2013年11月11日

稿本天理教教祖伝逸話篇二〇〇 大切にするのやで

稿本天理教教祖伝逸話篇二〇〇 大切にするのやで

明治二十年一月十一日、紺谷久平は、信者一同が真心をこめて調製した、赤い衣服一枚と、赤の大きな座布団二枚を、同行の者と共に背負うて、家を出発し、おぢばに帰らせて頂き村田幸右衞門宅で宿泊の上、山本利三郎の付添いで、同一月十三日、教祖(おやさま)にお目通りした。教祖(おやさま)は、御休息所の上段の間で寝んで居られ、長女おまさが、お側に居た。
山本利三郎が、衣服を出して、「これは、播州飾磨の紺谷久平という講元が、教祖(おやさま)にお召し頂きたいと申して、持って帰りました。」と申し上げると、教祖(おやさま)は御承知下され、そこで、その赤い衣服を上段の間にお納め下された。つづいて、座布団二枚を出して、山本が、「これも日々敷いて頂きたい、と申して、持って参りました。」と申し上げる と、教祖(おやさま)は、それも、お喜び下されて、双方とも御機嫌宜ろしくお納め頂いた。
それから仕切りの襖を閉めて、一寸の間、そちらへ寄っておれ、とのことで、山本は下の八畳の間に下りる。紺谷も、共に畏まっていると、おまさが襖を開けて山本を呼んだので、山本が教祖(おやさま)のお側へ寄らせて頂くと、赤衣を一着お出しになって、
「これをやっておくれ。」
と、仰せられ、つづいて、
「これは、粗末にするのやないで。大切にするのやで。大事にするのやで。」
と、仰せになった。山本は、「きっと、その事を申し聞かします。」とお答えして、八畳の間に下り、紺谷に、教祖(おやさま)から、そう申された、と詳しく話して聞かせた。こうして、紺谷久平は、赤衣を頂戴したのである。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
いよいよ逸話編最後の御逸話です。
飾東大教会の初代会長紺谷久平先生が赤衣を拝戴された際の御逸話です。

これまでに拝読してきた御逸話を振り返って考えてみると、「稿本天理教教祖伝逸話篇七 真心の御供」というかなり初めの方の御逸話から、教祖(おやさま)の御態度が全く変わっていらっしゃらないことがよく分かります。
あえて違う点を探してみると、「真心の御供」では、餡餅を御供えされた信者さんへの教祖(おやさま)からのお返しが記録されていないのに対して、この御逸話では、赤衣を下げられていることが挙げられます。
これは「真心の御供」の当時、教祖(おやさま)はまだ赤衣をお召しになっていなかったことに加え、中山家の経済状況が貧の底であった為、返せる物品が無かったからではないでしょうか。
一方、御供えされる信者さんの気持ちは、御供えされた人物も物も違いますが、「真心」という点では同じです。
しかし「真心の御供」の当時は、まだ真実を尽くす喜びを見出せている方は少なかったと思われますが、この紺谷久平先生の御逸話の頃になると、相当数の先生方が真実を尽くされていたと思われます。

この二つの御逸話には、文久二年頃(西暦・1862年頃)から明治二十年(西暦・1887年)と、およそ二十五年もの開きがあります。
生まれたばかりの子どもが、大人になり、当時であれば親として子育ても少し落ち着く程の年齢になるような年月が、これらの御逸話の間にあるのです。
いかに月日が流れようとも、取り巻く状況がどれほど変わろうとも、その御態度に何らの変化も見られない教祖(おやさま)のひながたの強さが見出せるように思います。
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2013年10月18日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九九 一つやで

稿本天理教教祖伝逸話篇一九九 一つやで

兵神真明講周旋方の本田せいは、明治十五年、二度目のおぢば帰りをした。その時、持病の脹満で、又、お腹が大きくなりかけていた。それをごらんになった教祖(おやさま)は、
おせいさん、おせいさん、あんた、そのお腹かかえているのは、辛かろうな。けど、この世のほこりやないで。前々生から負うてるで。神様が、きっと救けて下さるで。心変えなさんなや。なんでもと思うて、この紐放しなさんなや。あんた、前々生のことは、何んにも知らんのやから、ゆるして下さいとお願いして、神様にお礼申していたらよいのやで。」
と、お言葉を下された。それから、せいは、三代積み重ねたほこりを思うと、一日としてジッとしていられなかった。そのお腹をかかえて、毎日おたすけに廻わった。
せいは、どんな寒中でも、水行をしてからおたすけにやらせて頂いた。だんだん人が集まるようになると、神酒徳利に水を入れて、神前に供え、これによって又、ふしぎなたすけを続々とお見せ頂いた。こうして、数年間、熱心におたすけに東奔西走していたが、明治十九年秋、四十九才の時、又々脹満が悪化して、一命も危ないという容態になって来た。そして、苦しいので、「起こせ」とか、「寝させ」とか言いつづけた。それで、その頃の講元端田久吉が、おぢばへ帰り、仲田儀三郎取次ぎで、教祖(おやさま)に、お目にかかり、事の由を申し上げると、 教祖(おやさま)は、
「寝させ起こせは、聞き違いやで。講社から起こせ、ということやで。死ぬのやない。早よう去んで、しっかりとおつとめしなされ。」
と、仰せ下された。そこで、端田等は急いで神戸へもどり、夜昼六座、三日三夜のお願い勤めをした。が、三日目が来ても、効しは見えない。そこで、更に、三日三夜のお願い勤めをしたが、ますます悪くなり、六日目からは、歯を食いしばってしまって、二十八日間死人同様寝通してしまった。その間毎日、お神水を頂かせ、金米糖の御供三粒を、行平で炊いて、竹の管で日に三度ずつ頂かせていた。
医者に頼んでも、「今度は死ぬ。」と言って、診に来てもくれない。然るに、その二十八日間、毎日々々、小便が出て出て仕方がない。日に二十数度も出た。こうして、二十八日目の朝、妹の灘谷すゑが、着物を着替えさせようとすると、あの大きかった太鼓腹が、すっかり引っ込んでいた。余りの事に、すゑは、「エッ」と、驚きの声をあげた。その声で、せいは初めて目を開いて、あたりを見廻わした。そこで、すゑが、「おばん聞こえるか。」と言うと、せいは、「勿体ない、勿体ない。」と、初めてものを言った。
その日、お粥の薄いのを炊いて食べさせると、二口食べて、「ああ、おいしいよ。勿体ないよ。」と言い、次で、梅干で二杯食べ、次にはトロロも食べて、日一日と力づいて来た。が、赤ん坊と同じで、すっかり出流れで、物忘れして仕方がない。
そこで、約一ヵ月後、周旋方の片岡吉五郎が、代参でおぢばへ帰って、教祖(おやさま)に、このことを申し上げると、教祖(おやさま)は、
「無理ない、無理ない。一つやで。これが、生きて出直しやで。未だ年は若い。一つやで。何も分からん。二つ三つにならな、ほんまの事分からんで。」
と、仰せ下された。
せいは、すっかり何も彼も忘れて、着物を縫うたら寸法が違う、三味線も弾けん、という程であったが、二年、三年と経つうちに、だんだんものが分かり出し、四年目ぐらいから、元通りにして頂いた。
こうして、四十九才から七十九才まで三十年間、第二の人生をお与え頂き、なお一段と、たすけ一条に丹精させて頂いたのである。

註 夜昼六座とは、坐り勤めとてをどり前半・後半の一座を、夜三度 昼三度繰り返して勤めるのである。これを三日三夜というと、このお 願い勤めに出させて頂く者は、三昼夜ほとんど不眠不休であった。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
この御逸話のタイトル「一つやで」とは、年齢が一歳であるのと同様の状態だとおさとし下されたお言葉です。

信仰やおたすけの中で、様々な時がありますが、一見たすかっていないように見えても、親神様の視点からすれば、たすかっていく真っ最中とも言える時があります。
また、真剣にお道を通る心が定められる人の多くが、大なり小なり、「生きながらにして生まれ変わる」という体験を持っているものです。
この御逸話の本田せい先生のように何年もかかっての人もいれば、たった一晩でという人もいます。

私の体験を少し紹介したいと思います。
これまでも何度か書いてきましたが、私は身上の手引きを頂き、信仰の道を歩み始めました。
しかしその当初は、身上もすっきりとはしませんでしたし、天理教に対する批判的な考えも浮かびやすく、人におさづけ取り次いでも、「効いた」と言われることはほとんどなく、中には「お前のおさづけは効かない」と怒り出す人もいらっしゃいました。
身体の調子が悪い時は布団から出られず、トイレに行くのさえままならない状態でした。
勉強だけはしてみようと、枕の上で天理教関係の本を読んでみても、感動的なお話は頭に入ってこず、異端信仰者による批判的内容が心を支配することの方が多く、苦痛を感じるばかりでした。
そんな中での、憩いの家への入院。
入院中に読んだ逸話編のおやさまのお言葉にたすけられ、憩いの家からおぢばへの日参を始めたところから、身上の回復がようやく見えてきました。
しかし退院後も、右肩上がりに回復した訳ではなく、不安定とも思える中を、徐々に徐々に御守護頂いたのでした。
何年もかかりましたが、今ではすっきりおたすけ頂き、少々ハードな御用も、しっかりとつとめさせて頂けています。
自分の身体が元気に動かせるのは、当たり前のことではないと、日々喜んで通らせて頂いております。

振り返って考えてみれば、こうして長い期間をかけておたすけ頂いたからこそ、生きながらに生まれ変わらせて頂くことができたのだと思います。
動けない日々、辛く不安な日々、色んな事に一喜一憂し、イライラして腹立たしく思う日々は、成長途中の子どもの心そのものだったと思います。
色んな事が解り、おつとめに喜びを見出し、身体を動かしてのひのきしんができるようになってくると、親の想いも理解でき、ようやくもう一度、大人に近づいてきたと思えました。

本田せい先生ほどの経験ではありませんが、私自身も、家族も、こうした長い期間のおたすけを頂いたからこそ、今の日々を喜んで通らせて頂けているのだと思います。
この御逸話のような不思議なたすかり、長い年数をかけての生きながらの生まれ変わりは、間違いなく今も同様にあるのだと、私自身の経験を通して、さとらせて頂きます。
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2013年10月10日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九八 どんな花でもな

稿本天理教教祖伝逸話篇一九八 どんな花でもな

ある時、清水与之助、梅谷四郎兵衞平野トラの三名が、教祖(おやさま)の御前に集まって、各自の講社が思うようにいかぬことを語り合うていると、教祖(おやさま)は、
「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで。」
と、お聞かせ下されて、お慰め下された、という。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
にをいがけに励んでいても、なかなか道は広がるものではないことを、懸命な布教師であればあるほど、痛感するものだと思います。

そんな嘆きをお慰め下されたお言葉ですが、現在の私達が注目すべきは、ここで語り合っている三名の先生方が、郡山、兵神、船場という、天理教内でも最も早く分教会となった教会の初代の先生方だということではないでしょうか。

数年前、詰所で教友と、「お互い、末端教会で苦労しますねぇ」というような話をしていました。
それを聞いていた大教会の役員先生に、こんなおさとしを頂きました。
「どんなに大きい教会、偉い先生も最初はみんな、末端や。末端教会の所属を嘆くのではなく、おたすけの最前線にいると思いなさい」と。
このおさとしは、今も私の励みとなっています。

現在の姿を見れば盛大な教会も、それぞれに信仰の元一日があり、にをいがけ・おたすけの苦労があるのです。

今現在の私達は、先人のきらびやかな歩みだけでなく、その失敗をも学んで歩める、格段に恵まれた状況にあります。
当時最も勢いがあったとさえ言えるこの三名の先生方にも、にをいがかからない、の運営がうまく行かないと、嘆く日々があったのです。

成果を求めるのではなく、歩み続けられることを喜びましょう。


清水與之助【しみず よのすけ】
天保13年(1842)生まれ(近江国高島郡中野村‐現・滋賀県高島郡安曇川町中野)
明治34年(1901)5月13日出直し:60才
明治16年(1883)兄・伊三郎の病に際し端田久吉(真明講社兵庫一号講元)ににをいをかけられ、初参拝
明治20年のおつとめでてをどりをつとめる
兵神分教会(現大教会)初代会長


