2017年01月09日

天理教教典・第一章 おやさま

天理教教典・第一章 おやさま

「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。みきを神のやしろに貰い受けたい。」
とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の言葉である。
 家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽して辞退したが、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。
 時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。

  よろつよのせかい一れつみはらせど
  むねのハかりたものハないから         一  1

  そのはづやといてきかした事ハない
  なにもしらんがむりでないそや         一  2

  このたびハ神がをもていあらハれて
  なにかいさいをといてきかする         一  3

 世界中の人間は、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。 それは、元なる親を知らず、その心に触れぬからである。親神は、これをあわれに思召され、この度、教祖をやしろとして表に現れ、その胸のうちを、いさい説き聽かされる。

  いまなるの月日のをもう事なるわ
  くちわにんけん心月日や           一二 67

  しかときけくちハ月日がみなかりて
  心ハ月日みなかしている           一二 68

 教祖の姿は、世の常の人々と異るところはないが、その心は、親神の心である。しかし、常に、真近にその姿に接し、その声を聞く人々は、 日頃の心安さになれて、その話に耳をかそうとしないばかりか、或は憑きものと笑い、或は気の違つた人と罵つた。
 かかる人々に、親神の教を納得させるのは、並大抵なことでなかつたとはいえ、教祖が月日のやしろにおわす真実を納得させずしては、いつまでも、たすけ一条の道は啓かれず、陽気ぐらしへの立て替えは望めない。されば、教祖は、頑是ない子供をはぐくみ育てるように、世の人々の身にもなつて、説き聽かせ、或は筆に誌し、又は、親神の自由自在の 働きを目のあたり知らせ、身を以て行に示すなど、うまずたゆまず導かれた。
 教祖は、世界の子供をたすけたい一心から、貧のどん底に落ち切り、しかも勇んで通り、身を以て陽気ぐらしのひながたを示された。更に、親神が教祖をやしろとして、じきじき表に現れている証拠として、よろづたすけの道あけであるをびや許しをはじめとし、親神の守護を、数々、目のあたりに示して、疑い深い人々の心を啓かれた。
 更に、教祖は、

  このよふハりいでせめたるせかいなり
  なにかよろづを歌のりでせめ          一 21

  せめるとててざしするでハないほどに
  くちでもゆハんふでさきのせめ         一 22

  なにもかもちがハん事ハよけれども
  ちがいあるなら歌でしらする          一 23

とて、親神の思召を伝えられ、

  だん/\とふてにしらしてあるほどに
  はやく心にさとりとるよふ           四 72

と、後々繰り返し繰り返し思案させるよう、心を配られた。この事は、後日、

 これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた。            (明治三七・八・二三)

と仰せになつたように、おふでさきは、耳に聽くだけでは、とかく忘れがちになり易い人々の上を思い、筆に誌して知らされた親神の教である。 そして、何人にも親しみ易く、覚え易いようにと、歌によせてものされ たばかりでなく、屡々、譬喩を用いて理を説かれたのも、深い親神の思召をうなずき易く、理解し易いように、との親心からである。即ち、

  このさきハみちにたとへてはなしする
  どこの事ともさらにゆハんで          一 46

  やまさかやいばらぐろふもがけみちも
  つるぎのなかもとふりぬけたら         一 47

  まだみへるひのなかもありふちなかも
  それをこしたらほそいみちあり         一 48

と、神一条の道を進む者の道すがらを、山坂や、茨の畔などにたとえて、この道は、一時はいかに難渋なものであろうとも、一すじに親神にもたれて通り切るならば、段々、道は開けて、細道となり、遂には、たのもしい往還道に出られると、希望と楽しみとを与えて、励まされた。そして、自ら真先にかかる中を勇んで通り、陽気ぐらしのひながたを示された。
 又、人の心を水にたとえ、親神の思召をくみとれないのは、濁水のように心が濁つているからで、心を治めて、我が身思案をなくすれば、心は、清水の如く澄んで、いかなる理もみな映ると教えられた。そして、我が身勝手の心遣いを、埃にたとえては、親神をほおきとして、心得違いのほこりを、絶えず掃除するようにと諭された。
 更に又、陽気ぐらしの世界の建設を普請にたとえては、これに与る人達を、しんばしら、とうりやう、よふぼくなどと称んで、その持場々々の役割を示すなど、人々が容易に理解して、早く心の成人をするようにと心を尽された。
 このように、子供可愛い一条の親心から、譬喩を用いて分り易く教えると共に、いかにもして、親神の理を得心させたいとの思召から、初め、親神を神といい、次に月日と称え、更にをやと仰せられるなど、成人に応じ、言葉をかえて仕込まれた。
 即ち、神というては、この世を創めた神、元こしらえた神、真実の神 などと、言葉をそえて親神の理を明かし、或は、

  たすけでもをかみきとふでいくてなし
  うかがいたてゝいくでなけれど         三 45

と仰せられ、神というも、これまでありきたりの拝み祈祷の神でなく、この世人間を造り、古も今も変ることなく、人間の身上や生活を守護している真実の神であると教えられた。
 次いで、親神を月日と称え、目のあたり天に仰ぐあの月日こそ、親神の天にての姿であると眼に示して教え、世界を隈なく照し、温みと潤いとを以て、夜となく昼となく、万物を育てる守護を説き聽かせて、一層の親しみと恵とを感じさせるよう導かれた。それと共に、

  いまゝでも月日のやしろしいかりと
  もろてあれどもいづみいたなり         六 59

  このあかいきものをなんとをもている
  なかに月日がこもりいるそや          六 63

とて、赤衣を召されたのも、教祖が月日のやしろにおわす真実を、眼に示して納得させようとの思召からである。ここに、月日親神に対する信仰と、月日のやしろたる教祖への敬慕の心とが、次第に一つとなり、教祖の言葉こそ親神の声である、との信念を堅めるようになされた。
 更に又、

  いまゝでハ月日とゆうてといたれど
  もふけふからハなまいかゑるで        一四 29

とて、それから後は、をやという言葉で、親神を表し、

  にち/\にをやのしやんとゆうものわ
  たすけるもよふばかりをもてる        一四 35

と仰せられた。人間の我が子を慈しみ育てる親心によせて、親神は、ただに、神と尊び月日と仰ぐばかりでなく、喜びも悲しみもそのままに打 ち明け、すがることの出来る親身の親であると教えられた。そして、一層切実に、親神への親しみの情を与えると共に、月日のやしろたる教祖こそ、まことに一れつ人間の親である、との信頼と喜悦の心を、たかめるように導かれた。
 このように、明かに、鮮かに、親神を信じることが出来るよう導かれたのであるが、なお、胸のわからぬ人々の心ない反対や、世間からのとめ立てが絶えず、それ故に、ふりかかる教祖の御苦労を思うては、時としてはためらい、時としてはまどう者もあつた。教祖は、これをもどかしく思い、ざんねん、りつぷくなどの言葉で厳しく急き込む半面、

  こらほどにさねんつもりてあるけれど
  心しだいにみなたすけるで          一五 16

  いかほどにさねんつもりてあるとても
  ふんばりきりてはたらきをする        一五 17

などと、温かい親心を宣べて、常に、子供達の心の成人の上に、心を配られた。
 かくて、教祖は、口に、筆に、又、ひながたによつて、種々と手を尽し、心を配つて教え導き、陽気ぐらしへのたすけ一条の道をはじめられた。更に、深い思わくから、親神天理王命の神名を、末代かわらぬ親里 ぢばに名附け、又、一れつのたすけを急き込む上から、姿をかくして、 存命のまま、恆に、元のやしきに留り、扉を開いて、日夜をわかたず守護され、一れつ子供の上に、尽きぬ親心をそそがれている。
 まことに、人は、ただ教祖によつて、初めて親神を拝し、親神の思召を知る。教祖こそ、地上の月日におわし、我等の親にてあらせられる。



