2013年09月14日

稿本天理教教祖伝逸話篇一九五 御苦労さま

稿本天理教教祖伝逸話篇一九五 御苦労さま

「教祖(おやさま)程、へだてのない、お慈悲の深い方はなかった。どんな人にお会いなされても、少しもへだて心がない。どんな人がお屋敷へ来ても、可愛い我が子供と思うておいでになる。どんな偉い人が来ても、
『御苦労さま。』
物もらいが来ても、
『御苦労さま。』
その御態度なり言葉使いが、少しも変わらない。皆、可愛い我が子と思うておいでになる。それで、どんな人でも皆、一度、教祖(おやさま)にお会いさせてもらうと、教祖(おやさま)の親心に打たれて、一遍に心を入れ替えた。 教祖(おやさま)のお慈悲の心に打たれたのであろう。
例えば、取調べに来た警官でも、あるいは又、地方のゴロツキまでも、皆、信仰に入っている。それも、一度で入信し、又は改心している。」と。これは、高井直吉の懐旧談である。


<今現在できる、自分なりの「さとり」>
この御逸話を拝読すると、所属教会の初代会長が思い起こされます。
私自身は、直接初代会長様にお会いしたことはありません。
ですが信者さんの多くが直接初代会長様と接してこられたので、思い出話をよく伺います。
思い出話といっても、どういうお仕込みを頂いたとか、どういうにをいがけおたすけをされたという話は少なく、常日頃のそのお姿を語られる場合がほとんどです。
中でも、教会に参拝すると、玄関で静かに座り、「ご苦労さんです。ママ(食事・御飯)頂いて下さいや」と、何とも言えない優しい様子で、誰にでも分け隔てなく挨拶されたという思い出をよく伺います。
私の所属教会の初代会長様は女性ですので、ご本人が教祖(おやさま)のひながたを目指す気持ちが、周囲の人にはそのまま、教祖(おやさま)のお姿を写し取っているように見えたのかも知れません。

教祖(おやさま)のひながたとは、このように、分かるようで分からない、説明できそうでできない、「何とも言えない優しい様子」のことなのではないでしょうか。
ひながたを頼りに生きている人も、自覚のないままに、そんな雰囲気を発していくものなのかも知れません。
それこそが真のにをいがけへと繋がるのですが、そのためにはやはり、努力の日々を重ねる他はありません。
そう考えると、努力の日々も、老いへと歳を重ねることも、楽しみに思えてきますね。


高井直吉(猶吉とも書く)
文久元年(1861)1月19日大阪府八尾市老原の生まれ。
3歳のころ父と死別し、姉夫婦に育てられる。
明治7年(1874)桶屋に奉公に出たころ、姉の産後の患いから、その夫と共に初めておぢばがえりする。
同12年(1879)悪性の風邪「ぜいき」をたすけられて信仰に入る。
同13年(1880)19歳でおやしきに住み込む。
同16年(1883)岡田与之助(宮森与三郎)らと遠州布教。
同17年(1884)4月、息のさづけを頂く。
同31年(1898)泉支教会三代会長。昭和16年(1941)11月21日出直し。80才。
岡田与之助とともに、お屋敷住込み青年第1号にあげられる。
「レンコン堀り」とあだ名されたぐらい事細かに教祖に教えを問うた。

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posted by 朱夏 at 06:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 稿本天理教教祖伝逸話篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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