梅谷四郎兵衛【うめたに しろべえ】
弘化4年(1847)7月7日生まれ(河内国古市郡東坂田村‐現・大阪府羽曳野市東阪田)
大正8年(1919)5月29日出直し:73才
浦田家の養子 勝蔵から四郎兵衛に改名 浦田家から離籍、梅谷に戻る
明治14年(1881)佐官業の弟子の父親から話を聞き初参拝
教祖より赤衣(明治16年)・本席より息のさづけ(明治20年)
船場分教会(現大教会)初代会長
妻たね 三男・梅次郎(2代会長)


平野楢蔵【ひらの ならぞう】
弘化3年(1846)9月3日生まれ(河内国高安郡恩智村‐現・大阪府八尾市恩智)
明治40年(1907)6月17日出直し:63才
生家・森家より平野家(郡山洞泉寺町‐現・大和郡山市洞泉寺)の娘とらの婿養子となる。
明治17年(1884)幻覚(精神障害)に悩まされ、翌年姉婿・森清治郎よりにをいをかけられる。
明治19年(1886)発作を起こし人事不省となるがお願いづとめでよみがえり、初参拝。
明治20年のおつとめで地方をつとめる
郡山分教会(現大教会)初代会長

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2013年10月05日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九七 働く手は

稿本天理教教祖伝逸話篇一九七 働く手は

教祖(おやさま)が、いつもお聞かせ下されたお話に、
「世界中、互いに扶け合いするなら、末の案じも危なきもない。仕事は何んぼでもあるけれども、その仕事をする手がない家もあれば、仕事をする手は何んぼでもあるが、する仕事がない家もある。
奉公すれば、これは親方のものと思わず、蔭日向なく自分の事と思うてするのやで。秋にでも、今日はうっとしいと思うたら、自分のものやと思うて、莚でも何んでも始末せにゃならん。
蔭日向なく働き、人を助けて置くから、秋が来たら襦袢を拵えてやろう、何々してやろう、というようになってくる。こうなってくると、双方たすかる。同じ働きをしても、蔭日向なく自分の事と思うて働くから、あの人は如才ない人であるから、あの人を傭うというようになってくる。こうなってくると、何んぼでも仕事がある。
この屋敷に居る者も、自分の仕事であると思うから、夜昼、こうしよう、ああしようと心にかけてする。我が事と思うてするから、我が事になる。ここは自分の家や、我が事と思うてすると、自分の家になる。蔭日向をして、なまくらすると、自分の家として居られぬようになる。
この屋敷には、働く手は、いくらでもほしい。働かん手は、一人も要らん。」
と。又、ある時のお話に、
働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(註、 側楽・ハタラク)と言うのや。」
と、お聞かせ下された。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
リクルートという大手企業の新入社員研修で、「働くというのは、はたを楽にするから」と教えられるそうです。
リクルート社を退職して、起業された方から伺いました。
リクルート社の研修担当や創業関係者に天理教の方がいらっしゃるのかどうかは解りませんが、この言葉が、多くの人に働く意義を明確に与えてくれるというのは、事実のようです。

この御逸話では当時の時代背景から、奉公やお屋敷への住み込みを実例に挙げられていますが、現代の会社勤めや家庭生活でも、全く同じことが言えると思います。

分業や分担が分かれていたり、自分自身の得手不得手があっても、互いに補い合い、助け合うからこそ、チームとして成功でき、陽気な家族として仲良く暮らしていけるのです。

そんな理想的な対人関係を築くには、まず自分自身が見返りを求めず、「はたはたを楽にしよう」と働くことです。
不得意なことを無理にやる必要はありません。
少々面倒だけれども、自分ならできるということを、喜んですることが、「側楽」ということなのだと思います。
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2013年09月20日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九六 子供の成人

稿本天理教教祖伝逸話篇一九六 子供成人

教祖(おやさま)の仰せに、
「分からん子供が分からんのやない。親の教が届かんのや。親の教が、隅々まで届いたなら、子供成人が分かるであろ。」
と、繰り返し繰り返し、聞かして下された。お蔭によって、分からん人も分かり、救からん人も救かり、難儀する人も難儀せぬようの道を、おつけ下されたのである。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
親から子へ、子から孫へと代々教えを伝えて行くことを「縦の伝道」と言います。
「縦の伝道」を考える上で、大切な御逸話だと思います。

代々信仰を伝えることは、簡単なようでいて、非常に難しい面もあります。
子どもは成長の過程で親に反発心を持つものですし、その反発心が信仰心の否定に向かうこともあります。

「親の教が、隅々まで届いたなら、子供成人が分かる」というお言葉は、この御逸話の核となる部分ですが、どういう風に受け取れるでしょうか?
人によって解釈は違うと思いますが、私のさとりはこうです。

まず親自身が信仰心をしっかりと持ち、日々成人の道を歩むことです。
子どもに言葉で教えを伝えることも大切なことですが、時に行動で、時に無言の背中でと、全方向から教えを伝えていけば、自ずと伝わるべき事は伝わります。
そんな中で、子どもが成長の過程で親に反発心を持ち、お道の信仰を否定したとしても、それを成長の上で大切な経験なのだと、子どもが確実に成長していることを見出し、喜べれば、親の教えが隅々まで伝わりつつあると、さらに喜べるのではないでしょうか。
親自身がそこまで成人できれば、子どもが一時期は反発したとしても、またしっかりと道を歩んでくれるでしょう。

教えが伝わらないことを嘆くのではなく、自分自身がまずより一層の成人をしていくこと、子どもの日々の成人をしっかり見出すことが大切なのだと思います。
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2013年09月14日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九五 御苦労さま

稿本天理教教祖伝逸話篇一九五 御苦労さま

「教祖(おやさま)程、へだてのない、お慈悲の深い方はなかった。どんな人にお会いなされても、少しもへだて心がない。どんな人がお屋敷へ来ても、可愛い我が子供と思うておいでになる。どんな偉い人が来ても、
『御苦労さま。』
物もらいが来ても、
『御苦労さま。』
その御態度なり言葉使いが、少しも変わらない。皆、可愛い我が子と思うておいでになる。それで、どんな人でも皆、一度、教祖(おやさま)にお会いさせてもらうと、教祖(おやさま)の親心に打たれて、一遍に心を入れ替えた。 教祖(おやさま)のお慈悲の心に打たれたのであろう。
例えば、取調べに来た警官でも、あるいは又、地方のゴロツキまでも、皆、信仰に入っている。それも、一度で入信し、又は改心している。」と。これは、高井直吉の懐旧談である。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
この御逸話を拝読すると、所属教会の初代会長が思い起こされます。
私自身は、直接初代会長様にお会いしたことはありません。
ですが信者さんの多くが直接初代会長様と接してこられたので、思い出話をよく伺います。
思い出話といっても、どういうお仕込みを頂いたとか、どういうにをいがけおたすけをされたという話は少なく、常日頃のそのお姿を語られる場合がほとんどです。
中でも、教会に参拝すると、玄関で静かに座り、「ご苦労さんです。ママ(食事・御飯)頂いて下さいや」と、何とも言えない優しい様子で、誰にでも分け隔てなく挨拶されたという思い出をよく伺います。
私の所属教会の初代会長様は女性ですので、ご本人が教祖(おやさま)のひながたを目指す気持ちが、周囲の人にはそのまま、教祖(おやさま)のお姿を写し取っているように見えたのかも知れません。

教祖(おやさま)のひながたとは、このように、分かるようで分からない、説明できそうでできない、「何とも言えない優しい様子」のことなのではないでしょうか。
ひながたを頼りに生きている人も、自覚のないままに、そんな雰囲気を発していくものなのかも知れません。
それこそが真のにをいがけへと繋がるのですが、そのためにはやはり、努力の日々を重ねる他はありません。
そう考えると、努力の日々も、老いへと歳を重ねることも、楽しみに思えてきますね。


高井直吉(猶吉とも書く)
文久元年(1861)1月19日大阪府八尾市老原の生まれ。
3歳のころ父と死別し、姉夫婦に育てられる。
明治7年(1874)桶屋に奉公に出たころ、姉の産後の患いから、その夫と共に初めておぢばがえりする。
同12年(1879)悪性の風邪「ぜいき」をたすけられて信仰に入る。
同13年(1880)19歳でおやしきに住み込む。
同16年(1883)岡田与之助(宮森与三郎)らと遠州布教。
同17年(1884)4月、息のさづけを頂く。
同31年(1898)泉支教会三代会長。昭和16年(1941)11月21日出直し。80才。
岡田与之助とともに、お屋敷住込み青年第1号にあげられる。
「レンコン堀り」とあだ名されたぐらい事細かに教祖に教えを問うた。

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2013年09月02日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九四 お召し上がり物

稿本天理教教祖伝逸話篇一九四 お召し上がり物

教祖(おやさま)は、高齢になられてから、時々、生の薩摩藷を、ワサビ下ろしですったものを召し上がった。
又、味醂も、小さい盃で、時々召し上がった。殊に、前栽の松本のものがお気に入りで、瓢箪を持って買いに行っては、差し上げた、という。
又、芋御飯、豆御飯、乾瓢御飯、松茸御飯、南瓜御飯というような、色御飯がお好きであった。そういう御飯を召し上がっておられるところへ、人々が来合わすと、よく、それでお握りようのものを拵えて、下された。
又、柿の葉ずしがお好きであった。これは、柿の新芽が伸びて香りの高くなった頃、その葉で包んで作ったすしである。
柿の葉ずし - Google 検索.png
柿の葉ずし - Google 検索


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
教祖(おやさま)の「面影」についての御逸話が続いています。

柿の葉寿司は衛生的な問題からか手間のためか、提供されることはありませんが、毎月の御本部月次祭での炊事本部提供の昼食には必ず、色御飯(炊き込み御飯)が出されます。
これは、この御逸話から、教祖(おやさま)をお慕いしてのものだと言われています。

「そういう御飯を召し上がっておられるところへ、人々が来合わすと、よく、それでお握りようのものを拵えて、下された。」
という点について、教祖(おやさま)のお側に最も永くつとめられた増井りん先生の思い出話によると、教祖(おやさま)のお茶碗は通常よりも大きい物をお使いになっていましたが、「おてぶくぼ」と言って大半は人に与えられたということです。
「おてぶくぼ」とは、教祖(おやさま)ご自身が周囲の方々の手のひらに食べ物をお移しになって、共に喜びを分かち合われることだそうです。


「おてぶくぼ」
私はよく、珍しいものをいただいた時や、御馳走をいただきまする時は、必ずこれを側の人々にも分け合うていただいてもらいます。それで家の者や孫などは、自分の好きなもの当たった時は黙っていまするが、そうでもない時は面倒がって、なぜおばちゃんはそんなことをするのかと尋ねます。すると私はいつも、教祖のお食事を遊ばした時の物語りをいたして言うて聞かしますると、みんな得心してくれます。
私は神様のお言葉、秀司先生のご下命によりまして、永らくの間、教祖のお守り役を仰せつかりましたが、その間、特に深く感じさしていただいたのに、この「おてぶくぼ」と言うのがあります。
それは、神様の御食膳に何か珍しいものを差し上げますると、神様は、必ずご満足の後、お箸をお取り上げになってから『てぶくぼ』と仰せられて、御自身で相手の手のひらにそれをお移しになって、ともに喜びをお分かちになるのであります。二人おれば二人、三人おれば三人に、それぞれたくさんお移しになって、ともにお喜びになるのであります。神様はいかなる時も決して御自身だけでご満足なさることなく、皆とともにお喜びをお分かちになりました。恐れ多いことであります。