  にんけんをはじめたしたるこのをやハ
  そんめゑでいるこれがまことや         八 37




posted by 朱夏 at 20:45| Comment(8) | TrackBack(0) | 天理教教典 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月01日

立教179年・秋季大祭神殿講話

先日、11月3日は教会の秋季大祭でした。
神殿講話の原稿をアップしてみます。






<秋季大祭神殿講話>
只今は、当教会の秋の大祭を賑やかにつとめさせて頂き、誠にありがとうございます。
世間の神社などでは、秋の大祭と言えば、五穀豊穣、収穫のお祝いという意味が強いのですし、それ以外の理由付けでありましても、「お祝い」という意義がほとんどであろうと思います。
しかしながら、天理教の秋の大祭は、単純に「お祝い」の意味ではありません。
本日は、秋の大祭に込められた神様の想い、人間のつとめるべきことを少しお話させて頂きたいと思います。
しばらくお付き合い下さい。

柏手

以前この場で、十一月三日の、当教会の秋の大祭は、創立記念日の意味があるとお伝えしました。
十月二十六日のご本部の秋の大祭も、立教の元一日に由来する訳ですから、天理教の創立記念日と言えます。
そういった意味では、収穫、豊作を祝うのとは違っても、やはり、お祝いの意味もあります。
しかし、もう一段突き詰めて、ではなぜ、この立教が必要だったのかと考えれば、単純なお祝いでは済まなくなっていきます。
まず、立教の元一日を見てみましょう。
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり、このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい」
ご承知の通り、これが中山みき様という、一農家の主婦のお口を通しての、親神・天理王命の一番最初のお言葉です。
このご発言から、人間と親神様の間で三日間押し問答をし、当時の家長であった夫・中山善兵衛様から「みきを差し上げます」とご返答され、奈良の片田舎の農家の主婦、何も知らないごく普通の一人の女性であった中山みき様はこの日、今現在、私たちが「おやさま」と親しんでいる「月日のやしろ」と定まられました。これが、今から179年前の十月二十六日のことです。

さて、親神様とは、この世人間を作り、今も変わらず火水風、あまねく十全の御守護を下さる実の神様です。
知っている、知っていない、信じている、信じていないに関わらず、この世界、人間はすべて、親神様に作られ、御守護のもとで生かされています。
この神様が、なぜ、179年前に表に現れる必要があったのか。
もっと前でもなく、もっと後でもなく、179年前、天保九年(西暦1838年)である必要があった訳です。

天理教には、「元の理」というお話があります。その概略を申し上げますと。
親神様は、この世の元はじまりに、泥海という混沌とした世界を味気無く思し召し、つまり、何にもなくてつまらないなと思われました。
そこで、人間をつくって、その陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しもうと思いつかれました。
そして泥海の中から道具を集め、この世、人間をつくっていきます。
その際も、立教の際の人間との押し問答と同じく、道具と、親神様との間で押し問答があります。
親神様はそこで、「最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿仕込みのいんねんある元の屋敷に連れ帰り、神として拝をさせよう」と約束されました。
そして最初に産みおろされた子数、それが九億九万九千九百九十九人。
その後、人間は、三度も皆出直し、さらに虫、鳥、畜類などと、八千八度の生まれ更りを経て、またもや皆出直し、最後に残っためざる一匹から現在の陸上で生活する人間へと繋がっていきます。
この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられます。
つまり、天保九年(西暦1838年)というのが、この人間、世界が作られて九億九万九千九百九十九年経った日ということです。

うん。
分かったような、解らんような、荒唐無稽なような、でも何となく、人間の直接の祖先がサルだとか進化論とか、文明の発達とか、そういう現在ようやく見えてきた生命や人類の歴史を言い表されているような、そんな気もしてくるかと思います。

そこで、ちょっと道を神様の話から逸れまして、今現在の科学で、生命、人類の歴史はどんなものであったのかを調べてみました。
ご存知の方が多いかと思いますが、地球ができたのは、今から46億年前、そこから6億年経った海の中で、最初の生命が誕生したと言われています。
この頃の地球の海というのは、有機分子、つまり生命の元になる材料が豊富にあるものの、地球の温度は非常に熱く、海底火山や太陽からの紫外線、降り続く雨と雷にさらされ、まさに混沌とした泥海でした。
そこから色々な生命、光合成をするもの、酸素を利用するもの、色々と個性的な、単細胞の生物が生まれていきます。
多細胞の生物が生まれたのが、約14億年前のこと。
そして、生命の歴史にとって極めて画期的な、有性生殖、つまり、オスとメスが生まれたのが、9億年から十億年前と言われています。
その後は、ご存知の通り、進化論に従って進化していくわけですが、生物種の70%以上が絶滅する大絶滅に、五回見舞われていると言われています。
現在の人間に限りなく近い姿になったのが、五万年前。そこから、狩猟、採集の生活を経て、一万三千年ほど前に農耕、牧畜がはじまり、一万年前に、都市文明、つまり、それまで数人から数百人程度の部族生活をしていた生活から、お互いに顔も名前も一致しないくらいの大人数での、社会生活をはじめたのが、一万年ほど前のことだと言われます。
象形文字という、絵を文字代わりに使用し始めたのが、五千三百年前のエジプトでのことと言われ、四千年前の中国・黄河文明のあたりから、それがだんだんと、現在の文字へと変化し始めたと言われています。不思議と、世界各地で同時期に文字への変化が現れてきます。
さらに、世界の人口の推移なんですが、今現在地球上には70億人以上の人間がいますが、先ほど言いました都市文明が始まったという一万年前は100万人程度だったと言われています。西暦1800年代、つまり立教の頃ですね、この頃に、世界の人口は約10億人に達したと言われています。

生物学のお話はこのくらいにしておきます。
今お話しした、天理教の元の理と、現在の科学的な生命の歴史には、二点だけ違っているところがあります。
絶滅の回数が、元の理では四回、現在の科学では五回。
また、元の理では九億九万年が水中の住まいと教えられますが、五万年前には現在の人間の姿になっていて、狩猟採集をしている訳ですから、水中で暮らしていたとは考えにくいものがあります。
しかし、それ以外のことに関しては、何とも、元の理のお話とそっくりな歴史を経て、今の私たちがあることを思い知らされます。もちろん、あくまでも現在の研究によればという話であって、これらがまったく正しいとも言い切れはしません。それでも、179年前に、何も知らないごく普通の一人の女性の口からこのような話をはじめられたと考えると、鳥肌が立つような思いがします。

さて、このような歴史がわかってきたのは、わずか数十年のことです。今現在は当然と捉えられている考え方も、わずか百年前には、拷問にかけられるほどの否定をされていました。一番有名なのは、「進化論」ですね。ちなみに、ダーウィンが『種の起源』という論文を出版したのは、1859年11月24日。天理教の立教よりも、二十年も後のことです。この考え方が日本に入ってきたのは、当然、さらにずっと後のことです。

