2011年09月12日

稿本天理教教祖伝逸話篇八〇 あんた方二人で

稿本天理教教祖伝逸話篇八〇 あんた方二人で


明治十三、四年、山沢為蔵が二十四、五才の頃。兄の良蔵と二人で、お屋敷へ帰って来ると、つとめ場所の上段の間にお坐りになっていた教祖(おやさま)は、
「わしは下へ落ちてもよいから、あんた方二人で、わしを引っ張り下ろしてごらん。」
と、仰せになって、両手を差し出された。
そこで、二人は、畏れ多く思いながらも、仰せのまにまに、右と左から片方ずつ教祖(おやさま)のお手を引っ張った。しかし、教祖(おやさま)は、キチンとお坐りになったまま、ビクともなさらない。
それどころか、強く引っ張れば引っ張る程、二人の手が、教祖(おやさま)の方へ引き寄せられた。二人は、今更のように、「人間業ではないなあ。成る程、教祖(おやさま)は神のやしろに座します。」と、心に深く感銘した。



<今現在できる、自分なりの「さとり」>
稿本天理教教祖伝逸話篇に何度も何度も出てくる、「力比べ」のお逸話です。

山沢為蔵が二十四、五才の頃ということですから、お兄さんの良蔵先生は20代後半〜30代前半程度だろうと思われます。
男性として、力の強い年頃ですから、二人掛で老婆に力で負けないはずがない、と思われたことでしょう。
それが負けてしまうというのは、ものすごい衝撃を感じられたことでしょうし、心の中でたくさんのさとりを得られたことだろうと思います。

力比べのお逸話としては、非常にオーソドックスですので、私なりのさとりについては、「稿本天理教教祖伝逸話篇六一 廊下の下を」に詳しく書かせて頂きましたので、こちらをご参照下さい。

稿本天理教教祖伝逸話篇六九 弟さんは、尚もほしい」でも登場された山沢為蔵先生については、この後本部員として活躍されますので、ある程度詳細なプロフィールが分かり、こちらに書かせて頂いています。しかしお兄さんの良蔵先生については、私が調べる限りでは、あまり詳細なものは見つけられませんでした。

この兄弟は、山沢良治郎先生のご子息です。

山沢良治郎【やまざわ りょうじろう】良助より改名
天保2年(1831)2月22日生まれ(大和国山辺郡新泉村‐現・奈良県天理市新泉町)
明治16年(1883)6月19日出直し:53才
元治1年(1864)姉そのの痔の病を助けられ入信
そのは山中忠七の妻
叔母きみは守屋筑前守広治の妻

稿本天理教教祖伝に、そのご活躍の一端が書かれています。
守屋筑前守の遠縁にあたることから、「大和神社のふし」やその他、初期のトラブル仲介にご尽力されています。

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posted by 朱夏 at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 稿本天理教教祖伝逸話篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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