで話をするのは、今度が初めてであるから。
註 月日たいない入こんでは、親神様が教祖様をやしろとして入り込み給うた事を仰せ下されてある。
五一、五二、月日は、世界どこからでも拝めるものであるから、世界中の事は如何な事でも知らぬという事はない。それと同じく、親神は人間の思う事為る事をよく見定めて、善と悪とを区別する。
五三、親神が何故くどくどしくいうかといえば、悪しき事が現れて来るのが気の毒でならないからである。
五四、人間は、親神の深い意図によって造られ、神恩によって生かされているのであるが、この神恩の偉大な事を知らず、従って、報恩感謝の道に進まずして、なおも気隨気まゝの道を歩み恩に恩を重ねたならば、最後には牛馬に等しい道に墮るの外はないから、それが気の毒である。
註 そのゆへハは、その上はの意。第五号四註参照。
五五、然しながら、どのように悪業を重ねてその結果身上事情の深い悩みに苦んでいる者でも、真底から心を入れ替えて、誠真実の心を定めて親神に願うならば、親神がその心の真実を受け取り次第、必ず皆救けてやろう。
五六、五七、今までは、どんな話をしても、実際に目に見えて来た事はない。又たとい実際に目に見えて現れて来てはいても、人間が根本の真意を知らぬから、目には見えても何の事やら分からなかったのである。
五八、註 第六号九一、一一六参照。
五九、この事は、今日まで何人も知らなかったから、今度親神が予め知らせて置くのである。
六〇〜六二、親神にとっては一列は皆自分の子供である。ただもう可愛いばかりであるが、銘々の心の中にほこりが一杯積っているから、このほこりを奇麗に掃除しない事には、親神がどれ程子供の為を思うても、人間にこの親神の真意を知らせる事が出来ない。
六三、親神の方では、一列の子供が危い道筋をば通らぬようにと心配しているが、皆の者はこの親神の心配している胸中を知らないでいる。
六四、六五、どのような身分の高い者でも、人間は皆、親神から見れば可愛い我が子供である。然るに、この事を知らずに親の為る事を差止めて、その上取払いまでするとは、一体どんな量見か。
註 明治七年陰暦十一月十五日、県の社寺掛から教祖様以下に山村御殿へ出頭を求め同所で取調べを為し、続いて十七日中教院から辻、松尾、仲田を召喚して、天理王命という神は無い神であると称して信仰差止めを命じ、その上御幣鏡等まで没収した事に対して、親神様の激しいお怒りをお述べになった御歌である。
第五号五六、五七、第六号七〇、本号五、参照。
六六、六七、今までは、たといどんな事があっても、親神が表へ現れて自由自在の働きをするという事はなかったが、今度こそは、人間の心に積もり重なったほこりをすっきり掃除して、親神の思いを晴さぬ事には、これから先のよろづたすけの段取が出来ない。
六八、これから後は、どのような者でも皆一様に、救ける為の手段ばかりを講じる。
六九、今後たすけ一条に取りかかったならば、如何な者でも、心が勇むばかりである。
七一、今日までにも、くど過ぎる程幾度も説いてあるが、未だ皆の心に悟れないから、又繰返して説き聴かす。
七二、しっかりよく聴け。かくいう我は親神が表へ現れた者である事を知らずに、皆と同じ人間であるように思うているのは、間違った考である。
七三、どんな事を教えてかかるのも、元の親でなくば出来ない事である。
七四、今までとても、皆これと同じ訳合で、元の親神が何も彼も教えて来たのである。
七五、人間を創め出した親が、この他にいま一人でも何処かにあるならば捜し出して見るがよい。
七六、このように、人の知らぬ事をば次々と言い聴かせるが、これが皆真実の話である。
七七、日々に人間の未だ知らぬ事や、世界に現れていない事を教えて、子供の心の成人する様を見るのが、親神としては、誠に楽しい事である。
七八、七九、この世界人間を創め出した親に、天の与えがあるという事は、予て聴いているであろう。然し、この話はどういう事か一寸には分からなかったであろうが、それは親神が天からぢきもつを渡そうというのである。
註 ぢきもつは、食物の事で、この世の親に親神様がお与えになる寿命薬である。それをかんろだいに平鉢をのせて受けよ、とお教え下されている。このぢきもつは、後は親の心次第に与える事をお許しになった。第九号五五〜六四参照。
八〇、このぢきもつをどうして渡すかといえば、かんろだいに平鉢をのせて置いたなら、天からそこへ天の与えであるぢきもつを授ける。
八一、今後は、彼処ここに身上に障りをつけて、親神が人々の心を仕込む為めに手入れをするから、その積もりでいるように。
八二、身上の手入れをもらってぢばへ帰って来たならば、自分の身上の障りと引き比べて、屋敷の中にちりやほこりが無いかよく見渡して、もしちりやほこりがあったならば、速にこれを掃除せよ。
八三、このように心のほこりをはらい、屋敷の掃除をしたならば、その清らかになった屋敷内を歩いてみて、足の止まった所にかんろだいを建設せよ。
註 教祖様が、先に自ら屋敷内をお歩きになって、記しをつけさせになり、その後でこかん様を始め、二三の信仰熱心な人々に目をおおうて屋敷内を歩かせられた。すると、同じ地点まで行くと、皆足が地面に吸い着くようになって動かなくなった。こうして、かんろだいのすえられる可き位置、即ち元なるぢばの地点は、明治八年陰暦五月二十六日を以て定められたのである。
八四、かんろだいをすえたならば、それからつとめ人衆をそろえて早くかぐらづとめに取り掛かれ。そうしたならば心は自然に勇んで来る。
八五、かんろだいばかりは何処を尋ねても決してない。これこそ、にほんに建てられる親神の世界人類の創造とたすけ一条の真実を現した中心柱である。
八六、かんろだいさえ確かに建設されたならば、どんな者でも恐れる事はない。
八七、何といっても、人間創造の元なるぢばであるという真実の証拠であるかんろだいが建設されない事には、今後のよろづたすけの段取が出来ない。
八八、如何に高い身分の人々にでも、親神は、自由自在に何の遠慮気兼ね   もなく話を聴かすのである。

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posted by 朱夏 at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月14日

おふでさき第七号。

おふでさき第七号は、明治8年2月にお記し下さいました。
111首あり、教祖(おやさま)78歳の御時です。

おふでさき第七号では、布教伝道、「せかい」を治める「上」と「このよ」を治める「神」の対比が記されています。
また、親神様と共に働く「よふぼく」について記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第七号>
001 月日より三十八ねんいぜんにて あまくだりたる元のいんねん
002 月日よりそのいんねんがあるゆヘに なにかいさいをはなしたいから
003 上たるハそれをしらすになに事も せかいなみやとをもているなり
004 このところ元なるぢばの事ならば はぢまりだしをしらん事なし
005 上たるゑこのしんぢつをはや/\と しらしてやろと月日をもゑど
006 上たるハそれをしらすにめへ/\の わがみしやんをばかりをもをて
007 月日にハたん/\みへるみちすぢに こわきあふなきみちがあるので
008 月日よりそのみちはやくしらそふと をもてしんバいしているとこそ
009 にんけんのわが子をもうもをなぢ事 こわきあふなきみちをあんぢる
010 それしらすみな一れハめへ/\に みなうゝかりとくらしいるなり
011 このせかいなにかよろづを一れつに 月日しはいをするとをもゑよ
012 このはなしどふゆう事にをもうかな これからさきのみちをみていよ
013 どのよふな高い山でも水がつく たにそこやとてあふなけわない
014 なにもかも月日しはいをするからハ をふきちいさいゆうでないぞや
015 これまでもなんでもよふ木ほしいから たいていたづねいたるなれども
016 このたびハたにそこにてハ一寸したる 木いがたあふりみゑてあるなり
017 このきいもたん/\月日でいりして つくりあけたらくにのはしらや
018 それからハにち/\月日みさだめて あとのよふ木のもよふばかりを
019 それよりもひねた木からたん/\と ていりひきつけあとのもよふを
020 にち/\に月日をもわくふかくある をなじところに二ほん三ぼん
021 この木いもめまつをまつわゆハんでな いかなる木いも月日をもわく
022 このあといなにのはなしをするならば よふ木のもよふばかりゆうなり
023 よふ木でも一寸の事でハないからに 五十六十の人かずがほし
024 このにんもいつ/\までもへらんよふ まつだいつゝききれめなきよふ

〜内容の区切りと思われる〜

025 こらほどにをもう月日のしんちつを みなの心わなにをふもうや
026 どのよふなくどきはなしをするのもな たすけたいとの一ぢよばかりで
027 一れつのむねのうちよりしんぢつに はやくわかりた事であるなら
028 それからハ月日よろづのしはいする なにかよろづのたすけするぞや
029 このたすけはやくりやくをみせたさに 月日の心せくばかりやで
030 なにもかもこのせきこみがあるゆへに むねのうちよりそふぢいそぐで
031 このはなしどこの事やとをもうなよ みなめヘ/\のうちのはなしや
032 めヘ/\にむねのうちよりしいかりと しんちつをだせすぐにみへるで
033 月日よりこのせきこみがあるゆヘに なにか心わいそがしい事
034 これさいかはやくぢうよふみせたなら 月日の心ひとりいさむに
035 いまゝでも今がこのよのはじまりと ゆうてあれどもなんの事やら
036 このたびのぢうよぢざいでとくしんせ いまゝでこんな事ハしろまい
037 月日よりたいないよりも入こんで ぢうよぢざいをみなしてみせる
038 こらほどのぢうよぢざいのしんぢつを はなしするのハいまはじめやで
039 このさきハいつになりてもこのどふり ぢうよぢざいをはやくしらする
040 いまゝてもいかなるみちもとふりたが をびやたすけのためしはぢめや
041 このたびハをびやたすけのしんぢつを はやくたすけを月日せけども
042 一れつハいまゝでしらん事やから みなぢいくりといづみいるなり
043 しんぢつに心さだめてねがうなら ちうよぢざいにいまのまあにも
044 この事ハたれでもしらぬ事やから むねがわからん月日さんねん

〜内容の区切りと思われる〜

045 いまゝてハなによの事もみヘねども これからさきハはやくみゑるで
046 しんぢつの心あるならなになりと はやくねがゑよすぐにかなうで
047 とのよふな事ハいかんとゆハんてな たすけ一ぢよせゑているから
048 こらほどに月日の心せきこめど そばの心わなんでいづむど
049 はや/\と心いさんでせきこめよ 月日まちかねこれをしらんか
050 月日よりぢうよぢざいをしんぢつに はやくみせたいこれが一ぢよ
051 こらほどにをもう月日のしんぢつを そばの心わまたせかいなみ
052 とのよふな事をゆうのもにんけんの 心でわない月日こゝろや
053 いまゝでハなにをゆうてもにんけんの こゝろがまぢるよふにをもふて
054 しかときけこれから心いれかへて にんけん心あるとをもうな
055 いまゝでハをなじにんけんなるよふに をもているからなにもハからん
056 これからハなにをゆうにもなす事も にんけんなるとさらにをもうな
057 いまゝてハひがらもちいときたらんで なによの事もしかゑいたるで
058 このさきハとのよな事をゆうにもな こわみあふなきないとをもゑよ
059 これからハ月日でばりをするほどに どんな事でもかやしゝてやる
060 月日よりこれまでなるのさんねんわ 山/\つもりかさなりてある
061 いかほどにざんねんつもりあるとても どふせこふせわゆうでないそや
062 これからハとのよな高いところでも このしんぢつをはやくみせたい
063 上たるの心すみやかわかりたら 月日ぢうよふはやくするのに
064 月日よりこのぢうよふをせかへぢうゑ はやく一れつしらしたるなら

〜内容の区切りと思われる〜

065 このたびのはらみているをうちなるわ なんとをもふてまちているやら
066 こればかり人なみやとハをもうなよ なんでも月日ゑらいをもわく
067 このもとハ六ねんいぜんに三月の 十五日よりむかいとりたで
068 それからハいまゝて月日しいかりと だきしめていたはやくみせたい
069 それしらすうちなるものハなにもかも せかいなみなるよふにをもふて
070 このはなしどふゆう事にをもうかな これが大一このよはじまり
071 またさきのみちのよふだいたん/\と よろづの事をみなといてをく
072 なわたまへはやくみたいとをもうなら 月日をしへるてゑをしいかり
073 このはなししんぢつをもう事ならば こゝろさめてはやくかゝれよ
074 いまゝでハたにをゆうても一れつの むねもハからんひもきたらいて
075 たん/\とむねがわかればひもきたる 月日の心ゑらいせきこみ
076 これさいかはやくみヘたる事ならば どんなものでもかなうものなし
077 月日よりこれをしいかりみせたなら あとのしごとハどんな事でも
078 いまゝでもをびやほふそのこのゆるし なんとをもふてみながいたやら
079 このたびハとんな事てもすきやかに みなしんぢつにゆうてきかする
080 これからハをびやたすけもしいかりと せつなみなしにはやくむまする
081 たん/\とロでなに事ゆうたとて 月日ゆうよにせねばいかんで
082 月日よりなにの事でもしいかりと ゆうよふにせよちがう事なし
083 どのよふなたすけするのもみなつとめ 月日ゆうよにたしかするなら
084 しんぢつの心あるなら月日にも しかとうけやいたすけするぞや
085 このたびハたすけするのもしんぢつに うけよてたすけいまがはじめや
086 こらほどに月日の心せゑている そばの心もつとめこしらゑ
087 このもよふなにばかりてハないほどに とんな事でもみなつとめやで
088 つとめでもをなぢ事てハないほどに みたそれ/\とてへをふしゑる

〜内容の区切りと思われる〜

089 いまゝてのみちのすがらとゆうものハ とふゆうみちもしりたものなし
090 これからハとのよなみちもたん/\と よろづみちすじみなゆてきかす
091 月日よりなにもみちすじきいたなら このざんねんハむりてあるまい
092 月日よりこの一ぢよをはらしたら あとのところわよふきづくめや
093 にち/\によふきづくめとゆうのわな いかなる事やたれもしろまい
094 なにもかもよふきとゆうハみなつとめ めづらし事をみなをしゑるで
095 たん/\とつとめをしへるこのもよふ むねのうちよりみなそふぢする
096 あとなるハにち/\心いさむでな よろづのつとめてヘをつけるで
097 このつとめどふゆう事にをもうかな をびやほふそのたすけ一ぢよふ
098 このたすけいかなる事とをもうかな ほふそせんよのつとめをしヘる
099 このみちをはやくをしヘるこのつとめ せかい一れつ心すまする
100 このはなしどふゆう事にきいている せかいたすけるもよふばかりを
101 どのよふなたすけするのもしんちつの をやがいるからみなひきうける
102 この事をこれをまことにをもうなら まことしんぢつ心したいや
103 心さいしんぢつすんだ事ならば どんな事でもちがう事なし
104 いまゝでハ月日いかほどをもふても そばの心にわかりないので
105 これからハどのよなつとめをしへるも にんけんなるの心でわない
106 月日よりどのよな事もをしゑるで このよはぢめてない事はかり
107 にんけんの心てをもうよふな事 月日わなにもゆうてないそや
108 月日にハとのよな事も一れつに みなにをしへてよふきづくめに
109 せかいぢうみな一れつハすみきりて よふきづくめにくらす事なら
110 月日にもたしか心がいさむなら にんけんなるもみなをなし事
111 このよふのせかいの心いさむなら 月日にんけんをなじ事やで


<おふでさき註釈>
一、今から三十八年以前、ぢばのいんねん、教祖魂のいんねん、及び旬刻限の到来によって、真実の親神が天降ったのである。
註 当時から三十八年以前、即ち天保九年十月二十六日、親神様が教祖様を神のやしろとして天降り給うた事を、仰せられているのである。
二、そういういんねんがあるから、その元のいんねんについて、万事詳細に親神から直接に話を聴かせたいので天降ったのである。
三、上に立つ人々は、こういう親神の意図を少しも知らずに、親神の説くところを世間普通の教のように軽く考えている。
四 この屋敷は、世界を創め人間を創め出した元のぢばであるから、親神は世界創造、人間造化の根元を一つとして知らぬ事はない。
五、六、上に立つ人々へ一刻も早く真実根本の元のいんねんの話を知らしてやりたいと、親神は思うているのであるが、上に立つ人々はその深い意中をも知らずに、銘々勝手な我が身思案ばかりして、親神の話に耳を傾けようともしない。
七、八、人間は我身思案ばかりして通っているから、これから先には恐ろしい道筋が沢山あるのが、親神にはよく分っている。その危険な道を早く知らせて過ちの無いように教えてやりたいと、そればかり、心配している。
九、ちょうど、人間の親が、我が子の事をいろいろ心配するのと同じ事で、親神も、我が子である人間が怖い危い道を通らぬよう、いろいろと心を砕いて心配しているのである。
一〇、註 一れハは、一列の意。うゝかりは、うっかり、ぼんやりの意。
一一、一二、この世は、一切万事ことごとく親神が支配しているのである、という事をよく納得せよ。というても、この話がどういう意味かという事はよく分かるまいが、これから先に現れて来る事柄を、よく見ていよ。そうすれば、成程という事が分かるであろう。
一三、如何に富貴で権勢があっても、いんねんが現れて来たならば、事情や身上で苦しまねばならぬ。如何に貧しい暮らしをしていても、真実の心次第で、心配や気苦労が無く、陽気に暮らす事が出来る。
一四、何事も皆、親神が支配する以上は、大小強弱等の差別を勝手につけて、彼これいうものではない。
一五、これまでも、親神の手足となって働く事の出来る者を、どうでも欲しいものであると思うて随分探し求めていた。
註 よふ木゛は、ようぎ、即ち、よふぼくで、心のふしん、世界のふしんの用材の意。親神様のたすけ一条の聖業に手足としてお使い頂く者をいう。
一六、一七、ところが、この度身分の低い者の中に、充分とはいえないがよふぼくとなり得る真実な者が沢山見えて来た。しかし、今のままではまだ役立つ事は出来ないが、これから先追々親神が仕込んで行ったならば、将来立派な用材と成って、国のためにも充分尽す事の出来るようになる。
註 たあふりは「たっぷり」で、沢山の意。くにのはしらは、国の中堅の意。
一八、それから後は、親神が日々心を見定めて、後々を育てる段取を急ぐばかりである。
一九、こうして樹齢を重ねた木、即ち、道の年限の理を積んだ者から、手入れをして引寄せてよふぼくとして使い、更にその後は、なおも次から次へと数多くのよふぼくを育てる工夫をする。
註 ひねた木とは、樹齢を重ねた木、即ち道の信仰の進み、心の成人した者を仰せられたものと解す。
二〇、親神の意図は深遠で、同じ所にでも二人三人とよふぼくになる者を選び定めるのである。
二一、よふぼくとなる者には男女による区別はない。男でも女でも、心の澄んだ真実の者であるならば、親神はよふぼくとする考えである。
二三、二四、よふぼく・よふぼくというが、それは二人三人の僅かな事ではない。少なくとも五、六十人の人数がほしいのである。然してこの五、六十人の人数はいついつまでも減らずに、末代まで続いて切れないようにしたいのである。
二五、これ程にいろいろ心を砕いて心配している親神の真実の程を、皆の心は何う思うているか。
二六、いろいろと口説いて話をするというのも、世界一列の者を早く救けたいばかりからである。
二七、二八、一列の者が胸のうちを澄まして、早く親神の心を悟る事が出来たならば、もともと親神は世の中万事を守護しているのであるから、この親神の働きを自由自在に現して、何も彼もよろづの救けを皆して見せる。
二九、よろづたすけをして親神の利やくを早く見せたいとの一心から、一列の心の入れ替えを親神が急き込んでいるのである。
三〇、何でも彼でも一列を早く救けたい上から、心の入れ替えを急き込んでいるのであるから、一列の者も、この親神の心をよく了解して、銘々の胸のうちを早く掃除して、澄み切った真実の心になってくれ。
三一、この親神の話を、あれは何処の話か知らん、と、うわの空に聞き流すのでない。これは一列皆銘々に、自分自身の家に対する親神の諭しである。
三二、銘々に胸のうちをすっきり掃除し、しっかり心定めをして、早く真実の心を出すようにせよ。すれば親神の利やくは、直ぐにも現れて来る。
三三、親神は一列を早く救けたい上から、心の入れ替えを急き込んでいるので、親神の心は何かにつけて気ぜわしい。
三四、一列の心の入れ替えが出来て、親神の自由自在の守護を早く現し、よろづたすけが出来たならば、親神の心は、自然に勇んで陽気になって来る。
三五、三六、今までからも、今がこの世の初まりと、度々説いてはいるが、人間は、それが何の事やら分からずにいたけれども、このたび現れた親神の自由自在の働きを見て、その意味をよく悟れ。銘々の心の入れ替えによって、どんな自由も得られるというこの珍しい守護を今までだれも知らなかったであろう。
註 今がこのよのはじまりとは、親神様がこのだめの教によって、一列人間の心身の更生に着手下さる事を仰せられたのである。
三七、親神は、胎内へ入り込んで自由自在の守護をしてみせる。
三八、これ程の自由自在の守護をする親神の真実を、一列に説いて聴かすのは今度が初めてである。
三九、これから先は、いつになってもこの調子で、自由自在に守護するのである、という事を、速やかに知らせよう。
四〇、人間創造以来、いろいろ様々の道中を通ってきたが、この度よふきづとめによってをびやたすけを行うという事は、実に、この世創めて以来未だかつて無かった事である。
註 をびやたすけというのは、をびやの許しを頂いた者は、極く安々とお産が出来、産後いろいろの忌みものの必要もなく、直ちに起きて平常通り働く事が出来る。又真実の心次第では産期を早めたり遅れさしたり、自由自在の守護をして頂ける不思議なたすけである。人類創造の際、親神様がぢばで人間を宿し込まれた理によって、ぢばでをびや許しを授けられるのである。従って、この許しは、ぢば一つに限られている。
四一、四二、この度は、をびやたすけの真実を早く現したいと親神は急いでいるが、一列の者は今までに前例のない事であるから、半信半疑でちゅうちょ、しゅん巡している。
四三、誠真実の心を定めて、心から親神に願うならば、自由自在の守護を、今直ぐにでも与えてやろう。
四四、この自由自在の守護は、今までだれも知らぬ珍らしい事であるからだれも彼も親神の真意を悟り得ないでいるが、これは、親神としては、はがゆくって堪らない事である。
四五、今までは、何事も皆実際に現れて見えて来るに到らなかったが、これから先は、親神の守護が速やかに現れて来るであろう。
四六、真実の心があるなら、その誠心を以て何なりと早く親神に願うようにせよ。親神はそれを受け取ってどんな事でも心通りにその願をかなえてやろう。
四七、どのような願でもかなえてやらぬとはいわぬ。親神はただたすけ一条を急いでいるから、真実の心によって願うならば何事でも守護してやろう。
四八、これ程に親神の心はたすけ一条を急いでいるのに、そばの者はなぜ心をいずましているのであるか。
四九、早く勇んだ心になってたすけを急ぐようにせよ。親神がこれ程待ち兼ねているのが、そばの者には分らないのか。
五〇、親神は、自由自在の守護を真実に現して、早く一列の者に見せてやりたい。これが親神のただ一筋に念願する処である。
五一、早く自由自在の守護を現して、一列子供を救けたいと、これ程に思っている親神の真実を悟る事も出来ず、そばの者がまだ親神の教えを知らない世間の人々も同然の心を使っているのが実にもどかしい。
五二、五三、何事を説いて聴かすのも、決してそれは人間の思案でいうのではない。皆親神の心でいうのである。それに、今までは親神の説くところを疑うて、どんな事を説いて聴かしても、人間の思案が混っているように思うていた。次歌註参照。
五四〜五六、註 教祖様はやはり人間の身体を持っておいでになったので、教祖様のお説きになる事を、人間の心が混っているように思うて、軽く聞き流し勝ちな為に、なかなか親神様の真意を悟る事が出来なかった。「口は人間心月日や」と仰せになっている通り、人間の形を具え、口でお説き下さるのであるが、教祖様の御心は月日の心即ち親神様のお心であるから、これから、何を説かれても、人間がいうのであるとさらさら思わずに、どこまでも親神様の御心であると信じなければならぬ事を、重ね重ね戒められたのである。
五七、五八、今までは、一寸時機も早かったので、何事も総て控え目にしていたが、もう今は時旬が来たので、これから先は親神の力を十分現すから、どのような事を説いても、決して怖い事も危い事もない。安心してたすけ一条のために精進せよ。
註 当時官憲の干渉に対していずんでいたそばな者をべんたつせられた御言葉である。
五九〜六一、これからは親神自ら出張って行くのであるから、どんな事でも皆かやしをしてやる。それというのも、親神の方に今までからのもどかしさが沢山積り重っているからである。親神のもどかしさと云いかやしというのは、皆一列子供可愛いい上からの話であるから、親神がかやしをするというても、皆の者に世間普通のように仕返しの手段方法を講ぜよという訳ではない。
六三、上に立つ人々の心に親神の真実が早く分ったならば、自由自在の守護を早くするのに、それがまだ十分徹底しない。
六五〜七二、総註 秀司先生の庶子お秀様は、六年前即ち明治三年三月十五日に出直された。このお秀様の魂は元々深いいんねんがあるので、親神様は早くいんねんある元の屋敷へ生まれ出さしたいと、その魂をしっかり抱きしめておられたが、時旬の来るのを待って秀司先生の奥様まつゑ様に宿し込まれ、出産せしめられる事を予言せられたものである。こういう深い親神様の意図を知らぬそばな人々は、深い神意の程を知らず、何事かよく分からぬままに軽く聞き流していたのであるが、親神様には、今度生れる子供は女の子である事まで分かってあるから出産前から「たまへ」という名前まで付けて置かれたのである。これは、親神様のお働きが自由自在である事を実証せられたものである。そしてこのような自由自在を見たいと思うならば、親神様の教えられるおつとめの手をしっかり覚えて勤めてくれよ、と、仰せられたのである。 (第一号六一及第三号一一〇註参照。)
七三、この親神の説く話を真実に心の底から信じるならば、心を治めて早くつとめにかかれ。
七四、七五、今まではどんなに説いて聴かしても、一列の胸の中は親神の心が分かるように澄み切っておらず、またその時機も来なかったかが、もう今は人々の心も澄んで来て、親神の心を悟れるようになって来たし、時機も来たから、親神は早くつとめにかかるよう大そう急込んでいる。
七六、これさえか早く実現して来たならば、如何な者でも皆、成程親神の働きは自由自在である、と感服するようになる。
七七、親神がこの者さえ早く生まれかえらせたならば、それからは、どんな事でも自由自在に守護する。
七八、今までもをびや許しや、ほふそ守りを許し出して来たが、皆の者はこれを何と思うていたか。その深い理については、恐らく何も分からないままでいたのであろう。
八二、親神が説き諭す事は、どんな事でも胸に治めていう通りにせよ。親神のいう事には絶対に間違いはないのである。
八三、どのようなてすけをするのも皆、よふきづとめの霊徳によって行うのであるから、親神の説き諭す通りに確かにつとめを実行するならば、如何なたすけも皆現すであろう。
八四、親神の教える通りにしっかりつとめをするという真実の心があるならば、親神も確かに請け合うて必ずたすけをしてやろう。
八五、この度は確かに親神が請け合うてたすけをするが、こんなたすけは今度が初めてである。
八六、これ程に親神の心は急き込んでいるのであるから、そばの者もこの親神の心を悟って早くつとめの準備をせよ。
八七、このように準備を急いでいるつとめというのは、どれ一つに限った事はなく、どんなたすけでも皆つとめ一条によって現すのである。
八八、つとめと一概にいうても同じ仕方ではない、皆それぞれのつとめに応じて手振りを教える。
八九、今日までの道すがらについては、どういう道筋を通って来たかという事は、だれ一人知った者は無い。
九一、親神から何も彼も一切の道すがらの話を聴いたならば、親神がはがゆく思うているのも、決して無理でないという事が分かるであろう。
九四、陽気づくめ即ち何も彼も皆陽気にするというのは、総てつとめによって実現すのである。それで、これからこのつとめについていろいろと珍しい事を皆教える。
九五、親神は、だんだんつとめを教える準備に取り掛かっているから、先ず各人の胸の中のほこりをすっきり掃除する。
九六、胸の中の掃除の出来たその後は、日に日に心が勇んで来るから、それからよろずのつとめの手振りをつける。
註 明治八年陰暦五月二十六日かんろだいをすえる位置を定められて後、かんろだいのつとめのお手一通り教えられ、つづいてこの年「をびや」「ほふそ」のつとめの手振りを教えられ、その後引続き「肥」「生え出」等のつとめの手振りを教えられた。よろづのつとめとはこれ等を仰せられたものである。
九七、このつとめはどういうつとめであると思うか。これはそれぞれ、をびや、ほふそのたすけ一条のつとめである。
九八、このたすけとはどんな事と思うているか、これはほふそにかからぬようにというつとめを親神が教えるのである。
九九、この道を世界一列へ早く伝えたい為に、よろづつとめを教えるのであるから、このつとめによって世界一列の心を真実に澄み切らせる。
一〇〇、この親神の話をどう思うて聞いているか。親神は世界一列を救ける段取ばかりを説いているのである。
一〇一、どのようなたすけをするというのも真実の親が存命でいるから、皆引き受けるのである。
註 しんちつのをやとは、親神天理王命様であって、こゝでは親神様のやしろである教祖様をお指しになっている。
一〇ニ、教祖が親であるという事を本当に信じるならば、各人の心の誠次第で幾重の守護もするであろう。
一〇六、親神は、総ての事を皆教えるのであるが、親神の教える事は、この世創めて以来人間の知らぬ事、今までに無い事ばかりである。
一〇七、人間が考えるような、自分本位な、又将来の見えない事は、親神は決して言わぬ。親神の説く事は、遠く先々までも見透して、一列を救ける事ばかりである。
一〇八、親神はどのような事でも隔てなく、世界一列に同じように教えて、皆の者が陽気づくめに暮らす事が出来るようにしたいと思っている。
一〇九、一一〇、世界中皆一列の者の心が、すっきり真実に澄み切って、陽気づくめに暮らす事が出来るようになったならば、親神の心も勇んで来るし、又親神が勇めば人間の心も同じく共に勇んで来る。
一一一、かように世界一列の心が勇んで来たならば、親神も人間も一つ心に勇み立って、共々に陽気づくめの喜びが充ちあふれるであろう。
註 真実誠の心に澄み切ったならば、陽気ぐらしが出来、信仰の究極たる神人合一の境に到る事を仰せられたのである。