ここまで話しておいて、こんなことを言うのもおかしいのですが、私は、科学的な裏付けがあろうと無かろうと、この元の理こそが、神様が伝えたかったことだと思うんです。
神様が私達人間に伝えたいのは、人間は誰によって、どのようにして生まれてきたのかを知ってほしいということだと思うんです。
私達人間は、人種、肌の色、言葉、文化、年齢、性別が違っても、すべて等しく、親神様が一人一人に役割を与えて、産み、育んでくださっています。
その産み、育ての苦労話が、元の理だと思うんです。
私にもきょうだいがおりますが、きょうだいというのは、一番身近な肉親でもあり、他人のはじまりでもあります。
そのきょうだいが争い、憎しみ合っていれば、家庭は治まらず、誰も幸せにはなれません。
そのきょうだいがお互いを思い合う要が、同じ親から生まれ、同じ親から育ててもらったという事実です。
ある程度の年齢になり、親のことが分かり、きょうだいのことが分かり始めた頃、大抵の家庭で、お前は小さい時はこんな子だった、あんな子だった。また、お父さんとお母さんはこうやって出会い、こういう思いでお前たちを育てて来た。といった話をすると思います。
この家庭での何気ない子育ての振り返り話が、きょうだいが互いに思い合う始まりになるはずです。
元の理のお話は、家庭での子育ての振り返り話を、無限大に大きくしただけのことだと考えれば、おのずと、親神様が本当に言いたいことも分かってきます。

人間は、一人一人違っているけれども、みんな残らず、等しくきょうだいであり、思い合い、助け合って生きて欲しい。それが子どもたちを見る、親の唯一の願いだから。

天理教の秋の大祭は、単純に「お祝い」の意味ではありません。
私達人間の、産みの親、育ての親を知り、同じきょうだいとして、たすけあう使命を自覚する日です。
おふでさきに、
このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり 四-62
せかいぢう神のたあにハみなわがこ 一れつハみなをやとをもゑよ 四-79
せかいぢういちれつわみなきよたいや たにんとゆうわさらにないぞや 一三-43
月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから 一四-25
と仰せ下さいます。

人間の、産みの親、育ての親をお教え下さった、立教の元一日。
その意義を胸に、陽気ぐらし世界実現への努力を、共々につとめさせて頂きましょう。

ご清聴ありがとうございました。

柏手

参考資料
元の理 | 天理教・信仰している方へ http://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/motonori/
【地球ヤバイ】5回繰り返された大量絶滅と、人類が招く6度目の悲劇 - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2144022583678982601
進化論 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AB%96
世界の人口 http://arkot.com/jinkou/index.htm#suii
人類歴史年表|人類|歴史|地球|生命|進化|誕生|人類史|地球史|ヒト http://www.eonet.ne.jp/~libell/main.html
世界史年表 http://www.eva.hi-ho.ne.jp/suruga/kokogaku.htm
生命の誕生と40億年の進化 http://www.geocities.jp/msakurakoji/900Note/15.htm
地球カレンダー 46億年の歴史を1年で見る・21世紀の歩き方大研究 http://www.ne.jp/asahi/21st/web/earthcalender.htm
地球史年表 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8


<天理教勉強blog内関連記事>
天理教勉強blog: 天理教用語解説「元の神・実の神」 http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/157921210.html
天理教勉強blog: 立教。 http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/132525942.html
天理教勉強blog: 天理教用語「いんねん」 http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/139029098.html
天理教勉強blog: 天理教用語解説「三いんねん」 http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/144970858.html
天理教勉強blog内検索・おふでさき https://cse.google.co.jp/cse?cx=partner-pub-9981519112701381%3Az6flak-91g5&ie=Shift_JIS&q=%8C%B3%82%CC%97%9D&sa=%8C%9F%8D%F5&siteurl=tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net%2F&ref=blog.seesaa.jp%2Fcms%2Farticle%2Fregist%2Finput&ss=1672j533760j9#gsc.tab=0&gsc.q=%E3%81%8A%E3%81%B5%E3%81%A7%E3%81%95%E3%81%8D
天理教勉強blog: 天理教用語解説「この世元はじまりのお話」 http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/144603145.html

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posted by 朱夏 at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | さとりの徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月13日

今、ひながたを心に治める旬。

教祖130年祭の年も、後半に入りました。

実は今年は、非常に重要な年であることを、最近知りました。




まずは、少し枕を。

六十年の歳月を「還暦」と言います。
それを二回過ごした百二十年の歳月を「大還暦」と言うそうです。

人類の歴史上、おそらく、大還暦を迎えた人は、いないと思います。

さて、今から六十年前、天理教の歴史上、非常に重大なことがありました。
立教119年、教祖70年祭の年の事です。

この年、私たちがたどる「ひながた」の一番の拠り所である、「稿本天理教教祖伝」が公刊されました。
それからちょうど六十年。
確かにキリの良い年限で、なるほどとは思いますが、これだけなら、わざわざここに書くほどのことではありません。

さらに六十年遡ると、教祖10年祭(立教59年)の年になります。
この頃、初代真柱様を中心として、教祖伝編纂の機運が高まり、立教61(明治31)年7月3日という日付で、「教祖様御伝」が清書されています。また同時期に別席台本も作成されました。

そして、さらに六十年遡ると、立教当時の年代になります。

あくまでもおおよそではありますが、教祖のひながたという軸で、60年周期の歳月が、120年、180年と巡ってきているように思います。

では、それぞれの60年をひと単位として考えてみた時、どんな想いがするでしょうか?

立教からの60年間。
それまでにまったく無い教えをはじめられた教祖のひながたそのものと、現身を隠されて後の10年。
この60年間こそが、天理教の歴史において、もっとも重要であり、かつ、もっとも困難な時代であっただろうと思います。

教祖十年祭から七十年祭の60年間。
教祖十年祭の年、「内務省秘密訓令」が発布されています。
伸び広がる教勢に、政府からの公然とした迫害干渉が始まった訳です。
その中をも教えを守り通して下さった先人方の道中は、並大抵ではなかったはずです。
まさに、日本が戦争へと突入し、教祖の教えを正確に発することができず、また日本人のすべてが、その命すらも権利として持てなかった時代です。

そして、教祖七十年祭から百三十年祭の60年間。
世界では、まだまだ戦争が絶えず、テロも数多く起こってはいますが、日本では、歴史上最も平和な時代になっています。
教えの上でも、それまで隠し通されて来た教祖の教えをそのままに、誰にはばかることなく、学び伝えることができる時代。さらにまつぶさに調査・編集された教祖伝を頼りに、ひながたを学び、通ることができます。
六十年をひと単位として振り返ってみれば、180年の歴史の中で、直近の六十年は、その前の120年間と比較にならないほど、恵まれた六十年です。
この時代を生きることができる私たちは、先人に申し訳ない限りの、恵まれすぎた環境にあると言えます。

最近、色んな方が、色んな場面で、「教勢が落ちている」と嘆くように仰います。
しかし、こうして歴史を振り返ってみれば、そう嘆く暇があるなら、たとえ最後の一人になっても、教祖の教えをもとに生きるのだという気概を持って、ひながたを心に治める努力をすれば良いのではないでしょうか?
また、世界に目を向ければ、まだまだ教えは広がっていませんし、日本国内にも、この教えを必要としていながら、まだ出会えず、人生に迷っている方も大勢いらっしゃいます。

私たちには、できること、しなければならないことが、たくさんあります。
しかし、その活動において頼りとするところは、すべて教祖、歴代真柱様をはじめ、数えきれない先人たちが、すでに通られています。
私たちは、そのマネをすれば良いだけなのです。

何も嘆くことはありません。
悩むことすらもありません。
この旬に、改めて教祖のひながたを心に治め、それぞれの持ち場立場で、たすけ一条の御用に励むことが、今後の六十年の礎になり、私たちには、その責務があると思います。