教祖の御好物
教祖は何がお好き、何がお嫌いというようなことは、かつて仰せられたことがござりませんでした。どんなお粗末なものを差し上げました時でも、必ず御黙祷の上『おいしいな』と仰せられましたが、少々御好物のごとく拝されたものに飴と少量の味醂とがありまする。味醂の方はごく小さいお盃に二、三杯お召しになったように記憶いたします。それで私は河内に帰った時は、途中で飴と味醂とを買ってきて差し上げるのが楽しみでした。
なお、お召し上がりにならなかったものに牛肉と鳥肉等がありまする。ある日も信徒の方で大きな山鳥を教祖に差し上げたことがありますが、その時教祖は山鳥の背(せな)をさもあわれげにお撫でになってから
『こんな目に逢うたのやなあ、可愛そうに、今度は鳥に生まれずに他のものに生まれておいで。』
と仰せられてから、下におさげになりました。御慈悲禽獣に及んでいたのであります。ただお召し上がりの時のお茶碗はかなり大きい「どうくろ」のお茶碗を御使用でございました。これは「おてぶくぼ」の時、小さいのではみんなに行き渡りませんので、大きいのをお用い遊ばしたのであろうと拝察いたしています。

道友社新書26「先人の遺した教話(五) 誠真実の道・増井りん」120〜122ページより


このような親心溢れるお心配りを知った上で教祖(おやさま)の食のお好みを知ると、日常、ここで挙げられているような食事に出会った時、教祖(おやさま)のお姿をより身近に感じることができるように思います。
御本部月次祭当日に、炊事本部の昼食を頂きながら、道の仲間と教祖(おやさま)について和やかに話していれば、教祖(おやさま)へ馳せる想いも、より身近に、より深く感じられるはずです。


先人の遺した教話 (5) (道友社新書 (26))
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2013年08月22日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九三 早よう一人で

稿本天理教教祖伝逸話篇一九三 早よう一人で

これは、梶本宗太郎の思い出話である。
教祖(おやさま)にお菓子を頂いて、神殿の方へでも行って、子供同志遊びながら食べて、なくなったら、又、教祖(おやさま)の所へ走って行って、手を出すと、下さる。食べてしもうて、なくなると、又、走って行く。どうで、「お祖母ちゃん、又おくれ。」とでも言うたのであろう。三遍も四遍も行ったように思う。
それでも、「今やったやないか。」というようなことは、一度も仰せにならぬ。又、うるさいから一度にやろう、というのでもない。食べるだけ、食べるだけずつ下さった。ハクセンコウか、ボーロか、飴のようなものであった、と思う。大体、教祖(おやさま)は、子供が非常にお好きやったらしい。これは、家内の母、山沢ひさに聞くと、そうである。
櫟本の梶本の家へは、チョイチョイお越しになった。その度に、うちの子にも、近所の子にもやろうと思って、お菓子を巾着に入れて、持って来て下さった。
私は、曽孫の中では、男での初めや。女では、オモトさんが居る。それで、
「早よう、一人で来るようになったらなあ。」
と、仰せ下された、という。
私の弟の島村国治郎が生まれた時には、
「色の白い、綺麗な子やなあ。」
と、言うて、抱いて下された、という。この話は、家の母のウノにも、山沢の母にも、よく聞いた。
吉川(註、吉川万次郎)と私と二人、同時に教祖(おやさま)の背中に負うてもろうた事がある。そして、東の門長屋の所まで、藤倉草履(註、表を藺で編んだ草履)みたいなものをはいて、おいで下された事がある。
教祖(おやさま)お声は、やさしい声やった。お姿は、スラリとしたお姿やった。お顔は面長で、おまささんは一寸円顔やが、口もとや顎は、そのままや。お身体付きは、おまささんは、頑丈な方やったが、教祖(おやさま)は、 やさしい方やった。御腰は、曲っていなかった。
藤倉草履 - Google 検索.png
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<今現在できる、自分なりの「さとり」>
梶本宗太郎先生の御逸話が続いています。
当時、梶本宗太郎先生はまだ幼い子どもでしたが、教典や教祖伝、そして逸話篇が編纂される頃には、宗太郎先生の思い出話が貴重な資料となりました。
この御逸話で語られている教祖(おやさま)のお顔立ちや体格は、そのまま教祖伝・第八章親心の「面影」として書かれています。

面影:
高齢の教祖(おやさま)にお目に掛った人々は皆、譬えようもない神々しさと、言葉に尽せぬ優しさとが、不思議にも一つとなって、何となく胸打たれ、しかも心の温まる親しさを覚えた。
教祖(おやさま)は、中肉中背で、やゝ上背がお有りになり、いつも端正な姿勢で、すらりとしたお姿に拝せられた。お顔は幾分面長で、色は白く血色もよく、鼻筋は通ってお口は小さく、誠に気高く優しく、常ににこやかな中にも、神々しく気品のある面差であられた。
お髪は、年を召されると共に次第に白髪を混え、後には全く雪のように真白であられたが、いつもきちんと梳って茶筅に結うて居られ、乱れ毛や後れ毛など少しも見受けられず、常に、赤衣に赤い帯、赤い足袋を召され、赤いものずくめの服装であられた。
眼差は、清々しく爽やかに冴えて、お目に掛った人々は、何人の心の底をも見抜いて居られるというのはこのような眼か、と思った。
足腰は、大そう丈夫で、年を召されても、腰は曲らず、歩かれる様子は、いかにも軽ろやかで速かった。
教祖(おやさま)にお目に掛る迄は、あれも尋ね、これも伺おうと思うて心積りして居た人々も、さてお目に掛ってみると、一言も承わらないうちに、一切の疑問も不平も皆跡方もなく解け去り、たゞ限りない喜びと明るい感激が胸に溢れ、言い尽せぬ安らかさに浸った。
お声は、平生は優しかったが、刻限々々に親心を伝えられる時には、響き渡るような凛とした威厳のある声で、あれが年寄った方の声か、と思う程であった。
教祖(おやさま)は、子供に対しても、頗る丁寧に、柔らか優しく仰せられたというが、その優しいお言葉に、ひながたの親としての面影を偲び、刻限刻限に親神の思召を伝えられた、神々しくも厳かなお声に、月日のやしろとしての理を拝する。厳しく理を諭し、優しく情に育くんで、人々を導かれた足跡に、教祖(おやさま)の親心を仰ぐ。


さて、この御逸話の中で注目したいのは、何度もお菓子を下されたという点です。
一度にたくさん与える訳でもなく、また一度与えたから終わりという訳でもなく、必要なだけ、必要なだけ、何度でも与えられたというところです。

この御逸話を読むと、「満足を与える」ということについて、考えさせられます。
大人でも子どもでも、一度にたくさん与えられれば、その時は喜びますし、気分的には満足できるでしょう。
しかし、貰いに行けば必ず必要なだけ与えられることほど、「安心感」を得られるものはありません。
本当の満足とは、この「安心感」なのではないでしょうか。
また、一度与えられたらもうそれでお終いということであっては、何度も通う気持ちは生まれません。
必要な分だけ、その都度その都度与えられるというのが、本当の満足であり、親を慕う心へと繋がるのだと思います。

血縁的な意味でも理の上でも、子どもが居るなら、こういった満足感を与えたいものです。
また当然ながら、神様の御守護はこのように過不足無く、その都度その都度、絶え間なくお与え下されています。それにしっかりと気付くことができれば、おのずと満足感、安心感で満たされることでしょう。

子に満足を与える親心と、親のお与え、神様の御守護に気付き、もたれ切れる心を育んでいきたいものです。
その為には何よりもまず、親自身が、子どもを満足させる心遣いで通ることが大切ですね。
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2013年08月17日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九二 トンビトート

稿本天理教教祖伝逸話篇一九二 トンビトート

明治十九年頃、梶本宗太郎が、七つ頃の話。教祖(おやさま)が、蜜柑を下さった。蜜柑の一袋の筋を取って、背中の方から指を入れて、
「トンビトート、カラスカーカー。」
と、仰っしゃって、
「指を出しや。」
と、仰せられ、指を出すと、その上へ載せて下さる。それを、喜んで頂いた。
又、蜜柑の袋をもろうて、こっちも真似して、指にさして、教祖(おやさま)のところへヒヨーッと持って行くと、教祖(おやさま)は、それを召し上がって下さった。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
この御逸話では、何かおさとしがあったということはなく、ただ、曾祖母と曾孫との微笑ましいやりとりが書かれています。

道を懸命に通る中で、疲れた気持ちになってしまうこともあるでしょう。
しかしそんな中でおぢばに帰られた先生方には、このような光景に心癒された方も多かったことと思います。

勇んで、懸命に通ってはいるのだけれど、何だか疲れてしまった時、この御逸話の情景を思い浮かべてみましょう。
癒された心が、またぼちぼちと歩み始める力を与えてくれるはずです。

また、こどもおぢばがえりを始め、その期間以外でも、おぢばには大人の笑顔も子どもの笑顔も溢れています。
おぢばに帰れば、必ず癒される。
私の経験の限りですが、それは間違いの無いことだと思います。
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2013年08月04日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九一 よう、はるばる

稿本天理教教祖伝逸話篇一九一 よう、はるばる

但馬国田ノ口村の田川寅吉は、明治十九年五月五日、村内二十六戸の人々と共にを結び、推されてその講元となった。時に十七才であった。これが、天地組七番(註、後に九番と改む)の初まりである。
明治十九年八月二十九日、田川講元外八名は、おぢば帰りのため村を出発、九月一日大阪に着いた。が、その夜、田川は宿舎で、激しい腹痛におそわれ、上げ下だし甚だしく、夜通し苦しんだ。時あたかも、大阪ではコレラ流行の最中である。一同の驚きと心配は一通りではなく、お願い勤めをし、夜を徹して全快を祈った。かくて、夜明け近くなって、ようやく回復に向かった。そこで、二日未明出発。病躯を押して一行と共に、十三峠を越え竜田へ出て、庄屋敷村に到着。中山重吉宅に宿泊した。その夜、お屋敷から来た辻忠作山本利三郎の両名からお話を聞かせてもらい、田川は、辻忠作からおさづけを取次いで もらうと、その夜から、身上の悩みはすっきり御守護頂いた。
翌三日、一行は、元なるぢばに詣り、次いで、つとめ場所に上がって礼拝し、案内されるままに、御休息所に到り、教祖(おやさま)にお目通りさせて頂いた。教祖(おやさま)は、赤衣を召して端座して居られた。一同に対し、
「よう、はるばる帰って下された。」
と、勿体ないお言葉を下された。感涙にむせんだ田川は、その感激を生涯忘れず、一生懸命たすけ一条の道に努め励んだのである。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
生野大教会初代会長・田川寅吉先生の御逸話です。
明治19年衣川弥兵衞という先生の伝える教理に感銘して、入信されたので、この御逸話までは、ご自身が大きな身上をたすけられたという経験は、無かったようです。


おふでさき

せかいにハこれらとゆうているけれど 月日さんねんしらす事なり (一四-22)

と仰せ下さいます。
コレラなど、流行の病をたすけられて入信された例は数多くあります。
コレラに限らず、あらゆる流行の病は、同じ思し召しがあると言えるのではないでしょうか。
月日ざんねん」というお言葉は、厳しい内容に受け取ることもできますが、親神様の思し召しをお知らせ下さる、貴重かつ重要な機会とも言えます。

この御逸話の中で田川寅吉先生は、すでに入信され、講元として活動されていますし、おぢばがえりも喜んで出立されたようですから、特に心得違いも見当たりません。
ではなぜ、コレラを疑わせるような、激しい身上を見せられたのでしょうか?