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posted by 朱夏 at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月04日

おふでさき第六号

おふでさき第六号は、明治7年12月よりお記し下さいました。
134首あり、教祖(おやさま)77歳の御時です。

おふでさき第六号では、大きく1〜54の前半と55〜134の後半に分かれています。
前半には「元の理」の主要部分が記されています。
また後半には「かやし」というお言葉を象徴として、布教伝道、特に「高山布教」について記されています。
史実として、この前半と後半の間には、「山村御殿のふし」があります。

またこの号から、親神様を示すお言葉として「月日」が用いられるようになります。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。




<おふでさき第六号>
001 このたひハめづらし事をゆいかける 心しづめてこれきいてくれ
002 なに事も神のする事ゆう事や そばにしんバいかける事なし
003 このはなしどふどしんぢつ一れつわ 心しづめてしよちしてくれ
004 このみちハどふゆう事にをもうかな このよをさめるしんぢつのみち
005 上たるの火と水とをわけたなら ひとりをさまるよふきづくめに
006 この火水わけるとゆうハこのところ よふきづとめをするとをもゑよ
007 このよふをはじめかけたもをなぢ事 めづらし事をしてみせるでな
008 このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる
009 このよふの月日の心しんぢつを しりたるものわさらにあるまい
010 これまでハいかなる神とゆうたとて めゑにみへんとゆうていたなり
011 このたびわとのよな神もしんぢつに あらハれだしてはなしするなり
012 いまからハなにをゆうてもをもふても そのまゝみへるこれがふしぎや
013 なにもかもあきをあいづにみへかける よふきづとめにはやくかゝれよ
014 せかいぢうをふくくらするそのうちわ 一れつハみなもやのごとくや
015 にち/\にすむしわかりしむねのうち せゑぢんしたいみへてくるぞや
016 このみちがたしかみへたる事ならば このさきたしかたのしゆでいよ

〜内容の区切りと思われる〜

017 たん/\と心いさんでせきこめよ はやくほんみちいそぎでるぞや
018 しんぢつのつとめの人ぢう十人の 心を神がうけとりたなら
019 それからハどのよな事もたん/\と 神のをもわくみなときゝかす
020 にち/\に神の心わせゑたとて 人ぢう十人そろいなけねば
021 十人のなかに三人かたうでわ 火水風ともしりそくとしれ
022 どのよふな事でも神のする事や これをやまいとさらにをもうな
023 なにもかもしんぢつ神のぢふよふを しらしたいからしてみせるでな
024 これまでハいかなるみちをとふりても ひがきたらんでいづみいたなり
025 このさきハどのよな事もたん/\と ほんしんぢつをゆうてきかする
026 いまゝでハいかなる神も山/\に をがみきとふとゆうたなれども
027 このもとをしりたるものかあるならば たづねいてみよ神がゆるする
028 またさきハとのよな事もたん/\と ほんみちつけた事であるなら
029 いまゝてにない事ばかりゆいかけて よろづたすけのつとめをしへる

〜内容の区切りと思われる〜

030 このつとめ十人にんぢうそのなかに もとはぢまりのをやがいるなり
031 いざなぎといざなみいとをひきよせて にんけんはぢめしゆごをしゑた
032 このもとハどろうみなかにうをとみと それひきだしてふう/\はちめた
033 このよふの元はじまりハとろのうみ そのなかよりもどぢよばかりや
034 そのうちにうをとみいとがまちりいる よくみすませばにんけんのかを
035 それをみてをもいついたハしんぢつの 月日の心ばかりなるそや
036 このものにどふくをよせてたん/\と しゆこふをしゑた事であるなら
037 このどふくくにさづちいと月よみと これみのうちゑしこみたるなら
038 くもよみとかしこねへとをふとのべ たいしよく天とよせた事なら
039 それからハたしかせかいを初よと 神のそふだんしまりついたり
040 これからわ神のしゆごとゆうものハ なみたいていな事でないそや
041 いまゝてにない事ばかりはちめるわ なにをゆうのもむつかしき事
042 このよふをはちめかけたるしんぢつを たれかしりたるものハあるまい
043 これからハとのよな事もたん/\と ゆうてきかするうそとをもうな
044 にんけんをはぢめかけたハうをとみと これなわしろとたねにはじめて
045 このものに月日たいない入こんで たん/\しゆごをしゑこんだで
046 このこかす九をく九まんに九せん人 九百九十に九人なるそや
047 この人を三か三よさにやどしこみ 三ねん三月とゝまりていた
048 それよりもむまれたしたハ五分からや 五分五分としてせへぢんをした
049 このものに一どをしゑたこのしゆごふ をなぢたいない三どやどりた
050 このよふのしんぢつの神月日なり あとなるわみなどふくなるそや
051 にんけんをはぢめよふとてたん/\と よせてつこふたこれに神なを
052 いざなぎといざなみいとが一の神 これてしよこの大じんくゝなり
053 またさきハなにかたん/\とくけれど いまゝてしらん事ばかりやで
054 このさきハなにをゆうてもにんけんを はぢめかけたる事ばかりやで

〜内容の区切りと思われる〜

十二月廿一日よりはなし

055 このよふをはぢめだしたるやしきなり にんけんはじめもとのをやなり
056 月日よりそれをみすましあまくだり なにかよろづをしらしたいから
057 しんぢつに月日の心をもうにわ めへ/\のやしろもろた事なら
058 それよりもぢうよぢざいにいつなりと をもうまゝなるはなしゝよもの
059 いまゝでも月日のやしろしいかりと もろてあれどもいづみいたなり
060 このたびハたしかをもていあらハれて なにかよろつをみなゆてきかす
061 いまゝでハみすのうぢらにいたるから なによの事もみへてなけれど
062 このたびハあかいところいでたるから とのよな事もすぐにみゑるで
063 このあかいきものをなんとをもている なかに月日がこもりいるそや
064 いまゝでも月日のまゝであるなれど ひがきたらんでみゆるしていた
065 このたびハもふぢうふんにひもきたり なにかよろづをまゝにするなり
066 それしらす高山にてハなにもかも なんとをもふてまゝにするぞや
067 なに事もこのところにハにんけんの 心ハさらにあるとをもうな
068 どのよふな事をゆうにもふでさきも 月日の心さしすばかりで
069 高山ハなにをゆうてもをもうにも みなにんけんの心ばかりで
070 月日よりつけたなまいをとりはらい このさんねんをなんとをもうぞ
071 しんぢつの月日りいふくさんねんわ よいなる事でないとをもゑよ
072 いまゝでハ高い山やとはびかりて なにかよろづをまゝにしたれど
073 これからハ月日かハりてまゝにする なにかの事をまねをしてみよ
074 このところなにをゆうにもなす事も 月日のをもう事ばかりやで
075 これからハ月日の心ざんねんを はらするもよふばかりするそや
076 このさきハどのよなほこりたつとても これをやまいとさらにをもうな
077 いまゝでも月日さんねん山/\に つもりてあるをかやしするぞや
078 いまゝでもかやしとゆうてといたれど なんの事やとをもていたなり
079 しんぢつにかやしとゆうハこの事や 高山ハみなしよちしていよ

〜内容の区切りと思われる〜

080 このよふわどろうみなかの事なるし なかに月日がいたるまでなり
081 月日よりしんぢつをもいついたるわ なんとせかいをはじめかけたら
082 ないせかいはぢめかけるハむつかしい なんとどふぐをみたすもよふを
083 みすませばなかにどぢよもうをみいも ほかなるものもみへてあるなり
084 そのものをみなひきよせてたんぢやい にんけんしゆごはぢめかけたら
085 ないせかいはじめよふとてこの月日 たん/\心つくしたるゆへ
086 このみちをしりたるものハさらになし 月日ざんねんなんとをもうぞ
087 こらほどにをもてはじめたこのせかい 月日の心なんとざんねん
088 月日よりたん/\心つくしきり そのゆへなるのにんけんである
089 それしらす今のところハ高山ハ みなはびかりてまゝにしている
090 この月日大一これがさんねんな どんなかやしをするやしれんで
091 このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく
092 どのよふなたいしや高山ゆたんしな なんとき月日とんてゞるやら
093 一れつハみな/\わがみきをつけよ 月日ゑんりよわさらにないぞや
094 なにもかもせへいゝバいにことわりて それからかゝる月日しことを
095 とのよふな事もうらみにをもうなよ みなめへ/\のみうらみである

〜内容の区切りと思われる〜

096 このはなしたん/\くどきつめてある これしいかりときゝわけてくれ
097 一れつハみなめへ/\のむねしたい 月日みハけているとをもゑよ
098 月日よりしんぢつ心みさだめて うけとりしたいかやしするなり
099 いまゝでハなにをゆうてもをもふても みなにんけんの心はかりで
100 これからハよき事してもあしきでも そのまゝすぐにかやしするなり
101 いまゝでハなにかさとりもありたけど もふこれからハさとりないぞや
102 このよふのしんぢつのをや月日なり なにかよろづのしゆこするぞや
103 このさきハなにをゆうてもうそハない みなしんぢつとをもてきゝわけ
104 どのよふな事でも月日しんぢつに をもてはじめた事ばかりやで
105 いまゝでハやまいとゆへばいしやくするり みなしんバいをしたるなれども
106 これからハいたみなやみもてきものも いきてをどりでみなたすけるで
107 このたすけいまゝでしらぬ事なれど これからさきハためしゝてみよ
108 どのよふなむつかしきなるやまいでも しんぢつなるのいきでたすける
109 月日よりしんぢつ心みさためて いかなしゆこふもするとをもゑよ
110 むまれこふほふそはしかもせんよふに やますしなすにくらす事なら
111 しかときけいかなぢうよふするとても 月日の心ばかりなるぞや

〜内容の区切りと思われる〜

112 いまゝでもたいてくどきもといたれど まだゆいたらん月日をもわく
113 このたびハなにか月日のさんねんを つもりあるからみなゆうてをく
114 このところたすけ一ぢよとめられて なんてもかやしせすにいられん
115 このかやしたいしや高山とりはらい みな一れハしよちしていよ
116 このはなしなんとをもふてきいている てんび火のあめうみわつなみや
117 こらほどの月日の心しんバいを せかいぢうハなんとをもてる
118 たん/\とくどきなけきハとくけれど しんぢつなるの心たすける
119 どのよふなものも一れつハかこなり 月日の心しんばいをみよ
120 このよふハ一れつハみな月日なり にんけんハみな月日かしもの
121 せかいぢうこのしんぢつをしりたなら ごふきごふよくだすものわない
122 こゝろさいしんぢつよりもわかりたら なにもこわみもあふなきもない
123 月日よりをしゑる事ハみなけして あとハにんけん心ばかりで
124 いまゝでもこのよはじめたしんぢつを をしヘてをことをもたなれども
125 月日よりにち/\心せきこめど こくけんまちているとをもゑよ
126 このはなしなんとをもふてきいている 月日をもわくふかいりやくを
127 こればかり人なみやとハをもうなよ 月日のしごとゑらいをもわく
128 月日よりぢうよちざいとまゝとけと まだいまゝでわみゑた事なし
129 このたびハぢうよぢざいをしんぢつに してみせたならこれかまことや
130 とのよふな事をするのもみな月日 しんぢつよりのたすけ一ぢよ
131 たいないゑやどしこむのも月日なり むまれだすのも月日せわどり
132 このたびハどのよな事もしんぢつに みなあらわれてしてみせるでな
133 これをみていかなものでもとくしんせ 心したいにいかなぢうよふ
134 どのよふな事をするのもしんぢつの 心したいにみなしてみせる


