2014年02月14日

おふでさき第七号。

おふでさき第七号は、明治8年2月にお記し下さいました。
111首あり、教祖(おやさま)78歳の御時です。

おふでさき第七号では、布教伝道、「せかい」を治める「上」と「このよ」を治める「神」の対比が記されています。
また、親神様と共に働く「よふぼく」について記されています。

おふでさき拝読の留意点は、「天理教勉強blog: おふでさきを身近に。」をご参照下さい。

また、より詳しく知りたい教語が見つかりましたら、検索機能天理教用語解説カテゴリの記事をご参照下さい。





<おふでさき第七号>
001 月日より三十八ねんいぜんにて あまくだりたる元のいんねん
002 月日よりそのいんねんがあるゆヘに なにかいさいをはなしたいから
003 上たるハそれをしらすになに事も せかいなみやとをもているなり
004 このところ元なるぢばの事ならば はぢまりだしをしらん事なし
005 上たるゑこのしんぢつをはや/\と しらしてやろと月日をもゑど
006 上たるハそれをしらすにめへ/\の わがみしやんをばかりをもをて
007 月日にハたん/\みへるみちすぢに こわきあふなきみちがあるので
008 月日よりそのみちはやくしらそふと をもてしんバいしているとこそ
009 にんけんのわが子をもうもをなぢ事 こわきあふなきみちをあんぢる
010 それしらすみな一れハめへ/\に みなうゝかりとくらしいるなり
011 このせかいなにかよろづを一れつに 月日しはいをするとをもゑよ
012 このはなしどふゆう事にをもうかな これからさきのみちをみていよ
013 どのよふな高い山でも水がつく たにそこやとてあふなけわない
014 なにもかも月日しはいをするからハ をふきちいさいゆうでないぞや
015 これまでもなんでもよふ木ほしいから たいていたづねいたるなれども
016 このたびハたにそこにてハ一寸したる 木いがたあふりみゑてあるなり
017 このきいもたん/\月日でいりして つくりあけたらくにのはしらや
018 それからハにち/\月日みさだめて あとのよふ木のもよふばかりを
019 それよりもひねた木からたん/\と ていりひきつけあとのもよふを
020 にち/\に月日をもわくふかくある をなじところに二ほん三ぼん
021 この木いもめまつをまつわゆハんでな いかなる木いも月日をもわく
022 このあといなにのはなしをするならば よふ木のもよふばかりゆうなり
023 よふ木でも一寸の事でハないからに 五十六十の人かずがほし
024 このにんもいつ/\までもへらんよふ まつだいつゝききれめなきよふ

〜内容の区切りと思われる〜

025 こらほどにをもう月日のしんちつを みなの心わなにをふもうや
026 どのよふなくどきはなしをするのもな たすけたいとの一ぢよばかりで
027 一れつのむねのうちよりしんぢつに はやくわかりた事であるなら
028 それからハ月日よろづのしはいする なにかよろづのたすけするぞや
029 このたすけはやくりやくをみせたさに 月日の心せくばかりやで
030 なにもかもこのせきこみがあるゆへに むねのうちよりそふぢいそぐで
031 このはなしどこの事やとをもうなよ みなめヘ/\のうちのはなしや
032 めヘ/\にむねのうちよりしいかりと しんちつをだせすぐにみへるで
033 月日よりこのせきこみがあるゆヘに なにか心わいそがしい事
034 これさいかはやくぢうよふみせたなら 月日の心ひとりいさむに
035 いまゝでも今がこのよのはじまりと ゆうてあれどもなんの事やら
036 このたびのぢうよぢざいでとくしんせ いまゝでこんな事ハしろまい
037 月日よりたいないよりも入こんで ぢうよぢざいをみなしてみせる
038 こらほどのぢうよぢざいのしんぢつを はなしするのハいまはじめやで
039 このさきハいつになりてもこのどふり ぢうよぢざいをはやくしらする
040 いまゝてもいかなるみちもとふりたが をびやたすけのためしはぢめや
041 このたびハをびやたすけのしんぢつを はやくたすけを月日せけども
042 一れつハいまゝでしらん事やから みなぢいくりといづみいるなり
043 しんぢつに心さだめてねがうなら ちうよぢざいにいまのまあにも
044 この事ハたれでもしらぬ事やから むねがわからん月日さんねん