私は、あらゆる身上・事情の悩みは、親神様からの親心溢れるお手入れであり、ご褒美だと思っています。
もし仮に、田川寅吉先生に何の悩みもなく、何の苦労もなく、おぢばがえりをされたとしたら、後に大教会となるほど懸命に道を通ることはできなかったのではないでしょうか。
強烈とも言える苦しさと、それが不思議にたすかる喜びを味わえたからこそ、信仰の真剣さが生まれたのではないかと思うのです。
こうした視点から考えれば、このような苦しみを与えられたからこその生野大教会であり、そこに繋がる数え切れない人々のたすかりがあると言えるのです。

私の身の回りでも、修養科や各種講習会の受講中など、おぢばで見せられる身上・事情を通して、より信仰を深められる方を数多く見せられました。私自身も、修養科中、教養掛の御用中などに見せられた身上・事情によって、大きくお育て頂いたと思っています。
「こんなに頑張っているのに、こんなに喜んでいるのに、なぜこんなことが起こるのだろう?」と考えてしまうような、勇んでいる時に見せられる身上・事情にこそ、成人のきっかけがあります。これこそが、「運命が切り替わる時」なのです。

田川寅吉
生野大教会初代会長。
明治3年(1870)10月9日、現兵庫県朝来郡に生まれる。
明治19年衣川弥兵衞の伝える教理に感銘し入信、同年天地組七番講を結成した。
明治27年生野支教会長に就任。
昭和19年7月31日73才で出直した。

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2013年07月26日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九〇 この道は

稿本天理教教祖伝逸話篇一九〇 この道は

明治十九年夏、松村吉太郎が、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。多少学問の素養などもあった松村の目には、当時、お屋敷へ寄り集う人々の中に見受けられる無学さや、余りにも粗野な振舞などが、異様に思われ、軽侮の念すら感じていた。ある時、教祖(おやさま)にお目通りすると、教祖(おやさま)は、
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」
と、仰せになった。
このお言葉を承って、松村は、心の底から高慢さんげをし、ぢばの理の尊さを、心に深く感銘したのであった。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
以前、「稿本天理教教祖伝逸話篇一七六 心の澄んだ人」の中で、松村吉太郎先生について書かせて頂きましたが、丁度、この御逸話の頃のことです。

この御逸話では、教祖(おやさま)の一言のおさとしと、そこから素直に高慢心さんげされた松村先生の姿だけが描かれていますが、教祖(おやさま)が現身を隠されて後、本席飯降伊蔵先生の口を通して、このお言葉の続きとも言えるおさしづ松村先生に対して語られています。
少し長めですが引用すると、

明治二十一年一月八日(陰暦十一月二十五日)
 松村吉太郎おぢばへ参詣おさしづ
さあ/\尋ねる一条々々、十分一つ聞き分けば十分よし。神一条の道一寸難しいようなものや。一寸も難しい事はないで。神一条の道こういう処、一寸も聞かしてない。天理王命というは、五十年前より誠の理である。こゝに一つの処、天理王命という原因は、元無い人間を拵えた神一条である。元五十年前より始まった。元聞き分けて貰いたい。何処其処で誰それという者でない。ほん何でもない百姓家の者、何にも知らん女一人。何でもない者や。それだめの教を説くという処の理を聞き分け。何処へ見に行ったでなし、何習うたやなし、女の処入り込んで理を弘める処、よう聞き分けてくれ。内々へも伝え、身の内かしものや、かりものや、心通り皆世界に映してある。世の処何遍も生れ更わり出更わり、心通り皆映してある。銘々あんな身ならと思うて、銘々たんのうの心を定め。どんな事も皆世上に映してある。何程宝ありても、身の内より病めばこれ程不自由はあろうまい。自由自在心にある。この理をわきまえ。又々内々の処、銘々の処にも速やかの日がある。銘々ほんと思うた事あれば尋ねに出よ。

このおさしづはこの道の根本を語られた明快な内容で、非常に重要なものです。
教会長資格検定講習会では、必ず解説される、この道を深く通ろうとする者なら、確実に理解しておかなければならないおさしづの一つと言えます。

このおさしづでは、「知恵学問ではない」ということを、教祖(おやさま)の農家の主婦としてのお立場を示してお教え下さっていますが、さらにもう一つ、「来ん者に来いとは言わん」という部分について語られたおさしづを引用します。

明治二十年四月二十三日 午後四時頃
 神様よりしっかり治まりたと承り
このやしき、四方正面、鏡やしきである。来たいと思ても、来られんやしき。来た者に往ねとは言わん、来ん者に来いとは言わん。この度は、洗い仕立てた上やで。ようこゝ聞かねばならん。さあ一寸言うて置くで。年を切るような事を、決めるやないで。一月に三日又戻り、三日又戻り、又九日。これ聞いて、真と思て居れば、真と成るで。
(このおさしづはナライト二十五才の年の事と、上田嘉治郎記し置きたり。)

この御逸話もよく引用されるものですので、ご存知の方も多いかもしれません。

おさしづは神様からの話し言葉ですから、音読することで自分自身に語られていると認識でき、また素直に理解するために大切なことだと思います。
もう一度、この二つのおさしづを音読した後、さとりの続きを読み進めて下さい。

おさしづは、本席飯降伊蔵先生の口を通されたものですから、表面上を見れば、教祖(おやさま)とは性別も年齢も全く違う人の言葉です。
しかしその内容は、極めて一貫しています。
今回引用した二つのおさしづは、「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」という教祖(おやさま)のお言葉をさらに細かくご解説下さったものと拝読することができます。
教祖(おやさま)が現身を隠されて後の先生方が、おさしづを拠り所とされるには、やはりそれだけの裏打ちと、説得力があったからに間違いありません。

この御逸話における教祖(おやさま)のお言葉と、それからわずか一年以内のこれらのおさしづを合わせて拝読する時、教祖(おやさま)が現身を隠されるという悲しい節から、おさしづという変わらない親心を賜って前進できる喜びという不思議な繋がりが見えてくるように思います。


おふでさき

なんどきにかいりてきてもめへ/\の 心あるとハさらにをもうな (十一−78)

と仰せ下さいます。
自分自身の心の内がいかなものであれ、おぢばに帰ることができたとすれば、親神様からの深い思惑があるものと思われます。
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」というお言葉にある奥深さは、おぢばがえりを繰り返す度、また、人をおぢばにお連れ帰りする度に、どんどんと強く感じられていくように思います。
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2013年07月21日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八九 夫婦の心

稿本天理教教祖伝逸話篇一八九 夫婦の心

平野楢蔵が、明治十九年夏、布教のため、家業を廃して谷底を通っている時に、夫婦とも心を定め、「教祖(おやさま)のことを思えば、我々、三日や五日食べずにいるとも、いとわぬ。」と決心して、夏のことであったので、平野は、単衣一枚に浴衣一枚、妻のトラは、浴衣一枚ぎりになって、おたすけに廻わっていた。
その頃、お屋敷へ帰らせて頂くと、教祖(おやさま)が、
「この道は、夫婦の心が台や。夫婦の心の真実見定めた。いかな大木も、どんな大石も、突き通すという真実、見定めた、さあ、一年経てば、打ち分け場所を許す程に。」
と、お言葉を下された、という。



<今現在できる、自分なりの「さとり」>
天理教内で最初の分教会設立となった郡山大教会の初代会長・平野楢蔵先生の御逸話です。

逸話篇の中に何度か、「打ち分け場所」というお言葉が出てきました。
現・高安大教会の松村家(稿本天理教教祖伝逸話篇一〇二 私が見舞いに)や現・大縣大教会の増井りん先生宅(稿本天理教教祖伝逸話篇四七 先を楽しめ)がその代表格ですが、平野楢蔵先生の真実込めた信仰も、「打ち分け場所」の理に繋がり、最初の分教会として実現されたと考えて差し支えないと思います。

現在、約一万七千カ所の教会がありますが、そのすべてが、初代の真実の通り方によって設立に繋がっていることは、間違いありません。
今現在表向きに見える各教会の姿は様々ですが、何の苦労も、何の不思議なたすかりも、そして何の喜びも無しに設立された教会は一つとしてありません。

おふでさき

このはなしなんの事やとをもている 神のうちわけばしよせきこむ (二-16)

と仰せられます。
おふでさき註釈によると、

うちわけばしよとは、打分け場所で、将来は内、中、外に各々三十一ケ所宛、都合九十三ケ所出来ると仰せられた。如何に業病の者でも、その打ち分け場所を回っているうちに、病気を救けて頂くのであるが、そのうち一ケ所は非常に辺ぴな所にある。然し、之を略するようでは救からない。又たとい途中で救かっても車つえを捨てないで、結構に救けて頂いた事を人々に知らせて、最後にそれをおぢばに納めるので、若し途中でそれを捨てたならば、一旦救けて頂いても、又元通りになると仰せられた。

結局この「打ち分け場所」について、記録されている数カ所以外には明確に明らかにされることはありませんでした。
打ち分け場所」を回っておぢばに帰るということですが、現在の状況を勘案すれば、いわゆる親教会を巡々に参拝することだとも言えます。
いわゆる末端教会の所属であることや親教会への順序運びに不足心を持つ方もいらっしゃいますが、こうした観点から考えれば、末端教会に所属している方が、おふでさきの「うちわけばしよ」に符合した通り方ができる有り難さがあると言えるのではないでしょうか?

与えられた順序を喜び、夫婦や家族、仲間が共に心を合わせ、一手一つに通れるよう、まずは自分自身から教祖(おやさま)のひながたを目標に歩み始めることが大切なのだと思います。
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2013年07月18日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八八 屋敷の常詰

稿本天理教教祖伝逸話篇一八八 屋敷の常詰

明治十九年八月二十五日(陰暦七月二十六日)の昼のこと、奈良警察署の署長と名乗る、背の低いズングリ太った男が、お屋敷へ訪ねて来た。そして、教祖(おやさま)にお目にかかって、かえって行った。
その夜、お屋敷の門を、破れんばかりにたたく者があるので、飯降よしゑが、「どなたか。」と、尋ねると、「昼来た奈良署長やが、一寸門を開けてくれ。」と言うので、不審に思いながらも、戸を開けると、 五、六人の壮漢が、なだれ込んで来て、「今夜は、この屋敷を黒焦げにしてやる。」と、口々に叫びながら、台所の方へ乱入した。
よしゑは驚いて、直ぐ開き戸の中へ逃げ込んで、中から栓をさした。この開き戸からは、直ぐ教祖(おやさま)のお居間へ通じるようになっていたのである。
彼等は、台所の火鉢を投げ付け、灰が座敷中に立ちこめた。茶碗や皿も、木葉微塵に打ち砕かれた。二階で会議をしていた取次の人々は、階下でのあわただしい足音、喚き叫ぶ声、器具の壊れる音を聞いて、梯子段を走って下りた。そして、暴徒を相手に、命がけで防ぎたたかった。
折しも、ちょうどお日待ちで、村人達が、近所の家に集会していたので、この騒ぎを聞き付け、大勢駆け付けて来た。そして、皆んな寄って暴徒を組み伏せ、警察へ通知した。
平野楢蔵は、六人の暴徒を、旅宿「豆腐屋」へ連れて行き、懇々と説諭の上、かえしてやった。
この日、教祖(おやさま)は、平野に、
「この者の度胸を見せたのやで。明日から、屋敷の常詰にする。」
との有難いお言葉を下された。

註 お日待ち 前夜から集まって、潔斉して翌朝の日の出を拝むこと。それから転じて、農村などで、田植や収穫の後などに、村の者が集まって会食し娯楽すること。

お日待ち - Google 検索.png
お日待ち - Google 検索


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
郡山大教会初代会長・平野楢蔵先生がいよいよおぢば伏せ込まれるきっかけとなった御逸話です。

平野楢蔵先生は、元やくざの大親分。
度胸も腕っ節も強かったでしょうから、このように暴徒とたたかうのは、慣れたものだったことでしょう。
一方で、当時の先生方の中には、そのような素性に、内心不安を覚える方もいらっしゃったことは、人間として致し方のない、自然な感情だと思います。
それでも教祖(おやさま)は、平野楢蔵先生を可愛がっておられたのでしょう、「この者の度胸を見せたのやで。」と、温かいお言葉で、誰もが平野先生に敬服の念を素直に抱けるよう、お導き下されています。

ところで、この御逸話で「面白いなぁ」と感じるのは、平野先生が、暴徒に説諭をされていることです。
以前「稿本天理教教祖伝逸話篇一四〇 おおきに」のさとりに書かせて頂きましたが、入信以前の平野先生は、人を人とも思わないところのある方でした。
そんな人が、暴徒に説諭をされているのです。
説諭の内容はきっと、教理に基づいた、人間の正しい生き方や心遣いについてなどであったことでしょう。
入信以前とは、まさに別人となった姿が、この御逸話の中に現れているのだと思わせられます。