<おふでさき註釈>
二、どんな事をしてもどんな事をいうても。それは総て親神のする事でありいう事であるから、そばの者に決して心配を掛けるような事はない。
三、親神の説いて聞かすこの話を、皆々の者はどうか真から心を落着けてよく思案の上十分得心してくれるように。
註 しんぢつは、ここでは真から、本当にの意。しよちは承知、即ち得心の意。
四、親神がつけようとしているこの道は、どういう教であると思うているか。これは世界の人々の心を治めて安住の境がいを得させる真実の道である。
註 をさめるとは、心の入れ替え即ち精神的教化によって、人々の心を安定せしめる意。
五、上に立つ人々に親神の守護をよく悟らせたなら、自然に平和な陽気ずくめの世の中となる。
註 火と水は、第二号四〇註参照。
わけるは、区分であり、了得である、水火混合すれば混とんとして紛乱状態となる。水火各々べん別されてその分掌する処に従い、火と水と五分々々の働きのある処に調和の世界がある。これ即ち陽気ぐらしであって、皆親神様の御守護による。火と水とを分けるとは混とんを分明にして、親神様の御守護を悟らせるの意。
六、親神の守護を悟らせて、平和な陽気ぐらしの世の中を実現するには、よふきづとめをするのが何より必要である事をよく思案するがよい。
七、親神が元々無い世界無い人間をこしらえたという事は、人々にとっては珍らしい事のように思われるであろうが、親神はこれからもそれと同じように珍らしい事をして見せる。
八、親神がこの世人間を創造した理を再び現して、この世界人間をこしらえてから未だ嘗てなかったよふきづとめを始め出し、人々の心を陽気に入れ替えて確かに世の中の平穏に治るように守護する。
註 をさめるは、本号四参照。
九、この世を創めた元の親神の真の心を、会得している者はだれもなかろう。
註 月日は、元の神、実の神、天理王命様の事である。
一〇、一一、今まではどんな神でも眼に見えんというていたのであるが、この度は、よく分るように表へ現れて話をするのである。
一二、今後はどんな事を言うても思うても、その通り実現して来る。これが親神の不思議な働きである。
一三、何事も総てあきを合図として実現しかけるから、どうでも早くよふきづとめを始めるようにせよ。
註 本号は明治七年十二月からの御執筆にかゝるもので、明治八年五月にはかんろだいの位置をお定めになり、その後「一れつすますかんろだい」のお手をお付けになっておられる。その御予言と拝察する。あきとは、収穫期の意であって、ここでは麦の取り入れ時をいう。
一四、世の中には多くの人々が暮しているが、その心はもやのように曇っていて先は見えずにいる。
一五、この道を通れば一日々々と心が澄み、成人するに従って、親神の真意が分かるようになってくる。
註 せゑぢんは、心の成人の意。
一六、この正道が確かに見えた事ならば、今後も親神のいう事する事には少しも間違いはないものと信頼して、陽気ぐらしの日を楽しんでいるがよい。
註 たのしゆでは、楽しんで、の意。
一七、今の所どんな道であっても、心勇んで陽気ぐらしの実現に精進せよ。親神は一日も早く正道に出るようにと急いでいるのである。
一八、一九、真実のつとめ人衆が十人そろうて、その人々の心を親神が受取ったならば、それからは又追々と、どんな事でも親神の意中を皆説いて聞かす。
註 しんぢつのつとめの人ぢう十人は、親神にその心根を受取って頂き、人衆として役割された十人のつとめの人衆の事で、よふきづとめは十柱の神名の理を現した十人の者によって奉仕する事になっている。
二〇、早くよふきづとめをさそうと毎日親神の方で心が急いでも、誠真実の心をもった十人のつとめの人衆がそろわなければどうにもならぬ。
二一、つとめ人衆の中、片腕ともなるべき三人は、火水風の守護を止めるような事があるかも知れないという事をよく承知しているがよい。
註 かたうでは、片腕の意。若井の松尾市兵衛、龍田の勘兵衛、大西の北野勘兵衛の出直しを見て、当時の人々はこのお歌に思い当ったという。
二四、今までは人々がどんな道を通っていても、未だそれに就て充分諭す時機が来なかったので、親神はじっくりしていたのである。
註 いづむは、ここでじっくりする、差し控える、見合せる意。本号五九参照。
二五、今後はどんな事でも追々と親神の本真実の理をいうて聴かす。
二六、二七、従来はどんな神も沢山あって、いずれも拝み祈祷をすれば利益があるようにいうていたけれど、何故に拝み祈祷をして利益があるかという根本の理を知っている者はない。若しあるならば、許すから尋ねて行って聞いてみるがよい。
二八、今後は親神が確かな往還道をつけたならば、どんな事でも追々と説き聞かすであろう。
二九〜五一、今までにない事ばかりを言い聞かせて、よろずたすけのよふきづとめを教える、このかぐらづとめの十人のつとめ人衆の中には、元創めた親神である月日両神の理を受けたものもいる。この月日両神が陽気ぐらしを見たい上から、世界人間創造を発意し、いざなぎのみこと、いざなみのみこと、を引き寄せて人間創造の守護を教えたのである。その元はといえば、泥海の中に、うをとみとがいた。それを引出し夫婦を始めたのである。抑々この世の元初りは泥の海で、その中にどじようばかりが泳いでいた。その中にうをとみとが混っていて、よく見澄すと人間の顔をしている。それを見て思いついたのは月日の心ばかりである。即ち、月日の思うには、「このものに、道具を寄せてだんだんと親神が守護を教えた事ならば、さぞ立派な人間が出来よう。」と。そこで、くにさづちのみこと、月よみのみことを引寄せ、夫々の種苗代の身の内に仕込んで、男女の性能並びに骨突っ張り、皮つなぎの道具とし、くもよみのみこと、かしこねのみこと、をふとのべのみこと、たいしよく天のみことを引き寄せて、それぞれ、飲み食い出入り、息吹き分け、引き出し、切る事の道具としたならば、これでいよいよこの世人間の創造に着手出来ようと、月日両神の相談定まって、いよいよ人間創造に取り掛かったのであるが、それから後の親神の守護というものは、実に並々ならぬものであった。何といっても、今までにない人間創造であるから、その困難は並一通りではなかった。この親神の人類創造並に生成発展守護の真実を、今までだれ一人知った者はないが、この度これをば詳しくいうて聞かせるるから、どのように耳新しい事があっても、疑う心を持たずしっかり聴くがよい。
人間創造の元はうをとみとであって、これを種苗代の道具とし、その体内に月日が入り込んで守護を教えたのである。
即ち、元のぢばで親神が、いざなぎのみことと、いざなみのみこと、を夫婦雛型として九億九万九千九百九十九人の子種を三日三夜に宿し込み、三年三月とどまった上で、五分から生れ出し、五分々々と成人した。そして、一度教えた守護で同じ体内に三度宿って、再生成育し更に再生に再生を重ねて五尺の人間と成った。人間創造の元の親神は月日であって、その他のものは皆道具である。月日が道具を寄せて人間創造の守護を教え、この創造の功能、守護の理に夫々神名を授けたのである。
二九〜五一、総註 元の親とは月日両神であって、月様はくにとこたちのみこと、日様はをもたりのみことと申上げる。ここにつとめと仰せられているのは、かぐらづとめの事であって、これはかんろだいをめぐって十柱の神名の役割を勤める十人のつとめ人衆によって勤める。(第一号一〇註参照)
第三一のお歌以下、かぐらづとめの理を明らかにし、親神様のこの世人間創造の御苦心をお教え下さる為に、元初まりのお話を詳しくお説き下されている。
このお話は、親神様の御神意を詩的な表現でお諭し下されているのであるから、我々は形而下的な理解にとどまる事なく、心眼を開いて、このお話の奥底に示された親神様の人間御創造の真実を悟り、たすけ一条の親心を了解さして頂くべきである。(詩的表現については、第一号二一歌の理参照。)
この世の元初まりは泥の海で、その中には月日両神がおいでになったばかりである。或る時月日両神が、「我々両神だけでは何の楽しみもない故、世界を造り人間をこしらえて、その陽気ぐらしをするのを見て、月日も共に楽しもう。」と御相談なされた。そして、どじようのようなものばかり沢山泳いでいる泥海の中を御覧になっていると、その中に人魚のようなものと白へびのようなものがいる。そこで、なおもよく見澄まされると、その顔といい、肌といい、月日両神のこしらえようと思っておられるものに、誠にふさわしいものであったので、これをもととして人間を創造しようとお思い付きになった。そこでこれをお呼び寄せになると、喜んでいそいそと真一文字に親神様の方へ泳いで来た。そこでこのものによく話をして納得させて、人間創造の種苗代の道具とお使い下さる事となった。
更に泥海中をお見廻わしになると、巽(東南)の方にふんばりの強いものがいる。そこでこのものをお呼び寄せになり、納得させた上、食べてしもうてその心根を味わい、このものは皮の丈夫なねばり強いもの故、女一の道具、又筋皮つなぎ人間生まれ出る時は後のつなぎの道具にお使い下さる事となった。この御守護はくにさづちのみことである。
次に乾(西北)の方を御覧になると、威勢のよい突張るものがいる。そこでこれをお呼び寄せになり、納得させた上、食べてしもうてその心根を味わい、このものは威勢の良いものであるから男一の道具又骨突っ張りの道具にお使い下さる事となった。この御守護は月よみのみことである。次に卯(東)の方を御覧になると、出入り自在なものがいる。そこでこのものを呼び寄せて納得させた上、食べてしもうてその心根を味わい、飲み食い出入りの道具にお使い下さる事となった。この御守護はくもよみのみことである。
次に坤(西南)の方を御覧になると、大そう平たいものがいる。そこでこのものを引寄せて納得させた上、食べてしもうてその心根を味わい、このものは平たくて風を起すのに都合がよいから、息吹き分け物をいう道具にお使い下さる事となった。この御守護はかしこねのみことである。
次に酉(西)の方を御覧になると、引いてもちぎれぬものがいる。これを引き寄せ納得させた上、食べてしもうてその心根を味わい、このものは強くて引張ってもなかなか切れぬもの故、人間生まれ出る時は胎内から引出しの道具にお使い下さる事となった。この御守護はをふとのべのみことである。
次に艮(東北)の方を御覧になると、腹のふくれたものがいる。そこでこれを引き寄せ納得させた上、食べてしもうてその心根を味わい、このものは大食するもので、大食すると死ぬ事があり、又、このものはうっかり食べると毒に中って死ぬ事があるから、人間生まれ出る時は母親との胎縁を切り、出直す時はこの世との縁を切る道具にお使い下さる事となった。この御守護はたいしよく天のみことである。
こうして、人間創造の道具も皆揃うたので、これからいよいよこの世人間をお創め下さる事となり、
「子数の年限経ったその上は、元なるぢばへ連れ帰り、神として拝をさせ、共々人間の陽気遊山を見て楽しもう。」
とお約束なされ、ここに親神様の御守護によって、世界人間創造の神業に御着手なさる事となった。即ち、人魚のようなものには、月よみのみことのお働きを仕込み、月様が入り込んで種、白へびのようなものには、くにさづちのみことのお働きを仕込み、日様が入り込んで苗代とされた。この男雛型種の働きはいざなぎのみこと、女雛型苗代の働きはいざなみのみことである。
こうして、親神、天理王命様のお心尽しにより、いざなぎのみこといざなみのみことを、夫婦雛型として、子数のどじようを食べてしもうて、これを子種として、ぢばで三日三夜の間に九億九万九千九百九十九人の子数の人間をお宿し込みになった。それから、いざなみのみことは三年三月ぢばにおとどまりになった上で、これを奈良初瀬七里の間に七日かかってお産み下ろし下されたのを手始めに合計七十五日かかって全部の子数をお産みおろし下された。それで今でも七十五日を産屋明けという。
この初産に生まれた人間は身長五分であったが、五分々々と成人して、九十九年目には三寸まで成人して皆一度に出直してしまった。そしていざなぎのみこともこの時お出直しになった。
そこで、一度教えられた守護で、いざなみのみことの胎内に元の子数をお宿し下され、この度も又五分から生まれ出し、五分々々と成人して九十九年目には三寸五分まで成人して、又皆出直してしもうた。その後、いざなみのみことの胎内へ、又々元の子数をお宿し下され、この度も又五分から生まれ出し、五分々々と成人して九十九年目に四寸まで成人した時、いざなみのみことはこれを見て、
「もうこれなら追々五尺の人間になるであろう」
とおっしゃって、にっこり笑うてお出直しになった。そこで子数の人間も皆その後を慕うて出直してしもうた。
それから後は、月日両神の御守護で、人間は虫けら鳥畜類と八千八度生まれかわった。それ故人間は何のまねでも出来るのである。こうして八千八度の生まれかわりが済んだ時に、一度皆出直してしまい、後にめざるがたった一匹だけ残り、その胎内から男五人女五人、合せて十人ずつ生まれ出た。この時も生まれ出しは五分からで、五分々々と成人して八寸になった時に泥水に高低出来かけ、なお成人して一尺八寸になった時に、水陸の区別が分かりかけた。そしてこれから先は一腹に男一人女一人計二人ずつ生まれ、なお成人して三尺になった時に人間は言葉を語り始めた。それで今でも三歳になると小児が物をいい始め、又ちえもつきかけるのである。三尺から後は、一腹に一人ずつ生まれた。そしてだんだんと食物を求めて広い世界へ渡って行ったのである。五尺になった時、速かに海陸分かれ、天地定まり、日月も明らかに現れて、人間は水中を離れ、それぞれ近くの陸へ上がり住んだ。こうして、今日のように世界中の土地所々に人間が住みつくようになったのである。であるから世界中の人間は皆親神様の可愛い子供、一列人間はお互いに同胞である。この時まで、水中の住居は九億九万年、陸に上がってから六千年はちえの仕込み、三千九百九十九年は学問の仕込みをして下された。かようにして親神様はだんだん人間を仕込んで下され、十中八九まで仕上げて下さったのであるが、今一歩というところが仕込めてなかった。
ここに約束の子数の年限到来して、天保九年十月二十六日、この世人間を御創造下された元の親神、天理王命様が元のぢばに天降られ、教祖様を月日のやしろとして、そのお口を通して今一歩という最後の仕込み、即ち世界一列たすけのだめの教えをお説き下さる事となった。
即ち天理王命様とは、万物を摂理し給う月日両神、即ちこの世人間を創造し給い、守護し給う元の親神様であって、この親神様の御守護の御理の一つ一つに神名をつけて、十柱の神名をお教え下されている。十柱の神名とは、
くにとこたちのみこと、をもたりのみこと、くにさづちのみこと、月よみのみこと、くもよみのみこと、かしこねのみこと、たいしょく天のみこと、をふとのべのみこと、いざなぎのみこと、いざなみのみことである。
まことに天理王命様は全宇宙を創造し、全宇宙を身体として、普くひろく実在し守護し給う元の親、実の神であって、この世に於ては、教祖様を神のやしろとして元なるぢばに直き直き現れ給う神様である。即ち天理王命様の神名はぢば末代の理に授けられ、教祖様は生きて永久にぢばに留り給う。これを教祖存命の理という。まことに元なるぢばこそは天理王命様の現れ給う所、たすけ一条の根元であり、本教信仰の生命である。
五二、いざなぎのみことと、いざなみのみことは、人間創造の一の神であって、諾冊二尊からお生れになった天照大御神は天照皇太神宮にお鎮まりになる。
註 いざなぎのみこと、いざなみのみことは、父性神及母性神として宇宙神であり宗教神であるが、この理は我が国にては伊弉冊尊、伊弉冊尊である。諾冊二尊の御子神、天照大御神は天照皇太神宮にお祀り申し上げる。
五五、註 ぢばは人間を宿し込まれた親里であり、教祖様は一列人間の親たる御いんねんの方である。
五六、親神がぢばのいんねん、教祖魂のいんねんを見澄ましてぢばに天降り、教祖の口を借りて教を説くのも、人間に何かとよろづ一切の事を知らしたいからである。
五七、五八、親神が真から思うところは、銘々の社をもらい受けつとめ人衆がそろうて来たならば、それからは、自由自在にいつでも思うがままに話をしようと思う。
五九、従来も親神のやしろとして教祖をもらい受けてはあったのであるが、とかく控え気味であった。
六一、六二、註 みすのうぢらとは、親神様が神威の顕現を控えておられた事で、具体的には、教祖様がこれまで、黒紋付をお召しになっていられた。
あかいところとは、親神様が自ら表へお現れ下さる事で、具体的には教祖様がこの度山村御殿からお帰りになってから、赤衣をお召になった。(第三号四二註、第五号五六、五七註参照。)
六三、この赤衣を何と思っているか、これは教祖に月日が入込んでいる証拠であるぞ。
六四、六五、この世人間を創めてから今までも、親神は自由自在の働きをしていたのであるが、まだ人々の心が成人の域に達する日が来なかったので、どんな事をいうてもどんな事をしても見過ごしていたのである。ところが、この度は最早充分に成人の域に達する日が来たので、何かにつけて総て自由自在に親神の働きを現す事にする。
六六、かように、総て自由自在な親神の働きを現す事になっているのも知らずに、上流の人々は己れの富貴や権勢をたのんで、なにかにつけて勝手な行いをする者の多いのは、一体何と思うての事であろうか。
六七、教祖は親神のやしろであるから、何事につけても教祖のいう事する事には、人間心が少しもあるとは思ってくれるな。註 教祖様は、人間の身体を具えておられたが故に、ともすればその口を借りて仰せられる天啓の声をば、単なる人間の声と考え、又教祖様のなされる事をば、単なる人間の業と考える人々に対して戒められたものである。
六八、教祖がどんな事をいうにしても、又ふでさきに書き記すにしても、親神の指図でするのであるから、人間心はすこしも混っていないのである。
六九、上流社会の人々はどんな事をいうにしても思うにしても、何れもただ人間心から出た勝手な言葉、我がままな思案ばかりである。
七〇、親神がつけた神名を、ただ人間心から取り払おうとするが、この親神のもどかしさの程を皆は何と思うているか。
註 明治七年陰暦十一月十七日、奈良中教院から召喚を受け「天理王命などいう神はない。宜しく向後か様な神を尊奉しないよう。」との信仰差し止めの厳命をされた事について述べられたものである。
七一、神名を取り払おうとする事に対する真実の親神の激しいもどかしさは、容易なことでない、と思うがよい。
七二、七三、註 当時官憲は己れの権勢を頼んで本教の上に圧迫を加え、何彼につけて勝手な振舞いをしたのであるが、今後は親神が自由自在の真実の働きをするから、まねをする事が出来るなら何でもしてみるがよい、と仰せられたのである。
七五、これから以後は、親神のもどかしく思っている心持を、何とか晴らすつもりである。
七六、これから先は、どのような身上事情が起っても、これを普通の病気だなどとは更々思ってはならない。
七七、従来からも、親神の心にはもどかしく思う事が沢山に積っているが、それをかやしする。
註 かやしとは、かやし、返報の意であるが、それは決して復しゅうの意ではない。何とならば、親神様が我々人間の心得違いを、これによって知らして下さろうという、親心の発露に外ならないからである。
七八、七九、従来もかやしという事を度々説き聴かしていたが、人々はそれが何の事か分からなかったのである。ところが親神が説き聴かしていたかやしの真の意味は、この身上事情の知らせの事であるから、上に立つ人々も皆この事を承知して、心得違いのないようにしなければならない。
八〇〜八五、この世の元初まりは泥の海であって、中に月日両神がいたばかりである。その時月日両神の思い付いたのは、
「我々両神だけでは何の楽しみもない。なんと、人間世界を創めようではないか。」
という事である。ところで、ない世界を創めるというのはなかなかむつかしい仕事である。なんとかして世界人間創造の為に使う道具を見つけようと思って、その泥海の中をじいっと見澄ますと、その中にどじようもうをもみもその他の道具も見えて来た。そこで皆引寄せて相談して、いよいよ人間創造に着手する事となった。このように無い人間無い世界を創造しようとて、親神が段々と心を尽したならばこそ、人間が出来て来たのである。
註 本号二九〜五一、及同総註参照。
八六、八七、親神が、これ程に心を尽して、この世人間を創造した道すがらを、だれも知った者がないという事は、実にもどかしくて堪らない処である。
八八、人間は自分勝手に生まれ、自分勝手に生きていると思っているであろうが、そうではない。親神が、種々と心を尽し骨を折ったればこそ、人間は創造されたのである。
註 親神様の御守護は、人間創造の時のみならず、今なお、日夜絶えず人間の上におかけ下さっている事を、忘れてはならぬ。
八九、九〇、今のところ、上に立つ人々が、親神の心尽し骨折りの程を少しもわきまえず、我が思いのままに振舞って居るが、これは、親神の非常にもどかしく思っている処であるから、どのようなかやしをするか分からない。
九一、世の天災地変、即ち、山崩れ、雷、地震、大風といったような出来事は皆、天けんで、これによって人心の反省を促すのである。
九二、註 たいしや高山とは、その当時権勢を以て本教を圧迫した人々の事。
本歌は、思いのままに権勢をふるうて圧迫を加えようとする人々も、心に反省する事を油断したならば、いつ何時親神が飛び出して行って、どんな知らせを見せるか分からない、と仰せられたのである。(第五号五六、五七註参照。)
九四、九五、親神は、何をするにつけても、前以て充分説き聴かした上で、物事に取り掛かるのであるから、どういう事が現れても、決して親神をうらんではならない。皆銘々の気随気ままから生じた事であるから、我が身をうらむより外はないのである。
註 せへいゝバいは、精一杯、しことは、仕事で、物事に取り掛かる事。
九八、親神はしっかりと人々の心を見分けて、受け取り次第それぞれの応報をするのである。
一〇一、親神が天降ってこの教えを説くに到らなかった前は、皆我まま勝手な人間心ばかり使うて来たのであるが、未だ成人しない故じっと見ていた。しかし、今後は親神が善悪に対して容赦なくかやしをする。
一〇五〜一〇八、註 今まで病気といえば、すぐに医者よ薬よと心配したものであるが、病気というものは元来人々の心得違いを知らせて心を入れ替えさせようという親神様の深い思召しなのであるから、病気になれば、静かに反省して親神様の胸のうちを悟るようにしなければならぬ。薬では病気はなおるように見えても、その起こって来るもとである心は直らない。それでは、いつまでも親神様の意図に順うことが出来ず、人々の心が澄んで陽気ぐらしの出来る世とはならない。このように人間の心を直す事が親神様の真意なのであるから、親神様のお知らせは、単に身上にのみ現れるとは限らない。事情の悩みともなって現れるのである。この理を充分悟って、誠真実の心を親神様に受け取ってもらったならば、どのような身上事情の悩みでも救けて頂けるのである。それでどんな難病で医者がさじを投げたような者でも、心次第で皆、いき・てをどり等のおさづけによってすきやかな御守護を頂くことが出来る。
しかしながら、病だすけは親神様の意図を実現なされる一つの過程であって、究極の目的は心の入れ替えにあるのであるから、一方に於て医薬を用いる事は差支えないが、何故病気になったかという根本の原因について、親神様の胸のうちをよく悟るように思案する事を忘れてはならぬ。元来医術というても、これは親神がこれまでに仕込まれた事であり、薬は親神様のお与えであるから、それを用いる時にも、親神様の御恩という事をよく思わねばならぬ。それであるから、教祖様は、医薬を不必要などと説かれた事はない。親神様のお心はもっと広く深いところにあるのである。根本の心の仕込みというところに眼をつけねば、親神様のご神意に添う事は出来ない。この理を取り違えぬよう、親神様はおさしづに次の如く、懇切にお諭し下されてある。
明治二十三年七月七日午前十時半、前おさしづに基き願
さあ/\難しい事は一つも無い、難しい事を言うやない。よう聞き分けにゃならん。どういう事もこういう事も、人間心を以て難しいように仕掛けて来る。何処そこでそら今やならん。元々医者は要らん、薬は呑む事は要らんという事は教には無いで。元々医者にも掛かり、薬も呑み、医者の手余り救けようというは、誰にも医者に掛かる事要らん、薬呑む事要らんというは、どっから出たのや。手余りを救けるのは誰も何とも言うまい。神さんに救けて貰うた、始め掛けのようなもの。めん/\通りよい処を通り難くうする。暫くという、一時難しい、どんならん、暫くの間が難しいてならん。第一道理上運んで置かねばならん。この理取り損いするからどんならん。この道から教会はあろうまい。規約々々という、教会規約一時運び切って出したる限りは治めにゃ。その道変えて皆めん/\で、めん/\に抜けられぬように道を拵える。どうせこうせは言わん。一時治まって了う。さあと言えば直ぐに手順を運ぶ。暫くの間や。それさえ心得、皆んなそうかい、所々でおかしい風説、何かの処、取り決まって一人のために万人ほかして了わにゃならん。
(天理教教義及史料集成部編纂、おさしづ巻一、第七六八頁参照)
いきは、いきのおさづけである。
てをどりは、ここではてをどりのさづけの事であって「あしきはらひたすけたまへ」のおさづけである。
ここではこの二つをお挙げになったのであるが、その外にも「水のさづけ」「ぢきもつのさづけ」等がある。
一一〇、一一一、生れ子がほふそにも、はしかにもかからないようになり、又人が病気にもならず若死もせずに暮す事が出来たならば、それ以上の幸福はあるまい。しかし、この自由自在の守護をするのも皆親神の心によるのである。
一一二、今までにも大抵の事は懇々と説いて来てはいるが、まだ親神の真意は説き尽せない。
一一四、このぢばに於て始めかけたたすけ一条の道を、干渉して止めさせようとするのは、如何にも親神のはがゆくて堪らぬ処であるから、このかやしはどうしてせずにいられようぞ。
註 本号七〇註参照。
一一五、このかやしには、権勢をたのんでほしいままな振舞いをしている者達の心得違いを一掃して、親神の真意を一列に行きわたらせるようにするから、皆の者はこれを予め承知して置く様に。
註 たいしや高山については、本号九二註参照。
とりはらいとは、人間思案のほこりを一掃して厭迫干渉等の非行を止めさせ、今までの非違を改しゅんせしめる意。
一一六、この親神の話を人々はどう思うて聞いているか。親神のたすけ一条の意図を遮るならば、そのかやしは天火、火の雨、海はつなみというような事となって現れる
一一七、これ程までに親神は種々と心配をしているのに、世界中の人間は、一体何と思っているのか。
一一八、親神は一列人間の身の上を思うて、いろいろと口説いたり歎いたりしてはいるが、この親神の意図を悟り、真に自分の心を反省して誠の心になってさえ来れば、親神は必ずその者を救けてやろう。
一一九、人間はどのような者でも皆親神の子供であるから、子を思う親心から、親神は種々心配しているのであるが、この心の程をよく察してくれるがよい。
註 ハかこは、我が子の意。
一二〇、この世の中に在りと凡ゆるものは皆親神の創造し守護する処、全宇宙は親神の身体であって、人間身の内もまた、親神の創造し守護して人間に貸しているものである。
一二一、世界中の人間が銘々の身体は親神によって造られ、親神から借りているのであるという真実を悟ったならば、誰しも強気強欲を出して自分勝手の振舞いをする者はなくなってしまう。
一二二、銘々の心にかしもの・かりものの理を真から了得出来たならば、何も怖い事もなければ危い事もない。
一二三、親神の説いて教える事をば、皆取り消してしまって少しも守ろうともせず、ただ人間心から種々と自分勝手な事をしているので、怖い目にも遭い、危い目にも遭わなければならない。
一二四、親神がこの世界を創造した真実の話を、従前からも教えておこうと思っていたのであったが、その時機が来なかったので、教える訳には行かなかった。
一二五、親神は、毎日、今日教えようか明日教えようかと種々心を急いでいるが、親神の話を説くべき時機の来るのを待っているのである。
註 こくけんとは刻限で、定った時刻、ここでは教え説くべき時機、教えるべき時旬。
一二七、親神の与えたいと思っている深い利やくは、尋常普通の事と思うてはならない。これは親神のする仕事であって、大きい意図から出ているのである。
一二八、親神は自由自在の働きをする、と再三説いて聴かしてはいるが、未だ今までの処では眼の当たりに見えた事がないから、人間には判然と分からないであろう。
一二九、この度の親神の自由自在の働きを、実際に現してみせる事にするが、これを見たならば、親神の説いて聴かしている事は嘘でない事が了解出来るであろう。
一三〇、如何な事をするのも皆親神であって、真実に人間救けたいとの一心からする事である。
一三一、母親の胎内へ子供を宿し込むのも親神の守護によるものであり、又、その子供が生まれ出るのも親神の守護によるのである。
一三二、一三三、この度は親神が表に現れて、どんな事でも皆実際にして見せるから、これを見て、親神の働きを疑っていた者でも、成る程、親神は銘々の心次第によってどんな自由自在の働きでもするものであるという事を、よく得心するがよい。
一三四、親神がどのような事をするのも、皆、各人の真実の心通りの働きをして見せるのである。

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posted by 朱夏 at 05:55| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

おふでさき第五号

おふでさき第五号は、明治7年5月にお記し下さいました。
88首あり、教祖(おやさま)77歳の御時です。

おふでさき第五号では、人間の心遣いのあざなさと共に、世界たすけを急き込まれる親神様の親心が記されています。
また史実に関連した、「高山布教」へ取り掛かられる旨が記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第五号>
001 いまゝでハぎうばとゆうハまゝあれど あとさきしれた事ハあるまい
002 このたびハさきなる事を此よから しらしてをくでみにさハりみよ
003 このよふハいかほどハがみをもふても 神のりいふくこれハかなハん
004 めへ/\にハがみしやんハいらんもの 神がそれ/\みわけするぞや
005 一やしきをなじくらしているうちに 神もほとけもあるとをもへよ
006 これをみていかなものでもとくしんせ 善とあくとをわけてみせるで
007 このはなしみな一れつハしやんせよ をなじ心わさらにあるまい
008 をやこでもふう/\のなかもきよたいも みなめへ/\に心ちがうで
009 せかいぢうどこのものとハゆハんでな 心のほこりみにさハりつく
010 みのうちのなやむ事をばしやんして 神にもたれる心しやんせ
011 どのよふなむつかし事とゆうたとて 神のぢうよふはやくみせたい
012 いまゝでハ神のぢうよふしんぢつを しりたるものさらにないので
013 これからハいかなむつかしやまいでも 心したいになをらんでなし
014 しんぢつの心を神がうけとれば いかなぢうよふしてみせるてな
015 こらほどの神のしんぢつこのはなし そばなるものハはやくさとれよ
016 これさいかはやくさとりがついたなら なにゝついてもみなこのどふり

