2013年11月11日

稿本天理教教祖伝逸話篇二〇〇 大切にするのやで

稿本天理教教祖伝逸話篇二〇〇 大切にするのやで

明治二十年一月十一日、紺谷久平は、信者一同が真心をこめて調製した、赤い衣服一枚と、赤の大きな座布団二枚を、同行の者と共に背負うて、家を出発し、おぢばに帰らせて頂き村田幸右衞門宅で宿泊の上、山本利三郎の付添いで、同一月十三日、教祖(おやさま)にお目通りした。教祖(おやさま)は、御休息所の上段の間で寝んで居られ、長女おまさが、お側に居た。
山本利三郎が、衣服を出して、「これは、播州飾磨の紺谷久平という講元が、教祖(おやさま)にお召し頂きたいと申して、持って帰りました。」と申し上げると、教祖(おやさま)は御承知下され、そこで、その赤い衣服を上段の間にお納め下された。つづいて、座布団二枚を出して、山本が、「これも日々敷いて頂きたい、と申して、持って参りました。」と申し上げる と、教祖(おやさま)は、それも、お喜び下されて、双方とも御機嫌宜ろしくお納め頂いた。
それから仕切りの襖を閉めて、一寸の間、そちらへ寄っておれ、とのことで、山本は下の八畳の間に下りる。紺谷も、共に畏まっていると、おまさが襖を開けて山本を呼んだので、山本が教祖(おやさま)のお側へ寄らせて頂くと、赤衣を一着お出しになって、
「これをやっておくれ。」
と、仰せられ、つづいて、
「これは、粗末にするのやないで。大切にするのやで。大事にするのやで。」
と、仰せになった。山本は、「きっと、その事を申し聞かします。」とお答えして、八畳の間に下り、紺谷に、教祖(おやさま)から、そう申された、と詳しく話して聞かせた。こうして、紺谷久平は、赤衣を頂戴したのである。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
いよいよ逸話編最後の御逸話です。
飾東大教会の初代会長紺谷久平先生が赤衣を拝戴された際の御逸話です。

これまでに拝読してきた御逸話を振り返って考えてみると、「稿本天理教教祖伝逸話篇七 真心の御供」というかなり初めの方の御逸話から、教祖(おやさま)の御態度が全く変わっていらっしゃらないことがよく分かります。
あえて違う点を探してみると、「真心の御供」では、餡餅を御供えされた信者さんへの教祖(おやさま)からのお返しが記録されていないのに対して、この御逸話では、赤衣を下げられていることが挙げられます。
これは「真心の御供」の当時、教祖(おやさま)はまだ赤衣をお召しになっていなかったことに加え、中山家の経済状況が貧の底であった為、返せる物品が無かったからではないでしょうか。
一方、御供えされる信者さんの気持ちは、御供えされた人物も物も違いますが、「真心」という点では同じです。
しかし「真心の御供」の当時は、まだ真実を尽くす喜びを見出せている方は少なかったと思われますが、この紺谷久平先生の御逸話の頃になると、相当数の先生方が真実を尽くされていたと思われます。

この二つの御逸話には、文久二年頃(西暦・1862年頃)から明治二十年(西暦・1887年)と、およそ二十五年もの開きがあります。
生まれたばかりの子どもが、大人になり、当時であれば親として子育ても少し落ち着く程の年齢になるような年月が、これらの御逸話の間にあるのです。
いかに月日が流れようとも、取り巻く状況がどれほど変わろうとも、その御態度に何らの変化も見られない教祖(おやさま)のひながたの強さが見出せるように思います。
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2013年10月18日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九九 一つやで

