2009年09月13日

みかぐらうた解釈15 十一下り目。

一ッ ひのもとしよやしきの かみのやかたのぢばさだめ
二ッ ふうふそろうてひのきしん これがだいゝちものだねや
三ッ みれバせかいがだん/\と もつこになうてひのきしん
四ッ よくをわすれてひのきしん これがだいゝちこえとなる
五ッ いつ/\までもつちもちや まだあるならバわしもゆこ
六ッ むりにとめるやないほどに こゝろあるならたれなりと
七ッ なにかめづらしつちもちや これがきしんとなるならバ
八ッ やしきのつちをほりとりて ところかへるばかりやで
九ッ このたびまではいちれつに むねがわからんざんねんな
十ド ことしハこえおかず じふぶんものをつくりとり
やれたのもしやありがたや

天理教勉強blog: おてふり練習 15 十一下り目。


<解釈>

十一下り目全体を通じて、ぢば、お屋敷へのひのきしんのあり方をお歌い下されている。

第一首
日の本、庄屋敷村の、神の鎮まる館(甘露台)を建設するぢばを定める。(明治8年5月26日)

第二首
夫婦が揃って日の寄進に励む。
これが第一の物種(一番必要なときに一番必要な物が何でも生えてくる種)である。

第三首
見渡すと世界中の人々が段々と勇み出てきて
畚(わら縄などを網状に結んだものの四隅に吊り紐をつけ、土、肥料、農作物などを盛って運ぶ用具)を担いで日の寄進に励む者が出てくる。

第四首
欲の心を忘れて日の寄進に励む。
これが第二首で示した物種を芽吹きを助ける為の第一の肥料となる。

第五首
いつまでも続く、きりなし普請の土持である。
まだあるならば、私も行かせて頂こう。
きりなし普請とお教え下さるように、そのための土持にもきりがない。心の普請、すなわちたすけ一条の道のきわみなく伸びていくことをお歌い下されている。

第六首
ひのきしんに来る者を、神は無理に止めはしない。
ひのきしんをさせて頂こうという心がある者であれば、誰彼の区別はない。

第七首
今までに見たことも聞いたこともない、珍しい土持である。
これが親神様への寄進(心からの喜びを親神様に捧げること)と受け取って下さるならば、これほど結構なことはない。

第八首
神の田地である元の屋敷の土を掘り取って、
あちらからこちらへ、こちらからあちらへと、ただ場所を変えて運ぶだけである。
土持作業は、建築の基礎工事として行われる。高いところの土を掘って低いところに運び、地盤を掘り下げて土台石を据える。そしてまた土を運んで、この土台石を覆う。
物をもって寄進するのではなく、働きを捧げるのである。心からの喜びを行いに現して捧げるところに、日の寄進の真の意義がある。

第九首
この理を聞くまでは、世界中の誰も皆、
神の思いが分かっている者はいない。それが残念であった。

第十首
とうとう今年は、親神様のお教えを悟って、真実の理を心におさめ、目に見える肥料のみに頼らず、心の誠真実を親神様に捧げる日の寄進の真心をお受け取り頂いた理により、豊かな収穫を頂いた。
何と頼もしく、有り難いことである。
posted by 朱夏 at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | みかぐらうた解釈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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