〜内容の区切りと思われる〜

017 けふまでハなによの事もせかねとも もふせきこむでをふくハんのみち
018 このみちハせかいなみとハをもうなよ これまつだいのこふきはぢまり
019 このにんぢうとこにあるとハゆハんでな みのうちさハりみなくるであろ
020 このさハりてびきいけんもりいふくも みなめへ/\にしやんしてみよ
021 このはなしなんとをもふてきいている かハいあまりてくどく事なり
022 どのよふにいけんりいふくゆうたとて これたすけんとさらにゆハんで
023 にんけんのハがこのいけんをもてみよ はらのたつのもかハいゆへから
024 しやんして心さためてついてこい すゑハたのもしみちがあるぞや
025 いまゝでハ心ちがいわありたとて ひがきたらんてみゆるしていた
026 このたびハなんでもかでもむねのうち そふちをするでみなしよちせよ
027 むねのうちそふぢをするとゆうのもな 神のをもハくふかくあるから
028 このそふぢすきやかしたてせん事に むねのしんぢつわかりないから
029 この心しんからわかりついたなら このよはぢまりてをつけるなり

〜内容の区切りと思われる〜

030 ちかみちもよくもこふまんないよふに たゞ一すぢのほんみちにでよ
031 このみちについたるならばいつまでも これにいほんのこふきなるのや
032 にほんにもこふきがでけた事ならば なんでもからをまゝにするなり
033 このよふをはぢめてからのしんぢつを またいまゝでハゆうた事なし
034 このはなしむつかし事であるけれど ゆハずにいればたれもしらんで
035 たん/\とどのよな事もゆてきかす 心しづめてしかときくなり
036 いまゝでハいかなるほふとゆうたとて もふこれからハほふハきかんで
037 これまてハゑださきにてわほふなぞと をしへてあれどさきをみていよ
038 にほんにハいまゝでなにもしらいでも これからさきのみちをたのしゆめ
039 ほふやとてたれがするとハをもうなよ このよ初た神のなす事
040 どのよふなむつかし事とゆうたとて 神がしんちつうけとりたなら
041 いまゝでハからやにほんとゆうたれど これからさきハにほんばかりや
042 ゑださきハをふきにみへてあかんもの かまへばをれるさきをみていよ
043 もとなるハちいさいよふでねがえらい とのよな事も元をしるなり
044 ぢつやとてほふがへらいとをもうなよ こゝろのまことこれがしんぢつ
045 にんけんハあざないものであるからに めづらし事をほふなぞとゆう
046 いまゝでハ神があらハれでたるとて まだしんぢつをしりたものなし
047 このさきハどのよな事もしんじつを をしへてをいた事であるなら
048 それからハ神のはらきなにもかも ぢうよじざいをしてみせるでな
049 しんぢつの神のはたらきしかけたら せかい一れつ心すみきる
050 はたらきもいかなる事とをもうかな 心うけとりしだいかやしを
051 このかやしなにの事やとをもうかな みちのりせんりへだてありても
052 この事ハなにをゆうてもをもふても うけとりしだいすぐにかやしを
053 このかやしなんの事やとをもうなよ せんあくともにみなかやすてな
054 よき事をゆうてもあしきをもふても そのまゝすくにかやす事なり
055 この事をみへきたならば一れつわ どんなものでもみなすみわたる

〜内容の区切りと思われる〜

056 けふの日ハなにがみへるやないけれど 八月をみよみなみへるでな
057 みへるのもなにの事やらしれまいな 高い山からをふくハんのみち
058 このみちをつけよふとてにしこしらへ そばなるものハなにもしらすに
059 このとこへよびにくるのもでゝくるも 神のをもハくあるからの事
060 この事をなにもしらすにそばなるハ せかいなみなる事をふもをて
061 なにゝてもせかいなみとハをもうなよ なにかめつらしみちがあるぞや
062 だん/\とこのよはぢめてひハたてど たれかしんぢつしりたものなし
063 いかほどに神の心わせゑたとて みなの心ハまたうゝかりと
064 はや/\としやんしてみてせきこめよ ねへほるもよふなんでしてでん
065 このよふのしんぢつねへのほりかたを しりたるものハさらにないので
066 このねへをしんぢつほりた事ならば ま事たのもしみちになるのに
067 このみちをほりきりとふりぬけたなら 上下ともに心いさむに
068 これからハなんでもせかい一れつを いさめるもよふばかりするそや

〜内容の区切りと思われる〜

069 だん/\となに事にてもにほんにハ しらん事をわないとゆうよに
070 なにもかもせかいぢうゝへをしへたい 神のをもわくふかくあるのに
071 それしらすせかいぢうゝハ一れつに なんどあぶなきよふにをもふて
072 とのよふな事でも神のゆう事や なんのあぶなき事があるそや
073 なにもかもよろづの事をだん/\と ゆうていながらわかりたるなし
074 これからハどふぞしんぢつむねのうち はやくすまするもよふしてくれ
075 せかいぢうをふくの人てあるからに これすまするがむつかしい事
076 いかほどにむつかし事とゆうたとて わが心よりしんちつをみよ
077 この心すむしわかりた事ならば そのまゝみゑる事であるなり
078 にち/\に神のしんぢつはたらきを しりたるものハさらにあるまい
079 なにゝても神のぢうよとゆうものハ めづらし事をしてみせるでな
080 とのよふなめつらし事とゆうたとて 神のする事なす事はかり
081 いまゝでハなによの事もしれなんだ 一寸みへかけたほそいみちすじ
082 このみちをだん/\しといいくならば なんてもむこにみへるほんみち
083 これまでにとふりてきたるみちすぢハ からもにほんもわかりないので
084 このさきハなんぼからやとゆうたとて にほんがまけるためしないそや
085 このよふのもとはじまりのねをほらそ ちからあるならほりきりてみよ
086 このねへをほりきりさいかしたるなら どのよなものもかなうものなし
087 しかときけくちでゆうてもをもふても どこでゆうてもをもふたるとて
088 そのまゝにかやしとゆうハこの事や 神がしりぞくみなしよちせよ

<おふでさき註釈>
一、これまでから牛馬に堕ちる、牛馬に堕ちると説く者もあるが、如何な者が牛馬に堕ちるか、又如何にして牛馬の道から救われるか、今日までに明らかに説き諭した事はないから、だれも知らないであろう。
註 ぎうばは、牛馬の生活、即ち畜生道の意。
二、この度は身に障りをつけて、来世の事をこの世から知らして置くから、現れている我が姿を見てよく反省せよ。
三、この世は親神の司る処であるから、どれ程我身思案で自己の利益ばかりを計っても、一旦親神の積るもどかしさが現れたならば如何とも致し方がない。
一〜四、総註以上四首の御歌は、おぢばの近村に住んでいた某女を実例としてお説き下さったものといい伝えられている。某女は邪けんな性質で、教祖様に数々の御恩を受けながら、お屋敷の前を通っても立寄る事さえしなかった。それ程であるから、人々に対してもむごい心遣いが多かった。教祖様は常にそばの人々に『報恩の道を知らぬ者は、牛馬に堕ちる。』とも『牛見たようなものになる。』とも仰せられた。果して、某女は明治七年から歩行かなわぬ病体となり、二十余年間いざりのような姿で家人の厄介になってこの世を終った。
五、一つの屋敷に同じく暮している者でも、その心は銘々に違っていて一様ではない。
六、各人々々の心遣いによって善と悪とを分けて見せるから、身の障りを  見てどんな者でも皆得心をせよ。
九、世の中の者はだれでも彼でも、銘々に心に積み重ねたほこりから、自然親神の手入となって身に障りがついて来るのである。
一〇、身の内の悩みは手引き道おせなのであるから、親神にもたれてその心に添うようよく思案するがよい。
一一、どんな重い身上事情の悩みでも心次第で救けるのであるから、この親神の自由自在の働きを早く見せたい。
一四、人間が真の心から親神にもたれ理にすがって救いを求めるならば、その心を見定めて如何な自由自在の守護もして見せようほどに。
一七、今日までは何よの事もそう急き立てはしなかったが、この度は時機が到来したから、いよいよ往還の道に出る事を急き立てる。
一八、この道はこれまでに有りふれた教えと同じように思うな。いついつまでも後の世に伝え行くたすけ一条の道の初まりである。
一九、この人衆は、何処そこのだれそれとはいわぬが、皆それぞれ身の障りによってぢばに引き寄せられて来るであろう。
二〇、身の内の障りというても、親神が道につけんが為めの手引きもあれば、又心得違いに対する訓戒もあり、立腹もあるから、皆銘々に早く思案するがよい。
二二、どのように意見をされ立腹を受けても、決して心を倒してはならぬ。親神は如何な難渋難病も救けぬとはいわぬ。皆救けてやり度いからのせき込みである。
二三、人間が我が子に対して意見をするのも同じ事である。腹を立てるのもその子の身を思い将来を思う我が子可愛い上からするので、決して憎む余りにするのではない。
二五、今までも人間に心得違いがなかったという訳ではないが、まだこの教を説き諭しても聴き分けるだけの成人が出来ておらず、説き聴かすべき時機が来ていなかった為に、今日まではそのままに見ゆるしていた。
二六、もうこの度は、どうでもこうでも人間の胸の中を隅から隅まで掃除するから、皆はこの事をよく承知しているがよい。
二七、人間の胸の中を掃除するというのも、親神の深い意図があるからの事である。
二八、この胸の中の掃除をして、心のほこりを取り除かぬ以上は、心の曇りの為に真実な親神の心が分らぬ。
二九、親神の心を真実に悟る事が出来るようになれば、この世初りの理を現したかんろだいづとめの手をつけよう。
三〇、功を急ぎ心を焦らして徒らに近道を求めたり、利に目がくらみ欲心を起したり、又高慢の心があっては、決して本当の往還道に出る事は出来ぬから、そのような心得違いにおちる事なく、唯一筋に真実の教に精進するがよい。
三一、こうしてたすけ一条の往還道に出たならば、これこそにほんに現れた親神の真実の教として、末代までも語り伝えられ、多くの人々を救ける手本ひながたの道となるのである。
註 こふきとは、後の世までも語り伝えられて、多くの人々を救ける元となる真実の教という意。
三二、人間創め出しのぢばのある所に一列たすけのこふきが出来たならば、それから先は次に親神の教の行わたるべき所へも、自由自在に親神の真意を説き及ぼして、思うがままに豊かな神恩に浴せしめるであろう。
三三、この世を創めてからこのかたいろ/\と心を尽した親神の真実を、今まではだれにも説き示した事はなかった。
三五、人間の成人につれて如何な事もいい聴かせるから、心鎮めてしっかりと聴くがよい。
三六、今までは、世の中にいろいろの法や術などが行われていたが、もうこれからはそのようなものはなくなってしまう。
三七、これまで枝先では法や術などというものを教えて置いたが、今後それ等のものがどれだけ力を示し得るか、将来を見ているがよい。
註 ゑださきは、今後親神の真実の教の行きわたる所をいう。
三八、法や術などは何も知らなくても、ぢばのある所には親神の真実の教があるから、それによって栄えて行く将来の道を楽しむがよい。
四一、今までは親神の教の先ず行きわたる所、次に行きわたる所と説き分けて来たが、今後は普く親神の教が行きわたって、世界一列は皆親神の真意を悟り、豊かな神恩に浴して陽気に勇んで暮すようになる。
四二、註 第三号八八〜九〇参照。次歌註参照。
四三、木の根元は枝先に比べてかさびくいが、木にとっては最も大切な所であるから、枝葉の事を明らかにするには、何でも先ずその根本を究めなければならぬ。
註 人間のちえや力のみに頼らず、親神の真意を悟るように、との御教示である。
四四、術や法というても、それに力があるのではなく、それを用いる者の心の誠真実、これが真の力となるのである。
四五、人間は浅はかな者であるから、少し変った事でもすると、直ぐ法や術やなどというてまどうてしまう。
四六、これまでも親神が自ら表へ現れて珍らしいたすけをしていたが、世間の人々は未だに法か術かのように思うて、真実の心の理によって救かるという事を知らない。
四七、四八、今後はどのような事でも真実を教えて置いた上で、何も彼も自由自在に親神の働きを現して見せよう。
五〇、親神の自由自在の働きといえば、どんな不思議な事をするのかと思うであろうが、親神は人間の真実の心を見定め、直ぐそれに応じてかやしをするのである。
五一、このかやしというても、どうしてかやすのであろうと、思うかも知れないが、たとい道のり千里、二千里隔ってあっても、親神が人間の心を見定め次第それにむくいるのである。
五二、この親神のかやしという事は、たとい口でいい心に思うた些細なものであっても、その言葉、その心を親神が受取り次、第直ぐにかやしをするのである。
五五、親神の自由自在のかやしが実現し、その道理が人々にわかって来たならば、何人も皆一様に天理を悟り自然に心澄みわたるようになる。
五六、五七、註明治七年陰暦十月、松尾市兵衛、中田儀右衛門の両名は、教祖様の命を受けて、大和神社の神職につき、天神地祇の御姿並に御守護を聞きに行った。時あたかも県下官幣大社の神職多数集合中であったが、大和神社の原某なる者、「神の姿などはかつて聞いた事はない。そんな愚説は庄屋敷の婆さんがいうのだろう。怪しからん話だ。何か証拠になるべきものがあるか。」と威丈高に詰問したので、松尾は『庄屋敷では親神の守護はかくの如く説くのである。』と教義書を出して弁ばくした。某は返えす言葉もなく遂には、ばり雑言するのみであった。居合せた神職の人々は、『記録に見えざる神名を称えるのは不都合であるから、これを弁難すべき要がある。石上神宮はその氏子の中にかかる異説を唱えさせるは取締不十分のそしりを免れない。よろしく石上神宮より取り調べすべきである。何れ取り調べに行くであろうからこの旨承知していよ。』との事であった。
果して石上神宮の神職五名弁難に来たが、教祖様のよどみない御教示にへき易し、その足で丹波市警察署に訴えた。この訴えにより警官がお屋敷に来て、無法にもつとめ場所のみす、幣、鏡、等を没収して村総代に預けて行った。
かくて同年陰暦十一月十五日には教祖様は中田、辻、白石畑の重兵衛等を従えて、山村御殿へ御出向き下された。
『高い山からをふくハんのみち』とは此の事実を仰せられたもので官憲即ちいわゆる高山へにをいがけせられる事を意味するのである。
五八、この往還の道をつけようとして、今日までにいろいろの準備を整えて来たのであるが、そばの者はそれが親神の深い意図からであるという事を知らずにいる。
五九、このぢばへ呼び出しに来るのも、取り調べに来るのも、皆親神の深い意図があって引寄せているのである。
六〇、この呼出しや取調べは、親神の深い意図から出ているという事を知らずに、そばの者は世間普通の出来事と同じように、拘留や取調べを心配したり不面目に思うたりしている。
六一、どんな事が起ろうとも、決して世間普通の出来事と同じように思うて心配も何もする事はいらぬ。それが一つの旬となって何か珍らしい道がついて来るのである。
六二、この世を創めて以来、永の年限経ってはいるが、だれ一人として親神の真実を知った者はない。
六三、如何程に親神が急いでも、皆の心がまだうっかりとして目覚めて来ない。
六四、速やかに親神の意のある処を思案して、その根本を悟る段取を何故して来ないか。さあ直ぐにもその段取に取掛かれ。
六五、この世の根本の真実即ち親神が此の世人間を創めた真実の程をどうしたならば悟れるか、その方法を知った者はなかった。
六六、もしこの根本の真実を真に悟った事ならば、まことに頼もしい道になるものを。
六七、この親神の教示する道をどこまでも親神の心に添うて通り切り勤め切ったならば、そこには上下ともどもに心の勇む陽気づくめの世界が現れて来る。
六八、これから先は何でも彼でも世界一列の人間の心を、勇める段取ばかりに取掛かる。
六九、だんだんと此の世の根本の真実を皆説き聞かせて親神の教の行きわたるところには何事でも知らぬというような事の無いように守護したいと思っている。
七〇、七一、どんな事でも世界中の人々に、教えて置きたいという親神の深い意図であるのに、それを知らないで、世界の人々は皆一様に、この親神の教をうそ偽りか何ぞのように思い疑い、何か危かしいもののように思うている。
七二、どのような事でも親神のいう事に、何一つうそ偽りや危っかしいものがあろうか。
七三、世間では何も彼も知り尽しているかのように、口先ではまことしやかにいうてはいるものの、その根本の真実を真に悟った者はない。
七四、この先はどうか速かに心のほこりを打ち払い、真実に胸の中を清く澄み切らせるように段取りして貰いたい。
七五、七六、世界中の人間は数多く、又いろいろの人があるから、これを全部澄ます事は容易な事ではないが、人々が各自に自分自身の心を澄まして親神の真実の心を悟り、これに添うようにつとめれば出来ない事はない。
七七、人間の心が澄み、悟りが開けて来たならば、自ら親神の真意も了解出来るようになってくる。
八一、今までは何事も分らなかったが、この度は教のしよ光があらわれ、だんだん親神の真実が分りかけてきた。
八二、心を澄ましてこの細道をだんだん慕うて行くならば、おのずから道が展けて往還に達することが出来る。
八三、これまでは親神がまだ真実の道を教えておかなかったから、人々の通って来た道筋を見ると、親神の教を知るも知らぬも区別のない、さっぱり順序も何も分らぬ暮しをしていたのである。
八四、今までは人間のちえや力のはびこっていた事もあったが、今後親神の教が行きわたってさえ来たならば、悲しみや苦しみは影をひそめてしまって、皆親神の意図通りの陽気ぐらしをするようになる。
註 第二号四七註、第三号八六註参照。
八五、この世の元初りの根本を了解させよう。力の限りやってみるがよい。
八六、この根本の理を悟りさえしたならば、どんな者でもこれにかなう者はない。
八七、しかと聴いて置け。口で言うても又心で思うただけでも、又どのような遠方で言おうが、見えない所で思おうが、親神は見抜き見通しであって、皆夫々に見分している。
八八、親神はその見分け通り、それに応じて如何なかやしもするが、若し人間が親神のいう事為す事に対して、とやこう疑うてみたり危んだりののしったりするようでは、親神もやはりその言葉通り思い通りに、そのかやしとして身の中の守護を止めてしまうが承知か。よくここを思案せねばならぬ。

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posted by 朱夏 at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月19日

おふでさき第四号。

おふでさき第四号は、明治7年4月にお記し下さいました。
134首あり、教祖(おやさま)77歳の御時です。

おふでさき第四号では、証拠守りを下附される旨が記されています。
また「元はじまり」について、おふでさきでは最初のお話が記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。




<おふでさき第四号>
001 いまのみちなんのみちやとをもている なにかわからんみちであれども
002 このさきハをふくハんみちがみへてある もふあこにあるこゝいきたなり
003 このひがらいつの事やとをもている 五月五日にたしかでゝくる
004 それよりもをかけはぢまるこれをみよ よるひるしれんよふになるぞや
005 たん/\と六月になる事ならば しよこまむりをするとをもへよ
006 それからハたん/\ふしんせきこんで なにかいそがし事になるなり
007 これからハ神の心ハにち/\に せきこみあるとをもいこそしれ
008 いかほどのをふくせきこみあるとても くちではなにもゆうでないぞや
009 このさきハをふくみへくる人ゞを はやくしらしてをことをもゑど
010 だん/\とめつらし人がみへてある たれがめへにもこれがみゑんか
011 これからのあとなるはなし山/\の みちをみていよめづらしきみち
012 をもしろやをふくの人があつまりて 天のあたゑとゆうてくるぞや
013 にち/\にみにさハりつくまたきたか 神のまちかねこれをしらすに
014 だん/\とつとめのにんぢうてがそろい これをあいつになにもでかける
015 にち/\の神の心わだん/\と 上の心にはやくみせたら
016 上たるわなにもしらずにとふぢんを したがう心これがをかしい
017 にち/\に神の心のせきこみハ とふぢんころりこれをまつなり
018 いまゝでのうしのさきみちをもてみよ 上たるところみなきをつけよ
019 これさいかみなみへきたる事ならば せかいの心みないさみくる
020 なにゝてもせかいの心いさむなら 神の心もみないさむなり

〜内容の区切りと思われる〜

021 けふの日ハいかなるみちとをもうかな めづらし事がみゑてくるぞや
022 だん/\になにかの事もみへてくる いかなるみちもみなたのしめよ
023 にち/\によふきづとめのてがつけば 神のたのしゆみいかほとの事
024 はや/\とつとめのにんぢうまちかねる そばな心わなにをふもうや
025 いかなるのやまいとゆうてないけれど みにさわりつく神のよふむき
026 よふむきもなにの事やら一寸しれん 神のをもわくやま/\の事
027 なにもかも神のをもハくなにゝても みなといたなら心いさむで
028 だん/\になにもをもハくときゝれば みのうちよりもすゝやかになる
029 またさきのよふきづとめをまちかねる なんの事ならかぐらつとめや
030 せかいぢうをふくの人であるけれど 神の心をしりたものなし
031 このたびハ神の心のしんぢつを なにかいさいをみなをしゑるで
032 なにゝても神一ちよをしりたなら からにまけそな事ハないぞや
033 このさきハからとにほんをすみやかに だん/\ハけるもよふばかりを
034 これさいかはやくわかりた事ならば 神のざんねんはれる事なり
035 しんぢつの神のざんねんはれたなら せかいの心みないさみでる
036 だん/\とせかいぢううをしんぢつに たすけるもよふはかりするぞや

〜内容の区切りと思われる〜

037 そのゝちハやまずしなすによハらすに 心したいにいつまでもいよ
038 またさきハねんけんたちた事ならば としをよるめハさらにないぞや
039 いまゝでハなにの事でもしれなんだ これからさきハみなをしゑるで
040 いまてハなみなの心とうちなるの 心かをふいちがいなれども
041 あすにちハなんでもたのみかけるでな 神のいぢよにつかねばならん
042 にち/\にみにさハりつくとくしんせ 心ちがいを神がしらする
043 めへ/\のみのうちよりもしやんして 心さだめて神にもたれよ
044 なにゝても神のをもわくふかくある そばなるものハそれをしらすに
045 けふまでハなによのみちもみへねども はやくみゑるでしやんさだめよ
046 このみちをはやくしらそとをもへども さとりがのふてこれがむつかし
047 たん/\とふでにしらしてあるけれど さとりないのが神のざんねん
048 なにゝても神のゆう事しかときけ みなめゑめの心しだいや
049 しんぢつに心いさんでしやんして 神にもたれてよふきづとめを
050 このはなしなにの事やとをもうなよ こゑ一ぢよのはなしなるぞや
051 こへやとてなにがきくとハをもうなよ 心のまことしんぢつがきく
052 しんぢつの心みさだめついたなら いかなしゆこふもするとをもゑよ
053 しかときけよろつの事をみなをしへ どこにへだてわさらにないぞや

〜内容の区切りと思われる〜

054 どのよふなところの人がでゝきても みないんねんのものであるから
055 にんけんをはじめだしたるやしきなり そのいんねんであまくたりたで
056 このさきハせかいぢううを一れつに たすけしゆごふをみなをしゑるで
057 だん/\とよろづたすけをみなをしへ からとにほんをわけるばかりや
058 にち/\にからとにほんをわけるみち 神のせきこみこれが一ぢよ
059 このみちをはやくわけたる事ならば あとのよろづハ神のまゝなり
060 けふの日ハなにかめづらしはじめだし よろづいんねんみなついてくる
061 いんねんもをふくの人であるからに とこにへだてハあるとをもうな
062 このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり
063 いちれつのこともがかハいそれゆへに いろ/\心つくしきるなり
064 このこともなにもをしへてはや/\と 神の心のせきこみをみよ
065 だん/\とこどものしゆせまちかねる 神のをもわくこればかりなり
066 こどもさいはやくをもていだしたなら からをにほんのぢいにするなり
067 しんぢつにこどもの心しかとせよ 神の心ハせくばかりやで
068 にち/\に神のせきこみこのなやみ はやくたすけるもよふしてくれ
069 うちなるハ上をふもふていづみいる こわみないぞや神のうけやい
070 いまゝでとみちがかわりてあるほどに はやくせきこみをふくハんのみち