参考資料
第16回教義講習会第1次講習録抜粋 | 中山 正善 | 本 | Amazon.co.jp

第16回教義講習会第1次講習録抜粋
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2016年06月11日

「あしきをはらうて たすけたまえ〜」21回の数え方。

「あしきをはらうて たすけたまえ てんりわうのみこと」
この道の信仰者にとって、もっとも馴染みの深いおつとめの地歌ですが、これを「21回つとめる」時、その数え方は、人それぞれです。

色々な方に、「どうやって数えれば良いか?」とお尋ね頂くのですが、少し私なりの考えを書いてみます。




天理教勉強blog: みかぐらうた解釈1 座りづとめ第一節。
http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/121076097.html

みかぐらうた解釈の記事には、十全の守護を二回数えるのが良いと書いていました。
しかし、信仰の浅い方、特にお年を召した方には、それ自体が難しいという面があります。

そこでオススメしたいのが、「家族や身近な人を思い浮かべる」という方法です。
どんなに孤独に生きている人にも、必ず繋がりのある人がいるはずです。その数の多少はあると思いますが、最も身近な方を思い浮かべて、五人以上思い浮かべられれば、21回を数えるのは簡単なことです。
5人なら4回プラス1、7人なら3回、十人なら二回プラス1です。

身近な繋がりのある人を思い浮かべておつとめをつとめれば、それはその人の健康や幸福を願う、素朴な祈りにもなります。

それで必要十分では無いでしょうか。
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2016年03月26日

ごっそーっと。

教祖130年祭学生おぢばがえり大会、開催目前です☆




教祖130年祭 学生おぢばがえり大会 | 天理教学生担当委員会 website http://tsa.tenrikyo.or.jp/tan/?page_id=2762
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2016年03月17日

天理教教会本部・おつとめの時間

天理教教会本部・おつとめの時間

朝夕のおつとめの時間、及び祭典日の祭典執行時間です。




朝づとめ・夕づとめ
1月2日〜1月15日 7:00 17:00
1月16日〜1月31日 7:00 17:15
2月1日〜2月15日 7:00 17:30
2月16日〜2月29日 6:45 17:45
3月1日〜3月15日 6:30 18:00
3月16日〜3月31日 6:15 18:30
4月1日〜4月15日 6:00 18:30
4月16日〜4月30日 5:45 18:45
5月1日〜5月15日 5:30 19:00
5月16日〜5月31日 5:15 19:15
6月1日〜6月15日 5:00 19:30
6月16日〜6月30日 5:00 19:30
7月1日〜7月15日 5:00 19:30
7月16日〜7月31日 5:15 19:30
8月1日〜8月15日 5:30 19:15
8月16日〜8月31日 5:30 19:00
9月1日〜9月15日 5:45 18:45
9月16日〜9月30日 6:00 18:30
10月1日〜10月15日 6:00 18:00
10月16日〜10月31日 6:15 17:45
11月1日〜11月15日 6:30 17:30
11月16日〜11月30日 6:45 17:15
12月1日〜12月15日 7:00 17:00
12月16日〜12月31日 7:00 17:00
※1月1日は元旦祭 5:00

月次祭
1月と10月を除く、毎月26日 9:00

春季大祭
1月26日 11:30

秋季大祭
10月26日 8:00

教祖御誕生祭
4月18日 10:00

元旦祭
1月1日 5:00
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posted by 朱夏 at 14:17| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月06日

おさしづ補遺(明治四十年)(公刊おさしづ第七巻より)

おさしづを読む前に、「おさしづを身近に」をご参照下さい。
天理教勉強blog: おさしづを身近に。

おさしづの順は、公刊おさしづに準じています。
但し、旧字は常用漢字に改めています。
また「割書き」部分は文頭を一段下げることで、おさしづ本文と区別しています。

教語、人名など、検索機能をご活用下さい。
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誤字脱字等あれば、コメントにてご指摘下さいますよう、お願い致します。




明治四十年一月二十六日
 宮田サト及び次女ハナ身上願(芦津分教会役員宮田善蔵妻サト四年以前より身上不足、尚主人善蔵本月二十三日出直し致し、次女ハナ父の病気中又々病発し目下危篤、斯くの如く一家揃うての事は、何か御知らせ下さるものか願)
さあ/\/\尋ねる事情/\、さあ尋ねる事情にも余儀無く事であろう/\。さあさあ思い外という、どういう事であろう。皆々心にもとんと一つ心分かろうまい分かろうまい。今一時の処事情一つ身上何たる事であろうと思う。さあ/\年来の内順序の道これだけという、通りたる。又これではなあと思う心、思いたる一つ理治まりてあれど、治まりたる中に一つ濁りある。一つ事情よく聞かにゃ分からん。一時どうこう一つ理治まりてある。なれども一つ心から一つ心に煩う。煩うはどういうものである。前々深き心一つの理、中に一つ理。又心という、持って入りて持って出る心持ってくれにゃならん。皆々の側から見れば、又候という。自分一つ心は果たすなれど、他に一つ順序の心外れる。さあ/\あのくらいの中に、あれだけのものがなあ、と取るに取られん一つの理一つの心。これ皆々中の一時、心に治めたら将来という。これより遠く高きはあろうまい。これ一つ順序の理に運んでやってくれ/\。一つ後に一つ事情、又後に一つ事情、この心成っても成らいでも、これだけ一つどうでもという心の理運んでくれ。さあ/\その理さえ治まれば、先ず暫くという、楽しみも一つ見せにゃなろうまい。




明治四十年三月二十六日
 藤江鉡太郎二十七才宇野猶人妹きん二十六才結婚願(河原町部内大垣支教会長藤江、支教会役員宇野)
さあ/\尋ねる事情/\、縁談一つ一条一つ理尋ねる。尋ねるには、皆心という理寄って、これと/\重々と言うであろう。さあ道という、日々心の理一つ心である。順序理は、順序理に一つ許そ/\、さあ許し置こう。
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おさしづ補遺(明治三十九年)(公刊おさしづ第七巻より)

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明治三十九年一月十二日
 梅崎梅吉五十二才身上願(釜山港西町三丁目)
さあ/\尋ねる事情、身上一条一つ事情尋ねる。さあ/\どうでもいかんどうでもならん、思う処、どうであろうか。又候どういう事と日々の心尋ねる事情、どうでもいかんから尋ねる。尋ねるから一つ理諭し置く。よく聞き分けにゃ分かり難ない。身上の処、余程大層々々なれど、この元々理を、楽しみ一つ諭し置こう。元々一つ事情、心無くば一つ遠く所尚更の事。長らく一つ事情一時の処名称と言う。遠く所一寸始め掛けたる事情、この理身上から尋ねに行たら、こういうさしづあったと、よく諭してくれにゃならん。人間という、一代切りと思うたら何の頼りも無い。尽し切りという、何をしたんやらと思う。なれど、そうやない。尽した理は将来末代の理に治まり、何か日々の処皆受け取りてある。この事楽しみ説いて置く。いついつまで。又外に話の事情に諭して置く。いかな事情もしっかり一つ/\諭してくれ。身上大層。なれど、一時どうとない。この理何でも彼でも心楽しまさにゃならん。楽しましてくれ。

 右梅崎梅吉身上に付き出張する事を願
さあ/\事情々々、さあ/\急いで/\。何かの事運んで、運んだ一つ理、こうのう陰徳々々。この事情忘れんよう。他にも一つ諭すよう。これ一つよう聞き取ってくれるよう。




