2013年10月05日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九七 働く手は

稿本天理教教祖伝逸話篇一九七 働く手は

教祖(おやさま)が、いつもお聞かせ下されたお話に、
「世界中、互いに扶け合いするなら、末の案じも危なきもない。仕事は何んぼでもあるけれども、その仕事をする手がない家もあれば、仕事をする手は何んぼでもあるが、する仕事がない家もある。
奉公すれば、これは親方のものと思わず、蔭日向なく自分の事と思うてするのやで。秋にでも、今日はうっとしいと思うたら、自分のものやと思うて、莚でも何んでも始末せにゃならん。
蔭日向なく働き、人を助けて置くから、秋が来たら襦袢を拵えてやろう、何々してやろう、というようになってくる。こうなってくると、双方たすかる。同じ働きをしても、蔭日向なく自分の事と思うて働くから、あの人は如才ない人であるから、あの人を傭うというようになってくる。こうなってくると、何んぼでも仕事がある。
この屋敷に居る者も、自分の仕事であると思うから、夜昼、こうしよう、ああしようと心にかけてする。我が事と思うてするから、我が事になる。ここは自分の家や、我が事と思うてすると、自分の家になる。蔭日向をして、なまくらすると、自分の家として居られぬようになる。
この屋敷には、働く手は、いくらでもほしい。働かん手は、一人も要らん。」
と。又、ある時のお話に、
働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(註、 側楽・ハタラク)と言うのや。」
と、お聞かせ下された。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
リクルートという大手企業の新入社員研修で、「働くというのは、はたを楽にするから」と教えられるそうです。
リクルート社を退職して、起業された方から伺いました。
リクルート社の研修担当や創業関係者に天理教の方がいらっしゃるのかどうかは解りませんが、この言葉が、多くの人に働く意義を明確に与えてくれるというのは、事実のようです。

この御逸話では当時の時代背景から、奉公やお屋敷への住み込みを実例に挙げられていますが、現代の会社勤めや家庭生活でも、全く同じことが言えると思います。

分業や分担が分かれていたり、自分自身の得手不得手があっても、互いに補い合い、助け合うからこそ、チームとして成功でき、陽気な家族として仲良く暮らしていけるのです。

そんな理想的な対人関係を築くには、まず自分自身が見返りを求めず、「はたはたを楽にしよう」と働くことです。
不得意なことを無理にやる必要はありません。
少々面倒だけれども、自分ならできるということを、喜んですることが、「側楽」ということなのだと思います。
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posted by 朱夏 at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 稿本天理教教祖伝逸話篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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