心を入れ替えることができれば、人間は生きながらにして、生まれ変わることができる。
平野先生のお姿に、この道の有り難さが、ありありと見いだせます。

<参考リンク>
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2013年07月10日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八七 ぢば一つに

稿本天理教教祖伝逸話篇一八七 ぢば一つに

明治十九年六月、諸井国三郎は、四女秀が三才で出直した時、余り悲しかったので、おぢばへ帰って、「何か違いの点があるかも知れませんから、知らして頂きたい。」とお願いしたところ、教祖(おやさま)は、
「さあ/\小児のところ、三才も一生、一生三才の心ぢば一つに心を寄せよ。ぢば一つに心を寄せれば、四方へ根が張る。四方へ根が張れば、一方流れても三方残る。二方流れても二方残る。太い芽が出るで。」
と、お言葉を下された。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
お道では、「三才心(さんさいごころ)」とよく言いますが、これには二通りの意味があります。
まずひとつには、親を無条件に慕い求める、三才児のような、真っ直ぐな心。
もうひとつは、物事が思い通りにならないと言っては親を困らせる、三才児のように成長のない、わがままな心。

通常は、前者の意味でよく使われますが、おさしづには、後者の方が多く見られます。

この御逸話の、「一生三才の心」というお言葉は、この後の通り方によって、どちらにでも変わる、ターニングポイントであるように、私には思えます。
教祖(おやさま)もズバリ、「ぢば一つに心を寄せよ。」と仰っています。
元のぢばは、元の親である親神様のお鎮まり下さるところ。
諸井国三郎先生にとって、四女秀が三才で出直したという節は、諸井国三郎先生ご自身が「一生三才の心」でおぢば伏せ込むためのお手引きであったというおさとしだと受け取れます。
そう受け取れば、この節も、梅谷四郎兵衞先生の「稿本天理教教祖伝逸話篇一八四 悟り方」同様、悲しい中にも、四女秀さんを生涯忘れず、むしろその心を目標として、親子が生死の狭間を超えて共に歩める喜びに繋がっていったものと思われます。

諸井国三郎【もろい くにさぶろう】
天保11年(1840)7月20日生まれ(遠江国山名郡広岡村下貫名‐現・静岡県袋井市広岡)
大正7年(1918)6月22日出直し:79才
明治15年(1882)諸井家に寄留していた吉本八十次(きちもとやそじ)という青年が、織物教師・井上マンの歯痛をおたすけしたのがきっかけでにをいがかかる。翌明治15年(1883)子供の病から夫婦で信心の心を定め、この年初参拝。
本席よりおさづけ(明治20年7月14日)
山名分教会(現大教会)初代会長

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2013年07月09日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八六 結構なものを

稿本天理教教祖伝逸話篇一八六 結構なものを

明治十九年三月中頃、入信後間もない中西金次郎は、泉田藤吉に伴われて、初めておぢばへ帰り、教祖(おやさま)にお目通りさせて頂いた。
教祖(おやさま)は、お寝みになっていたが、「天恵四番、泉田藤吉の信徒、中西金次郎が帰って参りました。」と取次いで頂くと、直ぐ、
「はい、はい。」
と、お声がして、お出まし下された。
同年八月十七日に帰った時、お目通りさせて頂くと、月日の模様入りのお盃で、味醂酒を三分方ばかりお召し上がりになって、その残りをお盃諸共、お下げ下された。
同年九月二十日には、教祖(おやさま)にお使い頂きたいと、座布団を作り、夫婦揃うて持参し、お供えした。この時は、お目にはかかれなかったが、後刻、教祖(おやさま)から、
「結構なものを。誰が下さったのや。」
と、お言葉があったので、側の者が、「中西金次郎でございます。」 と申し上げると、お喜び下され、翌二十一日宿に居ると、お呼び出しがあって、赤衣を賜わった。それはお襦袢であった。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
中西金次郎先生がおぢばがえりされる度に、教祖(おやさま)から何かしらのお下がりを頂かれたという御逸話です。
中西金次郎先生にとっては、その日その日の精一杯の気持ちを届けられたのでしょう。教祖(おやさま)もそのお気持ちに味醂の盃や赤衣で応えられています。
神の方には倍の力」ともお教え下さいますが、精一杯の気持ちを表現すれば、親神様・教祖(おやさま)もその分しっかりとお応え下さるということに繋がる御逸話だと思います。

ところで、逸話篇の中には、赤衣を頂かれた先生方の御逸話がたくさんあります。
しかし実は、これらがすべてではありません。
世の中には、逸話篇に収録されていない赤衣の拝戴者が数多くいらっしゃいます。
逸話篇に収録されているような場合には、ほぼ間違いなく、その教会などで大切に扱われているはずですが、歴史に埋もれ、取扱いとしても埋もれてしまっている赤衣が、実はたくさんあるようです。
つい最近、知人がにをいがけ先で、そんな赤衣に出会ったそうです。
その方は「ご存命の教祖(おやさま)を実感した」とおっしゃっていましたが、このようにして、埋もれてしまっている赤衣が掘り起こされるのも、おさづけで不思議なたすかりが現れるのと同様に、よふぼく御存命の教祖(おやさま)が出会う瞬間なのかも知れません。


中西金次郎
嘉永3年(1850)現大阪市東区平野町に連(むらじ)家に出生。
母方の絶家となった中西姓を継ぐ。
明治19年、泉田藤吉に持病の疝痛をたすけられ入信。
明治25年大江支教会を設置。
大正9年9月1日出直し。71才。

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2013年07月05日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八五 どこい働きに

稿本天理教教祖伝逸話篇一八五 どこい働きに

明治十九年三月十二日(陰暦二月七日)、山中忠七山田伊八郎が、同道でお屋敷へ帰らせて頂いた。
教祖(おやさま)は、櫟本の警察分署からお帰りなされて以来、連日お寝みになっている事が多かったが、この時、二人が帰らせて頂いた旨申し上げると、お言葉を下された。
「どこい働きに行くやら知れん。それに、起きてるというと、その働きの邪魔になる。ひとり目開くまで寝ていよう。何も、弱りたかとも、力落ちたかとも、必ず思うな。
そこで、指先にて一寸知らせてある。その指先にても、突くは誰でも。摘もみ上げる力見て、思やんせよ。」
と、仰せになって、両人の手の皮をお摘まみ下されると、まことに大きな力で、手の皮が痛い程であった。両名が、そのお力に感銘していると、更にお言葉があった。
「他の者では、寝返いるのも出けかねるようになりて、これだけの力あるか。
人間も二百、三百才まで、病まず弱らず居れば、大分に楽しみもあろうな。そして、子供は、ほふそはしかのせんよう。頭い何一つも出けんよう。百姓は、一反に付、米四石、五石までも作り取らせたいとの神の急き込み。
この何度も上から止められるは、残念でならん。この残念は、晴らさずには置かん。
この世界中に、何にても、神のせん事、構わん事は、更になし。何時、どこから、どんな事を聞くや知れんで。そこで、何を聞いても、さあ、月日の御働きや、と思うよう。これを、真実の者に聞かすよう。
今は、百姓の苗代しめと同じ事。籾を蒔いたら、その籾は皆生えるやろうがな。ちょうど、それも同じ事。」
と、お聞かせ下された。
苗代しめ - Google 検索.png
苗代しめ


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
教祖(おやさま)が檪本分署での12日間の拘留を解かれてお帰りになったのは、明治19年3月1日(陰暦1月26日)のことですから、まさにその直後の御逸話ということになります。

このいわゆる「最後の御苦労」について、教祖伝にはあまり細かく書かれていませんが、親神様の神言が下がった際、井戸に連れて行って水を浴びせたという話や、ご高齢の教祖(おやさま)に対して殴りかかるなど、いわゆる「拷問」があったとさえ伝えられる、厳しいものでした。
一緒に拘留されていた仲田儀三郎先生は、この年に出直されていますが、この御苦労が原因だったとも言われます。

そんな中での、御逸話です。
このような背景を踏まえて改めて拝読すると、親心に溢れたお言葉の連続に、恐れ入るばかりです。
またこの後、教祖(おやさま)が現身を隠される、明治二十年のおつとめに向かう、周囲の方々の戸惑い、不安、そして決心の心定めが、いかに壮絶なものであったかということも、分かってくるように思います。

現在の私たちは、教祖(おやさま)の親心を受け取ると同時に、この時代背景から先人の先生方の覚悟を推し量り、日々心を成人させていくことが大切なのだと思います。
さらに、このこと以上に大切なのが、教祖(おやさま)の親心は、今もこの御逸話のお言葉と変わらず、存命でお働き下されているということです。
日々、人にたすかって貰いたいという心を定めて通る中に、御存命の教祖(おやさま)を必ず見出すことができます。
自由自在に、「どこい働きに行くやら知れん」のが、教祖(おやさま)のお働きなのですから。

<参考リンク>
天然痘 - Wikipedia
麻疹 - Wikipedia
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2013年06月26日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八四 悟り方

稿本天理教教祖伝逸話篇一八四 悟り

明治十九年二月六日(陰暦正月三日)、お屋敷へ帰らせて頂いていた梅谷四郎兵衞のもとへ、家から、かねて身上中の二女みちゑがなくなったという報せが届いた。教祖(おやさま)にお目通りした時、話のついでに、その事を申し上げると、教祖(おやさま)は、
「それは結構やなあ。」 と、仰せられた。
梅谷は、教祖(おやさま)が、何かお聞き違いなされたのだろうと思ったので、更に、もう一度、「子供をなくしましたので。」と、申し上げると、教祖(おやさま)は、ただ一言、
「大きい方でのうて、よかったなあ。」
と、仰せられた。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
教理的に解説すれば、「失った物事を嘆くより、与えられている物事を喜ぶ」などということになり、それが「悟り方」というタイトルになっているのだと思いますが、ここではあえて、梅谷四郎兵衞先生の立場になって考えてみようと思います。

あくまで推測ですが、梅谷四郎兵衞先生は、教祖(おやさま)の「大きい方でのうて、よかったなあ。」というお言葉を聞いて初めて、泣けたのではないでしょうか。
泣けたことによって、救われたのではないでしょうか。

二女みちゑ身上を見せられる中にも、お道の御用の上に尽力されていたであろう梅谷四郎兵衞先生の心は、常に張り詰め、子どもの出直しを報告して同情されても、何ら救われなかったでしょうし、むしろ何も感じられない、呆然とした気持ちだったでしょう。

そんな中で、教祖(おやさま)の「大きい方でのうて、よかったなあ。」というお言葉を賜った瞬間の梅谷先生の気持ちを想像してみて下さい。
色んな感情が溢れ出て、涙に溺れたのではないかと、私には感じられます。
その感情の中には、教理的理解ももちろんあったでしょうし、悲しみも、あるいは怒りも、言葉で表現できない感情が溢れ出たのではないでしょうか。
人間は、色んな感情、特に言葉に表現できない感情がたくさん表出されるとき、涙に溺れます。
そして、涙に溺れて初めて、抑えていた感情が整理され、前に進めるのだと思います。

どんなに優しく同情されても、梅谷先生はきっと救われなかったでしょうし、当時の「男としての強い自分」を演じ続けなければならなかったかもしれません。

こう考えたとき、教祖(おやさま)の「大きい方でのうて、よかったなあ。」というお言葉ほど、教理的に正しく、且つ、梅谷先生の感情表出にふさわしい言葉は、見つけられません。

ただ優しいだけではなく、本当の救いになるお言葉が、教祖(おやさま)のお言葉にたくさん見つけられます。
容易に真似はできませんし、下手に真似をすると、聞く人を傷つけるだけになってしまうかも知れません。
それでも、私たちよふぼくが目指すひながたは、ここにこそあるのだと思います。