明治三十九年四月二十六日
 佐々木兼太郎三女芳十八才大谷金太郎次男幸嗣二十一才佐々木の方へ養子に貰い受け結婚御許しの願(高知部内高岡支教会長佐々木、浜田支教会前会長大谷)
さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情は縁談一条の理を尋ねる。尋ねる理は、それそれ理と理と寄せ合うて、あれとこれ、これとあれ、理は十分である。事情は願通り/\、さあ/\許し置こう/\。




明治三十九年十月十七日
 松谷捨松長男種吉十五才身上願
さあ/\尋ねる事情/\、身上一条一つ事情の理を尋ねる。さあ/\どうでもいかん、何ぼうでもいかん。ならん/\と思う中から一つ尋ねる。尋ねるから順序の理を諭す。よう聞き分けにゃならん。何故なるとは必ず思うな。よう思やんしてみよ。救からにゃならんが一つの理、救けにゃならんが一つの理。これを心に一つ考え、心の内に治め。救けにゃならん救からにゃならん理である。よう聞き分け。不自由さそ、難儀さそうという親はあろまい。この理聞き分け。尋ねる理、何でなると言うよでは、道とは思わりょまい。この一つの理諭す。どんな理も為す理ある。いんねん一つの理も聞いて居るやろ。成ろうと言うて成らるものやない。成ろまいと言うて成りて来る。人間一代と思うたら違う。生まれ更わりある。この理諭すによって、心に治めてくれるよう。




明治三十九年十一月十四日
 塩田弥助五十才身上願(南紀支教会部内波切出張所担任)
さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上という一つ事情尋ねる。いかな事であろうと思う。さあ/\身上切なくなれば、一時どうなろうと思う。又事情諭し置く。よく聞き分け。もう身上不足なると、これまでなあ、これまで長い間であったのになぁと思う。これ思わず。身上不足なったら、どうや知らんと思う。そうやない。成っても成らいでもという心を持って、よう聞き分け。人間という、一代切りと思ては違う。これまで運び尽した理は、日々に皆受け取ってある程に。さあそうしたら身上なあと、又思うやろ。さあ成っても成らいでもという心定め。さあ身上返やして了たら、暫くは分かろまい。なれど、生まれ更わりという道がある。さあこれより楽しみな道は無いと定めて、いかな事情も心に治め、道という理を治め。道という、道は容易で出けた道やない。この事情よく心に治めて楽しむよう。早く諭してくれ。




明治三十九年十二月二十五日
 永尾たつゑ陰暦十一月二十五日結婚式執行の願
さあ/\尋ねる事情/\、さあ尋ねる事情は、さあ/\願通り/\許そ/\、さあ許し置こう。
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おさしづ補遺(明治三十八年)(公刊おさしづ第七巻より)

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明治三十八年三月三十日
 乾キシ三十一才身上願
さあ/\/\尋ねる事情/\、身上一つ事情、さあ/\一時さあ/\ならん/\、一時どんならん事情日々の処、さあ/\尋ねる事情一つ理、どういう事を諭する。身上には何もこれまでの処夫婦の中の理十分の理一つこれまで。又多くの中とも言うであろう。身上にどういう事あろうこういう事あろう。何でもどうでもと思う処、言うまでの理。これ事情よく聞き分けにゃ分からん。さあ/\何でも彼でも救からにゃならん救けにゃならんが、一つ理。中に一つどうも一時という、身上々々は迫り/\迫り切ったる事情、何とも一つ諭しようが無い。なれど、一つ事情これまでの処、思い/\の日通り来たる。言うに言えん、諭すに諭せん理ある。又々事情ただ一つ心思やんをして、何でもこれから一つ理取り直し、よう理聞き分け。教理の中順序の中諭する中に籠もりある。これよく聞き分けてくれ。皆々心はすっきりと成っても成らいでも一つ、どうでもこうでもという心を定め。一時の処という、一つ事情ならん/\。大層々々。そこでよく事情聞き分けてくれ。これ何たる事という心持たず、皆々それ/\の心を十分繋ぎ合うてくれるよう。

 押して、役員の内も十分精神を定めさして頂きますと
さあ/\尋ね返やす処/\、重ね/\の事情、どうでもこうでも、一時と言えば、どうでもこうでも、何とも分かり難ない。この事情よく聞き分け。どんな事もこんな事も世上にある。世上の理諭するであろう。めん/\も諭する理ある。めん/\もなあという精神を定めでくれるよう。




明治三十八年四月十六日
 越智久八三十八才花房きよ二十九才結婚願(高知部内愛豫支教会長)
さあ/\尋ねる事情/\、縁談一条事情理尋ねる。さあ/\前々事情一つ理余儀無くと言うであろう。又後一つ理、こうという一つ理皆々中の理、一つ心寄り合うて一つ事情、皆々心の理に一つ理治まれば、又内々理も治まるであろう。事情一つ理願通り/\許そ/\、さあ許し置こう。




明治三十八年五月三日
 中西殷三十七才身上願(敷島分教会理事兼紀陽支教会長)
さあ/\尋ねる事情/\、身上という一つ理を尋ねる。尋ねるからは、いかな心もよく聞き分けて、よう思やんせにゃならん。どういう思やんせにゃならんかと思う。思やんというは、もう身上鮮やかならんと言う。しいかり聞き分け/\。この道というは、容易やなかったやろ/\。年限数えば、余程の年限。これまで何でもと言うて運んで今日の日、どうでもこうでもという。どうでも行かんこうでも行かん。心一つ聞き分け。たゞ一つの理を諭しよ。よう聞き分け。中の中というものは、皆持ち合い/\、安定行けば皆のもの、悪く行けば皆のもの。この一つ理この一つ心。中というは、何処も皆同じ事。一つ善くば皆善い、一つ悪けりゃ皆悪い。身の内と事情と、皆留まった理。又一つ、知りながら鮮やか行かんから、そう身上不足ありてたんのう出けやせん。これだけこうして居る、これだけどうして居る。ならん中たんのうする理。この道というは、一代と思たら頼り無い。この道は末代の理である。よく聞き分け。身上不足たんのう勤めてくれにゃならん。たんのうは前生いんねんのさんげえである程に。しいかり心定めて、これからという精神持ってくれるよう。

 押して、分教会一方へ寄せて勤めましたら宜し御座りますかと願
さあ/\尋ねる事情/\、どうしたらよかろこうしたらよかろ、この順序、それはどうしたらよかろと尋ね返やす。そらどうしたらよかろこうしたらよかろ、とは言わん/\。身はかりもの。こうしたらと、身上理と試してみたらよい。よう聞き分けてくれ。




明治三十八年九月七日
 鈴木半次郎長男平作二十才鈴木三吉長女つる十九才結婚願(水口部内嶽東支教会長鈴木半次郎、同教会役員鈴木三吉)
さあ/\尋ねる事情/\、さあ縁談一条一つ事情理尋ねる。尋ねるには、皆々それそれどうでもこうでも、この一日の日の願う一つ理将来。将来と言えば、理末代の理とも言うで。一つ尋ねる事情、将来の心の理が治まれば、何時なりと許そ/\、さあ許し置こう。




明治三十八年十月二十二日
 吉成森蔵五十二才身上願
さあ/\/\尋ねる事情/\、身上一条、さあ一つ事情理尋ねる。一時どうという事は無い。なれど、事情余程の事情、将来の心楽しみの心の事情諭し置くによって、十分理よう聞き分けにゃ分からんで。さあ/\長らえての間、道のため、よう/\の日という。楽しみ一つの中であろう。身上に一つ掛かりて、いかなる事情である。日々の理一つ心を取り直し、身上に不足成程と一つ理である。又暫くと言う。成っても成らいでもという心あればこそ、今日まで通り来た道という。身上に掛かり、どうこう何年経ちても同じ事。よう思やんせい。将来末代の理。人間一代と言うからいろ/\の心の理もある。将来末代の理に結び込んである。決して尽し損にならん程に/\。この理よく聞かしてくれるよう。




