2010年02月11日

天理教用語「親神(おやがみ)」

天理教用語:親神(おやがみ) とは?
天理教では、神様を祈念し、奉るときには、「南無天理王命(なむてんりおうのみこと)」と申し上げます。
しかし、それ以外のときには、「親神様」と申し上げます。

天理教では、神と人との関係が親子の関係になり、神様は人間を可愛い子どものように思われ、また私たち人間は、神様を親のようにお慕いしています。
このことから、「親神様」と申し上げます。

おふでさきには、

このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり (四 62)
せかいぢう神のたあにハみなわがこ 一れつハみなをやとをもゑよ (四 79)
にち/\にをやのしやんとゆうものわ たすけるもよふばかりをもてる (一四 35)

というように示されてあります。

子どもである人間は、親神様を親身の親とお慕いし、喜びも、悲しみもそのままに打ち明け、すがることができるのです。

posted by 朱夏 at 17:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 天理教用語解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
天理教の信仰対象は、親神と教祖と御霊の3者だそうですが、これってキリスト教の三位一体を参考にしていますよね。少なくとも中山教祖時代にはなかった教義で、後に西洋文化、キリスト教の知識を持った人が教義を作る上で三位一体を参考にしたんじゃないでしょうか?
Posted by 辺野瀬 at 2013年01月18日 10:06
辺野瀬様

初めまして☆
コメントありがとうございますm(_ _)m

三位一体というのを、詳しく存じませんでしたので、少し調べてはみましたが、どういう共通点があるかは、私には判断できかねますね。。。
信仰の歴史的な流れを見ると、キリスト教の三位一体を参考にしたものとは、思えません。

まず「信仰対象」で言うと、天理教はあくまでも「親神様」のみを信仰対象としています。
確かに、各教会には三社があり、それぞれ「親神様」「教祖」「御霊様」が祀られています。
しかし「信仰対象」はそのすべてではなく、「親神様=信仰対象」、「教祖=人間の理想的な生き方、ひながたの目標」、「御霊様=先祖の信仰心、行動を敬い、且つ反省も行う対象」と分けられると思います。

教祖が現身を隠される以前の信仰対象としては、当時の人はそれぞれに解釈は大きく違ったでしょうが、「親神様=信仰対象」、「教祖=人間の理想的な生き方、ひながたの目標」というのが本来的な意味であって、何一つ変わっていません。
ただ、親神様と教祖を明確に分けることは、非常に困難です。
特に現身を隠される以前は、「教祖の言動=親神様の思召し」ですから、当時多くの先生方が教祖を「神様」と呼んでいたとおっしゃっています。
あまり知られていないことのようですが、現在の各教会でも、親神様の社と教祖の社の間には壁が無いか、窓のような穴が開けられています。これは、親神様と教祖の一体性のためです。

一方の御霊様ですが、教祖が現身を隠される以前の信仰者達の葬儀など、記録がほとんど残っていません。
葬儀が行われなかったとは考えられませんし、何らかの形で祀られていたと思われますが、はっきりしたことは解りません。
また、「生まれ代わり」という観点からすれば、いつどこに生まれ代わってくるのか誰にもわからないのですから、御霊様を祀っても、礼拝しても、その方が御霊社にいらっしゃるのか、現世にいらっしゃるのか、それともまたもう一度御霊社に戻られているのかすら解らないので、御霊様を祀る意義について疑問に思われるかもしれません。
しかし、人間的な信条として先人の先生を祀りたい気持ちはよく分かりますし、「国々所々の手本ひながた」として敬うために、御霊様を祀る意味は大いにあると思います。と同時に、人間ですから、すべてがすべて敬える行いでもなかったかもしれません。それを見つけたなら、自分自身が反省し、少しでも教祖のひながたに近付ける努力のきっかけになるとも思います。

御霊様を祀る方法としては、教祖がどのようなことを教えられたのか、どのようにされていたのかは、はっきり分りません。
また恐らくは、神道の祭儀から取り入れたものが多くの点で活かされていると思います。

まとめますと、親神様、教祖に対する信仰については、教祖が現身を隠される以前から、本来的な意義は変わっておらず、御霊様については、教義的な意義ははっきり分りませんが、教祖が現身を隠される以前からそれに近いものはあり、神道の儀式を学んで現在の形に落ち着いたと考えるのが自然だと思われます。

以上、個人的な判断ですが、キリスト教の三位一体を参考にしたものとは、考えられないのではないでしょうか。
Posted by 朱夏 at 2013年01月18日 19:24
キリスト教の三位一体は「父、子、聖霊」で、教祖の中山みきさんが親神と区別するのが困難であるとか神様と呼ばれたことがあるというのは、まさに「父」なる神(ヤハウエ様)と「子」なるイエス・キリストとの関係と似ています。キリスト教の正統派ではキリストは神です。天理教でも(信仰対象ではないとは言え)教祖は神格化された段階があるのでしょう。
ちなみに、yahoo!知恵袋で質問しましたところ、
<キリスト教の模倣と思われます。現在の天理教の教義は、昭和24年の天理教教典に基づいていますが、これを編集したのが二代真柱中山正善です。ですから、天理教教義の完成者は中山正善です。東京帝国大学で宗教学を学んでますから、バリバリ知識がありますよ。天理教教典第四章には「紋型ないところから、人間世界を造り、永久にかわることなく…」とありますが、これもキリスト教の神を模倣したと思われます。天理教教典第三章「元の理」を読んでも、無からの創造ではないのです。 泥海の中に、いきなりどじょうが出てきますからね。>云々とのことです。御批判できますか?
あと、「生まれかわり」と言われましたが天理教も輪廻転生を認めているのですか?
それと基礎講座はなぜ、有料で、指定された施設まで行かないといけないのですか?収益目的ですか?youtubeとかで動画の講座サイトを無料で見れるようにしてもよさそうですが・・・?
 
Posted by 辺野瀬 at 2013年01月19日 20:09
辺野瀬様

ご返信ありがとうございます☆

私は宗教学の専門家ではありませんので、あくまで個人的な解釈ですが、思うところを書かせて頂きます。

キリスト教における「父」なる神(ヤハウエ様)と「子」なるイエス・キリストとの関係と、天理教における親神様と教祖の関係、確かによく似ていますね。
けれど、「神」と「教祖」がある宗教なら、必然的にそうなるとは思われませんか?
あるいは、仏教には「神」という認識はありませんが、ゴータマ・ブッダを神格化したり、「ブラフマー」を「神」の言い換えと考えるなら、現在の日本の仏教宗派の開祖とブラフマーやブッダの関係も、よく似ていると言えると思います。
日本の仏教の場合、御先祖様を家庭の仏壇に祀って、「家庭を守って下さっている」と考えるのですから、各家庭の仏壇に祀られている「仏様」とキリスト教における「聖霊」も似た存在と考えられるのではないでしょうか。

どの宗教がどの宗教を真似ているということではなく、人間の「信仰心」の根源的な姿が、そうやって現れているだけだと思います。

「生まれかわり」については、当blog内
天理教用語解説「出直し」
天理教用語解説「末代の理」
天理教用語「きりなしふしん」
などをご参照下さい。

基礎講座についてのご質問は、私は天理教教会本部の者でも、基礎講座の担当者でもありませんので、お答えできかねます。
Posted by 朱夏 at 2013年01月19日 22:00
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