〜内容の区切りと思われる〜

045 いまゝてハなによの事もみヘねども これからさきハはやくみゑるで
046 しんぢつの心あるならなになりと はやくねがゑよすぐにかなうで
047 とのよふな事ハいかんとゆハんてな たすけ一ぢよせゑているから
048 こらほどに月日の心せきこめど そばの心わなんでいづむど
049 はや/\と心いさんでせきこめよ 月日まちかねこれをしらんか
050 月日よりぢうよぢざいをしんぢつに はやくみせたいこれが一ぢよ
051 こらほどにをもう月日のしんぢつを そばの心わまたせかいなみ
052 とのよふな事をゆうのもにんけんの 心でわない月日こゝろや
053 いまゝでハなにをゆうてもにんけんの こゝろがまぢるよふにをもふて
054 しかときけこれから心いれかへて にんけん心あるとをもうな
055 いまゝでハをなじにんけんなるよふに をもているからなにもハからん
056 これからハなにをゆうにもなす事も にんけんなるとさらにをもうな
057 いまゝてハひがらもちいときたらんで なによの事もしかゑいたるで
058 このさきハとのよな事をゆうにもな こわみあふなきないとをもゑよ
059 これからハ月日でばりをするほどに どんな事でもかやしゝてやる
060 月日よりこれまでなるのさんねんわ 山/\つもりかさなりてある
061 いかほどにざんねんつもりあるとても どふせこふせわゆうでないそや
062 これからハとのよな高いところでも このしんぢつをはやくみせたい
063 上たるの心すみやかわかりたら 月日ぢうよふはやくするのに
064 月日よりこのぢうよふをせかへぢうゑ はやく一れつしらしたるなら

〜内容の区切りと思われる〜

065 このたびのはらみているをうちなるわ なんとをもふてまちているやら
066 こればかり人なみやとハをもうなよ なんでも月日ゑらいをもわく
067 このもとハ六ねんいぜんに三月の 十五日よりむかいとりたで
068 それからハいまゝて月日しいかりと だきしめていたはやくみせたい
069 それしらすうちなるものハなにもかも せかいなみなるよふにをもふて
070 このはなしどふゆう事にをもうかな これが大一このよはじまり
071 またさきのみちのよふだいたん/\と よろづの事をみなといてをく
072 なわたまへはやくみたいとをもうなら 月日をしへるてゑをしいかり
073 このはなししんぢつをもう事ならば こゝろさめてはやくかゝれよ
074 いまゝでハたにをゆうても一れつの むねもハからんひもきたらいて
075 たん/\とむねがわかればひもきたる 月日の心ゑらいせきこみ
076 これさいかはやくみヘたる事ならば どんなものでもかなうものなし
077 月日よりこれをしいかりみせたなら あとのしごとハどんな事でも
078 いまゝでもをびやほふそのこのゆるし なんとをもふてみながいたやら
079 このたびハとんな事てもすきやかに みなしんぢつにゆうてきかする
080 これからハをびやたすけもしいかりと せつなみなしにはやくむまする
081 たん/\とロでなに事ゆうたとて 月日ゆうよにせねばいかんで
082 月日よりなにの事でもしいかりと ゆうよふにせよちがう事なし
083 どのよふなたすけするのもみなつとめ 月日ゆうよにたしかするなら
084 しんぢつの心あるなら月日にも しかとうけやいたすけするぞや
085 このたびハたすけするのもしんぢつに うけよてたすけいまがはじめや
086 こらほどに月日の心せゑている そばの心もつとめこしらゑ
087 このもよふなにばかりてハないほどに とんな事でもみなつとめやで
088 つとめでもをなぢ事てハないほどに みたそれ/\とてへをふしゑる