明治三十八年十月二十二日
 松本伊之助五十五才身上願(兵神分教会役員)
さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上一つ事情尋ねる。事情いかな事であろうかと思う処、日々これはどういう事であろうと思い/\、日は経ってあろ、と日々心であろ。よう聞き分け。事情諭し置こう。よく聞き分けにゃ分かり難ないで。よう思やんしてみよ。めん/\身上で自由ならんと言う。これは日々諭す中の理であろ。これ聞き分け。一時どうではない。なれど大層。よう聞き分けて、こんな事と更々思うやない。前々より長の道すがら尽した理は失おうにも失わらせん。これこんな事では人が何と思うやろ。そこでよう聞き分けて、事情治めてくれ。尽した理は、取ろにも取らゝせん。剥がそにも剥がさらせん。よう聞き分け。こんな事人がなあというは、更に持たず。尽した理は将来末代の理。これ順序聞き分け。身上こんな事ではなあという心持たず、よう聞き分けて、これだけ一つ治めてくれるようと、諭し置こう。




明治三十八年十月二十九日
 岡本久三郎妻ならゑ四十八才身上願(奈良支教会役員妻)
さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上という一つ事情尋ねる。尋ねるにはなか/\一つもうであろうか、もうよかろうか/\と思い/\、日が経って、ならん処から順序追うて尋ねるのやろ。よう聞き分けて、諭してやってくれ。何でなると些か心に持たんよう、思わぬよう。この道というは、なか/\の道通りあろ。これは十分受け取ってある。よう聞き分け。人間というは一代切りと思てはならん。事情末代の理。尽した理はいつになっても治まる程に。未だ/\というは日々であろ。中に身上不足なりて、こんな事と思う、思う心些か持たず。成ろうと言うて成るものやない。成ろうまいと思うても成って来る。この理聞き分けて、今までゝあったらどうなる。取りよ。この理聞き分け。十分尽した理は、将来末代の理に治まりて、結構と一つ分かりてみよ。事情諭し置かにゃならん。こんな事と更に持つやない。この理聞き分けてくれ。




明治三十八年十一月六日
 渡辺福松四十三才身上願(山名部内福島支教会理事飯坂出張所担任)
さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上という一つ事情尋ねる事情、さあ/\まあ一寸した事ならば、そのまゝなれど、どうしてもいかん、どうしてもなあ、こうしてもなあ思うから、尋ねる。尋ねるからは、一つ諭し置こう。よっく聞き取って、よく諭してくれ。この身上という、どういう事であろ、どういう理であろ、と思うは心であろ。この理はどういう理、道に一つ理があれば道の理も分かる。どういう事も分かる。さあこの道長い間の道すがら、どういう事もこういう事も十分通り来たる処、皆受け取ってある。そんなら身上という、どうしたらよかろと又思う。よう聞き分け。成ろと言うて成らるものやない。成ろまいと言うて成って来る。この理は、この理は、皆諭すやろ。この理聞き分けて、いつ/\尽し運んだ理もある。この理は将来末代の理である。よう聞き分けてたんのう。身上に不足ありて何のたんのう、そら出けやせん。なれど、理を聞き分けて、ならん処のたんのうは、前生いんねんのさんげえであるで。さあよう聞き分け。一時どうではない。尽し運んだ理は、捨てるやない。神が捨てるやない。さあ一代切りと思たら頼り無い。理は末代。この理聞き分け。さあ道という、尽し運んだ理は、皆受け取ってある。この道に、難儀さそう不自由さそう理は、何処にあるか。尽した理は、皆受け取ってある。さあ一時どうではない。なれど、余程大層。よう聞き分けて、たんのう諭してくれるよう。




明治三十八年十二月二日
 加藤文右衞門長男文二郎九月より足の障りに付、親共おさしづ頂き度きため上和致し願(日本橋分教会役員)
さあ/\尋ねる事情、さあ/\身上という、尋ねる事情いかな事であろうと思う。さあ/\事情よう聞き分けにゃ分かり難ないで。さあ身上不足になって、これはどういうものと思う。何程頼めど、どれだけどうものと思う。何頼めども、どれだけどうこれだけこうしても、一時身上速やかならん。余儀無く心の理で尋ねるであろう。よく聞き分けにゃ分かり難ないで。さあ人間という、身の内という、身上はかりもの。あちら人にも諭して居るであろう。めん/\心に治めを付けにゃならん。成っても成らいでも、これいんねんという。前生一つ持ち越し。又身上不足なって何の楽しみは出来るものやない。さあ成らん中のたんのうがさんげ。これ前生いんねんのさんげである。さあ/\何程裕福に暮らしても、身上不足なって楽しみがあるか。これで治まりが付くか付かんか、よう思やんしてみよ。又一つ、さあどうなってもこうなっても思う中に、これ一つ聞き分け。親という子という中に、親は子に、必ず難儀さそう不自由さそうという親は有るか無いか、よう思やんしてみよ。さあ人間はかりものたった一つの心我がもの。この理聞き分け。成程という一つ理が、日々のうちに持ってくれにゃならん。これまでどうして来たこうして来たというは、浅き心である。身上叶わずして、どうこう言うても、どうなるか。この理よう聞き分けにゃ分からん。何よの事も、この一条の理にある。さあ身上大層、余程大層。この理しっかり聞き分けたら、先ず暫くとも言うと、さしづして置こう。




明治三十八年十二月五日
 上田与三郎五十三才身上願(奈良支教会役員)
さあ/\尋ねる事情/\、身上という一つ事情理を尋ねる。尋ねるには、容易ならん事やないから尋ねる。さあこれまで長い間身上不足なりて、これは容易ならんから、尋ねる。どうなるとは諭し難くい。この理聞き分け。道の中道のためこれまで尽す中に、身上こんな事と思うは理なれど、よう聞き分けて、取り替え。よう聞き分け。この道、人間は一代と思うから、何たると思う事が出る。これまで聞いて居る、又諭す理から、一つよう思い直し、一時に理が失うて了う者もある。これどうしてなりとも屈めてなりとも、道成り立たそという。さあ身上不足なりて、たんのうはそら出けやせん。なれど、よう聞き分けて、たんのうは前生いんねんのさんげえという。よう聞き分けば、つい/\楽になる日もある、と諭し置こう。この理一寸諭し置こう。




明治三十八年十二月十三日
 柿谷達太郎四十八才身上願(高知部内幡多支教会長)
さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上という一つ事情身上いかな事であろうと、余儀無く処から尋ねる。尋ねるからは、一寸順序の理、何かさしづして置くが、何か事情よう聞き分けさゝにゃならん。さあこの道という、結構と言うであろ/\。働く中結構でありて、中にめん/\身上と言えば、心ころりと変わる。よう聞き分けて、定め込んでくれ。身上どういう事でこうなるという。めん/\も人に伝える理と、めん/\一つ諭す理と、心に治まれば、鮮やか治まるであろ。なれど、めん/\何でこういう事になると思えば、いろ/\沸く。どういう事も治めてくれ/\。又どういう事を治めたらよいと思うやろ。よう聞き分け。人間と言うというは、一代と思うからどうむならん。人間生まれ更わり、この理聞き分け。めん/\尽した理は無くならせん。尽した理は、日々皆受け取ったる。この楽しみ諭してくれ。これではと思わず、身上不足なりて、そらたんのうは出けやせん/\。なれど、この理聞き分けてたんのう。ならん中たんのうは、前生いんねんのさんげえという。これよう聞き分け。案じてはならん。案じる事要らんで。