良く似た御話をご紹介します。
増井りん先生のおたすけ話に、寝たきりのご婦人のおたすけに毎日通われ、おさづけの他、おさとしは「結構でんな」の一言だけで、他には何も仰らなかったというお話があります。
当時その女性は、まだ三十三歳。
六人の子どもを残し、急性の心臓病で医者が臨終を告げた約10分後、増井りん先生のおさづけで再び心臓が動き始めました。
その後意識も戻りますが、しばらく寝たきりの日々が続きます。
増井りん先生は、毎日おたすけに通い、「結構でんな」と仰っておさづけ取次、そそくさと帰るという日々を通られます。
そんな中で、寝たきりのご婦人は、子どもの世話も見てやれず、多忙な夫を見てやるせない思いにかられ、「こんなことないっそ死んでしまった方が……」と考えてしまいます。
心臓の発作も続き、しかもそれは心臓を金属製の爪で掻きむしられるような、壮絶な苦しみだったそうです。
この中でも増井りん先生は、変わらず「結構でんな」と仰っておさづけを取り次がれました。
ご婦人は苦しさにたまりかねて、「何が結構でんね、こんなに苦しいのに」と不足心をぶつけられました。
そんなご婦人に対し、増井りん先生は顔色も変えず、「苦しいので結構でんねで」とさとされ、またそそくさと帰られます。
そこでご婦人は、「苦しいので結構とはどういうことか」と懸命に考えたそうです。
そして、自分は夫や子どものことを心にかけていたつもりでも、実は自分のことばかり考えていたことに気づき、「神様はこうしてでもおいて下さる。この苦しい中を喜んで通らねば」と、はじめてさとったそうです。
それからこのご婦人はトントン拍子でご守護頂き、九十一歳まで長命されたということです。

このように文章にするとサラッと読めてしまいますが、この時のご婦人のさとりもまた、激しい感情の揺さぶりの後に、言葉に表現できない反省と感謝の心が現れたものだと思わせられます。
世間一般でも、感謝が大切だ言われますし、どんな中でも御守護をさとり取ることが大切なのは間違いないのですが、その時の心は、激情とも言える激しいものです。
私自身も、初めて神様の御守護をさとり取れた時の心は、言葉では言い表せない激情でした。
しかしその信仰の元一日を思うと、すべてが感謝できます。

今の私には、自分自身が神様の御守護をさとり取るということはともかく、人に対して、一歩間違えれば相手を傷つけかねない言葉を、このような強い信念をもって伝えるには、まだまだあまりにも遠い道中だとしか思えませんが、一歩でも近付ける日々を過ごさせて頂きたいと思います。
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2013年06月23日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八三 悪風というものは

稿本天理教教祖伝逸話篇一八三 悪風というものは

明治十八、九年頃のこと。お道がドンドン弘まり始めると共に、僧侶、神職その他、世間の反対攻撃もまた次第に猛烈になって来た。信心している人々の中にも、それ等の反対に辛抱し切れなくなって、こちらからも積極的に抗争しては、と言う者も出て来た。その時、摂津国喜連村の林九右衞門という講元が、おぢばへ帰って、このことを相談した。そこで、取次から、教祖(おやさま)に、この点をお伺いすると、お言葉があった。
「さあ/\悪風に譬えて話しよう。悪風というものは、いつまでもいつまでも吹きやせんで。吹き荒れている時は、ジッとすくんでいて、止んでから行くがよい。
悪風に向こうたら、つまづくやらこけるやら知れんから、ジッとしていよ。又、止んでからボチボチ行けば、行けん事はないで。」
と、お諭し下された。
又、その少し後で、若狭国から、同じようなことで応援を求めて来た時に、お伺いすると、教祖(おやさま)は、
「さあ、一時に出たる泥水、ごもく水やで。その中へ、茶碗に一杯の清水を流してみよ。それで澄まそうと思うても、澄みやすまい。」
と、お聞かせ下された。一同は、このお言葉に、逸やる胸を抑えた、という。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
今もお道を通る中で色んな日があります。
しかし、当時の先生方のご苦労を思えば、微々たる苦労です。

文字通りの道を歩む際にも、焦らず、一歩一歩進むことが大切であることは、お道を歩む上でも同様に大切なことです。
おさしづにも、

一里の道も急いて行ってはしんどいと言わにゃならん。十里の道でもぼち/\行けばその日に行ける。(明治三十四年四月十六日)

と仰せ下さいます。

さて、この御逸話での教祖(おやさま)のお言葉についてですが、当時のお道への反対・攻撃を「悪風」に譬えておさとし下されていますが、今現在の一般的な用法ではなく、嵐のようなもののことを仰っているように思います。
ここでは、嵐と考えてみましょう。

嵐の中を抗して歩むことは、無謀な歩みです。
嵐に抗しなくとも、じっと待っていれば嵐はいつしか過ぎ去ります。
単純な譬えに思えてしまうかもしれませんが、非常に親心あふれる温かいお言葉だと思います。
嵐が過ぎるのを待つのは辛いですし、嵐が過ぎた後の片付け、復興も大変なのは確かです。しかし、嵐に立ち向かったところで嵐は治まりませんし、そこで怪我をしてしまっては、後々の復興に差し支えます。
すべて分かった上でのこのお言葉。有り難い限りです。

またさらに、「さあ、一時に出たる泥水、ごもく水やで。その中へ、茶碗に一杯の清水を流してみよ。それで澄まそうと思うても、澄みやすまい。」というお言葉も下されています。
この譬えはより視覚的にイメージできますね。
泥水を澄ます一番の方法は、じっとさせておくことです。ごもく水(ゴミがたくさん混じった水)なら、流し切ってしまうのが一番です。
泥水の中に茶碗一杯の清水を入れても、その清水が泥水に変わってしまうだけだとも言えてしまいます。
清水から泥水に変わってしまうのを見るのは、辛いことです。

最初にも書きましたが、お道を歩む中には、色んな日があります。
この御逸話おさとし下されているように、じっと待つしかない日もあります。
そんな時は、じっとする中でしかできないことをやってみましょう。
文字通り嵐の日にすることは、家が嵐に負けないよう窓を閉め切り、弱い部分の補強をし、何かあればすぐに対処ができるように準備をした後は、のんびり本でも読んだり、家族と語り合ったりして過ごすはずです。
お道を通る中での悪風も、同じようにやり過ごせば良いのではないでしょうか?
不安をゼロにはできないかも知れませんが、こういう風に考えれば、少し気が楽になりますし、難しいこともありません。

大変な弾圧の中でのおさとしが、心温まる親心であることにも、注目したいものです。


林九右衞門
現大阪市平野区喜連の人。
明治16年、松村栄治郎にをいがけで入信した。
平神講第二番という講に所属する。(平神講は現・中河大教会部内)

<参考リンク>
悪風 - ウィクショナリー日本語版
悪風の同義語 - 類語辞典(シソーラス)
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2013年06月19日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八二 元の屋敷

稿本天理教教祖伝逸話篇一八二 元の屋敷

大和国笠間村の大浦伝七妻なかは、急に人差指に激しい痛みを感じ、その痛みがなかなか治まらないので、近所の加見兵四郎に願うてもろうたところ、痛みは止まった。が、しばらくすると、又痛み出し、お願いしてもらうと、止まった。こういう事を、三、四度も繰り返した後、加見が、「おぢばへ帰って、教祖(おやさま)にお願い致しましょう。」と言うたので、同道して、お屋敷へ帰り、教祖(おやさま)にお目通りして、お願いしたところ、教祖(おやさま)は、その指に三度息をおかけ下された。すると、激しい痛みは、即座に止まった。この鮮やかな御守護に、なかは、「不思議な神様やなあ。」と心から感激した。その時、教祖(おやさま)は、
「ここは、人間はじめ出したる元の屋敷である。先になったら、世界中の人が、故郷、親里やと言うて集まって来て、うちの門口出たら、何ないという事のない繁華な町になるのや。」
と、お聞かせ下された。

註 これは、明治十八、九年頃のことと言い伝えられている。

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<今現在できる、自分なりの「さとり」>
身上の悩みお手引きとなった御逸話です。
大浦伝七先生はこの後、敷島大教会部内東和分教会の初代会長となられています。

さて、おぢばがえりをされたことはありますか?
駅から天理教教会本部へ向かって「天理本通り商店街」のアーケードがあります。
東京や大阪ほどの大都会ではありませんが、駅前だけでも地方都市として、非常に繁華な雰囲気があります。
現代に生きる私たちは、ついついこの雰囲気が当たり前になってしまい、シャッターの下りた店舗を見ると「やっぱり地方の商店街は経営が難しいのかな」などと考えてしまったりします。実際は、いわゆるシャッターストリートにならずに生き残っている、今や珍しい地方都市の商店街なのですが。

そんな賑やかな街が、この御逸話の当時は、畑や田圃とわずかな家が建つだけの、田舎の小さな村だったことと言われても、容易には想像できません。
正直なところ、私は昔の写真を見せられても、「これが今のこのあたりだ」と地図まで合わせて見せられても、まったく想像できません。
駅からご本部までを歩いていても、距離はあるもののそれは一つの街であり、いくつもの村を通り過ぎたという事すら考えられません。

当時信仰されていた先生方は、ちょうどこの真逆の感覚を抱かれたと考えてみると良いかもしれません。
実際には写真も何も無いのですから、私たちの感覚とは比べ物にならないくらい、想像が付かなかったはずですが、私たち自身の想像力から、当時の先生方が感じられたであろう気持ちを考えてみて下さい。

教祖(おやさま)の「先になったら、世界中の人が、故郷、親里やと言うて集まって来て、うちの門口出たら、何ないという事のない繁華な町になるのや。」というお言葉は一言一句間違いなく、その通りになっています。

当時の先生方に現在の姿が想像できなかったように、現代の私たちには当時のことが想像できません。
それ程の変化を教祖(おやさま)が御予言されていたことは、本当に神業だと思わされます。

次におぢばがえりされる際には、是非、そんな当時のことに思いを馳せて見て下さい。
きっと、想像を絶する変化に圧倒されることでしょう。
さらに自分自身も、「世界中の人が、故郷、親里やと言うて集まって来て」いる一人なのだと考えてみて下さい。

時代の大きな変化の中でも、変わらぬ存命の教祖(おやさま)親心を感じ取るおぢばがえりを繰り返したいものです。
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2013年06月18日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八一 教祖の茶碗

稿本天理教教祖伝逸話篇一八一 教祖の茶碗

「教祖(おやさま)のお使いになった茶碗の中には、欠けたのを接いだのがあった。私は、茶碗を見た。模様ものの普通の茶碗に、錦手の瀬戸物で接いであった。これは、本部の宝や。これを見たら、後の者は贅沢出来ん。
お皿でも、教祖(おやさま)のお使いになったものの中には、接いだものがあった。」
と。これは、梶本楢治郎の懐旧談である。
茶碗 継ぎ - Google 検索.png
茶碗 継ぎ - Google 検索


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
逸話編の中には、「稿本天理教教祖伝逸話篇二六 麻と絹と木綿の話」の「形がのうなるところまで使えるのが、木綿や。木綿のような心の人を、神様は、お望みになっているのやで。」というお言葉や「稿本天理教教祖伝逸話篇四五 心の皺を」、「稿本天理教教祖伝逸話篇六四 やんわり伸ばしたら」などでの「皺紙」のたとえ、「稿本天理教教祖伝逸話篇一一二 一に愛想」の「菜の葉一枚でも、粗末にせぬように。」また更に、「稿本天理教教祖伝逸話篇一二四 鉋屑の紐」など、物を大切にすることを強調された御逸話、お言葉が数多くあります。

現代社会では、景気の流れや生産性の向上などに流されて、物の価値を見失ってしまいそうなほど翻弄されることが多々あります。

私自身、教会生活の中でお金を大切に考える気持ちが先行し、不器用な自分が修理できる程度までは物を使っても、それ以上に壊れてしまってからは、心を込めて作られたもの、生産者を大切にした物ではなく、単に安くて丈夫そうな物に買い替えてしまいます。