稿本天理教教祖伝逸話篇一九九 一つやで

兵神真明講周旋方の本田せいは、明治十五年、二度目のおぢば帰りをした。その時、持病の脹満で、又、お腹が大きくなりかけていた。それをごらんになった教祖(おやさま)は、
おせいさん、おせいさん、あんた、そのお腹かかえているのは、辛かろうな。けど、この世のほこりやないで。前々生から負うてるで。神様が、きっと救けて下さるで。心変えなさんなや。なんでもと思うて、この紐放しなさんなや。あんた、前々生のことは、何んにも知らんのやから、ゆるして下さいとお願いして、神様にお礼申していたらよいのやで。」
と、お言葉を下された。それから、せいは、三代積み重ねたほこりを思うと、一日としてジッとしていられなかった。そのお腹をかかえて、毎日おたすけに廻わった。
せいは、どんな寒中でも、水行をしてからおたすけにやらせて頂いた。だんだん人が集まるようになると、神酒徳利に水を入れて、神前に供え、これによって又、ふしぎなたすけを続々とお見せ頂いた。こうして、数年間、熱心におたすけに東奔西走していたが、明治十九年秋、四十九才の時、又々脹満が悪化して、一命も危ないという容態になって来た。そして、苦しいので、「起こせ」とか、「寝させ」とか言いつづけた。それで、その頃の講元端田久吉が、おぢばへ帰り、仲田儀三郎取次ぎで、教祖(おやさま)に、お目にかかり、事の由を申し上げると、 教祖(おやさま)は、
「寝させ起こせは、聞き違いやで。講社から起こせ、ということやで。死ぬのやない。早よう去んで、しっかりとおつとめしなされ。」
と、仰せ下された。そこで、端田等は急いで神戸へもどり、夜昼六座、三日三夜のお願い勤めをした。が、三日目が来ても、効しは見えない。そこで、更に、三日三夜のお願い勤めをしたが、ますます悪くなり、六日目からは、歯を食いしばってしまって、二十八日間死人同様寝通してしまった。その間毎日、お神水を頂かせ、金米糖の御供三粒を、行平で炊いて、竹の管で日に三度ずつ頂かせていた。
医者に頼んでも、「今度は死ぬ。」と言って、診に来てもくれない。然るに、その二十八日間、毎日々々、小便が出て出て仕方がない。日に二十数度も出た。こうして、二十八日目の朝、妹の灘谷すゑが、着物を着替えさせようとすると、あの大きかった太鼓腹が、すっかり引っ込んでいた。余りの事に、すゑは、「エッ」と、驚きの声をあげた。その声で、せいは初めて目を開いて、あたりを見廻わした。そこで、すゑが、「おばん聞こえるか。」と言うと、せいは、「勿体ない、勿体ない。」と、初めてものを言った。
その日、お粥の薄いのを炊いて食べさせると、二口食べて、「ああ、おいしいよ。勿体ないよ。」と言い、次で、梅干で二杯食べ、次にはトロロも食べて、日一日と力づいて来た。が、赤ん坊と同じで、すっかり出流れで、物忘れして仕方がない。
そこで、約一ヵ月後、周旋方の片岡吉五郎が、代参でおぢばへ帰って、教祖(おやさま)に、このことを申し上げると、教祖(おやさま)は、
「無理ない、無理ない。一つやで。これが、生きて出直しやで。未だ年は若い。一つやで。何も分からん。二つ三つにならな、ほんまの事分からんで。」
と、仰せ下された。
せいは、すっかり何も彼も忘れて、着物を縫うたら寸法が違う、三味線も弾けん、という程であったが、二年、三年と経つうちに、だんだんものが分かり出し、四年目ぐらいから、元通りにして頂いた。
こうして、四十九才から七十九才まで三十年間、第二の人生をお与え頂き、なお一段と、たすけ一条に丹精させて頂いたのである。

註 夜昼六座とは、坐り勤めとてをどり前半・後半の一座を、夜三度 昼三度繰り返して勤めるのである。これを三日三夜というと、このお 願い勤めに出させて頂く者は、三昼夜ほとんど不眠不休であった。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
この御逸話のタイトル「一つやで」とは、年齢が一歳であるのと同様の状態だとおさとし下されたお言葉です。

信仰やおたすけの中で、様々な時がありますが、一見たすかっていないように見えても、親神様の視点からすれば、たすかっていく真っ最中とも言える時があります。
また、真剣にお道を通る心が定められる人の多くが、大なり小なり、「生きながらにして生まれ変わる」という体験を持っているものです。
この御逸話の本田せい先生のように何年もかかっての人もいれば、たった一晩でという人もいます。

私の体験を少し紹介したいと思います。
これまでも何度か書いてきましたが、私は身上の手引きを頂き、信仰の道を歩み始めました。
しかしその当初は、身上もすっきりとはしませんでしたし、天理教に対する批判的な考えも浮かびやすく、人におさづけ取り次いでも、「効いた」と言われることはほとんどなく、中には「お前のおさづけは効かない」と怒り出す人もいらっしゃいました。
身体の調子が悪い時は布団から出られず、トイレに行くのさえままならない状態でした。
勉強だけはしてみようと、枕の上で天理教関係の本を読んでみても、感動的なお話は頭に入ってこず、異端信仰者による批判的内容が心を支配することの方が多く、苦痛を感じるばかりでした。
そんな中での、憩いの家への入院。
入院中に読んだ逸話編のおやさまのお言葉にたすけられ、憩いの家からおぢばへの日参を始めたところから、身上の回復がようやく見えてきました。
しかし退院後も、右肩上がりに回復した訳ではなく、不安定とも思える中を、徐々に徐々に御守護頂いたのでした。
何年もかかりましたが、今ではすっきりおたすけ頂き、少々ハードな御用も、しっかりとつとめさせて頂けています。
自分の身体が元気に動かせるのは、当たり前のことではないと、日々喜んで通らせて頂いております。