明治三十八年十二月三十日
 松木幾太郎三十一才身上願(高知部内愛新支教会会計課)
さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上という一つ事情、尋ねる事情、些かなるまでのようと思うなれど、どうもいかん/\と、事情一つ尋ねるであろう。尋ねるから順序一つ理諭し置こう。さあどういう事こういう事、身上に不足なってどう思う。事情治まり無く、順序の理心にあって一つ事情どうでもならんから、一つ尋ねる。一つ心の理であろう。それは人間心である。よう聞き分けにゃ分からんで。一度こう一つ心の理どうこう治まり付かん。身上は余程大層の事情なれど、一時どうとは無い。よく聞き分け。日々どうこう、これでと、十分という心定めて、よく聞き分け。さあ身上不足なりて、たんのう出来やせん。なれど、たんのう前生いんねんのさんげである。さあめん/\これまで尽した理受け取りある。楽しましてやれ/\。この理一代と言う、思うない。さあ内々の処も楽しましてやれ。これだけ順序諭し置くから、皆その中に籠もりある程に。
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おさしづ補遺(明治三十七年)(公刊おさしづ第七巻より)

おさしづを読む前に、「おさしづを身近に」をご参照下さい。
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おさしづの順は、公刊おさしづに準じています。
但し、旧字は常用漢字に改めています。
また「割書き」部分は文頭を一段下げることで、おさしづ本文と区別しています。

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明治三十七年三月二十八日
 大谷久則二十五才池馬之助次女おすゑ二十四才縁談事情願(高知部内浜田支教会大谷、同高岡支教会理事池)
さあ/\/\尋ねる事情/\、縁談一条一つ事情尋ねる。尋ねるには皆それ/\どちらこちら事情一つ定め、心を見定めて一つ事情運ぶ。さあ/\思わく通り、皆々それ/\一日の日の心将来とも言う。心に委せよ。運んでやるがよい。




明治三十七年三月三十日
 上田与三郎五十二才妻くに四十九才身上願(奈良支教会)
さあ/\/\尋ねる事情/\、さあ身上事情、さあ/\どうもならん、どうでもならん。ならんから余儀無く事情一つ尋ねる。尋ねるから一つ事情諭す、いかなる心も聞き分けにゃならん。これまで道長らえての道であろう。それ/\やれ/\思う。何でもと思う中、今一時身上不足なる、身上悩む、思う処、一時どうとは無いなれど、よう聞き分け。今一時尋ねる事情聞き分けにゃ分からんで。何でも無くば、何でもない。道という理ありて、一つ心寄りて道の上の人々、又一つ中に重く理、この理をよく聞き分けにゃならん。難儀さそう不自由さそうという親、有るか無いか。この理聞き分けてくれ。さあ/\身上に掛かる。何をしたのやなあ、と思うような事心に持たず、道あればこそ/\、何人幾人たりとも道あればこそ、と治め。一時の処どうとあろうまい。なれど、身上余程大層という。さあ/\尽した理は受け取りてある。これをよく聞き分け。尽した理、何をしたのやなあと思う心を持たず、道あればこそ、道という理あればこそ、と心に治めるよう。一つ諭してやってくれるよう。




明治三十七年五月九日
 山中栄蔵四十七才木下おきく三十七才結婚願
さあ/\尋ねる事情/\、縁談事情一つ一条一つ理尋ねる。いかなる事情と思う、一つ尋ねる。尋ねるから一寸さしづに及ぶ。前々余儀無く事情これ一つ事情いんねん。さあ事情又一時改め、こうと一つ理尋ねる。よう聞き分け。人情と言うて運ぶであろう。速やかと言えば楽しみの理なれども、何よの事も一つ理尋ねる理、諭し置かにゃならん。何よの処、取り運んでよいと思えど、一つ理一つ心よう聞き分け。いんねんという理一つ理、さしづして置こう。

 押して、結構に御言葉を頂き、尚双方とも運びを付けまして
さあ/\縁談事情一つ理、だん/\事情諭してある。さあ/\いんねんという理一つ心無くばならんで。一寸にはよいと思う。よいが、又理どうこう理、皆々篤と談じ合うてやってくれるがよい。




明治三十七年五月二十五日
 村田幸助養子に付伺(村田幸助の養子を貰い受けしに、やむを得ざる事情から、その者は親里へ返し、今度改めて南本武平の六男留吉二十二才を貰い受け度き儀願)
さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情縁談一つ事情、前々事情は余儀無くという、余儀無く一つ理。これよう縁談事情聞き分けにゃ分からんで。どうというこうという一つ理無いもの。さあ/\よう聞き分け。一日の日を以て尋ねる一つ心、縁談重重の理運んでやれ。これ将来の心に治め。一度一つの理生涯の理治める。なれども、どうもならん。親子と言うても、兄弟と言うても、めん/\心から一つ/\の理変わる。どうもならん。一つめん/\心であるから、どんな徳があるとて、心に治まり無くてはどうもならん。さあ、これ何かの事情に、一つ改めてこうと、一日の日の心、さあ/\皆々心に治め。こうと言えば、許そ/\、さあ許し置こう。




明治三十七年六月十一日
 安村甚松五十才身上願(郡山部内中背支教会長)
さあ/\/\尋ねる事情/\、さあ/\身上という、一つ理という。尋ねる事情、長らえて/\身上一つ事情、どうでもいかんこうでもいかん、どういう事であろう。長らえての日を、余儀無くの理通り居るであろう。さあ一つさしづを貰うたらなあと思う心は、日々の理であった。尋ねるから一つ順序の理諭するによって、よう聞き分けにゃ分かり難ない。さあこれまでという、十分の心を働かしたる中であろう。なれど、身上に掛かれば、日々という。身上さえ速やか、と思うであろう。さあさあ必ず心の理取り直さにゃならん。これまで心道の上という、皆々の中寄り合うた中、取り直さにゃならんで。どういう事をして日々にという。煩い/\、心の一つ理も煩い。よう聞き分け。さあ難儀さそう不自由さそという親は有るか無いか。そりゃ有ろうまい。この順序の理、十分聞き分けにゃならん。さあ何であると言えば、所々に一つ理、世上から見れば、大層鮮やかなる理下りたる。これは末代の理。人間というもの、頼り無いもの。この一つ理、金銭で買わるものやない。一つ理、金銭積んだるようなもの。さあよう聞き分けにゃならんで。一時の処、身上大層なれど、どうなりても結構という心を定め、皆々の心を運び、所々に心という理一つ。尽し損にはなりゃせん。尽した理は受け取りたる。これ一つ心に治め。十分諭してみよ。これ一つ諭し置こう。




明治三十七年六月十九日
 北嶋友五郎妻三十七才身上願(撫養部内香川支教会長)
さあ/\/\尋ねる事情/\、さあ身上一条事情尋ねる。さあ/\どうもならんならん。どうなるこうなる日々の処、よう聞き分け/\。さあ/\尋ねる。尋ねるから又一つ事情理諭する。よう聞き分け/\。それ/\長い間皆々の心重々の理、中に身上どうなる/\。長い間の身上なれば、いろ/\の心出るであろう。それは余儀無く心である。なれど、よう聞き分けにゃならん。一つ理運ぶ尽す処、十分の理に受け取りたる。そんなら身上何故こうなる。一時にどうとは無い。なれど大層大層。皆々心によう聞き分けてくれ。道というもの、一代と言えば頼り無きもの。末代という処に一つ心の司という。この末代の理、一つ心に定めてくれ。どうなりてもこうなりても、この道という心を治めてくれ。満足一つ理与え、心の理一つ養うてやってくれるよう。一時どうとはない。