〜内容の区切りと思われる〜

071 このみちハいつの事やとをもている はやくてゝみよもふいまの事
072 だん/\とふてにしらしてあるほどに はやく心にさとりとるよふ
073 これさいかはやくさとりがついたなら みのうちなやみすゞやかになる
074 つとめても初てをどりまたかぐら 一寸のほそみちつけてあれども
075 だん/\とくさがしこりてみちしれす はやくほんみちつけるもよふを
076 にち/\に心いさんでせきこめよ はやくほんみちつけた事なら
077 しんぢつにこのほんみちがついたなら すへハたのもしよふきづくめや
078 村かたハなをもたすけをせへている はやくしやんをしてくれるよふ
079 せかいぢう神のたあにハみなわがこ 一れつハみなをやとをもゑよ
080 せかいぢうせきゝよとしてはちめかけ といてきかするきゝにいくなり
081 いかほどにみゑたる事をゆうたとて もとをしらねばハかるめハなし
082 だん/\とない事ばかりゆてをいて それでたならばこれがまことや
083 一れつに神にもたれるこのこども はやくをもていでるもよふせよ
084 しんぢつにをもてゞよふとをもうなら 心しづめてしんをたづねよ
085 このこどもしんぢつよりもむねのうち みさだめつけばいかなもよふも
086 にち/\に神の心わせきこめど こともの心わかりないので
087 こともでも一寸の人でハないからに をふくのむねがさらにハからん

〜内容の区切りと思われる〜

088 いまゝでハがくもんなぞとゆうたとて みゑてない事さらにしろまい
089 このさきハみへてない事だん/\と よろづの事をみなといてをく
090 これからハこのよはじめてないつとめ だん/\をしへてをつけるなり
091 このつとめせかいぢううのたすけみち をしでもものをゆハす事なり
092 にち/\につとめのにんぢうしかとせよ 心しづめてはやくてをつけ
093 このつとめなにの事やとをもている せかいをさめてたすけばかりを
094 このみちがたしかみゑたる事ならば やまいのねゑわきれてしまうで
095 しんぢつの心しだいにいづかたも いかなしゆごふもせんとゆハんで
096 いまのみち神のせきこみうちなるハ あんぢないぞやしかとみていよ
097 これまでとみちがかわるとゆうてある 神ハちごふた事ハゆハんで
098 このさきハ神の心のせきこみを くちでハどふむゆうにゆハれん
099 いかほどにむつかし事とゆふたとて とかすにいてハわかるめハなし
100 にち/\に神のをもわくだん/\と といてをくぞやこれきいてくれ
101 このみちハなにかむつかしめつらしい みちであるぞやたしかみていよ
102 このみちをとふりぬけたらそのさきハ からハにほんのぢいにしてある
103 からのぢをにほんぢいにしたならば これまつだいのいきどふりなり
104 このよふを納も上天もかみ 上と神との心わけるで
105 だん/\とみゑん事をばゆてをいて さきでみゑたらこれが神やで
106 いかほどにみゑたる事をゆうたとて さきでみゑねはわかりあるまい

〜内容の区切りと思われる〜

107 これからハせかいぢううのむねのうち 上下ともにわけてみせるで
108 これをみよせかいもうちもへたてない むねのうちよりそふぢするぞや
109 このそふぢむつかし事であるけれど やまいとゆうわないとゆてをく
110 どのよふないたみなやみもでけものや ねつもくだりもみなほこりやで
111 このよふを初てからになにもかも 上ゑをしへた事ハあるまい
112 このたびハなにかよろづを上たるゑ しらしてをいた事であるなら
113 それからハなかにハしやんするもあろ みなよりよふてはなししたなら
114 そのなかにしんぢつ心たのもしい をもてしやんをするものもある
115 このみちを上ゑとふりた事ならば 神のぢうよふすぐにあらわす
116 このよふを初た神のぢうよふを みせたる事ハさらにないので
117 なにゝてもしらんあいだハそのまゝや 神のぢうよふしらしたるなら
118 これきいてみな一れつわしやんせよ なにかよろつハ心しだいや
119 けふの日ハなにがみへるやないけれど 六月をみよみなでかけるで
120 いまゝでハ高い山やとゆうている たにそこにてハしけんばかりを
121 これからわ高山にてもたにそこも もとはじまりをゆうてきかする
122 このよふのはぢまりだしハとろのうみ そのなかよりもどちよばかりや
123 このどぢよなにの事やとをもている これにんけんのたねであるそや
124 このものを神がひきあけくてしもて だん/\しゆごふにんけんとなし
125 それよりも神のしゆことゆうものわ なみたいていな事でないぞや
126 このはなし一寸の事やとをもうなよ せかい一れつたすけたいから
127 にち/\に神の心のしんぢつわ ふかいをもわくあるとをもへよ
128 いまゝでハにほんかからにしたごふて まゝにしられた神のざんねん
129 このかやし神のはたらきこれをみよ いかなものでもまねわでけまい
130 いかほどのごふてきたるとゆうたとて 神がしりぞくこれかないまい
131 なにゝてもみな一れつハこのどふり 神がぢうよふするとをもゑよ
132 しやんせよハかいとしよりよハきでも 心しだいにいかなぢうよふ
133 いまゝでもをなぢくらしていたるとも 神のぢうよふしりたものなし
134 これからハよろづの事をみなとくで 心ちがいのないよふにせよ



<おふでさき註釈>
一、二、この道は、今の処細い道で人目にはたよりないように思うであろうが、行く先には確かな大道が見えてある。しかも、それそこにあるというている中に、もう目の前へ現れて来た。
三、註 三昧田でお作らせになっていたかぐら面が出来上がって迎えにお出でになったのが、明治七年六月十八日で、陰暦の五月五日にあたる。又、明治七年陰暦四月の頃、山沢良助、山中忠七の両名病を得て病臥中であった。又三昧田村の前川半三郎の妻たきが、当時手足の不自由を覚えて、ほとんどいざりのような状態であったが、五月五日にはこれ等の人々が教祖様に教を乞い、おたすけを願いに出るぞと予め仰せられたのである。果してその日に到って、前記の三名がおぢばへ参って来た。
四、今後は親神の珍しいたすけを頂いて、ぢばにお礼参りするものが夜昼なしに出て来るようになる。
五、註 しよこまもりとは、証拠守りであって、親里であるぢばへ帰って来て願い出る者に、帰って来た証拠として与える神符で、これは明治七年六月から始められたものである。
六、註 ここに普請とは中山家の表門とそれにつづく教祖様のお住居と倉の建築である。この建築をなおも急き込まれたので、普請が始まると人々が集まって来て忙がしくなると仰せられたのである。
七、八、親神が如何に一列救済のために急き込むとはいえ、決して口に出してどうせいこうせいと指図はしない。
九、この道が、次第に世の中にひろまって往還の道となり、沢山の人々がぢばをさして慕い来る中に、よふぼくたるべき人々をそばな者に知らして置こうと思うが、恐らくは信じないであろう。
一一、これからも説いて聞かせるが、親神の話には決して偽りはない、次々に現れて来る珍しい道を楽しみにして待っているがよい。
一二、ぢばの理があらわれ親神の意図が了解されると、多くの人々が集まって天の与えを頂きたいと、口々にその徳をたたえてぢばに詣って来るようになる。
一三、身に障りを受ける度毎にぢばに帰って来るが、時が過ぎると忘れて了う。親神がかくも再々身に知らせるのは神のよふぼくに使わうと思うて待ちかねているからであるのに、その心も知らずにうかうかとしている。
一四 つとめ人衆がだんだんそろうたならば、これを合図によろづたすけの道に出かける。
註 つとめのにんぢうは、第六号三〇註参照。
一五、日々にたすけ急き込む親神の心を、早く上に立つ人々に知らせたら、この道は世の中に広く行われるようになる。
一六、上層に在って指導の任に当っている人々は、何も知らずに未だ親神の教を知らない者をまねて、そのいうままに従っているが、その心根は真に不びんである。
註 とふぢんは、次に御教を聞く者。従って未だ神意を解しない者の意。第二号四七註、第三号八六註参照。
一七、日々親神の急き込んでいる事は、未だ親神の教を知らない者達も、すっきりと心を入れ替えて、神意を悟るようになる事であって、その日の早く来るのを待っている。
註 ころりは、速にすっきり心を入替える意。
一八、従前に流行した牛疫のあさましい状態をよく考えて見よ。上に立つ人々が、親神の心を悟らずただ人間思案にのみ流れていたので、悪疫が流行したのであるから、皆よく気をつけるようにせよ。
註 うしのさきみち 古老の言によれば、大和地方に嘗て急性の牛疫流行してまたたく間に多くの牛がたおれ、その翌年になって疫病しょうけつを極めたという事である。
うしとは、その牛疫の意であって、さきみちは、先触れの意。
一九、この道が人々によく解るようになれば、世の中の人々の心は皆勇んで来る。
二一、今日の日をどういう道と思うているか、うかうかとする時ではない。珍らしい事が眼の前に見えて来る。
二二、日を追うて親神の意図通りの道があらわれて来るから、現在はどのように苦しい道であっても心をいずまさずに、皆将来を楽しみにして通るがよい。
二三、二四、親神の望んでいるよふきづとめの手を、皆の者が日々に覚えてくれたら、親神はどれ程うれしい事であろう。こうしてつとめ人衆の集って来るのを、一日も早くと待っている親神のこの心を知らずにそばな者は一体何を考えているのか。
二五、病気というものはこの世に無いはずであるが、身上に悩みを覚えるのは、親神の用向きに使いたい為の手引であるから、これを深く悟らねばならぬ。
二八、次々に親神の意中を説き切って知らせるが、これが人々に会得出来たら、自然に心も勇み身上も健やかになる。
二九、またそれから先は、よふきづとめを一日も早く手をそろえて勤めるようにと待ち設けているが、それはどのようなつとめかというと、かぐらづとめである。
三二、何事についても、人々が神一条の真実の話を本当に悟り得たならば、親神の教を未だ知らない人間思案なぞにままにされそうな筈はない
三三、今後は親神の教を知ると知らぬの順序を分けて、次第に一列の人心を澄ます段取をする。
三四、三五、この順序さえ人々によく悟りがついたならば、親神の遺憾としていた処も除かれ、心もはればれするから、世界の人々の心も自然と勇み出て来るようになる。
三六、親神は一列人間を救けたいとの一心であるから、これからは世界中を真実にに救ける段取ばかりに取掛かる。
註 たすけるもよふとは、かんろだいを建て、たすけづとめであるかんろだいづとめを勤める準備を仰せになっている。次歌参照。
三七、その後は病気もせず、死にもせず、老衰もせずに、いつまでも思うがままに楽しい生活をするがよい。
註 いつまでもは、第三号一〇〇註参照。
三八、そればかりでなく、だんだん年限が経って人々の心が澄切ったならば、何時々々までも若々しい元気で働けるように守護する。
四〇、四一、今までは内の者の心と皆の者の心とが違うたが、今後は皆そろうて親神のいう通りに専念せねばならぬ。
註 当時は未だ本教草創の時であって、内の者も皆の者も、親神様のたすけ一条、つとめ一条をお急き込みになる真意を十分了解する事が出来ず、従って、それぞれに意見が相違していたが、今後はそうした人間心を去って、皆そろうて親神様の仰せ通りにたすけ一条にまい進せねばならぬ。
神のいぢよは、神の言い条、言い分の意。
四四、そばな者に身上に知らしてあるのは、親神の深い考があっての事である。それを単に病気とばかり考えているが、それよりも根本に立かえって悟るがよい。
四五、今日までは、どういう道もまだ見えて来ていないので、本真実の教を深く信じる者も無かったが、これからは直ぐに心次第の理が現れて来るから、よく思案して心定めをするがよい。
四六、このたすけ一条の道を早く世の中へ知らせて、陽気ぐらしをさせてやりたいけれども、人間心が邪魔をして親神の意中を悟れないから、その実現は中々むつかしい。
四七、だんだんと将来の事をこの筆先に知らせてあるけれども、そばな者が一向その真意を悟ってくれないというのは、はなはだ親神のもどかしく思う所である。
註 ふでにしらしては、筆先に知らせる意。
四九、しんから心勇んで神一条の理を悟り一切万事人間心を捨て、親神にもたれてよふきづとめをするがよい。
五〇、今話しようとするのは外の事ではない。肥一条の話である。
註 おぢばで行われるよろずたすけのおつとめの一つに、肥のつとめがある。肥のつとめとは、一座分、ぬか三斗、灰三斗、土三斗を合せてこれを百だの肥とし、甘露台に供えて祈願をする。これを頂いた人は、一だ分二だ分とその必要に応じ下附を受けて所有の耕地に施すのである。又肥のさづけ、というのはぬか三合、灰三合、土三合を神前に供え、肥のさづけを頂いた人がこのさづけを取次いで、田畑に置くと肥一だに相当する効験があるとお教え下された。
五一、肥というても、ぬかや土や灰が利くのではなくて、真心から親神にもたれるその誠が親神に通じてりやくとして現れるのである。
五四、何処の国からも多くの人がぢばを慕うて帰って来る事になるが、しかしそれ等は何れも親神の子供で、真実親子のいんねんから帰参するものであるから、決して偶然と思うてはならぬ。
五五、ぢばは人間宿し込みの親里である。その生れ故郷のいんねんを以て、親神が天降ったのである。
註 これ即ち、本教にいうぢばのいんねんである。本教の発祥は、この、ぢばの因縁と旬刻限の理及び、教祖魂の因縁の三つが一致した所にある。
五七、五八、次々によろずたすけのつとめを教え、理を説き聞かせて、親神の教を知ると知らぬの順序を明らかにする。日々親神の急込んでいる事はこの事ばかりである。
五九、この順序の道さえ早く明らかにする事が出来たならば、その後は万事親神が自由自在に守護する。
六〇、この度は何も彼も珍しいたすけ一条の道を始めかけて、この世の元初りの真実を説いて聞かせる。そうしたならば人間は皆親神の子供であるという事が分ってこの道について来る。
六一、多種多様のいんねんにより、人種を異にし境遇を異にしいるのではあるが、そのいんねんに応じて親神が守護を差別するものではない。又人々国々によって分け隔てをするものでもない。公平無私は親神の心である。
六二、六三、六四、一列は等しく親神の子供である、これ等一列の子供に何も彼も教え仕込んで、陽気な楽しい生活を送らせようとする、親神の心の急込みを悟るがよい。
六五 註 こどものしゆせとは、親神様の子供である人間が、だんだん親神様からお仕込を受け現世の欲を忘れて、どの様な理も悟れるようになる事をいう。
六六、人々の信仰が向上して、広くたすけ一条の活動をする事が出来るようになりさえすれば、今まで親神の真意の知られていなかった所へまでも、親神のたすけ一条の真実を普く行きわたらせて、一列挙って平和な陽気ぐらしの出来るように守護するであろう。これぞ親神の理想である。
註 第二号四七註、第三号八六註参照。
六七、子供達よ、本当にしっかりと心を定めて親神について来い。親神の心はただひたすらにたすけ一条を急き込んでいるものを。
六八、日々に親神が世界万人たすけの為に急き込んでいるこの心の中をば汲みとってよろずたすけの準備を急いで貰いたい。
六九、註 当時内部の人々は、官憲の干渉を恐れて信仰をはばかっていたが、決して心配する事はない、親神が確かに請け合うから安心してまい進せよ、と仰せられたのである。
七一、この往還道に出るのはいつの事かと思うているであろうが、遠い事ではない。もう今にも眼の前にあらわれて来る。
七二、七三、色々と筆先に知らせてあるから、早く心にこれを悟るようにせよ、親神の胸の中さえそれと汲み取ることが出来たら、身上の障りも治り心も晴れ晴れとする。
七四、七五、註 親神様は初はてをどり又かぐらづとめ、と段々に手をつけて、よふきづとめに掛る事を望んでおられたが、当時官憲の圧迫干渉により、又怠り勝な人間心から、信仰する人々の中には不安の念を起して引込み思案をし、又はけ怠して、あたかも細道の中に雑草がむらがって通路をふさぐような有様となっていた。これでは道遅れるばかりであるから、早く本当の道に出る用意をせよ。と仰せられたである。
七八、中でも村方は一日も早く救けたいと親神は急き込んでいるから、この親神の心を早く悟って貰いたい。
註 村かたは、旧庄屋敷村(現在教会本部所在地)の人々をいう。
七九、註 神のたあにハは、神にとってはの意。
八〇、八一、世界一般では説教として人の履み行うべき道を説いている。又聞きに行く者も沢山あるが、眼に見えた分りきった事を説教していても、元初りのいんねんを説かないから、心の底から了解できるはずはない。
八二、親神の話は、眼に見えぬ事や将来の事をいうのであるから、聞く人々の間には疑を持つ者もあろうが、それが事実となって現れたならば、これが何より真実の証拠である。
八三、肉親の親を慕うように、親神にもたれてついて来る一列の子供よ、早く明るい道に出るよう段取りをせよ。
八四、真実に明るい道に出ようと思うならば、心を静めてしんを尋ねよ。
註 しんとは、お道の真髄であって、教祖様はしんであり、又お屋敷のしんを定められたのは明治八年のぢば定めによってである。
八五、親神を慕うて救かりたいと望む子供の真実胸の中が、明らかに親神の見定める所となれば、どんなたすけの段取りもしてやろう。
八六、八七、親神の心は日々たすけ一条を急いでいるが、子供の心にはそれが分らないので困る。子供といっても少しの人数ではなく、多勢の事であるから、なおさら訳が分からず混とんとしている。
九〇、これからは、未だかつて見た事も無いこの世初って以来初めてのよふきづとめを、段々教え手を附けてこれを弘めるであろう。
九一、よふきづとめこそは、世界中の人々を真に救ける道であって、たとい、おしでも、つとめによって物を言わすように不思議なたすけをする。
九二、日々につとめ人衆の者はしっかりせよ、心を静めてよふきづとめの手を早く付けるようにせよ。
九三、このよふきづとめは何の為に始めるつとめと思うているか。世界の人々の心の中をすっきり洗い清めて救けてやろうとの一心から、親神が始めるつとめである。
九四、このたすけ一条の道が早く世にあらわれて、人々が信じるようになれば、病の元となるほこりの心が清められて、陽気ぐらしの世の中となる。
九五、真実の心次第でたれ彼の差別なく、どんな守護もして見せる。
九六、早く世の中にひろめようとして急き込んでいる今の道すがらを、内々の者はとやかくと心配するけれども、案じる事は要らん、確かと将来の様子を見ているがよい。
九八、九九、世界一列を救済しようとする親神の急き込みを、言葉で説明しよう としてもいうにいわれぬものがある。とはいえ、如何に難かしい事でもこれを説かなければだれも知る者はあるまい。
一〇〇、そこでなかなか口ではいい尽せない事ではあるが、段々と親神の意中を説いて置くから、皆これを聞いてよく思案せよ。
一〇一、この道は一寸には分りにくい難しい道ではあるが、真実に世に類いまれな結構な教であって、親神の説く所は必ず事実となって現れる末頼もしい道であるから、将来をしっかりと見ていよ。
一〇二、この道を通り抜けて、一列の人々の心を澄ましたならば、次に親神の真意を知るべき所へまでも普くたすけ一条の親心を行きわたらせ、豊かな神恩に浴させるようにしてある。
一〇三、次に親神の教の行きわたるべき所へまでもこの教がひろまって、一列人間が親神のたすけ一条の真実に目醒めるようになったならば、その喜びは生き生きと地上に満ちあふれて末代までもかわる事がない。
註 第二号四七註、第三号八六註、本号六六註参照。
一〇四、この世の現実を司るものもかみといい、天の親神もかみといい、その言葉は一つではあるが、その心は必ずしも常に同じではなく、現実を司るものの心と親神の心とは、人々の幸福を念じる点に於ては一つであっても、将来への見透しのあるなしについては同じではない、この区別を明らかにしよう。
一〇五、だんだんと人間の眼に見えぬような事まで話するが、それが将来に於て実現されて来るというのは、親神の話である証拠である。
一〇六、どれ程現在の事を偉そうにいうてみても、いうた事が先で現れて来ないようでは本当に物事が分っているとはいえまい。
一〇七、今後は上の者も下の者も差別なく是非善悪を明かにして、親神の真意を了解させるようにする。
一〇八、そのために、世間の人々も又内々の者も隔てなく、皆の胸の中をすっきり掃除するからよく見ているがよい。
一〇九、このように世界一列の胸の中を掃除するのは困難なようではあるが、これを身上に現してして見せる。であるから、身上を患うても、親神の手引であり意見であるから病気でないという事だけは前以ていうておく。
一一〇、どのような痛みも、苦悩も、でき物も発熱も、下痢も皆病気ではない、ほこりである。
一一一、この世人間を創造以来、無い人間無い世界を創めた親神の真実をまだ今日までは上に立つ人々に説いて聴かせた事はない。
一一二〜一一四、この度はもう時機が到来したから、親神の人間創造以来の真実を皆、上に立つ人々に教えて置こうと思う。そうしたならば、中にはこれについて深く考えをめぐらす者もあろうし、又皆寄り合うて話が出たならば、その中にはなる程これは真実頼もしい教であると悟る者もあるであろう。
一一五、この道が上に立つ人々に了解されさえしたならば、親神の自由自在の働きを直ぐにも現してみせる。
一一六〜一一八、この世界を創造した親神の自由自在の働きを、今までには知らした事も見せた事もないから、人々が何も知らぬのも無理はない。知らぬ間はそれでもよいが、一度親神が表へ現れて自由自在の働きをして見せたならば、これを聞いて一列の人間はよく思案するがよい。身上も、事情も一切万事は皆銘々の心次第の守護である。
一一九、今の処、何が見えて来るというのではないが、六月を見よ、珍らしい道が見えて来る。
註 明治七年六月から証拠守りをお出しになった。本号五参照。
一二〇、今日までは上流の人々は威張り次第であって、下流の人々は下積みになってほとんどい縮せんばかりになっている。
註 しけんばかりは、しけて終わんばかりの意であって、しけるとはい縮、いじける意。
一二一、さあこれから高山の者にも又谷底の者にも皆一様に、元初りをしっかり説いて聴かそう。
註 人間は皆、元初りは同一であって何の差別もないのであるが、上流に生れ下流に生れるというのは皆各々前生の実績の然らしめる処である。
一二二〜一二五、この世の初りは泥の海にもたとうべき混とんたる状態であって、その中にどじょうのようなものばかりが沢山いた。このどじょうのようなものを親神が泥海の中から引上げて、食べてしもうてこれを人間の子種として、段々守護して人間を創めたのであるが、こうして今日の人間と育て上げるまでの親神の苦心というものはなかなか容易なものではなかった。
註 この一れんの御歌の主旨は、神恩の偉大さと、一列兄弟の真実をお教え下されている。第六号二九〜五一参照。
一二六、人間を創め出したこの話は、かりそめの事と思うてはならぬ。世界一列の子供を救けたい為に、親神の意中を語るのであるから、よく心に聴いておかねばならぬ。
一二八、今までは親神の教が、却つてまだ親神の真意を知らない人間思案にままにされて来たが、これは親神の誠にもどかしく思うて来た処である。
註 第三号八六註参照。
一二九、このかやしは親神の働きでしてみせる。人間の力ではこのまねは出来まい。
一三〇、如何程の剛の者でも、もしも身の中から親神の守護が失せてしもうたら、力を出す事はもちろん、動く事さえもかなわぬようになるであろう。
一三一、何事につけても世界一列は皆この道理で、親神が自由自在に守護しているのである。この事をよく納得するがよい。
一三二、親神の自由自在の働きを深く思案せよ。若い者も、年寄りも、又どのような弱い者でも、各々の心次第でどんな守護もしてやろう。
一三三、この教を説き始めるまでも、同じく親神の守護によって暮していたのであるが、説いて聴かさなかったからして、だれ一人として親神の自由自在の働きを知った者はいなかった。
一三四、親神が表に現れた以上は、万事万端の理を説くから、皆々心得違いの無いようにせよ。