振り返って考えてみれば、こうして長い期間をかけておたすけ頂いたからこそ、生きながらに生まれ変わらせて頂くことができたのだと思います。
動けない日々、辛く不安な日々、色んな事に一喜一憂し、イライラして腹立たしく思う日々は、成長途中の子どもの心そのものだったと思います。
色んな事が解り、おつとめに喜びを見出し、身体を動かしてのひのきしんができるようになってくると、親の想いも理解でき、ようやくもう一度、大人に近づいてきたと思えました。

本田せい先生ほどの経験ではありませんが、私自身も、家族も、こうした長い期間のおたすけを頂いたからこそ、今の日々を喜んで通らせて頂けているのだと思います。
この御逸話のような不思議なたすかり、長い年数をかけての生きながらの生まれ変わりは、間違いなく今も同様にあるのだと、私自身の経験を通して、さとらせて頂きます。
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2013年10月10日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九八 どんな花でもな

稿本天理教教祖伝逸話篇一九八 どんな花でもな

ある時、清水与之助、梅谷四郎兵衞平野トラの三名が、教祖(おやさま)の御前に集まって、各自の講社が思うようにいかぬことを語り合うていると、教祖(おやさま)は、
「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで。」
と、お聞かせ下されて、お慰め下された、という。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
にをいがけに励んでいても、なかなか道は広がるものではないことを、懸命な布教師であればあるほど、痛感するものだと思います。

そんな嘆きをお慰め下されたお言葉ですが、現在の私達が注目すべきは、ここで語り合っている三名の先生方が、郡山、兵神、船場という、天理教内でも最も早く分教会となった教会の初代の先生方だということではないでしょうか。

数年前、詰所で教友と、「お互い、末端教会で苦労しますねぇ」というような話をしていました。
それを聞いていた大教会の役員先生に、こんなおさとしを頂きました。
「どんなに大きい教会、偉い先生も最初はみんな、末端や。末端教会の所属を嘆くのではなく、おたすけの最前線にいると思いなさい」と。
このおさとしは、今も私の励みとなっています。

現在の姿を見れば盛大な教会も、それぞれに信仰の元一日があり、にをいがけ・おたすけの苦労があるのです。

今現在の私達は、先人のきらびやかな歩みだけでなく、その失敗をも学んで歩める、格段に恵まれた状況にあります。
当時最も勢いがあったとさえ言えるこの三名の先生方にも、にをいがかからない、の運営がうまく行かないと、嘆く日々があったのです。

成果を求めるのではなく、歩み続けられることを喜びましょう。


清水與之助【しみず よのすけ】
天保13年(1842)生まれ(近江国高島郡中野村‐現・滋賀県高島郡安曇川町中野)
明治34年(1901)5月13日出直し:60才
明治16年(1883)兄・伊三郎の病に際し端田久吉(真明講社兵庫一号講元)ににをいをかけられ、初参拝
明治20年のおつとめでてをどりをつとめる
兵神分教会(現大教会)初代会長


梅谷四郎兵衛【うめたに しろべえ】
弘化4年(1847)7月7日生まれ(河内国古市郡東坂田村‐現・大阪府羽曳野市東阪田)
大正8年(1919)5月29日出直し:73才
浦田家の養子 勝蔵から四郎兵衛に改名 浦田家から離籍、梅谷に戻る
明治14年(1881)佐官業の弟子の父親から話を聞き初参拝
教祖より赤衣(明治16年)・本席より息のさづけ(明治20年)
船場分教会(現大教会)初代会長
妻たね 三男・梅次郎(2代会長)


平野楢蔵【ひらの ならぞう】
弘化3年(1846)9月3日生まれ(河内国高安郡恩智村‐現・大阪府八尾市恩智)
明治40年(1907)6月17日出直し:63才
生家・森家より平野家(郡山洞泉寺町‐現・大和郡山市洞泉寺)の娘とらの婿養子となる。
明治17年(1884)幻覚(精神障害)に悩まされ、翌年姉婿・森清治郎よりにをいをかけられる。
明治19年(1886)発作を起こし人事不省となるがお願いづとめでよみがえり、初参拝。
明治20年のおつとめで地方をつとめる
郡山分教会(現大教会)初代会長

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2013年10月05日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九七 働く手は