明治三十七年七月一日
 村田熊三郎妻せい三十一才身上願
さあ/\尋ねる事情/\、身上事情尋ねる処/\、さあ/\一度二度身上さあもうならん/\ならんで日々の処通り来たる。さあ/\身上の処余程事情大層。もう一度の処もう一度という。又候身上よう聞き分け。何でやなあと思うなれど、よく事情聞き分けにゃ分からん。これまでの処、幾重の道幾重の理、幾重の処中に、こういう事であゝと思う。よう聞き分けにゃ分かり難ない。いんねん/\いんねんならと言うて了うては、どうもならん。この道よう聞き分け。人間という、一代と言えば頼り無いもの。ならん/\の理聞き分け。これ皆前生いんねんのさんげと言う。内々ならん/\の中一つこれ道という心を定め。ならんがたんのうという心を治めてくれ。成る成らん前生いんねんのさんげと言う。なれど、一時ではない。余程大層という事情である。




明治三十七年七月十五日
 越智久八妻ヒサヨ三十才身上願(高知部内愛豫支教会長妻)
さあ/\/\尋ねる処/\、尋ねる事情余儀無く事情であろう/\。さあ/\又候又候事情という、いかなる事であろう、これ思う。一つ心、余儀無き事であろう。さあ/\尋ねるから事情いかな話事情も諭するから、よく聞き取りてくれ/\。どういう事が違うこういう事が違う。これは無い。これ通り来たる年限ある。年限ありて道と言う。よう聞き分け。身上に掛かる。いかなる事思う。皆々これ何でも救けにゃならん、救からにゃならん、と思う中に、一つ事情という。心一つ掛かり、どうもいかん/\。これ一つ理から余儀無く事情、運び違わんよう。これ伝えてくれ/\。さあ難儀さそう不自由さそという親の理、有るか無いか。よう思やんしてみよ。又候々々こんな事では世界から何と思う、何と言う。なれど、道という理一つ、成っても成らいでも、心を治め。所々一つ名称末代の理。一代と言えば、頼り無いもの。道という尋ねる一つ理、所々一つ名称、この理金銭や智者学者で出来たものやない。しっかり思やんせにゃ分からんで。さあこの理は他から取ろうにも取らゝせん。剥がそうにも剥げやせん。安心の心を定め。又々どういう事こういう事。成っても成らいでも、この道という末代の理。一時一つ理始め出し、どうこうやない、万劫末代の理。この大望の理、十分諭してやってくれ/\。案じる事要らん。教会名称一つ理無くばならん。この理速やかなものである。一つ開き付けた道という、末代の道。さあ心に治めて運んで、成程と一つ諭してくれ。これさえ治めたなら、一時の処どういう事もあろうまい。これ一つ治めてくれるよう。




明治三十七年九月十一日
 福原惣太郎三十七才身上願(湖東部内筑紫支教会理事)
さあ/\/\尋ねる事情/\、さあ身上事情尋ねる。さあ/\尋ねる事情は、余儀無く事であろう。どうしてもこうしてもいかん/\。だん/\どういう話も聞き取りたであろう。一つ理、身上鮮やかならんから、尋ねる。尋ねるから、一つ事情順序の理諭し置こう。一つ事情よう聞き取りてくれ。さあ/\どうしてもこうしてもと思うは日々であろう。さあ/\堪えられんと思う心、別段何もどうこうは無い。これまでの間だん/\の道も伝え、いかなる事も十分の心を治め来たる。そんなら身上どういう、又これまで道の上にどういう心も、これだけ運ぶ。いかな事もこういう事であってはなあと、堪えられん理であろう。人間という、一代と言えば頼り無いもの。なれど、そうやない。これまでの理受け取りてある。よう聞き分け。世上の理を見て、一つ心道治めてくれ。いかな事もどんな話も、皆々の心寄り合うてくれ。これが道の理である。この一つ事情、一時どうとは無いなれど、余程大層。これよう心にたんのうしてくれ。身上事情、これ皆世界いんねんのさんげと言う。この一時事情余程事情大層。なれど、どうなりてもこうなりても、この一つ理聞き分けるなら、又一時暫くとも言うて置く。




明治三十七年九月十二日
 鶴巻吉三郎三十八才身上願(湖東部内北蒲原出張所長)
さあ/\/\尋ねる事情/\、さあ身上という、尋ねる事情理尋ねる。さあ尋ねるから、これよう聞き分け。だん/\どうしてもいかん、こうしてもいかん。どういう事と思う。日々日をだん/\通り来た。その理尋ぬる。尋ねるからは、一つ又事情一つ理さしづに及ぶ。どういうさしづなら、よう聞き分けにゃ分からん。さあさあだん/\年限重なりだん/\、さあいつ/\とても、何とても思い/\、日々日柄通りたる。道という、もうどうこう、これそれ、思う。楽しみの中に一ついかなる事と思う。よく理聞き分けにゃ分からん。何よの事心という理成って、一寸楽しみの中に、又身上不足なる。どうであろうと日々思う。これ日々堪えられんであろう。その又堪えられん中に、一つ理よう聞き分け。人間という、一代と言えば、頼り無いもの。なれど、そうやない。理は末代と言う。さあこの理よう聞き分け。長長道の理治め来たる。日々楽しみ中に、身上に不足なりてたんのう出来やせん。なれど、世界の理を見てたんのうという。これまで尽した理は皆受け取りてある。さあ/\あちらからもこちらからも、どうしてこうして一つ理運ぶ尽す理、日々の処楽しみの理運んでやってくれ/\。まあ一時どうとは無い。なれど大層。こんな事と更に思うやない。末代という理治め。これでどうこう道という上に、将来末代の理しっかり定めてくれ/\。又一つ身上不足なりてたんのう出来やせん。なれど、世上一つの理見分け聞き分けてくれ。苦しみ切なみの中にたんのう出来やせん。なれど、苦しみの中にたんのうするが、世上いんねんのさんげと言う。




明治三十七年十月十九日
 吉岡岩蔵五十九才身上願(兵神部内加古支教会会計)
さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上事情一つ理尋ねる。さあ/\尋ねるから一つ、又身上によりて一つ理諭し置こう。よく聞き分けにゃ分からん。さあ身上不足、何でやろうと思う。いろ/\心迷う。長らえての道を尽したその中に、この身上不足。皆それ/\の心日々の心である。十分一つ事情諭し置くによって、よう聞き分けてくれにゃならん。さあ/\長らえての心、どれだけ尽す、これだけ尽した理は、日日皆々受け取りある。理は必ず受け取りある。又身上何故こうなると思うやない。この道という、それ/\に諭する理、よう聞き分け。同じ人間同じ神の子である。難儀さそう不自由さそうというをやは無い。又これからという中に身上不足なりて楽しみありゃせん。身の内こうなりてどうこう、成程聞き分け。も一つのかりものという、この心を定めて、苦しみの中に楽しんでくれ。成らん出来んさんげするが、前生よりのさんげと言う。これ一つよう聞き分け。何でも彼でも一つたんのうしてくれ。一時どうとは無い。尽した理は将来末代と言う。この理聞き分けてくれ。一つ理、満足与えてやってくれるよう。
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posted by 朱夏 at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | おさしづ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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