本来は、「木綿の心」のように、物は形が無くなるまで使うべきでしょうし、新たに購入する場合には、心を込めて作られた物にその対価としてある程度のお金をかけて支払うべきなのだと思います。
それが、「稿本天理教教祖伝逸話篇一三八 物は大切に」の「物は大切にしなされや。生かして使いなされや。すべてが、神様からのお与えものやで。」というお言葉を実践する、根本的な意識なのだと思います。

金銭的余裕の少ない教会生活は、冷静な目で見れば、低賃金で働く人、原材料の大量購入、大量生産によって安く作られた物で支えられていると見て、残念ながら間違いは無いと思います。
それならばせめて、物は形が無くなるまで使いたいものです。

稿本天理教教祖伝逸話篇一一二 一に愛想」に、「すたりもの身につくで。いやしいのと違う。」と仰せられています。
まずは、勿体ないと思いつつも仕方なしに捨てていたものから、その再利用方法を見出す努力から始めていきたいと思います。
ただし、「稿本天理教教祖伝逸話篇三九 もっと結構」の「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構」というお言葉も胸に納め、物に執着する気持ちは持たないように。


梶本楢治郎
明治5年(1872)6月17日、梶本惣治郎はるの5男として出生。
初代真柱の弟。
本部員として多くの要職につく。
昭和23年12月11日、77歳で出直し

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2013年06月17日

稿本天理教教祖伝逸話篇一八〇 惜しみの餅

稿本天理教教祖伝逸話篇一八〇 惜しみの餅

ある人が、お餅を供える時、「二升にして置け。」「いや三升にしよう。」と、家の中で言い争いをしてから、「惜しいけど、上げよう。」と、言って、餅を供えたところ、教祖(おやさま)が、箸を持って、召し上がろうとなさると、箸は、激しく跳び上がって、どうしても、召し上がる事が出来なかった、という。
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<今現在できる、自分なりの「さとり」>
稿本天理教教祖伝逸話篇八九 食べ残しの甘酒」や「稿本天理教教祖伝逸話篇二五 七十五日の断食」の際の御逸話と通じる内容ですね。
稿本天理教教祖伝逸話篇七 真心の御供」でも同様のことが書かれていました。
またこの御逸話では、「惜しい」という心だけでなく、「言い争い」という家庭内の不和も教祖(おやさま)がお受け取りになれない行動があったのだとも考えさせられます。

逸話編は基本的に年代順に並んでいますので、これらとの御逸話の年代は相当開いていることが、御逸話の番号を見るだけで分かりますが、教祖(おやさま)の御言動が何一つ変わられていないこともよく解ります。

私は教会生活をさせて頂いていますが、正直なところ、惜しみの気持ちが感じられる御供えや高慢心を感じる御供えにも、家族で揉めた末に決められたお供えにも出会ったことはありません。
ただ私が鈍感なだけだという可能性は否定できませんが、信者様方の御供えされるお金や物、一つ一つに真心を感じさせて頂いています。
もちろん、現金のお供え金額や物品のお供えの価格などは、一切関係ありません。
信者様方が、それぞれ教会のために、ご自身の日々の喜びの表現のためにと、精一杯に御供えされていることが、不思議と伝わってくるのです。

そんな信者様方の真実の心を見習い、私も所属教会や上級教会つくし、はこぶお金の一円一円、お米の一粒一粒、ひのきしんの一秒一秒に真実を尽くさせて頂きたいと思います。

ただ御供えするのではなく、精一杯尽くして初めて、親神様、教祖(おやさま)はお喜び下さるのだと思います。
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2013年06月01日

稿本天理教教祖伝逸話篇一七九 神様、笑うてござる

稿本天理教教祖伝逸話篇一七九 神様、笑うてござる

ある時、村田イヱが、動悸が出て、次第に募って来て困ったので、教祖(おやさま)にお伺いしたところ、
「動悸は、神様、胸が分からん。と言うて、笑うてござるのやで。」
と、お聞かせ下された。
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動悸 - Wikipedia


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
逸話編の中には数少ない、身上諭しのお言葉です。

動悸は、大なり小なり多くの方がご経験のあることだと思います。
心臓が通常より激しく打つように感じられることです。
これが頻繁に起こると、非常に辛いので、身上へのお知らせをさとろうとする際、深刻に考えすぎてしまうかもしれません。
ところが教祖(おやさま)は、「動悸は、神様、胸が分からん。と言うて、笑うてござるのやで。」と仰せられています。
さとりとるべきところは、「胸が分からん」という点ですが、「神様、笑うてござる」と、かなり気楽な印象を受けます。

身上へのお知らせをさとりさんげする際、大切なのは「たんのう」です。
たんのうはまた、安心とも言い換えられると思います。
この御逸話でのお諭しで言えば、「胸が分からん」という点は確かにさんげし、改められる点は改めて通ることを心定めすべきでしょう。
しかし同時に、「神様、笑うてござる」というお言葉で、スッと心が軽くなる安心感も、素直に受け取って良いのです。
むしろ、この点の方がより重要と言えるかも知れません。

このさとりを書いている私も、思いがけない身上お手入れを頂き、そのお知らせをさとり取ろうと、自身を振り返り、思い当たるところが見つからないという思いと、思い当たるところだらけだという思いとの狭間で、不安一杯に揺れ動いていました。
しかしこの御逸話を拝読し、成程、まずは安心の心だと、心におさめることができたように思います。
不安から安心に心が変われば、身上お手入れも、勇んで受け取ることができますね。
そうすると、不思議にも数日で回復のご守護を頂きました。

教祖(おやさま)のお言葉は、遠く時代を超えても、私たちをおたすけ下さいます。

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動悸 - Wikipedia
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2013年05月29日

稿本天理教教祖伝逸話篇一七八 身上がもとや

稿本天理教教祖伝逸話篇一七八 身上がもとや

教祖(おやさま)の仰せに、
「命あっての物種と言うてある。身上がもとや。金銭は二の切りや。今、火事やと言うたら、出せるだけは出しもしようが、身上の焼けるのも構わず出す人は、ありゃせん。大水やと言うても、その通り。盗人が入っても、命が大事やから、惜しいと思う金でも、皆出してやりますやろ。
悩むところも、同じ事や。早く、二の切りを惜しまずに施しして、身上を救からにゃならん。それに、惜しい心が強いというは、ちょうど、焼け死ぬのもいとわず、金を出しているようなものや。惜しいと思う金銭・宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。そこで、二の切りを以て身の難救かったら、これが、大難小難という理やで。よう聞き分けよ。」
と。これは、喜多治郎吉によって語り伝えられた、お諭しである。

註 二の切り 切りとは、義太夫などに於て、真打が勤める最も格式の高い部分を言う。したがって、二の切りとは、一番にではなくて、二番目に大切なもの、という意。(新村出「広辞苑」平凡社「世界大百科辞典」)


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
私たちは、なぜ御供えをしなければならないのか、なぜ身銭を切って人だすけに使わなければならないのか、ということの解りやすい答えです。

八つのほこり」の説き分けの一番最初に、「おしい」とあります。
「おしいとは 心の働き、身の働きを惜しみ、税金など納めるべきものを出し惜しみ、世のため、道のため、人のためにすべき相応の務めを欠き、借りたる物を返すのを惜しみ、嫌なことは人にさせて、自分は楽をしたいという心。すべて天理に適わぬ出し惜しみ、骨惜しみの心遣いはほこりであります」
と説かれます。

確かに、人は誰でも楽をしたいし、貯金は貯めたいし、骨折り損はしたくありません。
しかし、「ここぞ!」という時にまで、出し惜しみをしていては、この御逸話のお言葉の通り、「惜しいと思う金銭・宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。」ということになってしまいます。
実はこれは、日々のことでも同じなのではないでしょうか。
日々の働きですべき事、出すべきもの、人々への心遣いを出し惜しんでいては、自分が困った時にたすけてくれる人を無くしてしまいかねませんよね。

惜しいと思う心が、いかに身を削ってしまっているのか、むしろ身銭を切った方が、身を立てると言えるのかもしれません。
もちろん、身を立てたい、人に好かれたい、あれが欲しいこれが欲しいと金銭を使うのは、「おしい」の反対ではなく、ただの欲望で、間違った心遣いです。

身上が健やかであることを、いかに喜び、いかに表現するかが、心のほこりを払う術であり、それが自然と御供えに繋がるのが、真実の御供えなのだと思います。
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2013年05月26日

稿本天理教教祖伝逸話篇一七七 人一人なりと

稿本天理教教祖伝逸話篇一七七 人一人なりと

教祖(おやさま)は、いつも、
「一日でも、人一人なりと救けねば、その日は越せぬ。」
と、仰せになっていた。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
たった一言ですが、心に迫る一言ですね。

教祖(おやさま)の親心を強く感じますし、教祖(おやさま)の道具衆として働くよふぼく一人一人が、このお言葉を胸に歩ませていただきたいものです。

とはいえ、なかなか難しいのが現実。
毎日最低一回のおさづけ心定めし、実行できている人は多いですが、それが家族や固定のおたすけ先にほぼ限られてしまっていて、実質的に「人一人なりと救けねば」という精神とは少しズレてしまっている人も少なくありません。
しかし私自身は、それはそれで構わないのではないかとも思います。
決して開き直っているのではありません。
そもそも、私たちよふぼくは教祖(おやさま)の道具おさづけや教理の取次人であって、たすけ主でも、教え主でもありません。
真実込めておさづけ取り次いで出直される方もいれば、軽い気持ちで取り次いおさづけを喜び、不思議なたすかりの御守護を頂かれる方もいらっしゃいます。
にをいがけでも、一生懸命声がけをしても誰も振り向いて下さらない日もあれば、向こうから尋ねて来て下さる日もあります。
どんなに頑張っても、一人の人にもたすかってもらえない、にをいが全くかからない日は、いくらでもあります。

たすかる人も、にをいがかかる人も、それは自分に何か特別な能力があるわけではなく、親神様の思惑、自分とのいんねん、そしてそれぞれの成人時旬が立て合っての結果なのです。

人間にできるのは、教祖(おやさま)の「一日でも、人一人なりと救けねば、その日は越せぬ。」というお言葉を胸に、できる限りの実働をすることだけです。
その上で、にをいがかかる日もかからない日も、おたすけが上がる日も上がらない日も、すべて親神様の思召しの下にあるのだと、心を倒さず歩み続けることこそが大切なのだと思います。

教祖(おやさま)ひながたの前半も、誰にも親神様の教えが伝わらない日々です。
にをいがかからない、おたすけが上がらない日々は、教祖(おやさま)のひながたを辿らせて頂いているのだと考え、教祖(おやさま)がそのような日々の中で残された施しのひながたやお言葉を頼りに、自分にできることは何かを考え直してみましょう。

またもう一つの側面から見れば、ご存命の教祖(おやさま)は、そのお働きで、毎日、世界中のどこかで誰かをたすけられているとも言えます。
自分自身や周囲の人が日々大難を小難にお連れ通り下さっていることを感謝すると共に、毎日誰かがたすかっていることに思いを馳せ、それを喜び、さらに教祖(おやさま)のお働きに感謝とお労いを祈ることもまた大切なのではないかと思います。
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2013年05月23日

稿本天理教教祖伝逸話篇一七六 心の澄んだ人

稿本天理教教祖伝逸話篇一七六 心の澄んだ人

明治十八年十二月二十六日、教祖(おやさま)が仲田儀三郎に下されたお言葉に、
「心の澄んだ人の言う事は、聞こゆれども、心の澄まぬ人の言う事は、聞こえぬ。」
と。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
教祖伝などでは、教祖(おやさま)のお身体が丈夫で健康的であったことは記述されていますが、聴覚については書かれていません。
当時の先生方の執筆されたものを読んでみると、晩年は聴覚が衰えられていたと思われる記述が見つかります。
例えば、天理教の一派独立で活躍された松村吉太郎先生の「道の八十年」という本には、

おぢば帰りをするようになつてから、お目にかかつた教祖様は、すでに九十才になつておられ、目も耳も不自由であられた。何かお伺いするときは、石板に伺いの件を書いて、それをお見せした。しかし、どのようなことでも、教祖様は、即座にお答えになつた。それは実に鮮かであつた。お考えになるとか、ためらわれることが、まるでなかつた。
私は私なりにそこに親神様を見ていた。

