2010年01月22日

天理教用語「いんねん」

天理教用語:いんねん とは?
おさしづに

思ふやうになるもいんねん、ならんもいんねん、みんないんねん、しらず/\こせばどんないんねんもつてでるやらわからん、どねしてもならんがいんねん、金銭力でいけば、世上一つの理もあろうまい、金銭力でいかんがいんねんという (明治二三・八・二五)

とあり、自分の意志とは無関係に、お金や力、権力ではどうすることもできない運命的なもの、それが「いんねん」であるとお教え下されています。

身は「かりもの」であり、心一つがわがの理とお教え下され、この心一つで、人間は色々な道を、色々な心をつかって歩んでいます。
この心遣いが「種」となり、過去に蒔いた種、すなわち過去の心遣いはすべて、善きにつけ、悪しきにつけ、生えてきます。
これが「いんねん」です。

人間は一代だけでなく、何度も生まれ変わり、出かわりしてきます。
したがって、「いんねん」といっても今生だけではなく、前生の「いんねん」もあります。
その「いんねん」によって、それ相応に現在の生活が与えられると教えられます。

天理教では、この「いんねん」を「切る」ことをお教え下されます。
代々の「いんねん」を自覚し、心遣いを改めていけば、「いんねん」を切り、末代への成人を歩むことができるとお教え下されます。
また、心遣いを改めることは、来生以降だけでなく、「今」を「このよのごくらく」として生きさせて頂けることに繋がります。

親神様は、「いんねん」を自覚させ、「陽気ぐらし」実現の役に立つ人材となるよう、各人の成人をお促し下されています。

<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 本天理教教祖伝逸話篇九〇 一代より二代

posted by 朱夏 at 14:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 天理教用語解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
教内では、いんねんを納消(なっしょう)するという表現がよく使われるようです。「いんねんを切る」ことです。

今、手元にはないので確認できないのですが、天理中学で使われている『教科書』にも納消するという表現が出てきたように思います。詳細は後日追記しましょう。

手元にある限りで参照すれば、『天理時報』の1月16日号3面、昨年度の12月月次祭に関する記事の中で(見出し「1年間の御礼申し上げ」)、

 ――“「私たちのいんねんも、自分で蒔いた覚えもないのに生えてくる。しかも、それが悪いんねんならば、その元から根気よく抜かないと本当の望むご守護は得られない。ほこりを払い、悪いんねんを納消する中に、心が澄み、自らがたすかる道がある」”

という風に、納消が使われていますね。(松田本部員に依る神殿講話での言葉)

然しこの言葉は一般の辞書には載っていません。少なくとも、「デジタル大辞泉」「大辞林 第2版」、『岩波国語辞典 第7版』では確認できませんでした。


納には「おさめる」という意味があります。納税など。
Posted by fuka0417 at 2011年01月16日 21:33
☆fuka0417 さん

コメントありがとうございます☆

この記事では、「切る」という表現しか書いていませんが、「納消(なっしょう)」の方がよく使われるかもしれませんね。

「納消」を文字通り解釈すれば、「納めて消す」。すなわち、「いんねん」を自覚して、自分の生き方、考え方を改め、それを納めて通る中に、「いんねん」が「消える」ということでしょう。
天理教内では、意味が分かっていれば、「切る」よりもポジティブな印象があるので、よく使われるのだと思います。

ただ、一般的には、漢字から意味は推察できるものの、少し堅苦しいというか、難解な印象を受けるかもしれません。
文字に書いてあれば理解できますが、口頭で初めて聞く場合には、最初は分かりにくいかもしれませんね。
未信者の方や、入信間もない方に教理を解説する際には、「切る」という表現か、よりポジティブかつ分かりやすい「たすかる」「御守護下さる」というような表現がよく使われるように思います。その解説の中で、「納消」という言葉を一緒に解説すると、より分かりやすいかもしれません。
Posted by 朱夏 at 2011年01月17日 11:30
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