〜内容の区切りと思われる〜

089 いまゝてのみちのすがらとゆうものハ とふゆうみちもしりたものなし
090 これからハとのよなみちもたん/\と よろづみちすじみなゆてきかす
091 月日よりなにもみちすじきいたなら このざんねんハむりてあるまい
092 月日よりこの一ぢよをはらしたら あとのところわよふきづくめや
093 にち/\によふきづくめとゆうのわな いかなる事やたれもしろまい
094 なにもかもよふきとゆうハみなつとめ めづらし事をみなをしゑるで
095 たん/\とつとめをしへるこのもよふ むねのうちよりみなそふぢする
096 あとなるハにち/\心いさむでな よろづのつとめてヘをつけるで
097 このつとめどふゆう事にをもうかな をびやほふそのたすけ一ぢよふ
098 このたすけいかなる事とをもうかな ほふそせんよのつとめをしヘる
099 このみちをはやくをしヘるこのつとめ せかい一れつ心すまする
100 このはなしどふゆう事にきいている せかいたすけるもよふばかりを
101 どのよふなたすけするのもしんちつの をやがいるからみなひきうける
102 この事をこれをまことにをもうなら まことしんぢつ心したいや
103 心さいしんぢつすんだ事ならば どんな事でもちがう事なし
104 いまゝでハ月日いかほどをもふても そばの心にわかりないので
105 これからハどのよなつとめをしへるも にんけんなるの心でわない
106 月日よりどのよな事もをしゑるで このよはぢめてない事はかり
107 にんけんの心てをもうよふな事 月日わなにもゆうてないそや
108 月日にハとのよな事も一れつに みなにをしへてよふきづくめに
109 せかいぢうみな一れつハすみきりて よふきづくめにくらす事なら
110 月日にもたしか心がいさむなら にんけんなるもみなをなし事
111 このよふのせかいの心いさむなら 月日にんけんをなじ事やで