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posted by 朱夏 at 15:11| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月07日

おふでさき第三号。

おふでさき第三号は、明治7年1月にお記し下さいました。
149首あり、教祖(おやさま)77歳の御時です。

おふでさき第三号では、天理教教理の中心思想とも言うべき内容が記されています。
「たすけ一条」の道を進めていく上で、屋敷、ぢば、人の心を人間思案や人間のしがらみが無いように掃除しなければならない旨が記されています。
また、真柱を定めることが記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第三号>
1 このたびハもんのうちよりたちものを はやくいそいでとりはらいせよ
2 すきやかにそふぢしたてた事ならば なハむねいそぎたのみいるそや
3 しんぢつにそふぢをしたるそのゝちハ 神一ぢよで心いさむる
4 だん/\とせかいの心いさむなら これがにほんのをさまりとなる
5 いまゝでハなによの事もハかりない これからみゑるふしぎあいづが
6 こんものにむりにこいとハゆうでなし つきくるならばいつまでもよし
7 これからハ水にたとゑてはなしする すむとにごりでさとりとるなり
8 しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい
9 このはしらはやくいれよとをもへども にごりの水でところわからん
10 この水をはやくすまするもよふだて すいのとすなにかけてすませよ
11 このすいのどこにあるやとをもうなよ むねとくちとがすなとすいのや
12 このはなしすみやかさとりついたなら そのまゝいれるしんのはしらを
13 はしらさいしいかりいれた事ならば このよたしかにをさまりがつく
14 このはなしさとりばかりであるほどに これさとりたらしよこだめしや
15 このよふのにんけんはじめもとの神 たれもしりたるものハあるまい
16 どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ それがたん/\さかんなるぞや
17 このたびハたすけ一ぢよをしゑるも これもない事はしめかけるで
18 いまゝでにない事はじめかけるのわ もとこしらゑた神であるから

〜内容の区切りと思われる〜

19 にち/\に神のはなしがやま/\と つかゑてあれどとくにとかれん
20 なにゝてもとかれん事ハないけれど 心すましてきくものハない
21 すみやかに心すましてきくならば よろづのはなしみなときゝかす
22 このよふのたしかためしかかけてある これにまちがいないとをもゑよ
23 このためしすみやかみゑた事ならば いかなはなしもみなまことやで
24 なにもかもいかなはなしもとくほどに なにをゆうてもうそとをもうな
25 めへにめん神のゆう事なす事わ なにをするとも一寸にしれまい
26 はや/\とみへるはなしであるほどに これがたしかなしよこなるぞや
27 これをみてなにをきいてもたのしめよ いかなはなしもみなこのどふり
28 人のものかりたるならばりかいるで はやくへんさいれゑをゆうなり
29 子のよなきをもふ心ハちがうでな こがなくでな神のくときや
30 はや/\と神がしらしてやるほどに いかな事でもしかときゝわけ
31 をや/\の心ちがいのないよふに はやくしやんをするがよいぞや
32 しんぢつに人をたすける心なら 神のくときハなにもないぞや
33 めへ/\にいまさいよくばよき事と をもふ心ハみなちがうでな
34 てがけからいかなをふみちとふりても すゑのほそみちみゑてないから
35 にんけんハあざないものであるからに すゑのみちすじさらにわからん
36 いまの事なにもゆうでハないほどに さきのをふくハんみちがみへるで
37 いまのみちいかなみちでもなけくなよ さきのほんみちたのしゆでいよ
38 しんぢつにたすけ一ぢよの心なら なにゆハいでもしかとうけとる
39 口さきのついしよはかりハいらんもの しんの心にまことあるなら
40 たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ
41 にんけんハみな/\神のかしものや なんとをもふてつこているやら
42 ことしにハめつらし事をはじめかけ いまゝでしらぬ事をするぞや
43 いまゝでハなによの事もせかいなみ これからわかるむねのうちより
44 このたびハたすけ一ちよにかゝるのも わがみのためしかゝりたるうゑ
45 たすけでもをかみきとふでいくてなし うかがいたてゝいくでなけれど
46 このところよろつの事をときゝかす 神いちじよでむねのうちより
47 わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる

〜内容の区切りと思われる〜

48 高山ハせかい一れつをもうよふ まゝにすれともさきハみゑんで
49 だん/\とをふくよせたるこのたちき よふほくになるものハないぞや
50 いかなきもをふくよせてハあるけれど いがみかゞみハこれわかなハん
51 せかいぢうむねのうちよりしんばしら 神のせきこみはやくみせたい
52 せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ 神がほふけやしかとみでいよ
53 これからハ神がをもていあらわれて 山いかゝりてそふちするぞや
54 いちれつに神がそふちをするならば 心いさんてよふきつくめや
55 なにもかも神がひきうけするからハ どんな事でもぢうよぢさを
56 このたびハうちをふさめるしんばしら はやくいれたい水をすまして
57 高山のしんのはしらハとふじんや これが大一神のりいふく
58 上たるハだん/\せかいまゝにする 神のざんねんなんとをもうぞ
59 いまゝでハなにをゆうてもみへてない もふこのたびハせへつうがきた
60 これからハよふきづとめにまたかゝる なんの事やら一寸にしれまい
61 今までもしりてはなしてはなしとも といてあれどもなんの事やら
62 これまでハいかなはなしをといたとて ひがきたらんでみへてないぞや
63 これからわもふせへつうがきたるから ゆへばそのまゝみへてくるぞや
64 しかときけ三六二五のくれやいに むねのそふぢを神がするぞや
65 しやんせよなんぼすんだる水やとて とろをいれたらにごる事なり
66 にごり水はやくすまさん事にてわ しんのはしらのいれよふがない
67 はしらさいはやくいれたる事ならば まつたいしかとをさまりがつく
68 このよふをはじめた神のしんぢつを といてきかするうそとをもうな
69 いまゝでもしんがくこふきあるけれど もとをしりたるものハないぞや
70 そのはづやどろうみなかのみちすがら しりたるものハないはづの事
71 これまでハこのよはじめてない事を たん/\といてきかす事なり
72 なにもかもない事はかりとくけれど これにまちごた事ハないぞや

〜内容の区切りと思われる〜

73 十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ
74 このあいだしんもつきくるよくハすれ にんぢうそろふてつとめこしらゑ
75 にち/\に神の心のせきこみハ ぢうよじざいをはやくみせたい
76 これからハにんぢうそろをてつとめする これでたしかににほんをさまる
77 しんぢつにたすけ一ぢよてあるからに なにもこわみハさらにないぞや
78 なにもかもたすけ一ぢよとめるなら 神のさんねんみにさハりつく
79 しやんせよ万たすけのこのもよふ にんけんハざとさらにをもうな
80 いまゝでハなにかよろづがハからいで みなにんけんの心ばかりで
81 これからハ神の心と上たるの 心と心のひきやハせする
82 このはなし一寸の事やとをもうなよ 神がしんぢつみかねたるゆへ
83 これからハ神のちからと上たるの ちからくらべをするとをもへよ
84 いかほどのごふてきあらばだしてみよ 神のほふにもばいのちからを
85 しんぢつの神がをもていでるからハ いかなもよふもするとをもゑよ
86 いまゝでハからがにほんをまゝにした 神のざんねんなんとしよやら
87 このさきハにほんがからをまゝにする みな一れつハしよちしていよ
88 をなじきのねへとゑだとの事ならバ ゑだハをれくるねハさかいでる
89 いまゝでわからハゑらいとゆうたれど これからさきハをれるはかりや
90 にほんみよちいさいよふにをもたれど ねがあらハればをそれいるぞや
91 このちからにんけんハさとをもハれん 神のちからやこれハかなわん

〜内容の区切りと思われる〜

92 このよふハにぎハしくらしいるけれど もとをしりたるものハないので
93 このもとをくハしくしりた事ならバ やまいのをこる事わないのに
94 なにもかもしらずにくらすこの子共 神のめへにハいぢらき事
95 なにゝてもやまいとゆうてさらになし 心ちがいのみちがあるから
96 このみちハをしいほしいとかハいと よくとこふまんこれがほこりや
97 このよふのにんけんハみな神のこや 神のゆう事しかときゝわけ
98 ほこりさいすきやかはろた事ならば あとハめづらしたすけするぞや
99 しんぢつの心しだいのこのたすけ やますしなずによハりなきよふ
100 このたすけ百十五才ぢよみよと さだめつけたい神の一ぢよ
101 にち/\に神の心のせきこみを そばなるものハなんとをもてる
102 上たるをこわいとをもていすみいる 神のせきこみこわみないぞや
103 むねあしくこれをやまいとをもうなよ 神のせきこみつかゑたるゆへ
104 たん/\と神の心とゆうものわ ふしぎあらハしたすけせきこむ
105 このふしきなんの事やとをもている ほこりはろふてそふぢしたてる
106 あとなるにはやくはしらをいれたなら これでこのよのさだめつくなり

〜内容の区切りと思われる〜

107 このはなしはやくみへたる事ならば いかなものでもみなとくしんせ
108 いまゝでハしよこためしとゆへあれど かんろふだいもなんの事やら
109 このものを四ねんいせんにむかいとり 神がだきしめこれがしよこや
110 しんぢつにはやくかやするもよふたて 神のせきこみこれがたい一
111 これまでハぢうよじざいとまゝとけど なにもみへたる事わなけれど
112 これからハいかなはなしもときをいて それみゑたならじうよぢざいや
113 いまゝでの事ハなんにもゆてくれな 廿六日にはじめかけるで
114 これからハせかいの心いさめかけ にほんをさめるもよふするぞや
115 にんけんの心とゆうハあざのふて みへたる事をばかりゆうなり
116 これからハない事ばかりといてをく これからさきをたしかみていよ
117 どのよふな事もたん/\ゆいかける みへたる事ハさらにゆハんで
118 このよふをはじめた神のしんばしら はやくつけたい神の一ぢよ
119 めへにめん神のゆう事なす事を たん/\きいてしやんしてみよ
120 いまのみち上のまゝやとをもている 心ちがうで神のまゝなり
121 上たるハせかいぢううをまゝにする 神のざんねんこれをしらんか
122 これまでハよろづせかいハ上のまゝ もふこれからハもんくかハるぞ
123 このよふをはじめてからハなにもかも といてきかした事ハないので
124 上たるハせかいぢううをハがまゝに をもているのハ心ちかうで
125 高山にそだつる木もたにそこに そたつる木もみなをなじ事
126 にんけんハみな/\神のかしものや 神のぢうよふこれをしらんか
127 いちれつハみな/\わがみきをつけよ 神がなんどきとこへいくやら

〜内容の区切りと思われる〜

128 一寸はなし神の心のせきこみハ よふぼくよせるもよふばかりを
129 たん/\とをふくたちきもあるけれど どれがよふほくなるしれまい
130 よふぼくも一寸の事でハないほどに をふくよふきがほしい事から
131 にち/\によふほくにてわていりする どこがあしきとさらにをもうな
132 をなじきもたん/\ていりするもあり そのまゝこかすきいもあるなり
133 いかなるのぢうよじざいのこのためし ほかなるとこでさらにせんぞや
134 いまゝでもためしとゆうてといたれど もふこのたびハためしをさめや
135 たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ
136 このたびハ神がをもていでゝるから よろづの事をみなをしへるで
137 めへ/\のみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん
138 しやんせよやまいとゆうてさらになし 神のみちをせいけんなるぞや
139 一寸したるめへのあしくもできものや のぼせいたみハ神のてびきや
140 いまゝでハ高い山やとゆうたとて よふほくみへた事ハなけれど
141 このさきハ高山にてもたん/\と よふぼくみだすもよふするぞや
142 いちれつにはやくたすけるこのもよふ 上下ともに心いさめで
143 にち/\にせかいの心いさむなら ものゝりうけハみないさみでる
144 なにゝてもたすけ一ちよであるからに むほんねへをはやくきりたい
145 いまのみちほこりだらけであるからに ほふけをもちてそふぢふしたて
146 あとなるハみちハひろくでごもくなし いくたりなりとつれてとふれよ
147 二二の二の五つにはなしかけ よろついんねんみなときゝかす
148 高山のせきゝよきいてしんしつの 神のはなしをきいてしやんせ
149 にち/\に神のはなしをたん/\と きいてたのしめこふきなるぞや



<おふでさき註釈>
第三号
一、この度は屋敷の内から、道の発展上邪魔になる建物を急いで取り払うて了え。
註 親神様は、教祖様のお住いになる建物の建築を急き込まれた。そこでこの年には先ず門とそれに続いた住居と倉の建築を始められた。それには屋敷内の地取りをせねばならぬが、その当時屋敷内には邪魔になる建物があったので、それを取り払うて早く屋敷の掃除をするようにと急がれたのである。
二、速やかに残る隈なく屋敷の掃除が出来たならば、なわむねを急いで張るように。
註 なハむねは、建築をする場合になわを張って其の位置を示すもの。こうして新しく建築せられた建物は、明治八年しゅん工し、教祖様は同年から十六年まで、そこで教を説かれ、その後久しい間運び場所となっていた。中南の門屋と呼ばれていた建物が即ちこれである。
三、真実に掃除が奇麗に出来たならば、そのあとは道一筋になって心が自然と勇んで来る。
四、次第にこの道がひろまり世間一般の人々の心が勇んで来ると、親神の真意が人々の心に行きわたって、これでにほんは円く治まるようになる。
五、これまでは何彼につけて、親の心を悟る事が出来なかったであろうが、今後は不思議な合図が現れて来るから、それによってよく親神の意のある所を了解するがよい。
六、註 信教は人々の自由であるから、この教に帰依する事を好まぬ者に強いて信仰せよとは決していわぬ。慕うて来る者は末代までも安心の道が得られる、と仰せられたのである。
七、これからは水を例にとって教を説き諭しするが、水が澄んであるとは、人々の心にほこりが無くて奇麗な事であり、濁ってあるとは人々の心にほこりが積っている事であるから、それによって各々に悟るがよい。
八、親神が心から急き込んでいるのは、一日も早く中心を定めたいという事である。
註 しんのはしらとは、中心柱の意であって、元来は建築上の用語である。故にすべて、しんとなるものをいうておられる。本教では、おつとめの時はかんろだいをさし、人の時にはこの道の中心になられる方をさし、心の時には中心思想をいう。即ち人類創造の理を現し、たすけ一条の信仰の中心地点を示すかんろだいを、「にほんのしんのはしら」と仰せになり(第八号八五参照)
本教の中心たるお方を「うちをふさめるしんばしら」と仰せになっている。(本号五六参照)
本歌はかんろだいづとめの完成を目指して、この双方にわたり建築確立をお急き込み下さっている。
九、この柱を早く入れたいと急いでいるが、皆の心が澄んでないので入れる事が出来ぬ。
註 当時、かんろだいの模型は出来て居たが、その立てられるべきぢばは未だ定まっていなかった。又親神様は中山家の後継者にしてお道のしんばしらたる可き人を、檪本の梶本家の三男真之亮様に決定しておられて、早くおぢばに定住させたいと思うておられたが、そばな者はこの親神様の胸の中を悟らず、各々勝手な考えを抱き、皆の者が一致していなかった事を仰せられたのであるという。
一〇、註 もよふだては、催合う立てで、皆の力を合わせて準備計画を急ぐ事。
すいのは、ろ水のうで水こしの事である。
一一、この水こしは何所にあるのでもない。各々の胸と口とが水こしである。即ち、悟り諭しによってよく心を治め思案して親神の意に順うがよい。
註 むねとくちとは、悟り諭しの意。
一二、この親神の話を早く人々が悟る事を得て、親神の意図に心を寄せるならば、すぐにも中心の柱を入れるであろう。
註 本号、八註参照。
一三、この柱さえぢばにしっかりとすえた事ならば、それでこの道の基礎が確立し次第に教化が世界に及んで世の中の治まりとなる。
一四、この道は諭し悟りの道であるから、このたとえ話をよく悟ることが出来てしんばしらが定り、かんろだいが建設され、人衆そろうてかんろだいづとめをする様になったならば、それで世の中が円満に治る様になる、という親神の意図が実證されるであろう。
一六、人間創造の当初、泥海中に於て月日二柱の親神様が、道具衆を引寄せて人間創造並びに生成の守護をお始めになってから、その霊妙なお働きによって遂に現在のような人間にまで発達したのである。(第六号二九〜五一参照)
二三、この試しが早く実際に現れて来たならば、親神の話はどんな事でも間違いの無い事が分る。
二四、今まで人の知らぬ、人間力では考えも及ばないような諭しもするがどんな事でも、親神のいう事を間違いと思うてはならぬ。
二五、人の眼に見えない親神のいう事する事であるから、なかなか容易すく悟る事も出来まいし、又今後どの様な事をするか一寸には分るまい。
註 めへにめんは、目に見えぬの意。
二六、親神の教えた事は速やかに現れて来るから、これが親神のいう事に間違いのない証拠である。
二七、この現れて来る証拠を見て将来を楽しめ、親神の諭しは万事この道理である。
三四、だれでも初めから楽な道を通りたがるのは、先に苦労の道があるのを知らないからである。
三五、人間というものは、心の浅はかなものであるから、将来どんな道筋を通らねばならんか、少しも知らない。
三六、三七、親神は現在の事のみを指していうのではないから、現在通っている道すがらがどんなに苦しくても、決して不足をしたりくどいたりしてはならない。将来は必ず大道が現れて来るから、それを楽しみに喜んで通るがよい。
三八、どうでも救けたいという心があるなら口に出していわなくとも、親神の方では必ずその心を受け取って、理に添うた守護をする。
四〇、四一、註 世の中のものは総て親神様のおつくり下されたもので、全宇宙は親神様のお身体である。従って人間も自分の力で出来たものではない。親神様のおつくり下されたものを親神様から貸して頂いて、この天地抱合せの親神様の懐である世界に、親神様の御守護によって生きているのである。
四二、註 明治七年陰暦五月には、三昧田へかぐら面を迎えにお出でになり、又一般の人々ばかりでなく高山の人々にもこの教を知らしたい、と十月にはにおいがけの為めに、仲田、松尾両名を大和神社に遣わされたその結果、神職とか官憲の注意をひく事になり、陰暦十一月十五日に山村御殿へお出掛け下されたのを初めとして、その後しばしば圧迫をこうむったが、親神様はこれをお道のひろまる一つの道筋として寧ろお望みになったのである。又、赤衣をお召し下されたのも、この年からである。(第五号五六、五七註参照)
四三、今までは何かにつけこの精神が分らなかったが、これから十分説き諭しをするから、はっきり分るようになる。
註 せかいなみは、親神様のお話を未だ聞いた事も無い世間一般の人々と同様に、の意。
四四、この度、たすけ一条の道に精進するのも、自分自身が試練に会うて、親神の霊験を体得したからである。
註 これは教祖様がたすけ一条の道を説かれるに当り、御自分の体験を基礎として人々をお救けになった事をおっしゃったもので、をびや許しも自らをびやためしを御体験の上、お出しになったのであり、又若井村の松尾市兵衞の病気をお救けに行かれた時は、三十八日間の絶食をして、食べたくとも食べられんような病気の苦しみをためしてからお出掛け下されたのである。
四五、人を救けるというても、今までのように単に拝んだり祈祷をしたり乃至は伺いをたてて救けるという訳ではないが。
四六、四七、このぢばは、神一条の理によって人間元初りからの親神の守護を委細説き聞かし、心の底から澄切らして救けるのであるから、親神の胸の中を自分の心に悟るようよく思案するがよい。人を救けたらその理によって我が身が救かるのである。
四八、何れの社会に於ても、上流の者は自分の都合のよいように我ままな振舞いをしているが、将来の事は分らないのである。
四九、註 よふぼくは、用木で親神様の御用に立つ者。
五〇、どのような種類の木も沢山に集めてあるが、ゆがんだり曲がったりしているのはとても間に合わない。
註 いがみかがみは、木にたとえて心のねじけて素直でない者をいわれたのである。
五一、世界中の人が心を入れ替えて、皆清々しいきれいな心になったならば、親神の望む陽気の世界になり、ぢばにかんろだいを建てるのである。親神は一刻も早くこれを人々に見せたいと急き込んでいる。
五二、そのためには、世界中の人々の胸を掃除せねばならぬ。それには親神が自らほうきとなって掃除するから、現れて来る理をしっかり注意して視ている様にせよ。
五三、今後は親神が表へあらわれて、上流の方面も心の掃除をする。
五四、世界一列を親神が掃除をして、人の心の入れ替えが出来たならば、平和な楽しい世の中となり、皆の心も勇んで陽気に暮せるようになる。
五六、この度は人々の心を澄まして中山家の後継者として、又道の中心たるべきしんばしらを早く入れたい。
註 うちをふさめるしんばしら 本歌御執筆の明治七年には、真之亮様は九歳になられ、御出生前からしんばしらの真之亮と呼ばれて将来中山家の後継者となり、又道の中心となられる事に定めておられた。そして真之亮様は早くからおぢばへ来ておられたが、一日も早くおぢばに定住させたい、とお急き込みになったのである。本教ではお道の中心と仰ぐ方を真柱様と申し上げる。(本号八註参照)
五七、上層にあって民衆指導の任に当っている人々の中心思想は、未だ親神の真意を悟らず人間思案に流れているが、これが何より親神のもどかしく思う所である。
註 これは当時の官憲の宗教信仰を理解しようともせぬ無理解な態度に対して、仰せられたものである。
高山とは、上流の人々、指導の責に任ずべき人々の意。
とふじんは、未だ親神の意中を知らぬ人々。(第二号四七註参照)
五八、上に立つ者の中には、世の中の総ての事柄が人間の力で左右出来るように思うて自ままな振舞いをする者もあるが、これはこの世を創造した親神の深い心を知らないからで、甚だ遺憾に思う所である。
五九、今までいろいろ説き聞かしても、未だ実際に見えて来なかったが、然し、もうこの度はだれにもよく分る時機が迫って来た。
註 せへつうは、時節の意。
六〇、これからはよふきづとめを又急き込むが、それはどういう訳であるか、一寸には分るまい。
六四、註 これは立教後三十六年某月二十五日の暮合に、お屋敷の掃除をしに来る者のある事を仰せられたのである。その頃は外からお屋敷の掃除をしに来る者などは余り無かったが、この日の暮れ方、龍田の与助という人の妻とよと、勘兵衞という人の母親フサとがお参りをして、お屋敷内にごみなどが散らかってあるのを見て、明けくれば二十六日でお祭日であるのにこんなにきたなくてはもっ体ないと、十分掃除をして帰った。これはその前の晩に前記与助の女房が非常に胸苦しくて困る所から、以前にもお参りした事のあるおぢばの神様へお参りして救けて頂こうと決心すると、胸の痛いのが忘れたようになおった。それでお礼参りをしたのである。これは一例を示されただけで今後は人々が胸の掃除をするよう、親神様がお手入れをして下さると教えられたのである。
六六、六七、皆の者の心を早く澄さなければ、信仰の中心であるかんろだいを建設し、又、道の中心になる者をぢばに定住させることが出来ない。これさえ早く出来たらこの道の基礎が確立するのである。
註 これはかんろだいのぢば定めと、お道の中心となられる初代真柱様をぢばに定住させたいという事を、お急き込みになったのである。(本号八、九、註参照)
六九、従来とても心学とか、古記とか人々はいうているけれども、この世の成立ちを本当に了解しているものはあるまい。
註 しんがくは、心学で、当時人々に喧伝せられた心学道話を指す。こふきは、ここでは古くからいい伝え或は書き記されている事の意。
七〇、人間創造の当初の事を人々が知らないのも道理、最初は泥海中の生活から、始まっているのであるから、その時分の事を知っている者は無いはずである。
七三、七四、註 このお歌は教祖様が現身をおかくしになることを示されたもので、教祖様御在世中は教祖様を目標として社会の迫害がだんだんと激しくなるので、かくては道が遅れるから、教祖様は二十五年の御寿命をお縮めになり姿をおかくし下され、世間の圧迫を少くして道をひろめるもよう立てをする。それまでに真柱も定まり、かんろだいも建設されるから、皆々の心を澄まして、早く人衆そろえてつとめごしらえに取掛かるようにせよ、とお諭しになったのである。しかし、当時の人々にはこれが分らず、後日のおさしづによって初めて深い親神様の思召しを悟り得たのであった。(天理教教義及び史料集成部編纂『おさしづ』第三百七十八頁参照)
さあ/\正月二十六日と筆につけておいて、始めかけた理を見よ。さあ/\又正月二十六日より、やしろの扉を開き、世界ろくぢに踏み均しに出て始めかけた理と、さあ/\取り払うと言われてした理と、二つ合わして理を聞き分けば、さあ/\理は鮮やかと分かるやろ、(明治二二、三、一〇)
七六、これからは人衆をそろえてかぐらづとめをすると、人々の心も澄切り親神の心も勇んで来るから、これで確に、にほん中の人心も円く治って来る。
七七、七八、註 この道は真実のたすけ一条の教であるから、早くこれをひろめる為に精進せよ、と親神様は急き込まれているのであるが、そばの人々は世間を憚り官憲を恐れてとかく引き込み勝ちであった。かくては道がおくれる一方であるから、このたすけ一条の働きを止めるならば、親神様の急き込みが、必ず身上の障りとなって現れるから、よく思案せよ、とそばの人々に諭されたのである。
七九、よく考えて見よ。よろづたすけのために親神が専ら心を尽しているこの段取りは、人間業では出来るものではない。それを今まで親神のする事が何も彼も分らないものであるから、人間心でこれを疑うていたのである。
八一、〜八五、註 このたすけ一条の道を早く弘めようと、親神様は急き込んでおられるけれども、当時の地方官憲がこの道に対する無理解から種々圧迫を加え、又それをそばの人々は気にして、とかく進取の気象に乏しかったのを、親神は見兼ねて、上の人々の無理解は真実にこの道の真髄を知らないがためであるから、今後上の方にも親神の真意を悟らせる様に段取りする。又、人間のちえや力でどんなに強く弁難し反対する神職や僧侶などがあっても、親神の方にはその反対を氷解せしめて余りある温い親心があるのであるから、この真実の親神が表へ現れている以上、どの様な守護もするにより、安心してたすけ一条の道に進め、と励まされたのである。
八六、今までは人間思案がはびこって、親神の教のぐ通をほしいままに妨げて来たが、これは親神の実にもどかしく思うて来たところである。
註 にほんは、親神様の教の先ず説かれる所、従って、親神様の真意の明かにされたる意。
からは、次に親神様の教の行渡る所、従って未だ親神様の教を知らない意。(第二号四七註参照)
八七、今後は親神の真意を説き聞かせて、今まで親神の教を知らなかった所へも、自由自在にたすけ一条の親心を行わたらせるようにするから、皆の者はこれを豫め心得ている様にせよ。
八八、同じ木の根と枝とであってみれば、枝は折れてくるばかり、根は栄え出る一方である。
註 教祖様が断食をなさった時に、そんなに断食なされても大丈夫でしょうか、と御心配申し上げた人に、
『根は心や、心さえ神様に通じていたら決して枯れないのや』という意味の事をお諭し下された事がある。
八九、今までは親神の教を聞いていなくても、ただ人間思案でちえや技術だけの優れた者を偉いというていたが、今後はそのような者も人間思案を捨て、親神の真意を悟ってつき順うて来る。
註 をれるとは、人間思案の我を祈って、親神様の真意に懐いて来るの意。
九〇、今までは、親神の教の説き初められる所を軽く思い悔っていたであろうが、親神の真意が表へ現れて、人々の心が救け一条に澄切って来たならば、何人も皆懐しく思い慕わずにはおれぬ様になる。
九一、この絶大な働きは人間の力でする事とは思えない、皆親神の力の現れであるから、何人も皆心から感心せずにはおれなくなる。
八六、〜九一、総註 以上いずれも、本歌御執筆当時即ち明治七年頃の世情を憂え、親神様のこの世人間創造の真実である一列兄弟、互い立て合い扶け合いを忘れて、利己主義にはしり互いに相争い、相傷つけんとしていた人々に、激しく反省を促し、たすけ一条の道に進み、一列かい和の陽気ぐらしに向うよう、人々の信仰を鼓舞せられたものである。(第二号四〇註参照)
九二、世の中の人は、うかうかと賑やかに暮しているけれども、この世初まり親神の守護を知っている者はない。
九三、九四、親神が人間をつくった元の理をよく知ったならば、悪い心も起らず病気になる者もないのに、人々は何も知らないで勝手な心遣いをしている。親神の目から見るとこれが不びんでならない。
九六、人間の心遣いの中で、をしい、ほしい、かはい、よく、こふまん、これがほこりになるのである。
註 本教では、人間の苦しみは心がほこりにまみれているからであるとし、そのほこりを右のお歌に示された外に、にくい、うらみ、はらだち、を加えた八つに大別されている、これが即ち八埃である。盡しこれは人間の悪心を誘導する根本である。
九九、親神が救けるというても願う本人の心次第で、真実の心から親神の意に添うならば、定命まで病気もせず、死にもせず、弱ることもなしに暮す事が出来る。
一〇〇、親神の心としては人間の定命を百十五歳と定めたいのである。
註 かんろだいが出来、天から降らして下さるかんろを頂いたならば、定命まで置いて下され、更にそれ以上心次第でいつまでもこの世に置いてもらえるのである。
一〇二、註 当時の地方官憲や世間の誤解をはばかっているそばの人々に対して、信仰を鼓舞せられたお歌である。
一〇三、胸がつかえて気分が悪いような事があっても、それは病気だと思うてはならぬ。親神の急き込みがつかえているしるしである。
一〇六、人々の胸の掃除が出来たその後は信仰の中心を定めたい。これさえ出来たらこの世の中は治りがつくのである。
一〇八、今までは証拠試しという事をいうてあるが、未だ何も見えて来ないので、かんろだいに就ての親神の真意も、皆の者にはよく了解出来ないであろう。
註 しよこためしとは、この世人間を創めた証拠にぢばにかんろだいを建設したならば、世界に真の平和な陽気ぐらしが来る、という神言の実証される事。(本号一四、第十七号九参照)かんろふだいに就ては、第八号七八〜八六、第九号一八〜二〇、同四四〜六四、第十号二一、二二、七九、第十七号二〜一〇参照。
一〇九、この者を四年以前に迎いとり、その魂を再び元の因縁あるぢばへかえそうと親神が抱きかかえているが、これが即ち親神の自由自在の働きのある証拠である。
一一〇、この魂を早く元のぢばへ生まれかえらそうと準備しているが、これが親神の第一の急き込みである。
註 これは四年以前即ち、明治三年陰暦三月十五日に迎い取られた秀司先生の庶子お秀様の事をいわれたもので、この方はお道の上に枢要な魂を持っておられるのであるから、その魂を親神様がしっかり抱きしめておられて、早くいんねんある元のぢばに生れかえらそうとお急き込みになっていたのである。因みに、明治七年陽暦一月一日は、明治六年陰暦十一月十三日にあたる。(第一号六〇、六一註参照。)
一一一、一一二、 これまでとても親神の働きは自由自在としばしば諭しているけれども、その自由自在の働きが人の眼に見えた事はない。今後は如何な話も説くが、その話通りに証拠が見えて来たならば、これで親神の働きは自由自在であるという事を、はっきり悟るがよい。
一一三、註 翌明治八年には陰暦五月二十六日にかんろだいのぢば定めが行われた。
一一四、今後は世の中の人々の心を勇ませて、この教の先ず行亙るべき所の円満に治る様に段取りする。
一一五、註 あざのふては、浅はかであるからの意。
一一八、親神のこの世人間創造の理を現したかんろだいを一刻も早く建設したいというのが、親神の唯一筋に急いでいる事である。
一二〇、この道を、上に立つ者が自由に出来るように思うて圧えようと思うが、これはたすけ一条の道であるから、人間のままにはならぬ。親神の意図通りになるのである。
一二一、一二二、あらゆる世の中の事は、皆人間の力で出来るように思うて、上にある者の中には自ままに振舞う者もあるが、これはこの世を創造した親神の真意を知らないからで、元無い人間無い世界をこしらえた親神の目から見ると非常に遺憾な事である。元の親神が現れた以上は、今後は親神の真意を悟らせ人間心から勝手な振舞いをさせぬ様にする。
一二四、上に立つ人々の中には、世の中の事総て自分の思うままに出来ると思うている者もあるが、それは間違いである。
一二五、上流社会の人々も、下流社会の人々も、生活程度こそ異なっているが、皆親神の子である点に於ては、何等の差別がない。
一二六、人間の身体は人間が自分でこしらえたものではなく、この世創めた親神がこしらえて人間に貸しているのである。人間が生きて行 けるのも皆親神の自由自在の守護によるのである。これが分らなのであるか。
一二七、人間はだれでも自分の身を振りかえって、親神からの借物である事を悟ってよく注意せよ。心得違いがあれば、親神の守護は何時止まるかも分らない。
一二九、立木にも色々沢山あるが、その中どれが用木になるかは分かるまい。
一三〇、用木も僅かな数では足りない、沢山ほしいのである。
一三一、親神が用木にしようと思う者には始終手入れするから、身体に何処か悪い所があっても病気などと思わず思案するがよい。
一三二、同じ人間でもだんだん手入れをして役立つようにするのもあればそのまま役に使われないものもある。それは各々の心柄である。
一三三、どんな自由自在の守護でもするというこの試しは、元創めたぢばであるからこそするのであって、決して外ではしない。
一三五、註 本号四〇、四一参照。
一三七、人々が身体は親神から借りているという事を知らずにいるようでは、それ以外の事は何も分るはずがない。
一三八、註 第二号二二、二三参照。
一四〇、一四一、今までは上流というても余り道に用を勤める者は無かったが、今後はその方面でもよふぼくとなるものをさがす支度をする。
一四二、世界中を一列に早くたすけようと思う親神の段取として、上に立つ者も下にいる者も心を勇ませる。
一四三、世界の人々が陽気に勇むならば、親神の心が勇み、自然農作物も豊じょうになる。
註 第一号一二、一三、一四参照。
一四四、総てこの道は救け一条の教えであるから、理にさかろう人々の悪心の根を早く切ってやりたい。
一四五、今の道は親神の目から見るとほこりだらけであるから、ほうきを持って掃除をせよ。
一四六、掃除をした後の道は、広々としてきれいで楽に歩けるから幾人でも連れて通れ。
一四七、これは明治七年二月二十二日の夜の五つ刻(今の午後八時)のおふでさきで、当時辻忠作は昼間は家業に従事し、夜分教祖様の許に参って御用を勤めていたが当日は歯が痛んで困るから、早くお参りをして救けてもらおうと内を出かけると、忘れたように歯痛が治った。それで彼は有難く思い早速お参りして教祖様にその由を申し上げると、教祖様は辻忠作に『今これを書きました、よく見なされ』と、このお歌を示して神様の話をじゅんじゅんと御説き下されたのである。
一四八、神職僧侶等の説教を聞き、又この道の話も聞いてよく比較して、何れが真実の親神の胸の中を伝えているかよく思案するがよい。
一四九、日々にこの真実な親神の話を聞いて喜べ、この話こそいついつまでもかわる事なく、永久に世界救けの教えとして伝わるべきものである。