と、教祖(おやさま)に筆談で質問された経験が書かれています。

しかしこれは単純に聴覚が老化で衰えられたのではなく、「心の澄んだ人の言う事は、聞こゆれども、心の澄まぬ人の言う事は、聞こえぬ。」と、人々の心が澄みきることを急き込まれてのことであると語られています。

私たちは直接教祖(おやさま)にお会いし、お話をすることは出来ません。
しかし教祖(おやさま)は今もご存命で、常に私たち人間を見つめて下さっていますし、私たちも日々、教会の教祖(おやさま)のお社に向かって、あるいは心の中で教祖(おやさま)にお礼やお願いを語りかけているはずです。
その時、澄んだ心で語りかけているでしょうか。
この御逸話から、日々の心を反省するきっかけにもできると思います。

ただ付け加えれば、松村吉太郎先生のお声ははっきり聞こえなくとも、筆談の上で、何でも鮮やかに教えて下さったということですから、深刻に考え過ぎず、素直に語りかけ、自分の心が澄みきるように日々努力し続けることが大切なのだと思います。

道の八十年―松村吉太郎自傳
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2013年05月22日

稿本天理教教祖伝逸話篇一七五 十七人の子供

稿本天理教教祖伝逸話篇一七五 十七人の子供

明治十八年のこと。ある日、教祖(おやさま)は、お側の人達に、
「明日は、阿波から十七人の子供が帰って来る。」
と、嬉しそうに仰せになった。
が、その翌日も又翌日も、十七人はおろか、一人も帰って来ない。そのうちに、人々は待ちくたびれて、教祖(おやさま)のお言葉を忘れてしまった。しかし、それから十数日経って、阿波から十七人の者が帰って来た。人数は、教祖(おやさま)のお言葉通り、ちょうど十七人であったので、お側の人人は驚いた。
話を聞いてみると、ちょうどお言葉のあった日に出帆したのであったが、悪天候に悩まされて難航を重ね、十数日も遅れたのであった。土佐卯之助たち一行は、教祖(おやさま)のお言葉を承って、今更のように、驚き且つ感激した。そして、教祖(おやさま)にお目通りすると、教祖(おやさま)は、大層お喜び下されて、
「今は、阿波国と言えば遠いようやが、帰ろうと思えば一夜の間にも、寝ていて帰れるようになる。」
と、お言葉を下された。
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<今現在できる、自分なりの「さとり」>
教祖(おやさま)の見抜き見通しのお力の御逸話です。
到着する日ではなく、出立を見通されています。
教祖(おやさま)のお言葉が、人間には理解し難い、理解し難いけれどもやはり正しい、ということの好例かもしれません。

最後の「今は、阿波国と言えば遠いようやが、帰ろうと思えば一夜の間にも、寝ていて帰れるようになる。」というお言葉も、私たちには当たり前の感覚ですが、当時の方には理解できなかったでしょう。
徳島の撫養とおぢばの距離は、今では日帰りさえできるものです。
当時は航海が乱れれば、十数日もかかったことにむしろ驚きを感じてしまう私たちの感覚を逆にすれば、当時の方々のお気持ちも、少し身近に感じられるかも知れません。

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2013年05月21日

稿本天理教教祖伝逸話篇一七四 そっちで力をゆるめたら

稿本天理教教祖伝逸話篇一七四 そっちで力をゆるめたら

もと大和小泉藩でお馬廻役をしていて、柔術や剣道にも相当腕に覚えのあった仲野秀信が、ある日おぢばへ帰って、教祖(おやさま)にお目にかかった時のこと、教祖(おやさま)は、
仲野さん、あんたは世界で力強やと言われていなさるが、一つ、この手を放してごらん。」
と、仰せになって、仲野の両方の手首をお握りになった。仲野は、仰せられるままに、最初は少しずつ力を入れて、握られている自分の手を引いてみたが、なかなか離れない。そこで、今度は本気になって、満身の力を両の手にこめて、気合諸共ヤッと引き離そうとした。しかし、御高齢の教祖(おやさま)は、神色自若として、ビクともなさらない。
まだ壮年の仲野は、今は、顔を真っ赤にして、何んとかして引き離そうと、力限り、何度も、ヤッ、ヤッと試みたが、教祖(おやさま)は、依然としてニコニコなさっているだけで、何んの甲斐もない。
それのみか、驚いた事には、仲野が、力を入れて引っ張れば引っ張る程、だんだん自分の手首が堅く握り締められて、ついには手首がちぎれるような痛さをさえ覚えて来た。さすがの仲野も、ついに堪え切れなくなって、「どうも恐れ入りました。お放し願います。」と言って、お放し下さるよう願った。すると、教祖(おやさま)は、
「何も、謝らいでもよい。そっちで力をゆるめたら、神も力をゆるめる。そっちで力を入れたら、神も力を入れるのやで。この事は、今だけの事やない程に。」
と、仰せになって、静かに手をお放しになった。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
逸話編の中に何度も出てくる力比べ御逸話です。
仲野秀信先生は明治18年頃から、初代真柱様の柔術、剣術の指導をされた方ですから、本当に力自慢の方だったのだろうと思われます。また後には、天理中学校開校時に柔道・剣術・体操の教師となられるほどの方です。
力比べさとりについては、「稿本天理教教祖伝逸話篇六一 廊下の下を」に書かせて頂きましたので、割愛いたします。

また、「倍の力」というお言葉が逸話編に、三度出てきます。
「そっちで力をゆるめたら、神も力をゆるめる。そっちで力を入れたら、神も力を入れるのやで。この事は、今だけの事やない程に。」と本質的に同じお言葉なのだと感じます。
何事にあたるにも、人が精一杯の気持ちで行うことには、神様倍の力でお働き下さり、人が軽い気持ちで行うと、神様の働きも軽くなってしまうということです。

ところで、この御逸話は、明治19年檪本分署での最後のご苦労の直後のことと言われています。
現身を隠される一年前の、言わば、最晩年にあたります。
最後のご苦労の際は、例年にない寒波が到来したことが気象庁に記録されています。
厳寒の中檪本分署の板間に15日間拘留されておられたのです。
教祖(おやさま)とご一緒に拘留された仲田儀三郎先生は、わずか四か月後の六月に出直されていますが、その原因はこの時の拘留であったという説もあるほど、厳しいものだったようです。

そんな中での力比べ御逸話ということを考えると、教祖(おやさま)のお身体は年老いた訳でも、弱った訳でもないことがよく解りますし、そこに込められた、人間の側も精一杯力を込めての力を引き出すようにとの思召しが強く感じられます。
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2013年05月20日

稿本天理教教祖伝逸話篇一七三 皆、吉い日やで

稿本天理教教祖伝逸話篇一七三 皆、吉い日やで

教祖(おやさま)は、高井直吉に、
不足に思う日はない。皆、吉い日やで。世界では、縁談や棟上げなどには日を選ぶが、皆の心の勇む日が、一番吉い日やで。」
と、教えられた。

一日 はじまる
二日 たっぷり
三日 身につく
四日 仕合わせようなる
五日 りをふく
六日 六だいおさまる
七日 何んにも言うことない
八日 八方ひろがる
九日 苦がなくなる
十日 十ぶん
十一日 十ぶんはじまる
十二日 十ぶんたっぷり
十三日 十ぶん身につく
(以下同)
二十日 十ぶんたっぷりたっぷり
二十一日 十ぶんたっぷりはじまる
(以下同)
三十日 十ぶんたっぷりたっぷりたっぷり
三十日は一月、十二ケ月は一年、一年中一日も悪い日はない。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
本当に有り難いお言葉ですね。
親神様から見れば、すべては御守護あふれる毎日です。
日柄を選ぶのは、人間側の勝手な都合・解釈でしょう。

とはいえ、天理教の教えにも、日柄が無い訳ではありません。
例えば月次祭、教祖(おやさま)年祭など、固定された日柄が決まっています。
これは神様からの旬刻限という親心であると同時に、こうすることで、つとめる者、皆の心が一つに纏まるからです。

日々の生活は、皆良い日と思って勇み、皆が纏まる日は相談の上で勇む日を決め、一手一つにつとめる。
それが、親神様のお望みなのだと思います。
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2013年05月19日

稿本天理教教祖伝逸話篇一七二 前生のさんげ

稿本天理教教祖伝逸話篇一七二 前生さんげ

堺に昆布屋の娘があった。手癖が悪いので、親が願い出て、教祖(おやさま)に伺ったところ、
「それは、前生いんねんや。この子がするのやない。親が前生にして置いたのや。」
と、仰せられた。それで、親が、心からさんげしたところ、鮮やかな御守護を頂いた、という。



<今現在できる、自分なりの「さとり」>
逸話編の中には数少ない、事情おたすけ御逸話です。

自分自身に置き換えて考えてみましょう。
自分の子どもが、万引きを繰り返しているとします。
叱りもし、色々なところに相談してみても、一向に治まらない。
途方に暮れた最後の頼りが、教祖(おやさま)だった訳です。
そこで頂いたのが、「それは、前生いんねんや。この子がするのやない。親が前生にして置いたのや。」というお言葉。
現代と違ってこの当時は、「いんねん」という言葉がもっと身近だったようです。
恐らく取次の方などから併せて、「いんねんを切る」ということも伝えられたのでしょう。
この教えが始まるまでは、「いんねん」と言えば諦めるしかなかった。それが、さんげをすれば「いんねんが切れる」というのですから、どれほど救われる思いだったでしょう。
この御逸話についての情報は、私の調べられる範囲では得られなかったので、詳細は解りません。
したがって、どうやって前生いんねんさとりさんげされたのかも、解りません。
いずれにせよ素直にさんげをされ、御守護を頂かれます。

さて、現在この御逸話を拝読している私は、どうしようもなく追い詰められた気分の時、素直に前生いんねんさとりさんげできるでしょうか?
明確にいんねんを自覚できなくても、
おさしづ

たんのうは前生因縁のさんげ(M23.12.27)

と仰せられるように、たんのうの日々を歩めているでしょうか?
自信を持ってそうだとはとても言えませんが、そうする努力は、日々しているつもりです。
兎にも角にも、日々見せられることに、できるだけ多くの喜びを見出すことが大切なのだと思います。
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2013年05月18日

稿本天理教教祖伝逸話篇一七一 宝の山

稿本天理教教祖伝逸話篇一七一 宝の山

教祖(おやさま)のお話に、
「大きな河に、橋杭のない橋がある。その橋を渡って行けば、宝の山に上ぼって、結構なものを頂くことが出来る。けれども、途中まで行くと、橋杭がないから揺れる。そのために、中途からかえるから、宝を頂けぬ。けれども、そこを一生懸命で、落ちないように渡って行くと、宝の山がある。山の頂上に上ぼれば、結構なものを頂けるが、途中でけわしい所があると、そこからかえるから、宝が頂けないのやで。」
と、お聞かせ下された。



<今現在できる、自分なりの「さとり」>
人生には、苦労が付き物です。
それは、結構ずくめのこの道を信仰していても、同じです。
しかし、この道を信仰しているのとしていないのでは、やはり違いがあると思います。

信仰によって、正しい道が解れば、間違った苦労をすることはありませんが、正しい道が解らなければ、いくら苦労をしても、その先に結構を見られるかという確信も持てず、あるいは徒労に終わってしまうかもしれません。
また気付かずに正しい道を通っていても、苦労の連続の先にある結構を信じられなければ、努力し、歩み続けることも困難です。

この道を信仰することで、正しい道を知り、その先の結構を信じられれば、弛む事なく、力強く歩むことが出来ます。

おふでさきに、

このたびのなやむところハつらかろふ あとのところのたのしみをみよ (9-36)

と仰せ下さいます。
まずはこの道を信じ、教祖(おやさま)のひながたを頼りに、歩き出してみましょう。
その道中には、歩みを止めたくなる苦労もあるかも知れません。しかしこの御逸話おふでさきを励みにすれば、また歩き出せるはずです。
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