<おふでさき註釈>
一、今から三十八年以前、ぢばのいんねん、教祖魂のいんねん、及び旬刻限の到来によって、真実の親神が天降ったのである。
註 当時から三十八年以前、即ち天保九年十月二十六日、親神様が教祖様を神のやしろとして天降り給うた事を、仰せられているのである。
二、そういういんねんがあるから、その元のいんねんについて、万事詳細に親神から直接に話を聴かせたいので天降ったのである。
三、上に立つ人々は、こういう親神の意図を少しも知らずに、親神の説くところを世間普通の教のように軽く考えている。
四 この屋敷は、世界を創め人間を創め出した元のぢばであるから、親神は世界創造、人間造化の根元を一つとして知らぬ事はない。
五、六、上に立つ人々へ一刻も早く真実根本の元のいんねんの話を知らしてやりたいと、親神は思うているのであるが、上に立つ人々はその深い意中をも知らずに、銘々勝手な我が身思案ばかりして、親神の話に耳を傾けようともしない。
七、八、人間は我身思案ばかりして通っているから、これから先には恐ろしい道筋が沢山あるのが、親神にはよく分っている。その危険な道を早く知らせて過ちの無いように教えてやりたいと、そればかり、心配している。
九、ちょうど、人間の親が、我が子の事をいろいろ心配するのと同じ事で、親神も、我が子である人間が怖い危い道を通らぬよう、いろいろと心を砕いて心配しているのである。
一〇、註 一れハは、一列の意。うゝかりは、うっかり、ぼんやりの意。
一一、一二、この世は、一切万事ことごとく親神が支配しているのである、という事をよく納得せよ。というても、この話がどういう意味かという事はよく分かるまいが、これから先に現れて来る事柄を、よく見ていよ。そうすれば、成程という事が分かるであろう。
一三、如何に富貴で権勢があっても、いんねんが現れて来たならば、事情や身上で苦しまねばならぬ。如何に貧しい暮らしをしていても、真実の心次第で、心配や気苦労が無く、陽気に暮らす事が出来る。
一四、何事も皆、親神が支配する以上は、大小強弱等の差別を勝手につけて、彼これいうものではない。
一五、これまでも、親神の手足となって働く事の出来る者を、どうでも欲しいものであると思うて随分探し求めていた。
註 よふ木゛は、ようぎ、即ち、よふぼくで、心のふしん、世界のふしんの用材の意。親神様のたすけ一条の聖業に手足としてお使い頂く者をいう。
一六、一七、ところが、この度身分の低い者の中に、充分とはいえないがよふぼくとなり得る真実な者が沢山見えて来た。しかし、今のままではまだ役立つ事は出来ないが、これから先追々親神が仕込んで行ったならば、将来立派な用材と成って、国のためにも充分尽す事の出来るようになる。
註 たあふりは「たっぷり」で、沢山の意。くにのはしらは、国の中堅の意。
一八、それから後は、親神が日々心を見定めて、後々を育てる段取を急ぐばかりである。
一九、こうして樹齢を重ねた木、即ち、道の年限の理を積んだ者から、手入れをして引寄せてよふぼくとして使い、更にその後は、なおも次から次へと数多くのよふぼくを育てる工夫をする。
註 ひねた木とは、樹齢を重ねた木、即ち道の信仰の進み、心の成人した者を仰せられたものと解す。
二〇、親神の意図は深遠で、同じ所にでも二人三人とよふぼくになる者を選び定めるのである。
二一、よふぼくとなる者には男女による区別はない。男でも女でも、心の澄んだ真実の者であるならば、親神はよふぼくとする考えである。
二三、二四、よふぼく・よふぼくというが、それは二人三人の僅かな事ではない。少なくとも五、六十人の人数がほしいのである。然してこの五、六十人の人数はいついつまでも減らずに、末代まで続いて切れないようにしたいのである。
二五、これ程にいろいろ心を砕いて心配している親神の真実の程を、皆の心は何う思うているか。
二六、いろいろと口説いて話をするというのも、世界一列の者を早く救けたいばかりからである。
二七、二八、一列の者が胸のうちを澄まして、早く親神の心を悟る事が出来たならば、もともと親神は世の中万事を守護しているのであるから、この親神の働きを自由自在に現して、何も彼もよろづの救けを皆して見せる。
二九、よろづたすけをして親神の利やくを早く見せたいとの一心から、一列の心の入れ替えを親神が急き込んでいるのである。
三〇、何でも彼でも一列を早く救けたい上から、心の入れ替えを急き込んでいるのであるから、一列の者も、この親神の心をよく了解して、銘々の胸のうちを早く掃除して、澄み切った真実の心になってくれ。
三一、この親神の話を、あれは何処の話か知らん、と、うわの空に聞き流すのでない。これは一列皆銘々に、自分自身の家に対する親神の諭しである。
三二、銘々に胸のうちをすっきり掃除し、しっかり心定めをして、早く真実の心を出すようにせよ。すれば親神の利やくは、直ぐにも現れて来る。
三三、親神は一列を早く救けたい上から、心の入れ替えを急き込んでいるので、親神の心は何かにつけて気ぜわしい。
三四、一列の心の入れ替えが出来て、親神の自由自在の守護を早く現し、よろづたすけが出来たならば、親神の心は、自然に勇んで陽気になって来る。
三五、三六、今までからも、今がこの世の初まりと、度々説いてはいるが、人間は、それが何の事やら分からずにいたけれども、このたび現れた親神の自由自在の働きを見て、その意味をよく悟れ。銘々の心の入れ替えによって、どんな自由も得られるというこの珍しい守護を今までだれも知らなかったであろう。
註 今がこのよのはじまりとは、親神様がこのだめの教によって、一列人間の心身の更生に着手下さる事を仰せられたのである。
三七、親神は、胎内へ入り込んで自由自在の守護をしてみせる。
三八、これ程の自由自在の守護をする親神の真実を、一列に説いて聴かすのは今度が初めてである。
三九、これから先は、いつになってもこの調子で、自由自在に守護するのである、という事を、速やかに知らせよう。
四〇、人間創造以来、いろいろ様々の道中を通ってきたが、この度よふきづとめによってをびやたすけを行うという事は、実に、この世創めて以来未だかつて無かった事である。
註 をびやたすけというのは、をびやの許しを頂いた者は、極く安々とお産が出来、産後いろいろの忌みものの必要もなく、直ちに起きて平常通り働く事が出来る。又真実の心次第では産期を早めたり遅れさしたり、自由自在の守護をして頂ける不思議なたすけである。人類創造の際、親神様がぢばで人間を宿し込まれた理によって、ぢばでをびや許しを授けられるのである。従って、この許しは、ぢば一つに限られている。
四一、四二、この度は、をびやたすけの真実を早く現したいと親神は急いでいるが、一列の者は今までに前例のない事であるから、半信半疑でちゅうちょ、しゅん巡している。
四三、誠真実の心を定めて、心から親神に願うならば、自由自在の守護を、今直ぐにでも与えてやろう。
四四、この自由自在の守護は、今までだれも知らぬ珍らしい事であるからだれも彼も親神の真意を悟り得ないでいるが、これは、親神としては、はがゆくって堪らない事である。
四五、今までは、何事も皆実際に現れて見えて来るに到らなかったが、これから先は、親神の守護が速やかに現れて来るであろう。
四六、真実の心があるなら、その誠心を以て何なりと早く親神に願うようにせよ。親神はそれを受け取ってどんな事でも心通りにその願をかなえてやろう。
四七、どのような願でもかなえてやらぬとはいわぬ。親神はただたすけ一条を急いでいるから、真実の心によって願うならば何事でも守護してやろう。
四八、これ程に親神の心はたすけ一条を急いでいるのに、そばの者はなぜ心をいずましているのであるか。
四九、早く勇んだ心になってたすけを急ぐようにせよ。親神がこれ程待ち兼ねているのが、そばの者には分らないのか。
五〇、親神は、自由自在の守護を真実に現して、早く一列の者に見せてやりたい。これが親神のただ一筋に念願する処である。
五一、早く自由自在の守護を現して、一列子供を救けたいと、これ程に思っている親神の真実を悟る事も出来ず、そばの者がまだ親神の教えを知らない世間の人々も同然の心を使っているのが実にもどかしい。
五二、五三、何事を説いて聴かすのも、決してそれは人間の思案でいうのではない。皆親神の心でいうのである。それに、今までは親神の説くところを疑うて、どんな事を説いて聴かしても、人間の思案が混っているように思うていた。次歌註参照。
五四〜五六、註 教祖様はやはり人間の身体を持っておいでになったので、教祖様のお説きになる事を、人間の心が混っているように思うて、軽く聞き流し勝ちな為に、なかなか親神様の真意を悟る事が出来なかった。「口は人間心月日や」と仰せになっている通り、人間の形を具え、口でお説き下さるのであるが、教祖様の御心は月日の心即ち親神様のお心であるから、これから、何を説かれても、人間がいうのであるとさらさら思わずに、どこまでも親神様の御心であると信じなければならぬ事を、重ね重ね戒められたのである。
五七、五八、今までは、一寸時機も早かったので、何事も総て控え目にしていたが、もう今は時旬が来たので、これから先は親神の力を十分現すから、どのような事を説いても、決して怖い事も危い事もない。安心してたすけ一条のために精進せよ。
註 当時官憲の干渉に対していずんでいたそばな者をべんたつせられた御言葉である。
五九〜六一、これからは親神自ら出張って行くのであるから、どんな事でも皆かやしをしてやる。それというのも、親神の方に今までからのもどかしさが沢山積り重っているからである。親神のもどかしさと云いかやしというのは、皆一列子供可愛いい上からの話であるから、親神がかやしをするというても、皆の者に世間普通のように仕返しの手段方法を講ぜよという訳ではない。
六三、上に立つ人々の心に親神の真実が早く分ったならば、自由自在の守護を早くするのに、それがまだ十分徹底しない。
六五〜七二、総註 秀司先生の庶子お秀様は、六年前即ち明治三年三月十五日に出直された。このお秀様の魂は元々深いいんねんがあるので、親神様は早くいんねんある元の屋敷へ生まれ出さしたいと、その魂をしっかり抱きしめておられたが、時旬の来るのを待って秀司先生の奥様まつゑ様に宿し込まれ、出産せしめられる事を予言せられたものである。こういう深い親神様の意図を知らぬそばな人々は、深い神意の程を知らず、何事かよく分からぬままに軽く聞き流していたのであるが、親神様には、今度生れる子供は女の子である事まで分かってあるから出産前から「たまへ」という名前まで付けて置かれたのである。これは、親神様のお働きが自由自在である事を実証せられたものである。そしてこのような自由自在を見たいと思うならば、親神様の教えられるおつとめの手をしっかり覚えて勤めてくれよ、と、仰せられたのである。 (第一号六一及第三号一一〇註参照。)
七三、この親神の説く話を真実に心の底から信じるならば、心を治めて早くつとめにかかれ。
七四、七五、今まではどんなに説いて聴かしても、一列の胸の中は親神の心が分かるように澄み切っておらず、またその時機も来なかったかが、もう今は人々の心も澄んで来て、親神の心を悟れるようになって来たし、時機も来たから、親神は早くつとめにかかるよう大そう急込んでいる。
七六、これさえか早く実現して来たならば、如何な者でも皆、成程親神の働きは自由自在である、と感服するようになる。
七七、親神がこの者さえ早く生まれかえらせたならば、それからは、どんな事でも自由自在に守護する。
七八、今までもをびや許しや、ほふそ守りを許し出して来たが、皆の者はこれを何と思うていたか。その深い理については、恐らく何も分からないままでいたのであろう。
八二、親神が説き諭す事は、どんな事でも胸に治めていう通りにせよ。親神のいう事には絶対に間違いはないのである。
八三、どのようなてすけをするのも皆、よふきづとめの霊徳によって行うのであるから、親神の説き諭す通りに確かにつとめを実行するならば、如何なたすけも皆現すであろう。
八四、親神の教える通りにしっかりつとめをするという真実の心があるならば、親神も確かに請け合うて必ずたすけをしてやろう。
八五、この度は確かに親神が請け合うてたすけをするが、こんなたすけは今度が初めてである。
八六、これ程に親神の心は急き込んでいるのであるから、そばの者もこの親神の心を悟って早くつとめの準備をせよ。
八七、このように準備を急いでいるつとめというのは、どれ一つに限った事はなく、どんなたすけでも皆つとめ一条によって現すのである。
八八、つとめと一概にいうても同じ仕方ではない、皆それぞれのつとめに応じて手振りを教える。
八九、今日までの道すがらについては、どういう道筋を通って来たかという事は、だれ一人知った者は無い。
九一、親神から何も彼も一切の道すがらの話を聴いたならば、親神がはがゆく思うているのも、決して無理でないという事が分かるであろう。
九四、陽気づくめ即ち何も彼も皆陽気にするというのは、総てつとめによって実現すのである。それで、これからこのつとめについていろいろと珍しい事を皆教える。
九五、親神は、だんだんつとめを教える準備に取り掛かっているから、先ず各人の胸の中のほこりをすっきり掃除する。
九六、胸の中の掃除の出来たその後は、日に日に心が勇んで来るから、それからよろずのつとめの手振りをつける。
註 明治八年陰暦五月二十六日かんろだいをすえる位置を定められて後、かんろだいのつとめのお手一通り教えられ、つづいてこの年「をびや」「ほふそ」のつとめの手振りを教えられ、その後引続き「肥」「生え出」等のつとめの手振りを教えられた。よろづのつとめとはこれ等を仰せられたものである。
九七、このつとめはどういうつとめであると思うか。これはそれぞれ、をびや、ほふそのたすけ一条のつとめである。
九八、このたすけとはどんな事と思うているか、これはほふそにかからぬようにというつとめを親神が教えるのである。
九九、この道を世界一列へ早く伝えたい為に、よろづつとめを教えるのであるから、このつとめによって世界一列の心を真実に澄み切らせる。
一〇〇、この親神の話をどう思うて聞いているか。親神は世界一列を救ける段取ばかりを説いているのである。
一〇一、どのようなたすけをするというのも真実の親が存命でいるから、皆引き受けるのである。
註 しんちつのをやとは、親神天理王命様であって、こゝでは親神様のやしろである教祖様をお指しになっている。
一〇ニ、教祖が親であるという事を本当に信じるならば、各人の心の誠次第で幾重の守護もするであろう。
一〇六、親神は、総ての事を皆教えるのであるが、親神の教える事は、この世創めて以来人間の知らぬ事、今までに無い事ばかりである。
一〇七、人間が考えるような、自分本位な、又将来の見えない事は、親神は決して言わぬ。親神の説く事は、遠く先々までも見透して、一列を救ける事ばかりである。
一〇八、親神はどのような事でも隔てなく、世界一列に同じように教えて、皆の者が陽気づくめに暮らす事が出来るようにしたいと思っている。
一〇九、一一〇、世界中皆一列の者の心が、すっきり真実に澄み切って、陽気づくめに暮らす事が出来るようになったならば、親神の心も勇んで来るし、又親神が勇めば人間の心も同じく共に勇んで来る。
一一一、かように世界一列の心が勇んで来たならば、親神も人間も一つ心に勇み立って、共々に陽気づくめの喜びが充ちあふれるであろう。
註 真実誠の心に澄み切ったならば、陽気ぐらしが出来、信仰の究極たる神人合一の境に到る事を仰せられたのである。


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posted by 朱夏 at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | おふでさき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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