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posted by 朱夏 at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月05日

おふでさき第二号。

おふでさき第二号は、明治2年3月にお記し下さいました。
47首あり、教祖(おやさま)72歳の御時です。

おふでさき第二号では、「やしきのそうじ」「人の心のそうじ」が記され、「よろづたすけのつとめ」ができるよう準備することを記されています。
また、「高山」「上」「水をすます」などの喩えを史実とからめて記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第二号>
1 これからハをくハんみちをつけかける せかいの心みないさめるで
2 上たるハ心いさんでくるほとに なんどきにくるこくけんがきた
3 ちやつんであとかりとりてしもたなら あといでるのハよふきづとめや
4 このつとめとこからくるとをもうかな 上たるところいさみくるぞや
5 たん/\と神のしゆごふとゆうものハ めつらし事をみなしかけるで
6 にち/\に神の心のせきこみを みないちれつハなんとをもてる
7 なにゝてもやまいいたみハさらになし 神のせきこみてびきなるそや
8 せきこみもなにゆへなるとゆうならば つとめのにんぢうほしい事から
9 このつとめなんの事やとをもている よろづたすけのもよふばかりを
10 このたすけいまばかりとハをもうなよ これまつたいのこふきなるぞや
11 一寸はなしのぼせかんてきゆうている やまいでハない神のせきこみ
12 たん/\としんぢつ神の一ちよふ といてきかせどまだハかりない
13 はや/\とをもてでよふとをもへとも みちがのふてハでるにでられん
14 このみちをはやくつけよとをもへとも ほかなるとこでつけることなし
15 このみちをしんぢつをもう事ならば むねのうちよりよろづしやんせ
16 このはなしなんの事やとをもている 神のうちわけばしよせきこむ
17 このみちが一寸みゑかけた事ならば せかいの心みないさみてる
18 なにゝても神のゆう事しかときけ やしきのそふぢでけた事なら
19 もふみへるよこめふるまないほどに ゆめみたよふにほこりちるぞや
20 このほこりすきやかはろた事ならば あとハよろづのたすけ一ちよ
21 このさきハたん/\つとめせきこんで よろづたすけのもよふばかりを
22 せかいぢうとこがあしきやいたみしよ 神のみちをせてびきしらすに
23 このよふにやまいとゆうてないほどに みのうちさハりみなしやんせよ
24 にち/\に神のせきこみこのたすけ みな一れつハなんとをもてる

〜内容の区切りと思われる〜

25 高山のをけにハいた水なれど てバなハにこりごもくまぢりで
26 だん/\と心しづめてしやんする すんだる水とかハりくるぞや
27 山なかのみづのなかいと入こんで いかなる水もすます事なり
28 にち/\に心つくするそのかたわ むねをふさめよすゑハたのもし
29 これからハ高山いけいとびはいり いかなごもくもそふぢするなり
30 こもくさいすきやかだしてしもたなら あとなる水ハすんであるなり
31 これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい
32 とふぢんがにほんのぢいゝ入こんで まゝにするのが神のりいふく
33 たん/\とにほんたすけるもよふだて とふじん神のまゝにするなり
34 このさきハからとにほんをハけるてな これハかりたらせかいをさまる
35 いまゝでハ上たる心ハからいで せかいなみやとをもていたなり
36 これからハ神がたいない入こんで 心すみやかわけてみせるで
37 にち/\によりくる人にことハりを ゆへばだん/\なをもまあすで
38 いかほどのをふくの人がきたるとも なにもあんぢな神のひきうけ
39 めつらしいこのよはじめのかんろたい これがにほんのをさまりとなる
40 高山に火と水とがみへてある たれがめへにもこれがみへんか
41 たん/\といかなはなしもといてある たしかな事がみゑてあるから
42 しやハせをよきよふにとてじうぶんに みについてくるこれをたのしめ
43 なにもかもごふよくつくしそのゆへハ 神のりいふくみへてくるぞや
44 だん/\と十五日よりみゑかける 善とあくとハみなあらハれる
45 このはなしとこの事ともゆハんてな みへてきたればみなとくしんせ
46 高山のにほんのものととふぢんと わけるもよふもこれもはしらや
47 とふじんとにほんのものとハけるのハ 火と水とをいれてハけるで


<おふでさき註釈>
第二号
一、今までは主にこの道を慕うて来る者に説き諭しをして来たが、これからは世界に広く教を説いて、世の中の人の心を勇ますようにする。
註 をくハんみちとは、往還道で大勢往来して、然も何等の危なげのない大道の意であって、その真意は貧富貴賎或は民族の如何を問わず普く広く世界一列を救ける道の謂である。
二、往還道をつけかけると、上に立つ人々もこの教を聞いて心が勇んで出かけて来るようになる。然もそれは遠い事ではない。もう直ぐにもそれが実現する機運に向っている。
三、茶の葉を摘みあと刈りそろえて了ったならば、それから先はいよいよよふきつとめに取りかかるのである。
註 この附近で、茶摘みというのは、大体陰暦五月九十八夜頃である。
四、このよふきづとめは、どうして出来るかというと、心の入れ替えが出来た者から行われるのである。そうなると上に立つ人々も自然と心が勇んで来る。
五、親神の守護は霊妙なものであるから段々と人の思いもかけぬ不思議な力を現して今までに知らぬ珍しい事をし始める。
七、世間の人々はやれ病気だ、それ痛みだ、というであろうが決してそうではない。それは皆、親神の深い考えからのせきこみであり、てびきなのである。
八、何故に親神が急き込んでいるかというと、それは早くつとめの人衆を引き寄せたいからである。
註 つとめのにんぢうは、つとめの人衆。第十号二五〜二七註参照
九、親神の望んでいるよふきづとめは何の為だと思うているか。これによって世の中の有りと凡ゆる救けを行いたいと思うからである。
一〇、このたすけは現在ばかりだと思うてはならない。これは末代までの雛形手本となって永遠に救済の実をあげるのである。
註 まつたいのこふきとは、千萬年の後までも語り伝え言い伝えられてたすけ一条の話の台となる事である。             
十一、世間の人達が寄ると触ると、あの人は逆上しているのだとか、狂気しているのだとかうわさをしているが、決して気違いでも無ければ病気でもない。早くこの道に引寄せたいと思う親神の急き込みである。
註 次歌註参照。
十二、種々と眞實の神一条の道を説いて諭すけれども、未だ悟りがつかないようである。
註 辻忠作の入信は文久三年であるが、その動機は妹くらの発狂からである。彼は一日縁家である檪本の梶本家で、庄屋敷の神様はよろづ救けの神様であると聞き、初めて信仰する気になり、すぐに教祖様のおひざ元に参って種々とお諭しを受け信仰すると、くらの発狂はすっかり良くなった。そこで彼はお道に熱心になり、くらはその後縁あって千束という所へ嫁入りした。所がその後、彼は種々と家内に反対があった為、つい信仰が鈍り、当時は教祖様の方へ少しも運ばんようになっていたら、不思議にも又くらが発狂して縁家からもどされて来た。そこで世間の人は気違いになったから不縁になったのだとか、いや離縁されたから逆上したのだとか種々取沙汰をしていたが、それは人間が普通に考えるように病気でもなければ狂気でもなく、教祖様から遠ざかっている彼を、再びこの道に引き寄せようとせられた親神様の深い思召しから手引きせられたのであった。この諭しを受けた彼は、成程自分は心得違いをしていたとざんげして、再び熱心に親神様の御用をつとめるようになった。すると、くらの発狂も忘れたように治って、復縁出来るようになった。
十三、今まではこちらへたずねて来る人に教を垂れていたが、一刻も早くこちらから進んで一般の人々に広く教を説きたい。しかし、その途がなくては進まれない。
十四、世間へ広くこの教を伝えようと思うが、それはどこででもつけられるかというと、そういう訳のものではなく、ほかの所でつける事は出来ない。
十五、この神一条の道を真実に心から思うならば、胸をしずめて万事思案せよ。
十六、今諭した話の眞意はどこにあると思う、それは国々所々に打分け場所の出来るのを急ぐのである。
註 うちわけばしよとは、打分け場所で、将来は内、中、外に各々三十一ケ所宛、都合九十三ケ所出来ると仰せられた。如何に業病の者でも、その打ち分け場所を回っているうちに、病気を救けて頂くのであるが、そのうち一ケ所は非常に辺ぴな所にある。然し、之を略するようでは救からない。又たとい途中で救かっても車つえを捨てないで、結構に救けて頂いた事を人々に知らせて、最後にそれをおぢばに納めるので、若し途中でそれを捨てたならば、一旦救けて頂いても、又元通りになると仰せられた。
十七、この教がつきかけた事ならば、世の中の人の心は皆勇んで来る。
十八、十九、何事も親神の諭しは心してきけ、屋敷内の心の掃除が出来て親神にそれが通じたならば、何をいう間もなく束の間にほこりが取れて終う。
二二、世間では、どこが悪いここが痛いといっているが、この世には一切病気というものは無いのである。若し悪い所か痛む所があれば、それは親神の諭しであり手引きであるのを、世間では一向それに気が付かず病気だとばかり思うている。
註 みちをせは、道教えである。道しるべの意。
二三、この世の中には病気というものは決してない。身体に故障が出来たならば、よく思案してどういう為の親神の道おせであるか手引きであるかを反省せよ。
二四、日々に親神が人々の身の内に障をつけ手引きをして救けを急いでいるのを、一列の者は何と思うているか、早く親神の心尽しを悟ってくれるよう。
二五、山奥の池に湧く水は、清らかで濁って無いはずであるのに、出端は濁って塵が混じっている。
註 高山のお池にわいた水とは、人間をたとえて諭されたもので、人間は最初に生み下ろされた時は、だれもみな清浄な心の持主であるのに、今では自分の欲のためにほこりを積み心が濁って来ている。
てバなは出端で、先ず湧き出る塵あい混りの水の事で、入信当初の事を仰せられたものと解する。
二六、初めは濁ってごもくまじりの心であるが、よく親神の教を聞き深く反省して、心のほこりを取り除くように努力すると、だんだん水が澄むように心が清浄にかわって来る。
二七、山の中の水の中へ入り込んで、どんな濁った水でも奇麗に澄みかえらせて見せる。
註 混濁の世を浄化するのが、本教の使命である事を仰せられたのである。
二八、日々に道のため心を尽して運んで来た上からは、もう一寸の辛抱であるから、どの様な中も精神を倒さぬ様にしてついて来い。末は必ず頼もしい道が見えるであろう。
二九、これからは容易に道のつけ難い所へも入りこんで、如何に心の汚れた者でもほこりを洗い去って清浄ならしめる。
三〇、どんなにほこりを積んでいる者でも、その心の汚れをすっかり洗い落として終うたならば、あとは澄んだ水のように清らかになる。
三一、これからはからとにほんの話をするが、親神がどの様な事をいうか一寸には分からないであろう。
註 本歌以下第三四の御歌まで、本号、四七註参照。
三二、親神の教を未だ知らない者が、にほんにはびこる様になって、思いのままに振舞っているのは、親神のまことにもどかしく思う所である。
註 本号四七註参照。
三三、親神は段々とにほんに親神の眞意を行きわたらせ一列を救ける段取をしているから、未だ親神の教を知らない者にも、やがて神意を了解させて、心置きなく勇んで神恩に浴し得る様にする。
三四、今後はからとにほんの理を分ける様にするが、これさえ分かって来たら人々の心は澄み切って世界は円満に治る様になる。
三五、今までは上に立つ人々は親神の心が分からないものであるから、この道の真意を解しないで世間ありふれたものの様に思っていた。
三六、これからは親神がそれ等の人々の体内に入込んで、本教の真価を悟らせる様にする
三七、毎日教祖を慕うて集い来る人に断わりをいえば、却って慕い寄る人々がだんだんと増すばかりである。
註 教祖様は慕うて来る人々に教を垂れておられたのであるが、世間にはこの教を真に理解していない人が多かったから、種々の誤解をお受けになり、従って種々な方面からしばしば妨害をこうむられたので、教祖様お側の方達は、かくては教祖様に御苦労をおかけするのみであると、参詣して来る人々に断わりをいうていたのであるが、親神様としてはこの教を広める事がその思召しであるから、如何に断りをいうても教祖様を慕うて帰り来る人々は制しきれない、却ってなおなお増すばかりであるぞと諭されたのである。
三九、この世人間創造の理を現した珍らしい甘露台が建てられて、かんろだいづとめが行われる様になったならば、その霊徳により親神の眞意がにほんにひろまり、つづいて世界に行きわたって、一列人間は勇んで陽気ぐらしをする様になる。
四〇、上に立つ人々にも親神の守護が分かりかけているのに、人々にはこれが分からんのであるか。
註 火と水は、「火と水とは一の神」と教えられている様に、親神様の御守護を意味し、又特に親神様の絶大なお力を現実にお現し下さるをいう。
火とは燈火も火、体温も火、火炎も火である。
水とは飲用水も水、雨も水、身体の水気も水、つなみも水である。
四一、今までにも種々と将来の事を説き諭してあるが、それは親神の方には何もかも将来の事がよく分っているからである。
四二、人々が皆幸せよいようにと親神の方では十分心を配っているのであるから、心を正しく親神の意に従う者は幸せを我身につける事が出来る。それを楽しみに暮すよう。
四三、何かにつけて親神の教を守らず、私利私欲を逞ましゅうした者には必ず親神の立腹が現れて苦しまねばならぬ。
四四、だんだんと十五日から、如何な事も現れて来るであろう。善は善、悪は悪、と親神の鮮やかな仕分けが目に見えて来る程に。
四五、今まで述べたこの諭しは、別にだれの事とも明示はせんが、何れ早   晩現れるであろうから、その時になれば合点出来る。
註 以上三首に関連する史料としては、明治五年大和國若井村の松尾市兵衞の話が伝えられている。市兵衞はお道に非常に熱心で、立教当初は高弟の一人として教の取次に尽すいしていたが理くつっぽくて気の強い人であったから、肝心自分の事になると親神様のお諭しを素直にそのまま受け容れることが出来なかったので、親神様からお手入れを頂いていたその長男は盆の十五日に迎え取りになった。
四六、上層におって指導している人々の中で、親神の真意を悟り心の澄切った者と、人間のちえや力に迷って、未だ親神の教を知らない者とを分けるのもこのかんろだいの霊徳によってする事である。
四七、未だ親神の教を知らない者と、親神の眞意を悟った者とを分けるのは、親神の絶大な力を現してする事である。
註 にほんとは、創造期に親神様がこの世人間をお創めになったぢばのあるところ、従ってこの度先ずこの教をお説き下さるところ、世界救けの親里のあるところをいう。
からとは、創造期に人間が渡って行ったところ、従ってこの度この教の次に普及さるべきところをいう。従ってにほんのものとは、最初に親神様に生み下ろされたる者、従ってこの度この教を先ず聞かして頂く者、親神様の眞意を悟った者を言い、
とふじんとは、つづいて生み下ろされた者、従ってこの度次にこの教を説き聞かして頂く者、未だ親神様の教を知らぬ者をいう。
にほんとからに関する一れんのお歌は「おふでさき」御執筆当時、科学技術を輸入するに急なあまり、文明の物質面にのみげん惑されて文明本来の生命である人類愛共存共栄の精神を理解しようともせず、ひたすら物質主義、利己主義の人間思案に流れていた当時の人々に厳しく御警告になって早く親神様の真意を悟りたすけ一条の精神に目ざめよと御激励になったお歌である。即ち親神様のお目からごらんになると世界一列の人間は皆可愛いい子供であって、親神様の真意を知るも知らぬも、先に教を受ける者も次に教を受ける者もその間に何の分け隔てもなく、究極に於て一列人間を皆同様に救けたいというのが親心であるから、親神様は一列の心が澄切って一列兄弟の真実にめざめ、互い立て合い扶け合いの心を定めて朗らかに和やかに陽気ぐらしをする日を、一日も早くとお急き込み下されている。(第十号五五、五六註、第十二号、七註参照。火と水については本号四〇註参照)


