2016年07月13日

今、ひながたを心に治める旬。

教祖130年祭の年も、後半に入りました。

実は今年は、非常に重要な年であることを、最近知りました。




まずは、少し枕を。

六十年の歳月を「還暦」と言います。
それを二回過ごした百二十年の歳月を「大還暦」と言うそうです。

人類の歴史上、おそらく、大還暦を迎えた人は、いないと思います。

さて、今から六十年前、天理教の歴史上、非常に重大なことがありました。
立教119年、教祖70年祭の年の事です。

この年、私たちがたどる「ひながた」の一番の拠り所である、「稿本天理教教祖伝」が公刊されました。
それからちょうど六十年。
確かにキリの良い年限で、なるほどとは思いますが、これだけなら、わざわざここに書くほどのことではありません。

さらに六十年遡ると、教祖10年祭(立教59年)の年になります。
この頃、初代真柱様を中心として、教祖伝編纂の機運が高まり、立教61(明治31)年7月3日という日付で、「教祖様御伝」が清書されています。また同時期に別席台本も作成されました。

そして、さらに六十年遡ると、立教当時の年代になります。

あくまでもおおよそではありますが、教祖のひながたという軸で、60年周期の歳月が、120年、180年と巡ってきているように思います。

では、それぞれの60年をひと単位として考えてみた時、どんな想いがするでしょうか?

立教からの60年間。
それまでにまったく無い教えをはじめられた教祖のひながたそのものと、現身を隠されて後の10年。
この60年間こそが、天理教の歴史において、もっとも重要であり、かつ、もっとも困難な時代であっただろうと思います。

教祖十年祭から七十年祭の60年間。
教祖十年祭の年、「内務省秘密訓令」が発布されています。
伸び広がる教勢に、政府からの公然とした迫害干渉が始まった訳です。
その中をも教えを守り通して下さった先人方の道中は、並大抵ではなかったはずです。
まさに、日本が戦争へと突入し、教祖の教えを正確に発することができず、また日本人のすべてが、その命すらも権利として持てなかった時代です。

そして、教祖七十年祭から百三十年祭の60年間。
世界では、まだまだ戦争が絶えず、テロも数多く起こってはいますが、日本では、歴史上最も平和な時代になっています。
教えの上でも、それまで隠し通されて来た教祖の教えをそのままに、誰にはばかることなく、学び伝えることができる時代。さらにまつぶさに調査・編集された教祖伝を頼りに、ひながたを学び、通ることができます。
六十年をひと単位として振り返ってみれば、180年の歴史の中で、直近の六十年は、その前の120年間と比較にならないほど、恵まれた六十年です。
この時代を生きることができる私たちは、先人に申し訳ない限りの、恵まれすぎた環境にあると言えます。

最近、色んな方が、色んな場面で、「教勢が落ちている」と嘆くように仰います。
しかし、こうして歴史を振り返ってみれば、そう嘆く暇があるなら、たとえ最後の一人になっても、教祖の教えをもとに生きるのだという気概を持って、ひながたを心に治める努力をすれば良いのではないでしょうか?
また、世界に目を向ければ、まだまだ教えは広がっていませんし、日本国内にも、この教えを必要としていながら、まだ出会えず、人生に迷っている方も大勢いらっしゃいます。

私たちには、できること、しなければならないことが、たくさんあります。
しかし、その活動において頼りとするところは、すべて教祖、歴代真柱様をはじめ、数えきれない先人たちが、すでに通られています。
私たちは、そのマネをすれば良いだけなのです。

何も嘆くことはありません。
悩むことすらもありません。
この旬に、改めて教祖のひながたを心に治め、それぞれの持ち場立場で、たすけ一条の御用に励むことが、今後の六十年の礎になり、私たちには、その責務があると思います。

参考資料
第16回教義講習会第1次講習録抜粋 | 中山 正善 | 本 | Amazon.co.jp

第16回教義講習会第1次講習録抜粋
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posted by 朱夏 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | さとりの徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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