稿本天理教教祖伝逸話篇一九七 働く手は

教祖(おやさま)が、いつもお聞かせ下されたお話に、
「世界中、互いに扶け合いするなら、末の案じも危なきもない。仕事は何んぼでもあるけれども、その仕事をする手がない家もあれば、仕事をする手は何んぼでもあるが、する仕事がない家もある。
奉公すれば、これは親方のものと思わず、蔭日向なく自分の事と思うてするのやで。秋にでも、今日はうっとしいと思うたら、自分のものやと思うて、莚でも何んでも始末せにゃならん。
蔭日向なく働き、人を助けて置くから、秋が来たら襦袢を拵えてやろう、何々してやろう、というようになってくる。こうなってくると、双方たすかる。同じ働きをしても、蔭日向なく自分の事と思うて働くから、あの人は如才ない人であるから、あの人を傭うというようになってくる。こうなってくると、何んぼでも仕事がある。
この屋敷に居る者も、自分の仕事であると思うから、夜昼、こうしよう、ああしようと心にかけてする。我が事と思うてするから、我が事になる。ここは自分の家や、我が事と思うてすると、自分の家になる。蔭日向をして、なまくらすると、自分の家として居られぬようになる。
この屋敷には、働く手は、いくらでもほしい。働かん手は、一人も要らん。」
と。又、ある時のお話に、
働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(註、 側楽・ハタラク)と言うのや。」
と、お聞かせ下された。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
リクルートという大手企業の新入社員研修で、「働くというのは、はたを楽にするから」と教えられるそうです。
リクルート社を退職して、起業された方から伺いました。
リクルート社の研修担当や創業関係者に天理教の方がいらっしゃるのかどうかは解りませんが、この言葉が、多くの人に働く意義を明確に与えてくれるというのは、事実のようです。

この御逸話では当時の時代背景から、奉公やお屋敷への住み込みを実例に挙げられていますが、現代の会社勤めや家庭生活でも、全く同じことが言えると思います。

分業や分担が分かれていたり、自分自身の得手不得手があっても、互いに補い合い、助け合うからこそ、チームとして成功でき、陽気な家族として仲良く暮らしていけるのです。

そんな理想的な対人関係を築くには、まず自分自身が見返りを求めず、「はたはたを楽にしよう」と働くことです。
不得意なことを無理にやる必要はありません。
少々面倒だけれども、自分ならできるということを、喜んですることが、「側楽」ということなのだと思います。
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2013年09月20日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九六 子供の成人

稿本天理教教祖伝逸話篇一九六 子供成人

教祖(おやさま)の仰せに、
「分からん子供が分からんのやない。親の教が届かんのや。親の教が、隅々まで届いたなら、子供成人が分かるであろ。」
と、繰り返し繰り返し、聞かして下された。お蔭によって、分からん人も分かり、救からん人も救かり、難儀する人も難儀せぬようの道を、おつけ下されたのである。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
親から子へ、子から孫へと代々教えを伝えて行くことを「縦の伝道」と言います。
「縦の伝道」を考える上で、大切な御逸話だと思います。

代々信仰を伝えることは、簡単なようでいて、非常に難しい面もあります。
子どもは成長の過程で親に反発心を持つものですし、その反発心が信仰心の否定に向かうこともあります。

「親の教が、隅々まで届いたなら、子供成人が分かる」というお言葉は、この御逸話の核となる部分ですが、どういう風に受け取れるでしょうか?
人によって解釈は違うと思いますが、私のさとりはこうです。

まず親自身が信仰心をしっかりと持ち、日々成人の道を歩むことです。
子どもに言葉で教えを伝えることも大切なことですが、時に行動で、時に無言の背中でと、全方向から教えを伝えていけば、自ずと伝わるべき事は伝わります。
そんな中で、子どもが成長の過程で親に反発心を持ち、お道の信仰を否定したとしても、それを成長の上で大切な経験なのだと、子どもが確実に成長していることを見出し、喜べれば、親の教えが隅々まで伝わりつつあると、さらに喜べるのではないでしょうか。
親自身がそこまで成人できれば、子どもが一時期は反発したとしても、またしっかりと道を歩んでくれるでしょう。

教えが伝わらないことを嘆くのではなく、自分自身がまずより一層の成人をしていくこと、子どもの日々の成人をしっかり見出すことが大切なのだと思います。
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2013年09月14日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九五 御苦労さま

稿本天理教教祖伝逸話篇一九五 御苦労さま

「教祖(おやさま)程、へだてのない、お慈悲の深い方はなかった。どんな人にお会いなされても、少しもへだて心がない。どんな人がお屋敷へ来ても、可愛い我が子供と思うておいでになる。どんな偉い人が来ても、
『御苦労さま。』
物もらいが来ても、
『御苦労さま。』
その御態度なり言葉使いが、少しも変わらない。皆、可愛い我が子と思うておいでになる。それで、どんな人でも皆、一度、教祖(おやさま)にお会いさせてもらうと、教祖(おやさま)の親心に打たれて、一遍に心を入れ替えた。 教祖(おやさま)のお慈悲の心に打たれたのであろう。
例えば、取調べに来た警官でも、あるいは又、地方のゴロツキまでも、皆、信仰に入っている。それも、一度で入信し、又は改心している。」と。これは、高井直吉の懐旧談である。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
この御逸話を拝読すると、所属教会の初代会長が思い起こされます。
私自身は、直接初代会長様にお会いしたことはありません。
ですが信者さんの多くが直接初代会長様と接してこられたので、思い出話をよく伺います。
思い出話といっても、どういうお仕込みを頂いたとか、どういうにをいがけおたすけをされたという話は少なく、常日頃のそのお姿を語られる場合がほとんどです。
中でも、教会に参拝すると、玄関で静かに座り、「ご苦労さんです。ママ(食事・御飯)頂いて下さいや」と、何とも言えない優しい様子で、誰にでも分け隔てなく挨拶されたという思い出をよく伺います。
私の所属教会の初代会長様は女性ですので、ご本人が教祖(おやさま)のひながたを目指す気持ちが、周囲の人にはそのまま、教祖(おやさま)のお姿を写し取っているように見えたのかも知れません。

教祖(おやさま)のひながたとは、このように、分かるようで分からない、説明できそうでできない、「何とも言えない優しい様子」のことなのではないでしょうか。
ひながたを頼りに生きている人も、自覚のないままに、そんな雰囲気を発していくものなのかも知れません。
それこそが真のにをいがけへと繋がるのですが、そのためにはやはり、努力の日々を重ねる他はありません。
そう考えると、努力の日々も、老いへと歳を重ねることも、楽しみに思えてきますね。


高井直吉(猶吉とも書く)
文久元年(1861)1月19日大阪府八尾市老原の生まれ。
3歳のころ父と死別し、姉夫婦に育てられる。
明治7年(1874)桶屋に奉公に出たころ、姉の産後の患いから、その夫と共に初めておぢばがえりする。
同12年(1879)悪性の風邪「ぜいき」をたすけられて信仰に入る。
同13年(1880)19歳でおやしきに住み込む。
同16年(1883)岡田与之助(宮森与三郎)らと遠州布教。
同17年(1884)4月、息のさづけを頂く。
同31年(1898)泉支教会三代会長。昭和16年(1941)11月21日出直し。80才。
岡田与之助とともに、お屋敷住込み青年第1号にあげられる。
「レンコン堀り」とあだ名されたぐらい事細かに教祖に教えを問うた。

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2013年09月02日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九四 お召し上がり物

稿本天理教教祖伝逸話篇一九四 お召し上がり物

教祖(おやさま)は、高齢になられてから、時々、生の薩摩藷を、ワサビ下ろしですったものを召し上がった。
又、味醂も、小さい盃で、時々召し上がった。殊に、前栽の松本のものがお気に入りで、瓢箪を持って買いに行っては、差し上げた、という。
又、芋御飯、豆御飯、乾瓢御飯、松茸御飯、南瓜御飯というような、色御飯がお好きであった。そういう御飯を召し上がっておられるところへ、人々が来合わすと、よく、それでお握りようのものを拵えて、下された。
又、柿の葉ずしがお好きであった。これは、柿の新芽が伸びて香りの高くなった頃、その葉で包んで作ったすしである。
柿の葉ずし - Google 検索.png
柿の葉ずし - Google 検索


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
教祖(おやさま)の「面影」についての御逸話が続いています。

柿の葉寿司は衛生的な問題からか手間のためか、提供されることはありませんが、毎月の御本部月次祭での炊事本部提供の昼食には必ず、色御飯(炊き込み御飯)が出されます。
これは、この御逸話から、教祖(おやさま)をお慕いしてのものだと言われています。

「そういう御飯を召し上がっておられるところへ、人々が来合わすと、よく、それでお握りようのものを拵えて、下された。」
という点について、教祖(おやさま)のお側に最も永くつとめられた増井りん先生の思い出話によると、教祖(おやさま)のお茶碗は通常よりも大きい物をお使いになっていましたが、「おてぶくぼ」と言って大半は人に与えられたということです。
「おてぶくぼ」とは、教祖(おやさま)ご自身が周囲の方々の手のひらに食べ物をお移しになって、共に喜びを分かち合われることだそうです。


「おてぶくぼ」
私はよく、珍しいものをいただいた時や、御馳走をいただきまする時は、必ずこれを側の人々にも分け合うていただいてもらいます。それで家の者や孫などは、自分の好きなもの当たった時は黙っていまするが、そうでもない時は面倒がって、なぜおばちゃんはそんなことをするのかと尋ねます。すると私はいつも、教祖のお食事を遊ばした時の物語りをいたして言うて聞かしますると、みんな得心してくれます。
私は神様のお言葉、秀司先生のご下命によりまして、永らくの間、教祖のお守り役を仰せつかりましたが、その間、特に深く感じさしていただいたのに、この「おてぶくぼ」と言うのがあります。
それは、神様の御食膳に何か珍しいものを差し上げますると、神様は、必ずご満足の後、お箸をお取り上げになってから『てぶくぼ』と仰せられて、御自身で相手の手のひらにそれをお移しになって、ともに喜びをお分かちになるのであります。二人おれば二人、三人おれば三人に、それぞれたくさんお移しになって、ともにお喜びになるのであります。神様はいかなる時も決して御自身だけでご満足なさることなく、皆とともにお喜びをお分かちになりました。恐れ多いことであります。

教祖の御好物
教祖は何がお好き、何がお嫌いというようなことは、かつて仰せられたことがござりませんでした。どんなお粗末なものを差し上げました時でも、必ず御黙祷の上『おいしいな』と仰せられましたが、少々御好物のごとく拝されたものに飴と少量の味醂とがありまする。味醂の方はごく小さいお盃に二、三杯お召しになったように記憶いたします。それで私は河内に帰った時は、途中で飴と味醂とを買ってきて差し上げるのが楽しみでした。
なお、お召し上がりにならなかったものに牛肉と鳥肉等がありまする。ある日も信徒の方で大きな山鳥を教祖に差し上げたことがありますが、その時教祖は山鳥の背(せな)をさもあわれげにお撫でになってから
『こんな目に逢うたのやなあ、可愛そうに、今度は鳥に生まれずに他のものに生まれておいで。』
と仰せられてから、下におさげになりました。御慈悲禽獣に及んでいたのであります。ただお召し上がりの時のお茶碗はかなり大きい「どうくろ」のお茶碗を御使用でございました。これは「おてぶくぼ」の時、小さいのではみんなに行き渡りませんので、大きいのをお用い遊ばしたのであろうと拝察いたしています。

道友社新書26「先人の遺した教話(五) 誠真実の道・増井りん」120〜122ページより


このような親心溢れるお心配りを知った上で教祖(おやさま)の食のお好みを知ると、日常、ここで挙げられているような食事に出会った時、教祖(おやさま)のお姿をより身近に感じることができるように思います。
御本部月次祭当日に、炊事本部の昼食を頂きながら、道の仲間と教祖(おやさま)について和やかに話していれば、教祖(おやさま)へ馳せる想いも、より身近に、より深く感じられるはずです。


先人の遺した教話 (5) (道友社新書 (26))
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2013年08月22日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九三 早よう一人で

稿本天理教教祖伝逸話篇一九三 早よう一人で

これは、梶本宗太郎の思い出話である。
教祖(おやさま)にお菓子を頂いて、神殿の方へでも行って、子供同志遊びながら食べて、なくなったら、又、教祖(おやさま)の所へ走って行って、手を出すと、下さる。食べてしもうて、なくなると、又、走って行く。どうで、「お祖母ちゃん、又おくれ。」とでも言うたのであろう。三遍も四遍も行ったように思う。
それでも、「今やったやないか。」というようなことは、一度も仰せにならぬ。又、うるさいから一度にやろう、というのでもない。食べるだけ、食べるだけずつ下さった。ハクセンコウか、ボーロか、飴のようなものであった、と思う。大体、教祖(おやさま)は、子供が非常にお好きやったらしい。これは、家内の母、山沢ひさに聞くと、そうである。
櫟本の梶本の家へは、チョイチョイお越しになった。その度に、うちの子にも、近所の子にもやろうと思って、お菓子を巾着に入れて、持って来て下さった。
私は、曽孫の中では、男での初めや。女では、オモトさんが居る。それで、
「早よう、一人で来るようになったらなあ。」
と、仰せ下された、という。
私の弟の島村国治郎が生まれた時には、
「色の白い、綺麗な子やなあ。」
と、言うて、抱いて下された、という。この話は、家の母のウノにも、山沢の母にも、よく聞いた。
吉川(註、吉川万次郎)と私と二人、同時に教祖(おやさま)の背中に負うてもろうた事がある。そして、東の門長屋の所まで、藤倉草履(註、表を藺で編んだ草履)みたいなものをはいて、おいで下された事がある。
教祖(おやさま)お声は、やさしい声やった。お姿は、スラリとしたお姿やった。お顔は面長で、おまささんは一寸円顔やが、口もとや顎は、そのままや。お身体付きは、おまささんは、頑丈な方やったが、教祖(おやさま)は、 やさしい方やった。御腰は、曲っていなかった。
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梶本宗太郎先生の御逸話が続いています。
当時、梶本宗太郎先生はまだ幼い子どもでしたが、教典や教祖伝、そして逸話篇が編纂される頃には、宗太郎先生の思い出話が貴重な資料となりました。
この御逸話で語られている教祖(おやさま)のお顔立ちや体格は、そのまま教祖伝・第八章親心の「面影」として書かれています。

面影:
高齢の教祖(おやさま)にお目に掛った人々は皆、譬えようもない神々しさと、言葉に尽せぬ優しさとが、不思議にも一つとなって、何となく胸打たれ、しかも心の温まる親しさを覚えた。
教祖(おやさま)は、中肉中背で、やゝ上背がお有りになり、いつも端正な姿勢で、すらりとしたお姿に拝せられた。お顔は幾分面長で、色は白く血色もよく、鼻筋は通ってお口は小さく、誠に気高く優しく、常ににこやかな中にも、神々しく気品のある面差であられた。
お髪は、年を召されると共に次第に白髪を混え、後には全く雪のように真白であられたが、いつもきちんと梳って茶筅に結うて居られ、乱れ毛や後れ毛など少しも見受けられず、常に、赤衣に赤い帯、赤い足袋を召され、赤いものずくめの服装であられた。
眼差は、清々しく爽やかに冴えて、お目に掛った人々は、何人の心の底をも見抜いて居られるというのはこのような眼か、と思った。
足腰は、大そう丈夫で、年を召されても、腰は曲らず、歩かれる様子は、いかにも軽ろやかで速かった。
教祖(おやさま)にお目に掛る迄は、あれも尋ね、これも伺おうと思うて心積りして居た人々も、さてお目に掛ってみると、一言も承わらないうちに、一切の疑問も不平も皆跡方もなく解け去り、たゞ限りない喜びと明るい感激が胸に溢れ、言い尽せぬ安らかさに浸った。
お声は、平生は優しかったが、刻限々々に親心を伝えられる時には、響き渡るような凛とした威厳のある声で、あれが年寄った方の声か、と思う程であった。
教祖(おやさま)は、子供に対しても、頗る丁寧に、柔らか優しく仰せられたというが、その優しいお言葉に、ひながたの親としての面影を偲び、刻限刻限に親神の思召を伝えられた、神々しくも厳かなお声に、月日のやしろとしての理を拝する。厳しく理を諭し、優しく情に育くんで、人々を導かれた足跡に、教祖(おやさま)の親心を仰ぐ。


さて、この御逸話の中で注目したいのは、何度もお菓子を下されたという点です。
一度にたくさん与える訳でもなく、また一度与えたから終わりという訳でもなく、必要なだけ、必要なだけ、何度でも与えられたというところです。

この御逸話を読むと、「満足を与える」ということについて、考えさせられます。
大人でも子どもでも、一度にたくさん与えられれば、その時は喜びますし、気分的には満足できるでしょう。
しかし、貰いに行けば必ず必要なだけ与えられることほど、「安心感」を得られるものはありません。
本当の満足とは、この「安心感」なのではないでしょうか。
また、一度与えられたらもうそれでお終いということであっては、何度も通う気持ちは生まれません。
必要な分だけ、その都度その都度与えられるというのが、本当の満足であり、親を慕う心へと繋がるのだと思います。

血縁的な意味でも理の上でも、子どもが居るなら、こういった満足感を与えたいものです。
また当然ながら、神様の御守護はこのように過不足無く、その都度その都度、絶え間なくお与え下されています。それにしっかりと気付くことができれば、おのずと満足感、安心感で満たされることでしょう。

子に満足を与える親心と、親のお与え、神様の御守護に気付き、もたれ切れる心を育んでいきたいものです。
その為には何よりもまず、親自身が、子どもを満足させる心遣いで通ることが大切ですね。
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2013年08月17日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九二 トンビトート

稿本天理教教祖伝逸話篇一九二 トンビトート

明治十九年頃、梶本宗太郎が、七つ頃の話。教祖(おやさま)が、蜜柑を下さった。蜜柑の一袋の筋を取って、背中の方から指を入れて、
「トンビトート、カラスカーカー。」
と、仰っしゃって、
「指を出しや。」
と、仰せられ、指を出すと、その上へ載せて下さる。それを、喜んで頂いた。
又、蜜柑の袋をもろうて、こっちも真似して、指にさして、教祖(おやさま)のところへヒヨーッと持って行くと、教祖(おやさま)は、それを召し上がって下さった。


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この御逸話では、何かおさとしがあったということはなく、ただ、曾祖母と曾孫との微笑ましいやりとりが書かれています。

道を懸命に通る中で、疲れた気持ちになってしまうこともあるでしょう。
しかしそんな中でおぢばに帰られた先生方には、このような光景に心癒された方も多かったことと思います。

勇んで、懸命に通ってはいるのだけれど、何だか疲れてしまった時、この御逸話の情景を思い浮かべてみましょう。
癒された心が、またぼちぼちと歩み始める力を与えてくれるはずです。

また、こどもおぢばがえりを始め、その期間以外でも、おぢばには大人の笑顔も子どもの笑顔も溢れています。
おぢばに帰れば、必ず癒される。
私の経験の限りですが、それは間違いの無いことだと思います。
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2013年08月04日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九一 よう、はるばる

稿本天理教教祖伝逸話篇一九一 よう、はるばる

但馬国田ノ口村の田川寅吉は、明治十九年五月五日、村内二十六戸の人々と共にを結び、推されてその講元となった。時に十七才であった。これが、天地組七番(註、後に九番と改む)の初まりである。
明治十九年八月二十九日、田川講元外八名は、おぢば帰りのため村を出発、九月一日大阪に着いた。が、その夜、田川は宿舎で、激しい腹痛におそわれ、上げ下だし甚だしく、夜通し苦しんだ。時あたかも、大阪ではコレラ流行の最中である。一同の驚きと心配は一通りではなく、お願い勤めをし、夜を徹して全快を祈った。かくて、夜明け近くなって、ようやく回復に向かった。そこで、二日未明出発。病躯を押して一行と共に、十三峠を越え竜田へ出て、庄屋敷村に到着。中山重吉宅に宿泊した。その夜、お屋敷から来た辻忠作山本利三郎の両名からお話を聞かせてもらい、田川は、辻忠作からおさづけを取次いで もらうと、その夜から、身上の悩みはすっきり御守護頂いた。
翌三日、一行は、元なるぢばに詣り、次いで、つとめ場所に上がって礼拝し、案内されるままに、御休息所に到り、教祖(おやさま)にお目通りさせて頂いた。教祖(おやさま)は、赤衣を召して端座して居られた。一同に対し、
「よう、はるばる帰って下された。」
と、勿体ないお言葉を下された。感涙にむせんだ田川は、その感激を生涯忘れず、一生懸命たすけ一条の道に努め励んだのである。


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生野大教会初代会長・田川寅吉先生の御逸話です。
明治19年衣川弥兵衞という先生の伝える教理に感銘して、入信されたので、この御逸話までは、ご自身が大きな身上をたすけられたという経験は、無かったようです。


おふでさき

せかいにハこれらとゆうているけれど 月日さんねんしらす事なり (一四-22)

と仰せ下さいます。
コレラなど、流行の病をたすけられて入信された例は数多くあります。
コレラに限らず、あらゆる流行の病は、同じ思し召しがあると言えるのではないでしょうか。
月日ざんねん」というお言葉は、厳しい内容に受け取ることもできますが、親神様の思し召しをお知らせ下さる、貴重かつ重要な機会とも言えます。

この御逸話の中で田川寅吉先生は、すでに入信され、講元として活動されていますし、おぢばがえりも喜んで出立されたようですから、特に心得違いも見当たりません。
ではなぜ、コレラを疑わせるような、激しい身上を見せられたのでしょうか?

私は、あらゆる身上・事情の悩みは、親神様からの親心溢れるお手入れであり、ご褒美だと思っています。
もし仮に、田川寅吉先生に何の悩みもなく、何の苦労もなく、おぢばがえりをされたとしたら、後に大教会となるほど懸命に道を通ることはできなかったのではないでしょうか。
強烈とも言える苦しさと、それが不思議にたすかる喜びを味わえたからこそ、信仰の真剣さが生まれたのではないかと思うのです。
こうした視点から考えれば、このような苦しみを与えられたからこその生野大教会であり、そこに繋がる数え切れない人々のたすかりがあると言えるのです。

私の身の回りでも、修養科や各種講習会の受講中など、おぢばで見せられる身上・事情を通して、より信仰を深められる方を数多く見せられました。私自身も、修養科中、教養掛の御用中などに見せられた身上・事情によって、大きくお育て頂いたと思っています。
「こんなに頑張っているのに、こんなに喜んでいるのに、なぜこんなことが起こるのだろう?」と考えてしまうような、勇んでいる時に見せられる身上・事情にこそ、成人のきっかけがあります。これこそが、「運命が切り替わる時」なのです。

田川寅吉
生野大教会初代会長。
明治3年(1870)10月9日、現兵庫県朝来郡に生まれる。
明治19年衣川弥兵衞の伝える教理に感銘し入信、同年天地組七番講を結成した。
明治27年生野支教会長に就任。
昭和19年7月31日73才で出直した。

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