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posted by 朱夏 at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月01日

おふでさき第一号。

おふでさき第一号は、明治2年正月よりお記し下さいました。
74首あり、教祖(おやさま)72歳の御時です。

おふでさき第一号では、「一れつ人間をたすけ、陽気ぐらしをさせたい」という立教の由縁が記されています。
人間側へ、「勇む」こと、「つとめ」をすること、「やしきの掃除」を求められる旨が記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

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<おふでさき第一号>
1 よろつよのせかい一れつみはらせど むねのハかりたものハないから
2 そのはづやといてきかした事ハない なにもしらんがむりでないそや
3 このたびハ神がをもていあらハれて なにかいさいをといてきかする
4 このところやまとのしバのかみがたと ゆうていれども元ハしろまい
5 このもとをくハしくきいた事ならバ いかなものでもみなこいしなる
6 きゝたくバたつねくるならゆてきかそ よろづいさいのもとのいんねん
7 かみがでてなにかいさいをとくならバ せかい一れつ心いさむる
8 いちれつにはやくたすけをいそぐから せかいの心いさめかゝりて
9 だん/\と心いさんてくるならバ せかいよのなかところはんじよ
10 このさきハかくらづとめのてをつけて みんなそろふてつとめまつなり
11 みなそろてはやくつとめをするならバ そばがいさめバ神もいさむる
12 いちれつに神の心がいづむなら ものゝりうけかみないつむなり
13 りうけいのいつむ心ハきのとくや いづまんよふとはやくいさめよ
14 りうけいがいさみでるよとをもうなら かぐらつとめやてをとりをせよ
15 このたびハはやくてをどりはじめかけ これがあいずのふしきなるそや
16 このあいずふしぎとゆうてみへてない そのひきたれバたしかハかるぞ
17 そのひきてなにかハかりがついたなら いかなものてもみながかんしん
18 みへてからといてかゝるハせかいなみ みへんさきからといてをくそや
19 このさきハ上たる心たん/\と 心しづめてハぶくなるよふ
20 このハほくむつかしよふにあるけれと だん/\神がしゆこするなり

〜内容の区切りと思われる〜

21 このよふハりいでせめたるせかいなり なにかよろづを歌のりでせめ
22 せめるとててざしするでハないほどに くちでもゆハんふでさきのせめ
23 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする
24 しらしたらあらハれでるハきのどくや いかなやまいも心からとて
25 やまいとてせかいなみでハないほどに 神のりいふくいまぞあらハす
26 いまゝでも神のゆう事きかんから ぜひなくをもてあらハしたなり
27 こらほどの神のざんねんでてるから いしやもくすりもこれハかなハん
28 これハかりひとなみやとハをもうなよ なんてもこれハ歌でせめきる
29 このたびハやしきのそふじすきやかに したゝてみせるこれをみてくれ
30 そふじさいすきやかしたる事ならハ しりてはなしてはなしするなり
31 これまでのざんねんなるハなにの事 あしのちんばが一のさんねん
32 このあしハやまいとゆうているけれど やまいでハない神のりいふく
33 りいふくも一寸の事でハないほどに つもりかさなりゆへの事なり
34 りいふくもなにゆへなるどゆうならハ あくじがのかんゆへの事なり
35 このあくじすきやかのけん事にてハ ふしんのしやまになるとこそしれ
36 このあくじなんぼしぶといものやどて 神がせめきりのけてみせるで
37 このあくじすきやかのけた事ならバ あしのちんばもすきやかとなる
38 あしさいかすきやかなをりしたならバ あとハふしんのもよふハかりを
39 一寸はなし正月三十日とひをきりて をくるも神の心からとて
40 そバなものなに事するとをもへども さきなる事をしらんゆへなり
41 そのひきてみへたるならバそばなもの 神のゆう事なにもちがハん
42 いまゝでハ神のゆう事うたこふて なにもうそやとゆうていたなり
43 このよふをはじめた神のゆう事に せんに一つもちがう事なし

〜内容の区切りと思われる〜

44 だん/\とみへてきたならとくしんせ いかな心もみなあらハれる
45 よろづよのせかいぢふうをみハたせバ みちのしだいもいろ/\にある
46 このさきハみちにたとへてはなしする どこの事ともさらにゆハんで
47 やまさかやいばらぐろふもがけみちも つるぎのなかもとふりぬけたら
48 まだみへるひのなかもありふちなかも それをこしたらほそいみちあり
49 ほそみちをだん/\こせばをふみちや これがたしかなほんみちである
50 このはなしほかの事でわないほとに 神一ぢよでこれわが事
51 いまゝでハうちなる事をばかりなり もふこれからハもんくかハるぞ
52 よろづよにせかいのところみハたせど あしきのものハさらにないぞや
53 一れつにあしきとゆうてないけれど 一寸のほこりがついたゆへなり
54 このさきハ心しづめてしやんせよ あとでこふくハいなきよふにせよ
55 いまゝてハながいどふちふみちすがら よほどたいくつしたであろをな
56 このたびハもふたしかなるまいりしよ みへてきたぞへとくしんをせよ
57 これからハながいどふちふみちすがら といてきかするとくとしやんを

〜内容の区切りと思われる〜

58 このさきハうちをおさめるもよふだて 神のほふにハ心せきこむ
59 だん/\と神のゆふ事きいてくれ あしきのことハさらにゆハんで
60 このこ共二ねん三ねんしこもふと ゆうていれども神のてはなれ
61 しやんせよをやがいかほどをもふても 神のてばなれこれハかなハん
62 このよふハあくしまじりであるからに いんねんつける事ハいかんで
63 わがみにハもふ五十うやとをもへとも 神のめへにハまださきがある
64 ことしより六十ねんハしいかりと 神のほふにハしかとうけやう
65 これからハ心しいかりいれかへよ あくじはろふてハかきによほふ
66 これとてもむつかしよふにあるけれど 神がでたならもろてくるそや
67 にち/\に心つくしたそのゑハ あとのしはいをよろづまかせる
68 五人あるなかのにゝんハうちにをけ あと三人ハ神のひきうけ
69 よろづよのせかいの事をみはらして 心しづめてしやんしてみよ
70 いまゝても神のせかいであるけれど なかだちするハ今がはじめや
71 これからハせかいの人ハをかしがる なんぼハろてもこれが大一
72 せかいにハなに事するとゆうであろ 人のハらいを神がたのしむ
73 めへ々のをもふ心ハいかんでな 神の心ハみなちがうでな
74 せんしよのいんねんよせてしうごふする これハまつだいしかとをさまる


<おふでさき註釈>
一、親神がこの世を創てから永い歳月の間には、幾億という数知れない人々が生を享け来ているが、何時の時代を眺めても廣い世界の中に、たれ一人としてむねの分かった者がない。 
二、それも無理のない事で、今までこの眞實の教えを説き聞かした事がなかったから止むを得ない事である。時々その時代の聖堅を通じて説き聞かした事はあるが、是等は総て時宜に応じた神意の現れであって、最後のものではない。これは未だ旬刻限が到来しなかったからで止むを得なかったのである。
三、然しこの度こそはいよいよ旬刻限が来たので、親神である天理王命が、この世に現れて親神の意中を万事詳細に説き聞かそう。
註 このたびとは、天保九年十月二十六日、旬刻限が到来してこの教をお初め下さった時をいう。神がをもていあらハれてとは、教祖様を親神様のやしろとして、即ち教祖様の御口を通じて親神様の御心を、世の人々へお話下さることをいう。
四、こゝは大和のぢばのかみがたであるというているが、何故ぢばがかみがたであるかという元は知るまい。
註 しバは、ぢばで、親神様が人間を最初に宿し込まれた所、即ち吾々人間の元の親里を指す。かみがたは、神館の詰つたものと解す。
五、大和のぢばがかみがたであるその元来の訳を詳しく聞いたならば、どんな人でも自分達の元の故郷であるぢばが慕わしくなるであろう。
六、この根本のいわれを聞きたいと思うならば尋ねて来るがよい。この世の成り立ちを初め総ての理を詳しく教えよう。
七、真実元の親神がこの世に現れて、無い人間無い世界を創造した親神の恩ちよう、たすけ一条の道を詳しく解き聞かしたら、世界の人々の心は真実の教によつて皆いそいそと晴れやかになる。
八、たれ彼の差別なく総ての人々を、一日も早く救けたいから、親神の胸の中を悟れるように世界の人々の心を勇ませる。
註 以上八首は「みかぐらうた」の「よろづよ八首」にあるものと殆ど同じである。たゞ「おふでさき」に於ては五七五七七となっている和歌調が、「みかぐらうた」に於ては五七五七五となっている。九、世界の人々の心がだんだんと勇んで来るならば、煩もんしたり焦ったりするような心持は無くなり、皆が互救け合いの精神で各々自分の仕事に励むようになって来る。従つて親神もその心に添うて守護するから、世の中の生産は豊かになり家業は繁じようして、何処へ行っても争いなどは無くなり、人々は平和に幸福に暮らせるようになる。
註 よのなかは、よんなかともいわれ、豊じよう満作の意。
一〇、これから親神は人々にかぐらつとめの手振を教えて、人衆そろうてつとめをする様になるのを待ち望むのである。
註 かくらづとめとは、かぐらづとめでかんろだいを中心にして、元初りの十柱の神様の理をたゝえて、十人の人々によつて奉仕するおつとめであって、このおつとめによって親神様をお勇み頂き、済世救人のお働きをお願い申すのである。このおつとめは又、場所の上からかんろうだいのつとめとも、又、神人共に勇むという理の上からようきづとめとも、又たすけ一条のつとめである上からたすけづとめとも仰せられている。(第六号三0註、第十号二五から二七註及、第十五号五二註参照)このお勤めは、ぢば以外に於ては許されない。(おさしづ第三百 九十一、三百九十二頁、第四百五頁参照。)
十一、人衆そろうて一日も早くかぐらづとめをするならば、親神は人間の実の親であるから、子供が喜び勇む有様を見ると親心として親神の心も勇んでくる。
十二、おしなべて親神の心が引き立たない時には、自ずと作物が生気を失うようになり十分な収穫は得られなくなる。
十三、農作物が十分稔らなくなるような人々のいずんだ心は、親神の目から見ると不びんでならないから、五殻が豊じようになるよう親神の心を陽気に勇めねばならぬ。
十四、註 かぐらつとめは、本号十註参照。てをとりは、十二下りのおつとめの事。
十五、かぐらづとめやてをどりをすると、人々の心が陽気になりほこりの心も綺麗に洗い清められるから、親神の方でもその心の理に乗って働くのである。だから一刻も早くかぐらづとめやてをとりの実行にかゝれ。そうすればこのつとめを合図に不思議な親神の働きが必ず現れてくる。
十六、このようにして現れる親神の働きは霊妙なものであるが、それでは如何なる不思議が現れるかという事は今すぐには人間に分らない。親神がいよいよ不思議な働きを見せる日が来るならば、成程親神の働きは霊妙なものであるとう事が誰にも確かに分る。
十八、何事でも、自分の眼の前に現れてから説き出すのが世間普通であるが、親神は眼の前の事だけではなく、将来の事まで教えて置くのであるから、親神の言葉の中に人間心では分らない事があっても、疑うたり否定したりするような早計な事をしてはならない。どこまでも親神の言葉を信じて、その実現の日を待つがよい。
十九、これからは上に立つ人々は、心を平静にして互に融和しなければならない。
二〇、この融和は難かしいようであるが、次第に親神が守護するから、やがて実現するに違いない。
註 当時即ち明治二年の頃は維新創業の際で、人心不安で疑惑深く、表面新政府に帰順しながら、内心歴代君侯の恩を思うてひそかに事を謀る者があり、果して平穏に藩籍奉還が実行出来るかと憂えられた位であった。右二首のお歌はこの國情に対して、親神様は、将来人心必ず一に帰して安定す可きを念い、月日親神様の守護もまたそれにある事を述べられたものである。
二一、この世は一切親神の心を基礎として、天理によつて成立している世界であるから、人の行為はもとよりその他総ての理は、歌によって説き諭して戒めることにする。
二二、戒めるというても、人間のように腕力でするのではない。口でしっ責するのでもない。唯筆によつて教戒するのである。
二三、総ての事が親神の心に違わぬならばそれでよいが、若し親神の心に添わぬような事があれば、歌によつて知らすから、よく悟って心得違いの無いようにするがよい。
二四、心得違いを歌でしらせたら、現れるから気の毒であるが、如何な病も各人の心からであれば止むを得ない。
二五、病というても、世間普通にいう様な単なる病気と思うてはならない親神の心に添わぬから親神が立腹して手入れのために今ここに示すのである。(次歌註参照)
二六、これまでも度々戒めてあるのに少しも用いないから、止むなく表面人の目につくように現したのである。
註 教祖様の長男秀司先生は、長年患うておられる足部の疾患が容易にいえないで、時々痛みがはげしくなる。教祖様はこれに対して、病気ではない親神様の御意見だから、十分ざんげして心を改めるよう教戒せられ、屋敷の掃除をお急込みなられたのである。以下秀司先生に対する親神様の厳しい御諭しは、秀司先生個人に対する御意見と考えず、それを雛形にして、総ての人々に教戒せられたものと解しなければならない。
二七、軽い病気の場合には容易く治療も出来ようが、厳しい親神のしかりを受けるようになっては、如何な名医妙薬の力でも根本的治療は出来ないのである。
二八、この足の患いばかりは、世間にあり勝ちの病気と軽視してはならない。そのもとをどこまでも、歌によつて理を説き諭して戒めきって行く。
二九、この度はぢばの理を明らかにする為に、屋敷からほこりをさっぱり拂い除けてしまうから、みなよく承知しておいてくれ。
註 やしきは、教祖様の居住せられる屋敷であって、人間の親里なるぢばの所在地である。
三〇、この屋敷のそうじが奇麗に出来上がつたならば、ぢばの理が現れて自然にこの道が廣く傳わって行く。
註 しりてはなしてはなしするは、その理に信順してそれからそれへ話し傳える意。
三一、これまでに親神が、残念至極に思っておった事は何であるかといえば、それは足の障りに就てゞある。
三四、註 本号三九註参照
三五、この悪事をさっぱり屋敷から除いてしまわない限り、親神が世界救けの心のふしんを遂行する邪魔になると心得よ。
註 ふしんは、秀司先生が親神様のお心に従うて教祖様と心を一にし、よろづ救けの教をぐ通する神意の達成に努力せられる事を意味し、又一つには神の館の建築の意もぐうせられているものと解す。
三六、註 しぶといは、執着が深いとの意。
三八、悪事が取れて足の患いがすっきりと治まったならば、その後は普請の段取りばかりにとりかかる。
註 ふしんとは、心のふしん、即ち世界人心のかく清を意味されたものと解す。
三九、註 秀司先生は長年独身で正妻無く、おちゑという内縁の妻があって、音次郎という子まであった。そして御屋敷に同居せしめておられたが、これは元々親神様の御思召しに添わぬ悪事から始まったものであつたからして、このおちゑを実家へ送り帰すようにと仰せられたのである。
四〇、正月三十日と日をきつて送る事を、人々は何故かと不思議に思うであろうけれども、後になつて現れる事実を知らないからである。
註 そバなものとは、教祖様のお側にいる人々、狭くは中山家の方々であり、広くは道をたずねて集り参じた人々。
四一〜四四、註 おちゑは実家に帰つて後、数日を出でずして病にふし、遂に再起する事を得なかった。若し人情にほだされて期日を遅らしていたら、屋敷の掃除は遂に行われる事を得なかったであろう。
四五、昔も今も世の中の有様をながめて見ると、人生の行路は実に千種万様である。
四六、人々の通る道は種々様々であるが、今後道にたとえて説き諭しするから、一々何処そこの誰の事と指名はしないが、皆しっかり聞いてよく思案せよ。他人事のように思うて聞流してはならぬ。
四七、山坂を越え、いばらの生え繁つている所も、がけ路も、剣の中も越えて行くと。
註 ぐろふは、むらがり(叢)の意味。
四八、その先には、まだまだ火の中もあり淵の中もあるが、それを段々と越して行くと初めて細い路に出る。
註 ふちとは、青々と水をたゝえた深えんをいう。
四九、この細路を段々と進んで行くと、やっと大道に出る。この様に何も彼もの難しい中を通り抜けて出た大道こそ、確かに間違いのない往還道である。
四七〜四九、総註 以上三首は道路にたとえて人々の通る可べき道の次第を示されたもので、これだけの試練に堪えて、最後まで困苦と戦うて行くならば、必ず立派な道に出られるものである事をよく悟らして頂かねばならない。
五〇、この話は決して他所事ではない。人々を救済する眞實の親神の教えであつて、これは自分自身の道すがらである。
註 此道すがらを教祖様みずから御通り下されて、吾々にひながたの道をお示し下されたのである。そしてこのひながたを慕う我々道の子の、銘々自分の事として思案さして頂かねばならぬ御諭である。
五一、今までは主として屋敷内の事に就いて種々説き諭してきたが、今後は広く一般にわたって説き諭すのである。
五五、親神が元々無い人間無い世界をつくって以来、随分長い年限を経て来たのであるが、その間人々は眞實の教えを聞く事が出来なかった為に、頼る親も分らずさぞ待ち遠い事であつたろう。
註 本歌は今まで永年人間が眞の天啓の教えを聞く事の出来なかったのを、道中にたとえて御教え下されたのである。
五六、旬刻限が来て眞實の親神がこの世に現れ、人類創始の親里に詣り所たるつとめ場所も出来たのであるから、人々は迷う事なく安心して信仰するがよい。
五七、人間を初めてこの世に生み下ろしてからこのかた、久しい年月の間には種々の経路をたどつて来た事であるが、これからはそのながい道中道すがらを説いて聞かすからよく思案せよ。さすれば親神の心尽しも分るであろう。
五八、これから屋敷内のきまりをつける準備にかゝるのであるが、それを一日も早く出来るよう急き込むのである。
六〇、この子供を二、三年教育しようと、その親の方では思うているけれども親神には寿命のない事がよく分っているのである。
註 この子供とは秀司先生の庶子お秀様のことであつて、その出直しを予言せられたものである。
六一、よく思案して見よ。親がどれほど子供可愛くて生き永らえさしたいと思うても、親神が守護をしなければどうすることも出来ないのであるから、この道理をよく悟らねばならぬ。
六二、この世の中はややともすると悪い事に染り易いから、注意していんねんを積まぬ様にしなければならぬ。
六三、もう直ぐ年が五十だから自分では相当年寄だと思うているであろうが、親神から見ればまだまだ将来がある。
六四、今年からもう六十年は、親神の方で確かに引き受ける。
註 右は秀司先生に仰せられた事で、先生は当時四十九歳であつた。
六五、註 ハかきによほふ(若き女房)とは、因縁あって秀司先生の奥様となられた大和國平群郡平等寺村の小東政吉二女松惠様の事で当時十九歳であつた。
六六、これは年齢の相違で難かしい相談のように思うだろうが、親神が出たなら必ず話をまとめてくる。
註 この縁談は最初仲人として龍田の勘兵衛という人が、小東家に話をしたのであるが、都合よくまとまらなかつた。そこで教祖様自ら御越しになり色々お説きになったので、小東家に於ても初めて承服しここに縁談は成立したのである。
六七、心を盡して毎日親神への奉仕に専念したならば、屋敷の支配を万事任せる。
註 これは秀司先生に仰せられたお言葉である。
六八、註 これは秀司先生奥様松惠様の実家小東家に仰有った事で、小東政吉には、おさく、松惠、政太郎、亀吉(後定次郎と改名)音吉(後仙次郎と改名)、という五人の子があつた。親神様はその中の二人は内の用事をさせ、後の三人を親神様のためにささげよ。そうすればその行末は引き受けると仰せられたのである。
六九、世の中の種々の有様をながめて、心静かにこれから諭す事をよく思案してみよ。
七〇、今までとてもこの世の中は総て親神様の支配による事であるけれども、親神が表に現れて夫婦の縁を結ばすのはこれが初めてである。
七一、世間の人々はこの結婚を年齢の点から、不自然に思うて可笑しく思うであろうが、いくら笑うても、その人達は親神の真意を知らないからで、この結婚は相互のいんねんを寄せるのであつて、夫婦の縁を結ぶという事は人生の根本であるから、何よりもこれが一番肝心である。
七二、世間では何故あんな事をするのであろう、と不思議に思うであろうが、それはいんねんという理を少しも知らないからで、やがてそれを悟る日が来るから、一時の笑いは寧ろ親神の楽しみとする所である。
七三、この結婚に就ては人々は人間心で種々に解釈するであろうが、親神はそれとは全く異なって深い考えから結んだものである。
註 この御結婚には、つとめを急込み給う上からつとめごしらえとして、人衆そろえを急がれた深い神意がこもっている。
七四、前生からの深いいんねんある者を、この屋敷に引き寄せて夫婦として守護する。この前生いんねんの魂は永久にぢばに治まるのである。
註 前生のいんねんとは、秀司先生と松惠様の事を仰せられている。このお二人は前生のいんねんによって今生夫婦となられるべき方であり、又お二人ともぢばに深いいんねんのある方々である。
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posted by 朱夏 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする