2013年10月10日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九八 どんな花でもな

稿本天理教教祖伝逸話篇一九八 どんな花でもな

ある時、清水与之助、梅谷四郎兵衞平野トラの三名が、教祖(おやさま)の御前に集まって、各自の講社が思うようにいかぬことを語り合うていると、教祖(おやさま)は、
「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで。」
と、お聞かせ下されて、お慰め下された、という。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
にをいがけに励んでいても、なかなか道は広がるものではないことを、懸命な布教師であればあるほど、痛感するものだと思います。

そんな嘆きをお慰め下されたお言葉ですが、現在の私達が注目すべきは、ここで語り合っている三名の先生方が、郡山、兵神、船場という、天理教内でも最も早く分教会となった教会の初代の先生方だということではないでしょうか。

数年前、詰所で教友と、「お互い、末端教会で苦労しますねぇ」というような話をしていました。
それを聞いていた大教会の役員先生に、こんなおさとしを頂きました。
「どんなに大きい教会、偉い先生も最初はみんな、末端や。末端教会の所属を嘆くのではなく、おたすけの最前線にいると思いなさい」と。
このおさとしは、今も私の励みとなっています。

現在の姿を見れば盛大な教会も、それぞれに信仰の元一日があり、にをいがけ・おたすけの苦労があるのです。

今現在の私達は、先人のきらびやかな歩みだけでなく、その失敗をも学んで歩める、格段に恵まれた状況にあります。
当時最も勢いがあったとさえ言えるこの三名の先生方にも、にをいがかからない、の運営がうまく行かないと、嘆く日々があったのです。

成果を求めるのではなく、歩み続けられることを喜びましょう。


清水與之助【しみず よのすけ】
天保13年(1842)生まれ(近江国高島郡中野村‐現・滋賀県高島郡安曇川町中野)
明治34年(1901)5月13日出直し:60才
明治16年(1883)兄・伊三郎の病に際し端田久吉(真明講社兵庫一号講元)ににをいをかけられ、初参拝
明治20年のおつとめでてをどりをつとめる
兵神分教会(現大教会)初代会長


梅谷四郎兵衛【うめたに しろべえ】
弘化4年(1847)7月7日生まれ(河内国古市郡東坂田村‐現・大阪府羽曳野市東阪田)
大正8年(1919)5月29日出直し:73才
浦田家の養子 勝蔵から四郎兵衛に改名 浦田家から離籍、梅谷に戻る
明治14年(1881)佐官業の弟子の父親から話を聞き初参拝
教祖より赤衣(明治16年)・本席より息のさづけ(明治20年)
船場分教会(現大教会)初代会長
妻たね 三男・梅次郎(2代会長)


平野楢蔵【ひらの ならぞう】
弘化3年(1846)9月3日生まれ(河内国高安郡恩智村‐現・大阪府八尾市恩智)
明治40年(1907)6月17日出直し:63才
生家・森家より平野家(郡山洞泉寺町‐現・大和郡山市洞泉寺)の娘とらの婿養子となる。
明治17年(1884)幻覚(精神障害)に悩まされ、翌年姉婿・森清治郎よりにをいをかけられる。
明治19年(1886)発作を起こし人事不省となるがお願いづとめでよみがえり、初参拝。
明治20年のおつとめで地方をつとめる
郡山分教会(現大教会)初代会長

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posted by 朱夏 at 10:23| Comment(1) | TrackBack(0) | 稿本天理教教祖伝逸話篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Posted by at 2013年10月12日 15:57
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